127話
── マリー ──
ヤクモの事を意識外に置いたミラノとは対照的に、マリーは逆にヤクモの事を考え続けてしまった。
それはアリアが戻り、無事であることや噂を言外に否定しても同じである。
ヘラ経由で事情を幾らか聞いていても、マリーは落ち着けずに居た。
そもそも、ミラノと同じか比べ物にならないくらいに動揺していた。
魔法の技術刷新にミスを連発し、調合実験では配分を間違えて部屋を吹き飛ばす。
そう言った失敗を、ヘラから話を聞かされるまで続けてきた。
「遅い。遅い遅い遅い遅い遅い!!!」
そして、ヘラから話を聞かされたマリーは内心期待していた。
神聖フランツ帝国への道中や、起きた出来事。
それらを踏まえて”頼られるかも知れない”と考えていたからだ。
マリーは悪く言えば寂しい女であり、良く言えば気の置けない相手と言うものに興奮していた。
彼女は常に一人で、ヘラと姉妹でありながらも傾向は攻撃的である。
魔法使いとして優秀すぎるが故に、状況ゆえに彼女には部隊が無かった。
共に作戦を考え、他部隊との連携を考えつつ自部隊を考慮し、皆で何かをする。
そう言った経験も体験も無かったので、ヤクモとの旅は彼女にとって”転ぶ”には十二分に過ぎた。
「あは~、マリー? だからね、ヤクモさんは”学園に居て欲しい”って言ってたんだよ?」
「だとしても、学園に戻ってこなきゃ変な噂が消せないじゃない!」
「ん~、ヤクモさんは噂の方は気にしてないんじゃないかな~? 私たちに学園を安全にしていて欲しいって思って、そうしてるから頑張れてるんじゃない? 昨日と今日とで色々やったみたいだよ?」
「あ゛~!!!姉さんは繋がってるから何でも分かるからズルい!」
「何でもは分からないよ。分かってる事だけ……なんて」
そう言って、ヘラは暴走しそうな妹の制御に忙しかった。
忙しいというよりも、そうやって生気に溢れている妹を見て僅かに幸せを感じているというのが正解なのだが。
マリーとしてはヘラやカティア経由じゃないと何も知ることが出来ないのがもどかしいのだ。
そして自分の姉であるヘラは四六時中、好きなときに言葉を交わせる事を羨ましく思っているのだが、本人がその事に気付いておらず「ズルい!」という子供染みた言葉しか吐けずに居る。
「そもそも、侵攻したユニオン国が悪いに決まってるし! なんでそんなのを庇うのかワケ分かんない……」
「ん~。説明した時寝てた?」
「起きてたっての! 目もパッチリ、どっかの引き篭もりとは違って寝なさ過ぎてむしろ目が冴えてたし!」
「ちゃんと休まないとダメだよ~?」
「それはアイツも同じ! この前は一人で物資を焼いて、今度は片方を強奪して、もう片っぽは全部行方不明でしょ? しかも輸送部隊を指揮していた隊長は二人とも身体を壊して移動出来ない状態にしてあるとか、馬鹿げてる!」
「ま~、聞いてて私も馬鹿げてると思うよ? これじゃあまるで……」
「うん、まるで……あいつと同じね」
そう言って、マリーとヘラは名前の忘れられた男を思い浮かべる。
一度は敵対し、一度は共闘した人物。
マリーを殺そうとしたかと思えば、ヘラを救う為に命令とは言え力を貸した。
その人物はかつて仲間内の不穏分子を粛清したり、汚れ役等を請け負っていた。
ヤクモが現在やっている事が、その名も無き英霊と同じだと感じたのだ。
「英霊を関与させない、国が関わる前に個人的に終わらせる。そうする事で無かった事に出来るって、少なくとも英霊や歴史に弓引いた存在じゃなくなるって……本当に、ヤクモさんは信じてるよ?」
「一人でやる事じゃないっての!」
「ローちゃんが行ってるから一人じゃないし、プリちゃんも行ってるよ」
「は゛あ゛!? じゃあ何で私は呼ばれないし!」
「だって、ローちゃんは偵察とか地図作成とか……情報とかを得るのに役立つし、表に出てこなかったら関与してないって言い張れるもん。それに比べたらマリーに出来る事は?」
「できる、ことは──」
「破壊」
「う゛……」
「暴力」
「グハッ!?」
「目立つ」
「うごぉッ……!」
「攻撃ではすんごい役立つと思うよ? けどね~、今回は見つからずに、出来る限り素早く、沢山の事をする事が求められてるよね~。それだと、マリーは向いてないよね」
「うっ、うるさいうるさいうるさいうるさい!」
ロビンは狩人、狙撃手や斥候としての経験や技量、知識に富んでいる。
それ故に今回のヤクモの行動に同伴できただけであり、それは『尻尾を掴ませない』と言う信頼をしていたからだ。
逆にマリーはローブやマント、大きな三角帽子と言った被発見率の高さや行動阻害率の高さもあった。
そして斥候や偵察、着眼点などを持たないが故の『全て吹き飛ばせばオールオッケー』と言うものが、今回は不適合なのだ。
