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元自衛官、異世界に赴任する  作者: 旗本蔵屋敷
10章 元自衛官、獣人の国でやり直す
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168話

 ~ ☆ ~


「あ~、揺れて気持ちわり~……」

「辛抱なさってください」


 翌日、有る程度回復したらしいヤクモは同じようにワンちゃんに括り付けられながら運ばれていた。

 ワンちゃんは幾らか歩行速度を落としてくれてはいたが、それでも四足歩行の生物であることや躯体のうねりという揺れからは逃れられなかった。

 頭痛とめまい、吐き気に襲われているヤクモは、さらに縄で締め付けられている異物感で余計にダメージを追っていた。


 ワンちゃんは今日、一番テンションが低い。

 綺麗な毛並みの一部が、酸っぱい匂いに塗れているからである。

 ゾルやトウカ等は既に距離を置いているが、引っ掛けられている当人はたまったものではない。

 何度も抗議の声をあげるが、主人であるマーガレットにたしなめられている。


「ヤ……ダイチ様、お薬をどうぞ」

「んぃ」


 マーガレットの調合する薬は的確で効果的なものが多かった。

 最悪な場合は眠らせるという事すら出来て、マーガレットは「出来れば人のお役に立てる使い方をしたいんです」と言っている。

 つまり、人に危害を加える使い方も知っている事でもあった。

 そのことを聞いた後に「あまり無理をされると、眠って頂かないといけなくなります」といわれたヤクモは、それが薬によるものだろうと恐れた。

 戦いや人の心、裏読みや心理に幾らか長けているヤクモでも薬物混入などにはまったくのお手上げだからだ。


「はやぐ自分のあじで歩ぎだい……」

「まだ数日はお休みいただかないと」

「そうよ。ここで変な意地や虚勢を張っても、それをアテにした皆が迷惑するのよ? ちゃんと休めるうちに休んでおきなさい」

「ボクは休みたい……」


 マスクウェルはうんざりとしている。

 眠気や空腹、疲労とは無縁であっても感情だけは存在する。

 ズポズポと雪中を苦労しながら歩き、遅れかけては早足で追いついてを繰り返せばウンザリもする。

 そんな彼女をひょいと担ぎ上げるプリドゥエン。

 肩車の要領で己に乗せると、そのまま歩き続ける。


「快適だぁ」

「その代わり、落ちない範囲で警戒をお願いします。それと、考えがあったら適度に教えて頂ければ」

「りょうかぁ~い」


 プリドゥエンに肩車されたマスクウェルは周囲を見る。

 その途中で「時折空も見て頂ければ」と言われ、素直に従う。

 しかし、空は生憎の曇り空だ。

 雪は降り止んではいるものの、再び振り出してもおかしくない気配では有る。

 雲より下の事しか分からず、それ故にプリドゥエンは警戒したがった。


「ねえ、オジさん」

「何かありましたか?」

「思ったんだけどさ。鳥と獣人が獣化して鳥になってるのって、どう見分ければいいの?」


 マスクウェルの素朴な疑問に、誰もが答えられなかった。

 周囲に飛んでいる鳥は居ないが、それが追っ手や見張りじゃないとは誰も分からないのだ。


「ご主人様」

「んぁ……」

「何か、飛び道具を頂けますかな? たしか自衛隊にもマウント式スコープも有ったと思いますが」

「ん~……」


 呻く様な声、そして無造作に放り出されるソレら。

 プリドゥエンはその様子を見て「意識さえあれば何でも無尽蔵に運べる輸送部隊」と考えた。

 スリングで身体に銃を下げると、スコープをカリカリと調整して己の目で直に周囲を見る。

 当然、雲より下には鳥の姿すら見えなかった。


「……状況によっては、近くの身を隠せる場所に飛び込むことを考慮しましょう。その場合、申し訳ありませんが私が殿となります」

「え゛。それってボクにも道連れになれってこと?」

「マスクウェル様はその場合私から降りてワンちゃんに咥えられて下さい。テレサ様とゾル様は皆様をお願いしたく」

「オウ、任されタ」


 それぞれが警戒を新たにする。

 そのまま暫く行くと、一匹の子犬が後を追うように走ってきた。

 テレサとプリドゥエンが即座に構えるが、構えた目の前でその子犬は姿を変える。


「まっ、待ってください!」

「あぁ、ありゃウチのヤツだ……」


 ゾルは相手を見て、それがヤクモの身の回りの世話をするために使っていた幼い少年だということを知る。

 プリドゥエン達はそれで構えを準警戒にまで引き下げた。


