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元自衛官、異世界に赴任する  作者: 旗本蔵屋敷
9章 元自衛官、夢を見る
146/182

146話

 ずっと、心臓が早鐘を鳴らしている。

 その鼓動を意識してしまうと、余計に自分が緊張していると認識してしまう。

 アレから時間が経過し、ついに舞踏会当日が来てしまった。

 当然、出来る限りの事はし、打てる手は打ってきた。

 

「なあ、ミラノ。お腹が痛いからって帰っちゃダメかな……? 俺、やっぱ人前とか出たくない……」

「今更何言ってんの?」


 胃が引っくり返りそうだ、胃液が逆流しかけている。

 何度も何度もカティアやプリドゥエンに冷水を貰ってはいるが、酸っぱい物がこみ上げてきている。

 数時間もすれば、俺はミラノに引き立てられ……もとい、引き連れられて舞踏会へと向かうのだ。


「それより、本当にそれで良いの? アンタの……アンタの為の場なのに」

「あぁ、良い……ッ。というか、俺の為の場だというのなら、好きに使えるわけだし──学園長も文句は言えないだろ」

「……水球を飛ばされたりするかもしれないから、気をつけなさいよ?」


 そして、俺は浅ましくも「舞台に立つのであれば、どうせならカティアとプリドゥエンも連れて行く」ということにした。

 理由は単純で、もう既にカティアの主人がアリアじゃ無い事はバレ始めている事だろうし、プリドゥエンをこのまま部屋に閉じ込めておくのも忍びないからだ。

 俺の為の機会かも知れないけど、プリドゥエンやカティアの為にも使おうと思った……だけである。

 べっ、別に胃が痛いから一人はヤだよ、ママ~だなんて泣いて無いからね!?


「私たちも居て良いの? ご主人様」

「居てッ……くれると助かるかな? それに、今まで曖昧なままにしていた問題を一気に叩き付けて、認識させる事で一本化する」

『また、何か考えているのですか?』

「考えてると言うよりは、利用するつもりだ。相手が俺を利用しようとしているんだ、その思惑に乗っかってこちらも利益を得ようとする事の何処が悪い? どうせ英霊連中も見に来るだろうし、妨害も何かを投げられるのも避けられる筈だ」


 そう言いながら、壁に貼り付けたボードを見る。

 今では既にピンと紐で蜘蛛の巣のように、或いは特殊部隊の行う相関図のようになっている。

 沢山の付箋とメモ、それらを繋ぐ四つの国、それらの国々の傾向、そして学園長に求められている事……。

 現状の俺の認識をオルバを含め英霊からも聞き、それらを打開ないし利用する事で主張を通す。

 やる事は”ペテン”である。


「カティアは今日以降、アリアの使い魔であるという嘘はもう無しで良い。それと同時に、プリドゥエンも学園内部を出歩けるようにする。勿論、二人に何かしらの被害が行けば俺がすっ飛んでぶっ潰す事も含ませる。……今まではどうしようもなかったけど、これからは守ってやれる」


 無力な平民ではない、幾らか名は通ったはずだ。

 ミラノとアルバート、マルコ達の時は彼らだけだった。

 しかし、今はもう否定できないくらいにはなっているはずである。

 英霊との手合わせ、学園でのユニオン国からの解放と魔物との連続交戦。

 そのどれにも俺が噛んでいて、第一線に身を置いてきた。

 手を出せば逆にやられると理解された所で、ようやく二人を庇ってやれるのだ。

 身分も地位も関係無しに、成すべきを成す……それを叩き付ければ良い。

 無抵抗主義ではない、相手が誰であっても守るものを守ると。


「今まで見たいに、ミラノの影に隠れてられない。なら、逃げ回っていた今までを全部正さなきゃ筋が通らない。だからカティア、プリドゥエン。これはお願いでもあり、命令でもある。俺はお前らに支えられてる、それ以上にお前等を守ってやらなきゃいけない。気を使ったりして些細だからと黙ってるのは無しだ。嫌がらせ、妨害、敵対行為。全てを報告しろ。今まで何も出来なかったし、何もしてやれなかった。身分も地位も無く、無力で矮小だった俺にもタメを張れる物が出来た。魔法使いだから、貴族だから、優れているから、俺たちが下等だからという理屈は通用させない」


 自信などない、けれどもやらなきゃいけない事をやらないで居るほど腐っちゃいない。

 カティアをアリアの使い魔だと偽ったのは、俺が嫌いなら俺だけを攻撃すれば良いという理屈からだ。

 プリドゥエンを出してやれなかったのは、魔物だという認識が根強いからだ。

 だが、そのどちらも今回の出来事で一気に蹴散らす事ができる。

 納得など要らない、ただ理解しろと要求できるのだ。

 俺は幾つか既に実績を示してきた、だからそれでもちょっかいを出したいのなら出せば良い。

 それに見合った痛い目にあうと、宣言するだけで良いのだから。


「ねえ、大層盛り上がってるのは良いんだけど。まるで独立をするかのように気勢を挙げられても、やる事は隠れていた所を公にすると言うだけなんだからね?」

「自分を偽らずに済むというだけで、一つの独立ではあるんだから一歩さ。大きな野望も小さな一歩から。偉業を成すのも小さな一歩から……。名前も無く、立場も身分も地位も無かった俺が……踏み出す一歩だ」

「──そう。けど、意気揚々としている所悪いけど、手が震えてるから微塵に大丈夫だと安心できないんだけど」


 カティアとプリドゥエンを相手に、義務と責任を語って自己洗脳を試みてみた。

 だが残念な事に、胃液の逆流が収まっても震えだけはどうしようもない。


「いや……多分袖を通せば収まるさ。今は余裕があるから震えてられるけど、本番になったら震えてもられないだろうし」

「──約束、忘れて無いでしょうね? アンタ、強弁を奮ってその後倒れましたとかシャレにならないんだから」

「大丈夫。約束は……したら忘れないし破らないよ」


 何だっけね、ミラノが一緒に踊りましょって言う話だったか……。

 演説の後にそうする事で、主人である彼女が俺を受け入れてくれているという事実を見せ付けるつもりなのだろう。

 

