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元自衛官、異世界に赴任する  作者: 旗本蔵屋敷
7章 元自衛官、学園生活を満喫す
116/182

116話

 ヤクモは一日、訓練の全てを取りやめて短時間の学習のみで終わらせる事を提案した。

 当然ながら四人は現在、言う事を聴く立場にあり、そこに疑問は抱けども意見する事は無かった。

 いつもは稽古着を身につけ、それぞれ貸し与えられた背嚢や装備を付けて集まるのだが、その日だけは男子寮の談話室に学生服のままに集まっただけだった。


「楽に折敷け。今回はちょうど中間、折り返し地点に来たから──総評ってのをやっておきたいと思う」


 そう言って、ヤクモは椅子についた四人を前にして、ノートを取り出す。

 付箋だらけで本来よりも幾らか厚みを増したそれに、全員が釘付けになる。


「まあ、いつも言ってるけど今回の件には協力してもらってる──つまりは善意や意志から参加してもらってるから、そこまでメタメタにするつもりは無いから肩の力は抜いても良い」

「本格的にはやれないって言ってたしねえ」

「一月の、授業後の短時間じゃそこまでやれないからさ。もし色々期待してたのなら申し訳ない。ただ、俺は一片の曇りも無く真面目に、日々の状況を見ながら色々とやって来たつもりだ。そして言わせて貰う、ありがとう皆」


 そう言って、ヤクモは深く頭を下げた。

 彼の行動にどう反応してよいか分からず、むしろ訓練中の怒声や罵声を思い出すとミナセは戸惑った。


「なんの、つもりだ?」


 そしてただ一人、マルコは眉を顰めて不可解とばかりに問い返す。

 頭を下げている理由も、そして不承不承とは言え自分が従う事を決めた相手がそうして下手に出ている事も理解できなかったからだ。

 頭を上げたヤクモはマルコを見る、その瞬間声が飛んでくるのかとマルコは唾を飲んだが、そんな事は無かった。


「当然、ついて来てくれた事にだ。特にマルコは休暇明けで太ってたし、訓練中何度か落伍しかけた。けれども、今日まで食いついてきてくれた。それ所か隠れて自主的に苦手な行軍訓練をしてくれてる、それが嬉しいんだよ」


 手放しに褒めてくれた上に、本当に嬉しそうな表情を浮かべているヤクモを見てマルコは目をそらす。

 訓練中は怒声や罵声が当たり前で、訓練外は平穏とは言え褒めたりはしなかった。

 そんな男が他人とは言えマルコの行いに喜びを見出し、それどころか我が事のように喜んでいるのだから直視できなかったのだ。


「ん~、んじゃこのまま一人ずつ行くか。マルコは四人の中では後方を任せるに足る人物だと現段階は思ってる。理由は、相手の動作や行動、仲間の動作や行動を見て一番そうされたくない時に攻撃や妨害をしてきて、逆に仲間の援護や支援をしてくれている。カティアが遊撃してる以上魔法使いとしての役割を全て担わせて負担が大きい事は承知しているけれども、その役割や意味を理解して着実に取り組んでくれてる。それ所か、一度や二度は接近されても抵抗できる術を身に付け、今まで扱ったことの無い武器等を扱えるようになってくれた。一番の脅威でありながら接近されると脆弱な魔法使いと言う立場で、魔法使いとしての成長だけじゃなく生存率も高めてくれた。つまり、俺の期待に応えてくれたという事だ。皆拍手」


 ヤクモはスラスラと、ノートでマルコについてまとめたページを捲りながらそう述べた。

 澱みなく賞賛の如く評価を下したヤクモを見てマルコとミナセは驚きを隠せなかった。

 それほどまでに、訓練中のイメージとはかけ離れているものだったからだ。


「で、次にミナセ。ミナセはまだおっかなびっくりで戸惑う事が多いけれども、本来不得手であった魔法を使った戦闘に関して俺の想像もつかない成長を見せてくれた。それどころか、一度覚悟さえ決めて挑みかかって来る時の攻勢に関しては今の所言う事がない位に立派なので、後は自信を持って相手に挑む心構えと自信をつけて欲しい。最初の内はヒュウガとの連携も危うかったけど、今はカティアやマルコの事も意識して張り付いたままじゃなく、離れたり横へズレて仲間を割り込ませると言う信用・信頼を築いてくれた。前衛で一番敵の脅威を感じる場でありながらその意識的余裕を見せるほどに成長してくれたのを嬉しいと思う。はい、拍手」


 ミナセは呆けてしまった。

 訓練中、自分に関して常に疑問を抱き続けてきたからだ。

 自分じゃ出来ない、自分なんかじゃ無理だ。

 自分に何が出来る? 自分が果たして敵を抑えられるのか?

 自信がなく疑問だらけであった上に訓練中の怒声や罵声だ、自分に良い所は無いだろうと思い込んでいた所である。

 

 疎らに拍手が響き、カティアが微笑みながら「おめでとう」と言っている。

 見ればマルコも拍手をしていて、ミナセはゆっくりとヤクモの下した評価を受け入れていった。


「ヒューガに関しては、ミナセを意識しすぎて他の二人との連携が疎かになっていた事と、ミナセを庇うように余りにも突出しすぎていたのが気になってたんだ。けれども、ミナセが躊躇したときにカティアやマルコに援護や支援を任せる事を覚えてくれたし、負担の大きい立ち回りを駆使しての挟撃や援護をするようになった。途中からはカティアと入れ替わって遊撃を行えるように自身のやれる事を増やしてきたのは正直驚いていて、俺が考えていた役割と言う枠から飛び出して戦いにおける選択肢を増やしてくれた事は素晴らしい事だと思ってる。ミナセと並んで、魔法を使っての戦闘における成長は期待してる。はい、拍手」


 ヒュウガは素直にその評価を受け入れた。

 彼はミナセの家に拾われ、彼を守ったり庇う事を優先して生きてきた。

 しかし、その個人的な拘りを割り切り、自分に出来る事は何かと模索してきた。

 拍手が鳴り、ヒュウガは「ありがとう」と感謝の言葉を返したのであった。

 

 そして拍手が止むと、カティアはゆっくりと背筋を伸ばし、緊張の顔を見せる。

 自身が使い魔である事、そして個人的な指導を度々行われてきた事。

 それらを含めて、自分が初めて”主人から評価される”という事でガチゴチに固まっているのである。


「カティアは──実は、一番不安だった。身体能力ではなく仲間や意識、思考面で皆に後れを取ってると思ったからだ。けれども、指摘されてからはちゃんと他の三人の事を気にかけるようになってくれた事、自分本位に行動するのではなくちゃんと周囲を見て自分が何をしたら良いかを考えられるようになった事。遊撃と言う前衛にも後衛にも気を配らなきゃいけない一番難しい役割の意味を理解してくれた事、これに尽きる。それと、ヒュウガとの連携もそうだけれども、ミナセが戸惑った際に前衛を受け持ったり、撹乱して仲間の安全を確保するように心がけてくれた事はこれ以上となく嬉しい。はい、拍手」


 ヤクモの評価を聞いてから、氷付けのように固まっていた彼女の身体がフニャリと弛緩した。

 そのまま床に落っこちてしまうのではないかとミナセが慌てて支え、それを見てヤクモは笑みを浮かべていた。


「不満や不安とか、色々有ったと思う。中には俺の指導方法や教育方法、訓練などに疑問を抱いたのも居ると思う。けど、出来る限り皆の事は見るようにしてきたし、その為に近くで一緒に訓練をしてきたんだ。だから、今のはお世辞でも何でもなく、率直な俺の感想……評価って奴だからそのまま受け止めて欲しい。勿論、だからと言って明日以降の訓練で気を抜く事は許さないし、指摘事項があれば容赦無く指摘していく。あと、初日に述べたとおり今訓練における技術や知識を許可無く不用意に他人に向けたりする事が無いように」

