175話
~ ☆ ~
『こちらアーチャー。現在のところ異常無く浸透中。予定の日付までには到達出来そうだから、到達出来次第連絡する』
「はいはい、聖杯りょうか~い」
『キャスターは幾らか前倒しで前進中。なにか追加のご指示が無ければ、出来る限りの情報を持って作戦を磐石にするために行動したいと思います。その際、可能であれば分隊の方々に出来うる限りの嗜好と食事を振舞いたいのですが、宜しいですかな?』
『料理に関しては煙と匂いに気をつけること。酒に関しては上手くやって欲しいと思うけど……エカシさんはどう判断するかに委ねる』
「あ~……。こちら”本隊”。酒に関しては交代で飲むようにしてやってくれ。ただし、度数の高い酒は禁ずる」
『承知いたしました。では、次の定時連絡まで外れます』
『同じく。何かあったら連絡する』
「了解」
ブツンと、接続が切れる音がする。
その音を聞いてマスクウェルは盛大な溜息を吐くが、その溜息に負けずとも劣らずエカシも大きな息を吐いた。
「な、慣れぬものだな。どういう理屈で遠い相手と話が出来ているのだ?」
「説明してもいいけど。たぶん理解できないと思うから止めた方がいいよ? 半導体素子だとか半導体部品、電子部品だとか電波だのWi-Fiだの説明して理解できる? 周波数とか、広帯域とかも分からないでしょ?」
「あ、あぁ……。だが、なんだ。その、話の始まりと終わりになんだか”嫌な感じ”がしてならぬのだ」
「動物だからかな。まあ、それに関してはボクは理解できないけど。……っと。お仕事終わったから、何か甘いものが欲しいなあ」
「先ほども食べていなかったか?」
「この装備、ボクの身体から色々な養分を使ってるから消耗も早いんだよ。それとも、ケチって作戦自体潰す? ボクが倒れたら二つの部隊はこっちと連絡つかなくなるんだよ?」
「……承知した。本来であれば馬鹿げた作戦だと言えたが、実際に使ってその有用性を理解すればそれくらい安い支出だ。直ぐに侍女に持ってこさせるとしよう」
「やったね!」
マスクウェルたちは部隊の編成を終え、すでに彼らの拠点を発っていた。
ただし、移動はゾルやヤクモと足並みを揃えたもので。
ゆっくりと、兵に負担をなるべく与えないように大きな町などを利用するように進んでいる。
「部隊の状況はどうなのさ」
「部隊を小分けにしてそれぞれに水や屋根、それの両方あるいはどちらかは必ず満たすように布陣して休ませておるよ」
「出来る限り威勢を高めておく、だっけ?」
「テュカ様が居られるのだ、意気揚々とせぬはずが無いが」
そう言って抜けたエカシを、マスクウェルは少しばかり唇を引きつらせながらも見送った。
獣人の聴力の範囲に、あるいは拾えないほどの小さな音で息を漏らす。
「本隊は”純部隊じゃない”ってのを知らないのかな、おっちゃん……」
ツアル皇国に幾らか染まり、連帯や連携、仲間意識などを持たせる事ができているエカシ。
しかし、それは彼個人の配下に限っての話だ。
今回、組合経由でテレサが情報を流している。
それは仕事を匂わせる事で傭兵を集わせ、エカシの主張も乗っける事で有志をかき集める。
中には冷遇されて下野したり、嫌気が差して離れていた連中もいたが。
だが、ヤクモはそれを今度は危険視した。
それぞれの練度や連携、志向や思想の差が”統率力”に皹を入れるだろうと。
なのでゾルやトウカに頼んで、良い兵はなるべく傭兵のみに、兵士や元兵士は彼らで構成するようにした。
でないと、いざと言う時に亀裂を入れてしまうからと。
確かに傭兵とはいえ前王を慕っている連中がいるだろうが、行動原理や行動規範が違うから注意するようにと口酸っぱく言われていた。
エカシもそれを聞き入れはしたが、理解はしていない。
そのあたり”ナショナリズムがまだ無い”という点で、ヤクモは理解していた。
「聖杯にアーチャー、か。作品の事を好きすぎるってのも問題だねえ」
マスクウェルは腕に装備しているウェアラブルデバイスをいじくる。
もちろんネットワークにも接続できるように改良されており、ネットワークの海にまかれたままのデータを見るくらい難しい話ではない。
聖杯とアーチャーという単語で調べれば、出てくるのはとある作品だった。
「──けど、あのオジさん。文句を言ってこなかったな」
暇になり、マスクウェルは自分を連れまわす自分たちのリーダーを思い浮かべる。
ヤクモという男は、刺激物を飲み込んだ影響で心が溶かされる麻薬のような影響下にあった。
それを耐え切ったのは単に彼が強かったから──では、ない。
プリドゥエンが交渉し、マスクウェルが全知識と設備、素材などをふんだんに使ってヤクモを「一新した」からに過ぎない。
生きたまま人間を分解し、内臓のみの存在にバラして毒の除去を行う。
汚染されきってしまい使い物にならない内臓があれば、保管されていた強化内臓などを用いて入れ替えるが今度は互換性が無い。
結局、ほぼほぼ身体を総とっかえしてしまい、両親から貰ったものは脳と眼球、生殖器等に限られてしまった。
骨、筋肉、神経、内臓のほぼほぼ全てが”強化人間プロジェクト”に纏わったものになってしまっている。
