108話
部屋に戻る気になれず、一時間半を追加して一個段を追加したくらいになって部屋に戻る。
それくらいになると部屋には携帯電話が置かれているのみで、チカチカとライトが明滅しているのが見えただけだった。
ただ、部屋の隅に一度は使ったらしいお茶の一式があり、カティアが誰かとお茶を飲んだであろう事は分かった。
「あ~、プリドゥエン。今戻った」
そう言いながら、雪や泥、汗に塗れた装具等を外すが返事が無い。
俺は上半身を半ば脱ぎ捨ててから、伍長からの返事が無い事に気がつく。
違和感を覚え、俺は再度呼びかけるがやはり返事が無い。
通信不良を起しても携帯電話にいる個体と本体は別であると言っていたので、此方の伍長が反応し無いと言う事は無いはずなのだが──。
携帯電話を手にし、スリープ状態だった画面を解除する。
画面の中で、半睡眠のような伍長が漂っていた。
どうしたのだろうかと見ていると、そのレンズがこちらを見る。
「……伍長?」
『あぁ、失礼しましたご主人様。すこしばかり”ウッカリ”しておりました』
「プリドゥエンでもウッカリする事があるんだ?」
『少しばかり、昔を思い出してその想い出にふけって居りました』
「まだ、AIになる前の話か」
『ええ。ただ、ご主人様のお体が冷えてしまいますので、先にお召し物を変えられてはどうでしょう?』
「話してはくれないのか?」
『楽しいものでは御座いませんよ。それに──知らずとも、ご主人様にとっては何ら不便は無いのでは?』
「面白くないぞ? プリドゥエン。名前を与えて、まるで所有物のように扱ってはいるけれども、お前の中には確かに人であった記憶があるんだろ?」
『ええ、その通りで御座います』
「なら、お前は間違いなく人だ。もし問題さえなければ昔の名前で名乗ってくれても構わないんだぞ? 俺の、オタク趣味でパッと思いついてつけた名前じゃなくて」
『御冗談を。オリジナルの私は、当の昔に天寿を全うし、安らかな眠りにつかれました。途中まで私達は確かに同一人物ではありましたが、存在を別たれてからは別人なのです』
「抵抗があると?」
『いいえ、”尊重している”ので御座います。下手に同じだからこそ、その名を名乗るとまるで彼の方の人生を奪ったようではありませんか。ですが、フランコ・チェザリーニという名を記憶の片隅にでも留めていただけるのでしたら、それだけでも幸せな事で御座います』
「──人は二度死ぬ、と」
『そうです』
俺は着替えを終え、私服になるとカティアが使ったのであろうティーセットを洗って片付ける。
そして自分の為に珈琲を用意していると、伍長が『あぁ』と声を漏らす。
『ご主人様。午前で既に四杯もコーヒーを飲まれております。573mgものカフェインを摂取した事になり、既に成人男性の一日の摂取量を超えております』
「ぶっ……」
『それと、ご主人様の淹れ方はいかにインスタントとは言え、余りにも杜撰です。もっと良い淹れ方をすれば、現在ご主人様を悩ませている症状を幾らか低減できるくらいに管理・調整出来ますよ。あぁ、まだ本体があちら側にあるのが口惜しい限りです。機材と私がこちらにいれば、そんな”自殺行為”はさせませんのに』
「ちなみに、機材ってどれくらいの大きさ?」
『そうですね。ご主人様が普段から愛飲されているアルコール類やお茶・珈琲などの品質の管理・維持・向上と提供のみでしたら……ご主人様のお考えになるような、一般御家庭の”冷蔵庫”を想像して頂ければ』
「そりゃ……」
『因みに、許可さえいただければ直ぐにでも”転移”をしますが』
「……転移?」
『特定の地点から地点へ、物を情報と化して移送する機能で御座います。宇宙開拓時代、ジャンプだのワープだのゲートだのと色々御座いましたので、その名残です』
「出来るの?」
『携帯電話の出力ですと、改造しても私だけでも数十秒。機材や設備、装置を含むと一時間はかかるかと』
嘘だろと思っていると『お試しになられますか?』と言われてしまい、許可してみたらフロントレンズの方から文字通り”分解された状態から、再構築”されて転移されてきた。
頭部くらいの飛行するAIロボットがやって来て、転移が済むと数秒ほど機能がダウンしているようであった。
『なるほど。転送速度が遅いと、内部情報の移動に時間がかかるのですね。予想よりも十七秒ほど遅くなりました。さて、ここが学園でのご主人様のお部屋ですか?』
「あ~……」
転移してやってきてしまった伍長。
俺はまさか興味本位からの半ば肯定気味な返答を今更ながら公開した。
しかし、やってきてしまったものは仕方がなく、俺は雑多な部屋を見返した。
「──俺は現在教育と同時に勉学を独自にやっていて、申し訳ないけどあまり物を動かされると困る。だから、物の大きさ等が分からないと配置に困る」
『それでしたら御安心を。ホログラムで私が物の大きさを映し出しますので、適切な位置を示していただければそちらに移動させます』
「時間はどれくらい?」
『先ほどの私の転移の結果を用いて計算しますと、大よそ一時間から半ほどのびるかと。何しろ、有線で構築された地点から地点への移動ではありませんので』
「──まあ、それくらいなら良いか」
夕食の時は完全施錠と行き先の明示をしておこうと決め、伍長に物の配置を指示する。
すると伍長の目であるレンズから支持した先に物が砂のように現れては結合されていく。
先に全ての場所の指定を済ませ、飯と風呂に行く事に。
鍵をかけて、食事と入浴だと示しておけば下手な事は起きないだろう。
そうやって寮を出ようとすると、マーガレットとカティアと遭遇した。
そう言えば訓練を勝手に長引かせて、その事を何にも言っていなかったと思い出す。
「カテ──」
カティア、ゴメン。
俺はそう言いかけた。
しかし、カティアは俺が謝罪をする前に逆に謝ってくる。
「ごっ、ごめんなさい!」
「え?」
「ご主人様のお茶の準備、忘れちゃった……」
