第62話 バカップル?
「緊急報告です!」
「なんだ、騒々しい」
「図書館! 図書館です! ピカリエの空きスペースに図書館!」
「ああ、とうとう、あそこが埋まるのか。シブタニ区長も困っていたんだろ? 図書館か。駅前の一等地なのに、長い事借り手がなかったから、よかったじゃないか」
「いえ、それが、例の、一乗寺典子……」
「なに? 彼女が絡むのか?」
「BL図書館を開設するそうです。シブタニ区の一等地、ピカリエに!」
「び、びーえる!? 青少年の集うシブタニに、その駅前商業ビルに、こともあろうに、BL図書館を!?」
「一乗寺典子は、要注意人物です。厳重に隔離すべきです! 例の潜入調査官からの報告によると、彼女の身の回りの男性は、次々と強い悪影響を受けているんです。画家と会社員、出版社の営業と編集、それに所有する印刷所のオペレーターと製版係……」
「男同士の恋愛では、赤ん坊は生まれない。少子化を促し、国を疲弊させる。少子化対策は国是だ。これ以上被害が広がらないように、さっさと手を打て」
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「本当は、サクラバラ地区に出したかったの」
憮然として典子が言った。
「でも、サクラバラ地区の再開発は5年後だし、大事な本にダニはどんどん湧くし。もう、待てなかったの。しかたがないから、駅前再開発の終わったピカリエにしてやったのよ」
BL図書館の開設場所である。
典子は最初、自宅、一乗寺邸に開設するつもりだった。
しかし、やみくもに大量の本を集めた上に長雨が続き、本に大量のダニが湧いてしまった。
燻蒸処理を施し、虫干しし、なんとか退治した。
一切の手配をしたのは、古海である。
代わりに彼は、条件を出した。
一乗寺邸にBL図書館を作ることを、禁止したのだ。
「BL図書館建設自体は、反対しないんですね」
帰宅しようと玄関まで古海と歩きながら、直緒は言った。
「前は、あんなに反対してたのに」
「まあ、私は、お嬢様に悪いことを致しましたから。……つまり、」
妙に歯切れの悪い口調で、古海は続けた。
「私はお嬢様から、直緒さんを取り上げてしまったわけですから」
「それは違います。僕が、典子さんから古海さんを盗ってしまったんじゃないですか」
少し間があいた。
「婚約者であるあなたを」
「婚約者? だから、私にはそんなつもりは、端から毛頭、全然全くありません」
きっぱりと古海は言い切った。
「そもそも、女性には興味がありませんので。ヒモノで腐女子なら、なおさらです。私が大切なのは、本当に好きなのは、好きで好きでたまらないのは、あなただけなんですよ、直緒さん」
「古海さん、……恥ずかしいです」
「恥ずかしい? どうして?」
「だって……」
「あなたはどうなんですか? 一向に私のことを、好きと言ってくれない気が、」
「そんな、面と向かって……」
「言ってくれたら嬉しい」
「言えません」
「なぜ?」
「そんな、女の子じゃないんだから、好きとか……口に出して……」
「あのね、直緒さん。私は、酔っぱらっている時とアノ時以外にも、好きという言葉を言ってもらいたいのです。直緒さんが、しらふでまともな時間にも」
「僕がいつ、そんなこと言いました!」
「本当に、覚えてないんですか? 一回も?」
「あの、」
積み残された本の山の向こうから声がした。
「聞こえちゃってますけど」
司書の山田だった。
「あ? いいですよ、別に」
すかさず古海が応じた。
「別に隠すようなことはしてませんし。ね、直緒さん」
「え? ええ……まだ、そんなには」
「私は、誰の前に出ても大丈夫です」
古海が胸を張る。
「だって、他の男は絶ちましたし、遊びに出ることも止めましたから。これであとは直緒さんが受け容れてさえくれたら……」
「古海さんっ!」
直緒は柱の向こうをさし示した。