「「「「はい!」」」」


 先ほどまで普段通りだったのに、途中から意識が切り替わったのか声色や表情が変わったのを見て全員が返事をする。

 返事を必ずする事、それは初日に徹底して指導された。

 なぜなら聞いているのか居ないのかヤクモ側からは不明であり、返事をしたと言う事は了承したと言うサインとして受け取れるからだ。

 そして同じように、返事をしたということは理解したと言う事であり、実は聞いてませんでしたと言う事も無いようにと徹底した。

 自衛隊で学んだ意思疎通や下達において、必ず叩き込まれる事である。

 

 皆が返事をしたのを見て「あぁ、やべ」とヤクモは頭をかいた。

 必要とは言え重要な事を述べていて、ついつい教官モードに入ってしまった事に気がついたのだ。

 彼は恥ずかしげに頭をかくと、咳払いをして誤魔化す。


「まあ、んで……。今回こうして集まってもらったのは、俺と皆の相互理解って奴をしたかったからなんだ。普段は訓練中以外では余りそう言った話をしないだろ? 時々時間を見て質問しに来るときもあるけど、一度全員とそういう時間を持ったほうが良いだろうと思って」

「えっと、例えば?」

「そうだな……。マルコは、俺が何で重い荷物を背負わせて、しかも徐々に重くしながら歩かせてるか分かる?」

「……僕が太ってて、皆の足を引っ張るからだろ」

「あ~、それはどうでも良いんだ。多少太っていても運動が出来るヒトを俺は知ってるし、別にマルコが居るから訓練内容を変えたって事は無い」

「ならなんで……」

「一つ目、負荷に強い心を作る為。戦闘中、常に思い通りになるとは限らない。そんな時に焦ったり、周囲が見えなくなったり、逃避しないようにする為。ヒトは辛い事は嫌がるものだけど、実は体験や経験していくほどにそう言ったことに対して慣れが生じる。あの時に比べれば平気だ、あの時の方が辛かったから大丈夫って言う対比が出来るから。二つ目は自分だけが辛い訳じゃないと言う事を学ぶ為。今回はマルコが一番辛かっただろうけど、それでも途中からはお互い理解できただろ? 確かにマルコは体力が無い。けれども、後ろから戦場を広く見ているのもマルコなんだ。そのマルコを見てみぬ振りして潰せば、相手に与える脅威が減り自分らが被る脅威の方が高まる。マルコの足りない分は仲間が補えば良い、その分戦闘中マルコが皆の不足している分を魔法で幅広く補ってくれる。それが仲間だろ?」


 一つずつ、ヤクモは実例を引用して全てを説明する。

 訓練内容ややっている事、そして訓練中に怒声や罵声を浴びせられていた事全てに繋がる説明が成され、全員の疑問は氷解していった。


「三つ目、戦いは体力勝負だからだ。どんなに優れた魔法使いであっても、疲れてきたり長時間集中しているとふとした瞬間に気が持たなくなる事がある。前衛とは違って、後衛は後衛で見なきゃいけない所が沢山あって、その分集中しなきゃいけない。前衛は言わなくても分かってると思うけど、疲労した奴から戦闘能力は落ちる。その時に勝てるのは、気力が十分な奴か体力が長続きする奴だ。必勝の心構えを持った奴だって、二日三日と戦場に居れば疲弊してくる。そこに中堅の兵士がやって来れば古参だって負ける事がある。んで四つ目、自信をつけさせること」

「自信……」

「出来ない事は仕方が無い、出来ねーんだもん。けど、色々な事をやってみて、やらされてみて自分が”何が出来ないか”をそれぞれ知る事が出来たと思う。それはこれからそれぞれがどうするかで考えていけばいい。それと同じように、出来た事も同じくらいあるはずだし、出来る様になった事もある。つまり、出来ない奴でもやり続ける限りは出来るようになるって事なんだよ。まあ、才能とかもあるだろうが、努力しない天才よりは努力した皆の方が立派だと言う事。俺が皆にそれぞれ言ってきた事があると思う、それは応用だったり新しいものだったり様々だ。出来る事は伸ばせ、出来ない事はこれから出来るようにしていけばいい。他人よりも多く自分を知る事、それが何よりも自分を信じる事に繋がると思う」


 そう言ってから間を置いて「最後に!」とヤクモは声を張り上げる。

 色々考え出していた四人が、直ぐに目の前の人物に意識を集中させた。


「最後に、俺が皆を理解し、誇りに思えるようにする事。皆は今日まで色々と苦しんで、その上で自分の嫌な所を指摘され、間違えれば怒鳴られたと思う。けど、その上で立派に改善し、修正し、成長して一日一日を迎えてくれている。各々が出来る事をやり、全力を出している──そうしたらさ、俺は皆の事を胸を張って『コイツは大丈夫です』とか『コイツは信じられますよ』って言える訳さ。今回の件が終わってからどうなるかは分からないし、学んだ事ややった事を皆がどう扱うかは分からない。それでも、将来学園を出た時に活かす事が出来たのなら冥利に尽きると思う。部下であれ、兵士であれ。厳しくしながらも、大事にしてやれば良い。そして何があっても付いて来てくれる味方や、背中を任せられる兵士を育てられたら……きっと、それは良い事なんだと思うよ」


 そう言い切ったヤクモに対して、四人はそれぞれの思いを抱く。

 自分が言われて来た事ややらされて来た事が、そこまで考えられていたとは知らずに感心しているミナセ。

 成る程なと、理屈や理由を聞いてそれを自分らが今度は扱える訳かと納得するヒュウガ。

 初めての評価と好意と厚意を知り、改めて情を深めるカティア。

 受け入れがたいが、理解を示し深く考え込むマルコ。

 

 四人が色々な思いを噛み締めているのを見て、ヤクモは「これで良いんですよね?」と中隊の上官や中隊長を思い浮かべる。

 自分がしてきたのは確かに彼らを育てる為に必要な事だった。

 しかし、どんな想いで彼らを見ているかを、評価をしていない事を候補生時代を思い出してヤクモは今回の訓練を全部取りやめた。

 理由や理屈は理解しているが、それを訓練される側に求める事を忘れていた訳だ。

 愛していても言葉にしなければ伝わらないように、大事にしていてもそれを伝えなければ理解してもらえない。

 頬を掻いて、自分の至らなさを改めて彼は理解した。


「で、マルコは起立」

「む? 何でだ?」

「良いから良いから」


 ヤクモがなぜそうさせるのか分からないが、ここ二週間での刷り込みで従うマルコ。

 マルコが立ったのを見てから、ヤクモは一度咳払いした。


「え~。それじゃ、四人の中で現在最も頑張ったと評するマルコを紹介したいと思います」

「は?」

「このマルコは、俺の訓練初日での体重が実に83Kgもありました。おおよそ適切な体重から18Kgも重かった訳です」

「おまえ!?」

「しかし、この二週間で7 Kgも痩せました。そこには辛い食事制限や甘味類の全面禁止、そして痩せるのに効果的な香草のお茶や間食を控え、自主的に訓練していると言う背景があります」


