12話
未知の事柄に遭遇した場合、多くの人は”新しい事柄”に対して臆病になるのだという。
年を重ねた社会人が「こうだったから」という言葉で変化を拒み、若い人が「面白けりゃいいじゃん」と”何故そうなのか”という領域に踏み込まず、無職が「働いたら負け」と”社会を見下す”のはどこか似ているのかもしれない。
そして俺は城壁のような壁に囲まれた学園から出て、実は自分が街の中に居たという事実に気がつけずに驚いた。学園の主要な場所と壁が離れていた事も関係するが、こんな近くに”普通の人”が大勢居ただなんて全く知らずに居たのだ。
「……マジか。こんな、えぇ?」
何たる中世ヨーロッパ旅行か。いや、正確には違うんだけど。世界史の授業で学んだ気のする建築物のあり方とかをそのまま持ってきたかのような感じで建築物が沢山建っており、遠くには十字架が見える、きっと其処には教会があるのだろう。
海外に行ったことは幾らかあるが、その大半は子供の記憶として殆どおぼろげだ。北米、南米なら幾らか行った事はあるが、準・コンクリートジャングルのようなものだった気がする。ただ、車なんてものが無いが故に移動は徒歩や馬が多いのだろう。良い意味で、騒がしかった。
「出て一歩目でそれだと、これからもっと驚くわよ」
「祭日とか休日、祝日の時はもっと多くの人が道を埋め尽くすんですよ?」
「……ねえ、離れないでね?」
ミラノとアリアは俺たち二人に説明してくれている、観光気分だろうか? けれどもカティアの方は学園にいた魔法使いたちよりも多くの人々を恐れているのか、俺にしがみ付いていた。恥ずかしさが幾らか湧いて出るが、俺も自分の死因を思い出して足が動かない。
それでも、カティアがしがみ付いている以上情けないところは見せられないと踏ん張るしかないので意識を切り替えた。自己本位の自分ではなく、闘技場で久しぶりに出した”兵士の自分”を。
「これからどこに向かうのか、そろそろ教えてくれても良いんじゃないかな」
「ま、そうね。今日はそのダッサイ服装を変えるのと、使える武器とかを見てみようかと思ってるの」
「ダサいって、酷くないか……?」
「じ、自分の生まれ育った場所の服をしてるだけだと思います。ですよね、姉さん?」
アリアは俺の味方をしてくれた、ミラノに比べてアリアは別段俺に対して優しくする義理も義務も無いが――。あれか、ミラノが鬼役をやり、アリアが優しい人物としてうまく機能する事で成長や教育をうまくやろうとする軍隊方式だろうか?
鬼役は嫌われても傷つかない精神を持ってないと出来ないし、やり方を考えなければただの嫌な人になってしまうとかつて言われた事が有る。その人は日米共同訓練に参加し、新隊員教育や野戦や市街地戦、格闘と様々な分野を経験し習得している曹の人だった。そして下にも嫌われ、横にも嫌われる、けれども上には信頼されるという状態で、一部の人は何故かその人を好いていた。俺もご多聞に漏れず最初は恐れ、途中からは嫌い、最後には不思議と好きになっていた。
理由は簡単で、鬼になる人は言ってしまえば”出来る人”に対しては信用や信頼をして多くを語らなくなるからだった。そして今までの態度はどこへか、普通の人と人の関係になったかのような錯覚すらして吃驚したものだ。
「アンタ、魔法を使うのに杖は使わなさそうだし、盾とか槍とか剣の方が良いのかしら」
「短剣に該当するものなら持ってるけど、出来れば剣が良いかな」
「剣……なんで?」
「槍よりも技術はいらないし、斧に比べて軽くていいし嵩張らない。全ての基本にして基礎の武器って感じがするから、かな」
その言葉は彼女にどう響いただろうか、剣に何か嫌な思い出でも有るのだろうか、彼女は少し黙ってしまった。
「――剣。剣、かぁ……」
「姉さん?」
「大丈夫。大丈夫だから――。剣を買っても、ぜっったいに! 私に向けない事!」
「……了解」
剣に何か嫌な思い出でもあったらしい。先端恐怖症とか、トラウマのようなレベルのものでは無さそうだが”刃を向けられる事”で何か起きるのかもしれない。そしてあの様子だ、お互いにとって宜しくないことが起きるだろう。
剣を向けないと宣誓する、それくらいしかできる事は無かった。そしてミラノもそれを聞いた上で剣を向けたら何だろうがきついお仕置きをするという、間違えて殺しちゃうかもとか言われた日には両手を挙げて降伏するしかないだろう。白旗を用意すべきかな?