俺は、逆に”何故謝られるのか”が理解できなかった。
だから戸惑い、困惑し、どういう反応が正しいのかすら分からずにいた。
しかし、直ぐにマーガレットが言葉を足す。
「すみません、ヤクモ様。カティアさんに香草のお話をして、それを見て貰ってたんです」
「あ、いや。俺は、別に怒ったりしてない……よ? 怒ってるかな?」
「その──すみません。ヤクモ様のお顔を見て、なにを考えてるのか、読み取れなくて」
マーガレットまで、まるでそれが申し訳ないことのように謝ってきて、俺は眉間を抑える。
それから、先ほど部屋に戻るまでドロドロとしたものを胸中に抱えていて、そのせいで眉間に皺が寄っていたのだなと理解し、解してやる。
「や、その──。今訓練から戻って、食事の時間だからまだ気持ちが切り替わって無くてさ。珈琲を一杯だけ飲んで出て来た所だけど」
「怒ってない?」
「俺が勝手に訓練して、帰って来た時に美味しいお茶を出そうかなって言う気持ちはありがたく受け取るよ。けど、それは強制じゃないんだから、怒ったりなんかしないさ」
俺はカティアにお茶が飲みたいとも、飲めたら良いなとも零していない。
であるにも拘らず彼女がお茶を用意しようとしたのは気遣いや優しさ、心遣いから来るモノだろう。
それを怒るとか小さい器を持ってはいないし、そもそも思いあがってはいけないのだ。
「ミラノ達は……」
「ミラノ様たちは、ヘラ様を交えてお勉強ですわ」
「またか……」
ヘラの姿を見ないし、ミラノ達を見ないと思ったらどうやら土日は部屋に引き篭もる方針のようである。
俺は室内喫食の許可をどう求めれば良いのか分からないし、何も無いのに食堂にいかないつもりは無かった。
営内陸士、駐屯地暮らしの長い奴は食堂での三食が当たり前になりすぎていて、そこに最早疑問を抱かないのだ。
食堂まで向かうと、やはり休日は人の数が少ない。
食堂が開いた直後あたりに来ても閑古鳥が鳴いていると言えるような状態で、料理がくるのも注文するのも早くて助かる。
「香草って、どういうの?」
「カティアさんから、ヤクモ様の為に香草茶でお役に立てないかと言うお話で。私の部屋で育てている香草を色々お見せしていたんです」
「香草を育ててるんだ?」
「最初は父様が私の為に沢山の薬師などをお呼びしていたんですが、私には色は分からずとも香りの違いが気になったので。それで、自分で育てたりお話を聞いているうちに、色々と」
「マーガレット様のお部屋ね、凄いの。沢山のハー……香草が育てられてて、お茶にもお薬にも出来るんだって」
「そう言うのは知識や情報としては知ってるけど、マーガレットが……。そう言えば、母親がいなかったからお屋敷の事の多くを見てたとか言ってたっけ」
「はい。小さい頃からお屋敷の皆様から教えていただいたんです。お裁縫、花の手入れ、お掃除、食事……色々な事を教えていただきました。ミラノ様のような優れた魔法使いではありませんが、何か出来れば良いなと──」
……世界観とか全てを抜きにするのであれば、彼女のような子が本当は一番良いのだろう。
朝早くにベッドを抜け出し、まどろむ彼女に言って来ますと寒い中出て行って仕事をする。
足の裏や身体を痛めながらも何を買って帰れば良いか考え、買ったものをぶら下げて家に戻る。
家に近づくと明かりが漏れており、良い香りとともに調理をしている証である煙が立ち上っているのを知る。
帰路、疲労と寒さに凍え、悴みながらも彼女に出迎えられ、温かい食事を共にする。
そして睡眠までの決して長いとは言えない時間を団欒に費やし、明日も頑張ろうと──。
そう、思わせてくれる相手が一番なのだ。
それは、ミラノやマリーには無い優れた箇所である。
他の誰とも被らない、彼女の利点。
ミラノは導であり、マリーは共に歩む仲間である。
しかし─―その二人は、家を整えて温かい食事と言葉で出迎えてくれる人ではないのだ。
「俺は、それでも良いと思うよ」
「え? ですが、それくらいでしかお役に立てませんし……」
「だから”俺は”なんだよ。他の人は色々言うかも知れないけど、俺は俺個人の価値観と認識でマーガレットのそこを良いなって思う。他の沢山の人が何て言おうと、魔法が優れてるかどうかで評価しようとも。俺は、マーガレットがそう言うことで秀でているんだって、それはマーガレットだけにしか出来ない事なんだって思うよ」
同じものを持っていれば比べられる、同じことをすればそれでしかはかられなくなる。
──お前は、優しい子だよ──
──お前は、優しすぎる──
父親から、そして処罰を受け憔悴していた大好きだった上官から投げかけられた言葉。
優しいとは何なのか分からない、優れていると言う意味には決して取れない。
射撃で表彰されようとも、炊事競技会で看板を持ち帰ろうとも、障害物走で上位に食い込もうとも、決して他の言葉に置き換えられる事はなかった。
何が出来る、何において優れている、何において優秀である──。
そう言った評価をされず、ただ”優しい”と言う言葉が今では呪いのように思えてしまっているのだ。
弟にも負け、妹にも負けた出来損ない《プロトタイプ》。
その辛さを知っているから、俺は……優れている面のみを見てやって、褒める事にしたのだ。
後輩であっても、誰であっても──。
「皆が皆、ミラノやマリーのように優れて無くてもいいんだ。そんな事を言ったら、みんな俺みたいに強くなれって言う暴論も口に出来てしまう。けど、正確や性質、向き不向きは存在する。俺に出来ない事をやればいい、俺が苦手とする事で上回ればいい、俺の知らない事で博識で有ればいい。そんな感じでさ、魔法の才能だけでマーガレットと言う人間を評価するのは大いに間違ってると思う」
俺は、自分の傷を覆うように持論を述べた──それだけのつもりだった。
しかし、マーガレットが俯き涙を流し出してしまい、俺は心臓を鷲掴みにされた思いになった。
不味い事を言っただろうか、言葉選びを間違っただろうか?
