136話
仲間の家に行くと、先に始めていた連中がこちらに気がつく。
ゲームに勤しむ奴も居れば、おやつを食いながら漫画を読み漁る奴も居る。
そんな連中が、俺たちが到着するとこちらを見て挨拶してくれる。
「よう、遅かったじゃん!」
「先に始めてるよ~」
「あ、あぁ……」
「ほら、上がろうぜ」
背中を押され、俺は秀雄の家に上がった。
高坂も一緒に上がり、そして力弥の読んでいる漫画を「あ、それ俺が読むはずだったのに!」と喚いている。
「いらっしゃい、よく来たね。ほら、ゆっくりしていきな」
「おじゃま、します」
「中間試験前だから元気が無いのかな? ほら、おばさんのパイでも食べて元気を出しな」
秀雄の母さんがエプロン姿でやって来た俺を出迎えてくれる。
そうだ、そういや……こういう母親だったな。
旦那さんが貿易関係で家を良く空けて、若い頃は色々な国を転々としてたとか。
そのおかげでハーフの俺でも理解されたし、居心地が良かった。
家に上がり、床に座り込んでお菓子を口に放り込む。
味がする、懐かしい味だ。
今は販売終了してしまったチョコレートスナックで、俺の好きなお菓子だった。
傍に積み重ねられた漫画を手に取る。
とある魔術の禁書目録漫画版、真月譚月姫、舞-HIME……。
ゼロの使い魔、皇国の守護者、キャンバス2。
日本に来て、俺が薦められた懐かしいものばかりだ。
「大地。ほら、モンハン持ってきたんでしょ? 充電は足りてる?」
「あ、うん。足りてる……みたいだ」
「それじゃ、部屋立ててよ。ルーム4、縁起の悪い僕らの数字だ」
「……そうだっけ」
「大地が来るまでは、僕らは四人でオタクだったからね。僕らは純粋な日本人だけど、大地は違う。オタクと言う人種じゃなくて、オタクと言う属性に見られるようになるまで僕らの扱いは良くなかったからね」
「そうじゃなくても、デブ、早口で専門知識、糸目や眼鏡とそれっぽいのが揃ってるから、今まで俺達がそれを使ってて、大地がそれに乗っかったんだろ?」
「だったかな……よく、覚えてない」
「まあ、大地は意識しないからな。公平で、平等で、善の下で訳隔てなく誰とも接する。それが有り難いっちゃ有り難いけどな」
言われてから、そういえば俺が日本に来た時はまだオタクの偏見が残っていた時代だったなと思い出す。
ニコニコ動画、youtube、コミケ……。
そこから徐々にオタクの一般化が始まって、オタクもライトオタクとヘビーオタクに分かれて行ったんだっけ。
帰国子女校とは言え、そこら変の偏見や差別は幾らか残っていた。
「……良い事をした記憶なんて、無いよ」
「そりゃそうだ。お前は意識せずにそう在るだけだからな。アナタの為です、私は差別しません~なんて奴はヘドが出るね」
「そういうのってさ、差別じゃなくて逆差別になるんだよね。徹底して痛めつけても良い弱者と、救われなきゃいけないくらいの弱者という認識に違いはあんまり無いもん。アメリカに居た事が有るけど、そういう”特別扱い”ってのも居心地が悪いよ」
「そういう、ものか……」
「ん」
「そうだよ」
よく、分からない。
林檎のパイが焼き立てで、湯気をホクホクとあげている。
ナイフで切れ目を入れると、そこからトロリとシロップが溢れてくる。
良い香りで、小麦の焼けるおいしそうな匂いは空腹を誘う。
「食べなよ、美味しいよ?」
「まさか、また”食べるのがもったいない”とか言わないよな?」
「あ、あぁ……」
俺はパイを食べる。
美味しい林檎の味がした。 ──肉の味がした──
シロップは甘く、舌を楽しませてくれる。──血の味が、口の中に広がる──
皆は、俺が美味しそうに食べるのを見ていた。
「……そういや、鉄也先生が大地に怒ってたな。珍しいよ、悪いことをしてないのに怒るなんて」
「あれは……うん、そうだ。あれは、俺が悪かったんだ。柔道の授業中、不真面目だったから」
