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ヒモノ女子は優雅に腐る  作者: せりもも
第8章 腐女子と官僚

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第70話 攻撃対象、把握!/今がチャンス!




 羽鳥つかさは、視線を感じた。


 いつものワインバー。

 控えめな照明の下、刺すような視線を感じる。

 冷たく冷徹な、それでいてどこか甘さをも含んだ……。


 黒い服を着た、短髪の若い男が、こちらをじっと見ていた。


 羽鳥は、警察庁の警視だ。

 ここには、仕事の憂さを晴らしに来ている。

 仕事が暇な時期、一日の終わりに、ワインをグラスに1杯か2杯。

 ワインは、白かロゼ。

 そう決めていた。

 飲みすぎることは、決してない。


 だが、もし……。


 羽鳥はその青年に視線を投げた。

 彼は唇の端を引き上げ、微笑みを表現した。

 そして、血のように赤いグラスを掲げた。



**



 「言質、取りましたよ、お嬢様」

古海が言った。


 今日は眼鏡をしていない。

 服装も、いつものお仕着せではなかった。黒いタートルネックに、脱いだばかりの上着を腕に掛けている。


「そう」

典子は悠然と、古海の差し出したICレコーダーを受け取った。

「公安の羽鳥警視が白状しました。お嬢様のお友達の、言ったとおりでしたね」



 山田ハナコ……以前、典子が募集した司書……は、公安のスパイだった。

 彼女の上司は、警察庁の羽鳥つかさ警視。

 しかし、羽鳥は、このスパイ騒ぎの黒幕ではなかった。

 まだ、上がいる。


 それは誰かと典子に問われると、山田はにたあ、っと笑った。

 「それでしたら、アレですよ。羽鳥警視は、藤堂参事官と仲がいいんです……」

「仲がいいって?」

重ねて典子が尋ねると、山田はうふふと笑った。



 「それだけで、藤堂を陥れようなんて」

「だからあなたが内偵に行ったんでしょ? コイビトの羽鳥警視の所へ」

「コイビト? 恋人は、どうでしょうか……?」

「間違いないわ。ハナちゃんがそう言ったもの! ハナちゃんのお友達もそう思ってるって!」

「お嬢様……」


 言いかけた言葉を、古海は呑みこんだ。

 首を振って、彼は報告を始めた。


「少子化対策の一環として、BL自粛を勧告している……ま、そういう話でしたよ。男同士じゃ、子どもは生まれませんからね」

憮然として、古海は続けた。

「地元PTAがいくつも来たのは、教育委員会の入れ知恵です。取次ぎが、モーリスはじめ、BL本を仕入れなくなったのは、出版取次協会の指示があったから。いずれも、政府からの圧力がありました。大手出版社が大河内先生の本の重版を控えたのも、同じ構造です」


