100話
カティアが討ち取られ、俺の思考はフリーズしっぱなしだった。
女王の駒が――カティアが居た場所にナイトの駒が居座り、彼女の存在が消えている。
吐き気がした、だが……今は――まだ”戦争中”なのだ。
「おや、あんまり動揺してないみたいですね?」
「いや、滅茶苦茶……動揺してますけど? 因みにこれ、撃破されたカティアって――どうなってる?」
「死にはしないですよ? ただ、痛い目にはあってるでしょうが」
そうヘラが言うと同時にミクロの戦場の世界から弾き出されたカティアが、一度だけ地面でバウンドして横たわる。
俺は直ぐに彼女が汚染された雪に塗れるのを避けるように、担いで傍に座らせた。
――意識が無く、まるで実際に交戦したかのように……”討ち取られたかのように”傷ついている。
――警告、使い魔の容態が不安定につき魔力を急遽送りました――
そんなシステムメッセージが視界に映りこみ、これが実は”酷い有様”ではなく”魔力で補填して回復してなおこれ”と言う事なのかも知れない。
つまり、カティアは自身の魔力で緊急回復し、その上で足りない分を俺から吸い上げた――と。
それくらいに、負傷したと。
「さて、クイーンは……居なくなりました。そして――残念ですが、そちらの攻勢は終わったみたいですね」
「――本当にそう思う?」
「……どういう意味ですか?」
俺はカティアに上衣を被せると、下に着ていた長袖OD迷彩の袖をまくった。
熱が抜け、雪に焼かれる。
その上で盤面を再び見直し、笑いしか浮かばない。
「本来なら、カティアが討ち取られた時点で俺の負けだ。そう、本来なら……な」
「けど、カティアちゃんはもうゲームから除外されましたよ?」
「そう、除外された。つまりカティアは戦死判定な訳だ。――カティアは、な」
そう言ってから、俺は笑いを浮かべる。
その笑みに、ヘラは逆に表情を消し去った。
「なあ、何で大暴れしたと思う? 最後の最後で、なんで無謀な突撃をしたと思う?」
「それ以外、手が無いからでは?」
「Exactamente, 大正解。けどさ、こんな事になるとは思っては無かったけど――ある意味目論見通りではある。一番強い駒を警戒するのは当たり前だし、それを排除する事は戦略的にも正しい。そう、戦争ならな。けどさ――ゲームなんだわ、これ」
そう言って、おれは画面隅に広がる森林地帯を指で突く。
其処には何もおらず、その直線にも――誰も居ない。
ヘラは少しばかり怪訝そうな顔をしていたが、誰も気付かないか? 普通。
「死ぬ気で駆けろや手前らぁ!」
叫び声を叩きつけると、今まで伏せていた人類側の歩兵が突如として現れる。
英雄殺し……二日目の朝から潜伏させたままに、その存在を大よそ忘れ去っていたレベルで放置してきた。
だが、マリーによって中央をぶち抜き、アイアスやタケルたち歩兵で前線を膠着させ、ロビンやファムによって地味に削っている中でカティアと俺の突撃である。
敵が、中央に寄りつつあったのだ。
しかも交戦中だから撤退も行動も出来ず、それを止める術などない。
「まあ、こう考えてみろよ。討ち取られたクイーンが、実は誰かだったと。そして潜伏して奥深くにまで到達した歩兵こそが――実はクイーンだった、とか」
「まさか――」
「後は、負けてから考えろ」
俺はミクロの視点へ、戦場へと降り立つ。
ただし、王の駒としてではなく――英雄殺しの歩兵の駒へ。
「こんな無様な戦い、有って堪るか」