その性能は”しかるべき装備をすれば、宇宙から降下が可能なくらい”である。
少量の食事から搾り出すように栄養を吸収し、排泄物に変換される前に消化しつくす。
視力は相手が山岳地で活動するゲリラであっても数キロ先から動いた瞬間に視認する。
肉体はナノマシンを用いた新陳代謝速度調整によって、出血しようが切り傷や銃創が出来ても高速で止血し傷口を塞ぎ出す。
運動や活動時には心臓や肺が疲労を抑え呼気の回復を推進し、長時間の活動をも可能にする。
そういった”非人道的な特殊部隊”へと、作り変えられた。
だが彼は文字通り”人間離れ”したのに、それらの説明を聞いても”無関心”だったのだ。
『あ~、悪いんだけどさ。それ、全部纏めて資料にしてくんない? 言われても”化け物になりました”以上の認識が持てないんだ』
そう言われ、マスクウェルは一般人でも分かりやすいような。
あえて言うのなら、最低限の義務教育を終えている人物程度が理解できるようにかいつまんで見せた。
それらを流すように読んでからも、変らないままだった。
「おっかしいなあ。ボクの知ってる人間って、大体が人間を止める事になった時には、泣いたり怯えたり否定的だったんだけどなあ……。やっぱり元とはいえ軍人だと割りきりが強いのかな? ボクが見てきたのは民間人や学者だったしなあ……」
等と考えていると、マスクウェルが滞在していている部屋へと人がやってくる。
「やたっ、流石に早──」
「ん~?」
「なんでさ……」
先ほど注文したお菓子だろうと立ち上がったマスクウェルだが、部屋に入ってきたのがトウカで半ばずっこける。
しかもなぜか彼女が甘味とお茶を持ってきていて、それもまた理解が出来ないと彼女を苛んだ。
「侍女は!?」
「んとね。私が代わりに持っていくからいいよ~って言っといた」
「何でそういうことするかな~! 自分が今、結構重要なポジ……えっと、立ち居地にいるって分かってる!?」
「ん~、あんまり……。けどさ、動物とお話をするお仕事ってのも変だよね?」
「ボクはそうは思わないけど? 動物とちゃんとお話が出来るって、普通ありえないから。というか、こういう使い方を考えたりしなかったの?」
「だって、姿は違うけど仲間なわけじゃん? けど、私達よりも弱いんだから、何か違うんじゃないかな~って。エカシも前に出るな~って言うしさ、ダイちゃんとゾルくんは面白そうな事してるし。マーちゃんも色々やってるから、なにかな~って」
「べっつに~。ただの中継だよ。あのオジちゃんとオッさんの通信を経由する事でエカシって人に情報を渡してるだけ」
「すごいよね~。ダイちゃんもプリちゃんも、いろんなこと出来て~」
「ボクは?」
「マーちゃんもだよ?」
「ついでみたいだけど、どうも。……あ、美味しいや。やっぱり甘いものは良いなあ。これを食べなかったのがボクの長年の損失だったというわけだ」
そう言いながらおはぎを食べるマスクウェル。
そんなものかな~? 等と言いながらもお茶を入れてくれるトウカを見ながらも、彼女の疑問は幾らか残る。
「動物達とお話したら、なんだって?」
「んとね。兵隊さんが沢山こっちに向かってるよ~って。あと、すごい怖い感じがしたって」
「恐い感じって、本能みたいなものかな。小動物だし、そういう察知能力は侮れないよね」
「結構多いって事くらいかな~、あとは。私達よりも多いかもって」
「それ、ヤバくない?」
「どうだろうね~。実際に見てみないと分からないし、見てみても戦ってみなきゃ分からない事って沢山あるじゃん?」
「数は質を覆すって知ってる?」
「甘いよ? マーちゃん。ちっちっち~なんだよ。数は数でも、多少の数ってのは力で押し切れるもんなんだよ」
「……否定出来ないのが悔しいんだけど、なんでかな?」
そもそもの話、強化人類計画というものが”質の高い兵士を作って戦況を打破する”という所からきている。
宇宙空間から降下して敵地やその後方に装備と装具のみで着地してみせ、高い戦闘能力と知識で敵軍を打ち破るというトンデモ発想から来ている。
パラシュートも無しに地表擦れ擦れでホバリングして衝撃を殺して着地し、アーマーを着て殴りつければコンクリート壁でも破壊して施設に突入する。
戦車を見つければ殴って装甲を破壊し、ハッチを引っぺがして鹵獲して己が運用する。
知識や技術も”インストール”され、沢山の訓練と経験で与えられただけの知識や情報を実際に見に付けた知識や技術として運用する。
高コストだが、投入すれば文字通り師団や方面部隊すら数名でかき乱せるという”実績”を知っているマスクウェルからしてみれば、トウカの言い分も間違いじゃないと理解できた。
実際に、単独で一個師団を引き付けて半壊させた例も、一個班で国をひっくり返した実績もある。
「だって、実際にそうやって生きてきたもん」
「実体験じゃ覆すのは難しいなあ……。ボクには知識や情報は有っても経験と体験が圧倒的に不足してるし。歴史上でも実際に不利な相手に対して質で蹴散らしたって事は枚挙に暇が無いし」
