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元自衛官、異世界に赴任する  作者: 旗本蔵屋敷
11章 元自衛官、内乱に加担する
173/182

171話

 かつて魔物に数えられていた一族が離反し、国を作った歴史が大陸には存在する。

 魔王を打ち倒した後に慈愛と救済を理念とし、宗教国家として出来上がった神聖フランツ帝国。

 英霊の中に貴族が居た事から高貴の務めを説き、封建制の下で国を広く統治するヴィスコンティ。

 亡き英雄の言葉を受けて大陸の開拓者となりながら、今ではその貧しい土地で連合による国家の体裁を作っているユニオン共和国。

 そして現在でも魔王亡き後も魔物との攻防を長年続けている、東方からの流浪の民によって形成されたツアル皇国。

 その隣に、獣人たちはヘルマン国として土地を得た。


 当然、長年の運営や統治、経済や商売等と言ったノウハウを蓄積させた国々に挟まれた獣人にとって、魔物と思われたままに土地を得た後に待っていたのは困難ばかりであった。

 元魔族と言う事もあり、獣人たちの社会は実力主義社会である。

 そして農耕や牧畜どころか、伐採や商売等と言ったものもやった事がない。

 狩猟のみでは当然ながら行き詰るが、それでもツアル皇国と言う国が存在した事が彼らを救った。

 

 狩猟……、戦闘に特化した獣人たちは魔物の脅威に対して戦力を差し出し、その見返りとして食料などを融通してもらっていた。

 それはツアル皇国がかつての旧世界の残滓、自動で農耕をしてくれる施設を保有しているからこそかみ合ったものであった。

 しかし、それでは足りないとトウカの両親……白銀狼族は考えた。

 魔族から離脱し、人間達と供に居るのであれば同じように農耕や牧畜を含め、自分らも”国”をしっかりと作らなければならないと考えた。

 

 だが、そこにゾルの父親が絡む。

 同族である獣人が人間によって騙されたり、愛玩動物として誘拐や商品として連れ浚われたりしている事を気にした。

 人間と同じように生きると言う事を嫌悪し、その為に犠牲を飲むのかと言う排外的な思想をしていた。

 それでも暫くは、互いに言い合う程度の関係ではあった。

 力量差や上下関係を本能的に覆せないと言う種族の特性が、事件までのタイムリミットを引き伸ばしていたのだ。

 

 しかし、それでも事は起こる。

 ツアル皇国への春の大遠征部隊の派遣による手薄な状況、そこを人数で押しつぶした。

 相反する思想を持ちながらも、その能力や貢献、活動から高い地位に置かれていたゾルの父親は、己の嫌う人間と同じ手段を使う。

 その結果、夜の内にトウカの両親は殺害され、トウカ自身もお目見えやお披露目も行われないうちに戦闘奴隷として売り飛ばされた。


 それがヘルマン国の歴史だろうと、ヤクモはアタリをつけた。

 

「……──、」


 エカシの持つ書斎に篭りながら、執務に関わったもので保管期限の過ぎたものやギリギリ閲覧を許可されたものを彼は読み通していた。

 あの突発的な戦闘から数日が経過し、小康状態を辛うじて保っている。


「あ~、腰が……」


 座椅子に腰掛けているとはいえ、彼は既にここ数日部屋に篭りきりであった。

 理由は様々で、エカシとゾルが発する檄の文言を考えるために裏を固めておきたかったり、ヘルマン国での戦闘や戦争、運用や物資に関する事柄、練成等を理解しておく必要が有ったからだ。

 しかし、個人では処理能力や集中力の欠落、疲労や勘違いに記憶間違えなども発生する。

 元々興味のある事に関してのみ記憶力や思考が巡るタイプで、不得手や苦手意識、無関心が生じると途端に能力の下がる人間でもある。

 もう二日も引きこもっているため、嫌気自体も指し始めていた。


「ダイチ様、入っても大丈夫でしょうか?」

「んぁ……。ああ、マーガレットか。大丈夫、どうぞ」

「失礼します」


 部屋に入ってきたのは、マーガレットだ。

 彼女はお盆にお茶とお菓子を載せてやって来ていた。

 時間は既に夜の帳も下りて暫く経つのだが、ここ数日睡眠時間をまともに取っていない。

 