典子が駆けてきた。
本の仕分け作業をしているので、正々堂々とジャージを着ている。
「ハナちゃん。これこれ!」
右手に持ったDVDケースを高く掲げた。
「ハナちゃん?」
古海が不思議そうな顔をした。
山田が自分を指さす。
「私です。下の名前が、ハナコなんです」
典子は嬉しそうだった。
「これこれ、これに出てるの。ハナちゃんの質問の答え! 男同士の恋愛の手順! キスからワンステップずつ進んでいくの。巷では教科書とまで言われている、古典的な名作なのよ!」
「それでいくと、今の古海さんと本谷さんは、何トラック目にいるのでしょうかね?」
目を泳がせて、山田が尋ねた。
「古海と直緒さん?」
典子は立ち止まった。
初めて、ふたりがいることに気がついたようだ。
彼女は言った。
「圏外よ、もちろん」
「だって、二人はこんなにバカップ……いえその、仲がいいじゃないですか」
「山田さん、お嬢様は見たくないものはご覧にならないのです」
重々しい口調で古海が言った。
「それはつまり、典子さんが本谷さんを好きだからですか?」
ずばりと山田が聞いた。
思わず直緒が首を竦める。
「そおよ。直緒さんはわたしの、大事な抱き枕なの。昼間も使える、便利な抱き枕よ。その上、ダニも湧かないの!」
「え?」
山田が、呆然とした顔をした。
「そして、これと思った男にけしかけるんですよね」
古海が嫌味全開で口にした。
「全く、けしからんことです」
「……」
山田が絶句した。
典子が叫ぶ。
「萌えの為よ! モーリスの社員は、萌えの為なら、何でもするの!」
「するんじゃなくて、させるんでしょ。一乗寺家の令嬢ともあろう方が。女衒のようなマネを。でも、これからはそうはさせません。私が一切、許しませんから」
「何を言うの、古海。そういうあなたは、萌えの対象外よっ。男としての存在価値が皆無なのっ!」
「男としての存在価値じゃなくて、腐女子の中での存在価値でしょ。むしろ望むところ、皆無で結構でございます」
「同じことよ! 古海を見てるとわたしのテンションがぐんぐん下がっていくの! 萌えの天敵よ!」
「褒め言葉として受け取っておきます」
言い争う主従の向こうで、こそこそともの音がした。
典子が、はっとしたように叫ぶ。
「ハナちゃん! なんで逃げるの、ねえったら!」
足音を忍ばせ玄関へ向かっていた山田が、ぎくりとしたように足を止めた。
「……そのDVD、見たくありません」
消え入るような声で、彼女は言った。
「前にお借りした、『鬼畜攻め×女王様受け』も、まだ全部見れてませんし……というか、見たくな……」
「いいのよ。返すのはいつでも。そうだわ! これから一緒に見ましょう! わたしのお部屋へいらっしゃいな!」
「いえ、私、残業はしない約束で……」
「残業代なら出すから! 全然かまわないわ! 賄いで、ポテチとコーラもあるのよ!」
典子は山田に駆け寄った。
その手を強引に掴み、脇に挟みむ。
山田が縋るようなまなざしを直緒と古海に向けた。だが、これだけ密着されると、男の二人には、どうしようもない。
典子は、いやがる山田をひきずるようにして、階段を上って行った。
「ま、あの方なら、腐部屋に入っても、腐る心配はないでしょう。オバさんですし」
「古海さん、オバさんはいけません。……わかりませんよ……あの、古海さん……」
「本谷さん! よかった。まだいた」
メイドの篠原もなみが小走りでやって来た。
直緒は慌てて古海の手を振り放す。
もなみは、見て見ぬふりをした。
「お電話です。モーリスの固定電話に。ご実家から」
「あ……すみません」
狼狽したまま、直緒は言った。
「まだ繋がってますから」
「ありがとう、もなみさん」
「ちょっと、なぜ直緒さんは、あなたを名前で呼ぶんです?」
走って引き返していく直緒を見送りながら、古海が不平を述べた。
軽く不機嫌になっている。
