128話
── オットー無き部隊 ──
オットーがヤクモに浚われた翌日、部隊の指揮統制は二つに別れてしまった。
磐石の態勢を作ってから慎重に進むべきだという意見。
奪還含め、一刻も早く状況を打開すべきだという声が上がる。
ヴィクトルは咄嗟に判断を下せなかった。
こういった時にいつもであればオットーがそれとなく一言を添えてくれたので、それを元に決断していたからだ。
武に長けたヴィクトルも、統制や制御に関しては些か劣った。
その結果、翌日に出立するという話の中で複数の部隊が独断で行動をしていた。
彼らはオットーを早く取り戻し、舐めた真似をした一人の青年を叩き伏せる事に逸っていたのだ。
「急げ急げ! オットー様が今この瞬間にも危機に瀕しているのやも知れぬのだぞ!」
そう喚き散らすのは部隊長だが、いかんせん兵の士気は低かった。
先遣徴発による飲食料にありつけず、南北での徴発も失敗したが為に最低限の食事しか口にしていないからだ。
先日ヤクモがオットーの場所を訪れた際に出した物資も、ご破談となったときに全て回収していった。
しかもヴィクトルが不機嫌になったのを部隊がたるんでいるからだと、勝手に叱責し罰を与えたが為に兵士のやる気は既に駄々下がりである。
開けた平原を歩兵のみで突き進んでいくも、指揮官はそこで異物に気が付く。
遠くに独りの男が立っているのだ。
丸腰で、しかも周囲には誰も従えずに。
部隊の歩みは鈍くなり、それを指揮官も咎められない中声が飛んでくる。
『空腹の中叱責までされた兵士諸君、お疲れ様。自分らはたらふく食って存分に寝たクソ指揮官、そこで一度立ち止まった方がいい』
遠くに居るにも拘らずはっきりと聞こえる声に、兵士たちはなんだなんだとざわめく。
拡声器……メガホン等を知らない彼らにとって、遠くに居ても声を明確にしたまま届けてくるということがまず理解できなかったからだ。
『先日は丸腰で行ったのに攻撃してくれちゃって、マジに有難う御座いました。オットーさんは現在こちらで預からせて貰っている。けど、特に要求もしないし、私刑も処刑も拷問も行わないのでいきり立つ必要は無い。居ると厄介だから引っ込んでいてもらっているだけなので、勝敗の結果に関わらず帰す事は伝えておく』
「信用できるものか!」
部隊の指揮官はいきり立った。
それは相手が単独で、しかも自分の目の前に現れたという幸運に感謝していたからだ。
生死問わずに相手を撃破する事で、自分の手柄になると考えた。
そして白旗を掲げながらもオットーを連れ去ったという”結果のみ”を聞かされているからこそ、余計に怒鳴らずにはいられなかった。
「貴様か! オットー様を連れ去ったのは!」
『あ~、悪い。そっちの声はぜんぜん聞こえないな、耳にバナナは入ってないけど。そんな小さな声で部隊の指揮とか、大丈夫ゥ~? 兵士も苦労してるだろ? 命令は届かないし聞こえないのに、怒ったりいきり立つ時だけ大声を挙げられても』
「やかましい!!!」
『まあ、いいや。これは警告だ。それ以上学園側に進んだ場合、こちらはそちらを撃滅する備えがある。あんた等は大怪我して、ケツまくってヴィクターの所に逃げ帰って、大恥かいた上に信頼を失う事になる。何せ……出発は明日のはずだろ? な~んで勝手に部隊動かすかなぁ。んま、功欲に急いたんだろうけど』
ヤクモの言葉に兵士の中から笑い声や嘲笑が幾らか上がる。
信望も人望も低いその男は、ここまで面罵された上に事実である事を理解している兵士からしてみれば笑わずには居られなかったのだ。
「だ、黙れぇ!」
『まあ、来たいと言うのなら来ると良いさ。ただ、負傷者を回収できるようにはしとけよ? こっちはアンタが独りで敵わんと逃げ帰った後で負傷兵を送りかえさにゃならないからな。まあ? それくらいご利口なら? 指示を無視して? こんな所に? 部隊を勝手に動かして来てはいないだろうけどさ』
その一言が、指揮官の辛抱を超えた。
首まで真っ赤にした指揮官は語彙も言語能力も低下させ、何度か話をループさせながらヤクモに対して一方的に喚き散らす。
文章として成り立っていない上に、ふくよかな腹に対して貧相な思考には兵士も付き合いきれなかった。
「えぇい、突撃だ! 突撃! 相手は一人だ! 蜂の巣にしようが、突こうが構わん! 殺してしまえ!」
その号令を前に、兵士の動きは鈍かった。
士気の低さ、指揮の低さが行動力の低下を招いている。
それを知らずに指揮官は喚き散らすだけで、兵士も仕方がなく付き合っている様子であった。
対するヤクモは、近くに接近して見れば分かるくらいには寝不足と疲労を隠せずに居た。
ここ数日の徹夜と工作や設営、移動や行動の負担が大きすぎたのだ。
目の下にはクマが既に色濃く蓄えられ、能力とは別に疲弊しきった身体は軋みをあげて真っ直ぐに立つことすら幾らか儘ならない。
それでも、彼は笑みを崩さない。