「噂で聞いてるユニオン共和国の武器に似てる物のほかに、何を持ってるわけ?」
「銃剣と携帯エンピとって言う俺の知ってる”武器・道具”かな」
「じゅーけん、けいたいえんぴ?」
「一つはナイフの事で、もう一つは穴を掘ったりする為に使う道具ですわミラノ様」
どう説明しようかなと思ったら、カティアが簡単に説明してくれた。そしてそれに気がついた時に、それがどういうものなのかとかまで説明しようとして話が長くなるだろうと自覚したために、そのために吸った息を吐く事しかできなかった。
話や思考が長くなり、要所を押さえて纏めるのが苦手すぎて仕方が無い。其処らへんは大学に行けば学べたのだろうか? 今更言っても仕方の無い話だが。
「ナイフと、穴を掘る道具……。農民?」
「魔法使えるのならなんで魔法で土をならしてしまわないんですかねえ……」
魔法使いが農家だったら耕すという所では問題ないし、そもそも雨が降らなかったからなんて問題も発生しない。雨が降らない? HAHA! なら魔法で水を撒いてやるから問題なんて無いぜ! 見たいなアメリカンなスタイルで解決していってくれるに違いない。
新規開墾だろうが、耕しだろうが管理だろうが短時間低労力で行えてしまう魔法が普及したなら農業発展間違いなしなのだろうが――冷静に考えて、結局機械による労働力の消費を抑えられた現代でも農家のなり手が減少した事で日本という狭いエリアですら開墾されない場所はあるのだった。その背景には『輸入・輸出』というものが有るのだろうが、詳しい事は調べなければ分からないだろう。
「……ミラノ先生、穴を掘る道具を馬鹿にするんじゃありません。穴が掘れるという事は、つまり強度があって土を掘るに耐え得る性能があるということだ」
「それがどういう意味に繋がるのかしら」
「これで人を突き、殴り、叩き、斬る事ができるんだよ。つまり自分の身を隠す場所を作りながらも、突発的な近接戦闘にも耐え得るって事だ」
「なんで穴なんか掘るのよ」
素晴らしさを語っていたはずなのに、ミラノには”穴を掘る”という行為を理解してはもらえなかったようだ。実際、グリムが弓を使っていたのを見るに”銃”というものがそもそも知られていない可能性が有る、もしくは魔法という概念によって発達していないか。
弓矢だったら矢盾を置けば地面を掘る時間や労力を避けるし、たぶん”見栄えが悪い”と言う事でやりたがらないのかもしれない。それでも大規模魔法に対して穴を掘る、塹壕を作るというのは無駄ではないと思うんだけどなぁ……。
そうやって考えながら、会話をしながら武器を売っている店と思われる場所へと辿り着いた。しかし、店というよりは鍛冶場に見えるその場所は果たしてその場で商品を手に入れられるのか気になった。
「……臭い」
「奥で打ち込んでるんじゃないか? 炭の臭いだと思うけど――」
「とりあえず呼んで来るから、アンタはここで待ってなさい。わかった?」
「了解」
ミラノは奥へと向かっていき、アリアとカティアに俺は残される。そして暇になったので周囲を見て、其処が金属類で作り上げられた、或いは鍛えられた武器が置かれているのを目にする。
俺は目利きは出来ない、今まで気になったのは装備や武器の耐久度と狙ったとおりに弾が飛んでいくかの調整と、整備時に部品が損耗してないかを見ていたくらいだ。
近くにあった盾を手にとって眺め、その重さを感じながらノックするように叩いて強度はあるのかなとか調べてみた。
「――質は高いのかな。カティア、分かる?」
「さあ? 武器を見るのは初めてだもの、分かる訳がないわ」
「ここの主人とは昔からのお付き合いで、おじい様の代から私たちの家と個人的な付き合いがあるんです。
おじい様と知り合ったときは旅人で、お父様が子供の頃には雇われの護衛、そして今は自前の鍛冶屋を持っているそうです」
「……ん? 年齢計算が合わないんだけど、おじい様の代で旅人してたとして、それから何十年経過して……? 壮齢は既に過ぎ去って引退を考える時期なんじゃないのか?」
「いえいえ、まだまだ若造扱いされることが有るって言ってましたよ。
――あ、その方はドワーフなんです。だいたい二百まで生きる種族らしいので、まだ百にも届いてないから若造と言われるとか」
あぁ、ドワーフか。人間に近い種族で、エルフという種族よりも人間に近い存在だとか。そして人間には出来ない鋳造技術、鍛冶技術によって助けられているところが多いと授業で聞いた。しかし、やはりというべきか迫害されている所は少なくはないらしい。
「ドワーフの方々の作り上げた者は同じ材料を使っても、私たちのような人が作ったものよりも丈夫で、強いものが出来るんですよ?