「その、そろそろ休まれては?」

「いや、少しでも出来る事をしておきたいんだ。……糧食の備蓄と一日の消費は、報告どおりだったかな?」

「あ、はい。季節や備蓄の総量、種類に応じてですけが、概ね記されているとおりに消費されてます」

「なら、有り難いことに兵糧切れで苦しむと言う事も無さそうかな……」


 獣人族の欠点は早々に噴出した。

 エカシこそツアル皇国での勤務が長いために幾らか記録を残し、長期的な目で判断しやすいように様々な事柄を保管してくれている。

 けれども、ヤクモの知っている運営や運用と言ったものから外れており、それを噛み砕いて己がまず理解し、その上で口出しするには時間も知識も足りなかった。


 そして、有る程度噛み砕けてくると、今度は”そもそも部隊なんてものが無い”という点に行き着いてしまう。

 正確には存在するのだが、カリスマや信用・信頼されたものにくっついて全員で前進すると言う、輸送の概念すら存在しない狩猟集団に近かった。

 できる限り金や乾燥させた携行品で糊口を凌ぎ、現地調達にかなり重きを置いている。

 つまり、長期戦と言うものは鼻から想定されておらず、どちらかが屈するまでぶつかり合うと言う短期決戦しかしていないのだ。


「ゾルは?」

「トウカ様とご一緒に、兵の方々と訓練されてます」

「プリドゥエン」

「町に抜けが無いか、マスクウェル様と出かけられてます」

「テレサ」

「組合や教会に負傷者の運び入れや、薬草などの備蓄が無いか確認されてます」

「──そっか」


 ヤクモは仲間の動向を聞くと、運ばれたお茶と甘味を口にする。

 元々頭脳系ではないヤクモにとっては、理解の浅い事柄に関しての理解を深めながら紐付けを行い、学ぶと言う事はかなりの負担であった。

 しかし、獣人同士の争いに人間の影を落としてはいけない、獣人同士の事は獣人で解決させなければいずれ人間に利用されかねないと後衛に回っている。

 

「……こういうのは専門家が居てくれると助かるんだけどなぁ」

「すみません、お役に立てず……」

「や、マーガレットはマーガレットに出来る事をしてくれてる。厨房で俺達の分の食事などの面倒を見てくれてるし、薬とかの調合や部屋の管理まで任せて……それに、こうやってお茶を入れてくれてる。こういった気遣いが出来て、それをしてくれてる事で大分助けられてる。ありがとう」

「いえ──」


 マーガレットはお盆で口元を隠し、恥ずかしさや照れで赤くなった顔を少しばかり隠す。

 しかし、彼女をそうさせた原因であるヤクモはお茶を飲んで眠気と疲労に塗れていた。

 そんな彼を見て、マーガレットは様々な感情を秘める。

 自分の感情を波立たせておきながら、それをそ知らぬふりをしているのではないかと言う、意地悪されたような感覚。

 それとは別に、お茶ですら有り難いと思えるくらいに疲弊し、幾らか憔悴しているのが目に見えるのを労わりたいと思う気持ち。

 仮にも──返事を待たされてはいるが──婚約の話をした間柄である。

 まだ幾らか埋まらない距離をマーガレットは感じていた。


「──さて、と。一息つけたし、もう少し進めようかな。今……」

「もうとっくに日は沈んでます」

「……みたいだ。くそ、参ったな。予定じゃもう少し進んでるはずだったんだけど」

「ダメですよ? もうお風呂も、寝床での睡眠も取ってないですから」

「けど──」

「休むのも仕事のうち、と仰ってたのはご自身では有りませんか。それに、私から見ても既にお疲れの度が過ぎています。今日こそ、ちゃんと休まれるようにお願いします」


 マーガレットの剣幕と圧に幾らかのけぞるヤクモ。

 だが、その彼女がそこまで言うには勇気が要っただろうと顔の赤みや少しばかり震える唇をみて察した。

 半ば勘違いなのだが、彼は甘味とお茶を全て片付けると立ち上がる。


「いててて、腰が……」

「湯船はまだ使えます。身体を解して、冷えない内に床へ入られてください」

「あぁ、そうさせてもらうよ」


 そう述べて、彼は久しぶりに外へと出る。

 斑な雪が再び降り出しており、人間である彼はそれを今は疎ましく思う。


「雪景色を楽しめる状態だったらなあ……」


 月見酒でも、雪見酒でも楽しめたのにと零しながら、彼は風呂場へと向かっていく。

 しかし、そんな状況ではないのを理解しているからこそ、湯船や睡眠を楽しむ事を躊躇させられている。


 ──現王の息子、ゾルザルは前王の娘であるトウカ……テュカをギリギリの状況で担ぎ上げて、彼女の親が主張した人間との融和の路線へと国を回帰させる事を、文字通り親をぶん殴って決めた。

 小康状態ではあるものの、偵察や監視の目は続いている。

 ゾルザルの父親は、息子であるゾルザルを溺愛しているからこそ稼げている猶予。

 しかし、それも長持ちしないだろうと彼は踏んでいた。

 だからこそ、出来る手を幾つも叩きつける。

 それはエカシ経由で、あるいはゾルやトウカ経由で。

 入れ知恵として、少なくとも”トウカたちを見捨てない”という勝利を掴むために。



 ── ☆ ──


「聞け、我が同胞よ! 決して短くは無い間、我々は辛酸を舐め続けてきた。前王が倒れてからと言うものの、我々は帰る事も叶わず、常に戦いへ送り込まれ、命と供に身を磨り潰してきた。友を、家族を、兄弟を、恋人を現王によって失わされた者は決して少なくは無い。だが、それも今日で終わりが来たのだ。前王の忘れ形見である、テュカ様が帰って来られた!」


 馬鹿馬鹿しいと、ヤクモは思っている。

 しかし、今の自分に出来る事はアジテートしかないと考えている。

 その為には真実の中に僅かばかりの嘘を散りばめ、脚色し、皆がもっとも”気持ちの良い言葉”を用意しなければならなかった。

 