「マクシム少佐、四十一歳。コネや金、地位や権力で今の階級を手に入れた典型的な”階級にぶら下がる者”。自己利益の追求には目がないが、周囲からの自己評価には疎い。その上自制心はまるで無く、私刑や原因究明なしの罰を当然としてきた。まあ、こういった手合いはエサに食いつく。単独の相手を前に、その理由を考えたりしないから──」
ヤクモは、自身へと接近してくる歩兵を前に胸元を掴みながらも笑みを崩さずに見つめる。
頭の中に存在する自身の行った工作に、兵士が殺到している事を音と時間から計算する。
「うわぁ!?」
「引け、下がれ! 押すなぁ!!!」
深い落とし穴が兵士の重さに耐えかねて、深く広く彼らを飲み込む。
下には特に何も設置しなかったが、兵士の上に兵士が落下する事で装備やその重量で負傷者が発生する。
「兵はここで警戒し出すが、あの指揮官は余り気に留めないだろう。そうなると、消極的迂回を取るしかなくなる。指揮官に後で叱られるのは辛いもんな?」
そして、ヤクモの読みどおりに兵士たちは”消極的迂回”を選択した。
喚き散らす指揮官が「罠など乗り越えていけ!」と言っているからだ。
だが、そこにも罠が仕掛けられている。
兵士は罠を警戒しながらも、草や枝で作られた張り糸と隠された小瓶に気が付かない。
緊張した枝が解放され、先端に括りつけられたマリー特性の爆破瓶を地面へと叩きつける。
方々で爆破が連鎖していく。
爆破を連鎖させる事で広く兵士たちを吹き飛ばす配置は、迂回部隊の兵士達を痛めつける。
「うわぁぁああああっ!?」
しかし、ここでヤクモの想像外のことが彼に味方する。
魔力を込められた魔石が装填されている銃。
その魔石に亀裂が入り、所有者とその周囲に二次被害を齎していたのだ。
落とし穴に落ちた兵士も這い上がろうとしていたが、事前にヤクモが魔法で水を大量に含ませぬかるませた事で取っ掛かりが無いままに上がれずに居る。
爆風で齎された負傷者は更に多く、中には軍服が炎上して地面を転がったり仲間に土をかけて貰って消火してもらっているような有様であった。
この時点で歩兵の四割が戦力から除外された。
単純な負傷者とは別に、仲間を救助する為に戦力から除外された兵も居たからだ。
そしてヤクモは指揮官……の傍に居た兵の馬に向けて六四小銃を取り出して狙いを定める。
距離にして八百メートルはあったが、銃声と共に馬が脳髄を撒き散らして兵士ごと倒れたあたりで指揮官は怒りから冷める。
ヤクモが煙の上がる銃を構えたままに立っており、その銃口がゆっくりと自分に向けられるのを見てしまったのだ。
「マクシム少佐!?」
「えぇい、私が倒れては誰がヴィクトル様に報告するのだ!」
そして、ヤクモが言ったとおりに指揮官である彼は恐怖と我が身可愛さのあまり、指揮を放棄して逃げ出した。
馬に乗っているのが彼のみである事から、周囲に居た兵の誰もが追いかける事が出来ない。
だが、ヤクモはそれを追いかけた。
身体能力が人の数倍ある彼は、思い切り地面を踏みしめると馬のように走り出す。
途中で落とし穴や兵士たちが居るのを大きく飛び越えると、着地した勢いで更に加速する。
暫くそうやって追いかけ、ヤクモは肥えた身体に飛び蹴りを浴びせて彼のみを叩き落した。
馬は自分の主が落ちた事を気にも留めず、そのまま走って遠ざかっていく。
うつ伏せで大汗かきながら呼吸を乱している男のわき腹を蹴り、ヤクモは銃を肩に担ぎながらしゃがみ込む。
見上げるような形で、指揮官はヤクモを見上げる事となった。
「お前さんさ。兵士見捨てて逃げるとか、益々クソだな。何が起こったのかは兵士に任せてお前は部隊の制御・統制に務めろよ。そうじゃなくても”責任者”として、お前は最後の最後に皆の分のケツ拭いをするという役目が残ってる。それが命を預かるものの務めだろ」
「ふひっ、ひぃっ……」
「まあ、いいや。お疲れさん。アンタは全兵士の損失……いや、兵士の士気と指揮を低下する事に貢献してくれた、最低最悪の指揮官だった。後は自分の足で、無様に、惨めに帰ってくれ。それだけでも意味が──」
そこまで言ったヤクモの左肩に、魔力の銃弾が叩き込まれる。
彼は大きく仰け反り、そして直ぐに何が起きているのかを把握する。
銃に銃剣を付け、騎兵部隊が彼に向けて殺到していた。
それはヴィクトルが独断行動を察知して、回収の為に差し向けたものであった。
「はは、くっそ。やっべ。やっぱ……休まなきゃダメだな」
自らが作った泥地帯が、足音を察知しにくくさせていた。
それだけでなく、疲労と睡眠不足と作戦成功から来る安堵が馬の蹄の音を認識できなかったのだ。
ヤクモは直ぐに後退しながら応射する。
しかし、二発目、三発目と弾が叩き込まれた先で彼は銃剣突撃によって大きく貫かれた。
一瞬モズのはやにえの如く高く突き上げられたヤクモだったが、直ぐに振るわれて地面を転がった。
