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ヒモノ女子は優雅に腐る  作者: せりもも
第8章 腐女子と官僚

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第71話 世界の果てで珍獣を見る


 「ハナちゃんが、いいこと教えてくれたわ!」


直緒が原稿を読んでいると……このままでは、本屋に並ぶことのない原稿だ……、典子がやってきた。


 昨日、典子は出社しなかった。この頃、時折、ふらっといなくなることがある。

 昨日は一日、姿が見えなかったので、古海が慌てまくって探していた。


「司書さんと会っていたんですね」

「ええ、そうよ」

直緒が尋ねると、悪びれることなく典子は答えた。


「昨日、古海さんが探してましたよ」

「あいつなら、だしぬいてやったわ! ほんと、この頃古海は、番犬みたいにしつこくて。でも、わたしの方が上級者なのよ!」

「そうなんですか?」

「そうよ! ……古海のことはどうでもいいの。モーリスの本を書店から締め出し、BL図書館設立の邪魔をした黒幕なんだけど!」


直緒のデスクの傍らに立ち、目を輝かせる。


「彼は、攻めなのっ!」

「はい?」

「決して古海から聞いたわけじゃないのよ? ハナちゃんが教えてくれたの」

「なぜ、そこに古海さんの名が?」

「だから、古海じゃないって。ココ、大事なとこよ。ハナちゃんがおしえてくれたの、古海じゃなくて」



 「……お嬢様」

冷たい声が典子を遮った。

「この件に、私は無関係かと存じますが」


「げ、古海。なにそのジゴクミミ……」

「ケモミミよりマシでございましょう。あれは直緒さんがつければかわいらしいのですが、」


「古海さん!」

直緒は叫んだ。

「話が分かりません。二人とも、もっとわかるように説明してください!」




 BL本を出版することへの、業界の拒絶。

 BL図書館設立阻止。


 その陰には、政府の官僚がいることを、典子は話した。

 傍らで古海が、苦い顔をして聞いている。


「だから、ターゲットは、藤堂雅彦参事官。そして彼は、攻めなの!」

「ターゲットって、典子さん、いったい何をするつもりなんですか?」

「決まってるじゃない」


典子の目が妖しく輝いた。


「藤堂参事官が、本当はBLが好きで好きでたまらないって、国民の前に暴露させるの!」

「その人、本当にBLが好きなんですか?」


思わず直緒が尋ねると、典子は即答した。


「もちろん!」

「じゃ、なんで、BL弾圧なんてするんです?」

「それはね、好きなコは、いじめたくなるものだから! 藤堂さんは、大好きなBLを、いじめて孤立させ、ヒトリジメしたいのよ!」


「違います!」

きっぱりと古海が否定した。

 そして、少子化とBLの因果関係についての現政権の見解を説明した。



「おかしいでしょ、それ!」

思わず直緒は叫んだ。

「そんな、BLが少子化の原因だなんて!」

「ま、男同士ではナニをしても、子どもは生まれませんからね」

「いいじゃないですか。子どもを作る為に愛し合うんじゃない」


 古海がはっとしたように直緒を見た。

 直緒の頬に血が上った。

「しょ、小説の話です。BLの……」


「よく言ったわっ、直緒さんっ!」


 嬉しげに叫んだのは、典子である。

 直緒に駆け寄り、いつのものように抱きつこうとした。


「ダメです!」

寸前で、古海が押し留めた。

「お嬢様、あなた、また、直緒さんをけしかけるつもりですね?」

「けしかける? 僕を?」


 ……ええと。藤堂参事官は……攻め!