かつて魔界の王が侵攻してきた時に、ドワーフキングと呼ばれる方が鍛え上げた武器が大変活躍したそうです。
その武器は鋼をも通さないと言われたモンスターの皮膚を貫き、切り裂けないほどに柔軟な肉を持つと言われたモンスターを切り裂いたそうです。
そしてただの一振りが十二英雄の一人によって使われ、一振りすればその勢いを止められる事無く全てを凪いだと言われてます」
「伝説の十二英雄に、伝説の武器か。いかにもって感じがするけど、その剣は今はどこに?」
「それが、噂が沢山あってよく分からないんですよね。国王が保有しているという話もありますし、教会に祭られているとも言われてます。戦いの中でも紛失したとも言われてますし――この鍛冶屋の主人が鍛えなおす為に持っているとも言ってますね」
「おう――アリア嬢、まるで人をフカシ野郎のように言うな」
アリアとの会話を楽しんでいると、建物の奥の方からミラノと共に若干背丈の低い、けれども髭を逞しく蓄え、筋肉達磨とも言える位に素晴らしい肉体を持った人物が現れた。
俺は手にしていた盾をそっと戻し、少しだけ頷いて「どうも」と言った。
「――そうか、お主が今回の客ということか」
「はい、自分は――」
「自然体で話せ。堅苦しいのは好かん。で、剣か?」
「えっと、そうっすね。剣が欲しいんですけど、何か良い物は有ります?」
「抜かしおる。良いもの? どれもワシにとって良い物しか置いとらんぞ!
ワシ自身が気に入らぬ物は全部鍛え直すか破棄しとるわい」
どうやら拘り、プロ意識のようなものが有るようだった。俺は失礼にも彼の重要な領域に土足で踏み込んでしまったようで、慌てて謝ると今度は笑われた。
「ふはっ、ふはは! そう構えずとも良いわ!」
「ゲヴォルグ様、この――この人に合いそうな武器は有りそうかしら?」
「ふむ……。まあ、時間さえもらえれば専用で鍛えられるが」
「それは、ダメ。私が自由に出来る金額の範囲内でどうにかするわ」
ミラノの言葉を聞いてゲヴォルグというドワーフは俺に近寄ってきた。そして「手を出せ」と言われ、て素直に手を出すと彼は俺の手をまじまじと見つめ始めた。俺の手を見て練度を見極めようとしているのだろうか?