騎馬突撃の衝撃力と胸部の中心を捕えた刺突は、ヤクモに僅かな意識を残したままに体のコントロールを全て失わせる。
血が流れ、命が流れ出していく。
起き上がらない相手を前に、騎兵部隊は速度を緩めてしりもちをついた状態の指揮官へと近づいた。
「ご無事ですか、マクシム少佐」
本来であれば救われた事に関して一言二言あっても良い筈だった。
しかし、罵倒された上にあわやという所にまで追い込まれた男の頭にはそんなものは無かった。
立ち上がり、動かなくなったヤクモに蹴りを浴びせる。
「馬鹿め! この屑が! 単独で勝てるとでも思ったのか!」
蹴りが沼地と化した地面にヤクモを幾らか埋めていく。
それでも彼は暫く物言わぬ物体と化した相手に強気になって鬱憤を晴らしていく。
その行いは、周囲の兵士の侮蔑と引き換えであった。
率いていた兵士を全て失い、そこまで追い詰めた相手に”たまたま”応援が駆けつけたが故に勝てただけの話なのだ。
騎兵達はどのように骸と化した男がそこまでの勝ちを拾えたのかは知らない。
だが、そこまで出来た男に対して幾らかの敬意をもてたからこその、全てを捨てて逃げた指揮官に対しての侮蔑は一際な物となっていた。
「お、おぉ。そうだ。私の兵士たちがまだ負傷したまま動けずに居る。こいつめ……卑怯にも罠を張り巡らせ、だまし討ちにしたのだ」
「……そうですか。では、急いだ方が良さそうですね」
戦いに卑怯もクソもあるかと兵士たちは思ったが、侮蔑の表情にすら気付かない男。
その男は、上機嫌なままに騎兵が背を向けたあたりで足首を捕まれて悲鳴を上げた。
「まあ、待てよ。もう少し……遊んでけ」
「ひぃ!? 死体──」
ヤクモは、息を吹き返して早々に指揮官を銃で殴り倒して昏倒させる。
悲鳴に気が付いた騎兵達は、そのまま反転して再び突撃をする為に幾らか騎射をしながら距離をとる。
そして直線。
慢心相違、死に体であるヤクモに向けて突撃を敢行する。
だが──。
「Welcome... to my Wolf company《よく来たな。俺の……狼中隊に》」
ヤクモは、一歩も引かずに腕を振るった。
すると、ボンヤリとした存在が彼の周囲に現れる。
己の意志を持たず、ただ記憶から引き起こされた人物たち。
かつて彼が所属していた中隊の総勢百四十三名を記憶召喚し、全員が同じ動作で銃を突撃してくる兵士たちへと向けた。
それと同時にヤクモの毛細血管の幾つかが弾け、血が噴出す。
頭から、腕から、首から、胸から血を垂れ流すヤクモはそれでも笑みを崩さない。
「ちゅ、う隊長。馬を……全員で」
息も絶え絶えになりながらも、そう彼は”願った”。
騎兵の突撃がヤクモを、そして召喚された幽霊のような彼らを捉える直前に、斉射の炸裂音が騎兵達を綺麗になぎ倒して言った。
馬を、足を、肩を、腕を、わき腹を穿たれた兵士たちは例外無しに地面に投げ出される。
まるで交差するかのようにヤクモ達と彼らが入れ替わり、ヤクモの後ろ側で兵士たちは馬と一緒に地面に倒れた。
結果を確認しようと振り返ったヤクモのこめかみが弾け、血がダラダラと片目を塞ぐ。
それでも、彼はかつての仲間たちがそこに居て、相対している相手が全てなぎ倒されたのを確認すると一つ息を吐いた。
「また勝てなかった」
その言葉の意味は本人以外知りえない。
だが、その日起こった事は暫くして本隊へと知らされる事となる。
勝手に出撃して逃げ帰った無様な指揮官、見捨てられ置き去りにされた兵士たち。
応援に駆けつけるも馬も装備も失った増援部隊。
ヴィクトルはただただそれらの報告を聞いて、勝手に抜け駆けを行った指揮官に厳罰を与える為に処置を言い渡し後送した。
そして……時間を置いて、それぞれに打撃を受けながらも一兵も欠ける事無く戻ってきた兵士たちに驚く事になる。
見捨てられた兵士は指揮官が我先にと、激情に任せて自分たちを使い捨てた上に我先にと逃げた事を伝えた。
そして後に、自分たちを叩きのめしたはずの男が戻ってくると、負傷者の手当てを行ってそのまま立ち去った事も報告した。
騎兵達も同じで、中には馬に足や身体を押し潰されて、身体だけではなく命すら危ぶまれたものが居たが、誰一人として見捨てられなかったと述べた。
その上……銃弾を浴びせられ、確かに──そう、確かに突撃を受けて斃れたのに息を吹き返したことや、無から兵士達を”召喚した”と言う事も伝えられた。
無から兵士を呼び出すという脅威に混乱が広がる。
騎兵部隊の突撃で穿たれても生きているという化物具合に恐怖が広がる。
けれども指揮官を無様に扱いながらも兵士には寛大だったという事で疑問が生じる。
そんな相手に目を付けられ、どのように振舞えばよいのかと誰もが困惑した。
相手が一人なのかそうじゃないのかすら分からなくなり、ヴィクトルは英霊の一人マリーがかつてそのような事をしたという伝承を思い出す。