「ふっ、ふ~んだ! その時が来たらぜ~んぶふっ飛ばしちゃうんだもんね!」
「マリー……。殺さないで出来る? 学園や学生にも被害を出さないで」
「……──」
「だよね~? だからさ~、ほら。とりあえず落ち着いて……」
ヘラは自分の妹がここまで感情的に暴走しかけているのを見て、遠い昔を思い出していた。
それこそ、自分たちがまだ学生だった頃で、自由気ままに己を表現できた頃。
──だ~か~らぁ~! 姉さんは良くても私は嫌なの!──
──何考えてるのか分かんない男と一緒だなんて、ぜったいイヤ!!!──
ヘラはその事を思い浮かべてクスリと笑うと、部屋の窓に影が差し込んだのに気がつく。
何事だろうかと見れば、建物の外壁をよじ登ったのか、ヘラが逆さになりながら窓から内部を覗き込んでいた。
「あれ、ローちゃん?」
「え、ロビン? なんで?」
マリーが自身の部屋に巡らせている魔法を解除し、ロビンを部屋へと入れる。
話し声や、外部から覗き見られたり窓から侵入されたりした場合の対処をしているのだ。
防御を高めていた分不便ではあるものの、主人である彼女にとっては余り手間ではない。
「ぷあっ……。おひさ~?」
「おひさ~、じゃない! アイツは!?」
「ん~、ちょっとまつ……」
部屋に入ったロビンは少しばかりふらつく。
見れば少しばかり目が普段よりも細められ、その目も充血している。
「……ん、だいじょ~ぶ」
「ローちゃん。もしかして、ずっと起きてたんですか?」
「ん。てい~さつとか、おてつだいして、そのまま、こっちきた」
「じゃあ、アイツの方はもう大丈夫ってワケ? それとも、お役ゴメンかしら」
「んと。さくせんの、いちぶ? このあと、ヴィスコンティにむかう」
「……姉さん、分かる?」
「えっと~。ちょっと聞いてみるね」
ヘラはそう言ってヤクモへと主従関係の声を飛ばす。
会話の内容は他者には聞くことが出来ず、どんなやり取りをしているのかはマリーにすら分からない。
「で、どんな事して来たのよ」
「んと。ちけ~ず、てきのこ~ぐんけいろ、ぶっしのうんぱん、しゅ~せきをふまえたじんちこ~ちくのかの~せいのしてきとか、いろいろ?」
「……あ、あ~。うん、なんとなく、分かってきた。相手の動き方の調査の手伝いをしてたって事?」
「そ~ゆ~こと」
「けど、それって団体や集団だから意味の有る事でしょ? アイツは今一人で動いてる訳じゃん。意味有るの?」
「じゃまとか、いやがらせするだけじゃなくて~、あいてがどれくらいはやくうごけるか~とか、いろいろ?」
「──……、」
ロビンの話を聞いていて、理解したつもりになったマリー。
しかし、ロビンが言葉を重ねるほどにプスプスと思考が焦げ付いていく。
魔法特化、攻撃特化、見敵必殺に傾倒しすぎた彼女には単語の意味は理解できても、それが何を齎すのかを繋げることができなかった。
「マリー。りかいしなくてい~」
「出来てるしっ! 右足を出したら、相手が右足を地面につける前に蹴飛ばすってことでしょ!?」
「……まちがってないからこまる」
そして、マリーの導き出した猪のような解答にロビンはため息を吐いた。
ロビンは狩人として様々な事を学び、識り、理解してきた。
逆にマリーは魔法一辺倒で、戦術だのなんだのと言った事には疎く、そう言った意味でもマリーをヤクモが頼らなかったのは正解だと言えるだろう。
そうしている間に、ヤクモとの会話を終えたヘラが二人を見る。
「えっとですね。ローちゃんがヤクモさんを探しに出たという事と、ヴィスコンティの公爵さんの所に向かう事で相手に圧力を与えたいそうです」
「圧力……。失敗を誘いたいとか、そういうこと?」
「相手に行動を急いで欲しいんだって。 腰を据えて時間をかけられると不都合だから、学園の内部も外から来てる方も急いてくれた方が都合が良いとか」
「……? ねえ、私の頭ってもうおかしくなった? 相手に来て欲しくないのに、早く来て欲しいってどういうこと?」
「……確かに、それは不思議だよね~。けどさ、物を焼いたり奪ったりしてるって事はさ、食べ物とか落ち着きとか、そういうのを奪ってるってことだよね」
「けど、そういうのって……やっぱり、団体や集団だからやる事じゃない? それとも、そう言ったことに向いてる地形とかあるの?」
「ない。ヤクモ、ぷりどぅ~とふたりでやるって」
「……あの機械人形と二人で?」
マリーはそれを聞いてから数秒考え込んで、顔を抑えて罵倒する。
「ばっっっかじゃないの!?」
「あはは……」
「敵を急かす、けど二人でやる。時間は無い、やる事は多い、となると休む時間も眠る時間も殆ど無いに決まってるでしょ!」
「……マリー、わかる、の?」
「手の数と足の数と距離くらい分かるしっ」
「ヤクモさんは何とかするって言ってたけど、どうかな? できそうかな?」