「お主、武器をあまり使った事は無いのか?」
「力量や手の豆具合で分かるような武器じゃないんですよ。確かに、幾らか得物を握った事はあるけど、誇れるほどじゃないです」
「ふん、よう言うわ……。素人に毛が生えた程度ではあるじゃろうが、なるほど? 手がガッシリしておる」
筋肉が張っているとか、或いは肥大しているということだろうか? その言わんとしている事は理解できずに居たが、暫くされるがままにしていると彼は手を離し、一本の剣を手に取ると持ち替えて俺に握るように突き出してきた。
「ほれ、持ってみろ。好きに構えてくれても構わん」
「――不恰好ですが、失礼して」
剣を右手で握り締め、左半身が前に来るように構える。左手は何時ものように防御や受け流しのクセで前に来る、それと違う構えは何だろうと逆に剣を握っている半身を前にしてみたが、剣を持ちながら”前に来ている腕が攻撃でありながら防御行動の主になっている”というのがどうにも気になった。
そして自分がこれで良いかなと構えを色々と試行錯誤していると、ゲヴォルグは頷いた。
「まあ、良いじゃろう。握り心地の良い、使い勝手の良い剣を出そう」
「ちなみに、どうするつもり?」
「握り手を少し弄るだけじゃ、別に既存の剣をこ奴専用に叩き直す訳じゃないわい……」
面倒くさそうに、ゲヴォルグは言いながら今しがた俺に渡した剣を奪い、それを戻すとさっさと別の剣を掴んで奥へと消えていく。たぶんそれが俺に向いているということなのだろう。ゲヴォルグの背中を見送り、アリアが「作業場が気になるので見てきますね」と言って追う様に消えていった。
カティアは先ほどから色々なものを試すように見ているが、彼女の体躯や背丈に見合った装備は無さそうで、途中からはただ武器の見た目とその用途を想像している様であった。
「ミラノは気に入る武器とか、そう言うのあるの?」
「え、武器? 無理無理、刃物が怖いの。食事で使うようなナイフは良いけど、武器で使うナイフを見ると、ちょっと……」
「……じゃあここに居るのも、俺が武器を持つのも止めといたほうが良いんじゃないのか?」
「体裁、って言うものが有るのよ。貴方がどう強いのかは見てないから分からないけど、それでも私を守る事も有るんだから、せめて目に見える武器を携行していて欲しいのよ」
「抑止力、って事か」
核の抑止力とは違うが、手を出せば痛い目を見るという事を分かりやすくするというものだろう。そう言うことだろうなと思っていった事なのだが、ミラノは少しばかり驚いたようだった。
「アンタ、よくそう言う事が分かるわね。ええ、その通り。アンタはなにも知らない、けど強いって噂は有るからそのまま『手出しをすれば痛い目を見る』という意味では役に立ちそうじゃない?
それが私の身を守るのに役立つって訳」
「ま、それで役に立てるのなら少なくとも役立たずの無能は脱却かな?」
「それでもカティアより下だけど。アンタ、自分の使い魔を放置してる間に自主的に本を読んで、頭のよさそうな質問をしてくれるのだけど」
俺がそう言われて面食らっていると、商品を見ていたカティアがそのときだけはこちらを見てニヤリとした、物凄く悔しい。
こう、もっと、少しだけで良いんで扱いが良くなりたい。「あいつなら大丈夫」って思われる程度には、安定した地位と評価を得たいと思う。今のところ字が読めない、常識を知らない、アルバート等の特定の人物に対してタメ口で生意気、みたいなものだろう。
――あれ、冷静に考えたら訳の分からない野郎じゃないか? 新隊員として入ってきた奴が、いきなり教育隊の班長とかを圧倒するような事をしでかして滅茶苦茶気に入られてるようなものだ、ぶっちゃけありえない。
「……俺、評判悪い?」
「半々じゃないかしら。立場を弁えていないという意味で嫌われたり、公爵家の一人やユニオン共和国のお姫様とも繋がりが出来たとかで嫉妬されたりとかしてるみたいだけど。
けど、強いという事と、なあんにも考えてなさそうって言う意味では好かれてるところは有るんじゃない?」
「なんか自由奔放気ままな人物像になってませんかねえ?」
「実際そうじゃない。しかも相手や場に合わせて口調や態度改めたりして、憎たらしい……」
「変だなあ。うまくやろうとしているつもりで、周囲との評価に相対して主人からの評価がダダ下がりなんだけど」
「結果じゃなくて手段、方法が気に入らないんじゃないかしら?」
「成る程、さすがカティア。良く理解してらっしゃる!」
「いえいえ、ご主人様ほどではありませんわ」
「あぁ、もう! そういうふざけた態度、イラつく! もうちょっとシャンとして!」
「――人を思い通りにしたい場合は、譲歩するか与えるかしないと成功しないよ」
それは独り言で、どうでも良い言葉のはずだった。けれどもイラついていたはずのミラノがそれで黙り、考え込んでしまったので俺はさすがに疑問を抱き始める。主人であるはずの彼女は、何故こうも自分の言葉を聞いて”それは違う”とか”黙って従え”みたいに話しを持っていかないのだろうか?