その場で、その地で果てた先人を、英雄たちを一時的に蘇らせて戦わせたと。
それによって圧倒的に不利であった人類が持ちこたえ、戦力の低下を大きく防げたという事も。
「地面から切り離せば、あるいは……いやいや。何を言っている」
ヴィクトルは、自分たちの相手がなんなのか理解できなくなった。
そして、軽傷者だらけとなった兵士達をどうすべきかで大いに悩むこととなった。
── ☆ ──
その日、ヤクモが撃退した部隊数は三つで。
そのどれもが叩きのめされて送り返された。
指揮が崩壊し兵士が逃げ出した部隊がある。
士気が低下しすぎて指揮官が兵士たちに叩きのめされ、置き去りにされた部隊もある。
そうやってヤクモは指揮と士気だけではなく”無駄飯ぐらいの量産”に務めたのだ。
上部への不信を出来るだけ作り上げ、部隊としての脅威を下げる。
負傷者を量産し、戦闘に参加できないが復帰させられるかも知れないので手当てしなければならないと言う状況で、戦闘に寄与しないけど飯は食う兵士を増やす。
やる気を低下させ、積み重ねた結果直ぐに瓦解する部隊を潜在的に増やすという心理的なものであった。
プリドゥエンにステルス迷彩を纏って敵陣に潜り込んで貰い、主要な人物の情報などを探らせ、その対策や対応などを考えての行動だった。
「クソ、やっぱ個々に来られるのは対処できても、纏まってこられるとダメだ」
しかし、罠や仕掛けだらけにいくらした所で、数と言う暴力には流石のヤクモも勝てなかった。
戦死者を出さない、相手が諦めるまで嫌がらせを繰り返す。
素直に叩きのめす方がまだ楽な分、どうしても手間と時間がかかる上に効果を確認できずに居た。
『ご主人様、大丈夫で御座いますか?』
「あ~、まあ待ってくれ。いま地形と出来る事を考えてるから。まあ、一番良い方法があるから、これはお前に頼みたい」
『聞きましょう』
「奴らが野営する場所を制限させて、逆限定させる。その上で水の確保と兵士が寝る場所を大不便にしてやろう。飯も少ないって言うし、こっそり味付けを変えてクソマズにしてやるのもいいな」
『面白くなってきましたね。少なくとも、地獄でお尻を叩かれる事になるでしょうね。いい年したて何してるのだと』
「まあ、それは良いとして。どうだ、出来そうか?」
『物の準備さえしていただければ、如何様にも』
「うし、じゃあこれに関しては頼む」
ヤクモは、三すくみの状況を作ろうとしている。
現在はヤクモ達抵抗側とユニオン国の部隊と言う無謀な戦力比の二勢力のみだ。
だが、不満や士気の低下などから生じる”離脱者”とあ”反意有る兵士”による第三勢力を作ることで相手の身動きを取れなくしようとしているのだ。
当然、兵士たちは数こそ多いが実態としての力は弱い。
権力も地位も無く、圧力に屈しがちな存在だ。
だが、銃と言うものはそれを容易くひっくり返す。
単純に考えて、銃口の数だけ強くなれるのだから場をひっくり返す事だけなら簡単なのだと考えた。
銃口を向けられた瞬間、上官も部下も無い。
一人と一人、殺す側と殺される側に”成り下がる”と言う事が浸透してしまえば、モラルもクソもなくなる。
ただ、これに関してはヤクモ自身が暴走の恐怖もあって、中々に上手くやれずにいた。
結果として、反意を育むよりも先に自分の異常性が喧伝されてしまっているのだが、それを彼は知らない。
「やべえな……。やべぇ。昨日は抜け駆けが居たけど、今日は纏まってやがる。負傷兵出してもそのまま後送されておしまいだし、散開しだしたから効果ががが……」
『気を確かに、ご主人様。逆に考えれば良いのです。散っちゃっても良いや、と』
「いやいや、このままじゃ餓えた狼がなだれ込む事になるから……それは避けたかったんだよ」
『しかし、ご主人様の企みの幾らかは効果を奏しております。負傷兵を抱えて無理やり進んでいる事と、負傷者を一纏めで管理する地点に医療者と共に置いて来ると言う事で兵士の数は減っております』
「もう距離が無いんだよ……」
ヤクモの嫌がらせ作戦は、距離と日数の足りなさで頭打ちの様相を見せていた。
もう学園は直ぐそこで、第一の問題として学園とその周囲の都市とでは管轄が別なのだ。
グリムによる諜報で、学園と都市で考えがまったく違う事を示していることを彼は掴んでいた。
学園側は歴史、ひいては英霊を信じている。
故に学園に対する暴挙には抵抗してくれると見られているが、兵の数がそもそも少ない。
逆に都市の方は、市長は以前の大災害による被害等から民心が離れている事を含め、あっさりとユニオン国を通してしまうだろうと考えられた。
つまり、二段構えの城壁のうち一枚は最初から無効なのである。
「……幾らか見せしめが必要だったか? いや、そうすると禍根と遺恨が残る。じゃあオットーを……って、自国内で徴発する奴がそんな駆け引きに応じる訳がない。狙撃を随所で行うとか……いや、それも頭打ちになりつつあるしな」