「不真面目だった? 珍しいね」
「だって、帯を取れとか言われるし、そのために技を教えてくれるのは良いけどかけられる人に悪いと思って……」
「それで、何て怒られたの?」
「技をかけられてる人は、帯の色が違う意味と理由をもってる。お前はその先輩を馬鹿にするのか~って、怒られた。けど、……俺は、そうだなって思った」
「真面目だねぇ。聞き流せば良いのに」
「帯の色が違うって事は、先輩で、経験者で、認められた人であると共に、後進を育てる為なんだって。だから、俺が申し訳ないとか悪いって思いながら手を抜くと、それこそが侮辱なんだって言われたよ」
「軍隊かな? てか、戦前思想じゃねぇか!」
そう言いながらも、高坂は狩りを進める。
俺も画面内でキャラクターを操作しながら、まだ幾らか火力不足な片手剣を操っていた。
「けど、その言い分が本当だとしたらさ、俺は恵まれてるんだなって思った。だって、思いっきりやって、それが間違ってれば叱ってくれるし、それがあってれば更に練習で上手くなるように見てくれるって訳だし。俺は……今喋ってる日本語も、変じゃないかで心配だよ」
「大丈夫、Fuck'n Japaneseよりは喋れてる。お前より上に居る連中より、舌に居る連中の方が多いだろ。試験の結果、張り出されてるの知ってるだろ?」
「……ああ、まあ」
「お前はもうちょっと、自信と自身を持ったほうが良い。いつも勉強勉強、新しい事を学ぶ事と間違ってないかを毎日毎日気にして、俺だったら息が詰まるね」
「テレビを見てみなよ。それから新聞とネット。テレビと新聞は自分たちが正しい事を言ってるフリをして、本当は自分たちが無法者の集まりだって事を自覚してない。それか隠してるのかも? 尖閣の件だって、政治家は『コツンとぶつかっただけ』とか言ってるんだよ? アメリカだったら銃撃を浴びて沈んでてもおかしくないね」
「二人とも、激しいね……」
「お前「君」が大人しすぎるんだ」
二人から突っ込みを入れられる。
そして据え置き機で遊んでいる二人は、強力プレイで大分煮詰まっているのか話しかける余裕が無い。
あるいは、話しかけると余計に悪い結果になりそうな気がした。
「大地。優しかったり善人ぶるのも良いけど、それじゃ大人になった時にやってけないぞ」
「なんで未だ学生の俺達が大人の事を判った風に語れるのさ」
「いや、僕もそう思うよ。自分自身を強く持たない善人は利用されるよ? 目的の無い学習は終わりもないし溺れるのと同じだよ!」
「秀雄。そう言って勉強しないで試験毎に泣いてるだろ」
「ぼっ、僕の価値は僕自身がよく知ってる! 学校と教育システムに僕にあってないだけさ! 見てろよ……この前は上手くやろうとして失敗しただけなんだ、今度は上手くやれる」
「通信の授業のパソコンからハッキングかけて試験の内容を盗み出そうとするのはお前だけ出し、法の枠組みに囚われろ!」
あぁ、楽しいな。
溺れていた俺を救い上げてくれたのはこいつら仲間だった。
上下左右も分からない宙ぶらりんの中で、せめて自分がどっちを向いてるか位分かるようにしてくれたのは彼らだった。
認められたい、弟や妹に負けて居ないと、優しいだけが取り柄じゃないといわせたい。
けれども、時間に対して学習できる事が少なすぎる。
だから、彼らは言った。
自分が何をしたくて、そのために何が必要なのかを見極めろと。
何でもかんでも吸収していたら老人になる、そうなるくらいなら多少見切りを付けろと教えてくれた。
試験が近づくたびに吐き気を催して、小テストで100点を取れなかっただけでトイレで吐いていた自分が楽になったのも彼らのおかげだ。
「大地。手が止まってるぞ? ゲームをしながらパイを食うのは、そんなに難しいか?」
