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ヒモノ女子は優雅に腐る  作者: せりもも
Short Stories
87/88

ガールズ・トーク

8章「やさしくやわらかい人」で、モーリス出版社 元社員・片桐薫に、お茶に連れ出された新人メイド・はるちゃんの、悩み事相談から始まります。


以前プロローグとして置いてあり、修正によって削除した場面を、末尾に再録致します。







悩み?

それは、職場の人間関係です。

怖い上司がいるんです。


私は一乗寺家のメイドです。まだ働き始めたばかりです。仕事にはあんまり慣れてないかも。

それで、しょっちゅう、古海さんに叱られてます。


古海さんは、家令です。お金の管理が主な仕事です。それなのに、メイドの仕事にまで口を出してきて……。


怖いです。がみがみがみがみ。それはもう、怖い人です。



相談できる人? メイドの先輩がいます。篠原もなみさん。私の教育係です。

もなみ先輩は、古海さんのアレは、単なる欲求不満だから、気にするなって。


でも、ひどいと思いませんか? 古海さんは、私が文学少女なのが、気に入らないんです。



ええ、久條泰成の大ファンです。純文作家の。彼、すごいイケメンで、かっこいいんです。

学校に行ってた頃、私、いじめられっ子だったみたい。お母さんが、そう言って、悩んでたから。


私? よくわからないです。

だってずっと、久條先生のご本を読んでいたから。

無視もひそひそ話も仲間外れも、そういえばあったけど、でも、全然、気になりませんでした!


そんなの、どーでもよかったんです。

だって、私には、久條先生のご本があったから!

先生は私の、ヒーローです!



え? 薫さん、久條先生のこと、知ってる?

フランスまで評判が届いてるんですか!?

すごい! さすが、久條先生!



久條先生の小説? よよよ、読んでますよ!

えと、あらすじ、全部言えます。本の後ろに書いてあるあらすじ、暗記してますから! 

もちろん、本だって、全部、持ってます! どれも、発売初日に買ってます!



典子お嬢様とは、ツイッターで知り合いました。

お嬢様は、久條先生のご本のあらすじを知りたがってて。

で、わたしが教えて上げました。

そしたらお嬢様は、メイドに採用してくれました。


もちろん、アカウントは本名じゃありませんよ。やだなあ。そんなこと、するわけないじゃないですか。

どうやって、名前や住所を知ったか? ……はあ。そういえば、そうですね。お嬢様、きっと、魔法を使ったんだと思います……。


引きこもりやってて、家に居場所がなかったから、メイドに採用されて、嬉しかったなあ。



え? いじめや引きこもりのこと、よく知らない人にぺらぺらしゃべっちゃって、大丈夫かって? 

大丈夫ですよ。だって、みんな、なにかしら抱えてるもんでしょ? もなみ先輩だって、小さい頃、虐待……あ、はっきり聞いたわけじゃないです。つか、先輩、全然気にしてないし。



今度、お嬢様の会社が、久條先生の本を出したんです。

フランクフルトで、とてもよく売れたって、本谷さんが。

本谷さん。ご存知ですよね?

あなたの後任です。

お嬢様の会社の、社員さんです。



あのね。私、サイン本、貰っちゃった!

しかも、直接手渡しで!

ナマ久條先生は、ド迫力のイケメンで、目がね。まつ毛長くて。

それでもって、本を渡す時、すごく優しくて。私をじっと見つめて、ありがとう、って。


信じられる?

ありがとう、だって!

きゃっ。


もうね。

好き好き好き好き、だぁーい好き!

久條先生、私は一生、先生についていきます!


……え?

そういえば、サイン会にはお嬢様に連れて行ってもらったんだっけ。お嬢様の会社の本だから。


……お嬢様にも一生ついていくかって?

何、言ってるんですか。もなみ先輩以外のメイドは、お嬢様のお部屋に近づいちゃいけないんです。

会社にも、社員さんにも。

つまり、本谷さんですけど。

古海さんに、厳しく止められてるんです。



古海さんは、本が嫌いなんです。

だから、私が先生の御本を読んでると、ものすごぉく、不機嫌になります。


特に、久條先生のサイン本ね。

『悲恋』っていうんですけど、この本、表紙を見ただけで、古海さん、不機嫌を通り越して、露骨にキョドるんです。

壁にぶつかるわ、段差もないのに躓くわ、ドアに挟まれるわ……。

あんまり様子がおかしいんで、もなみ先輩が、本にカバーをつけちゃいました。

もったいない話ですよね!



……。

よく知ってますね。

表紙の写真、本谷さんの写真です。

ええ、確かにちょっとアレですけどね。まるで、ヌードみたい。後ろに別の男の人が立ってるし。

……裸で。


でも、芸術なんです!