『ご主人様。。その……大丈夫で御座いますか?』
「大丈夫、大丈夫」
『私は──こんな事は申し上げたくはありませんが。死ぬと言う事と、生き返るということは”大分”負担となるのではないかと思います。もしかしたら死後復活パラノイアや、蘇生後未覚醒による思考ゾンビ化だとか、疑いたくなるのです』
「俺、そんなに死んだか?」
『私が知る限りでは、既に十は越えております。死と生、ご主人様の魂がアクセルをベタ踏みで生き返ったとしても、疲弊し死んだ事で停滞したお体とを半クラッチ無しで接続する事はさぞかし負担になるかと思ったのです』
そう、ヤクモは出来る限りの事をしようとした。
一つの身体に一つの命を使い潰すことで、最大限の効果を得ようと躍起になり続けた。
その結果、既に十を超えて生命活動を停止しており、それでもなお彼の求める結果には程遠い。
頭を撃ちぬかれる、心臓を貫かれる、馬に蹴り飛ばされる、兵士に取り囲まれて銃剣でサボテンになる。
疲労と疲弊のせいでバイクから振り落とされて頭の骨が砕ける、高負荷に心臓が付き合いきれずに停止してしまう。
そうやって死ぬ度に、アーニャが悲しい顔をして生き返らせてくれていた。
「伍長。俺って、狂ってるかな?」
『私から見れば、宗教的といえます』
「じゃ無くて。プリドゥエンが知ってる以前の俺と今の俺で、異常がある位に変調が来てるかなって事」
『それに関しては、自信を持って「変わられておりません」と言います』
「なら……安心だ」
そう言ってから、ヤクモは会話をすることで欠きそうになっていた集中を無理やり持続させていた。
だが、その彼の視界に敵の部隊が収まる。
銃を手にゆっくりと身体を起こし、木の半ばほどで何とか姿勢を制御すると騎乗している偉そうな相手へと狙いを定める。
息を吐いて二秒、三秒と経過したあたりで六百m先の相手の肩を銃弾が貫通し、相手は馬から下落した。
安心する間も無く、次の瞬間には兵士もなれた者で反撃を仕掛けてきた。
己を指揮する者がどう倒れたか、音の方角からアタリをつけて射撃したのだ。
「はは、やっべ」
逃げるべきでもあり、回避すべきでもあった。
だが、脳の判断に対して身体が付いてこない。
彼は幾らか身体を撃たれ、木から真っ逆さまに落下する。
そして頭から地面へと落下して、また一つ命を失った。
それでも十秒前後で蘇生すると、相手が追っ手をかけるかどうかを判断し、追っ手が暫く接近した先で罠に引っかかって負傷者を生むのを見ると速やかに撤退する。
最初は徒歩で、途中からバイクに乗って素早く行動を繋いでいく。
舗装されぬ地形を走破する能力自体を有しておらず、何度も転倒しかけ倒れかける。
それでもヤクモは次の狙撃地点、次の遅滞作戦準備域へと移動を繰り返す。
ヤクモはそれこそ理解していなかっただろうが、狙撃を馬から人へと切り替えた事で効果が大きくなり始めた。
理由として、指揮権が下に移譲すると言う思考が無かったからである。
昨今の部隊では長が斃れようとも次級者が引き継ぎ、行動や作戦を続行する事になっている。
曹長が居なくなれば一曹が、一曹が居なくなれば二曹が、二曹が居なくなれば三曹が引き継ぐ。
そうやって『任務完遂』の為に行動が停滞しないように出来ている。
だが、地位や権力に固執し、そう言った思考をしていなかったユニオン国の部隊にとって、痛手であった。
なぜなら人が一度に統率できる兵士の数と言うものは限られているからだ。
一人の人間が声を届けられるのが中隊規模となされており、そこから展開しても小隊、分隊、班、組と規模を小さくしても長が逓伝する事で声を届けるのだ。
兵は居るのに指揮できる者が負傷し脱落していく、その事でヴィクトルは細かな運用が出来ず、大まかな命令を出すしか無くなった。
逓伝自体は兵士になら誰にでも出来るが、状況を判断して上の命令にそむかない範囲で命令を出す司令塔が居なくなると、どうしても末端は浮いてしまう。
声が届かない範囲、目が届かない範囲、指揮の届かない場所の兵士は周囲を見るしかない。
味方や仲間に囲まれている訳ではないからこそ、そして姿の見えぬ狙撃者が何時何処で仕掛けてくるかも分からぬままに歩を進める。
所々で、ヤクモが仕掛けた罠が彼ら兵士を襲った。
落とし穴や炸裂魔法瓶はまだ可愛いものだったが、彼らが踏み倒していった『この先危険、引き返せ』という最終警告の看板から先は、兵士が一歩進む事すら祈りを捧げるほどの心境にまで陥っていた。
そもそも彼らの保有している銃、魔石が実は亀裂を入れることで蓄積していた魔力が放出されて爆ぜる等とは誰も知らなかったのだ。
罠による被害だけでなく、彼らは副次被害にも頭を悩ませていた。
「ヴィクトル様、左翼にて爆発。負傷者十数名ほど出ております」
「右翼にて魔法発生! 電撃と思われるもので、昏倒したもの続出!」