文句を言ったりはしたが、俺とて一定の従順さは見せているはずだ。だからいう事を聞かせれば良いのに、彼女はそうしない。間違いは正される、それによって痛い目を見て学ぶ。そうやって歩んできたから、そうされない自分に対する取扱が理解できない。
「ミラノ、一つ聞きたいんだけど良いかな」
「なによ」
「俺を使い魔として使役する、その中でミラノなりのやり方で俺を従えようとしたり、あるいは立場を分からせるという手段の一つとして寝床や食事に差をつけたのは分かるけど……。
ちと、中途半端すぎないか?」
「……どういうこと?」
「――先に謝る、御免。けど、ミラノのやってることが俺には良く分からないんだよ。
俺を従えたいのならもっと制約を付けるべきだと思うし、もっと理不尽でも良いと思ったんだよ。
けど、そうじゃない。ミラノの言い分に対して俺が自論を言った時ってそれ以上追求してこないよな、何でだ?
俺の言葉に呆れてるならまだいいんだけど、知り合って間もない奴の言葉をマトモに受け取ってどうするのさ」
「べっ、別にアンタの言葉を真に受けたりなんてしてないしっ!
ただ……、アンタの言葉で昔言われた言葉を思い出すことが多いだけ」
「――そっか」
俺がそれっきり興味を失ったようにまた武器を見て回っていると、ミラノが苛立たしそうに大きなため息を吐くのを聞いた。
「どうしてそれ以上聞かないのよ」
「言いたければ言うと思うし、言いたくないのなら聞いても無駄だと思って。
それとも、無理にでも聞かれる方が良いのかな?」
「ぜっったい、嫌」
その反応に肩をすくめて”ほらね?”という動作をすると、視界の端でカティアが目線を彷徨わせて”ほっといたら?”みたいな反応を見せてくれた。俺が右手を崩し敬礼にして”了解”と反応するとカティアは頷く。
ミラノは怪訝そうな顔をしていたが、ジェスチャーなどの意味を読み取る事は出来ずにそのまま流した。
「だから、アンタの言葉で昔を思い出して納得してるから黙ってるだけよ。別にアンタの言葉自体には何も感じ入る事は無いから」
「別にそれで良いと思うよ。地位や階級、上下関係でいう事を聞く、聞かないを決めるのは好きじゃない。
結局、ミラノが言う事も俺の言う事もそれぞれにとって正しいし、それぞれ間違ってる。見聞きした中でその言葉をどう取り扱うか考えれば良いし、役に立つところでは従って、そうじゃない場所では好きにして良いと思う。
――人のいう事を聞かないのも、全部何も疑問を抱かずに受け入れるのも大問題だから」
「それ以上、口を開かないで」
「……――、」
たぶん、ミラノは俺の言葉で揺さぶられるところが多いらしい。だから黙り、考え込み、不機嫌になる。もしかしなくても、俺とミラノの相性は素晴らしく悪いのだろう。やる事なす事全てが気に入らないのかもしれない、たぶん口を開き吐き出す言葉ですら気に入らないのかもしれない。
もう黙ろう、求められた時や必要な時以外は関わる事も止めておいたほうがいいかもしれない。他人という存在が久々すぎて調子に乗ったり、知らず知らずの内に不愉快にさせるような関わり方をしていたかもしれない。
ミラノの存在を一旦意識から外し、カティアにナイフを持っていく。これなんかどうだと尋ねてみたところ「私、ナイフなんて無粋なものは使いませんわ」と一蹴されてしまった。
「肉体強化と先ほどの球体で戦う方が好みに合いますの。それに、武器を持つという事はそれを失ったときに何も出来なくなるのが怖くて」
「確かに、武器を持つと言う事で”それを失ったとき”って言うのを考えると慣れてないと難しいよな……」
「ご主人様はそこらへん関係無さそうで。武器で戦って、素手で組み合っても強いみたいじゃない」
「武器は有るに越した事はないけど、無いから戦えませんなんて戦場じゃ言えないだろ?