 トウカを説得し、ゾルをなだめ、エカシを何とか落ち着かせる。

 そうやって出来上がったのは、一種の茶番劇ですらある。

 トウカは今、マーガレットの助けもあり、文字通り姫様らしい格好で身を固めている。

 登場だけでは足りない事も理解しており、演出としても納得させるためにもトウカには獣の姿をもとらせる。

 鳶から鷹は生まれない、鷹から生まれるのはどうあっても鷹でしかない。

 つまり、彼女の獣の姿こそが前王を知る者からすれば、子であると言う揺ぎ無い事実になる。

 

「それだけには止まらぬ。テュカ様を見つけ出し、ここまでに連れてこられ、そして助力を……現王の息子であるゾルザル殿がしてくれた。悪辣非道な行い、テュカ様への仕打ち、そして今では贅沢と女子に現を抜かす毎日……それらを知ったゾルザル殿は、テュカ様に……否、前王の意志に国を正す事を約束してくれた! 幼き頃、供にあったからこそ、その眼を曇らせずに生きていてくれたのだ!」

「──……、」


 半ば怒りの感情を隠せていないエカシと、あからさまに乗り気ではないゾル。

 だが、自分の番が来た事を知ると、彼は一つ息を吐いてから舞台へとあがる。

 そして、行われるのは”罪のなすりつけ”だ。


「オレのオヤジは、あろう事かテュカを戦闘奴隷として長年闘技場に突っ込んでキタ。それだけじゃなく、国から追い出し、戻ってきたテュカを辱めた。その時は、残念ながらオレは居なかったが……そこにいるダイチという男が救ってくれタ。その事を知り、テュカが生きていた事からオレは、オヤジが間違っていると言う事に行き着けタ。だから、信じろとは言わネェ。だが、テュカの為に戦う事は……今は亡くなッタ前王にも、テュカにも誓う。その上で信じても良いと思うヤツぁ、手ェ貸してクレ!」


 普段は飄々としているゾルが真面目に口上を叩きつける。

 反応や表情を見て、集まった獣人たちをどう”焚き付けるか”ばかり考えている。

 少なくとも、様々な要素から”こうしたほうが良いだろう”というメッセージを事前に二人には渡してある。

 だからこそ、エカシの声は怒気を孕み真実味が増しているし、ゾルの嫌気は苦渋の決断として脚色される。

 その為に……トウカの事すら利用し、その罪を擦り付ける。

 

 敵対者に傍観を決め込ませ、傍観者を引きずり込む。

 敵を減らす、浮遊層を取り込む、最悪でも敵対しないでくれればそれで良い。

 そんな甘い考えを、ヤクモはしていたのだが──。


 ── ☆ ──


「起き、なさいっ!」

「ぶべっ……」


 ヤクモは、湯船で寝落ちしながら昼間の出来事を思い出していた。

 しかし、湯船での寝落ちは命に関わる。

 引き上げられた彼は、テレサの掛け声と腹部へのパンチで叩き起こされる。


「えっと、なに? あれ? え?」

「まったく。見に来て良かった……」

「何が──」

「お風呂で寝てたのよ。普段は湯船に入ったりしないくせに、こういう時だけ変わった事をして」


 身体を起こした彼は、それとなく腰に巻きつけた布がちゃんと有るのを確認する。

 純粋な日本人ではなく、シャワーでの生活が長かった彼は裸の付き合いをあまりした事が無い。

 短くない自衛隊生活でも、それは壁の中での出来事だからと割り切れたがここは壁の中ではないのだ。

 それからテレサを見て、彼女が裸じゃない事にも安心していた。


「湯船に浸かって筋肉が弛緩して、それを脳が錯覚して無理した分が一気に来たんでしょ」

「かも、な……いやぁ、寝るつもりは無かったんだけど」

「マーちゃんがお風呂に行った事を教えてくれてよかった。じゃ無きゃキミ、溺れ死んでたし」

「手間をかけた。……っと」


 夢現の中で見た今日の出来事をしまいこむと、幾らか肌白かった肌がゆでられて真っ赤になっているのに気がつく。

 流石に長湯しすぎたのだろう、これ以上は溺れなくとも茹で上がっていたに違いない。

 

「あがるよ」

「歩ける? 着替えられる? お~、よちよち」

「赤ん坊かッ! ったく、なんでこうなる……」


 風呂をあがると、そこにはテレサが待っている。

 その手にはこの世界には有り得ない”缶ビール”が握られていた。

 

「はい、気休め。キミの性分だと、お薬だけじゃ寝付けないだろうし」

「はぁ~、有り難い。この一杯があるだけでも、よく眠れそうだ」

「というか、よく寝てくれないとマーちゃんが心配するのよ。キミが休んだり寝たりしないと、ずっと傍に居るんだもの。ちゃんと彼女の事を気にかけてる?」

「う、ぐっ……」

「夜遅くにキミが書斎で寝落ちしたら掛け物をして、朝早くにおきだしてみんなの為にご飯とか作って……」

「──おかしいな。負担にならないように、軽くしたくて頑張ってるはずなのに、それでマーガレットの負担が増えてるなんて」

「強くは言えないもの。だって、私達の中で軍事的な事に関して知識や知見があるのはキミとプリちゃんくらいでしょ? それを噛み砕いて、お仕事を分散させてるだけ頑張ってると思うもの。けど、トウカちゃんを助けたいと思うなら、もう少し倒れないように配慮しないと。事故で亡くなる方が、一番無念だろうし」