だって、久條先生の御本だから!



なんだかね。

古海さん、久條先生と張り合ってるみたいなんです。

ほんと、身の程知らずですよね!

イケメン度でも、筋肉マッチョムキムキ度でも、それにもちろん、文学の才能でも、到底勝ち目なんてないのにね!

本当、変な人。



変、っていえば、古海さん、かりんとうばかりくれるんです。意地悪した後に。

え? 違いますよ。

古海さんが直接くれるんじゃなくて。いつも、もなみ先輩が渡してくれるんです。さっき、古海さんがくれたよ、って。

だから、次に会った時にお礼を言うと、すごく照れくさそうな顔をします。そこだけ見ると、普通の人に見えるのが、不思議。



おまじない?

よく知ってますね。

「かりんとう」は、悪魔祓いのおまじないです。つか、この場合は、意地悪な上司祓いですね。

ええ、もなみ先輩が教えてくれました。



は? 悪意の源がわかった?

……それって、どーゆー、


ええっ! 悪魔祓いのおまじないは、間違い?

ででででもっ!

このおまじないのおかげで、私は古海さんに殺されないですんでいるわけでっ!


大丈夫? 古海さんは、人殺しだけはしたことない? 他にはいろいろやってるけど?

って、それ、どうなんですか? やっぱり悪い人だったんですね!



殺される……。

古海さんに、殺される。

なぜって、私……。



だ、だいじょうぶです。お茶を飲んだら、落ち着きました。

いい香りのお茶ですね。

はい、せっかくだから、ケーキも、いただきます。


あ!

このお菓子、おいしい! ふわふわしていて、ステキに甘くて。それに、いちごやチョコの飾りが、とってもカワイイ!

ああ、本当に、いい天気。

お屋敷の外でお茶するのって、久しぶり。



あなたは、典子お嬢様の、前の部下ですよね。

本谷さんの前の。

モーリス出版社の、社員だった。

私の話、内緒にしてくれますよね?


……。


実は、私が古海さんに殺されるかもしれないって思うのには、理由があるんです。

コワイ話なんです。

絶対絶対、古海さんには秘密にしてくれますね?



それは、本谷さんのことです。

あなたの後任で、久條先生の本の表紙になった……。

そして、古海さんが、とても大事に思ってる、謎の人です。

……古海さん、しょっちゅう、突き放されてますけど。

ええ、たくさんのメイドが目撃してます。手を振り放されてるところとか、突き飛ばされてるところとか。

とにかく本谷さんは、古海さんを、どつくことのできる、貴重な人材なんです。



……私。

その本谷さんの、恋人と間違えられちゃって。

本谷さんのおじいさまに。

そのうえ、事故です、本当に事故だったんですけど、あの人の胸にもたれかかってしまって。


こんなことが古海さんにバレたら、間違いなく私は、殺されます。


……怖いよう。





**




 晴海は、心の底から、怯えていた。

 おまじないが無効?

 そしたら、これから先、自分は何を武器に、あの黒服の魔物と戦えばいいのか。


 絶望に浸りながらも、ケーキを、もう一口、食べた。

 甘く濃厚に、口の中でとろけるようだった。

 世の中には、こんなにおいしいものがあるのに、と、泣きたくなった。



 向かいに座った薫さんが、ほほ笑んだ。

 今度、辛いことがあったら、このケーキの味を思い出すといいわ、と、薫さんは言った。

 なぜって、かわいくておいしいお菓子には、人を幸せにする魔法がかけられているから。

 ほら、これは、魔法のケーキよ!



 魔法のケーキ?