「ぶつくさ言ってないで、後は王の駒を指揮しろ。やられるな、ただし全力で仲間を支援しろ!」
「情けない真似をしてくれるなよ?」
「任せろ」
プロモーション、歩兵は敵陣奥深くに到達すると成り上がることが出来る。
そのルールは様々だが、基本的にポーンは何にでもなれるのだ。
それこそ……クイーンにでも。
「よし、敵の横腹だ。手前等、ここ数日ただ味方がやられるのを見て歯をかみ締めたか? 何も出来ない自分に苛立ちや腹立たしさを覚えたか? いい、それで居て正常だ。負けそうになって、何も出来ない事に対して何も感じなけりゃ――それは人じゃない。だから――」
剣を抜き、スカスカの陣形の中で無防備を晒している王――ヘラを見つけ出す。
彼女もまた、ミクロ観点へと下り立ったのだろう。
だが、既に遅い。
「食え、殺せ、怒りも悲しみも全てを力にしろ! 追いつける奴だけ――ついて来い!」
RTSとヘラが言ったが、それは面白いほどに彼女がど忘れしていた事がある。
それは、歩兵による”早駆け”だ。
本来ならそんな長距離を徒歩で突撃などしない、突撃をさせたとしたら――それこそ無能指揮官として能力を疑われる。
そう、本来であれば――だ。
俺は剣を抜き、今までやることの無かった”全速力”を出した。
学園でアルバート達のしていた身体能力強化、そして普段からしている走り込みの成果を上乗せして。
……自分でも、こんな速度が出るのかと驚いてしまう。
自転車以上の速度に、自然と向かい風を避けるように低姿勢になっていく。
途中で敗残兵となっていたゴーストを斬り払い、方向転換してきた兵士に向けて――夢で見たように片手を翳し――魔法をかます。
大爆発がゴーレムとその周囲の兵士を巻き込み、部隊そのものが消滅してしまう。
俺は直ぐに足を止めず、味方が着ているのを見ながら――タケルたちが前進を再開したのを目にする。
「負けちゃダメだ、一気に押し返せ!」
その声を聞き流し、さらに――さらに置く深くへと突っ込む。
先ほど、カティアが討ち取られた時と同じように……攻撃が殺到した。
だが、俺は夢で見たように……あの銀髪の少女がそうしたように、同じ事を繰り返す。
遠隔攻撃を弓であれ魔法であれ魔力で掴み取り、全てを返し敵を撃破していく。
近接攻撃で囲まれそうになっても、その前にタケルから教わった魔法技術で攻撃と同時に魔法を発生させて多くの敵を倒し、その上で空白遅滞を生み出して逃れる。
僧兵を担っていたゴーレムが逃げようとしたのを見て、剣を分離させて一本投げつけ――全力で追い縋って剣を引き抜こうとするゴーレムを阻止した。
「死んどけ」
この剣は伝説の剣だと誰かが言った、今は思い出す余裕が無い。
伝説の名に負けず劣らず、ゴーレムと言う”対物理抵抗力”の高い相手にも突き刺さるし、簡単に切り裂く事が出来た。
岩のような胴体の奥深くで、心臓のように鳴動する魔石のようなものを両断してから見出す。
そうやって俺が個人で二部隊ほど撃破すると、既に戦線はグチャグチャになってしまった。
ゴーレムの周囲の魔物が逃げ出し、ゴーレムに対しての攻撃が通りやすくなる。
アイアスが槍で貫き、タケルが両断し、ファムが打ち砕き、ロビンがコアのある箇所に精密な速射を繰り返してその命を止める。
前線も崩壊し、後ろに控えていた部隊も――自身の手にしていた武器で自らを貫き”自害”する事でその部隊が壊滅した事を示した。
結果として、あの夢と流れは違うにしても……キングへ、ヘラの下へ……俺はたどり着いた。