「どれくらいの差があったの?」
「300人で6万人……だったと思うけど。実際にはその6万という数は見解違いで前後してるかな。それでも地形を利用して蹴散らしたっていう戦いはあるけど」
「んと、凄い差が有ったんだねえ」
「凄いって、それだけ!? ……まあ、ボクの認識と君達の実際の性能差は凄いのかも知れないけどさ。──まあ、あのオジさんもそこらへん苦労してるんだろうな~」
「ねね、マーちゃん。マーちゃんがやったら私ってもっと強くなるかな?」
「なれると思うけど、オジさんより時間がかかると思うよ? そもそも材料の適合するか分からないし、オジさんの時は少し不死になりかけてたからゴリ押ししたけど、本当ならあんなの内臓を身体から引っぺがしたりしたらマトモなままじゃいられないよ」
等と、マスクウェルは己の施術が大分無理をした事実を吐いた。
別に隠す事でもないが、だからと言って進んで言いふらす必要も感じていなかった。
生皮を剥ぐに等しい行為を、内臓や骨、神経で行っていたのだから。
なんにせよ、外の世界に出てこられたとは言え話が通じてある程度は知識と技術のレベルが似通った相手を失うわけにはいかなかった。
たとえ不死の化け物とはいえ、戦闘能力が無ければタダのカモでしかないのだ。
外の世界がどうなっているのか知らず、その上倫理や道徳のレベルが分からない中で一人で歩く事を選ぶほど愚かではない。
「ん~、そうなんだ~」
「というか、身体のつくりが違うから出来ない可能性だってあるんだよ? キミたち獣人は変身する訳じゃん? その仕組みを知らないまま内臓とか筋肉とか骨とか入れ替えたら大変な事になるじゃん? そういうのは許せないの、ボク的には。やるんだとしたら徹底して検証と実験と治験を重ねて、その上で成功させたい。失敗は成功の母だというけど、それは失敗しないために色々とやった人にだけ許される言葉だからね」
「途中から、難しくてよくわかんないや」
「えーっと!!! 勝つにしても負けるにしても、上手いやり方を考えてからやる方が良いよねってお話。戦いと同じだよ」
「やっとお話が分かるようになった!」
ふんすふんすと嬉しそうにするトウカを見て、少しばかり複雑な表情を浮かべるマスクウェル。
感情を”知ってはいても、理解と納得はしていない”のだ。
少なくとも”会話や対話”自体が初めてなのだ、それですら上手く構築できているのかと彼女は悩む。
「ねね、昔と今ってそんなに違うのかな? プリちゃんが人になるのも驚きだったけど、あれも当たり前なの?」
「どうだろう。ボクが居たのはオっちゃんの居た時代よりも後だから。ただ、技術的に言えば、出来ない方がおかしい位だったけど。ただ、大分違うって事はいえるよ」
「どれくらい違うの?」
「水を汲みに行かなくていいし、火を熾すのに薪とかがいらない。夜でも昼間みたいに明るく出来るし、それが建物の中や地下でも簡単に出来るとか」
「あのダイちゃんと言った建物がそうだったよね。地面より下に潜っても明るかったし、沢山食べ物とかあったし……。それと、良い寝床もあった! 寝転がったら暖かいし、硬くないし、気持ちよかったな~……」
「あと、お湯が簡単に作れるし、お風呂……じゃなくて、入浴する場所があって、そこならお湯も水も好きに使えるから簡単に身体も洗えるし」
「井戸に行かなくても良いんだ、良いね~。けど、どうしてそんなに凄かったのに人は居なくなっちゃったのかな?」
「……手に入れたら、もっともっと欲しくなるのが人間だからだよ。凄い事が出来るようになると、その分使うものが凄く増えるから。小さな火なら燃料は少なくていいけど、大きな火だと沢山の燃料が必要になるよね? 枝とかじゃなくて、丸太とか薪とかが沢山必要になる。そうやって沢山のものを使ってたら、物が無くなった。そうしたら奪い合いになって、世界が滅んだ」
「世界が滅ぶの? 神様とか、魔王じゃなくて、人間で?」
「小さな国が一つ丸ごと滅んで、数十年そこに人が入り込めないくらい汚染される兵器が当たり前だったみたいだし。オジさんが使ってる武器だって、ボクからしたら旧世代の武器だよ」
「はわ~……」
トウカからしてみれば、あの地下シェルター自体が”すごいもの”である。
あれに連なるものが当たり前だったり、もっと他にも色々あるのだと説明されても半ば夢物語に近い。
ヤクモが使っていた”銃”というものが、説明されて理屈を理解している最大限であり最低限である。
少なくとも魔法使いの学び舎に居ただけあり、見聞きした魔法や事象に置き換えれば理解と納得は出来るのだ。
「けど、ボクからしたらこの世界やキミたちだって凄いよ? なにさ、獣人って。なんだよ、魔法とかって。おかしいよね? 科学とかファンタジーを一緒くたにしてバカにしてるでしょ?」
「そんな事言われてもさ~、私からしてみればダイちゃんやプリちゃん、マーちゃんの方が変だと思うよ?」
「神は死んだ、か」
「え、死んだの?」
「そうじゃなくて……。あ~、話がしやすい人が居ないと疲れる!」
ヤクモやプリドゥエンに比べると今の世界に対する知識力が無いため、どのような応対をすればよいのか理解できていない。