「ゾルザル様! おつた……おつたえ、ッ……」


 ただ、その少年が何かを言う前に足を縺れさせて転ぶ。

 起き上がろうとして起き上がれないほどに消耗しているようで、ゾルは仕方が無いなと己の手で引き起こした。


「落ち着ケ、それと慌てンな? 冷静さを失ったらシマイだゾ?」

「は、は……」

「悪い、誰か水をくれ」

「これでもいい?」

「何でも良いサ、助かル」


 水を与えられ、少しばかり落ち着く少年。

 きっかり三分後、衰弱から回復した少年は口を開いた。


「ちっ、父君がこちらの方角に部隊を編成して差し向けます!」

「ハ!?」

「なんと……」

「どこかで足取りが読まれてたのかしら──」

「なので、お伝え、したくて……」


 少年はそこまで言うと、クタリと意識を失う。

 四方を駆け巡り、その挙句眠らずにここを突き止め追いついたのだろう。

 安堵した彼は眠りについてしまい、ゾルは彼をマーガレットに預けた。


「コレはアレだナ。雲に紛れてやがッタか……」

「それは無いかと。私の分身を上空の偵察にもあてていますが、察知できておりません」

「ハッ、そんな人間とオナジ範疇で考えてんなヨ。鳥だって色んな種類が居ンだろうがヨ」


 そこまで言われて、プリドゥエンは獣化を単純な人間の変身のような物として捉えていた事に気がつく。

 闘技場でのゾルがそうだったように、他の獣人もベースとなった獣ごとの特性を持っていてもおかしくは無いのだ。


「オッサン、考えを変えるぞ。連中、足の速いヤツから急襲してくるかも知れネェ。キョーダイが動けないのも既に割れてンだろ」

「となると、マーガレット様とワンちゃんに……ゾルザル様を乗せて急ぐ必要が有るかも知れませんね」

「や、それは……ないだろ」


 深刻そうに話し合う二人に、ヤクモは気の抜けそうな声で言う。

 当人の口の端からはまた嘔吐したであろう痕跡が残っているが、その目はずっと空を向いている。


「闘技場で、散々暴れ散らしただろ。俺も、お前らも。そんな少数での奇襲なんて、返り討ちだって分かる。少なくとも、テレジア、プリドゥエン、トウカにワンちゃん。この三人が一人で数十の獣人を蹴散らせるんだから、それは私兵じゃなくて、軍隊をだな……」

「……なる、ほど」

「ただ、足の速い連中が回りこんで、立ちふさがって、足止めと空から来るのと、機を見て追撃という連携をされたら、ヤベェ、かなぁ……」


 プリドゥエンは兵役経験者として、階級上でもヤクモより上である。

 しかし、義務でありながらも予備役でしかないプリドゥエンと、常備に所属していたヤクモとでは見る点が違った。

 たとえ営門三曹≪士長≫であろうと、三百六十五日中で生活してきた相手とでは経験の頻度も密度も違いすぎた。


「ゾル、ぅ……。足の、速い連中に、遅い連中が、乗るって、のは?」

「ナイな。それぞれが誇りを持ってるのに、その背中に他人を乗せッカよ」

「なら、急ぐだけで、良いかなぁ……」


 ヤクモの言葉を聞いてから、プリドゥエンは結局『相手を出し抜く』ということに関しては、自分より階級も年齢も下の男には敵わないのではと考える。

 病で臥せり、熱と頭痛と吐き気に侵されながらも己にできる事をして皆を助けようとしてくれる。

 逆に、色々出来るが後手後手になりつつある自分を幾らか恥じ、彼は自分が渡された銃に球すら篭めていない事を思い出す。


 ゾルは「頭がいたい……」と目蓋を閉じ、凍傷にならないようにと口許を拭われている男を見る。

 そして、やはり己の父親が国を閉ざすのは間違っていると考えた。

 実際に目にしたわけでもないだろう獣人の部隊を相手に、話と考えから可能性を導き出して行動を洗練化させる。

 このまま獣人が自国に閉じこもっていれば、人間に敵わなくなるだろうと見て。

 そのためには辛酸を舐めようが、外と繋がりを作らなければならないと。


 そして、ヤクモの懸念は実際に当たった。

 ツアル皇国へと繋がる関の方角に先回りして待ち構えていた部隊。

 ソレとは別に空からの急襲部隊と、その背後を襲う三つの部隊。

 本来であれば包囲された時点で一行の命運は尽きた……ハズ、であった。

 だが。


「あぁ、もう。うっせぇなぁ!!!!!」


 鬨の声で頭痛を刺激されイラだったヤクモが空中に炸裂魔法をぶっ放し、振動と音で連中を全員叩き落してしまった。

 その余波を受けた追撃部隊は味方が倒れている事で速度を活かした機動戦が出来ずにトウカとテレサに迎撃され、待ち構えていた連中はゾルが歩み寄って「ヨゥ」と声をかけられてから硬直している間にノされてしまった。