ヴィクトルは負傷者……それも、致命的でも重症でもない兵が増える事による『足の鈍り』に悩む事となった。
負傷者を放置する事は出来ず、かといって常に足を止める事も出来ないからだ。
今は空となった輜重部隊の荷車や、徴発した馬車に負傷者を詰め込んでいる。
だが、それでも無理に進軍するのは限界に近づく。
「──皆のもの、聞け! 本日はこの場にて設営とする! 兵はまず負傷者を収容する天幕を設営し、その後兵を別けて食事や各個の天幕設営、警戒や拠点構築に移る!」
その声が伝播しない事に、ヴィクトルはいつもであれば『ヴィクトル様の言葉を聞いたな!』だとか『指示のあったとおりだ!』と言ってくれる声が無い事に気がつく。
部隊の統制能力が低下し、そして自分の言を聞いて行動するものが欠落したからであった。
それだけではなく、秩序も失われていた。
普段であれば指揮官やオットーなどが天幕の設営場所や、拠点の構築の仕方、兵の展開の仕方などを語る。
だが、彼らが居なくなった事で、兵士たちの動きは緩慢となり、さらには死角を多く生んだ上で密集する形で天幕が設営されていってしまった。
恐怖心が死角を減らし、行動しやすくすると言う考えを兵士から失わせていたのだ。
しかも残念な事に、ヴィクトルは水場の事を失念していた。
オットーが居れば「もう少し兵には泣いて貰いましょう」と言って前進しただろうが、自ら水汲みをする訳ではないヴィクトルは兵士が逃げたのかと誤解するくらいに遠くに行き、それから時間を置いて水を持って帰還する様を見て嘆くしかなかった。
水が無ければ満足な食事は作れない、だがその食事を作るために遠くまでぬかるむ地面を踏みしめて川に向かい、帰り道は更に重くなった足取りでぬかるむ道を戻らねばならない。
そして、設営地点の悪さもあった。
天幕の設営自体はそう苦労したものではなかったが、兵士たちは半ば地面に転がるような形で寝るしかない。
つまり、何かを敷いたとしても泥の上で寝転がらねばならぬのだ。
しかもプリドゥエンがヤクモの命令で蛇腹を細かくカットした”茨”を泥の中に沈めていた。
靴越しでは中々気付きもしなかったが、安息と休息の為に身を横たえるとなった時に、自身の重みで体が沈みこんで容赦なく彼らの肌を突いた。
飯を食うにしても用を足すにしても水場まで遠い。
ぬかるんだ泥は寝るのに大変不快。
しかも泥の中には棘が散りばめられている。
さらには期待していた食事ですら物資不足の有様であった。
その後、翌朝に至るまでに”自発的な負傷者”が幾らか出没した。
理由として、負傷者として収容されてしまえば罠を前に進む必要がなくなり、しかも運が良ければ後送されるからであった。
だが、それはヴィクトルが烈火の如く怒り、中には下手な言い訳をしたが為に数名斬り捨てられる結果となった。
そして、これらはヤクモにとって悪い方向へと話が転がることになる。
「都市で己が持てるだけの収奪は許可する!」
つまりは、略奪と言っても良かった。
徴発は後に返済、何らかの形で返す事が約束されているだけマシだった。
だが、収奪、略奪に関してはただ奪うだけと言う悲惨な話でしかない。
空腹、苛立ち、睡眠不足、そして今までは耐えるだけだった彼ら兵士は幾らかの希望を見出した。
学園都市が遠くに見え、そしてヤクモは学園が近くなると罠を仕掛けていなかったからだ。
そして都市防衛を担っていたユニオン国の兵士は事前に話を聞いていたので速やかに都市に入り込む。
市長は舞いこんでくる数々の連絡の前に抵抗しないと告げた後に心労で倒れたことを発表した。
都市は、再び蹂躙された。
── ☆ ──
ユリアは、己の父が到着するのを城壁の上から待ち侘びていた。
ヤクモ探しは難航どころか何も掴めず、彼が森林等に潜伏したのではないかと思われるほどに姿すら見出すことが出来なかったのだ。
捜索を途中で放棄し、父がやって来るであろう日付に間に合うように彼女は己の兵を率いて都市へと引き返していた。
だが、彼女が期待した日に父は現れなかった。
遅れているのだろうと、そのまま夜明けまで待っては見たが、現れなかった。
数日ほど遅れてやって来た父の部隊を見た時、彼女は驚愕すらしなかった。
「なに、あれ」
自分が知っている父の部隊とは到底思えないほどに、みすぼらしく成り果てていたからだ。
兵は誰もが餓え、汚れ、負傷し、目を血走らせ、幽鬼の如く歩いているだけに過ぎなかったからだ。
その中に、見知った指揮者が誰一人としておらず、辛うじて見つけた父親だけが綺麗な身なりをして目立つと言う有様だった。
「良いか! やりすぎた者は後に処罰する! 購入できるものを窃盗した場合も、無用に傷つける者も同じだ!」
そして、城門を潜った彼女の父が放ったのは略奪の許可であった。
兵士は街の中へと散っていくと、飢餓のように目ぼしいものへと押し寄せていった。
食べ物を兵士同士で奪い合い、酒に溺れて使い物にならなくなる。