思考停止している俺を他所にカティアがマーガレットへと飲み物と、湿らせたハンカチを手渡す。
それでマーガレットはすすり泣きながらも、謝罪してきた。
「すみません。私……父様以外からそう言っていただけたの、初めてで──。産まれてこなければ、父様も母様も苦労しなかったのでは無いかと考えてしまうと、今の私がしている事と出来ている事に意味があるのか、分からなくて──」
そう言われてしまうと、俺は何も言えなくなってしまった。
……そうだよな。
自分を産んだせいで母親が死んだと思い、そのときの関係で障害が残り父親が苦心してきたと思えば、長く辛い道のりだっただろう。
それを、俺が一つずつ楔を解き放った。
障害を回復させ、母親も──クローンだが──戻ってきた。
そうなると、どれだけ救われた事だろうか?
自分を縛り付けていた物から解放され、気が楽になったに違いない。
俺は、俺が言われたかった言葉で、マーガレットの心を救ってしまったのだった。
落ち着くまで俺は食事の手も止め、カティアが世話を焼いてくれているのを申し訳無さそうに見て居る。
完全に怒られた息子のような所作で、だからといって俺がやるには対人スキルが低すぎた。
「ご主人様? 誰彼構わず優しくするのは良いけど、TPOを弁えてもらえないかしら?」
「口を開くなってか?」
「出来れば縫い付けてしまいたいくらい」
「ひでぇ!?」
「有難う、カティアさん。ヤクモ様も、いきなり見苦しい所を見せてしまい、すみませんでした」
「や、俺も……今度から場所と場合を弁えて何か言うよ」
何が他人にとっての地雷なのか分からない以上、下手に持論を語るのは宜しく無さそうだった。
少しばかり考えてから、話題を戻す。
「で、香草を俺に……だっけ?」
「スン……。はい、カティアさんが、ヤクモ様が寝る時にお酒に頼る事が多く、珈琲を多用していて疲れているように見えたらしいので。何か良いものは無いかと、そう言う話になったんです」
「ご主人様、よほど疲れてないとお酒を飲んでから寝るじゃない? だから、こう。普通に眠れないかな~って思って」
「それは……」
言えない。
精神病だとか、鬱だとか、そう言った事は医者や家族にすら恥ずかしくて言えなかった。
素面で眠れば路頭に迷い人生に迷う自分を見るか、自分の罪の意識に殺される夢を朝まで見続ける。
そうでなくとも、珈琲を飲んでいないと注意力が散漫になり、緊張が維持出来ないのだ。
カフェイン中毒は窘められているし、その結果直ぐに吐き気を催す位に内蔵がダメージを負っているが、だからと言って改善される見込みが無いのだ。
俺は、未だに過去に引きずられ、そして前を向けないでいるのだから。
しかし、しかしだ。
なにか──そう、異世界だからこそ、新しい人間関係だからこそ、未知の物事が多いからこそ試しておいた方が良いだろうと考え直す。
体調を崩すと直ぐに叱責される社会人や、穴を作ると皺寄せが行く自衛隊でもないのだから。
俺は直ぐに「そうだな」と頷いた。
「それじゃあ、さ。緊張しやすいから落ち着けるような物や、眠る前に飲むと安らかに眠れるものって、あるかな? 多分カティアが気にしてるのって、そこらへんだと思うからさ」
「じゃあ、私の方で香草茶に良いものをカティアさんにお教えしておきますね。それと、もし宜しければ香草の匂いを部屋に満たす事で──”りらっくす”? 出来る様な物とかも御用意します」
「や、そこまでは──。香草ってどれだけ高いのか分からないし、悪いよ」
「いえ。屋敷の方で沢山育ってますし、その一部を此方でも育ててるだけですから。それに、少しでも何かお返しが出来ればと思ってましたし、少し荷が降りる気がします」
……ヘラだけじゃなかったか、マーガレットもまたそう言ったものを重く思っていたんだな。
なら、世話になるしかないか……。
「それじゃあ、カティア。悪いんだけど──」
「分かった、お勉強させて貰ってくるわね」
「それと、今度暇が出来たら俺も香草について教えてもらって良いかな? お茶に出来るものに興味があってさ」
「はい。いつでも来て頂ければ、お相手させていただきます。お部屋の場所、分かりますか?」
「あ~、分からないや」
「ヤクモ様のお部屋からですと、中央の階段を挟んで十三部屋目です。部屋の前に名前がかけられているので、見れば分かると思います」
「なるほど……」
そう言えばと、俺は休みがあけてからまだ聞いていない事があるのを思い出した。
色々あって、今ではその会話内容も忘れてしまった気がする。
幾らか逡巡しながらも、彼女に問うた。
「そう言えば……アレからどうなってる?」
「あれ、とは?」
「自分の未来、遠い未来の結末……。何か、変化はあったかなって」
「変化は、出ました。そう言えば、お話してませんでしたね」
彼女はそう言うと、少しだけ迷った。
しかし、直ぐに困った様子を見せながらも周囲を見た。
「確定した一つの未来だけじゃなくて、様々な未来も見えるようになりました。今までは一つの結末、私の死は決まったものだったのですが」
「それは、とりあえずは……おめでとうで良いのか──」
「ですが、まだ喜ばしいものでは有りません。細かいのを除けば、最近見たものは二つあります」
「喜ばしくない……? それは、どういう……」