「お尻を搔くのと同じ要領で、暇を見て口に放り込めば良いんだよ! んで、間に合わなかったら胡坐の上に置くとかさ!」
「食べろよ」
「食べなよ」
「食べるよ」
パイを食べる。美味しい。
パイを食べる、おいしい。
果実をたべる、オイシイ……。
おいしい? おいしくない……。
「大地」
「大地?」
「ダイちゃん!」
誰かの声が混ざる。
そして、ミキミキメリメリと何かが引き剥がされていく。
痛い。とても、痛い。
「放せ! 放せぇぇぇえええええッ!!!!!」
気がつくと、俺は秀雄の家に居なかった。
居たのは鉄錆びの匂いが漂う空間で、視界が開けた時には樹と同化しかけていた。
口の中に管のようなものが入り込んでいて、それを自由になった腕で引き抜くととても甘い匂いと鉄錆びのにおいが混じる。
そして、幾らか腹が満たされているのを理解すると、吐き気が催してきた。
周囲には果実を食った成れの果てのゾンビが居るが、なぜか何もしてこない。
林檎の樹は俺を放すまいとしては居たが、俺が意識を取り戻すとスンナリと解放する。
トウカに引きずられて霧とゾンビと林檎の樹のある部屋から出ると、俺は腕につけていた機械で扉を閉鎖する。
……錯覚でなければ、ゾンビたちは寂しそうに俺を見ていた。
そして、林檎の樹が果実をつける瞬間を目にして、それが心臓とほぼほぼ変わらない上に脈動までしているのを見てしまう。
ヘラが……そういえば、魔力を回復する素材として、使っていた果実に似ている……。
「おごぉぉおおおッ……」
安堵し、咽るほどの血の味に吐き気を催した。
吐き出すと、胃の中には血と人肉のような果実の実しか入っていない。
それらを全て吐き出してから、無性に泣きたくなった。
泣きたくなったなんて所じゃない、泣いてしまった。
「なんで俺ばっかりこんな目に……。幸せな夢から、凄惨な現実にもどすんじゃねぇよぉ……」
「大丈夫……?」
「大丈夫じゃねぇよ、つれぇよ……。これ、これ全部昔の人が生きたいって願った末路なんだぜ? 俺も生きたいって思って、同調して、引きずり込まれたんだ」
吐き終え、泣き言を吐いてから自分が居た部屋が何だったのかを確認する。
真実の霧とか書かれていて、その概要はこうだ。
『その人にとっての真実を映し出し、それが欲に塗れている場合命を失う』
なんだそれ、俺はそれでコンボ食らってたのか。
霧に魅了されて、ゾンビを友人に錯覚して独り言を呟き、樹の養分にされかけた。
『ご主人様、大丈夫で御座いますか?』
「ここは……だめだ。このエリアはガスで黙らせよう。封鎖して、ここは発見しなかった事にしよう」
「な、何を見たの?」
「何を見たかって? 人の醜さだよ」
『とりあえず、ここを離れましょう。狂気の元に肯定された正気で満ちた世界です。こんなの、ありえません……。一刻も早く離れ、休息を取りましょう』
「あぁ……」
「立てる?」
「……手だけ貸してくれ」
「ういうい。んしょっと」
片手を差し出し、トウカが俺の手を握る。
引き起こされるだろうと思ったが、彼女の片手と片腕が俺をブランと持ち上げぶら下げていた。
俺は手首が変な方角に曲がり、その痛みでとりあえず忘れられた。
『狂気の区画を除けば安全なものですね』
「まあ、物資は大量にあるからなあ……」
『私の隷下であるロボットたちをこちらに送りますか? 少なくとも、何か有った際の拠点には出来ますし、適応しやすいです』
「……まあ、放置したらどうなるか分からないし。監視の意味を込めて見ておかないと拙いよな」
俺は監督権限であの裏研究区画を全て封鎖した。
不思議な事に、あの階層を抜け出すと気分の悪さがなくなった。
たぶんどこかで管理漏れが発生して霧が充満していたのだろう。
気密状態で保持して、忘れられた区画にするしかない。
ただ、開けてしまった物は開けなかった事には出来ない。