「……ヤクモのこと、あまりしらない。できるかはわからない、けど……」
「けど?」
「できないこと、いわない……と、おもう」
「……ねえ、ロビン。真の冒険者とは冒険をしない者の事であるって知ってる? 出来ないことを言わないかどうかじゃなくて、堅実で着実に行えるかどうかを聞いてるの。大体、一人と……一つで一つ部隊を足止めして目標を達成するって、それって相手の進路が限られてる時に限られるじゃない。谷間も無い、渓谷も無い、川も無い。有るのはだだっ広い平原と幾らかの森林だけ。相手の戦力を限定も出来なければ制限もできない、そんな中に一人でノコノコ顔を出せば袋叩きにあう。そうじゃなくても騎兵に轢かれたら人なんておしまいだって分かってる?」
「う、う~……。けど、だいじょうぶって、わたしは、こうしたほうがいいって……」
ロビンはマリーの主張を理解していた。
自分の調べてきた地形情報などを踏まえても、ヤクモとプリドゥエンのみでどうにか出来るような場所は無い。
物資を焼いた事で騎兵隊が南北へと散り、輜重部隊も同じく去っていった。
その事で本隊の兵力と輸送能力は幾分削がれてはいるが、だからといって焼くもの戦力が百倍や千倍になるようなどんでん返しは起こらないのだ。
それでも、ロビンは自分が何故それを指示されたのかを理解できずとも、意味があるのだろうと思った。
否、信じかけていた。
だから首傾げながらも、時間が無いと背中を叩かれるがままにマリーに言われるまで考えずに来たのだ。
「ちょくせつ、かかわれない。けど、こうするとたすかるって、ヤクモがいった、から……」
「はぁ……。まだ何か隠し玉があるって考えたほうが良いのかな」
「さあ、どうだろうね~? けど、一つ思い出そうよ、マリー。ヤクモさんの口癖」
「……ノンビリしたいだったと思うけど。それが何の関係が有るの?」
「ノンビリしたいって事はさ、少なくとも死ぬ気は無いって事だと思うし。それに……私の方もね、カティアちゃんに声をかけておいたから、少なくとも三人にはなるから慎重になると思うし」
「──……、」
マリーはヘラの言葉に、何かを言おうとして……止めた。
死ぬ気がないと言う考え自体が、そもそも間違いなのだと言いたかった。
しかし、口にする事が出来なかったのは、その原因が自分にあったからだ。
英雄殺しとなり、その男から救う為に致命傷を負ったヤクモ。
ヘラの魔法で傷口こそ塞がりはしたが、出血多量で立つことも困難な身体になってしまったこと。
そして……それでは良くないと、とある深夜に彼は一人屋敷を抜け出した。
──クソ、クソクソ。死ぬのはイヤだ、痛いのもイヤだ、こんなのはイヤだ、俺ばっかりこんな目に──
──イヤだ。イヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだ──
自らの頭を自らの武器で貫き、蘇生した後。
ヤクモは誰も居ない場所で死と虚脱への恐怖で壊れかけていた。
頭を搔き、身体を搔き、腕を搔き。
正気を幾らか失っているようにすらマリーには見えた。
だが、それらはやがて方向性を変えて収束する。
──失敗するのはイヤだ、失うのはイヤだ、俺の……世界を壊されるのはイヤだ──
個から周囲へ。
独りから、一人へと問題をすり替え、飲み込み、自分を騙す。
──失敗してない、マリーは助かった。誰も悲しんでない──
──なら、これは成功だ──
自分が死んだ事を失敗とはせず、自分のしたかった事が満たされたかどうかで失敗かを判断する。
ミラノが救えたか、マリーが救えたか。
誰か苦しんでないか、誰か悲しんでないか。
そうやって、自分が支払った代償を無視しながらも結果のみで是としてまた眠る。
狂ってるとは言えなかった、なぜなら自分たちも同じようにしてきたから。
おかしいとは言えなかった、なぜなら自分たちも人の為にそうしてきたから。
英霊だから許されて、英霊じゃないから許さないという事は言えない。
そもそも行動に誰が制限をかけられるのか。
「カティ……」
マリーは、英霊でもなく生徒でもない一人の人物の名を呼んだ。
しかし、その相手はミラノと同じように部屋に篭ったままであった。
── ☆ ──
南北の物資調達も失敗したその日、白旗を掲げてやって来る人物が居た。
オットーと言う人物の名を出し、話がしたいといって接触してきたのだ。
普段であれば門前払いであり、ここ数日での出来事を踏まえれば余計に近づけるわけにはいかないのだが、拒絶する事が出来ずに引きずり込まれる。
──南北と、先日のこちらでの事件での事でお話が──
当然ながら、兵では軽率に判断できない。
では下士官なら大丈夫かと問われると、そもそも南北と先遣部隊の指揮者ではない。
そうやって話が上にあがって行くと引きずり出されるのは一人の男だった。