「クライン様とヤクモ様、そのどちらかがお亡くなりになられる未来が私には見えたのです」
数秒、場が冷え込んだ気がした。
一緒に居るカティアですら、目をパチクリと数度瞬きを繰り返してから困惑を示す。
俺も、数秒の思考停止が発生した。
それから直ぐに頭の中で『クラインが死ぬ未来は回避しなければならない』とか考えてる自分が居て。
打算的に色々考えている自分が居る事に気がついた。
「その未来は、どういう……」
「時期までは分かりませんが、私はそのどちらも”見て”居ました。立って、自分の足でその光景を。その報告をするのはお亡くなりになられていない方です。クライン様とヤクモ様のどちらか……。そのどちらの光景でも、ミラノ様とカティアさんは一緒に戻って来られる立場でした」
「──……、」
「見えたのはその結末だけで、何故そうなったかまでは分かりません。ただ、何かがあって、お二人のうちどちらかが居なくなってしまうという……そう言う未来でした」
「マーガレットは、無事なのか?」
「その時点では、としか……。すみません、なんだか混乱させてしまうような事を言ってしまって」
暫くはマーガレットの言葉の意味をかみ締めようとする。
マーガレットが死んでしまう結末とは別に、マーガレットは生き延びるが俺かクラインのどちらかが死んでしまう未来もある……と言う事だろうか。
「ミラノとカティアは、どんな感じだった?」
「どちらも、物凄い落ち込んでいるように見えました。クライン様でも、ヤクモ様でも」
……と言う事は、現場を見た上での反応だよな。
カティアは一応俺が蘇生できる事を知っている筈だが……。
と言う事は、考えられるのは一つ。
クラインがどちらの未来でも死んでいて、クラインを演じる事でその穴を俺が埋め出したか、クラインを演じないで戻ったかの違いかもしれない。
「カティア、一応今の話を覚えておいて欲しい」
「その上で、お二人を出来るだけ気にかけて欲しいって言うんでしょう?」
「──よく、わかったな」
「もう、諦めたというか、理解したというか。言うとおりにはする、それがご主人様の望みだもの。けどね、ご主人様の事も気にかけるのは──別に間違ってないでしょ?」
そう言ってカティアは少しばかりの苛立ちとも怒りともいえるような感情を滲ませていた。
「カティア? 俺は一人なら滅茶苦茶逃げられるんだよ」
「本当かしら」
「今までは誰かが一緒だったから、逃げられなかったんだよ。一人だったら、何でもやるし、何でも出来るけど、誰かが居るとなると逃げられないんだ」
「見棄てて逃げるって選択が無いのがご立派と言うか、何と言うか……」
「少なくとも恥ずべく生き方はしたくない。他人を見棄てて生き延びても、きっとその事をずっと後悔し続ける。考え続けて、何か出来たんじゃないか悩み続ける。そうじゃなくとも、家族や、上官や先輩、後輩や──人としてみっともない事はしたくない」
俺は最底辺の人間だ。
嘘をつくし、騙すし、楽をしたがるし、都合が悪ければ情報を言わなかったり歪めたりもする。
けれども、他人を”利用”するのも”踏み台”にする事もしたくは無い。
「御立派なこと」
「……迷惑をかけるな」
「一朝一夕に治るとは思ってないもの、大丈夫とは言わないけど……なれましたわ」
それが良いことなのか、悪い事なのかは分からない。
ただ、マーガレットは微笑を浮かべてくれていた。
「……私の夢を、夢物語だと言わないのですね」
「ん? いや、まあ。嘘だとしたらもっと酷い嘘をつくだろうし、信じてもらえないような物だと自覚しているのなら口を閉ざすだろ? それに、その内容を聞いてしまった時点で、マーガレットの言う未来とは違うものになる」
それに、変な夢と言うと俺も見ているわけだしなあ。
しかも荒唐無稽な夢ではなく、彼女の言う予知夢とかに近い。
俺が神聖フランツ帝国に残る事を選んだ場合、ヘラが操られている事、ヘラに負けた場合の結末──。
それらを見たからこそ、余計にマーガレットを否定できなくなった。
「そう言えば神聖フランツ帝国に残る事を選んだヤクモ様の夢も、一度だけ見ました」
「──……、」
「ヤクモ様があちらに残られて、十年近く……遠くからヤクモ様がどのように頑張っているのかを聞いていました。しかし、ヤクモ様が──操られたとマリー様が言っていて、戦争が始まって……」
マーガレットは、戦火の最中倒れた。
確かそうだったなと、俺は『悪夢の中での結末』と言う一覧を見た。
ミラノとアリアは戦死、アルバートを守ってグリムも死に、そのアルバートもクラインを庇って死んだ。
その夢の内容を覚えていて、俺は言葉を失った。
「私は何があったのかはわかりませんが、たぶんそうなるはずだった何かが有ったのですよね?」
「……あった」
そして、マーガレットの夢がただの妄想ではない事が、確認できてしまった。
俺が口外していない夢の内容を彼女が知っていて、その流れも理解しているようだ。
違いがあるとすれば、主観が違うが故に『結末を知っている者と、結末を見届けられなかった者』に分かれている位だろうが。
「──兎に角、マーガレットの言う事を疑いはしないよ。騙されるまでは付き合う」
俺の言葉は、意味を成すもので有っただろうか?