真空パックされたものを再度口を閉じたとして、賞味期限も消費期限も早まるように。
「ダイちゃん。ここは、分かるの?」
「遠い昔、プリドゥエンとかが人類の補佐として作られた時代のもので。ここは、人類が地上に出られなかったときに生活してた施設だよ。あの……狂った区画で、生き残っていた連中が全員息絶えた。今は当時の最期の命令を律儀に果たし続ける機械だけが、ここを一定に保っている状態だ」
「何でそんな事が分かるの? 色々な模様とか有るけど、私には何にも分からないよ」
「プリドゥエンと俺はそれが字だと分かって読めたから、そのおかげで全部読み解けたんだ。んで、俺は……おれ、は──」
クラリと眩暈がして、倒れかける。
トウカが俺を支え、居住区画にまで連れて行くとベッドに寝かせてくれた。
プリドゥエンがベッドの機能を操作して、リラックスとリクライニング機能を付けてくれる。
アロマセラピーのように、落ち着く匂いが僅かに漂ってくる。
懐かしい香りだ。
「トウカ。ここは、ダメだ。何も見なかった、何も無かった。それで良いよな?」
「勘だけど、嫌な感じがするから賛成。……とりあえず休んでなよ。食べ物とか出してくれれば料理するしさ」
『いえ、トウカ様は傍に居て下さい。ここは、私のホームグラウンド、我が庭です。勝手を知った器具が沢山ありますから、料理はお任せください』
「え、でも……」
『私には肌も無ければ、温もりも御座いません。こういった時に必要なのは、人肌、人の温もりかと存じ上げます。それに、ご主人様は幾らか精神的衝撃を受けているご様子。私は幾らか離れたほうが良いかと』
「いや、そんな事は──」
『トウカ様。もしご主人様が正気ではなくなった時、或いは意識が無くなるような兆候を感じたらこれを。蓋を外して、胸に叩きつけて下さい』
そう言ってプリドゥエンは倉庫で見かけた医薬品を彼女に渡すと『滋養強壮なものをお持ちします』と言って去っていく。
そして、俺たちは二人きりになった。
「けどさ、すごいね。火を使わないで軽くなるし、寝床もさ~気持ち良さそうだし」
「凄いだろ? 俺たちの世界じゃ……だいたい、こんな感じだった」
「ダイちゃんは過去の人なの?」
「たぶん、ここに居た人たちよりももっと過去の人。俺にとってこの世界は過去のようで……、実際は未来で。俺にも……よくわからない。気がついたら世界が崩壊して、再構築されて、魔法があるとか訳がわかんねえ。別に知ってる相手でも無いし、誰がここに居たのかすら知らないけど、なんだか物悲しいのは勝手かな」
「……同族だから、とかじゃないかな。自分の種族が居なくなったら、そりゃ悲しいよ。それに、自分の世界ってのはさ、自分の生まれ育った時の”常識”とかも含まれるわけじゃん? その常識が全部なくなっちゃったって考えると、辛いんじゃないかな」
「はは、トウカが……頭良さそうな事言ってる。まだ、夢の中かな」
「しっつれいだな~。私だってね? 色々体験してるんですよ~だ」
「……そういや、両親が居ないんだっけ」
「そだよ? まあ、そんな感じの人が居たような気がするな~ってくらい小さい頃のお話だし、おやっさんと会うまでは狭い世界で暮らしてたから」
「……なにか、かける物は無いか? ちょっと、寒い。なんか、凄い寒い」
悪寒と寒気がしてくる。
冷や汗が脂汗となって嫌悪感を招き、汗が先ほどの甘い血を想起させて体調も悪くなりそうだ。
「くそ。調べておけばよかった……」
「あ~。隣の寝床から引っぺがしたのでも良いかな?」
「何でも良い、沢山あれば良い。寒い、くそ……」
「んと、えと……分かった! 沢山、た~くさん持ってくるね!」
トウカがそう言って消えていく、そうして気がついたら沢山の掛け物をもってそこに居る。
意識が飛び飛びなのか、それとも……吐き出してもダメなのか。
ゾンビに、なりかけてる?