「君は──」
「どうも。こうやってちゃんと挨拶をするのは初めてかなと。記憶の無い男ヤクモと申します、以後お見知りおきを」
それは、オットーにしてみれば意外すぎる相手だった。
つい先日軍服を盗んで潜入していた男だったのだから。
簡易的とは言え会合の出来る場にそんな男を入れた、オットーはどうすべきか幾分困る。
「……茶は好きかな? それとも、珈琲か」
「こー……。ユニオン国では珈琲は飲料として?」
「茶葉は育ちにくいのでね。それに、あの苦味が私は好きなのだよ」
オットーは、単身で乗り込んできた事にとりあえずは敬意を示すことにした。
彼らにとっては見慣れない、迷彩服に身を包んで落ち着いている様子は外見の若さに相応しく見えなかった。
過信した馬鹿者か、それとも外見に相応しくないほどの若者なのか。
オットーはヤクモから飲み物の注文を近くの部下へと頼むと、暫く目の前の若人を眺めた。
挨拶をした時の人のよさそうな笑みは消え、緊張の色や思考すら読み取れないほどの無表情へと変わっていた。
「……さて、飲み物が来る前に話しだけでも聞こうか。南北での出来事、それと先日の出来事。その件で話があるとか」
「ん、その通り。その二つとも、そして先日は顔を会わせているから分かってると思うけど、こちらはその全てをやらせて貰った。物資の強奪を北部で、南部ではそちらの目を盗んで全て盗ませてもらった。その挨拶と、こちらの意図及び、相手が誰なのかを認識してもらいたくて今日はあがらせて貰いました、っと」
「……さて、なんの事かな」
「あ~、白をきりますか。けど、それもまた正常な反応か。……北部にて物資集積所の兵士が全員昏倒していて、一人の男がそれらを見慣れぬ乗り物に全て乗っけて追っ手も撃退してそのまま逃走。南部では警戒を密にしていたにも拘らず、誰一人として入らず、交代もしていなかったのに一……失礼。軍事時間で言う一時間半後、中が綺麗さっぱり空っぽになっていたという事を全て知っているってのは、信じるに値しないかな?」
ヤクモはそう言って、全ての情報を自ら言い出す。
それは全ての情報を聞いたオットーなどを含めた、一握りの上層部しか知らない話であった。
「なるほど。どうやら君達の事のようだね」
「おっと、君たちじゃなくて”君”だ。あんた等のおかげで学園に帰るに帰れず、何処の支援も受けずに単独で全て行った。強行でも、隠密でもそちらを出し抜けるという証拠をこちらは提示したかったのと、少なくとも手ぶらじゃそっちは何一つとして話を聞いてくれないだろうと思ったからね。南北それぞれでの物資の品目や数量とかも言った方が良いかな?」
「いいや、少なくとも自分と君との間では疑わないと言う事にしよう。この間も君は単独でやってのけた。君が独りであろうと無かろうと、脅威である事に代わりは無い」
そう言ってから暫くすると飲み物がやって来て、それがオットーとヤクモの前に差し出される。
ヤクモは己の好きなように味付けをし、敵対者から出されたものに物怖じせずに口をつけた。
「……それで、君の望みは何かな?」
「いや、話は単純でね。目的は既に理解できているからその上で言わせて貰うけど。俺はただ自分の考えを伝えに来ただけなんだ。だから望みと言うよりは、ただの宣告でしかない」
「ふむ。それで、何を伝えに来たと」
「今ならまだ他国や英霊が関与していない、行ってしまえば未遂として言い訳が出来る状態だ。だから帰ってくれるのならばそれでも良いし。いや、やるんだ! って意気で学園の制圧を目論むのなら、俺が出来る限りの邪魔立てをするつもりで居るから、そこのところ宜しくと」
ヤクモの言葉を聞いて、少し噛み締めるようにオットーは考え込む。
それから笑いをくつくつと漏らしながら、それでも幾らかは噛み殺していた。
「いやいや、それではこちらに利が無い」
「うん、そう言われると思ってたから、個人的な準備と俺個人で働きかけられる事を全て記載してきた。その前払い分として……失礼」
室内の空きスペースの一角までヤクモが行き、その様子を予断無く見つめる。
しかし、何をしたのか分からない内に幾らかの光を出しながら、様々な品がそこには積み上げられていた。
「焼いた分はしょうがないとして、強奪と収奪した中の一部を今回の面会で返却する。んで、その上で手を引くのなら南北の物資全てと、自分の持ちうる知識やコネ……えっと、人伝を使ってそちらの……なんだ、食糧難と風土病などに対応する為に英霊を経由してでも援助を供出させる為に助力する」
「──これはこれは……。参りましたな」