 自分が頭痛と吐き気でキツいというイラだちで、殺虫剤をかけたかのごとく全員を叩き落したヤクモを見てゾルは「なんダ? コイツ」と思ってしまった。

 空一帯を吹き飛ばす魔法を詠唱無し予備動作なしで発動しておきながら、闘技場でのアレはなんだったのかと。


「たぶん、今ので……監視、も、落ちてるから。道、変えよう」


 自分が若干ゾルに白眼視されてるとは知らず、ヤクモはそんな提案をしていた。

 その日の夕方、彼らは辛うじて逃げ込むように町にまでたどり着けた。



 ~ ☆ ~


 逃げ込むように一行がたどり着いた町は、今までとは逆で獣人に対して排他的な場所であった。

 今までは人間であることで出入りで苦労していた事が、逆にゾルなどが入ることで手間取る。

 時間をかけながらも、テレサの助力を得ることでゾルも何とか入ることが出来た。


「ったく、頭カテェ連中ダゼ」

「思ったよりも時間がかかったわね……、大丈夫かしら?」

「心配すんナよ、ここはオレサマでもああやって簡単に出入りできネェんだ。同じように空であろうと陸であろうと、勝手に近寄れば沈むのがオチってヤツさ」

「……よくそれで今までやって来られたわね」

「言ったロ? 手出し出来ネェくらいにオヤジが弱ってンのさ。こっちはツアル皇国への援護で引っ切り無しに行き来してマジモンの戦いをしてきてる連中ばかりで、オヤジの方は酒とオンナと美味いモンでブクブク太ってるばかりの豚だ。オヤジが現役だったなら話は別ダガ、もうあの身体じゃナ」


 ゾルは実の父親が行ってきた事を鑑みて、冷徹にそう言い下す。

 後方でぬくぬくしている連中と、厄介払いのようにツアル皇国へ派遣されまくる連中。

 どちらの方が強いかなど語らずとも分かる話であった。


「けど、トウカちゃんだけ呼び止められなかったわね」

「ソリャ……ここの連中ガ呼び止めるワケネェわな」

「あぁ、そっか。忘れ形見だもんね」

「そういうコッタ」


 二人がそのまま歩を進めていると、ワンちゃんを厩で世話しているマーガレットを見つける。

 傍には宿もあり、そこで全員が休息を取っているようである。

 マーガレットは吐瀉物に塗れたりして悲しそうな事になっているワンちゃんを慰めるため、毛並みを梳いたり洗ったりしている最中であった。


「あ、お疲れ様でした。ゾルザル様、テレサ様」

「みんなは?」

「宿でお休みになられてます。トウカ様はマスクウェル様とお買い物へ出てます」

「お買い物……」


 テレサは、それが必要な事とはいえ姿を周囲にさらすのはどうかと考えた。

 見かけは人間と同じにしてはいるものの、その正体には同族である獣人には分かるのだという。

 トウカの両親に仕えていたとされる連中の中では、暗夜の中で発炎筒を焚くが如しではないかと危惧したのだ。

 だが──。


「イヤ、考えようによっては良い案ジャネェか? これなら、少しは味方を増やせそうだ」

「どういうこと?」

「夜になりゃ分かるッテ」


 ゾルの言いたい事がわからず、テレサはそのまま宿へと入る。

 宿の中では部外者であるゾルが真っ先に注視された。

 決して友好的ではない目線にテレサは気づいたが、ゾルは平然とした顔つきで借りた部屋へと入っていく。

 部屋の中では、プリドゥエンが子機を使用した脈拍数の検査や血液検査、網膜の点検などをしている所であった。


「おや、お帰りなさいませ御二方。大分手間取られたようですね」

「あんなトコで押し問答タァ、ツイてネェ。まあ、その代わりに多少なら安全なんダガ」

「大分冷えちゃった。白湯でも作ろうかしら」

「既に作り置きが御座いますよ。そちらの魔法瓶の中に御座います」


 プリドゥエンはそういって保温機能のついた水筒を示した。

 その中には冷えた身体を温められるようにと、マーガレットが香草を幾らか混ぜてくれている。

 温かい飲み物に二人は一息吐いた心持になった。

 

「んで、チョーシはどうだ? キョーダイ」

「幾らか、マシになったかな。ただ──戦闘は、無理そうだ」

「そもそも、全身から矢を生やした人が生き延びているだけ僥倖でしょう。今までの分、お休みください。でないと……」

「でないと?」

「マーガレット様に、睡眠薬と弛緩剤でも作って頂きかねないですから」

「ちくしょう、何でそうなるんだよ……」


 ヤクモはゲンナリしたが、マーガレットはソレくらい怒っていたのを知っている。

 皆の前で「眠っていただきますよ?」と言われてしまったのだ、立場はない。


「さて、と。キョーダイ。今回の協力の対価を貰おうか」

「ちょっと、ゾルくん……」

「オレとしてはテュカ……トウカが最優先なんでナ。ただ、義理を果たそうとしただけで、別にソレは一緒に沈む理由ニャならネェ。違うか?」


 ゾルはかつて脱出の際に、ヤクモへと協力の見返りとして学園に居たころの彼女を教えるようにと言われた。

 その時はヤクモも同意した──が。


「はっ」


 ヤクモは、それを鼻で笑った。


「ゾル、お前はそもそもこちらの言い分の一つでも守ったか? 確かにお前のせいじゃないかもしれない、けれどもこちらはそんなものは関係ない。仲間は追いたてられてる上に保証なんて物は得られない状況だ。こちらはお前がそれを守ると信じたから話に乗ったんだがな」