「ちゃんと服の準備もしてるみたいだし、それに……態々付け替えが便利な状態にして組み合わせてるわね」

「そりゃそうだ。上で弁舌を振るう時に必要な印象と、踊る時の実働とで使い分けないといけないし」

「あの硬そうな靴で踊れるの?」

「何年も履いて来た靴なんだ、アレで踊るのも走るのも壁をよじ登るのも慣れたもんさ」

「じゃあ、後で迎えに来るから」


 そう言ってミラノは退出していく。

 彼女を見送ってから、俺は直ぐに手の平に錠剤を出す。

 顔を覆うフリをして、薬を口へと放り込んだ。

 怖くない、怖くない。

 大丈夫、だいじょ~ぶ……。


「カティアも急に悪かったな。出したいから身なりの準備をしてくれだなんて、無茶なお願いをして」

「良いの。ご主人様にも考えがあって、急だったかも知れないけど私達の為だったんでしょ? 嬉しくは思うけど、それで怒ったりしないわ」

「そう言ってくれると助かる……」

「それじゃあ、私も準備してくる!」


 カティアもミラノの後を追って部屋を出て行く。

 それを見送ってから、静かにため息を吐いた。


「何処までやれるかな……」

『……私に、そこまで配慮せずとも宜しいのですよ? 今の私は、部屋のサービスだけでも十分楽しめています』

「俺の個人的な都合……。いざという時にお前を頼りたいっていう思惑もあるからだ。別に感謝しなくて良い。むしろ、今までよりも忙しくなる分恨んでくれても構わない」

『いえ、忘れ去られ埃に埋もれていくかつての遺跡に閉じこもった所で意味はありません。それと同様、プログラムされた命令ではなくご主人様は私の自由意志に……人間性を尊重して下さる。それがどれだけ有り難い事か。感謝こそすれども、恨む事はありません。部屋に居れば確かに安全かも知れませんが、新時代を生きる為には閉じ篭もってはいられません』

「……そっか」


 カティアもプリドゥエンも自分なりにどう生きるかを考えてくれている。

 だからこそ、自分の判断が間違いでは無いと思う。

 ただ……短期的に見たものと長期的に見たものを比べなければいけないのだが。

 

「──けど、参ったな。心配になってきた」

『ふむ。親しき方々がやって来て、激励して去っていくからですね? マーガレット様から頂いた物で少しでも落ち着けるか試してみますか?』

「そうだな、そうしよう」


 カティアはマーガレットの所で薬草や香草の事を良く学んでくれている。

 種類や薬効、煎じたり炒ったり刻んだり乾燥させたり組み合わせたり……。

 最近良く眠れるようになったのは彼女のおかげと言っても過言じゃないだろう。

 そして……カティアもそれらを少しばかり分けてもらって世話をし始めている。

 自分が居なければならないと言う状態から、脱却しつつあった。


 ハーブティーを飲みながら、腕時計で脈拍を測ってみる。

 リラックスできているようで、若干低すぎる自分の血圧が表示されていた。

 これ、改善されなかったんだよなぁ……。


「これが終わったら、休みかぁ……」

『何処かにお出かけになられると聞きましたが』

「まあ、世話になった相手に恩返ししないと恩知らずになっちゃうし。それに……部屋に篭ってばかりだから良いってさ」

『それに私は同行できそうですか?』

「いや、これは一人で行く。数日だけど、カティアと一緒に二人で上手くやってくれ」


 休み……とは言ったが、やる事はアーニャと一緒にコミケに参戦である。

 彼女はコミケに参加してみたかったと言っていて、じゃあ一緒なら大丈夫だろうという話である。

 まあ、何だかんだ元居た世界に戻れる訳だし、少しは羽を伸ばしたいのだ。

 取ったのは五日の休暇で、言ってしまえば準備日から最終日翌日の休息まで含んでいる。

 初心者を連れて行くにはちょうど良いだろう。


「日常分野での優先権はカティア、何かあったらプリドゥエンが指揮を取って対処してくれ」

『分かりました。そういう事が起きないように願います』

「あと、プリドゥエンにしか出来ない、或いは優れている箇所に関しても日常でも指揮権譲渡しなくて良いからな? ややこしいだろうけど、年配者でありながらも自分の下に仕えるってのは──」

『大丈夫ですよ、ご主人様。私とて元軍人でありながら元執事です。”最善を尽くします”とだけ言わせて下さい』

「ん。そ、そっか」


 細かすぎるのか、或いは病的に神経質なのかも知れない。

 まあ、そういった事はだいぶ指摘されてきたし、真面目すぎるとか肩に力が入りすぎてるとか色々言われたけど……。

 俺が心配するでもなくよくやってくれるだろう。

 考えすぎなのだ、落ち着く必要が幾らかある。


「あと何時間?」

『まだまだ。三時間はありますよ』

「寝るには短し、起きてるには長しだよなぁ……」

『もうトーク内容は大丈夫ですか?』

「大丈夫。箇条書きとカンニングペーパーの二つを用意してる。後は場の雰囲気と反応を見て、五つのパターンから内容を選ぶ」

『準備万端、流石ですね』

「何が良いか分からないからな……。ってのが、中隊での宴会でウケが良かった先輩の受け売り」

『宴会芸の手札の多さと一緒にするのですか』

「手札、という点では同じだからなあ。──さて、来客っぽいよな」


 廊下が幾らか賑やかになってきた。

 そして聞き覚えのある声が二つで、俺は「来た来た……」と呆れるしかない。


「申し訳ないが、彼は負傷した身と聞いている。故に変に刺激を与えたくないので、時を改めていただきたいのだが」

「いえいえ、ヘラ様が幾らか様態を見てくれているようで。その事も含めて自国を納得させる材料を見つけなければならないのです」

「しかしだな……」


 しかしだな、じゃねぇよ。

 喧騒を引っ張りながらやってきた二人は、数秒の沈黙を部屋の前で保った。

 それからノックして入室してくるとか、聞こえて無いとでも思っているのだろうか?