理性を失って、少しずつ朽ちながらも永遠を生きる存在に成り果てる……?
「くっそ、一発もヤってねぇし……自殺でも諦めて死ぬ訳でもないとか、一番……クソ──」
自殺は良い、自分で自分にケリをつけるから。
諦めて死ぬのも良い、それが他殺であれなんであれ死を受け入れているのだから。
そういう思考の下で、俺は今までやってきたはずだ。
どうせ上手くいかない、どうせ落ち目が来る、どうせケチがつく。
ミラノを救った時も、川に投げ出された瞬間に死ぬだろうと諦めた。
マリーを救った時も、英霊に肩入れして死ねば人類の奉仕者に味方した事で諦めがついた。
ヘラを救った時も、どうせクソに塗れた人生でも何かの為に殉教するのも悪くは無いと思った。
学園を守る時だって、百万回やられても諦めなければまだ腐心していられると……変化を拒んだ。
しかし、それは……それらは!
たとえどんなに落ちぶれても、落ちぶれようとも”俺だけのもの”だ。
俺の諦観は俺のものだ、俺の自死への受容も俺だけのものだ、俺の命は俺だけのものだ、俺の思想も思考も好悪も価値観も拘りも性癖も行動も原動力も源泉も記憶も交友関係も過去も現在も未来も──。
俺、だけのものだ。
命を諦める決定権は俺にある。
生きる事を放棄する決定権は俺にある。
生きるにしても死ぬにしても過去も体験も出来事も俺の所有物であり、この意識途絶えたとしても俺じゃなくなった存在に何もかも呉れてやるつもりは毛頭ない。
両親へのこだわり? 俺だけのものだ。
弟や妹、家族への想い? 俺だけのものだ。
「これでどう? 寒くない?」
「ぐ、ゥ……」
「ん~、よいしょっと」
思考の海へと沈んでいるのか、それとも現実逃避しているのかも分からない。
ただ、トウカの行動がFPSレートの低いペラペラ漫画のように映る。
布団をかけてくれた、それから何か考えている、そして掛け物に潜り込んで来る。
甘い匂いが、別の香りに取って代わられたのを鼻が察知した。
「ごめんね~? 狭いかもだけど、ダイちゃん……冷たくなってるし。暖めないとマズいよ」
彼女が、寒い寒いと言う俺の隣に潜り込んで来る。
そして少しでも暖めようとしてくれているのか、抱きしめてきた。
……柔らかい、暖かい、温もりを感じる。
「トウカ、大丈夫、だから……」
「ダイちゃん、物凄く冷えてるのに嘘ついたらメッだよ? というか、何でこんなに冷えてるの?」
「さっき、食わされたり飲まされたものが……たぶん、良くなかった。あの中に有ったんだ、ゾンビに、なるようなのが……」
「けど、直ぐに吐いたじゃん」
「吐いても、こびりついた物までは吐き出せない、から……」
眠い、物凄く眠くなる。
寒い、寒すぎて凍え死にそうだ。
暑い、暑すぎて汗が止まらない。
意識が落ちかけて、 顎に手を添えられて目蓋を指で押し開けられる。
「……大丈夫。ダイちゃんさ、沢山頑張ってきたんだから。こんな所で倒れたりしないよ。ちょっと休みたいだけだよね? だから、少し休んだらさ、また一緒に冒険しよ?」
「あぁ、あぁ……」
「プリちゃん! ダイちゃんが──」
トウカが何か叫んでいる、その内容が聞き取れなくなる。
眠くなる、目蓋を閉じると目蓋の裏には家族が見える。
まだ家族が全員一緒だった頃の光景、食卓を囲んで登校前に弟や妹が騒がしく入浴だの準備をしていた頃。
「敦、物を食べるときは座れって……。スグも、化粧しながら物食べるなよ……」
『失礼』
何かが叩きつけられ、それから再び目蓋を開けられる。
プリドゥエンのレンズが狭められ、俺の目を凝視している。
『ご主人様、気を確かに。美味しい食事は食べられなさそうですね、ペースト状にして口内に入れさせていただきます』
「プリちゃん、大丈夫かな……」
『技術力と科学力を信じるしかありません。狂気を跳ねつける程の意志、正気を保つか……。ご主人様の狂気に期待するしか有りません』
「狂気に?」
『人は誰しも大衆の価値観で狂気が正気と定められ、正気を狂気と断じられ排除されるものです。私には、乗り越える要因が正気なのか狂気なのかは分かりませんから』
正気、狂気……。
俺の正気は、誰が保障してくれるんだ?