 カシュリと缶ビールを開く。

 テレサは同じ女神仲間であるアーニャとは違い、酒や美味しい食事、睡眠などと言った欲に大分忠実である。

 酒が飲めないアーニャとは違い大分酒への造詣も深く、所謂飲み仲間になっている。


「……一応、最近合流してきてる獣人や傭兵のための場所や、負傷者を収容できる場所の下見、それと薬の在庫とかは確認してある。エカシさんから、キミへの正式な依頼として支援を要請すると言うのも見てきた」

「組合の反応は?」

「中立。……と、いうことになってる」

「──裏は?」

「組合の方が人間や獣人問わずに仕事を卸してる分、好意的よ。ただ、肩入れする事は出来ないから中立にならざるを得ないってだけ。ただ、今回の件を”注意”と言う形で他の組合に伝達してるから、檄も一緒に飛んでるはず」

「……明日はプリドゥエンとマスクウェルもマーガレットの支援にやら無いと。合流してくる獣人や傭兵の規模がここまで膨らむとは思わなかった」


 数日の間に、エカシの下へと集う獣人の数は増えてきている。

 その理由は様々なれど、目的は一緒である。

 純粋に前王を慕っていた人物から、現王を嫌っている人物もいる。

 正義感を発揮して陶酔している者も居れば、金になりそうだからと来ている者も居る。

 悲しい事に戦いを求めてやってくる連中も少なからず居て、揉め事の仲裁にゾルが出張ったりもしていた。


「──まだ、不安?」

「不安じゃなかった事の方が少ないくらいだよ。理解すればするほど、考えれば考えるほどに不安の方が増えていくくらいだ。くそ、エカシを笑えねえ……」


 下準備も工作も行われていない状態からの、突発的な内乱の開始。

 そんなもので勝ちが拾えるとは考えては居らず、急いで主要たる場所を地図から示して制圧ないし見張りを立てたばかりだ。

 ハリボテ、急ごしらえの行動には後追いで補填をしてやらなければならない。

 そこにもまた人が割かれる上に、混乱が発生する。

 今までは幹部じみた物まねをしないで済んでいたのに、いきなり難度が上がってしまった。

 精々が曹の真似事が限界だったのに、事態がそれを楽々と超えてしまった。


「……さ、飲んだら部屋に行こう。マーちゃんが待ってるから」

「なんで?」

「キミってば、部屋を貰ったけどまだ一度も使ってないじゃない? それに、寝る前に飲んでおいたほうが良いお薬とか、お茶を用意してくれるみたいだし。マーちゃんが床の用意してるのよ?」