「どうも、公爵。それと……お久しぶりですかね? 枢機卿」

「はい。お久しぶりです、ヤクモくん。神に恥じぬ生き方をしていますか?」

「少なくとも、英霊の方々や太陽。それと両親と良心に恥じない生き方はしているつもりです。……すみません、お二方。突然の来訪とは言え、見苦しいサマをお見せしました。事前に一報頂ければ、それなりの歓待を出来たのですが──」

「気にしなくて良いとも。突然押しかけた私の方に問題がある。最も、国を跨いでまでやってきた方も居るようだが」

「ヘラ様がお世話になってますから。それに、仮にも今は彼が生命線を担ってくれています。来る事は以前から予定してはおりましたが、彼に挨拶をと思ったとしても変な話ではないでしょう」


 ……あぁ、うん。面倒くさいのが始まり出した。

 今まではヴィスコンティの勢力で塗りつぶされていたから良かったけど、ユリアだの枢機卿だのと勢力が一色じゃなくなってきている。

 英霊というバランスゲームの重石に連なる俺がヴィスコンティに染まってると思えば、ユニオン国だのフランツ国に介入されれば面白くないのは分かっていた話だ。

 ただ、それは俺の望んだ物じゃないのでため息しか出ない。


「──と、とりあえず落ち着いていただけますかね? 自分はこの後……皆の前に出なければならないので。今ここで賑やかにされると、何を喋って良いのか……」

「あぁ、うむ。そう……だね。すまない」

「悪かったね、ヤクモくん」

「とりあえず、お一人ずつお話を窺うという事で。公爵から聞いても良いですかね?」

「ああ、勿論だとも。君にとって喜ばしいかは分からないが、辺境伯の後押しもあってね。また偉くなる。前回とは違って略式叙任と言う事は無いから、国王陛下の御前で式をする事になる。おめでとうと言いに来たのと……あとは、父親として色々言いに来たんだ」

「……」

「君が何故あの場を取り仕切ったのかは追求しないにしても、学園……というよりも、三人を守ってくれた事に変わりは無い。妻は今にも倒れそうだった、けれどもロビンが全てを教えてくれた事で持ち直した。君には、驚かされながらも重いほどの貸りを作らされている。支払いきれる気がしないよ」

「あぁ、えっと。じゃあ、何処か適当な場所に家か……それか、家を建てる材料と土地をくれればそれで良いです。爵位に関しては根回しや他の貴族の方との交友もしていないままこれ以上登り詰めると災いにしかならないでしょうし。自分は……自分の帰る場所を持ちたいので」

「それで、いいのかい?」

「もちろん、学園を卒業してミラノの騎士としての役を御免にされても追い出されないように配慮してくれれば。税は勿論払います。自分に今必要なのは、自分に帰属する”帰る場所”ですし」


 以前は「お願いや願望」として、家や場所を求めた。

 だからこそ公爵は急ぐべき案件としては取り扱わず、悠長に構えている。

 けれども、今度は逃がさない。

 要求であり、主張である。

 これを突っぱねるには理由や事情が無ければならず、俺のフワフワとしたお願いから一気に処理ランクも上がる訳だ。


「土地と建材……?」

「ええ。マリーにも話をしましたが、錬金術の応用で、材料があればそれで家くらいなら建てられますので。既存の家でなくとも、場所と材料さえあればそこに家くらいは直ぐに建てられます」

「君と言う奴は……。分かった、今年中にはその願いを叶える。舞踏会が終われば来週末にもまた休みが始まる。その時には報告できるようにする、必ずだ」

「ええ、そうしてくれると有り難いです」

「しかし──本当に君は英霊でも何でも無いんだね? 正直な話、英霊と共に戦っているというだけでも私には信じがたい事なんだ」

「彼らが自分へと親身にしてくれたおかげですよ。様々な武芸、技術、体術、魔法を教えてくれるので、それを端から身に付けなきゃいけないので、その信用や信頼を裏切らないようにしていたら……と言うだけのはなしです」

「だとしても、まさかヴァレリオ家の彼らも鍛えるとは思ってなかった。君は……良い噂を聞かなかった彼すら変化に導いている。今彼の父親はここに居ないが、代わりに感謝したい」

「別に、そんな──。彼は教わりたいといって、自分は見返りに美味しい酒を貰ってるだけですから。酒を貰ってるのに求められた物を与えないのは資本主義に反しますので」

「……そうか」


 まだ色々と言いたかった事はあっただろうが、公爵はとりあえずそれで言いたい事を言い終えたのだろう。

 少しだけ意識を改めてから、今度は枢機卿を見た。


「それで、枢機卿はどのようなご用件で?」

「いや。さっきも言ったとおり、ヘラ様に纏わる事で確認をしに来ただけだから。本国じゃ荒れに荒れてて……。ヘラ様が週に一度お声を届けて下さっているのに、それでも納得をしてくれなくてねえ」

「まあ、でしょうね……。彼女を連れ出してしまうような結果になったのは自分の力不足ですから。もっと……頭が巡っていたら、或いは色々知っていたら、もしくは上手く立ち回れていたのなら──神聖フランツから彼女を引き離す事も無かったと思います。それについては幾らでも謝罪しますし……彼女との主従について問題にしているのであれば、力は以前ほどじゃないにしても後少しで姿だけでも以前のように戻れるくらいには回復できるとだけ報告させて下さい。自分が魔法使いとして力量不足な為に魔力の供給が上手くいっておらず、それに関しては申し訳ないと思っています」

「いや、良いんだよ。私も洗脳されていて事態を理解できていなかった口だからね。そのためにアイアス様やロビン様、マリー様やタケル様……それとファム様の力を借りていた事実を曲げてまで追求はしないよ。ただ──学園が休みになったら、一度で良いから国に戻るように言ってくれないかな? やはり、直接ヘラ様が皆の前で色々言ってくれた方が納得するからね。出来れば主従関係も解除してもらいたくはあるが……それは、諦めるとしよう。姿だけ戻されても、力が足りないのであればヘラ様に負担をかけすぎてしまう。そうなるくらいなら、君の後ろめたさと温情を利用して少しでも多く回復してもらいたいし」

「随分……ぶっちゃけましたね」

「いやなに、君を相手に駆け引きをしても仕方が無いだろう? それに、対処を間違えれば国が引っくり返るか、国民が君の所へと殺到して十字架に張り付けられるだけだからね。変に隠し立てするよりは、君も直接的に言われる方が気も楽だろうし」