そのために、さえない顔をしてウダウダとさえないやり取りをしているヤクモや、涼しい顔をしてサラリと何でもこなすプリドゥエンが今となっては彼女には凄く見える。
対人スキルが低いと自認するヤクモですら、”心理学と人間操作法”と”責任と義務”をそれぞれ用いる事でなんとかカバーできている。
それ以下だと認識してしまうと、マスクウェルとしては少し悔しさもあった。
「話し変るけど。動物達から聞き出した話と位置情報はちゃんと割り出してきてる?」
「うん、ばっちし! 沢山お手伝いして貰って、方角と場所と数は大体」
「へっ、エカシのおっちゃんよりもトウカの方が頭が柔らかくて助かるよ。何が”動物に何が出来ると?”だよ。頭がかったいんだよな~」
「こういう考え方もあるんだね、考えもしなかったよ」
「なんで?」
「ん~……。だって、動物は私達みたいに強くないし、巻き込んだらかわいそう……とか?」
「そういうのは言い訳だよ。同じことをさ、誰かが死んでからお墓や死体の前で言える? 動物が可哀相だったので使える手段を使いませんでした~って」
「……言えないよね~」
「そゆこと。だからボクは取りうる手段は提示するし、それが誰かにとってどんな反応を示すかなんて興味も無い。理念や思想は、生き延びなきゃ意味が無いのさ。それを抱いたまま死ぬっていうのは、ただの宗教だよ」
そう言いながらマスクウェルはプリントアウトした地図をトウカに渡す。
彼女は鉛筆を借りると、それで色分けをしながら動物から受け取った情報を纏める。
相手の移動経路、おおよその人数、時間毎の移動距離、大体の兵の比率。
斥候や偵察を獣人にも頼らずに仕入れている分、その秘匿性は高いだろうし頻度は高く保てるとマスクウェルは考えた。
幸いな事に”この世界”での動物は、言語こそ喋れないが思考能力とレベルが向上している。
それにより、生きたUAVのように運用できるくらいではあった。
「けど、地図を読めるくらいの頭脳があってよかった。楽が出来るもん」
「地図が読めないとね~、傭兵のお仕事をするのに苦労するんだよ~。それと、読み書きと計算とか。損をしないためには、最低限覚えなきゃいけない事は全部覚えたよ」
「わぁお、ならいろいろと楽できそう。けど、それだけ色々できるのにあのエカシのおっさんは何もさせたがらないんだよなあ……」
「ん~、理屈は分かるんだけどね~。けどさ、少し疑問に思うんだ」
「なにを?」
「お父さんとお母さんが……この国の王様だったのが本当だったとしても。今の王様はゾルくんのお父さんなわけじゃん? 別にさ、私が居てもいなくてもエカシさんが勝ったらエカシさんが国をまとめれば良いだけだと思うんだよね。それ、私じゃなくてもいいよね~って思って」
「あ~……」
弱肉強食に染まりすぎて、今度は「勝てば総取り」の理屈をどうしたものかと悩んだ。
しかし、マスクウェルはその解を持ち得ないが故に口を噤む。
少なくとも、便利屋や道具として使われる分には何の思想も理想も抱かずに済むが、これはその範疇を外れていると。
「オジさんと会ったら多分答えてくれるんじゃないかな」
「ダイちゃんが?」
「色々な所に行ってるし、色々な事を見てきてるわけだし。ボクは技術的な事しか分からないから」
そう言って、マスクウェルは”逃げ”た。
面倒だから、専門外だから、責任が持てないから。
しかし、自分で吐き出した言葉を彼女は違う意味で後悔した。
武器を持ち、引き金を引き、殺すだけの非生産者である人物に「回答を期待」してしまったのだと。
専門的な分野においては、他者に追随を許さない事は自負している。
なぜなら、それが彼女の産まれた理由だからだ。
最初から”全人類が届かぬ高みへ”と至るために作られた科学の結晶。
だが、切磋琢磨する相手は居らず、ともに歩むものは居ない。
だからこそ、今でこそ少しだけ理解する。
だらしなく、情けないように見えて全員をまとめているというのが一種のスキルなのだと。
「……Well, what next? Mr.Einstein≪それじゃあ、次はどうする? 天才クン≫」
「?」
少しばかり、初めて負けん気を出したマスクウェルだったが、それも長くは続かない。
ドシドシドシと、外が慌しくなるのを感じたからだ。
そして、その中に聞きなれた声が聞こえてくる。
『テュカ様! どこに居られますか、テュカ様ぁ~!!!』
「あ~……」
目付け役が自分の不在に気づいたと理解したトウカは、あからさまに嫌そうな顔をした。
メイドとして働いていたときよりも自由が無くなった今、彼女は不満を抱いている。
前王の忘れ形見だとしても、やりすぎなくらいに過保護に扱われていた。
「あのエカシのおじさんも、もう少し融通が利けばいいのに」
「だよねえ……。さってと、マーちゃんのお手伝いも終わったし、お話してくれてありがとね」
「また何かあったら教えてね」
「りょ~か~い」
トウカは足音が正確にマスクウェルの居る部屋に向かっているのを聞き取ると、素早く窓から身を投げ出した。
