第66話 正真正銘の国賊
「大漁大漁」
ほくほく顔の典子が帰ってきた。
「ブツはどこへ置きます?」
うんざりした顔のもなみが続く。
「宅急便を3箱も頼んだのだから、これもついでに送ればよかったのに」
キャスター付きのキャリーバックを重そうにひきずっている。
「わかってないのね、モナちゃん」
スカートをはためかせ、典子が言った。
「こういうのはね、手に入れたその日に読みたいものよ。あ、その本、お部屋にお願いね」
「どうでした? 同人誌即売会。お目当ての作家さんとお話、できました?」
不平たらたら、キャリーバックとともにもなみの姿が消えると直緒は尋ねた。
「んー、お席が留守の作家さんが多かったわ。自分のが売り切れると、狩りに出ちゃうのよね、人気の作家さんって」
「そうですか。それは、残念でしたね」
「でも、席にいらっしゃる方もいてね。楽しくおしゃべりできたわよ」
「よかったですね、典子さん」
「ええ。頑張ってメアドやアカウント、交換したわ。でもいつもそうなっちゃうんだけど、なかなか、お返事がもらえないのよね。連絡しようとするとアドレスが変わってたり、ブロックされたりするの。この間のビブリオバトルの時もそうだったわ」
「それは、間が悪いことですね……」
メアド交換などをした直後に、相手方に不測の事態が起きたのかもしれない。
あるいは、よりお得なプランを発見して、通信会社を乗り換えたとか。
腐友を作るのは、典子の悲願だ。だから直緒は、典子が気の毒でたまらない。
同情が得られて、典子の気分は、いくらか晴れたようだ。
明るい顔をして言った。
「大丈夫よ。いざとなったら、また、遠藤さんに頼むから!」
遠藤というのは、私立探偵である。
典子は気に入った作家や絵師がいると、遠藤探偵事務所に依頼して尾行させ、住所を突き止めるのだ。
典子が顔を上げた。
「そういえば、直緒さん。珍しい人に会ったわ」
「珍しい? どなたです?」
「山田ハナコちゃん」
「山田……ああ、あの、」
おばさん、という言葉を直緒は危うく呑みこんだ。
「司書の女性ですか」
BL図書館設立の為、典子が雇った司書は、ある日出勤してこなくなった。
履歴書にあった住所を訪ねたところ、引っ越した後だった。
山田司書は、忽然と、姿を消していた。
「山田さん、お元気でした?」
急に消えてしまったものだから、直緒も心配していた。
うふっと、典子は笑った。
「ええ。彼女、薄い本を売ってたわ」
「えっ!?」
……山田さんって、そういう人だったっけ?
BLのことは何も知らない人で、典子から、いろいろ教えられていたような気がする。
……半分セクハラのように。
「お友達の本なんですって。凄いわね、ハナちゃん。あっという間に腐友を作るなんて」
「たいしたものですね」
直緒は感心した。
孫がいるくらいの年齢の女性をも虜にするBL。
仕事を投げ出すのは感心しない。だがその年齢で、新しい世界に友人を作る山田の行動力にも、直緒は深い感銘を受けた。
「ハナちゃんね、この頃ね、凄く調子がいいんだって」
嬉しそうに典子が言う。
「夜もよく眠れるし、ご飯もおいしいんですって。そういえば、お肌はつるつる、白髪も減ってたわよ」
典子は胸を張った。
「それもこれも、最初に手を取って指導してあげたわたしのお陰よ! ハナちゃん、涙を流して感謝してたわ!」
最後のは嘘だな、と直緒は思った。
ドアが開く風圧で、部屋の空気が歪んだ。
「古海!」
典子が悲鳴をあげた。
「もっとそっとドアを開けてよ! わたし、吹き飛ばされそうになったわ!」
「それは失礼致しました」
古海は慇懃に頭を下げた。
つかつかと、だが足音も立てずにオフィスの中に入る。
「ですが、それどころではございません、お嬢さま。高楼出版集団が摘発されました。中花国の……鈴麗さんの出版社が」
「なんですって? 高楼出版集団が!」
典子が立ち上がった。
そのまま走り出そうとする。
「お嬢様、どちらへ?」
「決まってます。中花国です」