 と、父親と同じ姿や声をした相手に言われる。

 似たような事は言われたけど、立場が違うからか他人としての色合いが強い言葉だよなぁ……。

 父親に言われたのは「お前は長男だから、色々と家族の事で見て来ただろう? だから変な事を言うよりも、こうやってお願いした方が早いと思ってさ」との事。

 転勤や出張、単身赴任が多かった父親の代わりを幾らか務めてきたからこその言葉だった。


「それと、国王から聖騎士への推薦を預かってる。と言っても、ヘラ様の推薦なのだけどね。君が頷けば半年の訓練と半年の奉公を経てなる事が出来る。そして役目も既にヘラ様のお傍つきと言う事で決まってるんだけどね」

「いつのまに……」

「いやなに、ヘラ様は以前よりよく人目を盗んでは抜け出すことが幾らかあった。それで今回の件に繋がったと考えれば、手綱を握る人物がいた方が良いだろうとの事だよ。これもヘラ様の考えなんだけどね?」

「どんだけ権限持ってるんだよヘラ!?」

「はは、少なくとも英霊であるというだけでヘラ様は王よりも偉いからねえ。とは言え、それを何でも通してしまうと成り立たないから私や国王が居るというだけでね。政なら国王が、宗教的な事や祭事などであれば自分が。ただ、聖騎士になるというのなら厳しい一年かも知れないけど……そう硬くなる事も無いかもしれないね。二度も英霊と共に戦い、ヘラ様の報告が確かなら実力は疑いようが無いわけだし。ヘラ様のお傍付きになれば適度に手綱を引き締めてくれればそれで良いわけだから──ああ、今のはナイショでね?」

「ははは……」


 ヘラ、裏で工作をしていた。

 洗脳されていた時から幾らか回りくどい工作をしていたけれども、洗脳されてなくてもそう言った事をするあたり根っこからそういうのを得意としているのだろう。

 これ、枢機卿から聞いてなかったら「え、国王が俺を?」としか思わなかっただろう。

 実は大分腹黒いのではなかろうか?


「ちなみに、聖騎士ってどれくらい偉いんです?」

「さあ……今私が必死になってその役職を復活させてる所でね? かつては神聖フランツ誕生秘話として、八人の聖騎士が任じられて英霊と共に魔物と戦ったとされてるくらいかなあ。勿論、大分昔に形骸化して任命者ゼロ。ヘラ様の頼みで名誉職として実権はどこまで持たせようか調整中でねぇ……」


 はははと乾いた笑いが漏れ、眼鏡を押し上げるその様子で初めて気がつく。

 枢機卿、本当ならここに来てないで休んでる方が良くないか?

 髪もなんだかボサボサで、クマも少し色濃い。

 目も眼鏡越しではあるが充血しているのが幾らか見え、瞬きの頻度が高い。

 たぶん、本当にヘラの願いを叶える為に滅茶苦茶調整中なのだろう。

 それこそ、反発や反対を押さえ込み、懐柔や説得をし続けて。


「あの、別に無理はしなくて良いですからね? ヘラに関しては彼女なりの考えもあるので、主従契約に関しては自分から切ることは出来ますが、戻るかどうかは彼女の意志に委ねるしか無いので……。それに、今はこちらの公爵の娘さんの身辺警護と言うことで仕事をしてますけど、学園を出たらどうなるかは不明で未定なんで……」

「え?」

「え?」


 ……おいおい、公爵さん?

 何で間の抜けた声を出すんですかね?

 驚いて俺まで間の抜けた声を出してしまったじゃないか。


「いや、卒業で一旦節目に差し掛かるし、あと数年の間で自他の意見も意識も変わるだろうし。ちょっと知見や見識を広げたいとか、かつての遺跡や埋もれた歴史が気になるとか言って飛び出さない可能性も無いと言えないんですけどね?」

「あ──あぁ、そうか。そうだったね。話を少し聞いただけだけど、そういった遺跡とかを探索する術に長けているらしいね、君は」


 いや、別に長けてませんけど?

 単純に新人類と旧人類という枠組みで、自分以外には操作できないテクノロジーが埋まってるってだけですけど?

 どう歪めば俺が”ドレイク家の隠し子”のような人物像になるんだ。

 エル・ドラドの秘宝で散々な目に会い、マルコ・ポーロの消えた船団を追いかけ、砂漠に眠るアトランティスで惑わされ、海賊王の最後の秘宝を見つけなければならない。

 残念ながらデザートイーグルでわき腹を撃たれる事情も、結婚して引退する明るい未来設計も無いのだが。


「あ~、まあ。そんな感じで。ちょっと調べた所、気になることがあったので。ミラノが卒業した所で一区切りとして、そこからはその時にまた決めたいかなぁと。大体、まだ三月経過するかどうかで自分の将来を直ぐに決めるって、流石に思考停止にも程が有るかなと。自分は何処にも属さないからこその自由があると思うので。それに、執事が欲しいって言った人も居ますしね」


 この場を大人しく沈める一言である。

 その言葉を言ったのは公爵夫人であり、公爵もそれを理解していた。

 だから……彼はこの場で何かを言う事は出来ない。

 表向きは功績を投げ捨てる行いであるが、何処にも所属し無いと言う見方も出来るから。


「まあ、お二人ともがそれぞれに自分に身分や地位、待遇を保証してくれるのは助かります。何も持たない自分にとって、それらは自己を証明する手段にも成りますので。ただ、自分は来年の事や……それこそ自分の将来と言う遠い未来の事を今ここで安請合いしたり気軽に返答する事は出来ないので、御厚意にお答えできるかどうかは分かりませんと……それだけは言わせて下さい。後から騙された、裏切られた、散々与えてやったのにと言う展開だけは避けたいので、何かを考えたりしていてもここで再考願います」


 ペコリと頭を下げる。

 自分にはイリーガルな人物、人間関係を甘く見たイリーガル主人公のような真似は出来ない。

 自分だけならどうとでもなるが、カティアとプリドゥエンが居る以上は余計に慎重にならなければならないのだ。

 偉くなる事を疎まれ、自分に頭を垂れない人物を嫌がり、何を考えているか分からないので排除したがり、そんな人物にマウントを取る事で自分が優秀だと思い込みたがる。

 これが人間だ、人間の愚かさと言う奴だ。

 そういう意味で、俺は根回し……言ってしまえば”偉くなるにあたって必要な事柄”が不足していた。

 英霊や功績にぶら下がる事で身分や地位を確立できたとしても、それは遠く無い将来において禍根を残すのだ。


「ヘラのお側付きとして名誉職を復活させて、権限を殆ど持たないとかなら幾らか分かります。けど、自分は政治をしたいと思った事も、偉くなって国王などにお近づきになりたいとも思ってませんので。それくらいなら、何かしらの……そうですね。国内や国外に行くにあたって便利な通行許可だとか、或いは何かあった時に行動を阻害しない程度の入場許可や面会許可、通行許可などをくれれば良いかなぁ……なんて思ったり」