二階の高さではあるが、それは荒事に慣れ親しんだ彼女にとってはなんて事も無い。
着地した音すら上手く消したのを見届けると、マスクウェルは口笛を吹いて賞賛する。
何だかんだ、ありえないと思った事でも目の前で行われてしまえば事実となる。
その事実が凄ければ手放しで賞賛するあたり”科学者連中の想いの塊”らしかった。
「こっ、ここにテュカ様は来られましたか!?」
「あのさ、ボクがなんと答えても答えは分かりきってると思うけど」
「それがどれほど前なのか位はわかろうが!」
部屋に突入してきたエカシは、数度ばかり匂いをかぐ。
それによって”トウカの匂い≪主人の一族の香り≫”を嗅ぎ取ると、マスクウェルを詰問しようとする。
当然だがマスクウェルにとってトウカをかばい立てする事に意味はない。
面倒くさいし、時間も食うし、納得する嘘を構築せねばならない。
トウカが居た痕跡は部屋に匂いとして充満している。
その足跡を辿ろうにも生憎の雪景色。
獣人とはいえ所詮は”人”に傾いている分匂いには弱くなる。
「窓から逃げたよ」
「むう、然様か……。テュカ様にも困ったものだ」
「それと、ちょっと遠回りしてから帰ろうかな~とか言ってた。部屋に閉じ込めすぎじゃない? だから逃げられるんだよ」
「そもそも、参加させる事に反対なのだ。仕方が無いとは言え、折衝案として連れて行くことにしただけでも、妥協として受け入れてもらいたい」
「ふぅん? 今日までで兵と一緒に訓練してるの見たけど、アレを出さないって余裕あるわけ?」
「その為に、我輩が居る」
エカシの言葉がどれだけ意味を持つのかは分からない。
ただ、合理的に考えればトウカを参加させない理由が無いのだ。
暫く考えるが、それも自分が学者としての思考しか無いからだろうと諦める。
「それで、追わなくて良い訳?」
「む、そうであった。皆のもの! 町中を探せ!」
「「「ハッ!」」」
エカシが去り、部屋に静寂が戻る。
それからトウカが出て行った窓を閉ざすと、暖炉の焔で幾らか暖を取る。
「……頼むから、早く帰ってきてくれよ。オジさんも、おっちゃんも」
帰ってくれば、楽になる。
少なくとも、何でもかんでもやってくれる。
その上に退屈しないし、少なくとも楽しい。
そういう意味で、彼女は皆がまた戻ってくる事を願った。
── ☆ ──
「え、ヘルマン国で内乱? うそぉ~……」
「いえ、その。嘘ではありません。組合を経由して入った情報だけでなく、商人や組員からも同じ情報が入ってます」
「タイ……状況悪っ!!!」
ヘルマン国との国境沿い、ユニオン国でユリアは通行止めを喰らっていた。
その理由は兵士の言ったとおりであり、内乱として危険度が上昇したからである。
幾らユニオン国首領の娘とはいえ、強権を行使して現地入りさせるほど兵士も耄碌していなかった。
「参ったなあ……。燻ってるのは把握してたけど、勝手に燃え出すとか」
「どうやら前王の子が居たようで、それを旗頭に発起した模様です」
「へ~、生きてたんだ。傀儡かな、それともどっかの都合の良い何か?」
「それは……」
「あぁ、うん。それは無いよね。分かってる。エカシ将軍はたとえオルグ将軍が簒奪者でも、弱肉強食の規則に従ってたしね。それに、オルグ将軍に敵わないと理解できないほどバカじゃなかったはずだし」
ユリアは少なくとも父親の役に立つため、それが亡くなった母親とやせ細った土地に住まう民に役立つだろうと、様々な情報を集めていた。
その中には当然ながら旧い情報から新しい情報まであり、ゾルザルの父親であるオルグがなぜ前王を殺すに至ったかまで精度の高い憶測とも予想ともいえる結論があった。
「それと、既に会戦の口上も来てます。発起の口上もありますが、ご覧になられますか?」
「うん、後で書き写しておくから炭と紙だけ頂戴」
「まさか、自ら書き写すつもりですか? そんな、ユリア様がそのような事をする必要は──」
「あのさ、君達は自分達の与えられた職責を全うするためにここに居るんでしょ? ということは、今非番や休憩に入っている子みんな仕事を果たしてる事になる。その中に私の勝手な都合をねじ込むのは、君達の仕事や任務、引いては国を軽んじる事になる。私に国を軽視しろって言うの?」
「いえ、そのような……」
「うん、宜しい。君達はたまたまこの関所に来た私に有益な情報をくれた、その上情報を写させてくれるだけお仕事をしてる。他に何か有益な情報ってある?」
「はあ、それが……。前王の娘を擁立する側に、どうやら人間が居るとか聞いてます。金の匂いをかぎつけた傭兵か、あるいは繋がりのあるツアル皇国の者かと。精度の低い情報ですが」
「ありがとう」
ユリアはそう言って関の中へと入っていく。
中にはそこに属する兵士が居るが、誰もが彼女の服に縫い付けられている階級を見れば道を空けて敬礼をする。
当然そこで彼女がどこを歩こうが、どの部屋に入ろうが止める者はいない。
当たり前のように情報の纏められた資料室へと入り、そこで高価な紙と擬似鉛筆を手にすると欲しい情報を纏めだす。
「え~と、なになに……」