「ム……」

「それに、それをまず自分に聞くのは順序が違うだろ。聞かれたくないかもしれないし、言いたくないかもしれない。追われて出てきたという意味では一緒だぞ? 一足飛びに自分だけが利益を得るってのはおかしいだろ」

「だが、オレサマが──」

「たしかに情報をくれたこと、派閥や勢力的な意味でここが安全だということを教えてくれたのは助かったが……。そもそもな? 自分の目的のために利用して、自分のために今は一緒に行動してて、その上で自分の利益の為に押し付けがましくそれを持ち出すのは、不利益アンド不利益アンド不利益で、頷ける要素は皆無なんだが」


 ヤクモはつらつらと、まだ万全でもないのに相手を言いくるめるのに舌をまわす。

 自分の主人がこんなに饒舌だった時は大体悪い場面だとプリドゥエンがそっと息を吐いた。

 

「カカ、活きが良くなったナ。一人だった時とは大違いだ。それに、覇気ってヤツが有る」

「そりゃそうだ。このまま国境まで送ってもらって、何の収穫も得られませんでしたァ! だなんて状態で出て行くのも、搾り取るだけ搾り取ってポイされるのも性に合わない。ほら、言えよ。何が提示できる? それはこの前みたいに状況で反故にならないものか? それは釣り合うものだと思わせられるか?」

「調子に乗るなヨ……?」

「調子に乗ってたのは、お前だよ」


 今にも喧嘩や取っ組み合いが始まりかねない様子に、テレサが戦々恐々とする。

 少しばかり脅えながらも「ちょ、ちょっと。二人とも」と仲裁に入ろうとするが──。


「マ、事実だ。お前とした約束の一つも叶えられそうにナイうえに、自分の目的の為に拘束した訳だしナ。それに、ミミッチィオトコと思われたままなのはシャクだ。ヨシ、良いダロウ。話の件は先に許可貰ってくるワ」

「ん、助かる。ただ、自分が倒れてた間に同行してくれただけでも支えになった、その分割引はするけどな」

「ヌかせ。商人か、オマエは」

「商人だろ? 自分の命を賭けて、目的という利益を得る為に様々な知識や技術、品々を仕入れて大廉価で全てを扱き下ろしていくんだからな」


 それがゾルには”兵士”を指しているのだろうと直ぐに察することが出来た。

 自分の命に値札を引っさげて、その価値を高めたり他の命の値札が外されるのを防ぐために付随する価値を得る為に努力する。

 それでも己からの命の価値は皆無で、けれども周囲や上から見れば命の価値は出来る事、成した事、積み重ねたものに応じて何度も何度も価格が更新され続ける。

 自分を誰かが好きに動かそうとすればその高値で売りつけ、売りつけた後は消費されるまでは無価値のままに行動し続ける。

 ゾルは、どちらが狂戦士なのかと突っ込みたくなったが、自覚のないことでつついてやる必要はなかった。

 

「マア、ツアル皇国に抜けるんダロ? オレサマも一緒にツアル皇国まで行ってやるヨ」

「……良いのか?」

「ドーセあっちの文化とか分からネェだろ? そういう意味ではオレサマはいくらか鳴らしたからな、名前だけでも助かると思うゼ?」

「そりゃ、安くないな……」

「ダロ? それに──」


 そこまで幾らか和やかにしていたが、ゾルが言葉を切った瞬間に全員がそれぞれに気配を潜める。

 下にある酒場の喧騒が、不意に静かになったからだ。

 ヤクモは血圧測定器を外しながら、自信を喪失してからは久しく忘れていた顔つきに戻る。

 その手には、自然と拳銃が握られていた。


「ダイちゃんダイちゃん、助けて!!!」


 先に飛び込んできたのはトウカで、マスクウェルは荷物のように肩に抱えられていた。

 床に下ろされたマスクウェルは己の持っていた購入品をヤクモへと手渡す。

 直ぐに、それらはストレージへと消えていった。


「どうした?」

「あのね、あのね? ヘンタイさんがず~っと私の事を追いかけてくるの! ハァハァ、ハァハァって息を切らせながら」

「「よし、殺そう」」

「待ちなさい、このアンポンタン!!!」


 即座にストーカーの抹殺を決めたヤクモとゾルにテレサのチョップが叩きつけられる。

 それとほぼ同時にワンちゃんにまたがったマーガレットも窓から部屋へと入ってきた。


「ヤクモ様、大変です。複数の方が、トウカ様を追うように入っていくのを見ました」

「ガウっ」

「さぁて、困ったな。悪いけど、離脱できるようにしようか。プリドゥエン、荷物は全部収容」

「既にかかっております」

「んじゃ、悪いけどトウカとプリドゥエンが先に窓から離脱をして周囲警戒、問題がなければワンちゃんに乗ってマーガレットと自分、マスクウェルが離脱。ゾルとテレサは悪いけど、抑え役を頼む」