「チェック? それとも――チェックメイトか?」
「――これに関して知識は無いんですね。ステイルメイト……私は動けば首を差し出す形になりますし、動かなくても実質詰みです。ええ、負け、ですね」
負けと、彼女が口にした。
その瞬間、世界が壊れるのを目にした。
ミクロとマクロで構成された二つの世界、雲に覆われた空と有害な雪を降らせ、肌を傷つける風……。
生きることその物が自殺レベルの世界に、皹が入り――砕けていく。
破片が散らばる中、ミクロの世界は失われ現実世界へと戻ってくる。
周囲にタケルやアイアス等の英霊たちも立っていて、ゲームから開放されたようであった。
ただ、全員がまるで実際に戦っていたかのようにボロボロで、俺も決して綺麗とは言えない状態だった。
「みんな、無事か?」
「私達は無事だけど――アイツが居ないわね」
見れば英雄殺しだけがおらず、王の駒と入れ替わったはずなのだが……。
「ま、もう行ったんじゃないかねえ。それより、クッタクタだ……。早く暖かい風呂と酒と、飯だ――」
「アイアス、よくばり。けど、そのいけん……さんせー」
「くったびれたにゃ~……」
「俺も、徹夜続きだったから――そろそろ休ませて欲しい、かな」
全員がそれぞれにホッと一息ついている。
俺も剣を鞘に戻して、ヘラの方を向いた。
「さ、これで俺は――」
自由だ。
そう言いたかった、そう……言うつもりだった。
しかし、俺が振り返った目の前で――彼女は、自身の腹にナイフを深く……深く突き立てていた。
唖然とする、勝利の余韻が全て零れ落ちる。
抵抗や裏切りでもない、自害と言う行動に……俺は全てを奪われた。
「おいおいおいおい、何してるんだ手前はぁぁああああッ!!!!!」
彼女は、ナイフを自分の手で捻った。
助からないように、決して生き長らえる事が無いようにと。
俺がナイフを取り上げようとしたが、彼女はそれを”自身の意志で”抵抗して見せた。
「――良いんです、これ、で」
そう言って、彼女は泣きそうな顔をして……赤ではなく、元のピンク色の目を見せていた。
洗脳ではなく、その言葉を吐いたのは……ヘラと言う人物の物だったのだ。
彼女の力は俺の物と拮抗していて、ナイフを奪った時には彼女の体から生命力である魔力がほぼ尽きた頃だった。
「姉さん、なんでっ!?」
「ごめんね、マリー……。私、ずっと前から――頭、おかしくなってて。沢山悪い事したよ、マリーにも……酷いこと言ったしやったのも……分かってた。私の意志じゃないけど、私の声で、私の身体でやった事だから……」
そう言ってヘラは駆け寄ったマリーの頬を撫でようとした。
マリーは既に涙で顔がグシャグシャで、鼻水まで垂れていて――、一番……人間らしい、血の通った反応を見せていた。
しかし、彼女の頬へ触れた手がサラサラと光の粒子となって消えた。
生命力が、尽きているのだ。
「なんかね、何かしなきゃいけないって……もう、分かんなくなっちゃったけど。誰かに操られてるみたいで、凄い気持ち悪かった。その為に、皆を襲ったりしちゃったし、その為に……船も、人も――傷つけた」
「船……?」
「船にね、魔物が来る御呪い、したの――覚えてる。あと、ヤクモさんたちを、襲うように、仕向けたのも――」
……つまり、ヴィスコンティに来た時点から、その後から常に彼女は洗脳の影響下にあったと言える。
船をクラーケンが襲ったのも、賊が襲撃をしてきたのも――彼女の差し金だったのだ。
だから「話と違う」だなんて……そんな事を?