ただ、マーガレットは微笑んでその言葉を受け入れてくれた。
――☆──
平日の授業中、クラインは授業の見学をしていた。
暫く滞在し、来年度からは学生として通うつもりである。
そんな彼の目の前では、幼少の頃に言い伝えや書物、歴史に深く刻み込まれた英霊達が武器を振るっている。
「ちぃっ!」
そんな彼らが、本来の召喚理由である『人類の為』というお題目で生徒達に梃入れを始めた。
それだけでも心踊るのに、彼は──アイアスと言う槍使いの英霊が相手をしている人物を見てしまう。
ヤクモという人物が、英霊を相手に大立ち振る舞いを演じている最中であった。
「はぁっ!」
武芸の稽古中、英霊たちは何かとヤクモを引っ張り出した。
最初は贔屓かと、或いはヤクモが何かしたのだと邪推するような噂が多く登った。
一度は英雄のように語られはしたが、その活躍の現場を見て居るのが公爵家の当人達だけと言うのが蓋をしているだけだったのだ。
しかし、そう言った噂は見学をしている生徒達を呆然とさせるような演武によって破壊された。
「ッ──」
アイアスと言う槍の英霊が槍を、魔法を交えて苛烈に攻め立てる。
その攻防具合は”お遊び”しかしてこなかった生徒達にとって、目を覚ますような物であった。
それ以前に、学園で武芸において並ぶ者無しと言われるアルバートですら頭をぶん殴られるような物が、目の前にあった。
学園と言う狭い世界で満足した彼らは、その中で全てが完結していた。
しかし、今目の前で繰り広げられている物を目の当たりにし、自分達を置き換えて見ぬ男子は居ないほどであった。
場が違えば、或いは場合が違えば殺し合いなのではと思ってしまうような演武。
ただ、英霊の成す攻防だから皆が見とれているのではない。
”ただの人間”が、この前まで名も無き常識知らずだった輩が”英霊と対等にやりあっている”のだ。
剣、体術、足捌き、魔法。
虚実入り混じった空白も、激動の攻防も全て”ただの人”が対等に行っている。
アイアスだけではなく、ロビンやタケルと言う英霊が相手でも──それは変わらなかった。
武器での戦いがメインのアイアス、体術や奇襲染みた投擲だのを行うロビン、技術や細かい魔法の制御などを行うタケル。
その三名がそれぞれに、学生にとって”あんなの、ひとたまりもない”と思えるような”意外”な事を繰り返す。
しかし、ヤクモはそのどれでも致命的な一撃を受けることは無かった。
掠り、姿勢を崩され、身を打たれたとしても彼は立ち上がった。
防御や回避等と言った防御行動の中、自分が有利となるのであればダメージの低い物をあえて受けながら踏み込んでいく。
何度か──英霊に迫る場面があった。
英霊に一撃を加えてしまうのではないかと言うくらいに、攻撃に転じる事もあった。
それを見ていると、生徒たちの反応は二分化されていく。
否定と肯定だ。
授業の終わり際に、必ず三人がいう言葉がある。
──いきなりオレたちを目指さなくて良い。それでも、オレたちを目指した結果頑張った野郎なら見せられる──
──だれでも、いきなりはできない。でも、せいこーしたひとは、がんばってる──
──俺たちという存在が遠く霞み、近づく事すら恐れ多いと思うのは分かるよ。けど、出来ない訳じゃない──
目の前で、打ち合いの末に木剣が砕かれるヤクモ。
これで決着かと誰もが思ったが、彼は即座にゴミを捨てた。
そして槍を地面に逸らすと、その足で思い切り踏み抜く。
練習用の槍はその足でへし折られ、半分ほどの長さになってしまう。
それを見たアイアスとヤクモが嫌な間を作り、次の行動に移ろうとしてタケルが待ったをかけた。
双方の武器の喪失と、これ以上やると格闘戦になってしまうという理由でその場は終わった。
そして学生たちは、その”引き分け”をまた受け止めなければならなかった。
英霊と引き分ける人間が居る。
身許不明であり、公爵家の騎士として今は仕えてはいるが、それ以前の経歴が全く分からないのだ。
歴史のない、家柄もない、身分も爵位もないただの庶民──。
歴史を重んじた訳でもなく、脈々と続く家柄を持つ訳でもなく、どこかに仕え武勲を重ねた訳でもなく、実力によって地位を勝ち取った訳でもない。
だからこそ驚き、だからこそ受け入れられなかった。
「御一緒しても?」
嫉妬と尊敬を綯い交ぜにした目線でヤクモを見ていたクラインに、ユリアが声をかけた。
彼女もまた学園の様子を見に来た一人であり、見学をしていた。
ただ、彼女もまた英霊と剣を交え、魔法を交え、死合いと舞闘をごっちゃにした光景を目の当たりにしていた。
「うん、僕は構わないよ」
「──凄いわね~。英霊とは伝説上の存在で、近年召喚されるまではただの御伽噺のような物だと思ってたけど。実際に召喚されて、その秀でた武芸や魔法を見せ付けられたら、疑うのが馬鹿らしくなる」
「うん、そうだね」
「けど、その英霊と対等に切りあっているあの人は何なのかしらね。貴方によく似ているようだけど」
「──……、」
クラインは少しばかり考え、それから対応を幾らか考えた。
けれども、苦笑してありのままを伝える事にする。
「妹が召喚した元使い魔で、一度死んだって事くらいしか分からないかな。僕も今回の休暇で戻ってきたばかりで、よくは知らないんだ」
「五年も家を空けて、その間に自分そっくりの男が現れたのを変だとは思わないんだ」
「それ以前に、妹達が命を救ってもらってる。身命を賭したその行いは賞賛されても、疑う理由は無いよ」
クラインは迷う事無くそう言い切った。
表に出ていない以上に、色々な事を聞かされているし知っている。