「なんで私が抑えなの?」

「相手が戸惑ってくれそうだから」


 執行者の制服を知らない人はそう居ないと、ヤクモはそれを考慮した。

 しかし、それよりも先に外の方が先に動いていた。

 ただし──想像よりも礼儀正しくだが。


 コンコンコンとノックがされる。

 ヤクモはそれを「蹴破るかもしれない」として一度は無視をした。

 二度目、同じようにノックが繰り返される。

 それも無視したが、相手は突入する様子では無い。

 彼はハンドサインでテレサとプリドゥエンの役割の交代と、ドアを開けるようにと指示する。

 この中で中遠距離で高火力を発揮できるヤクモは、射線を確保しながら魔法も銃も備えていた。


「どちら様ですかな?」

「もし、伺いたいことがあるのだが宜しいか?」

「……それは、こちらに病人が居るという事を踏まえての事でしょうか? 今様子を見ている最中でして、出来ればおとなしく寝かせたいのですが」

「いや、そう時間は取らせぬ。この部屋にこれっくらいの背丈の、髪はこんな感じの……女子≪オナゴ≫は居られますかな」

「はて、何のことやら」

「あ~、さっきのヘンタイさん──」

「トウカ様!? お静かに……」


 マーガレットがトウカの口を慌てて塞ぐが、既に遅かった。

 プリドゥエンは相手が動くよりも先に扉を閉ざすが、閉じた扉越しに相手が実力行使をしてきた。

 蝶番が悲鳴を上げ、そして弾ける。

 薄い扉はプリドゥエンと相手によって両サイドから圧縮され、砕けながらも潰されていく。


「テュカ様! テュカ様がこちらに居られるのか!?」

「ア~、面倒クセ……」


 プリドゥエンは全力で持ちこたえるが、それに宿の方が耐えられていない。

 メキョリと足が床に埋もれ、その下の階層に足が突き出している状態である。

 そのまま扉が砕け散り、取っ組み合いになった時に相手の男は隙間越しにその目を彷徨わせてトウカを見つけると硬直する。


「お、オォォォォォ……テュカ様、テュカ様!」

「なんだって、テュカ様?」

「まさか、嘘だろ?」

「しかし、今日来た連中に似た人が居ると……」


 下の階、宿の方が別の意味で騒がしくなる。

 騒がしくなる事をヤクモは嫌う。

 落ち着いている場合であれば注目されていると萎縮してコミュ症っぷりを発揮し、騒然としている状況ならば勝機だと興奮して戦闘モードになってしまう。

 