「そういうものでも良いのかい?」

「それでも良いというのなら、私の方も構わないけど」

「お願いします。それと……できればそれを自分だけじゃなくて、あと二名分頂ければ有り難いです」


 二人とはカティアとプリドゥエンの分だ。


「彼女は君の使い魔じゃないのかい?」

「だとしても、自分は束縛も拘束もするつもりは無いので。彼女が遠出したいというのならそれを叶えてやりたいし……最近も色々ありましたから、そういった時に行動制限をされているよりはされてない方がありがたいですし」

「プリドゥエン……彼は、機械生命体じゃないのかな」

「だとしても、中身は……説明は省きますが人間ですので。それに、いつか人の姿を取り戻せるかも知れないので実質人間です。色々と骨を折ってもらって恐縮ですが、そう言った……当人の願望って聞いてはいただけ無いでしょうかね?」


 遠まわしな釘刺しである。

 余り変なマネしてっと嫌な感じにこじれるかもね? と。

 俺が欲しいのではない、安全を手に入れたがっていると考えれば幾らか不快にもなる。

 俺だからじゃない、脅威だからそうしているだけの防衛反応。

 善意など……無い。


「自分は確かに見返りを求めて行ってないですが、だからと言って貴方がたの都合が良い物を押し付けられて純粋に喜べるほどめでたい思考もしてません。……公爵は、この発言の詳細はオルバが既に知ってるのでそちらを。枢機卿も、別に内容事態は秘匿すべき事柄では無いので都合がつけば聞いていただければ」


 そして、オルバと行った先日のやり取りを聞くようにと薦めた。

 隠すべきでもない、自分の所属と行動理念を語ったやり取り。

 南米に生まれ、アメリカンスクールに通い、日本に帰属し、自衛隊に……国防に携わった男の言葉だ。

 それ以上でも、それ以下でも無い。

 価値も無く、ただの主張に過ぎないモノ。


「お互いに意図や目的もあるでしょうが、それは程々に願いたいです。あぁ、あと……公爵はミラノから五つの自由と言う物を聞いておいてください。自分なりに纏めたものを彼女に渡してますので」

「あぁ、分かった」

「それじゃあ、今夜を楽しみにしているよ。ヤクモくん」


 ……え、俺への用事ってそんだけ?

 枢機卿が行くというから自由にさせない為だけに来たような、そんなあっさりした感じだった。

 二人が牽制しあって退散するとか、なんだよこのイベント……。

 ただ、少しばかり考える。

 オルバ、枢機卿、ユリア……間接的ではあるが公爵夫人も関わっている。

 こうなると後世における自分の家族に瓜二つ連中全員がほぼ関わってるとも言えるのか、今舞踏会は。

 ユリアもなんだか「いくいく~」と言っていたし、公爵夫人もあとで公爵から聞くのだろう。

 ……参観かなにかかな?

 

 ため息を吐いているとまた来客だった。

 千客万来にも程がある、少しは落ち着かせて欲しいものだなと呆れながら扉を開けにいった。


「どうもです」

「アリアか……」

「あやや、なんだか歓迎されて無いみたいですね」

「引っ切り無しに色んな人が来てね。落ち着く暇が無いからさ」

「あ~……じゃあ、お邪魔したら悪い感じですかね」

「いや、いいよ。もうここまできたら破れかぶれだ。変に間を置くより、いっその事誰かと話をして時間を潰した方がマシだ」

「じゃあ、お邪魔しますね」


 ……アリアが、幾らか砕けてくれたような気がする。

 以前までのような他人行儀だとか、変に丁寧な態度じゃなくなっている。

 そういや、この前ドヤ顔でミラノとアリアの違いを指摘したけど『ミラノをどちらが演じているか』の違いでしかないんだよな。

 これ、ミラノが”アリア”を演じていた場合はどう違うんだ?


「あ、あの。そんなに怖い顔されても困るんですけど」

「ミラノじゃないよな? よく考えたら、ミラノを演じてるのがどっちか分かっても、アリアを演じてるのがどっちか分からないんだよ」

「あ~、確かに……」

「で、どっち?」

「見て分かりませんか?」

「分かってたらこんなにマジマジと見つめてない」


 少しばかり彼女を見つめていたが、素直に降参しておく。


「……俺には両親のような目は無いみたいだな」

「大丈夫ですよ、兄さんも気付かないですし。この前の話をしたら『えぇ、入れ替わったりしてたの!?』って驚かれましたから」

「クラインは五年の空白があるから許してやれって。あいつは……二人とも妹だと思っては居ても、二人と一緒の時間こそ少なかったんだからさ」


 そう言ってから数秒して、俺は彼女の首から上しか意識をやっていなかったことに気がついた。

 顔が認識できないのと、顔を認識しようとしてそれ以外が判別できないというのは重症に過ぎる。

 脳のエラーだとか、精神障害だとか、記憶領域のバグだとか色々言われたが……。

 思考ルーチンからの乖離、他人への興味の希薄化、精神疾患による隔絶、他者への不信と二面性によるそれらを悟らせない思考。

 ……俺は、途中から壊れていた。


「そういや……その服装──舞踏会用の?」

「あぁ、よかった。無視してるのかと思っちゃいました」

「どっちなのか気になったからさ。中身が違うのに変な事を言ったら大変……だろ?」

「まあ、そうですね。けど安心して下さい。姉さんは部屋でカティアちゃんと一緒に準備をしてます。二人とも、着飾るのは苦手みたいで」

「アリアは苦手じゃないんだ」

「そうなんです。私は姉さんとは違うんですよ? な~んて……本当はヘラ様に手伝っていただきましたが」


 どうです、似合いますかね?