「──……、」


 翻訳能力が有るからなのか、それとも文明文化の違いなのか。

 ベッドメイクしてくれていると考えれば聞こえは良いが、寝床を整えてくれていると考えてしまうととたんにエロティックな意味合いを帯びて聞こえた気がした。

 気のせいだと思いたかったヤクモだったが、己に与えられた部屋へと向かうとそこには布団が三つ敷かれている。

 部屋の中ではマーガレットがお茶と薬の用意をしている最中であった。


「あ、お帰りなさい。テレジア様も有難う御座います」

「マーちゃんの言ったとおりだったよ。湯船の中で気持ち良さそうに寝てたわ」

「……次からはお背中をお流しするくらいの感じで一緒に居たほうが良いでしょうか」

「いや、ちゃんと寝ます! 三日もぶっ通しで仕事して今回はあのような失態をしてしまったので、不肖香や──私ダイチは、長くても一徹以上しないことを誓います!!!」


 このままでは寝落ち監視のために入浴に付添い人がついてしまう。

 それがマーガレットにしろテレサにしろ、異性と一緒だなんて耐えられないと彼は早々に降参した。


「というか、何で布団が三つ!?」

「一つはダイチ様のですよ?」

「後ふたぁ~つ!!!」

「キミの体調管理をするマーちゃんの分」

「……いいよ、分かったよ。それは自分の落ち度だから飲み込む。けど、もう一つは?」

「私≪わたくし≫のだけど」

「なんでですかね!?」

「キミがもしオイタをしそうになった時、マーちゃんじゃ抵抗できないじゃない? だから、その監視」

「自分は欲情魔人か何かですかね!? というか、だったら同じ部屋で寝なきゃ良いじゃん! 一人部屋サイコー!」

「その場合、キミが発作や毒で意識が無かった場合どうするの?」


 ヤクモはそれに関して何も言い返せなかった。

 マスクウェルが骨から筋肉、内臓に至るまで全て旧世界の”強化人類計画”で改造してしまった。

 だが、その手術はそう簡単に終わらないらしく、交換できなかったパーツと交換したパーツとで反発しあう発作がある。

 それだけじゃなく、闘技場でしこたま矢玉を打ち込まれ、その中に毒が塗られたものがあり、今でこそ自分で歩いたり出来るがまだ万全ではないのだ。

 定期的に薬を飲まなければならず、一人になった場合そのままポックリ逝きかねない。

 そんな状態である。

 とはいえ、身体の方は既に定着しつつあり負担は皆無であり、毒は強化された身体が抗体や濾過で駆逐しつつある状態である。

 ただ、どちらも文字通り”医者の許可があるまで安静”というものに近かった。


「ヘックシ!」

「あぁ、お身体を冷やされてしまう前にお茶とお薬を」

「分かったよ、降参。もう警戒でも監視でも好きにしてくれ」


 酒が入った事や寒さの中でどうせ自分が折れると分かりきった押し問答をするつもりは無いと、ヤクモは降参した。

 薬を飲み、お茶を口にする。

 それらで酒とは別の意味での温もりを得たヤクモは、賓客や主人が使うような布団へと潜り込む。


「それでは、明かりを落としますね」


 マーガレットのその言葉の後、部屋を照らしていた僅かな明かりも消される。

 暫くは寒かった布団の中も、徐々に体温によって居心地が良くなる。

 座椅子に腰掛けて眠るよりも楽な姿勢で休める事が、ヤクモに安らぎをより与えてくれる。

 暗闇の中で、組合の執行者としての装備などを外したテレサや、防寒着を脱いだマーガレットもそれぞれに布団へともぐる。

 そして静けさが場を支配すると、ヤクモは眠れなくなる。

 それは隣り合うように女性が二人居るから──と、いうだけではない。

 沈黙や静けさが居心地を悪くし、二人に話しかけて楽しい気分のままあくびを漏らして眠るようにしなければならないのではないかと、臆病さから来るものだった。


 しかし、元々話題性やコミュニケーション能力に富んでいるわけではない。

 普段は仕事や義務、必要な物事で話題を回転させているだけで、それらから切り離されてしまうとなにを話してよいかすら分からない有様であった。


「──……、」


 周囲にあわせる事で多くの場面を乗り越えてきたヤクモでも、女性に挟まれて乗り越える術はからっきしである。

 学生なら馬鹿騒ぎをすれば良い、自衛官なら真面目ぶりながらも時折間抜けや無知を演じれば良い。

 しかし、女性相手にどうして良いのかすら分からなかった。

 そういう時彼が選ぶのは逃避であった。

 亀のように頭を引っ込め、状況が過ぎる事を願うのみである。

 

 だが、テレサはそれを許さなかった。

 密接させた布団を這わせ、軽く握った拳で彼のわき腹を叩く。


「てっ……」

「──話をしなさい」

「えぇ……」

「ずっとキミの為に頑張ってるのに、ほとんどお話して無いでしょう。少しは労ってあげなきゃ」


 その発言も尤もで、彼女によって縁の下の力持ちのように支えられてきた事を認識している。

 薬草や薬の調合、医療に長けているだけではない。

 貴族の娘らしからぬ家事スキルを有しており、気配りも長けている。

 彼女自身には大きな戦闘能力は無いが、それでもワンちゃんという大きな白虎の背中に乗っていつでも誰かを助けられるようにとついてきている。

 部屋を暖め、床を用意し、着替えを出してくれる。

 それだけでも、かなり助けられているのだ。


 ヤクモは少しばかり戸惑った。

 それから、戸惑いながらも言葉を選ぶ。

 

「ま、マーガレット」

「ふあ……はい、なんでしょうか?」

「その……大丈夫か?」


 そんな言葉を吐き出した瞬間に、再びわき腹を先ほどよりも強く殴りつけられる。

 気の利かないヤツとして、暗闇の中からテレサが睨んでいるのをヤクモは見てしまう。

 しかし、突っ切るしかない。

 口から出した言葉を”嘘”には出来ないのだから。


「どういう意味ですか?」

「学んだり、知ったりした事で頑張ってくれてるけど……それでも、いきなりこの屋敷という広い場所で色々やらなきゃいけなくなってさ。それに、ワンちゃんの助けがあるとは言っても、危険な場所にもついて来てくれてる。その……怖くないのかなって」

「怖くないかと言われれば、怖いです。けど、そんな怖い中にヤクモ様を置いていく事の方が、今は怖いです」

「自分を?」

「私が途中で投げ出したり、諦めたとしても……ヤクモ様は今のような場所や世界から抜け出せる訳じゃないですから。私だけが何の恐れや悩みも無い日当の中で生きて、ふと振り返ってヤクモ様が何に悩んで、何に苦しんで、何で傷ついてるのか分からないほうが……辛いですから」