 晴美は、しげしげと、皿に残ったケーキを見た。

 温められた皿の上の、あまいあまい、お菓子。

 体に染み渡るほどおいしくて、その上、食べてしまうのがもったいないくらいに、愛らしい。

 もしかしたら、魔法のケーキというのは、本当なのかもしれなかった。



 また一緒に、あまいお菓子を食べましょ。

 そう言って、薫さんは笑った。

 心に残されていた、最後の霧が晴れたような気が、晴美は、した。



 なんでモーリス出版社を辞めたのか、晴美は聞いてみた。

 薫は、ゆったりと笑った。

 そして、話し始めた。





**




 「それは、臆病です。もっとまっすぐ、貪欲に、求めなさい。なぜ、幸せから逃げようとするのです」


背の高い黒服の青年はそう言うと、背を屈めた。

 銀縁の眼鏡の奥の目が、すっと細くなる。



 顔を覗きこまれ、お仕着せにも似た紺色の服を着た人影はたじろぐ。


「わたしは臆病ではないし、逃げてなんかいない」



「ああ、世間一般からみたら、あなたは勇敢なんでしょうね」


青年の声には、からかうような響きがあった。


「なんといっても、あのお嬢様……一乗寺典子の下で働いてきたのだから」



「典子さんのことを悪く言うのはやめて!」


「悪くなんか言ってませんよ。褒めているのです。本当にあのお方は強い。その強さを、本人が自覚していないだけに性質(タチ)が悪い。あなたもです、片桐薫さん」


「褒めているようには聞こえない」


「どうしてどうして。大企業にケンカを売る。ひっそりと生きている人に光を当て、流行の渦に叩き込む。受け容れられないと言われても、強引に売りつけようとする……」


「わたしたちは、信じているから」


「信じている? 何を?」


「それによって、救われる人がいるということを」



「ふん」


 青年は鼻で笑った。

 整った顔立ちが歪み、悪魔のような表情が覗く。


 しかしそれはすぐに消え、育ちの良さそうな善良さが取って変わった。

 見せかけだけの善良さだ。


「それは、自分の幸せを犠牲にしてまでなすべきことですか? そもそも、己を犠牲にして誰かを救えると考えるなんて、傲慢ではないのですか?」



「自分を犠牲にするなんて、思ってないから」


「本当に? では、彼はどうです。あなたにプロポーズした、あの人は」


「……」


「あなたの選んだ道の先に、彼はいますか?」


「……彼の為よ」



「賢明です。ここは、日本ですからね。息苦しさはお家芸だ」


 軽蔑するように青年は言った。

 薄い酷薄そうな唇から、尖った白い歯が覗く。


「特に、彼のいる社会は。閉鎖的で横並び。良くも悪くも平均から外れると、足を引っ張られる。それがどんなにちょっとでも。ましてやあなたのような性向(傍点)をお持ちの方を家に入れたならば……。そうですね。彼の為を思えば、身を引くのが賢明だ。しかし」


 青年は背中で腕を組んだ。

 屈んでいた背筋が伸び、本来の身長が甦った。


「あなたの幸せはどうなのです? 本当にそれで、いいのですか?」



「……」


「このさき最後の息を吐き出す瞬間まで、その決断を、一度の後悔もしないと誓えますか?」


「……」


「誓えますまい。それでいいのです。未来永劫を誓うのは、詐欺師だ」


「……だって、今さら、」


「試してみたらいい。ただ、やってみるだけでいいんです。」



「……どうやって? なにから始めたらいいの……?」


黒服の青年は、薄く笑った。


「ただ、彼の腕の中に飛び込みさえすれば、それでいい」



「そんなに簡単なことじゃないでしょ」



「それが、臆病だというのです」


きっぱりと青年は言った。


「あなたは幸せが怖いから、一度つかんだ幸せに裏切られるのが怖いから、逃げているのです。あなたは臆病だから、典子お嬢様のそばにいるんです」



「……」



黙り込んでしまった薫を見下ろし、一転して、諭すような優しい口調で青年は言った。


「それに、失敗しても、大したことじゃない。また、ここへ戻ってくればいいのです。典子お嬢様は、ずっと、ここにいる。たぶん」


「……典子さんを裏切って利用するような真似、できない」


「裏切りではありませんよ。困った人ではありますが、そんな風に思うほど、あの方は、狭量じゃありません。幸せを求める人を、裏切り者だと思うほど、ね。それに……」


「それに?」


「それにあなたが……不幸にも……戻ってくることがあったらなら、単純に喜ぶと思いますよ。その時、たとえあなたが傷心であっても、あの満面の笑みを見れば、心はたちまち、癒されるでしょう」



「……」


 初めて、薫の顔に理解の色が浮かんだ。


 黒服の青年と薫は、顔を見合わせて微笑んだ。

 深い合意がなされた。



 「さ。お行きなさい」



 薫はおとなしく頷き、樫材のドアへ向かった。


 立ち止まり、振り返った。


「典子さんのこと……よろしくお願いしますね」



「はい」


「あの方が悲しい思いをしないように。いつまでもあの方でいられるように。そして、人々の善意に包まれて、幸せに生きて行けるように。あなたが、見守っていてあげて下さい」



青年はため息をついた。


「これも、前世からの腐れ縁なんでしょう。大丈夫。ええ、ええ、大丈夫ですとも。たとえこの身がもろともに腐ろうとも、決して、あの方を見離したりしません」



「あなたが腐るのですか?」


薫はおもしろそうに微笑した。


「それは……見ものですね」



「はやくお行きなさい」


むっとしたように青年は言った。



 華やかで幸福そうな笑顔を残して、片桐薫は、部屋から出て行った。








SSまでお読みいただき、ありがとうございました!

また何か思いついたら、アップロードさせて頂きます。


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