 ……だから、受けが必要、と。

直緒は頭の中で関係性を整理した。


 典子が頷く。

「その通りよ、古海。モーリスの、いいえ、日本のBLの為よ。直緒さんには、黒幕の藤堂さんのところへ行って、BL弾圧の証拠を握ってきてほしいの」

「お嬢様、あなたまさか、それをネタに、国をゆするつもりじゃ……」

「ゆるす? 何言ってんの、古海。これは、立派な表現の自由の侵害よ! 憲法違反だわっ! 早急に日弁連を巻き込んで、抗議集会と、デモも企画しなくては!」

「だから、お祭りじゃないんですよ? とにかく、直緒さんを巻き込まないで下さい!」

「行ってくれるわね、直緒さん!」


「……モーリスの、日本のBLの為……」

熱に浮かされた人のように、直緒はつぶやいた。

「モーリスの紙の本を、出版流通させる為……」

その為なら……。

「もちろんです!」


「ダメです!」

再び古海が横槍を入れた。


 「あなたは黙ってて、古海!」

「黙ってなんか……」

「典子さんの言うとおりです、古海さん。決めるのは僕です」

「そおよ、その通りよ!」


「BL弾圧の証拠を握ればいいんですよね? 表現の自由を弾圧したと認めさせれば!」


 それだけならできると、直緒は思った。

 なぜなら自分は男だから。

 いやなものはいやだと言い切る自信があるから。

 どのような状況に陥ったとしても。


 直緒の言葉を遮るように、古海が叫んだ。

 「行きます。私が代わって。直緒さんの代わりに!」


「血迷ったの、古海?」

世界の果てで珍獣を見るような目で、典子は古海を見た。

「藤堂参事官は攻めなのよ? 潜入すべきは、受け。あなたじゃ、用をなさないわ」


「いいえ、お嬢様。直緒さんは行かせません」

きっぱりと古海は言った。

「私が参ります」




 典子の前を辞してからも、二人は言い争いを続けた。

 潜入するという直緒を、古海はどうしても許さなかった。

 自分が行くと、譲らない。


 「危なくは……危険は、ないんですか?」

思わず直緒は尋ねた。


「なぜ? 私は話をつけにいくだけですよ。善意の国民に監視をつけるなんて、抗議に行って当然の行為ですから。それに」

古海は不敵に笑った。

「私も彼……藤堂参事官に、言いたいことがあります」


 直緒は古海に近寄り、そっとその袖を引いた。ためらいながら、言う。

「でも、公安とか、内閣官房とか。普通の世界じゃないでしょ。警察官は、銃を持っています」

「日本は法治国家です。むやみに発砲したりしませんよ」

「もみ消してるだけなのかもしれない。権力の中枢だもの、なにがあっても、不思議じゃないです」

「そんな場所に、あなたは行こうとしたんですよ、直緒さん。私が代わりに行くのが、当然じゃないですか」

「当然じゃないです! なぜそうまでして、僕の身代わりになろうとするんです。僕を守ろうとするんです!」

「守ってなんかいません。守られているのは私の方です。だって、直緒さん、あなたがいないと、私は生きていけないから」

「僕だって! あなたがいないと……」


意気込んだあまり、言葉が詰まる。


「直緒さん」

厳しい目で古海は直緒を見た。

「私がそう思うのは私の勝手だけど、あなたがそう思うことを、私は許しません。飛び立てばいいのです。私以外に幸せをみつけたら。だって」

にっこりとほほ笑んだ。

「あなたが幸せでないと、私は、本当に本当に、つまらないですから」


「……そんなこと……僕だって……」

「あのね、直緒さん。私、嬉しかったですよ。あなたがお見合いを断ってくれたこと。好きな人がいるからって」

「……、当然でしょ」

「好きな人って、私ですよね?」

「それは……言わせるんですか?」

「言って下さい」

「でも、……だって……」

「今ここで、好きです、って、言ってください」

「いやです」

「……直緒さん」


 古海はため息をついた。

 すぐに、にっこりと笑ってみせた。

「私が帰ってきたら、二人でおじい様の所へ行きましょうね。前にいらした時は、慌ただしかったから」


 直緒は、甘い雰囲気が苦手だ。

 古海のように、上手に、好きだという気持ちを吐くことができない。


 しかし、祖父の話が出て、混乱していた意識が正常に戻った。

「でも、これは、本の仕事です。あなたには、関係ない」

「それを言いますか」


古海が傷ついた表情を浮かべた。


「お嬢様とあなたと……二人ながらどっぷり浸かった世界から、私だけを締め出すことができるとお思いか?」

「本の為に命を賭けたのは、僕です。古海さんじゃない。それに僕は、自分の身くらい、自分で守れる」


 古海の目が、猛獣のように光った。

 次の瞬間、直緒は、彼の下に組み敷かれていた。


 「戦闘のスキルなら、私のほうが上だと思いますが」

至近距離で見下ろす、余裕の笑みが憎らしかった。


 思わず直緒はつぶやいた。

「……スキルが上なら、」

 古海の体温を全身に感じた。直緒の口から言葉がこぼれた。

「……なぜ、やらないのですか?」

「だって、」

「好きにすればいいじゃないですか」

「あなたのいやがることは、したくない」

「いやだと言ってない」

「でも……」


 見上げる古海の顎に、薄い痣が残っていた。