エカシ側の声明は、それなりに筋の通ったものだった。
まず相手を落とし、悪い部分を指摘する。
長続きすれば不利益を被ると認識させ、非協力的にさせる。
逆に、自分達は正義だと主張し、今を打破するかのように説く。
もちろん、現在の状態で利益を得ている連中は反発するだろうが、それは自国内で完結する場合に限ればだ。
前王の忘れ形見を用い、その子が不利益を被った事にまで言及している。
それによって相手に悪を糊塗し、その上で情にまで訴えている。
獣人は感情が人間よりも強い種である為、これもまた有効な手口だなとユリアは考えていた。
その中には息子であるゾルザルにも見限られたと書かれていた。
それもまた、オルグにとって険しい文面になりうる。
親に見限られる事もそうだが、子に裏切られるというのも決して小さい話ではない。
親と子の繋がりは深く重い、だからこその有効打ともいえるのだが──。
「なんか、変」
口上文を読めば読むほどに、エカシという獣人のイメージからかけ離れていくのをユリアは感じた。
言っている事は本人らしさがあるのだが、その責め方が”エグい”と。
それこそ”人が嫌がる事を進んでやる”ような──。
「まさか……」
エカシ側に居るとされる人間の情報を彼女は探り出す。
そして見つけた中に、『初老の男性と、うだつのあがらない男』と言う分かりやすいものがぶら下がっていた。
「絶対そうだ。また、何でこんな事になっちゃうかな……」
まるで”兄”のような口癖を口にする。
それから、解像度の低い魔石を用いた映写機の画像と、プロファイリングのように再現で描かれた人物像を見た。
「兄さんだ、やっぱ」
溜息を吐き、直面したくなかった現実を受け入れるしかないと諦める。
それから”妹の記憶”を掘り起こすと、似たような感じで面倒ごとに巻き込まれていたかつての兄を思い出す。
「え~? なんでこんな目にあっちゃうのかな……。兄さんは」
決して”何事も無かった”とはいえない生だったという記憶がある。
片親が他国の人である以上、軋轢や柵は両親レベルから存在していた。
言語能力、ハーフである事、思想や思考が違う事。
様々な事柄が虐めや対人関係での失敗などに繋がっている。
ユリアの前身である”妹”も、対人関係での失敗が女子生徒からの虐めに繋がっていた。
それを何とかしようとしていたのが、兄である”ダイチ”である。
普段は冷淡である次男の敦も、そのときは助けるために奔走してくれたのを彼女は忘れていない。
二人の兄が居て、温和で家族想いの長男が居たから自分は生きていられたのだろうと、贔屓目ではなくともそう思っているくらいだ。
「カカ、どうやらまた面倒ごとみたいじゃな」
「みたい、じゃなくて、そうなの。まったく、むかしっから変ってないんだからな~……」
部屋で頭を抱えるユリアに声をかけたのは、同伴して来ていたヴァイスであった。
ユリアの父親に不意打ちされ、彼らの使う武器の弾丸に使う魔力を搾り取るだけの存在にされかけていた。
学園と生徒を手中に収め、そこからの長くなるだろう戦いに備えて英霊をその為の道具にしようとしたのだ。
しかし、ミラノを誘拐したその足でヴァイスを救出した反英霊と、抗戦し企図を挫いたヤクモによってそれらは防がれた。
その後、出血の酷さもあって暫く療養と、己の成した子の中で唯一認め大事にしているユリアを殺めかけたショックも相まって大人しくなったヴィクトルとの関係修復から、ここ暫く彼女は大人しくしていた。
「いやはや、死に掛けて半人半龍になったが、血を流しすぎて死に掛けたら元に戻るとは思わんかったのう。自分のことは自分が知らぬとは、真であったな」
「父……ヴィクトル様との関係が修復できたから良いけど、なんでそのまま戻ってきたのか今でも理解に苦しむかな」
「吾の今居る国は、お主の居るユニオン国じゃからな。他の国にもそれぞれ仲間が居るのに、ここだけ仲間外れは良くないであろう?」
「ヘルマン国にも居ないけど」
「それは仕方が無いであろう。魔法を使える人物が獣人におらぬのじゃからな。だが、ファムはあの国に行きたがっておる。ただ、現状がソレを許してくれぬ。故に同胞に言っておるよ、ツアルが抜かれれば共に滅ぶしかないと分かっているから、今はゴメンとな」
それは遠い昔、ユニオン国がヘルマン国を併合したほうが早いのではないかと言う話。
仲間の現状を知らない中で、ヴァイスとて弱小国のまま召還された国が滅ぶよりは幾らか切り取っても良いだろうと判断した事さえある。
だが、ソレをさせなかったのがファムだった。
ヴァイスを退け、ユニオン国の新たな武器たちを前に物怖じせずに単独で退かせた歴史がある。
それが逆に現在のユニオン国の一部と化している地方連中が「組し易し」と判断して攻め込んだ結果、逆に芋づる式に併呑していったという話もあるのだが。
「冬には毎年戻っておったがな、そういう話は無いのか?」
「無いな~……。というか、英霊って目視できない状態で行動もできるんでしょ? 身体が魔力で構成されてるから、ぶっ──何だっけ、物質体? 何でもいいけどさ、見えないようになって行動してる可能性とかもあるワケじゃん?」