だからこそクラインは何をしてもらったかを、何を成したかを理解し──彼を支持した。
「ふぅん、危険だとは思わないんだ」
「確かに、今の戦いぶりを見てその強さは凄いと思うけど──それだけだよ。どんなに強くとも二心ある人物なら安心は出来ない。けれども、どんなに強くとも二心無い事が分かっていれば怖くないかな」
クラインは「彼なら大丈夫」と言った、言い切った。
その言葉を受けたユリアにとっては不可解な事だった。
彼女の国では、弱肉強食──。
立場が上の物は下が叛意を翻さないようにし、下の者は上に食い込もうと色々な謀り事をする。
時には濡れ衣を被せ、時には事故死に見せかけ、時には結託し、時には裏切る。
それが当たり前で、力無きものも力持つ物も”信じる”と言った事とは縁遠い。
だからこそ、クラインの言葉をユリアは鼻で笑った。
「二心が無いって、そんなのありえないし。上手く取り入ろうとしているか、力を蓄えてひっくり返そうとしてるに決まってるじゃん。或いは、いい所で他国に渡る。そうやって自分が得をしようとする……」
「君は知らないだろうけど、彼は今の騎士階級ですら欲しがらなかったよ。神聖フランツ帝国でも……君の誘いも断ってる。デルブルグ家以上の後ろ盾が無くて、国に召し上げられる方がずっと良い扱いをされるのにね」
「じゃあ、女だ」
「それも──残念ながら、違うよ。僕は妹達と一緒に彼に来た縁談全てを把握している。彼は縁談を一つ除き全て蹴飛ばした。男爵、子爵、辺境伯、侯爵……縁談相手の家は、どれも彼にとっては美味しい話だったと僕は思ってる。当代限りの騎士爵じゃなくて、彼の子孫に至るまで貴族で居られるのに──」
「けど、蹴った? 一人に絞っただけじゃない?」
「絞ったというより、彼は”自分が好意を抱ける相手”という、直接見知った相手以外からの話を好まなかっただけ。しかも、その一人を理由にして他を断ってる。一応紳士的でも真摯でもあるわけだ」
クラインの言葉に、ユリアは理解が出来なくなっていく。
彼女の知らない、自分の価値観とは全く違う在り様に思考がとまる。
「──アレだけ強いのに、まだ騎士爵だってのに?」
「本人は身軽なのが良いんだってさ。いろいろ提案しては見たけど、余り束縛されるのが嫌なんだって」
「まるで風来坊ね」
「風来坊……?」
「どこかに居つく事無く、渡り鳥のように色々な場所を渡り歩く旅人とも言えるかもね。気の赴くままに、今日は東へ明日は西へ。いつかは北へ、気が向けば南へってね」
「あぁ、それは──分かりやすいかもね。もしかしたらいつかはどこかにフラリと行ってしまうかも知れない。それが明日なのか遠い未来なのかは分からないけど……漠然と、それは理解が出来る」
そう言って、クラインは闘技場の隅で呼吸を整えて再び舞台に上がるヤクモを見た。
素手による徒手格闘、ロビンと打撃や関節技、崩しやいなし等を展示するために再び舞台に上がっている。
英霊同士では難易度が高すぎ、生徒相手では手抜きと思われかねない。
故にその中間であるヤクモに白羽の矢が立ちまくる。
「……個人的にどう思うかなんて関係ない。今までがそうだったように、これからもそうであるように。彼は思ったまま、感じたままに生きていくと思う。その結果卒業後も居てくれるのか、それとも去るのかまでは分からない」
「抱き込みでもしてるかと思ったけど」
「多分、彼は与えられる物に興味は無いんじゃないかな。だから、金も、爵位も、女も、待遇も……意味を持たないよ」
舞台の上でロビンとヤクモが徒手格闘で攻防を始める。
武器を持たぬ戦いとは地味であるか、或いは武器を喪失した最後の手段として──そう、認識されていた。
特別階級である彼らにとっては武器とはそのまま”優位性”であり、それの喪失はもはや敗北と思っていた。
いや、思い込んでいた。
しかし、今度は武器が無かろうともここまで戦えるのだと二人が証明していく。
下手に手を出すとその手を掴まれたり、思い切り叩かれたりして姿勢を崩される。
ヤクモの伸ばした手を同じサイドの手で掴んで思い切り引き寄せると、裏拳が顔面を襲う。
それをギリギリで回避したヤクモは、仰け反った勢いを利用して顎下を狙うように蹴りを放ちながら、宙返りの要領で着地する。
ただ、本人にとっても咄嗟の行動でありながら、頭からではなく何とか足の裏が地面に着くと変な間が出来る。
──着地できてよかった──
そんな事を考えているのだろうと、クラインは苦笑してしまう。
抵抗する事、思い通りになら無い為に自滅覚悟の攻撃を行う。
そんなもの戦いでも何でもないとは思いながらも、やるからには有る程度出来てしまうのがまたズルいんだよなとクラインは笑った。
「僕はどうする事も出来ないけど、それは誰にとってもお互い様だ。何人かは人質をとったり、弱みを握ったりとか考えたかも知れない。けれども、そんなものは──無意味だ」
「誰かやったの?」
「やっては無い、と思う。けれども、それは愚作だと僕は分かる。英霊に近づいていく実力、魔法に関しては未知数所か学園で教わるような形式と格式に拘ったような物ではない実用性のある使い方に長けている。そんな相手に敵対的な事をする事こそが、すでに自殺行為だと思うけどね」
「やってみなけりゃ──」
「じゃあ、やってごらん? 僕は一人で城壁を即座に打ち崩し、歩兵隊を差し向けても薙ぎ払われ、建物に篭ろうとも建物ごと押しつぶされるか──或いは、静かに一人ずつ消されるような相手と闘いたいとは思わない」