 暗闇の中、彼女が吐き出した言葉をヤクモは静かに聴いていた。

 間を取り、上手く”場の支配”を行う。

 考えを叩きつけるのではなく、彼女の言葉を受け止め、租借し、考えたと思わせるために。


「……ただ、約束して欲しい。絶対に、不必要に後は追わないで欲しい。それと、相談や……話ぐらいはして欲しいかな」

「ふふ、それをヤクモ様が言うのですか?」

「う゛……」

「ですが、今でも十分に嬉しいんです。以前までなら見ていることしか出来なかったですが、今は……皆さんと一緒に、それぞれに出来る事を持ち寄って頑張ってる。役に立ててる事が、今は嬉しいんです。ただ、それでもときど~きですけど、見てられない時もありますが」

「わ、悪かったよ……」


 自衛官の仮面……自衛官を演じるには、様々な事柄があり過ぎた。

 自信を喪失した今、彼には自衛官を演じる事はできない。

 だからこそ、臆病さと疑い、そして恐怖を放置しておきたくないと言う理由で出来る限りの事をしようとしている。

 その結果、マーガレットに負担をかけてしまい、湯船でも沈みかけたのだが。


「……ですが、これからどうなるのか分からないと言うのは──決して無い訳ではありません。戦いなんて考えた事もありませんでしたし、それどころか今では争いに巻き込まれていますから」

「自分でも考えても無かった事柄なんだよなぁ……」


 ヤクモがこの世界に来た時、召喚された場所は魔法学園であった。

 しかし、そこでの関係が決裂し、ユニオン共和国沿いに逃げ出し、北上してヘルマン国に入っただけである。

 傭兵の仕事をしながら、正々堂々と入国したのだから争いどころか戦いなど仕事以外には考えもしていなかった。

 だが、現実には内乱沙汰である。

 しかもゾルの父親に罪を被せせ正義を詐称し、その上ゾルをトウカの味方だと認識させるには自分らも一枚噛まなければならなくなった。

 ゾルを信用させるためには、トウカと一緒だったのが自分らであると言う事にしなければ話がさらに難しくなる。

 

 半分嘘、半本本当……とまでは行かないにしても、改変や編纂した話で言いくるめた方が都合が良いとヤクモは判断した。


「はぁ、有給が欲しい……」

「”ゆーきゅー”ですか?」

「そう、仕事をしてたら貰えるんだよ。一年に一定の日数、給料が発生する休暇が。本当なら休日を除いて休めば給与や査定にも響くけど、これは申請して通れば何の負い目も無しに休めるんだよ。それと、代休。代理休暇。本来休むはずの日を職務とかで潰れた場合に発生する休みで、これも義務で使えるけど……。傭兵に、そんなのは無いからなあ」

「私たち、エカシさんに雇われてると言う形になりますしね。あ、いえ。正確には、私以外の皆さんがですが」

「……ま、まあ。マーガレットには自分から何か出すよ。流石に善意に甘え続けるのも悪いし」

「じゃあ、これから毎日ちゃんと部屋で寝てくれますか?」

「お願い事がまずそれ!?」

「ヤクモ様がちゃんと決まった時間に決まった場所でお休みしてくれると、色々な手間が無くなると……そう考えて頂ければ」


 ダメでしょうか?

 そんな声が消え入りそうになりながらも聞こえる。

 ヤクモはガシガシと頭を搔いてから、返事をひねり出した。


「じゃ、じゃあ。折衝案で。何も無ければ毎日ちゃんと部屋で寝ます。その代わり、どうしても立て込んだ場合は申請するので、先に寝ててくださいますでしょうかね」

「……待つのは、ご迷惑になるでしょうか?」

「う、嬉しいんだけどね? けど、いざと言う時が来たら負担が大きくなるし、その時に疲れてたりすると悪いしさ。それに……」

「それに?」

「そういうことをされると、どうして良いか分からなくなる」


 男女間の善意や行為というものを経験や体験した事が無いヤクモは、言葉を口にしながら酒やまどろみとは別の理由で顔が熱くなるのを感じた。

 それが夜中でなければ、あるいは日常であればテレサはその事をからかっただろうし、マーガレットも照れや恥ずかしさで赤面しただろうが──。

 日常では、無いのだ。


「──そういうことも考えながら、明日も頑張りませんか? ヤクモ様もお疲れでしょうし」

「……ごめん」

「こういうとき、有難うって言った方が人は喜ぶんですよ」

「うん──」


 そして再び静けさが訪れるが、今度は彼を静寂で苦しめると言う事は無かった。

 テレサのおかげではあるが、一通り話をしたということで免罪符を得たから。

 少しばかり感謝の念をテレサに向けるヤクモであったが──。


「ふしゅるるるる……すか~……ぴひゅ~……」


 直ぐに、彼女がもう夢の世界へと旅立っているのを知って馬鹿馬鹿しくなる。

 寝よう寝ようとヤクモも布団を深く被り、横を向いて幾らか体を丸める。

 目蓋を閉ざすが、普段は他人と距離を置いたりして寝ているせいで寝付けないのが、今は安心感に塗れている。

 

 そのまま、深い深い眠りへとついた。

 それ自体は、彼にとって幸せな事だっただろう。

 だが、彼は忘れていた。

 自分自身がいくら戒めたとしても、周囲から巻き込まれるのが自分の人生なのだと。


「ん……」


 モゾモゾと、マーガレットとヤクモが寝静まった後に動き出す人物が居た。

 布団の中、深い眠りの中で無意識下で動き出すテレサ。

 そして、彼女は暫く蠢いた後に布団の中を移動する。

 それは”寒くなった”が為に”ぬくもり”を求めての行いであった。

 