 そう言ってヤクモはマルコの肩を叩いた。

 マルコは羞恥心で顔が一気に赤くなり、抗議の声を上げようとしたが──ヤクモの表情を見て躊躇った。


「つまり、マルコ隊員は目的の為に自分の欲を律し、何が必要なのかを理解し、納得して今日まで頑張ってきたと言う訳ですね。俺も美味しい食べ物は沢山食べたいし、間食だって思いっきりしたい。そして太ると痩せるのが大変だと言う事も良く分かってる。今回の訓練において、俺が一番評価しているのはマルコが負けん気を見せ、自分の何が駄目かを理解し、何をすべきかを考えて行動した事だ。俺は訓練外の時間や部屋の中での行動には一切関与してない、つまり楽をしようと思えば幾らでもする事が出来た。けど、マルコはしなかった。皆も、その気概を理解し、褒めてやって欲しい。はい、拍手!!!」


 パチパチパチと、マルコ以外の全員が拍手をする。

 そして侮辱や晒し者にされるのかと顔を赤らめたマルコは、自分が褒められた事実を中々認識できずに居た。

 なんら長所も無く、爵位も高い訳ではない。

 成績は上を見ればミラノやアリア、グリム等が居る。

 魔法の扱いも、上を見れば沢山居た。

 家に帰れば「私たちは特別なのだ」と両親に言われ、その齟齬でズレを認識するマルコ。

 それでも──魔法が使えるから、それだけで特別なのだと……それしかないと思っていた。

 

 しかし、今時分は評価されている。

 それはただの悔しさと恥ずかしさから来るものだった。

 かつて脅した相手に杖を奪われてへし折られ、その上命を救われて見返りも要求されなかった。

 その相手が歯牙にもかけず「どうでも良い」と思っているようで、情けなさも大分あった。

 自分はなんら根拠の無い”特別”では無い、本当の意味で”特別”なのだと証明したかった。

 ただ、自分の意図しない方角で……思ったよりもあっさりと彼は評価したのだ。

 しかも、他の三人もそれを認め、褒めてくれている。

 まるで……自分が立派な事をしたかのように。


「ふ、ふん! こんなもの、当然だ! 相手が誰であれ、やるからには勝つ!」

「その意気だ」


 素直になれずに軽口を叩いて座るマルコ。

 そんな彼をヤクモは否定しなかった。


「あぁ、そうだ。ちなみに、何で怒声と罵声を飛ばすかも教えとこうか?」

「ご主人様はむしろ悲鳴と叫び声以外で大きな声出さないもんね」

「うるせえやい……。声ってのは、鬨の声で敵味方が上げるだろ? 自分の相対する相手が叫びながら突っ込んできたり、もみ合ってる時に大きな声を上げたらどうなる?」

「驚く、かしら」

「うん、それもあるけど力も実は入るんだよ。相手を萎縮させながらこちらは力を振るう。んで、相手が怯えて止まればそれだけで自分は有利になるし、戦意を低下させる事ができれば更に良い。本当の戦いになれば賭けられるのは命だ、そんな時に叫び声一つで生き延びて相手を倒せるのならそれ以上の事は無い。それに──」

「──それに?」

「一つは俺が指揮者だから全員の旗頭になる。多少の雑音や距離で指示・号令を皆に届けられないとかダサくて情けないだろ? それ以前に部隊の足並みが揃わないっていうのが大問題なんだけどさ。二つ目は、訓練中に『本当にやっちゃいけない事』を静止する事ができる。訓練中は疲労や白熱のしすぎで周囲が見えなくなったりする事もある。そんな所に怒声が思いっきり飛んできたら止まるだろ? 大きな声を出すってことは、よっぽどの事だと言う事でもある。怪我や負傷をしかねない時に『おまへら~……』なんて掠れた声で止められないしなあ」


 そう言ってヤクモは笑った。

 マルコは彼の話を聞きながら、上に立つものとは何なのかと言う認識を変えていく。


(偉そうにしていれば、良い訳じゃないのか──)


 ”特別”であれば何をしても良くて、許される。

 そのような認識で居た。

 しかし、目の前の男は違った。

 自分らの上に仮初めでは有っても立っているのに、意味も無く威張り散らしたり好き勝手な事をしないのだ。

 全てに意味があり、その根っこには自分達をそれぞれに見る優しさがあった。

 今回の訓練の当初、マルコは常に行軍を脱落しかけていた。

 その事をあざ笑うでもなく、不必要に虐める事もしない。

 必要だから行ってはいるが、一人一人に向き不向きが有るのだと言って認めた。

 

 それどころか、謝罪や感謝までしたのだ。

 上に立つものが下の者へと頭を下げる、そして感謝をする。

 マルコにとって、理解の及ばない事だ。

 下が失敗すれば下の責任で、何か成果を上げれば上の物になる。

 そういうものではなかったのかと、新しい”齟齬”を抱えた。


 どちらが正しいのかはマルコには分からない。

 しかし、どちらが好ましいかは言うまでもなかった。

 下が失敗しても上に立つこの男は自分の責任だと受け止めた。

 下が成功したらお前らが頑張ったからだと褒めてくれた。

 そして……自分が皆に褒められたのは彼の指導無くしてはありえず、自分独りでは有り得なかったという事もマルコは周囲を見る。

 オチコボレといわれ続けていた二人と、ついぞ最近英霊を救ったとされる男の幼い幼い使い魔。

 その三人が脱落しかけた自分の荷をそれぞれに分担して持ってくれたから最後まで歩きとおせた。

 同じように、ヤクモという埒外の男が全員を相手にして部隊戦闘を行った時に、全員の負担を軽くするように自分は振舞えた。


 悪い気はしない、むしろいい気さえしていたマルコはそこで初めて口角を笑みに変える。

 同期と言う苦しみを分かち合い、喜びを共にしてくれる仲間。

 互いに助け合い、共通の目的に立ち向かうと言う事が満足感を増幅させる。


「もっと聞きたい事がある」


 マルコはそう言って、ヤクモへと質問を投げかけ話を続けた。

 その日、短時間で終わると言った筈の話し合いの時間は予想以上に長引き、解散したときにはいつもと同じように訓練をしたくらいの時間が過ぎ去っていた。

 ただ、今までと違う事があるとすれば全員がそれぞれに”成果”を得たという事だった。

 自分の行いを、態度を、行動をどのように見られていたのかと言う”感想”を四人は持ち帰る。

 そしてヤクモは上に立つものとしてどのように交流し、接するべきかと言う”教訓”を得て。


 翌日からも再び苦しい訓練は行われたが、今までよりも不満や迷いは全員から抜け落ちていた。



    ──☆──


「貴方様。最近、私の事忘れては居ませんか?」


 睡眠中、久しぶりに神の間へとやって来たヤクモ。

 就寝前にプリドゥエンが転送してきた武器等を弄り倒し、それだけではなく四人の訓練内容や新しい教育内容、指導要領などを考えていて彼は意識が半ば吹き飛んでいた。

 文字通り魂の抜けたようなヤクモを見て、アーニャは頬を膨らませる。

 忙しいと分かってはいても、それでも睡眠中や土日がある。

 にも拘らず、目の前の男は来る素振りや気配を一切見せないので彼女としては我慢の限界だった。


「ぶ、ふぇっ……」


 精神レベルで完全に疲弊しきっているヤクモは、アーニャの言葉でも目を覚ます気配が無い。

 ただ、自衛官として叩き込まれた習性が、声に反応して片耳と固目をピクピクと反応させていた。

 声が聞こえるという事は誰かが居るので起きなければならないという習性。

 しかし、その習性を黙らせるほどにこの二週間で彼は疲れ果てていたのだ。

 