 直緒の肘が当たった痕だ。

 不意に抱きしめられて、体が勝手に逃げをうったのだ。


「自分じゃ超えられない壁だって、あるんです」

知らないうちに、直緒の左目から、涙が流れた。

「強引に超えさせてもらわなきゃ。誰かに。……あなたに」


 涙がちくちくと、頬を刺す。

 なぜか、左目だけから、涙はお湯のように、際限もなくあふれ出た。

 全く思いがけないことで、直緒自身が慌てた。


 古海が目を細めた。

 直緒の涙を指の腹で掬う。

「大丈夫。必ず帰ってきますから。そしたら……」

火傷したように、その手を引っ込めた。



**



 いつものお仕着せではなく、スーツ姿で、古海は階段を下りてきた。

 シングルのボタンをきっちり留めているので、胸郭と腰骨の形が、はっきりと浮き出て見える。

 凄絶なまでの色気がふりまかれていた。


 階下にいた本谷が、ため息をついて、視線を逸らせた。

 目元が赤い。


「いってきます、直緒さん」

とても優しい声で、古海は言った。

 無言でいる本谷に近づき、人目もはばからず抱き締めた。



 ……なんてことだ。

 居合わせた新人メイドの小林晴美は思った。

 ……古海さん、本当に、本谷さんが好きなんだ。


 それなのに、自分は、本谷の祖父から、彼の恋人だと誤解され。

 あまつさえ、そして不可抗力とはいえ、その胸に凭れかかってしまった……。


 鼻の脇にできた吹き出物が、芯をもってじくりと痛む。


 ……やっぱり私、殺される!

 ……古海さんに。


「か、かりんとう……」

晴美はつぶやいた。



**



 「ねえねえ古海。あなた、死亡フラグ立ってない?」

間延びした声が尋ねた。


 典子だ。

 髪に結んだリボンの、ショッキングピンクが禍々しい。

 本谷が息を詰まらせた。


 「立ってません」

憮然として古海が言い返す。

 本谷の顔を胸に押し付けたまま、ちらりと典子に流し目をくれた。

 いつもは古海を避けている本谷が、その手を振り払っている姿を目撃さえされている彼が、古海の腕の中で、じっとしている。


 古海は、今日は眼鏡をかけていなかった。

 普段は三白眼に見える瞳が、意外と大きく、澄んだ光を宿しているのがわかった。


 はっとしたように典子があとじさった。

 「古海はママじゃない、古海はママじゃない……」

憑かれたように、懸命に繰り返す。


 様子がおかしかった。


 「お嬢様?」

傍らに控えた、典子の専属メイド、篠原もなみが声をかけた。

 返事はない。


「だめだわ。心を残しつつも、別れゆくカプ。永遠の別れよ! そうよ、そうに違いないわ。ココ、萌えどころじゃない! それなのに! ……やっぱり古海じゃだめ、全然萌えない……。わたし、まだ、腐女子として半人前なのかしら。いいえ、そんなことない! わたしのBLへの愛はホンモノ……」


「お嬢様、大丈夫ですか?」

「……古海はママじゃない、古海はママじゃない……」


 典子自身も、相当大きなストレスを感じているのだろうと、もなみは推測した。

 なんといっても、古海は、いつも典子のそばに侍り、その世話を焼いて来たのだ。


 皮肉屋で口うるさい家令だった……ああ、過去形で考えてしまった! ……だがいつだって彼は、典子のことを第一に考えていた。


 ……本谷さんを除けば。


 その古海が、今、死地に赴こうとしている、……と、もなみも思った。

 典子が不安を感じて、当然ではないか。

 このまま典子に古海を見送らせるのは、あまりに負担が大きかろうと、もなみは判断した。


 傍らの後輩に声を掛けた。

「晴美ちゃん、お嬢様をお部屋に連れて行ってさしあげて。入り口までよ」

 大事な後輩が腐ったら、大変だ。


 晴美は俯いたままで小声で、なにやらぶつぶつとつぶやいていた。

「かりんとう、かりんとう……」

 もなみに声を掛けられ、はっとしたように顔を上げた。


 こちらも、明らかに不審だった。




 典子と晴美の姿が見えなくなると、もなみは、手にしていたカバンを差し出した。

 涙ぐみながら言う。

「こんなことになってしまって」

「なんですか、これは」

反射的に受け取りながら、古海が問う。

「私の心づくしです。古海さんは知らないでしょうから、いろんなやり方。だって……」


 涙の堤防が決壊した。

 もなみは、鼻を啜り上げた。


 古海が慌てて、胸ポケットからチーフを抜こうとした。

 もなみはそれを押し留めた。

「いいえ、けっこうです。この前お借りしたのも、まだお返ししてませんし」


代わりに、本谷がティッシュを出してくれた。

「ありがとう、本谷さん」


 思いっきり鼻をかんでから、もなみは続けた。

「古海さん、あなたとの付き合いも、随分長くなりました。その間、あなたは常に、お嬢様の邪悪な企みを阻止してこられたじゃありませんか……」

鼻水でどろどろになったティッシュの塊で、目元を拭う。


 鼻声で、もなみは続けた。

「そのあなたが、『受け』になるなんて……。『攻め』一筋だった古海さんが。私には、とてもじゃないけど、……耐えられません!」

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