 そう言って彼女はドレスを恥ずかしそうに摘んで見せた。

 脳でイメージを無理やり結合し、接合し、首から上の情報と首から下の情報で”今の彼女”を知覚した。

 気分が悪い、気持ちが悪い。

 まるで他人の脳を同時に住まわせていて、無理やり自分に詰め込んでいるようなチグハグさがする。

 だから……俺は他人と関わりたくない。

 関わりたいのに、関われない。

 関われないのに、関わっていたいという矛盾。

 餓えているのに、食べれば弱りきった胃が消化中に毒物に変換して死ぬような……出来損ないが俺なのだから。


「……似合ってるよ」

「むぅ……兄さんと同じ顔、同じ言い方をされてもなんだかな~って感じがします」

「しっ、仕方が無いだろ? 生まれと育ちが違うだけのほぼ同一人物みたいなものなんだから……」

「そうじゃなくて。兄さんと同じ反応を見せられても……ですね?」

「どうしろって言うんだ……」

「もうちょっと言い方というか、適した返し方があるんじゃ無いですか?」

「──可愛いよとか、アリアのふん……いや、双子と言う事で揃えてるのか? もしかするとミラノも同じような装飾をして……」


 目の前のアリアの出で立ちはあまり飾りすぎては居ないが、色彩が豊かでそれだけで良い。

 幾らかのヒラヒラとした……なんだっけ、バッスル? バッケル? バッカス……?

 とにかく、そう言った模様が色とかみ合って可憐である。

 それと……見覚えのある花で髪を飾っていて、それもまた似合っている。


「マリー……ゴールド?」

「花の事は分かるんですね」

「マーガレットが育ててるし、母親も似たような事をしてて幾らかね。けど、凄いな……。この時期になると寒さから枯れちゃうのに」

「母が魔法で大事に育ててくれてるんです。季節外れでも、毎年送ってくれて……。慈しみだとか、そういう意味があるそうです」

「……そっか」


 頭の中で、花言葉を引っ張り出す。

 信頼、勇者、悪を挫く、生命の輝き、変わらぬ愛、濃厚な愛情……。

 母親から二人に贈る花としては、これ以上とない意味を持つだろう。

 ただ、悲しみと絶望、嫉妬と言う意味もあるのだが……。

 マリーゴールドと嫉妬……。

 マリーと、ヘラ。

 なんだか、そこであの二人が出るのかと少し笑ってしまう。

 そういや、ヘラって嫉妬に関連する神様の名前でもあったような気がする。

 幾らかおぼろげな記憶ではあるが……。


「今日は……宜しく。それと、頑張りなよ」

「頑張るって、何をです?」

「舞踏会って、つまりは社交の場だろ? そこを支配する奴は、少なくとも他の生徒に大きな顔をさせずに済む。それに……」

「それに?」

「一年から六年までの知らない生徒よりも、自分の身近に居る子が場を支配してくれる方が嬉しいかな?」

「ヤクモさんはカティアちゃんが一番だとか言ってたと聞きましたが」

「カティアはカティア、アリアはアリア……ミラノはミラノでそれぞれが知らない誰か《モブキャラ》をぶっちぎってくれれば良い。カティアにはカティアの、アリアにはアリアの、ミラノにはミラノの良さがある。優柔不断で悪いけどね」


 初手降参は重要である。

 俺には政治は分からないし外交も分からない。

 そもそも吊るし上げられた親友も居なければ直訴する王も居ないので、くたばっておくだけ話は早い。

 変にああだこうだというよりは、最初から優柔不断でダレが一番とか決められないと言っておけば済むのだ。


「ほんっと、優柔不断さんですね」


 だからこそ、上手くいくときもある。

 彼女は苦笑してはいたが、それでも仕方が無いなと受け入れてくれたのだろう。

 あり難い限りだ。


「踊り、大丈夫そうですか?」

「この前ミラノやマーガレットにも聞いたし、実際にどんな様子か合わせてもらったから大丈夫そうかな。足を踏むとか、あらぬ方向へすっ飛んでいくという

マネだけはしないですみそうだし」

「けど、片腕が──」

「踊る時だけ少しばかり腕を解放するよ。両手を使わないと流石にさ……」

「大丈夫なんですか?」

「流石に無理は出来ないけど、多少なら動かせるかな。手も動かせるし」


 実際には、肘関節と前腕が痛んだり痺れてるくらいでそれ以外には支障は無い。

 ただ、文字通り『無理は出来ない』ので、踊る以上の事をしたら支障を来すだろう。


「いえ、そのままで良いですよ。本来なら誘導は男性に任せるべきですけど、今回は特別です」

「ホントに? あとで気がついたら不甲斐無いとか、男としての役割を果たして無いとか言われない?」

「そもそも、腕が動かないのは戦った時の怪我……しかも、マリー様を庇っての怪我ですよね? 名誉の負傷……という言い方は好きじゃないですけど、理由を無視して嘲ると言うのは好きじゃないので」

「……そっか」

「その、”そっか”というのもなんだか引っ掛かりを覚えますが……まあ、よしとしましょう」


 そう言って彼女は、俺が”似合ってる”とか”可愛い”と言った服を見せびらかし、見せ付けるようにその手で揺らしたりその場で回ったりする。

 あぁ、本当に……貧困な語彙力じゃ表現しきれない。


「そういえば、マーガレットさんとは踊らないんですか?」

「マーガレットは見てるほうが良いって。声をかけてくれただけでも嬉しいですって言われたよ」

「ふむふむ。一応声はかけたんですね、偉いです」

「年に一度有るかどうかの場なんだし、聞いておくに越した事は無いしね。それに、ミラノたちと関わる事が多いから……少しは、こういった機会にでも触れ合わないと──宜しくない」

「義理硬い……つもりですか?」

「俺は──マーガレットに対する返事を卒業までに先延ばししてるからなあ。否定するほど強くなかった、けれども肯定してやるほどバカでもいられなかった。罪滅ぼしとも言えるし、ただの自己満足とも言える」

「そうやって、二年を過ごす訳ですか?」

「決を卒業までとして、前倒しは大いにありえるとだけ。……分かってるよ、早く決めなきゃいけないってのも。けどさ──初めて、なんだよ。誰かに認められるのも、誰かに好意を向けられるのも。彼女が一足先にたどり着いてしまった好意に至る道を歩きたいってのは、そう傲慢な願いなんだろうか」


 相手の事を良く知らないから、あるいはもっと知りたいから時間が欲しい……。

 そんな……願いすら、許されないのだろうか?