中には家に押しかけて安らかな寝床を前にへたり込んで動けぬ兵士も居るくらいであった。
彼らは、精神的に餓えていた。
「父……いえ、ヴィクトル様!」
「ユリアか、どうした」
「どうしたか、じゃありません! なんですか、これは!」
「なんですか? なんだと思う? 小僧にしてやられた、叩きのめされた結果だ」
「なっ!?」
「奴め……。オットーを浚い、物資を焼き、罠を張り巡らせ指揮者を全員狙撃して損なわせた。その上兵士に負担を強い、あの有様だ」
ユリアは衝撃を受けた。
それは、父の兵士たちが秩序も統率も無しに飢えを満たす為に散っていく醜い様を見てしまったからだ。
尊敬し、愛していたからこその、その落差を受け入れられずに居た。
だがそれ以上に、自分が探していた相手がそこまでしたのかと言うことが、まるで信じられなかった。
「そんな、一人が?」
「そうだ、一人がだ。ヴァイス様が目をかけるだけはある。朝駆け、夜襲。強襲も潜入もやってのけた。その結果がこのざまだ。兵は休めず、空腹に苦しみ、疲弊しきっている。それも、たった一人の男を相手にだ」
「まさか──」
「……その事で責めたりはせん。逃げられても仕方の無い相手だったと言う事だ。出来ない事を叱りはせぬ」
ユリアは、自分の取り逃した男が自分の父親が率いる部隊をここまで打ちのめした事を知ると、英霊ヴァイスが何故拘ったのかが理解できた気がした。
それと同時に、何故英霊と親しくなれているのかも。
英霊が人類の救済者だとするのなら、その人類の救済に役立つ……或いは人類のっ救済者側に居るのではないかと考えたのだ。
だが、その男が単独で事に当たっている事実が理解できなかった。
「というか、何で──」
「……オットーが居なくなってから、こんなものが置き去りになっていた。どうやら交渉に来たらしいが──信じられないだろうが、オットーはその男の頭を撃ちぬいたそうだ。だが、奴は生きていた。そして今もなお立ちはだかっている」
「何を……」
「読めば分かる」
そう言って、ヴィクトルは自身の馬に括りつけた荷袋からヤクモの書類を取り出すとユリアに手渡す。
表紙には『ユニオン国救助計画』等と書かれていて、言っている事とやっている事の落差で理解が出来ずに居た。
だが、中身を見れば様々な事が書いてあって、何故単独で諦めさせようとしているのか、英霊やヴィスコンティの助けも無しに単独で抗っているのかも書かれている。
そして……その先、ヴィクトルが諦めて帰ったとしても、今度はユニオン国の現状を解明した上で手助けになろうとすらしていた事も。
ユリアはその書類を地面に叩きつけようとした。
夢物語だ、絵空事だと思ったからだ。
現状も内情も知らず、今日一日だけでも何名が飢えや渇き、風土病や食べ物の奪い合いで死んでいるのかをこの男は理解してないのだろうと言いたかった。
だが、書かれている。
食料だけじゃない、治療や回復の手立てすら英霊をも動員しようと……その結果、神聖フランツやヴィスコンティに恨まれ、英霊信仰者に命を狙われようとも成し遂げようという想いがあった。
「……出来たとしても、遅すぎる」
「そうだ、遅すぎたのだ」
「ヴァイス様は……今、どちらに?」
「──国に居る。本心ではないからこそ、号令は出せても、肩を並べることは出来ぬと」
「そっか……」
英霊ヴァイスは今回の行動を是とした。
だが、今回はここに居ない。
その事をユリアは幾らか落胆したが、今はそんな事を気にしている場合ではなかった。
「……負傷した兵や指揮の方は?」
「全員命に別状は無い。重傷者は村などで手当てを、そうじゃないものは馬車でここに来る予定だ」
「じゃあ、収容場所を探さないと。簡単に手当てはして、復帰してもらわないと困る」
「そうしてくれ」
ユリアはそう言うと、敬礼して背を向けた。
何処が良いだろうかと考えながら歩み出し、その途中で何かに気が突くと腰裏にさしていた拳銃を抜いて路地へと向けると引き金を引く。
女性の悲鳴、そして半裸になった兵士が倒れて動かなくなる。
性的に発散しようとしたのだろうが、隠れきれずにユリアに処断された形になる。
そしてユリアは、まだ疲労の少ない己の手勢を集めると手で方角を指し示しながら、それぞれの兵士に何をする必要があり、何処を確保すると良いのかを兵士たちに伝える。
頼もしい娘の姿を眺めながら、普段であればオットーが何か言ってくるのを当然としていたが為に、顎鬚を撫でながら立ち尽くしている自分に気がついた。
ヴィクトルは咳払いをすると、疲労や被害の少ない兵を纏め上げ、これからの行動の為に指示を出し始めた。
── ☆ ──
かつて、ヤクモによって命を救われ、都市の巡回兵から昇進して学園勤務になった男が居る。
城壁が地揺れによって崩壊し、雪崩れ込んだ魔物に小隊全員を殺され、自分も危うく死にかけていた。