「ほむ、その可能性は確かに低くは無いが……高くも無いじゃろうな」
「なんで?」
「ファムも主人無くとも魔力を生成する体質であるからな。獣人の月のでる夜、その満ち具合によって力を得るという特性が生きているのじゃろう。それに、モノは一纏めにしておく事でムダを省くということもある。アレは常に己を霧散させてるようなもので、魔力同士の結合が弱まるわ、魔力の浪費が激しいと非効率的じゃしのう」
つまり、主人への負担を考えれば実体化している方が魔力の消費は安上がりなのだ。
龍の血による魔力生成が出来るヴァイスや、月の力で魔力を増す事ができるファムはそのデメリットを低減できるだけであるという話だ。
「しかし、世話になったのに礼を言う機会を失ってしまったのう」
「別に向かっても良いんだけど──」
「吾単身なら良いが、お主まで一緒となると呑めぬ話じゃな」
「……足手まといになるからでしょ、知ってる」
「違うわ。吾には子は居らぬ。確かにあ奴の子の多くは愚鈍な輩が多かったが……ユリア、御主のみは違う。吾の子のように思って召喚されたあの日から接してきた。まあ、母親の役割を演じた事も無ければ、子と接するという教育は受けて居らぬのでな」
「──ええ、分かってる。だから、行かない。それで良いんでしょ? ”母さん”」
「はは、こそばゆいな。じゃが、それで良い。吾とてあの男が気にはなるが、それはそれ、これはこれていう奴じゃからな」
ヴァイスは生前の事を漏らす。
その事に対して、ユリアは触れることはしなかった。
かつて人類を導いた彼女達が、その再興までの道筋の中で真っ当な生を歩めたとは到底思えていなかったからだ。
そして、ユリア自身も”妹”としての記憶の中で聞いた言葉がある。
──どんなに努力しても、どんなに頑張っても裏切られることは有る──
──裏切られ、見捨てられ、忘れられる──
──良い事でも、やりすぎると”理解できない”として、嫌われるんだよ──
英雄と呼ばれるにはそれなりの理由があり、英雄と呼ばれるからには”真っ当”では無くなる。
神話上であれば神の寵愛や恩恵を得た身として。
歴史上なら時代を動かし、作った人物として。
出来事なら、偉大な事を成し遂げた人として。
その時に英雄とされたか、後に英雄とされたか、あるいは英雄としての栄光を後に剥がされたかは別として。
時には邪魔となり排斥される。
時には悪魔として処刑される。
時には人ならざるものとして嫌われる。
時には存在感を疎まれて消される。
それらを踏まえれば、人類を救いながらも子を成せなかったという話も理解できてしまうのであった。
「嫌か?」
「まさか。実の母親には及ばないけど、ちゃあんと母親っぽい事は出来てたと思う」
「カカ、抜かしおる」
「幾らか戦いにも身を置いたんだから、これくらいの胆はあるっての。それに、あの皮肉屋な男が居ればこれくらいは軽口でしょ?」
「……違いない」
そう言って、ヴァイスはユリアの隣へと座る。
彼女が閲覧し、書き写しているものを見て笑う。
「しっかし、数奇な運命を歩むものじゃな。えぇ? 何をどうしたら戦争を未然に防いだはずの英雄が、出奔して名も捨てる羽目になる?」
「──まあ、上手くいかなかったんだって。英雄のような事をしたけど、英雄であろうとした事を拒んだ。だから人間として見られて、ご破談」
「時たま居る人物と同じじゃな。たとえ凄くても、自信や凄みが無いから何をしても”運が良かっただけの変人”に成り下がる。そして何度も何度も英雄と同じことをして、けれども何をしても道化や変人のように見られ、いつしか馴染めずに去っていくか排除される」
「……同じだって言いたいの?」
「では逆に問おうか、ユリア。何かを成したという事は謙遜はすれども否定するような輩を、誰が信ずる? 謙遜や謙虚こそ意味が有るが、己の成し遂げた事に意味を見出さない輩を、誰が評価できる? 己を召喚した主とその妹、学友達を引き連れての生還と、街中で取り残された友人を救った事。英霊の一人が他の英霊に害されかけた所に割り込んで、重態ながらも引き分けて互いに生き延びた事。戦争になりそうな所に横殴りを仕掛けて、孤軍奮闘の中で目的を達成した上に主従関係で押さえつけられていた他の英霊達の代わりに”取引”までした」
「──……、」
「誰に同じことができる? そう、あ奴の失態とは”己の成した事を受け入れまいとし続けた事”にある。考えや価値観の分からぬ輩を誰が信ずることが出来る? 他人の言葉を、感情を、あるいは思想や教義を否定し続ければ破綻するのは目に見えておる。英雄を否定し、しかし人としての言動も思考もせぬ。英雄としてみる事も能わず、しかし人として生きる事をせぬ。なら、上手くいくわけがあるまい」
ヴァイスに扱き下ろされる遠い昔の”兄”に、ユリアはどんよりとした気持ちが立ち込める。
それは怒りと納得をない交ぜにしたドロドロした感情で、それを分析して客観的に感想を述べているヴァイスにぶつけたところで意味が無い事を理解している。