 アーニャは痙攣するように反応しているヤクモにそっと近づき、おでこにチョンと触れる。

 そして何が彼をここまで沈黙させているのかを映像として眺め、大きくため息を吐いた。

 誰かの為に生きるなと何度も説教されていたヤクモだが、今回もまた”生徒の為に”と頑張りすぎている事をアーニャは知ってしまった。

 仕方が無いと彼の好物である目覚ましのコーヒーを用意し、茶の席を整えると手を思い切り叩いた。

 破裂音が響き、高い音に反応してヤクモは完全に覚醒する。

 ただし、自分がどこに居るのかを把握せずに地面に転がろうとした為に、椅子を巻き添えにしながらドッタンバッタンと大騒ぎしながら。


「はぁ! あれ!? ここは……」

「ようやくお目覚めになられましたか」

「あぁ、アーニャか」


 アーニャと、その背後に見える白い大きな羽を確認してヤクモはようやく今が睡眠中の世界だと知る。

 そしてその反応を見て、アーニャは大きくため息を吐いた。


「アーニャか、じゃないですよ! 船が真っ二つになるのに逃げない、挙句に行方不明になる、そしてようやく会えたと思えば山賊さんに襲われてて、今度は匿ってくれと教会に来てメチャクチャは言い出す。かと思ったらま~たゴタゴタに巻き込まれてて、挙句に国を巻き込んで大騒ぎ! 貴方様は本当にただの人ですか!? お次は何の説明も無しに放置ですか!」

「それ、コマンドー?」

「意識したのは否めません。で・す・が! 余りにも酷いとは思いませんか!? しかも、また誰かさんの為に頑張ってますし!」


 ビシビシビシとアーニャの言葉責めに半眼になって嫌な顔をするヤクモ。

 忙しさを言い訳にしたい所ではあったが、それでも”そこまでやる必要なくね?”という一言で片付いてしまうのだ。


「というか、両極端すぎませんか!? 夢も見ないくらいに疲れるまで色々やるか、考えすぎて眠れない位に余裕があるほど退屈かしかないのですか!?」

「だ、だって……」

「だってもヘチマもありません!Блин, надоело!!!《もう嫌です!!!》」

「分かんない! 日本語か英語かスペイン語じゃないとわかんないから!」


 感情の高ぶりの余りロシア語が出るアーニャ。

 彼女の言っている言葉が分からず戸惑うヤクモだが、彼女は肩で息を繰り返すだけで何を言ったのか説明はしなかった。


「いや、ほら。生きがいを見つけた~と言う風に解釈すれば、異世界生活が上手くいき始めてると思えるわけじゃん? それに、今がたまたま一番忙しい時期ってだけで、それで会えなかったと言うだけだし」

「う~……」


 そういわれるとアーニャも強く言い返せない。

 ヤクモは自衛隊ではあるが社会経験を有していて、手に職をつけていた時期がある。

 それに対してアーニャは社会に出る事無く年若くして亡くなっているので、そこらへんを言われると弱いのだ。

 暫く吐き出す言葉で迷っていたアーニャだったが「コーヒー入ってます!」と半ば怒り気味にコーヒーを勧め、一旦落ち着く事となった。

 暫くしてアーニャのご機嫌取りをするかのように二人でお約束のようにゲームを始める。

 世俗に染まった女神アーニャではあったが、これにより幾らか機嫌を良くしつつあるあたりゲーマーである。


「それで、約束は忘れてませんよね?」

「あ~、クリスマスと冬コミだろ? 勿論忘れてないけど──」

「私の方はもう段取りも下調べも済んでますので、二十八と二十九がいいな~と思ってるんですけど」

「じゃあ、二十七日から三日休みを取らないと駄目か。え~っと……」


 システム画面を開き、目と意識のみで操作と情報の確認をするヤクモ。

 そ知らぬ顔をしながら、アーニャはドクドクと高鳴る鼓動を何とか抑えようとしながらも返事を待つ。

 ヤクモは何でも無いよう思ってはいるが、アーニャとしてはこれでも大分勇気の要ったモノであった。

 以前から話をしていた事でもあり、コミケというイベントを知りつつも行った事がなかったのだ。


「二十五日は……日曜日か。んで二十七は火曜日。あ、けど……二十五は──」

「二十五? クリスマスは二十四日ですよ? 七面鳥焼いて祈る日は」

「あれ、そうだっけ?」

「二十五日はクリスマス当日です。七面鳥を焼いて家族と一緒に晩祷をするのはイヴの日ですよ」

「あ~、そうだったか……。家族が居なくなってからはすっかりやらなくなったし、忘れてるなぁ」

「で、二十七日からは?」

「そっちは……まあ、代休でも休暇でも取るよ。今回の競技はそれまでに終わるし、なにか……上手い理由でも考えるさ」


 どんな理由が良いかなとヤクモは色々と考えを巡らせる。

 一瞬高校時代の同級生が「おばあちゃんが亡くなったので」とズル休みしてたのを思い出したが、即座に「何回目だ、お前のおばあちゃん亡くなるの」と翌日教頭に呼び出されたのを思い出していた。

 宗教的理由はどうだろうか、そもそもキリスト教が無え。

 じゃあ体調不良? 外出の理由にならない。

 あれでもないこれでもないと色々考えていたヤクモだが、思考へと脳のリソースを割き過ぎたが為にゲーム画面のキャラクターが体力の限界までダメージを受けてしまい「助けてくれぇ!」と言ってダウンしてしまった。

 それを見て慌てて目の前のゲームへと集中し、まだ先の事だからと後回しにする事にした。


「それで、何か興味があるものでも?」

「そうですね。企業ブースと言うのが見てみたいのと、それとは別に同人ゲームと言うのが気になりまして」

「あ~、最近の同人ゲームって結構バカにできないクオリティだからなぁ。俺もついつい覗いて行っちゃうんだよなぁ」

「それと、ブラウザゲームとかケータイアプリの同人も最近されてるみたいで、そのアレンジで気になるのがあったのですよ」

「それも分かる。ジャズアレンジとか、メタルアレンジとかついつい買っちゃうし、何だかんだ買ってっちゃうからなあ」


 等と、コミケ暦十数年のオタクと、コミケ新兵がそんなやり取りをする。

 そんな会話をしながら、ヤクモはかつて交流のあった同人活動をしている知り合いの事を思い出す。

 まだ元気で活動しているのだろうかと考えてから、夏に参加してるじゃねぇかと独りつっこみまで入れた。


「ただ、コミケって待つんですよね?」

「待つねぇ……」

「大分、長いんですよねぇ~」

「始発で行って、四時間近くは待つね~」

「冬なんですよね~」

「冬だね~、寒いね~」

「ロシアよりは暖かいですけど、寒いですよね~」


 アハハと、乾いた笑いが二人から零れる。

 アーニャは未知への恐怖、ヤクモは毎年参加しているが故に知り尽くした上での恐怖からの笑いだ。

 夏であれば四時間の待機など座って眠れば良い。

 しかし、冬となると最悪雪が降っている可能性もあるし、そもそも地面が深夜の一桁気温で冷やされているので座って眠るには辛すぎる冷たさなのだ。

 それ以前に夏コミとは言ってもヤクモは南米っ子なので耐性があるので苦にはならないだけである。

 逆に南米っ子であるが故に寒さにはえらく弱い。

 喉元過ぎれば熱さ忘れるとやらで、毎年「二度と来ない」と愚痴りながらも待機列でガタガタ震えているのである。


「てか、ロシア?」

「あれ、私がロシア出身って言いませんでしたっけ?」

「ん~……色々ありすぎて記憶が曖昧なんだよなぁ」

「まあ、貴方様は流石に色々ありすぎてと言うレベルのお話じゃ無い気もしますが」

「ロシア出身なのに寒いの嫌なの?」

「”嫌なものは嫌”って言葉、知ってます?」


 アーニャの断固たる言葉の前に、ヤクモはそれ以上何も言わなかった。

 嫌なものは嫌で、-二十℃だろうが、四℃だろうが変わらないと言う事のあらわれであった。


「ツァーリ・ボンバだろうが溶岩のお風呂だろうが、温度は関係無いんです。寒いものは寒いですし、暑いものは暑いんです」

「ロシア出身だと、寒いのは大丈夫って思ったけど……」

「寒さ対策がしっかりしてるだけです!」

「え~……」

「貴方様の偏見はどこから来てるのですか?」

「自分が南米人だから」


 ヤクモの言葉に暫くゲーム音声のみが響いた。

 それからアーニャは、ハーフであり大分日本人に近い外見をした相手の素性を思い出す。

 