 ドアを破壊し、プリドゥエンの足を床に埋めた男はトウカをテュカと呼びながらその双眸に深い涙を浮かべていく。

 男泣きと言わんばかりにおいおいと泣き出してしまい、窓の近くで退散しようとしていたテレサとトウカも唖然としてしまった。





 ~ ☆ ~


 扉が破壊されてしまって部屋としての機能が果たされなくなったが、闖入者である男は宿に「いらぬ迷惑をかけた」といって金の入った袋をそのまま置き去りにした。

 そして宿を取ったのにヤクモたちは男の家へと移動する事になり、無料でさらに高グレードな寝床を手に入れることが出来た。


「先ほどは失礼いたした。我輩はエカシと申す。この町の相談役をしておりまする」

「はぁ……」

「余所の獣人が出入りする場合必ず耳に入るのですが、その中に……前王と同じ匂いを持つ者が居ると聞いて、飛んできた次第で御座りまする」


 今まで出会った獣人よりも訛りの無い、綺麗な言葉遣いをするエカシという男。

 彼は憲兵や衛士を無用に動き回らせたこと、その中でトウカを付回したことなども含めて深く謝罪した。

 彼は自らの事をかつてトウカの両親に仕えていた男だと名乗り、そして一行がどのような状況に置かれているのかを全てを聞いた。


「テュカ様、我輩を……某を覚えておりませぬか。野菜ほどに小さなころ、幾度も父君と共にご挨拶させて頂きましたが」

「ア~、悪いがジイさん、記憶が無いんだとヨ。五歳から前の事、両親やオレの事も……覚えてないみたいだった」

「ふん、簒奪者の息子が……」

「そのヘンは、後で聞かせろヨ? 今のオレは、コイツらをツアル皇国に逃がすために手を貸してる。そこは疑うナ」

「信じられぬわ」


 エカシという男は、ゾルを毛嫌いしていた。

 その理由は単純で、己の使える主人を殺した男の息子だからである。

 ゾルはそれを聞いて笑顔でエカシへと近寄ると、その胸倉を掴みあげた。


「煩ェよ、ジジイ。テュカの事でナ、一番頭がおかしくなりそうだったのはオレだってのは覚えとけ」

「……ワッパが」


 ゾルが片手で掴んでいた胸倉を、同じように片手で力任せに引き剥がす。

 それを見ている一行は、呆れたりオドオドしたりしている。

 その中でヤクモは、ため息と共にまだ収まらぬ頭痛ごと頭を抑えた。


「それで、エカシさんとやら。自分らの事情は先ほどお話したとおりだ。自分らはこのままツアル皇国へと抜けようとしてるんだが、出来そうだろうか?」

「ふむ、出来ん事も無いでしょうな」

「なら──」

「ただし、テュカ様は置いて行かれよ。今まで共に居てくれたこと、真に感謝いたす。しかし、これからは我輩がお守り致すゆえ、これからはテュカ様抜きで行かれい」


 その言葉は、断固たる意志の下で発せられた言葉だった。

 異を唱えれば、忠臣として必ずやそうするという気概すら見せ付ける。

 ゾルは眉間に皺を寄せたが──。


「え~? 私ダイちゃん達と一緒が良い~」


 その剣呑とした雰囲気をぶち壊したのは、他ならぬトウカ自身だった。

 エカシはそれを聞いて「ぶほっ!?」と咳き込む。

 深い口髭と顎鬚の周囲が唾液の雫で湿った。


「テュカ様、そのようなお戯れは……。生きていたとあれば、ご両親の意志を継いでゆかねばなりませぬ。でなくば、どのように顔向けすれば良いか……」

「んとね、覚えてないんだよ? だから、私の両親って言われても分からないし、私を今まで育ててくれたのは学園に居るおやっさんだもん。それに、町中でお尻を追いかけて興奮してた人と一緒って言われてもね~……」

「そんな!」

「それに、お父さんとお母さんが自分たちの代わりに国を取り返してくれ~って、願うかなあ」

「願うと、願わざると。そうせねばなりません」

「けどさ、それってエカシさんは私のお父さんとお母さんの考えを、勝手に自分の良いようにしてるってワケじゃないかな~?」

「む、ムム……」


 ヤクモは口を開きかけて、トウカの言葉を聞いて静かにその口を閉ざした。

 事実、最後の瞬間に立ち会いながら記憶を失ったトウカと、忠臣でありながら居合わせなかった男。

 そのどちらの言葉が正しいかと言われれば、後者を選ぶものはいるワケがないだろと。

 そもそも、そこには情だの義理だのをふんだんに使用されただけの、トウカの意志はどこにも無い申し出だ。

 それを”間違いなど無い”とでも言いたげに口にしているのを、ヤクモは唾を吐きたかっただけであった。

 

「ですが、でしたら……この国は如何なされる!」

「だって、ずっと人間の中で生きてきたんだもん、いきなり意志をつげ~とか、国を取り戻せ~みたいなお話されても、正直ヤだな~って思うのはそんなに変?」


 トウカを説得しようとしていたエカシだが、その矛先をこのヤクモへと変えた。


「ヌヌヌ、貴様が何か吹き込んだのか!」


 今にも斬りかかりそうな剣幕に、全員がヤクモを守ろうと動く。

 その中でマスクウェルだけが己の身を守ろうと、部屋の隅へと逃げていったが、ゾルは詰まらなさそうに口にする。


「キョーダイ、寒いが我慢しろ」


 そういってゾルは、ヤクモが着ている服の上半身を肌蹴させた。

 矢傷だけではなく、闘技場での傷がまだ全て消えきっていない、見るだけでも痛々しい有様だった。


「おい、ジイさん。コイツはな、この国でテュカ達を守ろうとしてこんなに傷だらけになったし、闘技場で力を示して手出しできないようにしようとしてたンだ。たった一人で、集団戦では足を引っ張られ、あるいは見捨てられながらも勝ち進んだ。その上で個人戦では、あと少しでオレに勝ちそうな所にまで行った」

「いや、勝ちそうじゃなくて、あれは実質勝ちだっただろ」

「いんや? 試合は終了していなかッタ、無効試合ダネ」

「いやいや、もうお前は倒れて動けなかったじゃん。それで負けてないとか言われても困るんですが」

「演出ダヨ、演出」

「ねえ、話が進まないからジャレるのは後にしてくれない?」

「ゴホン! 兎に角だ。何かを吹き込む? 手前の体と命を張ってまでか? その上オヤジにぶっ殺されかけて、今もまだその毒で動けないヤツにそんなコト言うのカヨ」

「ムムムムムムムム!!!!!」


 エカシはゾルの言葉を聞いて、茹蛸のようにカオを赤くする。

 それは怒りではなく、熟考と恥辱から来る赤みだった。

 実際、学園を飛び出したトウカは無一文で、そんな彼女を金銭的に補佐したのはヤクモであった。

 

「詰まらネェこと言ってンなヨ? コイツはな、バカでお人よしなんダ。そんなヤツが何でわざわざ何かを吹き込むんダ」


 数秒真っ赤になっていたエカシは、その後深く息を吐き出した。

 その様子はヤカンのようで、吐き出す息と共に彼の赤さは抜けていく。


「……性急でしたな、申し訳ない。我が家ではありますが、己の家のように思ってお使い下され。逃げ延びてきて、お疲れでしょうからな。それと、ヤクモ殿には可能な限りの処置をすると約束する。故に、今日はお寛ぎ下され」


 そういうと、エカシは立ち上がり部屋を出て行く。

 それぞれに個人の部屋が与えられるほどに彼の立場は高いらしく、直ぐに日は沈んで暫く経つというのに世話役が現れる。

 