魔法によって救助され、その後魔物を互いに排除しながら中継点まで行き着くことが出来た彼は、貴族を救った功績で学園に入った。
使われる側から使う側へと少しばかり上り詰めた男は、魔物から受けた顔の傷とストレスでの老け顔、そして幾らか丸くなった気性によって上手く新たな職場でもやってこれていた。
「隊長。た~いちょ。どうしたんスか? 城壁勤務だなんて」
「ユニオンの連中に門番勤務を奪われたんだよ。仕事に幾らか慣れたと思うから、是非自分らにやらせて下さいってな」
「あ~、あいつらですか。ちょ~っと態度良くないですよねえ。新参のクセに自分らの領域を作って、そこには俺たち立ち入り禁止、寄るなって言われてますもん」
「新参かどうかは別としても、気分は良くないよな……。ってか、新参かどうかで言ったらお前よりも俺の方が新参者だぞ?」
「いやいや、隊長は貴族連中を助けて立派にお勤め果たしたじゃないっスか。どんな堅物傑物が上司になるのかなと冷や冷やしてましたけど、隊長は程よく真面目で、程よく緩いから俺は好きっスよ?」
「よせよ。野郎に好きって言われて嬉しい奴がいるか。どうせなら、こう──」
「そっすね。どうせなら可愛い姉さんに言われたいっスよね。そういえば明日休みでしたっけ? どっスか? 一緒にでも」
「一緒にって、一人じゃ恥ずかしいからって俺を巻き込むな。けど、ま。良いだろ」
「やった! 皆! 隊長が明日は皆で一緒に風俗行けるぞ!」
「は?」
部下がそう叫ぶと、直轄の七名が笑みや喚起の声を上げる。
いや待て、一人だけじゃないのかと彼は言おうとしたが、既に喜色で染まったその場を盛りさげるのはどうにも難しかった。
「ったく、おごらねぇぞ?」
「いやだなあ。ちょ~っと足りなかったら貸してくれればいいな~って、それくらいっスよ」
「何度目だ? というか、毎度毎度何故そんなに金欠になる?」
「ここの飯、味が薄くて飽きるんですもん。俺達は肉体労働! その分味も量も必要だって分かってないんスよ」
「お前は食いすぎだ」
「育ち盛りって言って欲しいですね!」
そう言ってケラケラと笑っていると、彼らの近くにカツリと何かが放り込まれる。
なんだろうか? 等と部下たちが鈍い反応を示す中、隊長の男だけは即座に反応する。
部下を数歩下がらせ、自身が投げ込まれたものを確認する。
それはカギヅメで、何故そんなものが放り込まれたのか隊長は理解できずに居た。
だが、その先に縄が繋がれていて、グラグラと揺れているのであれば導き出されるものは単純だった。
誰かが壁をよじ登ろうとしている。
その事を理解すると、彼は縄の先に居るであろう人物に剣へと手をかけながら覗き込んだ。
「だれっ……」
「あ、お──」
誰だと、叫びきるよりも先に隊長は相手の顔を見てその先を霧散させてしまった。
なぜなら、壁をよじ登っている男はかつて自分の命を救ってくれた男だったからだ。
その男が何故壁をよじ登っているのか、その事についても理解できずに居る。
「何、してるんだ?」
「あぁ、いや。門がユニオン国の連中で固められてるから、どうしようかと思って……」
「……とにかく登れ。そこは外から目立つぞ」
「うい」
壁をよじ登っていた男、ヤクモはそう言われて城壁を登りきる。
そして転がるようにして上がるとそのまま倒れこむ。
迷彩服は血だらけで、所々斬られていたり裂けていたり、穴が開いたりと悲惨な様相を見せている。
その姿を見て、隊長はただ事じゃないと理解した。
「どうした?」
「いや、ちょっと……。戦争を防ごうと奔走してて、けど乗り込まれたから最終防衛線として戻ってきた次第で……」
「戦争? 最終防衛線? 何を言ってるんだ?」
「ユニオン国の連中がここに軍勢引き連れてやって来てるんだよ。おたくら、何の情報も来てないの?」
「いや。ここからじゃ街中も余り見通せないからな……というか、何故ユニオン国の連中が来るんだ?」
「偉い所の子供が沢山居るから、そいつらで国の困窮を救うための飯だのなんだのを引き出すんだと」
「英霊が居るのに?」
「英霊が居ても万里を見通し察知できる訳じゃないだろ。その証拠に都市には既に入られてるけど、英霊含めて誰も何も知らないんだから。それに、英霊も生徒を人質に取られたら見捨てられないし、身動きが取れないだろ。何処に居るかも分からない人質、事実かどうかも分からないまま行動できないんだからさ」
ヤクモはそう言いながら、数度呼吸を整える。
目の下は真っ黒で、身体を起こすことでさえ困難な程に疲れきっている。
隊長はそんなヤクモに手をさしのべ、引き起こした。
「そうだ、学園長の所に……ちょっと話を通しに行ってくんね? それと、部下を貸して欲しい」
「何をするんだ?」
そう訊ねた隊長に対して、ヤクモは厭な笑みを浮かべた。
楽しげであり、或いは敵対者の破滅を望むような深い笑みだ。
「楽しい事するんだよ」