 布団の中に居ながら更なる温もりを得るには、隣の布団の中に居る生命体にくっつくしかない。

 テレサの入っていた布団から、小さな山が移動した。


「んぃ~……」


 そして、布団と温もりを持つヤクモへとしがみ付くと、そのまま時間は流れていった。

 朝が訪れ、久々の休息に普段の目覚めの時間で目覚めないヤクモ。

 六時を過ぎて尚も眠る中、マーガレットがゆっくりと起き出した。


「ふあ、ぁ……おはよう御座います、父様、母様。今日も一日お願いします」


 まだ目覚めきらぬ中、彼女は新しい一日を迎えるためにここには居ない両親に挨拶をする。

 それは日課でもあり、祈りのようなものでも有る。

 一日を迎えるにあたって必要な事を済ませた彼女は、未だに眠る二人を見る。

 そっと彼女は近づいて、布団を少しばかり捲って己が尽くすと決めた男の顔を見る。

 

 睡眠中だけれども解れぬ眉根、状況を示すかのように険しい表情は眠っていても変わらない。

 そんな彼を、マーガレットは少しだけ早起きしてでも眺めた。

 前よりは距離が近づいて、時々一緒に居られるような状況から進歩した。

 だからこそ、今までは見る事も知る事も出来なかった相手の事を少しでも知るために彼女は愛しげに眺めた。

 

「そろそろお仕事をしないと」


 マーガレットはヤクモ達パーティーの簡単な身の回りの世話を仕事としている。

 エカシにそれぞれ部屋を与えられたりはしたものの、清掃や調理等と言った家事を受け持っており、それによって自分が少しでも皆を支えられたらなと思っている。

 朝早くに起きて厨房の一角を借りて調理をし、活動や行動が違うメンバーの為に食事を考えたりもする。

 皆が起きれば部屋の簡単な清掃をし、衣類の修繕や洗濯、合間を見て薬草の調達や調合、買出しなどもしている。

 ヤクモが遅寝をしたぶん、引きずられて彼女の睡眠時間も減ってはいるが、それでも彼女は大変だとは思ったりはしなかった。

 溺愛され、かつては色盲だった事から家事や勉強くらいしかできる事が無かった。

 テレサのように組合や立場を用いた働きかけが出来るわけでもない、プリドゥエンのように軍事的な思考が出来るわけでもない、マスクウェルのように地形を一通り見てから行動効率性を導き出したりルートを導き出す事が出来る訳でもない、トウカやゾルのように戦いに向いているわけでもない。

 今は戦えないと言っても、ならば考えたりする事で手伝うといったヤクモは何日も徹夜したり全うな睡眠もせずに書斎で情報収集と合間を縫って皆に行動指針を告げている。

 だからこそ、彼女は彼女なりに役立とうとして、納まる場所に収まった。


「今日は朝食を食べられそうですね」


 いつもなら今頃机に突っ伏していて、朝食抜きの昼と夕方のみといった生活だった。

 少しでも元気になってもらおうと言う考えが六割、手作りの料理をゆっくり食べて欲しいと言う考えが三割、個人的な私情が一割程度。

 彼女はゆっくりと身支度を始めると、机の上に置かれた簡単な行動表を見る。

 テレサをまだ起こさなくても良いと判断して、彼女は今居る人員分だけでも朝食を作りに厨房へと向かった。

 当然、自分達の分だけでと言うわけには行かない。

 屋敷に居る女性料理人に混ぜてもらい、屋敷に居る主だった人物の分も作る。

 その傍らで、少しばかり食材を自由にさせてもらって胃が弱っているだろうヤクモの分を作った。


「さて、起こさないといけませんね」


 食事の準備が出来たので、そろそろ二人を起こそうとする。

 まだ寝ているだろうか、それとももう起きているだろうか。

 そんな事を考えながら彼女は部屋まで戻ったが、どうやらまだ眠っているようであった。

 帳を下ろして部屋が暗めに保たれている事もあり、二つの布団がまだ並んでいる。


「……ヤクモ様、朝ですよ」


 そういって起こす時、彼女の中では僅かな高揚と緊張があった。

 それはまるで夫を起こすようなものを連想させ、小さい声ではあっても彼の名を呼ぶ。

 元自衛官としても、臆病な面でも名前には眠っていても反応できるようになっている。

 野営や検閲、行軍や突撃、警戒や監視、警衛等々……。

 単独で行動する事は無く、誰かと行動していれば”大隊長や師団長等の接近”や”ついウトウトしても、行動開始が近い”時に反応して覚醒できるように染み付いている。

 もぞりと、相手が起きる。


「ん、んん……マー、ガレット──?」

「はい、マーガレットです」

「……今、もう六時過ぎてる。嘘だぁ──」

「そのおかげで、ダイチ様の寝顔を見ることが出来ました」

「はっず! おかげで目が醒めた……」


 そういってヤクモは起き上がるのだが──。

 彼は自分の被っていた布団を上半身分が捲れる事になる。

 マーガレットの優しい顔が驚きに満たされるのを見てから、その目線を追った。

 すると、そこに居るのは裸体の少女であった。

 