「ま、どうなるかは分からないけど。今日は解散って事で。もう……眠くて眠くて」

「それじゃあ、朝食後くらいに様子を見に来るわ」

「また明日ナ、キョーダイ」


 それぞれが部屋へと散っていく中、投下だけがポツネンと部屋に残っている。

 テレサがマスクウェルを引きずるように部屋を出て行ってからも、彼女は微動だにしなかった。


「トウカ?」

「ダ……ヤっくん、実はもう気づいてるんだよね? 私が、人間じゃないって事くらい」

「それは、別に口にする必要はないんじゃないかな。それとも、口にしなきゃ不安だというのなら口で言うけど」

「ん~、やっぱいいかな。ヤっくん、優しいから。どんなことを思ってても、たぶん平気で嘘を吐くだろうし」

「それ、聞いた意味がなくなりませんかね……」


 別の意味で信用も信頼も無いのだなとヤクモは呆れてしまう。

 けれども、それが自分の評価なのだと考えると矮小な彼はそれを納得する。

 だが、それでも言わねばならないと、ミラノの時の失敗を覚えている彼は頬をかく。


「……別に、トウカが何であろうと、人間だろうが獣人だろうとどうも変わらないさ。戦いが好きな、けどちょっとどこかが抜けてる、おやっさんに拳骨をしょっちゅう食らってるけど学園では自分の仕事はちゃんとこなす子で……。あの時、生徒の為にユニオン国の兵士の前に立ちはだかってくれた、ちょっとだけ勇敢な子だよ」


 ミラノには何も言えずに失敗した、もっと色々と……”公”ではなく”私”として接する事が出来たなら。

 個人としての付き合いをミラノとの間に持てたなら、その上で自分がもう少しだけ彼女に近づけていたのなら……。

 同じ失敗をしないように、彼はそう言ったのだ。


「やっぱ、ヤっくんはバカだね~」

「酷くないか?」

「ううん、酷くないよ? ちょっとお世話になったからって安くない傭兵復帰資金を出してくれたし、普段の宿代や飲食とかのお金まで当たり前のように出してるし。その上で私達が必要なものや欲しいもの、不便をしてないか気を使ってくれてるし、私が絡まれたときだって……色々あったけど、自分だけが嫌われるように演じてくれたし。その上に、自分だけで敵の中に入っていくしね」

「まあ、そういう意味でバカだってのは……受け入れるよ」

「だからね、最後に聞いてもいいかな?」

「ん?」

「私は、何なのかな? テュカなのかな、トウカなのかな、人間なのかな、獣人なのかな」

「別に、テュカであってもトウカであっても今目の前に居る女の子の中身は変わらないし、それが人間であっても獣人であっても……トウカって名前で、あの日空腹で辛い思いをしていた自分に、仕事が圧してるのを無理して厨房に引き入れて温かい食事をくれた女の子って事実は……変わらないさ」


 それはヤクモの素直な言葉だった。

 名前も人種も関係ないと、そう言ったのであった。

 彼の言葉を聞いたトウカは、はにかみながら「そっか」と何度も呟く。

 そして、彼の目の前で己の獣人である証拠である獣の尾や耳を出す。

 普段の髪色から、綺麗な白銀の毛並みに変わっていた。


「私はこういう子だけど、それでも変わらずに接することって出来るかな?」

「むしろ、可愛くなったんじゃないか? それに、個人的に獣人というか、そういう動物の属性をもった子ってのは好きなんだ。それでも、トウカが獣人だからとか、お姫様だったんじゃないかとか言われても、今までのようにするし、今までやってきた事を間違いだとは思わない」

「──ありがとう」


 そう言ってから、彼女は初めて涙を流した。

 その涙の意味を知らずとも、女性の涙に致命的に弱いヤクモは慌てふためく。

 一瞬彼の中では道化を演じるべきか、それとも体調不良をそれっぽくオーバーリアクションを演じてでも上書きをすべきか悩む。

 しかし、その選択がなされる前に、彼女は無理に笑みを浮かべる。


「実はね、不安だったんだ~。ダイちゃんも私も色々失ったけど、それでも……どんな人か良く分からなかったから。昔色々あったし、酷いことをされるか、捨てられるんじゃないかって、すごい悩んだ」

「……あの日を、覚えてるか? 学園を出た二人が、コレからが分からない中でそれぞれに出来る事を持ち寄って何とかして行こうって言ったあの日をさ」

「うん」

「あのとき、トウカが一緒に来てくれて。本当に嬉しかった。自分は……トウカを守ることが出来なかったけど、生きる理由や目的になってくれた。頑張る理由が、歩いていく理由を……くれたんだ」

「だったら、お互い様って奴だよ。ヤっくんはこれからどうしたらいいのか判らない私に、やる事を見つけさせてくれたしね。あの時と、やる事は大分変わっちゃったけど。それでも、良かったと思ってる」