素手でも戦えて当たり前、武器を使ってプロだと思うけど――そこらへん、時代も職業も関係ないと思うよ。兵士、騎士、傭兵、軍人――どれもね」
とは言え、職業軍人であるか否かだが。当然徴兵制であれば質なんて低くなる、志願制ならそもそも理由は何であれやる気がある奴しか居ないわけだ、質は高まって当然である。
ただ、想像した時代背景を考えると騎士などの志願制の兵士とは別に戦いになったら徴発した民を兵士にしている可能性も有る、となるとそれを指揮する貴族がどこまで装備を整え、兵士を大事にするかじゃないだろうか。
――とは言え、農家の男なんて屈強だろうが。
「なんか重みが有るわね」
「実際に下に誰かつけてみれば分かるさ。胃がひっくり返る思いだよ……。それまでは従う側としてただついて行けば良かったのに、従える側になった瞬間上と下からのサンドイッチ、しかも情報を処理して行動していかなきゃいけなくなる。
上の命令は絶対だ、けれども下を酷使すればいう事を聞かなくなる。自分たちの状態と任務をすり合わせて、上を説得し、納得させながらも命令を遂行していくしかない――変更や撤回が有るまではね」
先日までは仲良く話をしていた同期や後輩が、駒として自分の下につく。そして先日までの関係なんて崩れるかのように”下の者として”こちらを評価し出す。命令が適切じゃなかった、指示出しが遅れた、不備に気付けなかった、過ちを犯した――。上からも、下からも言われる。そしてそれらの失態が”実際の戦場や重大な場面でどれだけ動けるか”という事柄にも絡んでいく。
つまり、部下を、自分を、部隊を死なせるのだ。流動的に動いていく現実に対して、どこまで抵抗し、抗い、勢いに乗り、うまくやるかで全てが変わる。
――背中から撃たれる上官にはなりたくなかった、それが全てだ。
「まあ、これから時間は有るわけだし、徐々に俺が知っている事で役に立ちそうな事は教えるよ。
カティアは俺が居なくなったら困るし、俺はカティアが居なくなったら困るからね」
「ならもっともっと私を大事にしてくださる? それと同じくらい、貴方に束縛してくださるかしら?」
「言い回しがキツくて分からないよ、カティア……」
俺はカティアの言い回しを理解するには、その”お洒落な言葉”を覚えなければならなかった。とりあえずは誤魔化すように頭を撫で、ナイフを元の場所へと戻そうとする。
しかし、ナイフを壁掛けに引っ掛けようとした時に世界が揺れた。それは小さな余震から始まり、そして大きな揺れへと繋がっていく。
「っ、二人とも出入り口付近に!」
「え、何!?」
「地面が揺れるんだよ!」
「地面が揺れる? 何をバカな――」
事態を理解しないカティアと、信じてくれないミラノ。カティアの背中を押して行くように促し、ミラノの手を掴んで出入り口まで近づいた。カティアは出入り口を開いた、外に出ようとして即座に建築物の構造を思い出し、それが自分の居た世界での地震による死亡の要因を思い出す。
――耐震強度がどうなってるか分からない、けれども下手に外に出れば有るのは建物ばかりで落下物や倒壊の危険性の少ない場所が無いのであった。
「カティア、その場で伏せ!」
「なによ、何なのよ!」
「地震を知らないのか!?」
「地面が揺れるなんて、そんな事有るわけ無いじゃない!」
「分からない奴だな、こんなの――」
ミラノが抵抗する、けれども徐々に周囲の武器などがカタカタと音を立て始めてようやく異変を理解したようだった。しかし、その時には出入り口にまで到達するには遅すぎて、本震が来た時にはもう金属や木々の悲鳴しか聞こえなかった。