「……そうでしたね」

「俺は日本の夏は湿度さえなけりゃ平気だけど、その逆でロシア人は寒いの平気なのかな~とおもって」

「そんな訳無いじゃないですか。目を閉じたら目蓋が凍って開けられなかった時の怖さ、分かります?」

「わがんね」

「ベッドの中にいるのにまったく暖かくならなくて震える夜とか」

「わからねっす」

「寒いのは嫌いです!」


 彼女の言葉や感情に連動するように、キャラクターの投げた手榴弾が大きく爆発する。

 その爆風で四体もの敵を纏めて吹き飛ばしたのを見てヤクモは、どちらに気圧されたのか分からずに「おぉ」と言う他無かった。


 その後暫くアーニャと付き合ってゲームで遊び倒したヤクモは、この世界に来てから行っていた日本語の勉強を行う。

 アーニャは今でこそ多少不自由なく日本語でヤクモと意思疎通しているが、書くのはすこぶる苦手であった。

 その為、この空間に来るたびにチマチマと日本語──と言うよりは、平仮名やカタカナの書き方を見ている。

 ヤクモもヤクモで自衛隊時代にも「日本語で書けや!」と書類を叩き返される事がしばしば有ったほどに字が汚いので、付き合って自分も練習していた。


「どうしても、書き慣れた文字の書き方で汚くなっちゃいますぅ……」

「俺もスペイン語のに引きずられて、だめだ……」


 自衛隊で求められた”要点を押さえ、短切に、素早く”と言う癖のせいで”自分さえ読めればいい”と言うものと”自分が理解できればいい”という書き方が混じってしまい、アーニャでさえヤクモの文字を見ると「筆記体?」と首を傾げてしまうほどであった。


「と言うか、なんでアーニャは日本語の書き方を勉強してるの? 必要無いっちゃ……必要ないでしょ?」

「ん~、やっぱり未だこうして存在してますし、生きていた頃の癖じゃないですけど……気になっちゃってですね。貴方様だって、もうこちらの世界の文字の書き方は覚えてるのですから、日本語も英語もスペイン語も必要無いでしょう」

「俺も……ほら。やっぱり幼い頃から今までずっと使ってきた言語だし、使い慣れてるからさ」

「同じですよ。自分の為に書き留めて置く物と、他人の為に書くものとでは別ですから」


 そう言いながらもアーニャはかつて自分が生きていた頃の、学園での事を思い返す。

 好きだった男子生徒が、親しい仲間内での会話をしていたのを聞いていたのだ。


『アニメとかじゃ色んな告白の仕方が有るけど、お前らどれが好きよ?』


 男子生徒の一人がその問いかけをした時、彼女の好きだった男子生徒は小説を読んでいる最中だった。

 借りたライトノベルをじっくりと、けれども速い速度でペラリペラリと捲っている最中であった。


『屋上?』

『バカだな、うちの屋上は封鎖されてるだろ? ありえねぇって』

『卒業の日に噂されるような樹の下で呼び出されて告白されるってのは?』

『爆弾点火しろ。と言うか、うちの学園で噂になってた樹は去年花火で焼けただろうがよ』

『そっか……。じゃあ、文化祭最終日、誰も居ない教室で夕暮れの中で~とか』

『文化祭最終日、最後に音楽だのダンスだのやる時間は教室施錠されるだろ。ってか、お前も何か言え!』


 幾つかの案が出されてから、ようやくライトノベルを読んでいた男子生徒は話に引き込まれる。

 まったく聞いてなかったと謝罪した彼に改めて一から説明がされ、それで彼が言ったのは「手紙?」という半ば疑問系の言葉だった。


『手紙?』

『呼び出しにも使えるし、そのまま文面で告白も出来るだろ? 全員が全員相手を前にして告白出来るわけじゃないんだし、手間はかかるけどダメージは小さいだろ』

『ん~、なんか萌えも浪漫もない気が……いや、待てよ? メカクレキャラとかならいけるんじゃね?』

『あ~、本屋ちゃんみたいな?』

『話わっかるぅ~!!!』

『でも、開いてみたら手形が付いていて「お前を見ている」って書かれてたりして──』

『それ闇の一党じゃねぇか!!!』


 その話を聞いていたアーニャは、手紙で告白すると言う手があるのかと驚いた。

 早速手紙を書いてみようとはしたものの、彼女は日本語が上手く書けずに結局手紙作戦そのものが潰えたのであった。


「貴方様は、もし告白されるとしたら……どういうシチュエーションが”萌え”ますか?」

「唐突だな……。けど、そうだな。何でも抱え込む主人公がドツボに嵌った時に、怒りながらも『私が好きなアンタは~』って勢い任せで告白するのとか。もしくは頑張りすぎな主人公が傷つき倒れてから目を覚ますとヒロインに膝枕されながら『本当、バカなんだから……』って言われながらも、頭撫でられたりしながら告白されるとか。これは気絶しちゃって結局聞いてなかった~ってのが一番良い」

「あ、そうですか」


 ヤクモの返答にモチベーションとテンションをガクリと下げたアーニャ。

 しかも本人が気付いているかは別として”自分のそう有りたい主人公のキャラ”が、現在の当人に大分近いものばかりだった。

 その後も幾つか例を挙げていたヤクモだが、最後に一つ付け足す。


「あとは、そうだな。手紙……とか?」

「──手紙、ですか」

「そうそう。呼び出しにも使えるし、そのまま文面で告白も出来るだろ? 全員が全員相手を前にして告白出来るわけじゃないんだし、手間はかかるけどダメージは小さいから」

「ほむほむ……」

「あ~、でも。そうなると……そういうのはメカクレキャラのような、少し内気で臆病な子とかが良いかもな~。いや、日本語を喋るのが下手だけど何とか書きましたって言う外人キャラとか、帰国子女とかもいけるな」