俺の狂気は、誰が保障してくれるんだ?
絶対的な正気も、狂気も……どこに、だれに──。
胸に、何か刺さってる。
赤い液体が、俺の心臓付近に流れ込んでくる。
それから、何かを口に宛がわれた。
息を吸うと粉末が入り込んできて、楽になる。
『こんなもの、使いたくは有りませんでしたが……』
プリドゥエンのその言葉を最後に、意識が完全に消えた。
── ☆ ──
意識が無くなった筈の俺を待っていたのは、小さな少女だった。
カティアに似ているようで、鏡写しのように色が違う。
白を基調としたカティアと、黒を基調とした目の前の少女。
「ここは……君は?」
先ほどまでの苦しみも、痛みも、寒さも辛さも無くなっていた。
けれども、今の俺が居るのはかつてアーニャと初めて会った時の様に真っ暗な空間であった。
浮いてるのか、立ってるのかも分からない。
そんな世界の中で、少女は俺を見ている。
暫く、彼女の返事を待ったが彼女は何も言わない。
ただ自分自身の首を撫でて、首を横へと振っただけである。
どうやら喋る事が出来ないらしい。
「こういうとき、走馬灯だとか……そういうのを見るのが定石だと思ったけど。驚くほど何にも思い浮かばないな……」
「──……、」
「迷惑かけてなけりゃ良いけど……。いや、どうしたって迷惑かけるか。まあ、カティアを預けてヘラをアリアに押し付けて正解だったかな。トウカとプリドゥエンには申し訳ないけど……」
俺がそんな事をぼやくと、少女は何かを言おうとする。
しかし、言葉は出てこずに彼女は首を横へと振った。
そして彼女は俺の所まで小走りでトテトテとやってくると、手を引いてどこかへ連れて行こうとする。
「何処に行くんだろう。いや、今度こそ本当におしまいかな。アーニャにも……顔を見せてないしなあ」
これで終わりなのだろう、おしまいなのだろう。
そう思っていると、遠くにスポットの当てられた場所が見えてきた。
お茶会をするような場所に鏡が一枚置かれている。
彼女はそこまで俺を連れて行くと、椅子を引いて座るようにと促した。
そして、肩から提げている可愛いポーチに両手を入れて何かを探し始めると、四次元ポケットかと言いたくなる様な勢いでお茶やお菓子が出てくる。
慌てて鏡を退かし、彼女がお茶の準備をし始めたのを眺めている。
……残念ながら、ストレージやシステムは生きていないらしい。
酒だとか、個人的な食べ物は出せそうになかった。
「──……、」
彼女がお茶の準備をして、そして俺に差し出してくる。
それを受け取ると、牛乳や砂糖の比率が微妙で言葉に詰まってしまった。
それでも大人気ないことはせずに、飲みきって「美味しいよ」と言ってあげる。
「それで、ここでどうしろと? 審判だとか裁きでも? 天国いきだとか、地獄いきだとか」
「──……、」
「ん、鏡? これを見ろって?」
彼女は言葉を発さずとも、俺に何をすべきかをたどたどしく伝えてくる。
鏡を見ろと言われて、先ほどの地獄を思い出してしまって嫌な気分になったが、彼女は見ろという。
どうせ死んでるんだ、やってやる。
そう思って鏡を覗き込むと、少しばかり意識が遠のいた。
だが、それが頭痛に変わると鏡の奥底に何かが見えてくる。
不細工な俺の面でもなく、偽りの仮面でもない。
どこかの、光景であった。
『ねえ、アンタ。まさか英雄気取りで調子に乗ったりしてない?』
『え!? やめてよ、何であんなに頑張ったのに休んだら怒られるの!? てか、ヤクモさん腕動かないから!』