立っている事が困難で、ミラノが転びそうになるのを覆いかぶさるようにして庇う。背中や腕、足に降ってくる数々の装備。決して痛くないと強がれ無いような衝撃の嵐でもうめき声さえ上げなかったのは、ただ状況理解が追いついてなくて驚く暇や痛がる暇さえなかっただけだと思う。
揺れが収まるまで、微震が去っていくまで数分を要しただろうか。時間の経過を正確に理解する事が出来ないくらいにぼんやりする。
「ヤクモ――ご主人様!?」
「カティア。出してくれ……頼む」
「ま、任せなさい!」
金属音が響き渡る中、徐々に体に圧し掛かって来る重圧が軽減されていく。そして暗かった視界が明るくなってカティアの姿がようやく見えた。退かされたものを見るに、どうやら壁にかけてあった装備やら防具やら、兎にも角にも全てが降り注いだようである。
一歩間違えたら死んでいたかもしれない、けれどもそうはならなかったのは盾が真っ先に降って来てくれたからだろうか、それでも痛いが致命傷よりはマシだ。
「ご主人様、大丈夫!?」
「てて、何とか……ミラノ、大丈夫か?」
「あ、ぁ……」
カティアに掘り起こされた俺は足場を見つけて立ち上がり、ミラノを引き起こして立たせてあげる。けれどもミラノはそのままへたり込んで俺の事を蒼白な顔をして見つめている。瞳が揺れていて、精神的に安定していないのだろう。半ば開かれたままに言葉にならない音を漏らしている、感情と情報が錯綜しているのかもしれない。
遅れてやってきた痛み、そして出血の自覚、疲労感と立ち眩みで脱力してしまった。ミラノと同じようにその場に座り込み、目蓋を閉じて数度深呼吸をすると幾分マシになる。
「ご主人様、血が!?」
「こめかみに何かぶつかった感じがしたから、その時の負傷かな……」
「ち、治癒はまだ知らない! な、舐めたら良い!?」
「舐めなくて良い――舐めなくていいから!?」
カティアが負傷箇所を舐めてきた。くっついてくるという恥ずかしさと共に、女の子に舐められるという更にレベルの高い羞恥心と背徳感、罪悪感まで一緒になってやってきた。首筋から徐々に頬まで熱く感じる、羞恥心とかで真っ赤になってるに違いない。
しかし、こんな状態になってもミラノは呆れたり、怒ったり、それどころか突っ込んだりもしない。流石に変だと思い、カティアを背中に乗せたままにミラノの頬をヒタヒタと触れてみた。
「ミラノ。大丈夫? 気分が優れない、気持ちが悪いとか健康状態に異常が有るなら言ってくれ。ゲヴォルグのおじさんに頼んで休ませて貰おう」
「あ、ぅ……」
「……ダメか、仕方ない」
カティアは背中に居る、だからと下ろすには店内は散らかりすぎ過ぎているのでそのままに、ミラノをお姫様抱っこで担ぎあげると建物の奥へと向かう。当然、その途中も散らかっていた、そして更に奥からは煙が立ち込めてきている。
「アリア! ゲヴォルグさん!」
「小僧、無事か!」
「ヤクモさん。こっちは――けほ――大丈夫です。そちらは大丈夫ですか?」
「ちと負傷したけど全員無事だ。けど、ミラノの様子がおかしい、休ませてやりたいんだけど落ち着ける場所はないか?」
「傍に寝床がある、そこで寝かせてやれ!」
ゲヴォルグの声が聞こえ、煙で若干見えづらい中で寝室らしき場所まで辿り着くとミラノをそっとベッドに腰掛けさせた。そしてハンカチを水差しで湿らせるとそれでミラノの顔を少し拭いてやる。冷たさという刺激と熱の放出の助けになり、幾らか落ち着く筈だと思ったが、今度は震えだした。まるでトラウマを刺激されたみたいで――
「カティア、ミラノを見ててくれ。ちょっとアリアの方に行って来る」
「行ってどうするの?」
「ミラノがこうなった時の対処法とか、知ってるかもしれないだろ?