「今から? 手遅れです。それに、お嬢様は、かの国では、要注意人物になっています。入国したら、その場で拘束されます」
「え? わたしが? なんで?」
「お嬢様」
古海はため息をついた。
「とりあえず、お座りください」
「中花国では、BLは弾圧されています。BLを出版すれば、当局に目をつけられます。悪くすれば、逮捕されます。ここまではよろしいですね?」
オフィスで典子と直緒に向き合って座り、古海はひとさし指を立てた。
典子と直緒は頷いた。
「かの国では、ボランティア密告員が横行し、子どもから老人まで、あらゆる年代の人が、当局のスパイとして暗躍しています。隠し通すことなど、到底不可能」
古海はため息をつき、頭を振った。
「その国の出版社へ、お嬢様は送金されました。鈴麗さんの高楼出版集団です。これは、BL本の地下出版への資金として使われました」
「わかった! お金の流れがバレたのね。日本から送金したって……」
「送金手続きをしたのは私です。私がそのようなヘマをしたとお思いですか?」
「だって、他に考えられないもの。あなたがドジったのよ、古海」
「違います、お嬢様」
憤然と古海は答えた。
「資金は、あちこちの架空口座を経由して、高楼出版集団の口座へと送られました。私が何年もかけて、いろいろな名簿を買いあさり、身分証を偽造して作った、架空口座です。そこから足がつくはずなど、ないのです!」
「古海さん、そんなこと、やってたんだ」
直緒がぼそっとつぶやく。
「え……? や、止めます! もし直緒さんの気に入らないのなら、いますぐに口座を閉めますから!」
古海が叫ぶ。
「もおっ! 直緒さんが絡むと、古海はすぐにぐたぐたになっちゃうんだからぁ!」
「本の為でしょ。別に気にしません」
直緒が口を出すと、古海は飼い主に撫でられた大型犬のような顔になった。
こちらは不機嫌なまま、典子が続ける。
「……それで、あなたの送金が完璧だったら、なぜ、わたしが送金したってバレたのよ?」
「お嬢様。高楼出版集団が出版していたのは、どんな本だか、ご存知でしたか?」表情を引き締め、古海が問う。
「そりゃあもう」
満面の笑顔で典子はほほ笑んだ。
「それが、送金の条件だから!」
「お嬢様。あなたは、……いやもう、言っていいですか? あなたは、バカであられますか? マヌケ? トンマ? スットコドッコイ……」
「……なによ」
「高楼出版集団が地下出版していたのは、モーリスの本だけなんでございますよっ! 日本でも出てないモーリスの本、つまり、モーリスの電子書籍を、中花語に翻訳した紙の本だけなんです! いくら資金の流れを隠したって、どこから金が出ているかなんて、一目瞭然じゃございませんか!」
「ええと……」
「どんなに好意的に見たって、モーリスから金貰って翻訳出版してるとしか考えられないでしょうが! おおっぴらに出版できないBLを! 闇でこそこそと」
「だってその通りじゃない」
「お嬢様、ヒモノで腐女子の上に、あなたはアホ……」
「それで、鈴麗さんは大丈夫なのですか?」
古海を遮って、直緒は尋ねた。
「弾圧されている本を出版して、鈴麗さんは無事だったのですか?」
「もちろん逮捕されて、牢の中です」
力無く古海が答えた。
二重に力の抜けた声で付け足した。
「あいかわらず、真っ先に女性の心配をしますね、直緒さん」
「鈴麗のことなら、心配ないわ」
典子が顔を上げた。
ふふんと笑った。
「一乗寺建設にはコネがあるでしょ? 中花国政府上層部との」
「それを使うのですか! お嬢様、一乗寺家を、このごたごたに巻き込むおつもりですか!」
古海が叫ぶ。
当然、というふうに、典子は頷いた。
**
藤堂参事官の秘書が部屋をノックすると、微かな衣擦れの音が聞こえた。
ドアを開けると、上司の藤堂の他に、警察庁の羽鳥警視が来ていた。
……やっぱり。
秘書は思ったが、顔には出さなかった。
二人ともこちらに背を向け、窓から外を眺めていた。
いかにも急ごしらえのポーズという感じだ。
「失礼致します」
咳払いをして、秘書の女性は言った。