 二人の間で、時間が止まる。

 しがみ付く裸体の少女はテレサで、同じ布団の中に居るのをマーガレットは目撃してしまった。

 まだ頭のエンジンが始動したばかりのヤクモも、現実逃避と言い訳から一瞬でトップギアにまで思考が到達する。

 マーガレットも、ここまで何も隠さぬ同性とはいえ他者の裸体を見るのも初めてであった。


「ひゃ……」

「ぅお……」


 互いに言葉を失う。

 逃げに自信のあるヤクモでさえ、全裸の少女が潜り込んでいる状況などどう言い逃れして良いのか分からない。

 マーガレットも何をどう言えば良いのか分からず、ただただぎこちなく数秒が過ぎる。

 ただ、真っ先に場を制したのはヤクモだった。

 布団をかけ直して裸体を隠すと、幾分わざとらしく大声を上げて布団から転がりだす。


「う、うわぁぁあああぁ!? なんだこれ、てかなんぞこれ!?」


 自分でも余りにも素っ頓狂だと認識しながらも、その言葉と叫びを吐き出す感情は偽りではない。

 本当に困惑し、混乱し、驚いている。

 ただ”黙らない”と言う選択肢を選び、道化を演じる事にしたらそうなっただけなのだから。


「ま、マーガレット? テレサ……じゃない、テレジア、なんで──」

「──……、」


 ただ、マーガレットが取った行動はヤクモの想像した範疇を超えていた。

 騒がれたり泣かれたり、あるいは罵倒されたりする物だと踏んでいたからだ。

 良くてスルーしてくれたり理解してくれると思ったのだが、彼女はそのどちらもやった。

 顔を赤らめ、今にも泣き喚きそうなくらいに涙をためてる。

 しかし、そのまま彼女は震える声で未だ布団の中で眠りについているテレサを揺さぶる。


「て、テレジアさ~ん。朝ですよ~? 裸だと風邪ひいちゃいますので、服を着てください」

「んにゅ~……」

「あ、ヤクモ様は後ろを向いててくださいね~」

「はい……」


 限界にまで膨らんだ風船とも、物事の分水嶺とも言える状況で彼は従うほか無かった。

 背中を向けて部屋を出ると、昨晩の酒の影響もあって廊下で震える。

 そもそも、まだ何も羽織っていない寝巻き姿なのだ。

 そのまま障子の奥で衣擦れの音と、寝ぼけて「まだ眠いわ……」といってるテレジアの惚けた声が聞こえる。

 それから「布団は畳んでおくわ」というテレサの声を最後に、障子を開けてマーガレットが現れる。


「──……、」

「……──」


 ちなみに、彼女の表情はまだ真っ赤で涙もそのままだった。

 障子を閉ざしてから、まるで全ての衝撃が押し寄せてきたかのように彼女は震えだす。

 マーガレットがガタガタプルプルと震えだしたのを見たせいで、ヤクモもオドオドキョドキョドオロオロソワソワと落ち着くを失う。

 

「「う……」」


 ほぼ同時に同じ音を口から漏らすも、先に動いたのはマーガレットだった。

 最早耐え切れなかったのだろう、涙をついには目端からも零しだした。


「うわぁああああぁん、ヤクモ様の節操無しぃぃいいいいぃぃぃ!!!!!」

「違うんだ!!!!!」


 廊下を走り出すマーガレット、それを追おうとして踏み出した足がお盆を踏んで食事を跳ね上げる。

 横合いから食事を全身に浴びて、追うにも追えなくなるヤクモ。

 二人分の食事を無駄にし、その上変なパニックを起こしたせいで頭の中から寝る前に考えていた予定がガラガラと崩れ落ちていく。


「マーちゃ~ん、お腹すいた~。ごは……何してるの?」

「──……、」


 元凶である筈の少女は己のした事を知らず、そして理解していない。

 だからこそ、ただただご飯を被って呆然と味噌汁を滴らせている男を奇異な目で見るしかなかった。

 結局、二人はそのまま朝食を食べ損ね、ヤクモはマーガレットに謝ろうとしたが取り付く島が無い。

 その結果どうしたかというと、現実逃避をするかの如く書斎に入り浸り、開けられないようにと内側から棒を立てかけて一切出てこなかった。

 ストレージから携行食である缶詰を出して糊口を凌ぎ、飲食の調整をして排泄が不要なギリギリで可能な限り動かずに居る。

 最終的にテレサが扉をこじ開け、催涙ガスを投げ込んだプリドゥエンによって引きずり出され、無精髭を幾らか蓄えながらもマーガレットを見て挙動不審なくらいに怯えていた事で一方的な負け犬の誕生によって話は終わった。

 それからさらに数日かけてメンタルの回復に努める羽目になり、その様子は完全にPTSD障害≪トラウマ≫を患った患者のようだったとテレサは言う。


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