「まあ、出来るか出来ないかは分からないけどさ。少なくとも神聖フランツ帝国に対してはヘラを人質にしているように圧力をかける事も出来る。ヴィスコンティに関しては……んま、英雄としての名前を使って道化でも演じるさ。ツアル皇国に関しては国を知らないから何とも言えないけど……。後は、場合によっては自分も行ってみて薬学だとか、魔法関連での解決が出来ないか調べる事も出来る」
そう言ってヤクモは、遠まわしに『こういうときにこそ、チート能力をそれとなく使うべきだろう』と言った。
現地入りしなければ分からない事も多いが、それでもシステムウィンドウを開けば病状や回復手段も分かる。
土地に関しても、若干楽観的では有るが除染できたりするのだろうという確信すらあった。
「で、今の発言は既に文書としてそちらに引き渡せるように用意してあるから……とと、これだこれ。後で嘘をついただとか、交渉や行動としてそちらが再確認しやすいようにもしてある。目的、手段やその為の行動。その為にこちらが供出できる事柄と、出来るのであればそちらに負担して欲しい事の目録。一つの行動につき欠落や不足が生じた場合の推定達成率や代替可能か否かもすべて計算してきた」
「確認してもいいかな?」
「どうぞ」
ヤクモはストレージから出した、幾らか急いて書いたであろうその書類をオットーへと引き渡す。
オットーは苦笑しながら「字の練習をしたほうが良いな」と思いながらも、その内容に関しては笑みを消すしかない。
「……なるほど。良く考えてるみたいだ」
「字が汚いのは勘弁してくれ。何事も無く穏便にことが済むのならそれで良いし、呑めないとして突き進まれてもいいように色々とやるべき事をやっていたから……。時間が、足りなくて」
「休んで無さそうに見えるがね。それでもここまでするのはなんらかの利益や見返りがあるからかな?」
オットーは書類を机の上に置き、ヤクモを見る。
睡眠不足と疲労が行き過ぎて、逆にハイになっているヤクモは彼の目線を真っ向から受けた。
初老の軍人と、若さと能力で全てを押し切ろうとしているヤクモ。
その対極にありながら、根っこ自体は同じでしかない。
「見返り?」
「だって、そうだろう? 君のしている事は単独で成すには馬鹿げた事柄でしかない。ヴィスコンティや主人に何か見返りを約束されているのか、或いは見返りを求める腹積もりなのか。そうじゃなければ説明がつかない」
「はは、狂人か底抜けの馬鹿な善人でも無けりゃしないでしょうねえ」
「その通り」
そう言ってから、ヤクモは珈琲を飲む。
苦さ、甘さをごっちゃにして思考と言う歯車へのオイル代わりに差し込んで自分の手を考える。
「それだったら、英霊の助力を借りても良いし、むしろ積極的にそうすべきだと思う。事前に事柄を察知して国に報告したというだけでも決して小さくない報酬くらいは貰えそうですしねぇ……」
「まず、そこからして疑問なんだよ。英霊と親しいと聞いてはいるが、今回君は単独で行動している。正気を疑いたくなる」
「それに関しても書類に書いてるけど、まあ……口頭で言うなら──ああ、これに関しては笑ってくれてもいいっす」
「もう既に笑いたいほどの事を言ったりしていると思うけどねえ」
そんなオットーの突っ込みに、少しばかりヤクモは笑う。
自虐的とも、自嘲的とも言えるような笑みではあったが、オットーはそれを照れ隠しと解釈した。
「英霊の話が本当なら、人類が再び滅亡するような危機が来るという事になる。その中で結末はどうであれ、英霊が絡んだり他国が絡んだらユニオン国……いや、ユニオン共和国という集まりが白眼視され、何時消えるかも分からない禍根と悪名を残すことになる。けれども、俺が個人であんたらとやりあって、その上で防げればそれは未然である以上幾らでも言い訳が出来る。他国が何を言おうと、英霊が口を開こうとしても”事前で未然”である以上、シラをきれば良い。そうすれば嫌疑や多少の嫌悪はあれども、この件で受ける被害はほぼ皆無に出来る。そもそも、そっちで焼かれたのは国内の物資、兵は損じてない。まだ自国を出ていない以上、なんとでも言い訳が出来る」
そして、ヤクモの口から出たのは”夢物語”であった。
一人で……独りで見るには壮大すぎる馬鹿げた話。
けれども、夢物語の為に”現実を見続ける”という相反した行い。
オットーは、目の前の人物をどう見るかで迷う。
売名行為ではない、それどころか舞い上がった夢見るバカでもない。
大言壮語だと自覚しながらも、その為に現実的な手を打てるようにと全て考えている。
ペラリと捲れば、ヘラを利用した場合の”負債”も描かれていた。
ヤクモと言う男に降りかかる汚名や悪名、ヘラを人質にしたかのような偽善行為への難しさやその為に接触すべき相手なども描かれている。
少なくとも神聖フランツ帝国とヴィスコンティに関しては、英霊だけではなく自身で出来ること全てを羅列し、描き、そしてその行動で生じるメリットとデメリットまで示しているのだ。