ヤクモの持っていた武器は彼らにとって未知の脅威だった、ヤクモの魔法は限界が見えなかった。
そんな相手に敵対すること自体が、馬鹿げていると思ったのだ。
「常に見張りでもつけたら?」
「英霊が見張りについていながら、普通に廊下から逃げ出したよ」
「精鋭の兵を付けて、反逆できないように監視する」
「そもそも捕まらないように立ち回るだろうし、人質を取れば人質が居ない場所を吹き飛ばされて、潰されるよ」
「なら、弱みを握る」
「女性にだらしが無い事は無い、金で困ってる様子は無い、とりあえず学園に居るうえに公爵家の騎士をしているから路頭に迷う心配もない。――口癖だけど、ノンビリしたいって言ってるから、テコでも動かないんじゃないかな」
目の前で腕を極められかけたヤクモが、腕をひしがれそうになっていた。
しかし、腕力と上半身の力を使って無理矢理に彼女に覆い被さるようにして回避する。
変わりに胸部に──慎ましいとは言え、存在する胸に──握り拳を通して肺への圧力を加えた。
痛み、吐き出された酸素、圧力。
それらから逃れる為にロビンは拘束を解き、再び二人は対峙した。
「……素性を知らないで良いんだ」
「素性なんて、知らなくてもいいんだよ。これから知っていけば良い、自然とお互いに理解が深まっていくからね。それに、忘れちゃいけないのは……妹が、彼に無理を強いたという事実だ」
「無理? どこら辺が無理?」
「彼には今までの生活があった、彼には今まで慣れ親しんだ住まいがあった。彼には仲間が居て、部隊の皆が居て、知り合いも居た筈なんだ。けど、記憶が曖昧とは言え──僕らは彼を孤独な世界へと呼び込んでしまった。使い魔が一人居るとは言っても、爵位も、歴史も、知り合いも居ない……。頼るべき相手が居ないんだよ、彼には」
「──……、」
「両親を亡くしたと聞いてるけど、埋葬した場所を訪ねる事もできない。弟さんと妹さんが居たみたいだけど、その二人と会うことも叶わない。なら、出来る事は彼がどこかに根を下ろせる土壌を求めているのなら、多少整えてあげるくらいだよ」
「達観、してるんだ」
ユリアのその言葉に、クラインは何も答えなかった。
しかし、クラインのその達観に近い考え方はきっと正しいのかも知れないとユリアは考える。
見知らぬ場所、見知らぬ世界、見知らぬ人々の真っ只中に放り出されて──不安にならない人は居ない。
しかし、ユリアはクラインの事を「甘い」と評した。
何も無ければそんな考えも有って良いだろうし、下手な事をすれば制御出来ない兵器など手に余る。
時間が解決するだろうと、根付けるように土壌を整えるのも場所を教えるのも良いだろう。
だが、現実にはそんな”生ぬるい”事をする連中は、遅きに失して潰えるのだ。
ユリアからして見れば”頭にお花畑”を抱えていると言うしかない考え方に、辟易さえした。
凡人であればそれも良いだろうと、ただの人が相手であればそれでも良かっただろうと。
しかし。英霊に比類し、英霊と親しくし、根無し草と言う”美味しいもの”を誰が捨て置くというのか。
「ま、それを判断するのは私じゃないか」
自分はこう思うとしながらも、別に自分が彼を狙ってるわけじゃないとユリアは欲を出さない。
別にすぐさま行動を起せと言われている訳でもなく、同じ顔の人物が二人居る事で判断がつかなくなってしまったのだ。
だから、今はただの待機中である。
「けど、一つだけ聞きたいんだけどいい?」
「ん? なに?」
「敵対するとか思わないの?」
「──どうかな。もしかしたらするかもしれないし、しないかも知れない。けど、僕は思う。彼がそうであるように、敵対的でなければ、一方的に不利益を強いなければそうなる可能性は限りなく低いって。喩え対立する事は有っても、敵対はしないよ」
「自分の言い分を通す為に、戦う事も有るかも知れないのに?」
「それはただの喧嘩だよ。意見の相違はあったとしても、それは許容されて良いと思ってる。勿論、相手が押し付けや無理強いをしてくるのなら僕だって黙っては居ないけど、相手が腰を下ろし話をするのならそれも良いと思う」
「公爵家なのに?」
「公爵家だからこそ、だよ。それに、僕はまだ当主じゃない。それに、自分の考えを押し通せるくらいに物事を知ってるわけじゃないんだ」
そう言ってクラインは、自分の未熟さを恥ずかしい事だとは言わずに言い切った。
それをユリアはやはりと、鼻で笑った。
小さくだったので、それをクラインが聞く事は無かった。
~ ☆ ~
とある昼下がり、生徒達が授業で忙しくしている最中──とある一室は重苦しい空気に満たされていた。
マリーと数名の衛兵、そして学園長が居るその部屋は沈黙がただただ続いていた。
「じゃからな? 吾はただ見に来ただけじゃ。吾の事はマリーが保障してくれたであろ?」
そう言って居るのは、ユニオン共和国の英霊である。
他の英霊たちは生徒達に授業をしている最中であり、授業中でも自由に動けるのは部屋に篭って授業を受け持っていないマリーだけだったのだ。
自分の身体に入れられた刻印や、排他的に攻撃性を伴ったマリーとしては部屋を出るだけでも相当なイライラを募らせていた。
部屋を出るだけじゃなく、彼女は自分の時間や自分の事を邪魔されるのがとにかく嫌いなのだ。
そのせいで、久しぶりに会った目の前の仲間を相手にしても脳裏に浮かんでいるアイディアが消え行くのを歯がゆく思っていた。
「その……英霊殿が来て頂けるのであれば、事前に言っていただければお迎えなどをしましたが」
学園長は脂汗を流しながら、その汗を拭いつつそう言った。