短めのタイトスカートからのぞいた脚は、省内を歩いていると、熱い視線の的だ。マスクメロンを二つくっつけたような胸も、渇望のまなざしにさらされている。
だが、部屋の中の二人の男性は、彼女の美脚にも巨乳にも、まるで興味がないようだった。
「なんです、騒々しい」
苦々しげに、藤堂参事官が言った。
彼女の上司だ。
浅黒い精悍な顔立ちに、髪をオールバックに固めている。
……二人の時間を邪魔しちゃったわけね。
秘書の女性は密かに思った。
彼女は言った。
「さきほど、中花国主席から首相にホットラインが入りました。主席におかれましては、大層ご立腹とのことです」
「どういうことだ?」
「例の焚書の件です。わが国の政策に口を出すな、と」
「もっとわかるように説明しなさい」
「日本の某所から、賄賂が送られたそうです。収監中の女囚を解放せよと」
「その女囚の罪状は?」
「禁書の発行です。日本から持ち込まれた禁書を翻訳・出版したそうです」
「ふむ」
「もちろん、主席はその賄賂を受け取り、女囚は解放しました。その上で、内政干渉は不愉快だとの苦言を呈されたわけです」
「賄賂を受け取っておいて、内政干渉するなとは」
藤堂参事官はため息をついた。
「で、賄賂を贈った団体の名は?」
「主席は秘されました」
「……暴力団だろうか。仕方がない。で、その本の出版元は? 日本から持ち込んだという」
秘書はメモを見た。
「モーリス出版社」
「モ、モーリス……」
藤堂参事官と一緒にいた羽鳥警視の顔色が変わった。
警視という身分を裏切るように、こちらは、色白で小柄だ。形の良い額に、髪を七三に分けている。
「参事官、モーリス出版社というのは、例の一乗寺典子がオーナー社長です」
「なんだと? 国内政策ばかりか、デリケートな外交問題にまで嘴を突っ込むとは。あろうことか、国に尻をもちこむなんて!」
「すると、賄賂を贈ったのは、暴力団ではなく、一乗寺建設ですね。一乗寺典子の実家です」
「暴力団も一乗寺何たらいう土建屋も、同類だ! 中花国の為政者に賄賂を贈るなど! ……正真正銘の国賊だな、その娘は」
こめかみを揉みながら藤堂参事官は、秘書に、控室へ戻るよう合図した。
……はいはい。お邪魔虫は退散しますよ。
だが、心の声は一切出さず、彼女は静かに部屋を出て行った。
「例の件はどうなっている」
参事官は羽鳥警視に尋ねた。
「あまり露骨な真似はできません。わが国は、民主主義国家ですから」
「そうだ。中花国のように、焚書や、作家の逮捕などという手を使うわけにはいかない」
非常にいやなものを口にするように、参事官は付け足した。
「BL弾圧などと言われたら、中花国と同じになってしまう」
「日弁連が黙っていないでしょうね。言論の自由を奪われたと言って」
それはまずい。法律家が絡んでくると、とにかく時間がかかるからな。愚図愚図していたら、この国の人口は減るばかりだ」
政府は、BLの普及及び腐女子の増加が、日本の人口減少の一因だと考えていた。
苦虫をかみつぶしたような顔で、藤堂参事官は命じた。
「弾圧することなく、てっとり早く、この国からBLをなくすんだ」
羽鳥警視は頷いた。
「権力ではなく、空気を利用します」
「空気?」
「雰囲気。あるいは、人の気持ち」
「……可能なのだな」
「はい。お任せ下さい」
**
「鈴麗さんと、その同僚の方が、解放されました」
朝の光のこぼれるダイニングルームで、古海が報告している。
「高麗出版集団の活動は制限されますが、それは、仕方のない事でしょう。むしろ、鈴麗さん達が無事であったことを喜ぶべきです」
「そうね」
「しかしながら、お嬢様。次にかの国へ行かれます時には、念のため、お父上であられる一乗寺社長と御一緒がよろしいかと。その折は、もちろん、私もお供致します」
「わかったわ」
温めたクロワッサンに、メープルシロップをたっぷりかけながら、典子は言った。
「今回の行動は迅速だったわね、古海。褒めてあげます」
古海は、慇懃に頭を下げた。