夢を追う為に現実を見て、夢を負う為に現実を知る。
オットーは笑みを浮かべた。
若いなと言う羨望もあったが、それ以上に彼は”一歩一歩を踏みしめる者”としての恐ろしさも感じる。
「君はこちらを助けようとしているのか分からなくなるね」
「しょーじきいえば、個人的にはどうでも良い」
「ならば、なぜ?」
「何処の国からも問題が排斥されれば、俺は思いっきり寝る事が出来るんだ。個人的な願望として、自由気ままに、明日は北へ明後日は南へ、気が向けば西へ、気になったから東へと向かうような生活がしたい。魔物以外の大きな脅威は無く、国同士のいざこざも無い状態でこの世界の遠い過去の遺物とやらも探してみたいし」
そして、壮大な大言壮語の後に出てきたものが”普通なもの”でオットーは今度こそ笑いを堪え切れなかった。
声を幾らか漏らしながら、本来であれば前後が逆だと言いたくなるようなそれらをずっと吟味し続ける。
人類の危機に対して全ての国が問題が無ければ良いなという”理想”。
自由気ままに生きて、ノンビリしたいという”夢”。
「君はっ……、面白い人だ」
「いや、まあ。仕事しなきゃ糧も得られないんで、そもそもノンビリ出来ないんですけどね? けど、良いじゃないですか。理不尽に生きて、理不尽に死ぬ……。自由と言うのは、自儘に生きるとは……そういう事じゃないですかね?」
「いや、そうじゃない。君は……逆が過ぎるんだよ。自儘に生きたい? 好きな事がしたい? 今君がしようとしている事と、どちらが”理想”でどちらが”夢”なのか──それらが逆になってるとは考えなかったかな?」
「──……、」
「普通の人はね、ノンビリしたいとか自儘に生きたいというのを”現実的なもの”として語るんだよ」
オットーに指摘されて、ヤクモの顔に笑みが張り付いたままに硬直する。
しかし、それも一瞬の出来事で、より深い笑みを浮かべて彼は乗っかった。
「いいや、矛盾してないですよ? 参謀殿。現実的な脅威が目の前に迫れば、理想と夢は逆転する。平和主義者も自分や家族、近しい者に危害が及ぶのなら農具だろうが棍棒だろうが手にとって戦う。ノンビリしたいという個人的の希望が、現実的な脅威であるオタクらを前に逆転するのは何らおかしい事じゃない。あんた等が学園に来る事で俺の日常が崩壊すればノンビリもクソも無くなる、のなら理想じゃなくて夢になるのは変だとは思わないね」
狂人だと言い切られる前に、相手の論に支配される前に覆す。
変人や狂人だと言い切られてしまうと、これからの行動に支障が出ると彼は判断した。
事実、現在の行動そのものが常人の範疇に留まるかと言われたら大多数が否定するだろうが。
変人や狂人と言う烙印を押されたら、正しいと思える行動ですら疑念と疑惑で覆い被さられてしまう。
それを個人の力では押しのけられないのだ。
「一日を寝て過ごす男でも、目前の脅威には起きて武器を取る。平和が崩されると思えば、平和が確立されると思うまでは争いに興じる事も厭わない。”人は”、矛盾しながらも一貫できる生き物ともいえるし、一貫して矛盾しているともいえる。平和の為に戦えるし、戦いながら平和を願うということも出来るのだから」
「そうか」
そう言って、オットーは手を挙げた。
すると、出入り口を固めていた兵士や部屋の外に控えていた兵士たちが突入してヤクモに銃を突きつける。
ヤクモはそれでも笑みを浮かべたまま、荒っぽく床に引き倒されて拘束されて膝立ちにされても笑ったままだった。
「こりゃ、話し合い自体が無かった事になる感じかな?」
「いや、それよりももっと悪い。君は単独であるという事を表明しなければ良かった。なぜなら、君をここで排除してしまえば、私達はこれから先大きな障害に悩まされずに済むという事が分かってしまったからね」
「あぁ、なるほど。そりゃ……確かに」
「単独でそこまで出来た事、そしてそこまで考えた事は評価したい。けれどね、それが味方であるのならいざ知らず、敵対者である以上は居ない方が好ましい」
オットーは目の前の男を”脅威”と判断した。
それも、排除した方が良いと思えるほどに。
方法や手段に関して色々と問い詰めたいほどに、南北や先日の事柄に関して聞きたくはあった。
けれども、相手が手土産を持参した上に首まで差し出したのだからこれを逃す訳には行かなかった。
「最期の言葉くらいは君の主人に伝えようか」
「……なるほど。これが俗に言う”良い報せと悪い報せがある”ってやつか。良い報せは”自分が主役”だと言う事、悪い報せは”それが死を以って証明される”ってことか」
「浅はかか……あるいは、若すぎたか。そもそも、君は一つ見落としている」
「後学の為に聞いてもいいかな?」
「我々は、時間をかける余裕など無いのだよ」
オットーはそう言って拳銃を引き抜いた。