「けどっ、それ、姉さんじゃっ……」
「ううん、あれも――多分私だよ。だって、羨まし、かったから……。マリーが、色々な事をしてるの、聞いて、嫉妬、したもん……。羨ましくて、悲しくて、なんでマリーだけって……色々な事、思った、から」
彼女はそう言ってから、俺を見る。
既に死相と言って良いほどに、彼女の顔から血の気が失せている。
土気色、死の色……両親が、棺桶の中で俺に見せた色。
思い出す、悲しくなる、胸が締め付けられる。
俺まで泣きそうになるが、呼吸を浅く細かく繰り返して何とか持ち直した。
「なん、とか。ヤクモ、さんが……勝てるように、してみました。少しでも勝てるように、私が……私なりに、出来るように。女王の駒に、固執する事も――私なら、分かってました、から」
遠まわしな自殺だった、最初から――洗脳されていて、実際の戦いの結末を知った上で彼女は女王の駒が動けばそちらに全てのリソースを割く事を理解した上で――。
その結果、敗北し、自殺する所まで、全て考えていたのだ。
「負ければ、支配される。それを……もう一人の、今はもう何も言わないあの人は受け入れられない。私も、国を全て洗脳した事実を……受け入れられなかった。だから――これで良いんです」
「……行くぞ」
アイアスは、その場に居るのが堪えられないと言った様子でその場を去った。
タケルもロビンも後に続き、ファムは少しばかり戸惑いながらも去っていった。
魔力を必死に流し込んでみてはいるが、それですらただの延命効果にしかなっていなかった。
「ごめんね、マリー。もっと、ちゃんと、お話したかった。私も……一緒に旅がしたかった。けど――お別れ、だね」
「やだ! やだやだやだやだ、姉さん!!!」
「困ったなあ……。こんな、泣き虫な妹だって――思わなかったなぁ……」
「弱いもん、昔から――今も! だから攻撃してきた、怖くないように、傷つきたくないように攻撃ばっかり覚えてきたの! 全然――ぜんっぜん、強くない!」
マリーが、今まで見せたことが無いくらいに泣いている。
その泣きっぷりは……清々しかった。
そして……俺が死んだと弟と妹が聞いたら、こうなっていたのかなと考えてしまった。
否定したかった、そんなに良い兄貴じゃなかったと開き直りたかった。
しかし、一握りにでも「同じように泣いたかも知れない」という疑惑が、余計に心を苦しめた。
災害派遣でも同じような場面を見てきたし、俺自身も――茫然自失していなければマリーのようになって居ただろう。
両親の死体を前にして、まだ――まだ認めてもらってないと……”あんたらの子供である”と認めさせてないと、叫んで居ただろう。
俺は……劣等感の塊だから。
「――ヤクモさん。私は、疲れちゃいました。なので……後は、宜しくお願いします」
なんだよ、宜しく頼むって。
そんな――マリーを? 唯一の身内だった姉を亡くして、その後を――俺に?
無理だ、重すぎる。
マリーだけじゃなく、下手すると彼女が抜けた穴を――英霊が果たすべき役割でさえも俺に押し付けようとしている。
俺にはそんな力も、経験も、覚悟もない。
しかし、ヘラが死に行く現状に対してどうしようもないのも事実だった。
何時までも魔力を与えられるわけじゃない。
どうする、どうする。どうする?
考えた、考えに考えた。
限界が迫る魔力回路を感じながら、俺は一つだけ思い当たる。
「マリー。マリー! 手前、英霊だろうが、長い戦いも苦しい戦いも乗り越えてきたんだろうが! だったら、一つの可能性が有るだろうが!」
俺は心を鬼にした。
泣きたいのは俺も一緒だ。
だが、それでもこの場で全てを仕切れるのは俺しか居なかった。
ヘラはもう言葉を発する事無く、その目蓋を閉ざしつつある。
だが、俺はヘラの頬も叩いて無理矢理に起こす。