 「どう? これであなたも納得した?」

「納得……納得はしましたが」

「何、古海。随分ヤサグれてるわね」

「当り前です! もしこんなことが、直緒さんに知れたら! 私がこんな、こんな方法で情報を手に入れたなんて!」

「大丈夫。わたし、口はカタイから」

「どの口がですか!」

「信じなさいよ。絶対、バラさないから。古海が色仕掛けで羽鳥警視をたらしこんだ、なんて……」

「たらしこんでなんかいません! わたしはもう、直緒さんだけと決めたんです!」


「わたしは、何も強制はしてないわよ?」

「部屋に上がり込んで自白剤を飲ませ、朦朧としたところで、話を聞く。これが私のしたことの全てです」


「それのどこが問題なの?」

「……無問題ですね。私は直緒さんを裏切ってはいない」


うっそりと、古海は笑った。

「法律的には突っ込みどころ満載で、完全にクロですけど。つまりそれは、法廷では使えないということです」

そう言って、さきほど典子に渡したレコーダーに目をやった。


 「いいわよ、そんなこと」

典子は邪悪に笑った。

「法律なんて。そんなもの。わたしにはわたしのやり方があるしぃ」

「お嬢様、また何か企んでいらっしゃいますね? すごく嫌な予感がします」

「べ~つに~」


「やっぱり言っておきます。白鳥警視と藤堂参事官は、ただの仕事関係だと思います」

「あら、そうかしら」

「二人とも、本当のところはどうなんだか、わかりゃしませんよ?」

「だって白鳥警視は、古海、あなたを誘ってきたんでしょ?」

「ただ話し相手が欲しかっただけかもしれません。女を誘ってややこしくなるのを避けたかったのかも」

「そんなこと、あるわけないでしょ!」


きっぱりと典子は言い放った。


「白鳥警視と藤堂補佐官は深く愛し合っているの! 今回のアテ馬は、古海だったけど、それは一夜限りの過ちなの!」

「違いますっ! 私には直緒さんがっ!」


「いずれにせよ、攻撃対象は把握したわ。このままではおかないんだからね。BL弾圧なんて、そんなこと、このわたしが許さないんだから」



**



 飯森いいもり英理えりが帰ってくると、自宅の前に、ピンクのワンピースを着た女の子が立っていた。


「森絵梨先生、お待ちしてました」

女の子はにっこりと笑った。


 英理は、はっとして周囲を見回した。

 彼女をその名で呼ぶのは……。


 隣の家のカーテンは固く閉ざされている。

 そよとも動く気配はない。

 向かいの家は共働きで、今の時間は無人のはずだ。


 誰も自分たちを見ていないことを、思わず英理は、確認した。


 女の子は、大きく頷いた。

 「ええ、わたし、お原稿の依頼で参りました」



 そう。

 飯森英理、即ち、森絵梨は、BL作家だった。

 それも、出す本出す本、常にランキングのトップを飾る、超売れっ子のBL作家だった。


 つい、最近までは。


 ため息をつきながら、英理は言った。

「でも、BLは、今、出版しちゃ、いけないんでしょ?」


 だから、こんなにも彼女は、こそこそしている。

 英理はご近所の目に怯えていた。


 BLに対して、公的な禁止令が出たわけではない。

 BLとて、表現の一手段である。

 表現の自由を弾圧することが、民主主義国家・日本にできるわけがない。


 だが、出版社が自主的にBLの出版を止めるなら……。

 取次ぎがBL配本をストップするのなら。

 そして、自然に、店頭から、BLが消えるなら。


 変化は、ひっそりとやってきた。



「でも先生! 読者は待っているのです! 首を長くして、今か今かと! 先生の小説を。甘く優しい、先生のお話を!」

女の子は熱い眼差しで英理を見た。

「現に、わたしはもう、長いこと待ち続けています! 特に先生の大河ロマン、主役はすでに孫の代ですけど……、もう、待ちきれないくらい!」


 なんなのだろう、この子は。

 英理は思った。


 BLは、売ってはいけない。

 だから出版社は、本にしない。

 そんな単純な理屈を、いとも簡単に、飛び越えるなんて……。


「ですから、是非、モーリス出版社へ。どうか先生、モーリスでお書きになって下さい」


 ……モーリス出版社。

 聞いたことのない出版社だった。

 電子書籍が専門だと言う。


「もちろん、希望する読者の方には、紙の本をお届けすることができます。なにしろ、印刷所を持っていますから」

女の子は胸を張った。


「印刷所を持っている……」

それは強みだ、と、英理は思った。


 心ある出版社が英理の本を出版しようとしても、引き受けてくれる印刷所がないのだ。

 印刷所もまた、取次ぎと同じように、何かを恐れていた。


「欲しい読者さんには、直売でお届けします。もちろん、書店にも。注文を受けたら、印刷から配送まで、一手に。だから、モーリス出版社にお任せください、森絵梨先生」


 インチキ通販のようなセリフだった。

 でも。


 ……またBLが書ける!