間違いが無いように、ヤクモの額に銃口を押し付ける。
安全装置がはずれ、引き金に指をかけられた。
「最期の言葉は?」
「全て……」
「全て?」
「台本通り《ブックメイカー》」
ガシュ! と、機構と魔力が変換されて放出される音が響く。
至近距離で放たれた弾丸は単発式でライフリングの存在しない銃の弾丸よりも遥かに威力を持っていた。
銃口を押し付けられたのとは反対側から、ヤクモの頭の中に詰まっていた物が飛散した。
暫くは痙攣していた身体も、兵士が離して脈を確認すると死亡が確認される。
「台本通りというのは、何の意味が……?」
オットーは、死体の片づけを兵に任せて背を向けた。
彼が持ち込んだ資料は破棄すべきかどうか悩んだが、彼は取っておく事に決める。
「私たちには、時間がないのだよ」
ヤクモの提案したものは長期的なものになり、ユニオン国から流れ出る血を止めるまでにどれくらいの血が流れるか分からない。
オットーは、学園を制圧してそこを完全に支配する事で民の移住すら考えていた。
中立地帯という名の空白に住めるのであれば、開拓や移住すら選べるくらいには出生と死亡が見合っていなかったのだから。
書類の冒頭に描かれているのは『ユニオン国を悪者にすることなく、その上で救う為に何が出来るか』というお題目が掲げられている。
そのお題目を掲げた”夢想家”は”現実”を前に今しがた死んだ。
──すくなくとも、オットーはそう考えていた──
だが、兵士たちが声を上げるのを聞いて彼は何事かと振り返る。
そして直ぐに驚愕する事になる。
血にまみれた、今しがた頭を撃ち抜かれた男が起き上がって兵士を全て殴り倒していたのだから。
そしてそのままに、オットーの知る”常人”とは思えない速度で彼に接近してその顔面に拳がめり込む。
オットーの意識が沈み込む前に、死体だった男の言葉が響く。
「全て嘘でした《オールフィクション》」
オットーの意識は遠のき、そして消える。
暫くして、ユニオン国の侵攻部隊は混乱と騒動にひっくり返る事となる。
オットーを人質に、一人の男が悠々とその場を去って行ったからだ。
~ ☆ ~
オットーを誘拐したヤクモが向かったのは、学園のある都市の教会だった。
創世神を崇めるその教会は英霊信仰を前に霞んでしまい、数少ない関係者もアーニャを除き巡礼だの神聖フランツやユニオン国への援助の準備などで出払ってしまっている状況だった。
「それで、私はどうなるのかな?」
「別に? どうもしない。三食酒付き、お茶も出る。処刑も私刑もするつもりも無いからただ今回の出来事が済むまで除外されてくれればそれで良い」
オットーを床に下ろすと、ヤクモはアーニャを見る。
アーニャは既に悲しそうな様相で、目を伏している有様であった。
「アンタを死なせたら意味が無いだろ? 今回の件がどう転ぶにしても、ユニオン国の人材を損ねれば小さくない損失になる。事が上手くいけばアンタは良い舵取りをしてくれるだろうし、喩え俺が大失敗をこいても、他国が簡単に手を出せないような脅威として残ってくれないと困る」
「随分と……回りくどい事をするようだ。そもそも君は何なのかな? 少なくとも、頭を撃ち抜かれて死んだ者が蘇るとは……喩え魔法に長けたものでも死は絶対だと言う認識が有ったが」
「死者、亡霊、化物。好きに呼んでくれよ。そもそも、人間《人の間で生きるってこと》をやってる自覚の方がねーし」
そう言ってから、ヤクモは気絶させてから運搬する為に行った拘束を全て外す。
両手両脚を自由にされ、武装は無いものの自由を取り戻したオットーは自分の身体を確認する。
「もう少し労わって欲しかったね。縄が食い込んで血脈が止まっている。若人のようにすぐに回復とはいかないのだけれど」
「そりゃ悪かったな。アンタを身に括りつけて城壁をよじ登るには万が一が有っちゃ困ったんだよ。学園だけじゃなくて都市にまであんた等の兵が居るんだ、見つからずにここまで来るのにどれだけ苦労した事か……」
「……酒をもらえるかな。少しばかり、現実離れした出来事についていけそうに無い。私も老いたな」
「好みの酒は? 今こちらに自分の使い魔を呼び寄せてるんで、頼めるものなら頼むけど」
「そうだな。どうせ自国を離れたのだから、こちらで呑める酒でも飲んでみたい。生命の水……と呼ばれる物があるみたいだが」
「あぁ、ウィスキーか。それなら……幾らか有るけど」
ヤクモは自身が興味や好みで買った酒をストレージから出してオットーの前に並べる。
様々な蒸留方法や素材、醗酵や熟成の違いで分けられた酒ですら容易に並べてみせる。
当然だが、庶民や下位貴族が買うには高すぎる代物ばかりだった。
「君は……。本当に、三食酒付きをするつもりなのかな?」