「──じゃあ、平々凡々と生きていた方がマシだったかもしれないわね」
「まあ、だからと言って見捨てる理由にはならんがな。単純に言えば、どちらかで良い。もっと人として他者と交わるか、あるいは理解されずとも胸を張って生きれば良い。理解してもらいたくとも語らず交じらず、理解されずともと言うには全てを己が否定しておるからな。少し生きるに迷子になったとしても、世話になった分は助けになる真似事くらいはするわ」
「……ありがとう」
「なあに、血の繋がらぬ可愛い娘が兄と慕う男を救うくらい、些細な事であるからな」
そう言ってヴァイスはニカリと笑った。
ユリアはそれをみて、ドロリとしたものが胸から溶けていくのを感じた。
少なくとも、学園や主従に関して失敗したかも知れない。
けれども、僅かな”助けても良い”と思う人物が居る事にユリアは安堵したのだ。
それは遠い日の、”妹”の記憶。
苛められ、両親にも打ち明けられずに居た中学校生活。
その中で、長兄が気づいて話しかけてくれただけで救われた所はあったのだ。
最悪の選択をせずに済んだ、生きて別の道を歩む事を選べた。
それだけで、救われたという”記憶”がある。
「……ヴァイス様、私は出来れば助けたい。英雄じゃなくてもいい、英雄になりたいのならそれでも良い。ただ、不満足に生きて、不満足なまま死んだように生きる事から抜け出させてあげたい」
「なら、吾はできる限りその手助けをしよう。同胞が世話になった事もあるし、恩義に対して何もせぬのは廃るからな」
「元、姫様として?」
「そうじゃな、ユリア姫」
ユリアはヘルマン国に入れない以上、ヤクモのところへと向かう事は出来ない。
ではどうする事が正解なのかを考える。
「──国に戻って、兵の教練を続けよう。ただし、目は遠くまで見渡し、耳は何事も聞き逃さないようにする」
「なるほどな。状況によっては何かすると」
「まあ、そうならないとは思うけどね……っと」
ユリアは出来る限りの情報を抜き出すと、資料を全て片付ける。
その様子を見ながら、ヴァイスは「なぜ?」と問う。
「なぜそうならぬと言い切れる?」
「兄さんはね、ずっと両親に言われ続けてきたからね。やれば出来るのにやる気を出さないって。いっつも間違った手段で、間違った方法で、間違った方向に行くから呆れられてたけど、問題を解決できなくても、問題を跳ね除ける能力だけは凄いんだから」
「それは、自慢になるのか?」
「どうかな、分からないけど……。少なくとも、逃げる能力と弱い所を突く能力に長けてるって事だけは凄いと思ってる」
「なるほどな」
適度に臆病で、適度に機を見る能力を有する。
マズいと感じたら致命的に遅くならないうちにケツをまくって逃げ、敵にとって素晴らしく宜しくないときにお邪魔する。
周囲に溶け込む事が苦手でも”状況や流れに溶け込む”と言う事に長けてるというのは、良い事だろうとユリアは思った。
そして、悪い事もある。
兄だった”彼”は、それを悪用する事が多いと。
虐められていた事実を”遊んでいただけ”と親に嘘をつき、苦労や辛さを無かったかのように隠す。
逆に、オーバーリアクションのように良い事をとてつもなく素晴らしい事のように表現してみせる。
周囲には”バカ”のように映るだろうし、悩みの少ない男に見えるだろうから。
「さて、と。これくらい何とかしてよね、兄さん」
ユリアはそう言って、かつての兄から寸分違わない男を想った。
── 家族や仲間を助けるのは、当たり前だろ? ──
「──教練を少し見直すよ。兄さんが呉れたク訓練計画と内容、それと元脱走兵だった皆を早く一人前にする」
「ふむ。しかし、仕上げはできぬのではないか?」
「”だから”? 走りこんで、腕立てや腹筋をさせて、遠投や登攀能力を鍛えて、それを装備を身につけた状態で、各個の判断で出来るほどに鍛える事くらいなら私にも出来る。基本と基礎を叩き込んだら……兄さんに仕上げをさせれば良いわけだし。なんなら”クソの役”くらいには立つでしょ」
「ぬ? ふ、くく……。ユリア、その顔は外ではするでないぞ? あ奴とそっくりな顔になってる」
「褒め言葉として受け取っておくわね。素直な指揮官ほど無能な奴は居ないって言うでしょ? なら、悪巧み出来るくらいには私もなれてるって事でしょ」
「じゃが、努々気をつけよ。仮面と素顔を忘れれば”二の舞”になるのだからな」
「わかってま~す」
ユリアは、自分のすべき事を見出す。
それは、今この場においてヘルマン国に突入して加勢する事ではない。
自分が何者で、どのような身分で、どのような地位で、何が出来るのかを考えた。
だから、先を……先を考える。
少なくとも、兄は他人を巻き込んで自殺するような”落ちぶれた思考”はしていない。
家に飾られた様々な賞状や賞与が、それを証明している。
「少なくとも、兄さんには”力”が必要になるはずだしね」
「うむ、あいわかった」
だから、大丈夫。
ユリアはそう言い聞かせるようにして去っていった。
そして己の成すべき事を見出した彼女は、不完全な情報の中で教練と訓練と教育の内容を見つめなおしていく事になる。