「ヘラ、俺は、お前を――絶対に許さない」
「あ、はは……」
「死んで楽になろうだあ? そんなの、誰が許すか! 無理矢理にでも生き延びてもらう、いや――生き残ってもらう。お前の中の変な声も、孤独も……全て俺がやっつける。マリー! ヘラのナイフ寄越せ!」
泣きじゃくるマリーは何も言えない。
ただ嗚咽を繰り返し、涙と鼻水で顔をグシャグシャにしながらも俺の事を見て居る。
俺はそれを受け取ると――
「失礼」
ヘラの残っている手の平に綺麗な切り傷を作った。
これでダメだったらどうしようかと思ったが、今のほぼ消失状態が俺の辛うじて維持できている分なのだろう。
そして直ぐにその刃を返して、俺自身の手で握り締めると同じように切り傷を作る。
こちらは粒子などではなく、マジモンの血である。
「マリー、十個――十の盟約、血の盟約!」
その言葉に、彼女は直ぐには答えてくれなかった。
俺は苛立ち、叱咤するように声を張り上げる。
「久しぶりにあった姉なんだろうが、ようやく救えた姉なんだろうが! ここで諦めて終わりにするな、ここで全てを終わらせるんじゃねえ! 俺は、俺以外のことで諦めたくなんかねえんだよ!」
「わか、た……」
鼻を啜りながら、俺はヘラを見る。
「ヘラ。もう一度言う、俺はお前を許さない。死んで逃げようとして、全て諦めて放棄しようだなんて――絶対に認めないからな」
「――……、」
「だから復唱しろ、俺と同じ言葉を――マリーと同じ言葉を言え。使い潰してやる、お前が自責の念や後悔を抱かないくらいに、徹底的に振り回してやるからな!」
半ば罵声のような言葉だったが、彼女が言ってくれなければおしまいだった。
ヘラの頭部が半ばほど消え去り、顔の半分しかなかったが――彼女は俺を見てくれた。
「あ、は……。仕方が、無い――人」
「だったら従え、後は……何とかする」
そう言って、俺はマリーを見た。
彼女は俺の目線を受けると、一つずつゆっくりと挙げてくれた。
【一つ】 互いに敵意や悪意、害意を向け合う事を禁ずる
【ふたつ】 あいてをうたがわない、うらぎらない
【三つ】 お互いの物を奪ったり、傷つけたりする事は禁止
【四】 お互いを尊重し、対等な関係で居続ける事
【五つ】 上記のどれか一つでも守れない場合、盟約は締結されぬ
【六つ】 盟約を結んだ際に生じた負債は互いに補う事
【漆】 結ばれた盟約は双方の合意無しに破棄出来ないものとする
【八】 お互いに話し合って決めた事なら、上の規定は無視できる
【きゅう】 どのような状況下でも、これらのルールは遵守されます
【ジュウ】 シがタガイをワカつまで、トモにアユむコトをチカいますカ?
そう、これだ。
盟約に従って戦うとか言って居たが、元はこれだったのだ。
マリーはこれを皆で認めて血判状としたと言っていた、それが今では主従契約に使えるものと変わっている。
ヘラは命が尽きる直前の如くゆっくりと、マリーは気が気じゃ無いといった様子で早口勝つパニックを起こしながら、俺はそのどちらをも聞きながら頭はパニックしながらも落ち着いて一つずつ口にした。
「【十】死が互いを別つまで、共に歩む事を誓いますか?」
最後、俺からの問いかけだった。
主となる俺が、従となるヘラへと問いかける文言である。
ここで断られれば意味が無い、緊張が胸中を占めるが――。
「死が互いを別つまで……共に、歩む事を、誓います――」
ヘラが、その言葉を言い切った。
すると、変な感覚が俺の中に芽生える。
まるで微細な何かが俺の体内を駆け巡り、血管と言う血管全てに絡みつくような感覚。
それが心臓にまで到達すると、何かを無理矢理吸い出すような感覚が走る。
「ぶ、っ……」
洒落にならない圧力が俺の体内から生じた。
まるで真空に放り出されて弾ける様な、或いは電子レンジで破裂するような感じだ。