あと、もしどこかで火災が起きて燃え移った場合、それや部屋が崩れそうだと思ったら自分で考えて行動してくれ」
「自分で――。対処するか、逃げろって事ね」
「ミラノと一緒にな」
そう言い置き、カティアを下ろすと俺はアリアの居る方角へと向かっていく。煙が徐々に濃くなっていく、そしてあちらも逃げてきたかのように遭遇した。
「煙が凄いけど、火事か?」
「火は燃え移らないようにしました。けほっ……、こっちは大丈夫です」
「アリア嬢が来てくれてて助かった。もしワシだけだったら建物ごと焼かれてた……。
して、ミラノ嬢は?」
「今カティアに面倒を見てもらってる。地震が起きてから様子がおかしいんだ」
「――行きましょう。その前に、風の流れを良くしないと」
「そうじゃな」
窓を開き、扉を開けっ放して煙を建物から吐き出させる。そして外を見れば――惨事だ、地震なんて経験した事がないのだろう。半壊している建物が幾つかちらほらと見える、全壊してないとはいえそれでも十分な打撃となるだろう。
徐々に建物から煙が抜けていく、そしてミラノが居る部屋に三人で辿り着いてからアリアが驚く声を上げた。
「ヤクモさん、怪我をされてるじゃないですか!?」
「さっきミラノを庇った時に、ちょっと……。
ミラノは大丈夫、負傷させてないから安心して――」
「そういう事を言ってるんじゃないです! 何でそういつもいつも……」
いつもと言うか、無茶をしたのはまだ決闘騒ぎのあの一回のはずなんだけどな……。どうやら問題児扱いされてる、地味に傷つく。
カティアが幾らか舐め取ってくれたとは言え傷口からはまだ血が滲んでくる、その流れ方から片目に入りそうな感じだ。拭っても結局湿った皮膚をスルスルと滴り落ちてくるのだ。
「『全ての生を司る水の力にて、傷つく者に癒しを与えたまえ――』」
アリアが杖を出し、俺に向けて詠唱を行う。すると淡い光が負傷箇所に張り付き、傷口を癒してくれているようだった。出血が徐々に収まり、完全に傷口が塞がるのにそう時間はかからなかった。
血が流れ出なくなったのを感じて拳で拭い、アリアに「ありがとう」と謝辞を述べた。
「それで、ミラノはどうしたんだ?」
「――姉さんは、過去に誘拐された事が有るんです。その時に助けに来た人が目の前で刺されて、そのせいかと」
幾らかの迷いを見せたアリアだったが、ミラノの様子を見ながらそう言った。となると、刃物が苦手とか、向けないで欲しいという言葉もそんな過去から来るのだろう。だから刃物だらけのこの店で降り注ぐそれらと負傷し傷ついた俺の出血を見てフラッシュバックしてしまったということなのかもしれない。
「ワシもその時の事は覚えておる。一月位か、ミラノ嬢がさらわれておったのは」
「今は大分落ち着いてますけど、血が一番ダメなんです。
――ほら、姉さん、大丈夫ですから。生きてます、誰も死んだりしてません」
「――……、」
ミラノは未だ過去に置き去りで、俺たちには出来ることはないだろう。じゃあ何をするのか? 出来る事をするしかない。
「アリア、ちょっと外に出てくる」
「え、外にですか?」
「周囲の状況を確認して、寮に戻れるなら連れて帰ろう。そうじゃなくてもどこかで火事が起きていたなら燃え移る可能性だって有るし、建物が連鎖的に崩れる可能性だって有る。
――別に、非常時には学園に呼集がかけられてる訳じゃないんだろ?」
「まあ、そうですけど」
「こちらは任せておけ、いざとなりゃミラノ嬢を担いででも逃げる」
ゲヴォルグの発言に頷いて、再び店先を通って外へ出ようとする。その袖をカティアが引いてきて「当然、私も連れて行くのでしょう?」と言ってきた。俺としては置いて行きたかったが、目は一つでも多いほうが良い。
カティアを引きつれ、俺は店を出る。――其処は、被災地と化していた。