「そういうのは”萌え”ますか?」

「そりゃ当然、萌えるね」


 そう言い切ったヤクモを見て、小さく笑みを浮かべたアーニャ。

 その笑みを隠しながら、少しばかり胸の中で「Урааа!!!!!!《やったぁぁぁ!!!!!》」と狂喜乱舞する。


「さあ! 次は”な行”を教えて下さい!!!」

「あれ、”は行”は?」

「ひらがな、カタカナ共に書けました!」


 そう言ってアーニャは若干歪みつつも読めなくは無い字を誇らしげに見せる。

 ヤクモは自分が書いたサンプルと見比べて「直線が苦手なのかな?」と思いながらも、笑みを浮かべた。


「これなら、ひらがなとカタカナも早いうちにマスターだな。漢字は……まあ、教科書でも仕入れて頑張ってくれ」

「はい! 頑張ります!」


 やる気に溢れたアーニャを見て、自分が今しがた”書きなぐった”日本語の字を見て、書類には使えない文字だよなと握り潰すヤクモ。

 それから暫く、投げ捨てられた紙くずが幾つも量産されても二人はお茶や珈琲、甘味を手にしながらも字の練習をやめることは無かった。



 ──☆──


 午後一番の授業が終わり、ティータイムがやって来た。

 直前の授業が男女別の時間だったので、ヤクモもミラノも集合するのは食堂でだった。

 カフェのような優雅さも兼ね備えた食堂で、誰もが好きな茶葉を飲む事が出来る。

 そしてお茶と一緒に多少の甘味が口にする事が出来、多くの生徒が学年関係無しに集っていた。


「はい、どうぞ~ですよ」

「あ~……」


 ヤクモは自分の頼んだお茶が運ばれてきたのに気付く事が出来なかった。

 先ほどの闘技場での授業で、いつものようにクッタクタに成り果てたからだ。

 寒さに弱いヤクモでもこの時ばかりは机の冷たさに感謝しながら、暑く汗ばむ上半身をヒタ付けて休んでいた。


「お疲れですね~」

「まあ、そうでも……あるかな。アイアスとかタケルとかロビンのしごきがマジきちぃ……。毎日俺だけ演武、練武の繰り返しだよ」


 ヤクモは英霊達によって”実際の戦闘に近い状態での戦闘の模擬展示説明要因”としてコキ使われていた。

 元自衛官でチート能力持ちとは言え、実際の交戦などは在隊中にもした事はないし、それこそ剣や魔法を使っての模擬戦などは経験だけではなく知識も皆無であった。

 幾度かの命がけの……それどころか実際に命を落として、実戦自体を経験した事で積み重ねてきた自衛隊生活が肝を据わらせるに至ってはいるが、それでも英霊相手に勝ち星は一度も無い。


「けど、少しずつ負けよりも引き分けや中止で終わる事が多くなってきたじゃないですか。アイアスくんやタケルくんも、”真面目に”じゃ無くて”本気でやる”事が多くなって、長くなってきたって褒めてましたよ?」

「それは喜んでいいのやら、人間離れしてるって危機感を抱けば良いのやら……」

「あは~、お忘れですか? 私たちは、歴史と多くの人の想像で強化されてる所が有るんですよ? そこまで酷くはないですけど、それでもかつては自身の能力を魔法で補っていた時と同じくらいの身体能力に今なってる訳でして」

「──とすると、皆はもともと今ほどの素早さや力を持っていた訳じゃないんだ」

「そうですね。……アルバートくんとかなら、経験と訓練をつんで身体能力を強化すればアイアスくんと渡り合う事も出来ると思いますし。あれ、やっぱりヤクモさんがおかしいのかな?」

「そうなりますよねー」


 ヤクモはメモで「英霊は身体能力した生徒と同等の能力」と乱雑に書きなぐる。

 英霊の下に自分、その下にただの学生とも記入して、適当に×3と記入して戦闘能力の差を示した。


「あれ、そういや……皆は?」

「ミラノさんとアリアさんはアルバートくんの所に居ますよ? カティアちゃんはクラインさんに呼ばれて向こうに」

「あ、俺は一人……」


 普段なら「しゃんとしなさい」と叱咤されるのだが、その相手が近くに居ないのに今更気付く。

 そして敵に付くか味方につくのか曖昧な態度を繰り返す使い魔のカティアも傍に居らず、一人で意識を手放しかけていた事になる。

 放置は寂しいなと思いながら、寂しいと一人前の”人間”のような事を考えるようになったなと彼は自虐した。

 だが、そんな彼の思惑とは別にヤクモの隣に腰掛けたヘラは、スススと身を寄せる。

 腕が触れ、幼女化したが故に”未性徴”と言う他無い柔らかい胸部が幾らか押し付けられ、彼は距離を開ける。

 しかし、彼が距離を開けると同等かそれ以上に間を詰められ、彼はついに諦めた。


「あの、近すぎやしませんかね?」

「やだな~、だってヤクモさんと一緒の時間が少なくて寂しかったんですよ~。それに、あんな告白をしたのに放置だなんて~」

「──……、」


 数秒、ヤクモは全力を持ってログを確認した。

 何日前? そもそも何週前の出来事だっけ?

 まるで戦闘中であるかのような必死さと速度でログを確認し、ヘラを助けたときの自分の発言を見つけ出す。


──使い潰してやる。お前が自責の念や後悔を抱かないくらい、徹底的に振り回してやるからな!──

 ──従え。あとは……何とかする──


 これかなと思いながら、自分が勢い任せで何を口走ってるんだとヤクモは恥ずかしさから顔を覆う。

 しかもその後で、主従契約を結ぶ際に互いに口にしているのだ、誓っているのだ。


──死が互いを別つまで、共に歩む事を誓いますか?──


 と。

 それにお互い同意したからこそ、主従契約が成立してヘラは助かったのだが。


「英霊相手に乗り回すとか、任せろとか凄い殺し文句だと思いません?」

「いや、その──」

「それとも、嘘……だったんですか?」

「嘘では断じて無い」

「ですか」

「……もしかして、気にしてるのか」


 ヤクモは、ヘラが日常に”毒され始め”てるのではないかと心配した。

 自分のした事は決して小さい事ではなく、洗脳されていたとは言え自覚も意識も幾らかあったのだ。

 神聖フランツ帝国の所有していた人類の所有するゴーレムを破壊した。

 国王や枢機卿を黙らせ、途中から軟禁した。

 自国の兵士を操り、仲間であったマリーやタケル達を捕縛しようとした。

 旧人類である俺を捕らえ、その遺伝子情報を抜き取って旧世界とも言える国々の中のイギリスを復活させようとした。

 道中で上手く捕縛できないか試すかのように、そしてその戦闘能力を試すように襲撃を依頼し傭兵を死なせ、船を魔物に襲わせた。

 状況の打破の為に俺がやったとは言え、首都を守る結界を張る為に魔石で作られた十字架を全て破壊させた。


 今思い返すだけでも大分色々やったものだが、その全てをヘラに……寂しかった、うらやましかったという気持ちを抱いた事に求めるのは酷だろうとヤクモは考えた。

 彼自身、今でも自衛隊の”家族”を思い出すし、携帯電話の中にしか居ない血を分けた家族を思い出す事は少なくない。

 寂しさ、侘しさ、悲しさ──。

 英雄だとか何とか周囲が言っているが、悩み、迷い、苦しむのが当たり前だろうと彼は考えている。

 それがかつての英霊であれ、今を生きる人であれ。


 だが、ヘラは笑みを曇らせる事無く笑ったままだった。

 その表情を、瞳の奥の思考を読み取ろうとヤクモは見つめたが、彼女は表情を微塵にも変えない。


「気にしてないと言ったら嘘になりますけど、あのまま眠りについていたら……きっと、無責任なままに全てを投げ出していたと思うんですよ。だから、国を離れるにしても色々と話をして、やれる事をして、今まで私が甘やかすように揺り篭に閉じ込めていた人たちが自分達の意志で動き出す所を見る事が出来た……。今は、それだけで十分です」