「他のメイドは、メイドさん、なのに」
「私がそう、教えたからです。女性を名前で呼ぶことは大切です。ま、本谷さんの場合は、手遅れですが」
もなみは顔を顰めて見せた。
「それより古海さん。小林さん、かなり参ってますよ。古海さんがきつく叱ってばかりだから。小林さんは文学少女なんです。慣れてないと思うんです、そういうの」
「文学少女? あの子が?」
「自己申告です。本当のところは、知りません」
「……いずれ彼女には、フォローを」
「しときました。私が。辞められたら困りますからね。古海さんからだといって、かりんとうを差し入れときました」
「なぜ、かりんとう?」
「たまたま、アサフの本家へ行って来たんです。一乗寺本家の近くには、かりんとうの老舗がありますから」
「それにしたって、そんな、黒いだけが取り柄の、細くて短い、枯れ枝のような駄菓子……」
「言えた立場ですか。プライベートのいらいらで八つ当たりするの、止めてもらえませんかね。自分は性欲が弱いって言ってましたよ、本谷さん」
「それは、今まで経験がなかったからで。でも、適切な手順で慣れさせていけば……、ん? なんで彼はそんなことまで、あなたに話すんです? 篠原さん!」
「悩んでるんですよ、本谷さん。古海さん、いたずらし過ぎなんじゃないですか?」
「してません、いたずらなんて。真剣に交際してます」
「痛いのは、誰だっていやなものです。いくら最初だけだって」
「……よく知ってますね」
「だって、みんなそう言いますもん。そこはさすがに、私も経験ありませんけど。なにしろ本谷さんちは、専門病院ですからね。きっと幼いころから、怖い話をワンサカ聞かされて育っているに違いないです、育ての親のおじいちゃんに」
「その可能性は、私も考えてます……」
「そうはいっても、私的には、古海さんに同情してるんですよ?」
「同情? あなたが? 私に? ……こなした男の数ですか?」
「違います! なんで私が古海さんと、狩った男の数を競わなくちゃならないんです? そりゃまあ、私の方が多いでしょうが……」
「そんなことはありません! でも、安心して下さい。私の方は、もう、増えませんから。私は、浮気はしないんです」
「古海さんって、そんなに保守的なヒトでしたっけ?」
「なっ、なんです、人聞きの悪い」
「だって今までは……」
「直緒さんが特別なのです!」
「今までとは違う恋愛、ってわけですか」
古海は答えず、目を伏せた。
その様子が非常に妖艶で、もなみはどきりとした。
「でも、男同士っていいですね」
溜息と共に彼女は言った。
「今の本谷さんみたいにぐずぐず拒んでる女見たら、私、尻蹴り上げますもん。ヤれる体してんのに、もったいぶってんじゃねえ! って」
「……篠原さん。あなたがなぜ、男をとっかえひっかえしてるか、わかった気がしますよ……」
「あれ、まだいたんですね」
直緒が戻ってきた。
なんだか怒っているようだ。
「あのジジイが……」
完璧な形をした桜色の唇から低いつぶやきが漏れ、もなみはぎょっとした。
「敬老の日に贈り物をすると、年寄り扱いするなって怒るくせに。帰らなきゃ帰らないで文句を言って……」
顔を上げた。
「あ。週末、ちょっと実家に行ってきます。仕事は大丈夫ですから。典子さんには、事務所のボードに書いておきました」
さっさと歩き出す。
「直緒さん!」
絶望的な叫びを、古海が上げた。
「週末は、私の部屋にお泊りだって、約束したじゃないですか! 二人でゆっくりお休みを過ごして、今度こそ……」
「ジイちゃんを怒らせると、やっかいなことになるんです」
振り返って直緒が叫んだ。
※古海の「これと思った男にけしかける」というセリフ、典子が直緒を、(奸計を用いて)誰にけしかけたかは……いやはや、ここまでの全編をお読みいただくしかないですね。
※直緒の実家の稼業は、5章の上から2番目のサブタイトルになってます。