 絵梨の心に、あかりが灯った。



**



 ……疲れた。

 高田たかだ孝樹たかきは、ぐったりして、バイト先のコンビニを出た。


 午後2時。客足も落ち着き、暇な時間帯だ。

 ファミセブン・クラヨシ店では、午後2時から4時まではアイドルタイムと位置づけている。この時間帯は、店長の奥さんが店番に立つ。


 孝樹は、早朝から昼までの勤務である。

 深夜勤務の方が時給はよいのだが、この時間は、主に店長が担当している。時折、孝樹も入らないかと誘われるのだが、断っている。

 だって、執筆の時間が取れなくなるから。


 孝樹は、作家だ。

 ペンネームを、「たかたかき」という。


 ……過去形にしなくていいのだろうか。

 自分の職業を考える時、この頃常にこの疑問がつきまとう。

 出版社からの注文が、皆無なのだ。


 ついこの間まで、たかたかきは、超がつくほどの人気作家だった。

 著書はどれも、よく売れていた。

 この業界トップクラスの売れ筋だったといっていい。


 それが今は、どれも「品切れ」。増刷はしてもらえない。


 「たかたかき」は、BL作家だ。

 BLは売れない。

 編集者たちは、口をそろえてそう言う。


 ……本当にそうだろうか。

 BL同人誌即売会は盛況なのに。

 ネット作家の作品は、今まで通りよく読まれているのに。


 わけがわからなかった。


 ……座して食らわば山をもむなし。

 座って食べているだけでは、山のようにあった財産も食いつぶしてしまう。


 よく母ちゃんが言っていた。

 働き者の母ちゃんだった。

 いや、母である。


 人気作家だった孝樹には、まだ貯金がある。それに実家暮らしだ。

 すぐに困ると言うほどではないのだが。


「家で遊んでいるんじゃないっ! この、ゴクツブシがっ!」

 しばらく家に金を入れなかったら、母親に怒られた。

 言うことが、いちいち、古臭い。


 確かにこのまま本が一冊も出なかったら……と思うと、不安で押しつぶされそうになる。


 家にいるのも気づまりになった。

 孝樹は働きに出ることにした。


 だが、地方の工業都市では、仕事はそうはない。

 ましてや、在学中に作家デビューした孝樹である。職務経験はゼロに等しい。

 ようやく、近所のコンビニで、バイト募集の張り紙を見つけた。

 工場勤務よりは楽だろうと思って、応募したのだが……。


 こんなに大変だとは思わなかった。


 商品を陳列、販売するだけではないのだ。


 コピー用紙の補充くらいならまだしも、海外へファックスを送ろうとする人の手助け、写真をプリントアウトする老人の補助、その他にも電子マネーの処理、公共料金の受け取りなど、さまざまな事務処理をしなけばならない。

 また、フライを上げたりコーヒーを入れたり、調理器具の洗浄、店内清掃、その合間合間の接客、苦情処理……。


 業務内容は多岐に渉る。

 もう、くたくたである。


 ……仕事中にネタを練ろうなんて、甘い考えだった。

 孝樹は痛感した。


 昼で仕事を終えて帰宅しても、もはや何もする気がしない。小説を書こうとしても、目がちらちらして、集中してディスプレイを見続けることなどできやしない。


 ……ワークライフ・バランス?

 冗談じゃない。


 たとえ本にならなくても、書き続けて行こうと思っていた。

 一生、書き続けられることが幸せだと思っていた。

 BLを。


 しかしこのままでは、一文字も書けなくなってしまいそうな危機感を覚える。


 ……自分は作家として終了するのだろうか。


 ため息を一つついた。

 店内から見えない位置にある看板を、つま先で蹴飛ばし、家路を辿り始めた。


 大通りから角を曲がって路地に入った時、背中に視線を感じた。

 振り返ってみると、ピンクのブラウスを着た女の子が立っていた。


「たかたかき先生、」

女の子は言った。

「先生に、原稿を依頼に参りました」

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