キスの魔法
8章「深く結ばれてるんです、……心が。」の直後のシーンです。
始めまして、芹香ももな先生。
今河義元、本名です。「カワ」は、サンボンガワではありません。サンズイの「カワ」です。
……。
ってかさあ。
こんな話、面白いわけ? よくある話だよ? フツーのコイバナ。
小説のネタになんかならないよ。
……わかってる、取材は大事だよね。僕の親父も作家だからさ。
親父? 時代小説家の大河内要だ。かなり人気があるから、名前くらい知ってるだろ?
……わかったよ。
出会いは、「ロジエ・ルージュ」。まあ、そういうサロンだ。
ナオから声をかけてきたんだよ。いや、声じゃなかった。もっと雄弁な。
隣に座って、黙ったまま、じっと僕を見つめてるんだ。
桜色の目元。潤んだ瞳。
まつ毛がふるふる震えてて、かわいかったなあ。
仕掛けてきたのはナオだけど、僕も、ひと目で恋に落ちたんだ。
その時僕は、絶対、「上」がいい、って直感した。
いつもは「下」だけど。
それは、ナオだって同じさ!
つか、あのナオが「上」って、ありえないだろ……。
ひと目で恋に落ちた2人は、そのままホテルに向かおうとした。大人同士だもん、当たり前だろ? 恋愛の、最初の手順だ。
それなのに、あの女の子……典子ちゃんがやって来てさ。
おまけに長い間会ってなかった僕の親父まで連れてて。
親父は、恋愛に関しては、超保守派なんだ。そんなわけで、僕は、絶賛家出中だったわけ。それが久しぶりで再会、しかも、ゲイバーで。
間にナオを挟んで。
親父は大声で怒鳴るし、そうなったら、僕も黙っちゃいない。惚れたナオがそばにいるんだしね!
酒場は、大混乱になり、怖いバーテンはいるし、危うく、「ロジエ・ルージュ」へは、出入り禁止になるところだったよ。
ホテル? それどころじゃないよ。
親父が激昂してるそばから、ナオは酔いつぶれちゃって。
おまけにナオには野獣系で頭のいい恋人がいるって、典子ちゃんが教えてくれて、さ。
僕は紳士だからね。ひとまず、ひきさがったんだ。
その後、ナオに会ったけど、もう、とりつくシマもないって感じ?
僕が、仕事相手の作家の息子だって知って、遠慮しちゃったんだ。
それか、恋人から何か言われたか。
……あきらめたわけじゃないよ。たとえ恋人がどんなにセクシーな男でも、絶対、奪ってやる。
僕は、ナオが欲しい! これは理屈じゃない。欲しいものは欲しい。
それに、ずっと好きだって言い続けてたら、いつかはナオだって……。
ナオには、そういう優しさみたいなもんがある。こっちのわがままを何でも聞き入れてくれそうな。
気持ちが真剣だってわかったら、きっと、最後には応じてくれる……そういう人なんだ。
……まあ、付け込み易いともいうけど。
とにかく、きれいで優しい男なんだ、ナオは。ありとあらゆる人種の男が惚れるわけさ。
盗られないように、気をつけないと!
……古海さん?
なぜここにあの人が?
僕は、あの人、嫌いだ。
いやなやつだよ。
ナオを手に入れた、なんて言ってさ。
ナオの方から、キスした、なんて言うんだぜ?
そんなこと、あるわけないじゃん!
どうしてそう、すぐわかる嘘をつくかなあ。
あの人は、全然、ナオのタイプじゃない。
そもそもナオには、野獣系の彼氏がいるじゃないか。
つまり、古海さんは、ナオの好みの、真逆のタイプなのさ!
その恋人が相手なら、僕も、少しは譲ってもいいよ? だって、すごくステキな人みたいだから。
なんなら、僕も混ぜてもらって、幸い僕は、どっちもいけるから、ナオと、3人で……
……いや、こっちの話。
古海さんは、しつこい。
蛇みたいに執念深く、ナオを狙ってる。
もうね。まるわかりだよ。
自分は、遊んでるくせにね!
典子ちゃんも、なんであんな危険な男を身近に置くかなあ。
あ? 典子ちゃん自身は、ちっとも脅威じゃないよ。
そりゃ、そうだ。彼女、腐ってるもん。
つか、腐女子に限らず、あのナオが、女になんか、興味を持つもんか!
え? キスの魔法? 芹香先生はそれを書きたいわけ?
ふうん。ファンタジーを書きたいんだ。
でも、その本は、モーリス出版社からは出版せないよね。モーリスで出版しているのは、BLだけだから。
? 何、典子ちゃん。急に慌てだして。
はあ? そんなこと、考えてなかったって?
だって、ジャンルって、大事なんだろ? 親父のところに来る大手出版社の編集さんも、よくそう言うぜ?
ジャンルの定まらない作品は売れない、って。
皆で同じネタ、つついててどうする、売れないものを売った時に、商機は訪れるんだって、おやじは言い返してるけど。
あ。
おやじがBLを書いたのは、芹香先生、知ってる?
時代小説とBLのミックスで、海外では大人気らしいぜ!
でもまあ、常識で考えて、モーリス出版社が潰れないのは、ジャンルを、BLだけに絞っているおかげだ。
一種の隙間商法だね。見事な生き残り戦略だと思うよ。
え? 違うの? 経営戦略じゃないって?