体内を、血管が本来許容している料を上回る血液が流れようとしているかのような感覚が生まれ、血の味が口内から生じた。
「あ、あぁ、あ――」
マリーが最早泣いていいのか叫べばいいのかすら分からなくなっているように見える。
俺も意識が吹っ飛びそうな位の痛みを前進から味わっている。
鼻血が出てきて、抱き抱えているヘラに滴り落ちる。
意識が飛んでしまいそうだが、それでも――それでも俺は彼女を睨み続けた。
手放さない、絶対に死なせちゃいけない。
ヘラが死ねば、マリーが悲しむ。
家族が死ぬのはとても悲しい事で、唯一の身内を失い孤独になるだなんて――そんな寂しく、悲しい目にあわせたいとは思わなかった。
マリーは言っていた、英霊達が必要とされる魔力はとてつもなく多いと。
辺境伯から魔力を貰っているマリーですら、一週間以上経過してまだ本来の姿に戻れないどころか、数日供給を断たれるだけで死にそうなくらいに体調を崩している。
つまり、本来の彼女達は恐ろしく魔力を必要とする存在なのだろう。
それを主人か、或いは英霊である彼女たちが供給量を調整しているらしい。
でないと、負傷や大規模な魔法を使った際に消費した魔力で主人が死んでしまうからだとか。
今の俺は、ほぼ死んでいる状態のヘラを”生きられる程度”にまで、魔力で……主従契約によって回復させようとしているのだ。
だが、俺の未熟な魔力回路がヘラに供給しなければならない魔力の量を送ろうとして、その供給量に耐え切れずに悲鳴を上げている。
鼻血が流れ、頭痛が酷くする。
心臓の鼓動が時折不定脈をはさみ、その度に死にそうなほどの苦しみが走った。
だが、意識を手放せない。ここで気絶する訳にはいかない。
自分の目で、彼女が無事に生き延びる事を確認しなければならないのだ。
じゃなければ、倒れた後でダメだったなんて、そんな展開は迎えたくない。
徐々に……ヘラの失われていた身体が再生していく。
ただ、それは本来の彼女としてではない。
どこか、足りない――。
だが、俺は悲鳴を挙げながらも……目を、見開く。
今まで、俺は何をするにしても全てを放棄してきた。
誰かを救って、死ぬか――気を失って。
けれども、今回は放棄しない。
放棄、出来ないんだ。
今回ばかりは、俺しかこの事態を収められないからだ。
ミラノ達を魔物の群れから救ったときは、救出対象は学園や別人によって安全が確保されていた。
英雄殺しと敵対した時は、アイアスとロビンが駆けつけてくれた。
しかし、今回は誰も変わってくれない。
だから……やるのだ――。
――☆――
数日後、俺たちは神聖フランツ帝国を後にする事になった。
ヘラが洗脳された事から全てが始まった今回の一件は、ヘラが斃れた事で不都合な真実や記憶、ここ数日の騒ぎ諸共全住民の記憶から抹消された。
国王や枢機卿はそれぞれ自分の部屋で自らの意思で閉じこもったかのような状態だったらしく、健康や状況に被害は無さそうではあった。
ただ、兵士達の多くが身体の痛みを訴え、数々の装具が損耗している事だけは理解できず、首を傾げるばかりだった。
全てが終わり、全ての人が洗脳から解放されてから城の人々は驚く事となる。
王の間に有ったゴーレムが全て破壊されており、しかも幾つか存在していた十字架……結界を構築していた代物自体が壊されていたことに。
「今でも思うよ。良く出国できたな……俺達」
帰りの馬車で半死人と化し、疲労と眠気が抜け切らない俺が首都を出る門を潜ったのを確認してからそう漏らした。
むしろ、これこそまさに処刑されるんじゃないかとさえ思ったのだ。
首都全域で洗脳が行われていました、それを俺たちが解除する為に十字架をふっ飛ばし、ゴーレムもぶっ壊しましただなんて……そんな言葉を受け入れる人が居るだろうか?