「そっか」

「け~ど~、やっぱりあの時そう言ってくれたようにもうちょ~っと私を振り回してくれてもいいんじゃないかな~って、ちょこっと思ったり?」


 ヤクモは、ヘラに関してはアリア経由で様子を聞いたり、直接目の届く範囲では表情や仕草を見て、声や声色、口の動きなどにも気を払っていた。

 不満は無いか、罪の意識に潰されたりはしてないか、実は黙っているだけで迷ったり悩んだりしてはいないか。

 仮にも上に立つようになったのだから、出来る限りの配慮を心がけていたのだ。

 なのでアリアが異様な握力や手の力を有してしまった際に、ヘラに面倒を見るように頼んだ。

 カティアに話を聞いて、ミラノやアリアの好きなお茶の種類や淹れ方等も覚えるように言った。

 ”責務”を与え、楔を打ち込み、どこかへと飛んでしまわない様にしたのだ。

 だが、その結果主人を紛いなりにもやっているヤクモ自身との交流時間が大分無くなってしまったのだが。


「釣った魚には餌を上げない人ですか?」

「魚は釣ったら飼わないかな……」

「え゛、もしかして食べるんですか?」

「それもちょっと……」


 かつて居た世界であれば釣った魚を食べるという事もしただろう。

 しかし海も水辺も魔物が居る世界で、寄生虫とか感染症などと心配していた。

 魚を生で食べる文化が根付いている日本だからこそ処置が徹底されている訳であり、その処置を知らないヤクモは焼く以外の方法を知らず、焼いた所で確実に安全なのか分からないのである。

 魚の話をして刺身や醤油、ワサビの味を思い出したヤクモ。

 ご飯と一緒に食べたいなと、空腹を覚えてしまう。


 思考が連続して別の方向へすっ飛んだなと、ヘラは咳払いをして彼を現実へと引き戻した。


「もうちょっと私との時間を取ってくれても良くないです?」

「だって、毎日教会に行ってるし、アリアの面倒見てくれてるし、俺も俺で色々やってて時間無いし……」

「それでも、休日がありますよね!」

「休日は……」


 休日は休日で、土曜日は完全にヤクモは死人の如くベッドから半日は出る事がない。

 そのくたびれっぷりにミラノでさえ起こすのが躊躇われ、それでも1130頃にはのそりと起きて食堂に向かう。

 土曜日も日曜日も自主的な訓練とこの世界における用兵や、魔法使いの働きなどを学んでおり、カティアやミナセ等と言った生徒達の運用方法を見つめ直したり、勉強であっさりと潰える。

 その事を話すと、ヘラは呆れるやら感心するやらで複雑な気持ちになった。


「仕事しないと死んじゃう人間ですか?」

「俺ほどグータラして、惰眠と娯楽を愛するヒトは居ないと思うけど」

「けど、過剰に疲れてますよね。そんなに休みの日に頑張ってる人居ないと思います」

「いやいやいやいや……」


 無職……だった時はそれ以外やる事がないのでゲーム、読書、音楽、動画視聴、ちょっとした落書きや駄文を連ねる位だった筈と思い返す。

 じゃあ自衛隊時代は土日どうしてたかなと思い返すと、残留・先遣隊だった時は走って、トレーニングして、必要とされていた体力や筋力を付けていた事を思い出す。

 我ながら”自分”と言うものが無いなと思いながら、だからこそ自衛隊と言う組織で評価されてたのかもしれないと、ヤクモは前向きに考える事にしていた。


「──……、」

「ほら、何も言い返せないじゃないですか。じゃあ、今週末一緒に出かけませんか?」

「金よ……じゃない、闇の日? 土や無の日じゃなくて?」

「訓練が終わってから一緒に外に出かけて、ちょっと一緒に食事でも~って思ったんですけど。駄目ですか?」

「駄目じゃないよ。けど……俺、単身で出られるのかな?」

「私が理由をつければ大丈夫じゃないですかね? 私はほら、英霊さんですから」


 そりゃ一発で顔パスだろうさとヤクモは呆れた。

 自分の使い魔に成り行きでなってはいるが、そもそも人類を救ったかつての英雄なのだ。

 それが召喚魔法とは言え現在に蘇っている、彼ら彼女らに対する敬意や取り扱いは破格な物だろうと予想した。


「ミラノには……」

「あは~、教会にお呼ばれしてお話しする必要があるって言えば良いじゃないですか。実際、情報の伝達や現在の状況などは教会経由でされてますし、国のこと……気にはなりませんか?」

「──なるな」


 半分嘘、半分本当の言葉がヤクモの口から出る。

 ヘラを気遣って吐き出されたものだったが、それを”自分の好奇心や興味”というものに塗り替えた。

 あまり気にしすぎるのも良くないと分かりつつ、彼は無関心な振りを選んだのだ。


「俺も大分暴れたし、ヘラを引き離した責任もあるし」

「あは~。まあ、時々で良いから一緒に来てくれると嬉しいなと思います。じゃあ、教会、お食事、宿ですね」

「待て待て、何で宿に行くんだ」

「え? そりゃあ、宿といったら寝泊りでしょう?」

「学園で寝起きしてるんだから戻ってくれば良いだろ」

「それじゃあ二人きりになれないじゃないですか~」

「連れ込み宿だろお前ぇ!」


 ヤクモは突っ込みでつい声を張り上げてしまい、周囲の生徒達の目線が集中する。

 その瞬間、視線恐怖症に晒されて即座に顔を伏せた。

 自衛隊を除隊して引きこもっているうちに自信の無さや後悔、欝や劣等感などで生じた物である。

 ただ、血の気が引いたヤクモに対して二人ほど腰を浮かせたままに顔を伏せているヤクモを睨んでいる人物が居る。

 ミラノとカティアであった。

 連れ込み宿、傍にいるヘラと言う人物、そして今までの言動や情報。

 それらを繋げるのは、二人にとってそう難しい話ではなかった。

 そして頭を抱えて机に突っ伏して「うぇ、おぇ」と気持ち悪さを堪えているヤクモの頭を、彼女は撫ぜた。

 彼女の中では洗脳時に”なぜあんな事をしたのか”と言う情報が欠落している。

 それでも、自分が彼に固執した事も覚えているし、それを受け入れている。

 今目の前で見知らぬ他人からの視線に怯える彼も、ゲームとは言え英霊達に指示をだし、教会の十字架を爆破して吹き飛ばし、生きろと主従契約を結んだ凛々しい人物も一緒なのだ。

 その相反するものを抱えていて、不完全さと未熟さを見せるヤクモをヘラは愛おしく思った。

 かつて彼女が好いた相手は──ふざけても、好きと言う事が出来ないくらいに”完璧すぎ”たのだから。


 ─大丈夫さ。傭兵だが、今の状況を前に裏切りや逃走したりはしない。信じろ、ってのも難しいとは分かってるけどさ─


 そう言って、おぼろげな記憶の中に存在した男は歯を見せて笑った。

 その表情が、言葉が、そして死ぬまで見せた在り方という奴がヤクモと同じなのだ。

 だからヘラは笑みの裏で、これは一番の罰なのだと考える。

 好きな人に一番似ていて、好きな人と同じ事を言って、好きな人と同じように生きる。

 そんな相手が傍に居て、後悔しないと決めながらも別人で──。

 これは確かに一番辛い事だなと思いながら、それでも彼女は耳元に口を寄せる。


「大丈夫ですよ。怖くても、震えていてもそんなヤクモさんを私は愛してますから」


 それが正しいのかは分からない。

 もし”代わり”と言われてしまえばヘラはそれを否定できないが、それでも今においては真実なのだ。

 かつて一緒に戦った傭兵の人が好きだった気持ちも、今目の前で震えている人に向ける気持ちに優劣は無いと。


 ただ、後でヤクモがミラノやカティアにしこたま起こられ、話を聞いていたマーガレットが「私は……気にしてませんからぁ!」と涙ながらに走り去ってしまい、大変な目にあったという。