は?
……胸きゅん愛? 萌え至上主義? エロ礼賛?
な、なんだかよくわからないけど……、
……まあ、いいや。
とにかくさ、混ぜたら危険、って言うだろ!
ええと。
どこから話そうか。
まず、僕は、古海さんは嫌いだ。
それは、さっきから、言ってる。
眼鏡が嫌いだ。
それから、髪は、もっと長いのが好みだ。
顔だって、冷たすぎる。
整いすぎてんだよ、あの人は。
まるで、人間らしさがない。
背の高いのは好みじゃないし、なんで、あんな黒い服ばかり着てるのか、理解に苦しむ。
皮肉屋だし。
男好きを、隠そうともしないし。
僕を、こっ、子ども扱いするしっ!
嫌いだ嫌いだ嫌いだ!
あんな人、大っ嫌いだ!
……、……、……。
息が切れちゃった。
芹香先生、もういいでしょ?
確かにあの人は、僕にキスをしたよ?
……ひどい話だ。
好きでもないのに、平気でキスできるなんて。
僕?
もっ、もっ、もちろんっ、嫌い。
古海さんなんて、大っ嫌いだ。
何度も言わせんなよ!
でも、キスは、超絶、うまかったな……。
あの、キス……。
甘く蕩けて、泣けてくるほど優しくて。それから、うっとりするくらい濃厚な……、
もう、どうとでもして、って感じ? この人のためなら、なんでもしてあげちゃうって思わせる……、
いや。いやいや。
なし。
今の、ナシね! ナシだから!
あの人のキスは、下手っぴだよっ!
ドSのキスだ!
どういうのが、ドSのキスか、僕は知らないけどねっ!
だってさ。
あの人は、そもそも、僕の恋敵じゃないか!
僕から、ナオを取り上げようとしてるんだぜ!
最っ低!
最っ悪!
陰険険悪悪魔、魔、魔、魔……、
くっそーーー、作家の息子なのに、言葉が足りない!
……わかった。
興奮はしてない。大丈夫だ。
結論を言うよ。
僕が好きなのは、ナオだ。
ナオは、特別な人なんだ。
あの運命の出会い、一目で僕を虜にし、元々受けの僕を、攻めにした。
(あ、まだ、ヤってない。ナオが恥ずかしがるから。顔なんか、真っ赤になっちゃうんだぜ。な。カワイイだろ? ナオって)
古海さんとのことだって、間にナオがいるからこそなんだ。
あの人は、ナオを失いたくない(つか、元からナオは、あの人のなんかじゃないって!)一心で、僕にキスをし、
僕は、ええと、キスされて……。
ナオが相手なら、上。
でも、あの人が相手なら、
……。
……その時は、
……下……、
が、いい、
……かな。
古海さんが相手なら、下がいい……。
キスの魔法。
一瞬で覆る。(外部校正者アカ字注記:主語、ヌケてます。上か下かが?)
……キス。
甘くて熱い、危険な香りの……。
があああああーーーーっ!
とにかく!
僕はナオをあきらないからなっ!
絶対!
**
●芹香ももな ファンタジー作家への道
【タイトル:キスの魔法】
ある日突然、俺の目の前に、トラックが突っ込んできた。
俺は、気を失い、意識を取り戻した時、見たこともない場所にいた。
そこへ、みすぼらしいなりの老人が現れた。
「わしは神様だ。お前に、いい知らせと悪い知らせがある。どちらから聞きたい?」
「悪い知らせから」
俺は答えた。
すると神は答えた。
「お前は、死んだ。そしてそれは、わしの手違いだ」
「なんだと? 俺は死んだのか? 神様の手違いで? あんまりだ!」
「すまん」
「謝って済むことじゃあ……。で、よいお知らせとは?」
「お詫びに、お前の願いをひとつだけ叶えて上げよう」
すぐさま、俺は言った。
「今から俺がキスする人間を全て、俺好みの男に変えてほしい……」
それを聞いた神様は……、
……
……。
プリントアウトされた原稿の、最初の数行を読み、編集者は、顔を上げた。
「芹香さん、」
編集者は言った。
「冒頭から、間違ってます」
「どこが?」
作家は尋ねた。
編集者は、ため息をついた。
「どこが、って……、『俺』さんは、男なんでしょう? だったらこれ、お願いの中身ね。男じゃなくて、女でしょ? 『俺』さんは、自分がキスした人を、全て、自分好みの美女にしたいはずですよ?」
「違いますっ!」
作家は叫んだ。
「『俺』は男だからこそ、キスした人間を、全て男にしたいわけで、なぜならこれは、男×男の……」
「うちでの出版は、無理ですね」
最後まで言わせず、ぴしゃりと、編集者が言い放った。
傍らで、ほっと、ため息が聞こえた。
典子が漏らした、安堵のため息だ。
一乗寺典子は、モーリス出版社社長、兼、芹香ももなの担当編集者だ。今日は、わざわざ、他社出版社編集部まで、出張ってきていた。作家の傍らに、ぴったりとくっついて。
「よかった。これでももな先生は、今まで通り、私の専属作家ね! そのお原稿も、モーリスで頂くわ!」
本当に嬉しそうに、彼女は笑った。