これに関しては、彼女のおかげだ。
「んふふ~」
「はなれ、てっ! 後輩の癖に、生意気っ!」
俺が半死人の原因である要素の一つは、今日も元気である。
白目をむいて気絶しかけてるのかも分からない俺の左腕に幼女なヘラが腕に抱きついて幸せそうにしてる。
対して右腕側に居るカティアがそんなヘラに対して――猫なのに――きゃんきゃんと吼えているのだ。
まあ、何をしたかと言えば、国王と枢機卿に対してのみヘラを連れて行ってある程度歪められた真実を話した。
①何者かによってヘラが洗脳状態に陥っていた。
②ヘラが何者かの指示により結界を作るのではなくヘラの支配下になるように結界そのものを作り変えていた。
③その結果首都丸ごとヘラの支配下にあり、ヘラは英霊を集めて何かをしようとしていた。
④しかし、俺含む逃れた英霊達で対抗してヘラを洗脳から解放、その際に城に居た術者を倒すために結界やゴーレムだった置物を破壊せざるを得なかった。
⑤マリーによって灰にまで焼かれ、ヘラが道連れに死に掛けたが新たな主人として俺が再契約
⑥ヘラは洗脳状態だったが意識や記憶は有ったらしく、罪滅ぼしをしたいので俺についていくとのこと
⑦ただ、直ぐに出立してしまうとこれからどうして良いか分からないだろうから、可能な限りの引継ぎやお言葉などは出す
……と、クッソ面倒な事をした。
当然では有るが、洗脳から解除された時点で全員はその時の記憶が無くなっていたらしい。
空白の期間と目の前の現実をすり合わせるしかなく、何とか飲み込んだ……と言う感じだ。
俺はヘラが幼女状態になるまで何とか意識を保ったが、魔力回路が焦げ付くくらいに酷使されてグロッキーとなる。
カティアがタイミングよく目覚め、マリーが俺を引きずりカティアがヘラを負ぶってくれたのも覚えている。
――当然、反発も反発、大反発だった。
国民や偉い連中からは嘆く声や、マジで殺すかどうかの話まで持ち出される。
だが、俺は俺で苛立ってたたきつけた。
「うるせぇ! 英霊様英霊様って一人に全依存した結果、今回丸々首都を乗っ取られたんだろうが! ヘラは召喚されてから色々尽くしてきたのに、お前らの中にそれを少しでも真似して負担を減らそうって考えをした奴がいるか? なあ! ヘラが居なくなって明日からどうしたらいいか分からないだぁ? ご愁傷様だね! ヘラは、俺が、いただきます! 悔しけりゃヘラが居なくても大丈夫な国にして、その上で名指しで喧嘩売って来いやぁ!!!」
なお、その時点で兵士含めて数十の人が俺と敵対した。
数名は即座にぶっ飛ばしたが、間にヘラが割って入ってくれたのでなんとか中和された感じになった。
んで、ヘラが今までしてきたことや、今回の件でぶっ壊してしまった十字架に関してどうしたら良いかを伝え、他にも教会だの修道院だのと様々な場所でも話をつけてきた。
勿論彼女が成人から突如として幼女にまで若返ってしまったのに誰もが驚いていたが、その理由は「魔力が足りなくて」と言う事で納得はしてもらった。
まあ、それでも大分疲れるハードスケジュールだった訳だが……その上で、洗脳時の変な影響がヘラに残っているようであった。
それは『思い込み』だとか『好感度倍率上昇』見たいなものだ。
一度だけ、深夜の宿でヘラが俺の言葉でギュンギュンに好感度を上昇させていた事例がある。
そのうえ、俺はマリーの為とは言え決められた死を回避させた上に「俺のために生きろ!」的な事を言ってシバキ倒したせいで最早ラヴモードである。
お船のゲームで「インディちゃんがね~」と言っている目にハートマークを常時浮かべているような子と同じように、ヘラの俺に対する好感度が最早ストップ高状態。
で、カティアがそれをとてつもなく気に入っておらず、俺を巻き添えにして騒ぐのだ。
一昨日は手が震える俺に対して「誰があ~んするか」で散々もめた。
昨日は「一緒に寝る」と言う事で二人がほぼ同時に寝落ちするまで揉めていた。
そして帰りの馬車では、席取りでも散々揉めていたから笑えない。
タケルとファムが御者とショットガンを勤めており、対面にはマリーとアイアス、ロビンが座っているような状況だ。