「……あぁ、そっか。ヤクモさんの居た場所では、恋愛婚だったんですね」

「あぁ、そっか。アリアたちは……」

「ええ、恋愛婚よりも家の事情が優先されますので。政略結婚というのでしょうか。家や国の都合が優先される、私たち女性はその為の”道具”……という見方もありますし」

「はっ、バカ言え──って、言ってやれないもんな」


 俺は余りにも無力すぎた、俺は英雄だとか勝手に言われながらも社会に一波乱を投げかけるほどの力も無かった。

 俺の持つ常識が、この世界における常識とは限らない。

 俺が気に入らないからとなにかしたところで、それが彼女たちを苦しめるだけになるかもしれないのだから。


「──公爵と、公爵夫人の関係って……どうだったっけ」

「傷ついた父を母が助けた所から馴れ初めが始まったと聞いてますが、詳しくは」


 となると、兄貴と後継者争いをした時の話だろうな。

 その時に救われて、今に繋がっているのかも知れない。

 聞いた気もしたけど、覚えていない。


「厭だなぁ……」

「イヤ、ですか」

「卒業して、幾らか親しくなったとは言え……アリアやミラノが誰かの所に嫁いで行くのが。今のように気安く出来なくなる──誰かのモノになってしまう、自分の世界から居なくなる。それが堪らなく厭だ」

「我侭ですねえ」

「我侭、言いたくもなるさ。何も手に入れることが出来なかった、失うばかりで傷ばかりついてきた人生の中でほんの僅かに手にしているものを大事にしたくなるのも、それをせめて失いたくないと固執するのは間違いだとは思わない」


 有名な引用をするのなら「ただの一度も敗走は無く、ただの一度も勝利も無し」と言うことだ。

 理想、任務、目標を達成する事は義務であり責務である。

 それが達せられるという事は何かを得る為ではなく、何かを失わない為の行動でしかない。

 失わないと言う事を得たという哲学的な話も出来るだろうが、それはマイナスに成りえた未来をゼロにしただけなのだ。


「……ヤクモさん、ちょっと踊りませんか?」

「え、今? ここで?」

「私も、誰かと踊るのは初めてなんです。姉さんも実は初めてでして、ちょっと練習したいと思いません?」

「唐突過ぎません? というか、今踊ったらアリアが汗をかくんじゃ……」

「練習は練習、ですよ。それに、そこまでやるつもりじゃないですし、片腕が塞がってる状態だとどうなるかを知っておきたいですから」


 なる、ほど?

 一応筋は通っているし、断る理由も無い。

 痛む腕も使う予定だったけれども、使わないで踊る場合もちゃんと覚えておいた方が良さそうだ。


「踊る時の作法は知ってますか?」

「背中……腰だったかな。そこらへんに腕を回して、先導してやれば良いんだっけ?」

「ちなみに、何種類踊れるんです?」

「タンゴ・ワルツ・ルンバ・サンバ……の、四種?」

「どれも聞いた事が無いですね……」

「け、けど。ミラノが見せてくれたお手本はワルツって奴の……スローテンポバージョンだってのは分かってるから、対応可能だ」

「それもヤクモさんのお父さんの?」

「うん、仕事の関係でだねぇ。……くっそ、今思えば一度思いっきり笑われて悔しい思いをしたんだ。滅茶苦茶頑張ったのに次からはもう来ないし、何のために頑張ったのか理解できねえ……」


 失敗をバネにしろと偉い人は言うが、俺の場合はバネどころか地雷だ。

 思い切り痛い目を見て、結果として跳躍はするものの何の成果も得られずに叩き付けられる。

 本来であれば総評が行われるべき歩みが、悉く”総評自体の取りやめ”で終わらされているのだ。

 そんなの、納得できるか……。


「けどけど、今回はこうやって役に立つじゃないですか。姉さんや私に恥をかかせずに済みますし」

「確かに」

「ささ、少しばかり踊ってみましょうか」


 そういわれて、彼女はお尻……ではなく、背中を俺に差し出す。

 ここでお尻を撫でたらギャグになってくれないだろうかと、偽悪的な自分が出てきそうになる。

 だが、諦めて真面目を演じる事にした。


「背中に回している手で、どう回りたいかを指示して下さい。ここで失敗すると間が開きすぎたり、逆にお互いにぶつかり合ったり足を踏んだりと悲惨な目にあいますから」

「そこらへんは大丈夫。親の教育が良かったからかな、まだ覚えてるもんだ」

「それじゃイチ、ニ……イチ、ニと言った感じで足を動かしていきましょうか」


 俺はアリアに言われ、少しばかり早い舞踏会……の、予行演習へと入っていった。




 ── ☆ ──


 ヤクモさんは自信が無いと良いながら、親の教育が良かったと言って否定はしなかった。

 そして言葉や態度の通り、ヤクモさんは出来る限りの事をしてくれる。

 イチ、ニ……。

 ゆったりと、漂うような社交舞踏。

 決して無理やりに誘導はせず、けれども僅かに背中に回される手が先導をしてくれる。

 本来なら寄せられるはずの身体の間には、吊られた腕が邪魔をしているのが幾らか悔しい。


「ヤクモさん、中々どうして。やるじゃないですか」

「はは、そう?」


 普段であれば漏れている独り言も、誰かと一緒の時は静かだ。

 試行錯誤と思考の洪水、それらから紡ぎ出される混乱の言葉が一切出ない。

 それは、相手を不安にさせない為にと意識的に……もしくは、無意識にしている事なのかもしれない。

 

 背中に添えられた手が、兄さんのとは違うんだなって思った。

 兄さんの手は柔らかくてスラリとしている。

 けれども、ヤクモさんの手は薄い衣装越しに感じてみると以外に硬い。

 鍛えたらこうなるのかな? 兄さんもこうなるのかな?