 そう言ってから、彼女はさらに獣化をした。

 ワンちゃんと同じ位の白銀の毛並みを持つ狼がそこに居て、ヤクモをじっと見つめている。


『これでも、怖くない?』

「大丈夫、可愛いよ」


 トウカは、ベロリとヤクモの頬を舐め上げた。

 そしてヤクモは、かなり久しぶりに純粋な笑みを浮かべる。

 しかし、その途中でヤクモは無理に意識を奮い立たせていたことで消耗してしまい、酷い眠気を感じた。


『大丈夫?』

「ちょっと、休むよ」

『分かったよ、お休みなさい』

「お休み」


 寝床に潜り込んだヤクモは、そのままマーガレットに貰った薬を飲むとそのまま眠りにつく。

 病による苦しみを誤魔化して、少しでも楽に休めるようにという配慮だ。

 そんなヤクモに寄り添うように、トウカは獣の姿のまま伏せる。

 暫く苦しげな呼吸を繰り返していたヤクモが、安らかな寝息を漏らしたのを見てからトウカも目蓋を閉ざす。


 彼女はその日、久しぶりに昔の夢を見た。

 人間として身分を偽る前、おやっさんに拾われて間もない頃の事を。


「ね~、おじさん」

「何だ?」

「私に、酷いことしないの?」

「……するワケねぇだろ。ガキに手を上げる大人が居てたまるかってんだ」

「けど、私。奴隷なのに」

「違う。お前は、俺が……勝手に、育てると、守ると決めたんだ。──何言ってんだろうな、俺も。飯、食わねぇのなら貰っちまうぞ」

「た、べる」

「あぁ、なら食え食え。俺は、いい親父にゃなれるとは思っちゃいねぇが……それでも、大人になるまで、面倒見させてくれ」

「なんで?」

「……嫁と、生まれるはずだった子に、少しでも報いてぇだけだよ」


 厨房に収まる前の、十年近くも昔の話だ。

 けれども、トウカはあの時のことを良く覚えている。

 獣人であっても、生き延びるためとは言え沢山ヒトを殺していても。

 その男は、彼女をただ大事にしてくれたのだから。

 名前なんか無くても、獣人であっても大事にしてくれた。

 その親代わりの男と同じような事を言ってくれるヒトが居て、トウカは救われた。

 

 たとえ昔の事を覚えていなくても、自分がどのような出自であっても。

 少なくとも、世界中で二人は自分のことを受け入れてくれる。

 それだけでトウカは幸せだった。





 ── ☆ ──


 トウカが寄り添って伏せたのを、ゾルは扉の隙間から見ていた。

 それから頭を搔き、たまらネェなと零しながら部屋を後にする。

 そして、自分が過ちを犯しかけていたことを恥ずかしく思っていた。

 テュカ、テュカ、テュカ、テュカとずっと固執して、彼女を見ることを忘れかけていたのだから。

 

 学園でどのように生きてきたのか等を聞こうと思ったゾルだったが、目の前で行われた出来事に僅かな痛みを感じる。

 それがまさかあの日以来の無敗を誇るゾルに刻み込んだ、第二の深い敗北だとは当人も思って居なかった。


「ア~、辛ェ……。酒、酒を飲まネェとやってられネェ」


 あの日で止まっていた自分と、新しい日々の中で関係を育んで来た二人。

 その様子を見せ付けられて、言葉に出来ない敗北を感じたのだ。


 部屋に戻った彼は、酒を都合してもらうと杯を無視してビンに口をつける。

 粗野な真似事をすることで己の外見に似合った魅せ方をする彼でも、己の心持に従って粗暴なことをするというのも理解できない話であった。


 トウカが獣人であるという事をヤクモに伏せていたこと、それを知られたくない様子だったこと。

 それら全ての答えを目の前で見せ付けられて、ゾルは少しばかり納得がいく。

 英雄として名が知られていたはずの男が落ちぶれ、学園という将来を心配しないですむ働き口から出てきたトウカ。

 その二人がどのような思いで出てきて、ここまで来たのか等と知らなかったのだ。

 

 獣人であることを隠すのを止めた事と、己がどのような獣であるかを晒したこと。

 その上で”寄り添って眠った”ということが、ゾルを深く穿った。


「マ、マア。まだ始まったばかりダシな。これから、これから……」


 そう言いながらもゾルはその言葉が強がりだと理解する。

 実際に打ち合い、幾らか手加減した相手に負けかけたのだ。

 それが獣としての”上下関係”を、ヤクモに感じさせている。

 本能的なものであり、己が今では首を折ることすら容易い相手に格下に思っていると。


「クソ、世界は広ェナァ……」


 酒瓶を空にすると、ゾルはそのまま寝床に横になると少しばかり目蓋を閉ざす。

 それから幼い頃のテュカだった時の彼女と、良くも悪くもそのまま可愛く育ったトウカの事を考える。

 

「……もっと頑張れってカ?」


 幼い頃の彼女は今と変わらない。

 ゾルが幾らか強くなったといっても、それでも彼女からしてみれば「まだまだ下の相手」という認識しかないのだろうと。


「前途多難だネェ……」


 部屋の隅、立てかけられた彼の斬馬刀はヤクモとの打ち合いで刃こぼれをしていた。

 ゾルはそれを暫く見ていたが、それでも肝心たる輝き自体は失せてないのだなと考えると笑みを浮かべて眠りにつく。


 

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