「マリー、たふけて……」
「コイツは悪くない、コイツは悪くない、コイツは悪くない、コイツは悪くない……」
マリーはマリーで限界らしく、ぶつくさと何とか自分を落ち着かせようと躍起になっている。
そんな俺達とは対照的に、アイアスはロビンと共に上機嫌なのがさらに酷い。
「いや~、今回の出来事は良い糧になった……。三男坊にも見せてやりたかったねえ」
「ヤクモ、また、せいちょ~した」
「してないれふ……」
これじゃ取りあいじゃ無くて大岡裁きだ。
その内ヘラとカティアが引っ張り合って、どちらも手を離さずに真っ二つに裂けてしまう。
『モテモテでいらっしゃいますね、ご主人様』
「あ~も~! ご主人様は私の! 皆は少し弁えていただけるかしら!?」
そしてカティア、多分男だろうと思われる伍長にすら苛立つらしい、末期である。
この騒ぎに堪えかねた俺は一つ提案し、馬車の屋根の上と言う一番最低な位置でグッタリすることを選んだ。
屋根の形状が寝転がるには優しくないが、少なくとも当事者として巻き込まれないだけマシである。
「や、お疲れさん、ヤクモ。その様子じゃ、今日も大変そうだね」
「モテる男はなんとやらってやつだにゃ~」
「モテてない。こんなの、勘違いと錯覚だ……」
吊り橋効果だって、吊り橋から離れてドキドキが収まり落ち着いたら冷静になるだろう。
ヘラだって、命を救われたというでかいイベントが有ったにしても、これから徐々に落ち着きを取り戻すと思う。
……あるいは、魔力の供給量がおっついて再び成人に近づけば落ち着くのかもしれない。
「二人はツアル皇国に?」
「戦線が気になるからね。俺たちは仲間だけど、今はあそこの皆が家族みたいなもんだよ」
「家族が戦ってるかも知れないのに、長く空ける事ほど不安になることはないにゃ~」
「ま、そうだな」
「……港に着いたら、そこでお別れだ。出来れば、もうちょっと何事も無く一緒に居たかったけど。俺は上手く君に色々教えられたかな? 役に立てたかな?」
「十二分に――あとは、自学研鑽するよ」
実際、あの仮想空間でタケルに教わった魔法技術……言ってしまえば近接戦闘に魔法を絡める戦いは上手く扱えていたと思う。
アレをさらに消化し、さらに発展させていく事が教えてくれた事への酬いとなる。
「ツアル皇国に来る事があったら、宜しく。今回、俺は君と一緒に色々出来たことを、嬉しく思うよ」
「止めてくれよ。俺は、大した事をしてない」
「そうかい?」
「そうそう……」
座り込むと、俺はストレージからワインを出した。
カティアがこちらに呼び出されるまでは、毎日トレードで送り続けてきた物がある。
コルクを抜き、そのまま口をつけてオッサン飲みをすると、少しだけ幸せな気分になる。
「はぁあ~……憂鬱だよ」
「そういう時は美味しい物を食べて、寝ると良いにゃ」
「まだ朝なんだけど……」
「船でどうせ二日もあるにゃ、その間に落ち着くと良いにゃ」
「落ち着けるかなあ……」
馬車の中、時折カティアがヘラと言い合っているのが聞こえる。
カティアですらあの様子なのだ、屋敷に帰ればどうなるかなんて考えたくもない。
俺はワインボトルを一本開けると、再び屋根に転がった。
……まあ、良いか。
なるようにしかならないし、ならない事はなんにもならない。
騒々しい帰り道だったが、来る前に背負っていた憂鬱さは一切無い。
今有るのは――俺が、ヘラを救ったという一つの達成事項だけだ。
満足や達成感と言うのかは分からないが、少なくとも負の意識は無かった。
そのまま俺達は港でタケルとファムの二人と別れ、船でヴィスコンティにまで戻る。
船の上でカティアが海面を飛び跳ねる魚屋揺れる水面、遠くの景色や潮風を楽しんでいた。
マリーは幾らか前回よりはマシな様子で、俺が甲板に居る時は時々顔を見せに来た。
ロビンは矢に縄をくくりつけて海面に矢を放ち、魚を俺に焼いてくれと頼んで美味しそうに食べていた。
アイアスはロビンの魚や酒を楽しみながら、旅を満喫していた。
そして、久々にヴィスコンティの地を踏むこととなった。