「何だこれ」
鏡の向こうには、俺とミラノが居た。
居たというよりは、学園での光景を見せられているような感じがした。
それは……俺が望んでいた結末か、或いはそうなって欲しかったという願望のようなものであった。
彼女はそれを見ろという、どうやら選択肢はないらしい。
「分かったよ、見るよ」
そして、俺が見るというと彼女は明らかに安堵した様子を見せる。
胸を撫で下ろすとか、ホッとしたという様子で。
改めて鏡を覗き込むと、徐々に意識が遠のいていく気がする。
しかし、苦痛ではなく甘い夢を見られるのであればそれはそれで良いのかもしれない。
俺が「もしかしたら」の世界に溶け込む前に、声が聞こえた……。
そんな気がする。
── この先、沢山の試練が待ち受けている ──
── 一日休んで、百日を戦い抜くの ──
── 貴方は人類の為に戦う事になる ──
── 貴方は戦場を揺り篭に産声をあげる事になる ──
── そしてそこが貴方のお墓になるの ──
それが、カティアの声だったような……どうでも良い事だった。
── ☆ ──
『落ち着いたようですが……』
ヤクモに出来うる限りの処置と、緊急避難的に様々な投薬を行ったプリドゥエン。
中には『本来使用すべきではない薬』もあったが、人命優先を選択して容赦なく救った。
モルヒネ、覚醒剤、睡眠薬。
本来であれば同時投与すべきではないものだらけだったが、それを克服する為の”中間薬”と言うものが存在していた。
『脈拍、規定値ギリギリを維持。体温、二十℃……冬眠状態。汚染状態、最悪』
「ダイちゃんは助かるの?」
『トウカ様はそのまま暖め続けて下さい。私は可能な限り施設と設備を動かします。部屋を暖めて、薬も出来る限り持ち込みます』
ヤクモは最悪の状態にまで陥っていた。
意識レベルは最低で、既に外部からの呼びかけや刺激に対して反応を示さない。
皮膚の下で、まるで何かが根付こうとしているかのように脈動しながら全身を支配しようと心臓から指の先に向かって伸び続けている。
プリドゥエンの投薬後、幾らかそれが圧し戻されはしたが危うい状態だった。
「どうしよ、どうしよう……」
『落ち着いてください、トウカ様。私は確かにただの観光名所の管理ロボットでしかありません、医療ロボットに比べたら搭載されている機能もデータも劣るでしょう。しかし、いまやそれらのデータを管理している連中は過去のもので、搭載は出来ずともデータを仕入れて適切に可能な限り処置する事は出来ます。それに、この地下施設には医療施設があります。追加搭載やアップグレードも可能でしょう』
「な、何を言ってるのか分からないけど、大丈夫ってことで良いのかな?」
『ええ、お任せを。I'll do my best、最善を尽くします』
プリドゥエンはそう言って去っていく、トウカは未知に囲まれたままにどうしたらよいかも分からずにヤクモを抱きしめるしかない。
暫く悩んだ彼女は、人を演じる為に隠していた獣性を幾らか解放した。
獣人としての耳や尾が現れ、それと同時に人間よりは幾らか高い体温になる。
個人的な感情を目の前の危機の前に、彼女は幾らか自分を解き放った。
「これで少しでも温まると良いけど……」
それに答えるものは誰も居ない。
暫くして、プリドゥエンが医療施設に居た看護ロボットを起動して部屋に連れてきて色々尽くすが──。
処置を受けている本人は、目覚めぬまどろみの中に居た。