 けれども、ヘラはそれを見て少しばかり舌を出しただけに留めた。




 ── error ──


『筒井、止めろ!』

『怒鳴って、蹴って、腕立てさせてる奴に何がわかんだよ!』

「……おえっ」


 候補生時代の夢を見て、ヤクモは痛む胃を抑えながら深夜に目を覚ました。

 ベッド脇の机には飲み薬と飲み水が置かれており、直ぐにそれらを口に入れて飲み込んだ。


『筒井候補生は本人の意思により、離隊する事となった』


 そう言った隣の班長の顔は青タンが出来ていて、一部始終を見ていた俺はあの時の事が忘れられなかった。

 そして数年後、同じ部屋の先輩が医務室に運ばれたのを知る。

 後期教育、班付として自衛官候補生の指導・管理の支援に行っていた時の事だ。


『先輩、歯が……』

『あ~、良いって○○。ちょっと、やりすぎちゃってさ』

『何を……?』

『指導を』


 聞けば、後期教育の候補生に殴られたのだという。

 小柄であった先輩は、体格がでかく気の小さい引っ込み思案であった候補生にキレられ、馬乗りになられて殴られたのだという。

 その候補生も、離隊して去っていった。


『指導も教育も、愛を持ってやるように。△△士長は彼なりに指導・教育をしたつもりだったけれども、それが伝わるとは限らないからね。自己満足や独り善がりを押し付けて、部下や後輩、班員を虐める事の無いように、中隊長からはこれだけ』


 終礼の時の中隊長の言葉も思い出して、俺は胃が痛くなる。

 今の俺は、その”反抗される側”に立っているのだ。

 自衛隊ほどの理不尽はしておらず、一切手や足を出しては居ない。

 それでも……二週間目を終えた時に、ふと思い出してしまったのだ。

 俺が教えている事は戦いで、それを学んでいるマルコたちは候補生達と同じなのだ。

 自分なりに愛を、大事にしている、ちゃんと見ているという気遣いをしているつもりでも、それが伝わらなければ、相手とて我慢の限界がある。

 逃げたり不服従くらいならまだ可愛いものだ。

 しかし、教えたもので、技術で、知識で、戦闘能力で攻撃される事もあるのだ。

 模擬戦をしている時以外、俺は丸腰で付き合っている。

 その時にタケルの模擬剣や、マルコの杖を向けられれば場合によってはタダではすまない。

 

「う゛ぉ゛え゛っ……」


 銃ではない。

 いや、銃ですらない。

 例えチート能力を持っていたとしても、模擬剣で頭を殴られれば昏倒するし、不意を突かれれば魔法でダメージをモロに受ける。

 ミナセの拳で殴られてもその威力によっては十分頭骨の陥没だので死ねるし、カティアなどは魔力を凝縮して殴る事も刃物として俺を斬る事も突く事も出来るのだ。

 つまり、四人の”仲間であるはずの相手”に、不満や怒りから来る反逆で殺される事を考えなければならない。


『あの班長、マジで無ぇわ』


『畜生、何が自衛隊だよ』


『国よりも先に俺達を守ってくれよ!』


 候補生だったからこそ聞こえる、扱きや反省、連帯責任などの”理不尽”を経て聞かされる同期の不満。

 自分は別に、そういうものなのだと受け入れながらも”失敗や、出来なかったとき、やらなかったときや、やっちゃいけないことをやった時に怒る”と理解し、受け入れていた。

 当然反省や連帯責任で肉体的にも精神的にも追い詰められるのは避けられないし、怒声や罵声を飛ばされると萎縮し、ビビってしまうのだが。


 陸曹になれば自分が教える立場になるのだと、ボンヤリと”まだ来ぬ時だ”と腹を括っていた。

 だが、今の俺は陸曹の教育すら完遂しないままに、班長のような立場として四人の上に立っている。

 教育を完了したわけじゃない上に、理解していない知識が多かったので陸曹教での事なんて殆ど覚えていない。

 つまりはただの士長として曹の真似事をしているだけでしかないのだ。

 まだハイポートも、理不尽も、虐めも扱きも足りてない。

 覚悟も、理解も足りないのだと今更思い知り、胃を痛めている。

 

「弱音、吐いてる場合じゃないっスよね、分かってますって」


 それでも、立ったのだ、立ってしまったのだ。

 お遊びでも、彼らの上に。

 出来ません、無理ですだなんて言い訳は通用しない。

 上に立ったからには、俺が必勝や成功を皆に信じさせなければならない。

 迷う指揮官に果たして誰がついてきてくれる? 成功や勝利を信じさせられなくて、誰が局面で踏みとどまってくれるんだ?


「良い面見ろ、悪いとこなんて有って当たり前。不出来は愛嬌、それでも皆が前を向いてくれれば立派になってくれる……」


 俺がネガティブ人間だという事は理解している、だからこそ他人の悪い所に目がいく事が多い事も知っている。

 けど、悪いところを見つけて指摘する事なんてバカにでも出来るんだよ。

 そんな事よりも良い所、良い事を見つけて褒めてやれって……班長が、言ってたろ?


『怒られてばっかじゃ嫌になるだろ? けど、良い所もちゃんと見てるから、安心して俺についてきてくれ』


 後期教育、班長に言われた言葉を思い出す。

 そうだ、不必要に責める意味なんて無い。

 大事なのは教える事、育てる事、信じる事……。

 それが果たして俺に出来ているだろうか? 不安は尽きない。


『大丈夫ですか? ご主人様』

「あぁ、ゴメン。ちょっと、胃が痛くてさ……」

『左様ですか』


 医療関係の設備は無いので、プリドゥエンとて出来る事はない。

 それでも『何かあれば、いつでもおっしゃって下さい』と言って、部屋の隅にあるポッドに収まる。

 それを見送ってから、俺は指を鳴らして僅かな火を指先から出しながら、改めて部屋に飾ってある皆の訓練状況や内容を展示しているボードを眺めた。

 眠れない、眠る事ができない日々は暫く続きそうだ。

 それでも──俺は迷わずに指導・教育しなきゃ行けない。

 信じてくれている皆の期待に応える為にも、皆が一つでも多く学び取る為にも。

 

『仲間を信じろ、家族を信じろ。お前は一人じゃない』

「仲間がいない、家族がいない……。俺は一人です」


 この悩みも、苦しみも分かち合う事はできない。

 それはとてつもない苦痛だ。

 しかし──


「けど、独りじゃないです、班長、中隊長」


 まだ騒がしくなりつつある周囲に、俺は戸惑いを隠せない。

 最初はミラノとアリア、カティアだけだった世界にアルバートとグリムがやって来た。

 そしてミナセやヒュウガがやってきて、アイアスやマリー達もやって来て……。

 みんな、みんな俺に様々な表情や感情を向けながらも──思い浮かべる事ができるのは”笑顔”だった。


 俺の世界は、家の中にしかないと思っていた。

 両親や家族の事を引きずりながら、パソコンの音しか聞こえない部屋の中で五年と言う年月を過ごしてきた。

 けれども、その誰もいなかったはずの俺の世界に今は皆がいて、楽しそうにしていて、その楽しさへと巻き込もうとしてくれている。

 いつかはそれに戸惑わないで、混ざっていけるようになる日が来るのだろうか?

 少しばかり自信が無い。


 壁にかけられた迷彩服の上下と、その下に置かれている半長靴。

 かけられている迷彩帽を見て、俺は一度だけ敬礼するとベッドへと再び戻った。

 目を閉じれば営内での日常が思い出されて、先輩や後輩と一緒に笑いながら生活していた日々が想像できた。


『自衛隊が全てじゃない。お前は第二の人生がこれから始まるんだ。どこに行くかは分からないけど、新しく出会った人たちと元気で上手くやるんだぞ』


 班長の言葉を思い出しながら、俺は眠る。

 胃は、もう痛くはなかった。

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