 それは実際にこれから兄さんがどうなっていくかで分かっていくと思う。


 ただ、この手の硬さは傷だらけの硬さなんだと思う。

 お屋敷や学園に居る兵士のように、その手は硬く馴らされている。

 この手で、沢山の人が救われて来たんだ。

 姉さんが、私が、アルバートくんが、グリムちゃんが。

 マリー様が、ヘラ様が、アイアス様が、ロビン様が。


 それでも『何も手に入らなかった』と言う。

 今日も勝てなかった、誰にも勝てなかったと嘯いて眠る。

 それは違うよと言いたかったけれども、多分彼の手に入れたいものは今の私には分からないものなんだと思う。

 あるいは、度々出て来る『家族』だとか『両親』なのかも知れないけど……それは、もう二度と叶わない。

 

「上手いですね」

「ただ、左手が使えない分……厄介だな。何か──不都合とか無い?」

「いえ、特には無いですよ?」

「そっか……。身長差というか、足の長さの問題もあるし、歩幅も意識はしてるけど移動が辛かったり、少し早いと思ったら言って欲しいかな。それは俺が合わせないと」

「いえいえ、ちょうど良いくらいですよ~?」


 ちょうど良い、それくらいになるまでヤクモさんは結構意識してくれている。

 足を動かす速度やその歩幅もそうだけれども、戦いでの活躍を感じさせないくらいに丁寧な踊りだった。

 ゆっくり、ゆったりと。

 まるでたゆたうように、ふわりふわりと静と動の狭間を行き来し続けて。

 日常と、非日常を行き来して。


「下手な生徒よりは良いんじゃないですか? 足を踏んだり、滅茶苦茶な踊りを披露せずに済みそうですし」

「下を見てもなあ……。それに、出来ない連中だって好きで出来ない訳じゃなくて、恥だとか羞恥心とかを切り離した環境で同じように学べれば出来るようになる筈だろうし」

「それは持論ですか?」

「モチロン」

「うわぁ……流石に今のは庇えませんね」

「たまには軽口や冗談くらい言わないとって思ったけど、ダメかぁ……」

「冗談を言う才能は無かった見たいですね」


 悪かったなと、彼は少しばかり不貞腐れる。

 けれども、それですら演技だと分かってしまう。

 場を持たせようとして何かを言おうとして、けれども先ほどまでの重い空気を壊すには馬鹿なまねをするしかなくて。

 分かっていても、それに乗っかることしか出来ない。

 私たちには、ヤクモさんに踏み込んだとしても避けられてしまう事が分かっている。

 英霊でもダメで、マーガレットさんでもダメで。

 

 それでも、一つだけ望みが有るとしたら……それは『帰る場所』という言葉を有り難がってくれている事。

 踏み込む事は出来ずとも、ヤクモさんの方からカチリと私達に繋がり……というよりも、作られた引っ掛かり。

 それを大事にしていけたなら、繋がりを深く出来たのならどれだけ良いだろうか。

 

 沢山の本を読んできた、沢山の物語があった。

 物語の中に登場する男性は、ウケが良さそうな人物が多い。

 評価されるされないに関わらず、大体の主人公は秀でた人物が多い。

 何でも出来て、誰にでも好かれて、どんな困難を前にしても最終的には上手くいって、褒めそやされる。

 財宝、身分、地位、栄誉、伴侶……。

 最後には必ず幸せな幕引きが存在する。

 

 けれどもヤクモさんには、幸せな幕引きが訪れない。

 それは本人が望んでいないからか、それとも……まだ物語が終わっていないからか。

 また傷つくのだろうか、まだ傷つくのだろうか?

 戦い以外でヤクモさんの物語は描かれたりはしないのだろうか?

 それはちょっと、寂しいなって。


「──さて、これくらいにしましょうか。私もこれ以上続けたら汗をかいてしまいますし、お色直しをするのも手間なので」

「ん、了解」


 そしてヤクモさんは気がつかない。

 やれやれと言いながら、メモ帳なるものでまた直ぐに知識や情報をまとめ始めるから。

 責任と義務がなによりも優先されるから、私情は挟まれない。

 踊りの練習をするという”任務”に、相手の感情は含まれないのだから。


 たとえ私がドキドキしていても、たとえ私が普段よりも早い内に汗を少しかきはじめても気付かない。

 たとえ私が普段と違う化粧をしても、たとえ私が顔を赤らめていても……気付かない。


「それじゃあ、本番が楽しみですね。姉さんの後ですが……その時は、宜しくお願いします」

「今の感覚を忘れないようにはするけど、たとえ本番でも囁いてくれれば調整するから。どうせ周囲の連中には聞こえないだろうし、舞踏会という場面なら誤魔化せる」

「それじゃあ、まるで良い雰囲気みたいですね」


 その言葉に、彼は直ぐに返事が出来ない。

 彼は、踏み込まれると思考に詰まる。

 肯定でも否定でも無い、ただただ困惑するのが悲しかった。


「そ、うかな? 舞踏会なんだし、あんまり気にしないだろ」

「そうでしょうか? 舞踏会にはこんな話があるんですけど」


 だから、ほんの少しだけヤクモさんを呪う事にした。

 何も想わず、何も感じない人形じゃなくて……人間であって欲しかったから。


「一緒に踊ったら結ばれるって、そんなの迷信だろ?」


 だから、何処までも合理的な人でも楔くらいは打ち込める。

 噂を噂として単独に出来てしまうから、そうじゃなくしてしまえば良いという私の考え。

 噂は噂でしかない、それを意識するから事実になるのだという……普段のような受け答え。

 それでも、私にとっても……後には引けない一歩を踏み出すしかない。


「噂を意識してるのが、他の生徒だけという事は無いんじゃないですか?」

「え?」

「私は……少なくとも、ヤクモさんと踊りたいな~って思ってます。それが今日だけなのか、それともこれからもずっとなのかは別にしても──」


 誰かが、生とは踊りのようなものだと言っていた。

 時に激しく、時に穏やかに、時に佇み、時に飛ぶ。

 それは誰かに見せる為でも有るかも知れないけれど、自分の思いや感情を表現するのに適していると思った行動を取るのだと言う。

 時には誰かと寄り添い、時には一人で。

 広すぎる舞台を埋めようとすれば大きく動かなきゃいけないけれども、誰かと一緒ならそれは半分で済む。

 人生という舞台は、一人で踊るには少しばかり広すぎるかな。


「噂を抜きにしても、伝説だとか言い伝えとか無しにしても……。私は、ずっと一緒に居られたら良いなって思ってますから」


 そう、これは呪い。

 本来なら見向きもしなかったモノに、無視できない脅威を盛り込んで意識させるのだから。

 私はあの子みたいに強くも無いし、前を向いて生きられない。

 ならせめて……悪意の無い呪縛の一つくらいは多めに見て欲しいかなって──。


「アリア……?」


 そう、思いました。

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