――この英霊は、その外見的特徴のせいで馬車を降りてからこの部屋にたどり着くまでに多くの注目を引いてしまった。
そして、”人間らしくない”姿に、数多くの衛兵が警戒をして集ってしまったのである。
大変失礼どころではない騒ぎを起してしまい、学園長としては生きた心地がしなかったのだ。
「済まぬな。じゃが、吾の身体はかつての戦いでもはや眠っていた血が──龍の血が目覚めてしまったのでな。どうする事もできぬ」
そう言って、英霊は左手を握り締めた。
ギギギと、まるで鉄を擦り合わせるような音が響き、それを聞いた学園長は唾を飲む。
――英霊、ヴァイスと名乗る”少女”は、学園に居るどの英霊よりも異彩であった。
握り締めた左手は肘まで人間の物とは思えぬ肌をしていた。
その目も爬虫類のように網膜は縦に鋭い。
そして──その背後、背からは羽根が伸び、尻からは尾が伸びていた。
どちらも腕と同じ
「まあ、獣人と同じようなモノではあるがな。ただ、吾は長生きして羽根や尾を消して人のフリも出来ぬ。そのような英霊、失望するかの?」
「いえ、滅相も有りません! ただ、生徒達や教師、他国の兵士などが驚かれますので、何卒──そのお姿を一度で良いので皆の前に見せてやってはくれませぬか?」
「良いじゃろ。それくらいの事で騒ぎが薄れ、馴染めるのならお安い御用じゃ」
「アンタも、私みたいな長物着とけば良いのに。そうすれば最初から混乱も起きなかったのに」
「マリー。お主の言い分は確かじゃが、吾がそのような物を纏うとかえって邪魔になるでな。混乱覚悟で、この姿を見せるしかない。それに、英霊の癖にコソコソしていては不信を招きかねぬ。故に、こうして吾は好悪全てを受け入れる事にしておる」
そう言ってヴァイスは出されたお茶を、飲む。
まだ人間らしさを保っている右手で、来賓用の高級な物を喉を通した。
「──良い茶じゃな。飲みなれた気さえする、懐かしい味じゃ」
「懐かしい顔振りに会いに来た訳じゃないんでしょ? さっさと本題に入らないと、学園長が困ってるじゃない」
「急くなマリー。茶を飲み、本題に入る前に心構えをさせつつ場を暖めるのが重要なのじゃ。常に本題に入るだけであれば容易い事ではあるが、茶を出した好意を無碍にする事になる。そう言った機微は、お主には難しかったか?」
「……じゃあ、言い換える。私、研究の途中だから帰っても良い?」
「お、お待ち下されマリー殿!?」
マリーが立ち去ろうとして、学園長が慌てて呼び止める。
学園長としては英霊の相手を単独でさせられては心臓が持たない。
なので、出来ればマリーが居る間に全ての話を進めてしまいたいのであった。
マリーは学園長の「いい歳して子犬のように震えてる」という様子を見てしまい、ため息と共に手をつけていなかった自分のお茶へと手を伸ばす。
そしてマリーは「休憩してなかったし」と、自分に言い聞かせた。
断片化した知識やアイディアを避難させ、目の前の仲間へと目をやる。
「それで、来訪の目的は?」
「なあに、学園に襲撃があったのでな。その経過や安全性を確認しに来ただけじゃ。吾が言を持って報告をすれば、誰もが納得するじゃろうしな」
「ソッチの兵士が沢山居るでしょうが」
「直接目にし、思考し、その結果吐き出した物の方が信憑性が有ると思うがな。吾は確かに人としてももはや出来損ないで、醜悪極まる外見になってしまったが──人を、未来を思う気持ちは変わっておらぬのじゃ」
そう言って、ヴァイスは空になった湯飲みを置いた。
学園長は慌てておかわりを注がせようとしたが、それをヴァイス自身が抑える。
「──学園長。暫く滞在させてもらいたいのじゃ。当然、タダでとは言わぬ。存外この身体は燃費が悪くてな、食い扶持が何倍も必要なのじゃ」
「は、はぁ……」
「それに、迷惑をかけたからな。受け取るが良い」
そう言って、ヴァイスは腰に下げた布袋を机に置く。
ジャラジャラと喧しいほどの貨幣の音、学園長は「拝見、させていただきます」と言って覗き込む。
その中に存在する最上級のプラチナ硬貨の山を見て、学園長は卒倒した。
マリーも覗き込むと、眉間を揉む。
「……ねえ、これでどれくらい好き勝手できるかわかる?」
「さあ? 吾は戦闘以外は疎くてな、これくらい持っておけばとりあえず箔がつくと言われて、そのまま持ってきただけじゃが?」
マリーは目の前の”非常識の塊”に顔を抑える。
歴史が失われてしまい、伝承も何も無いので多くは誰もが知らない。
ただ当人が言うには「伝説の龍の血が代々受け継がれている」との事。
色々と語られたようだが、ヴァイスは「勉強に不真面目だったのを、今更悔やんでおる」と言った。
つまり、本人も多くを知らないのであった。
龍の血を継ぐ彼女はマリーを凌駕する魔力と魔法耐性を持ち、身体能力はファムよりは鈍重ではあるが力比べに関してはファムでも敵わないほどであった。
だから”非常識の塊”と、マリーは思っていたのだ。
常識知らずという意味も、そこにはあったのだが、口にする事は無い。
「吾は、何かやらかしたのじゃろうか?」
「あ~、アンタはそのままでいいから……。私が、やっとく……」
マリーは、溜息を吐きながら学園長の頬を叩いた。
しかしビンタによって余計に気絶を深くしただけであり、目覚める兆候は無い。
仕方が無くマリーは衛兵に声をかけ、指揮を執り話を進めることにした。
戦闘指揮経験は無いが、少なくとも目の前の非常識と比べれば自分の方がこういった事に慣れていると、比べる相手が”ゼロ”である事にマリーはため息を吐くしかなかった。