「今回は敵対したとは言え、この後どうなるのか分からないのに健康を害したり早世させたら目も当てられないだろ。流石にマッサー……なんだっけ、按摩? とかまではやらないけど。ってか、これから来る子含めてやらせたら俺はキレますけどね。ただ、待遇は絶対に確保する。その代わり、食材に関しては市場に流れてる物を買うしかないから文句は受け付けない」
「良いだろう。こちらも生かして貰っている身だからね。待遇と処遇さえ確かなら一々文句はつけない」
「とか良いながら、目をボンヤリとさせて隙を窺ってるのは止めて貰えると有り難いんですけどね? 今は俺が居るからここに居るけど、後で処置を施した部屋に入ってもらう。態々寝床や調度品までアンタの身なりや地位に合わせたんだぞ? これが給金だけだったら半年は霞を食うしか無いな……」
「……君をどう評価していいか分からなくなったよ」
オットーからしてみれば、高い維持費を払って彼を拘束する事になる。
調度品を整え、三食酒や嗜好品付きで捕虜として今回の件から除外する。
そんな事に利を見出せる人がそもそも居るのだろうか? という話ですらあった。
悩んでいると、教会の扉がノックされる。
ヤクモが警戒しながら戸を開けると、ひょこりと小さな姿が現れた。
カティアである。
彼女は小さなバッグを背負いながら、その場へと現れたのだ。
「来たわ、ご主人様」
「見られてないか?」
「ん、大丈夫。部屋にまだ篭ったままと思われてるんじゃないかしら。ご主人様に貰った経路を使って、ゆっくりと来たから。荷物もバッチリ、準備も万端」
「部屋に引き篭もって貰った甲斐があったってもんだ」
「その子は?」
オットーは見た目幼い女の子が誰なのかを問う。
虜囚となりながらも、出来る限りの事を知っておく事が後に繋がるという事を知っているからこその積極的な情報収集であった。
ヤクモはオットーに何ら隠し立てする事無く、むしろ彼女をオットーに見せびらかすように一歩引く。
「さっき言った俺の使い魔、カティアって言うんだ。ほら、挨拶」
「初めまして、おじ様。カティアの名を頂いた使い魔で御座います。この度貴方様の監視及び不自由ない生活の為にサポ……えっと?」
「助力」
「そうそう。助力しに参りましたの。脱出や篭絡、その他ご主人様にとって不都合な事をしない限りはなんなりとどうぞ。本の調達、お茶やお酒のご用意までさせていただきますわ」
「それは……ありがたいが──」
「ちなみに、カティアも俺に次いで強いから外見で油断しない方が良いぞ? 蹴りの一発が大の大人を蹴り飛ばし、壁に穴を穿つくらいだ。魔法の取り扱いも最近じゃ俺もお手上げなくらいで、痛い目を見た上でその相手に治癒されるという屈辱を味わいたくなかったら抵抗はオススメしない」
「まさか……」
オットーは笑い飛ばそうとした。
だが、それを証明するかのごとくカティアは突如としてヤクモの横っ腹を蹴りぬいた。
ミキミキと言う鳴ってはならない骨の軋むならぬ拉げる音と共に、ヤクモの姿が一瞬見えなくなった。
「ご主人様? 敵とは言え、おじ様に誤解を与えるような……まるで私が化物か何かみたいじゃない」
「あ、あぁ……」
オットーは目の前で常人ならざる力で兵士と自分を叩き伏せた男が、一回りも小さな女の子に軽々と吹き飛ばされる現実を認識するのに時間がかかった。
数秒後、彼はヤクモの出した酒に手を伸ばして呑む事にする。
自分が老いて狭い世界の中で物事を判断していたのか、それとも目の前の二人が規格外すぎるのかが分からなくなってしまったのだ。
「心中お察しします」
「すまない、修道女さん」
アーニャに慰められ、彼女は普通なのか……それともそうじゃないのかも理解できなくなるオットーは、酒を飲む。
その強烈な度数の酒に、殴られたような錯覚を覚えはしたが、彼は半ば諦める事にした。
外部と接触する事もできず、軟禁される部屋は味方と連絡を取る事も叶わない。
四六時中二人が居るとなれば、下手すれば先ほどの蹴りだけでも老体には致命的だと判断したからだ。
「彼は何なんだ? 君は、どういう関係なのかな?」
「彼の様は……私も、どう言っていいのか分かりません」
そう言ってアーニャはヘラリと困った笑みを浮かべた、そして付け足すように言う。
「私たちの関係って、何なのでしょうね」
その言葉の色を、意味を嗅ぎ取ったオットーは黙って盗み見るように二人を眺めた。
黙って二口目に口をつけ、彼は遠いところを見ているのだなと思う。
そして、ヴィスコンティでの言葉を──”持つ者の義務”と言うものを思い出す。
もし目の前で少女と半ば言い争っている男が『持つ者の義務』として今回の事を是としたのであれば、それは不幸なのだろうとオットーは感じた。
それと同時に、自分が抜けた後の部隊がどれだけの困難に満ちているかを考えると、それは酒の影響が無くとも頭の痛む思いがした。




