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ヒモノ女子は優雅に腐る  作者: せりもも
第7章 世界へ

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第54話 懐中電灯?




 ジェイがシャツを脱ぐ前、ホテルに着くと真っ先に、クララは、直緒の胸に触った。

 遠慮なく、撫で繰り回す。


 背筋がぞっとしたのは、快感ではなく、恐怖からだった。

 真っ赤な唇のクララに、食べられてしまいそうで、怖かった。


 “Flat …….”(平らだわ)

彼女はつぶやいた。

“He is a male …….”(彼は男だったのね)


“Absolutely.”(当り前だ)

ジェイが言った。


 直緒を慮ってか、ここまでは英語だったが、その後は、怒涛のドイツ語だった。

 何を言ってるのかさっぱりだったが、どうやら、痴話ゲンカ的なものだったらしい。


 激しい言葉の応酬が治まった時には、クララの直緒を見る表情は、よほど穏やかになっていた。


 ……また、女性と間違えられてた。

 ……だから、クララはあんなふうに、俺を見てた?


 いろいろ腑に落ちた直緒であった。

 腑に落ちたと同時に、落ち込んでもいた。

 どうしてこう、自分は、女性に間違えられるのだろう……。



 「準備できたぁ?」

デスクに立てかけたスマホから、典子の声が聞こえた。

 典子の横には、作家の芹香せりかももな先生の姿が見える。

 筆が早く、頼めば何でも書いてくれる先生だと、典子が言っていた。


「あ、はい」

直緒は答えた。

「よし」

典子は満足げだ。

 先生がご一緒なので、典子は彼女なりの労働着、つまり、ピンクのブラウスを着ていた。だが、そのボタンが1つずつ掛け違っていることに、直緒は気づいてしまった。


 「どんな感じですか?」

芹香先生が問う。

 直緒は、スマホを、ジェイの胸に向けた。

 ふざけて、ジェイが、両手で胸を隠して見せる。

「うーん、画面が小さすぎて、よくわかりませんね」

「もっと近づけますか?」

スマホを持って、直緒はジェイに近づいた。


 クララが眉を顰めた。


「ストーーップ!」

手の中から、典子の声が聞こえた。

「気持ち悪くなっちゃった」

「自分で言っておいて、それはジェイに失礼でしょ」

「違うわよ。画面が揺れるからよ」

スマホを動かすと、酔うのだそうだ。


 小さな画面では、何が何だかわからないと芹香先生も言うので、結局、スマホはデスクに固定になった。


 「じゃ、直緒さん、リポートして」

何枚か写真を撮らせると、典子は言った。

「リポートって?」

「まず、触ってみて」


「……」

ちらと、クララを見た。

 覚悟していたのか、クララはそっぽをむいている。


 直緒は恐る恐る、ジェイの胸に触った。

「クスグッタイ」

ジェイがくすくす笑う。


「どう?」

「思ってたより、柔らかいです。和毛っての? そんな感じ」

作家が何かメモした。

「毛の流れる方向に撫でると、わあー、気持ちいい」

「気持ちいい?」

と、典子。

「違います。ペットの毛を撫でてるみたいで、なごむっつーか」

「直緒さん、ふざけないで。これは、BLなのよっ。なごんでて、どーするの!」

「ふざけてなんか……」


「セックスアピール!」


 典子が喚いた。

 クララの耳が、ぴくんと動いた。


「胸毛のセックスアピールは、どこ!?」

「ありません」

直緒は言った。

「そんなこと、男の僕に聞かれても……」

「男にしかわからないことでしょっ! もうっ、直緒さん、まじめにやってよ!」


 ……まじめにできることか!

直緒は心の中でぼやいた。


「これは、モーリスにとってチャンスだと、村岡さん、言ってたわよ」

ぬかりなく典子が付け足す。


 ……そうだった。

 ……BLを世界に。


 モーリス発のBLを世界に広げる夢が、自分にはある。


 「もっと撫でまわして。縦だけでなく、横にも斜めにも。ぐるぐる円を描いて!」

言われたように撫でると、ジェイが眉を寄せた。


「どう? 直緒さん」

「ジェイが困ってます。クララが怖いです」

「もおっ! 肌触りは! あなたはどう思った?」

「摩擦熱が出そうです。指の股が、ちくちくしてきました」


「……発熱しそうな愛撫、恋の恐怖」

芹香先生がつぶやいた。


「OK。じゃ、直緒さん、次は、ジェイの胸に顔を寄せて」

「ええーーーっ!」

「ええー、じゃないわよ。抱きしめられた時にナントカカントカって、言ったんでしょ、ハーレキング社の受け様が。そういう描写が必要なのよ。だから直緒さん、ジェイに抱きしめるように言って」

「僕の語学力では無理です」


「ジェイ、ハグ ナオ!」

直緒の頭越しに、典子が叫んだ。

 完璧な日本語英語だった。


 クララが噛みつきそうな目で、スマホを見た。


 だが、ジェイには通じなかったようだ。

 怪訝そうに、スマホと直緒を、代わる代わる見ている。


「ジェイ、ちょっとごめん」


 ……BL普及のためだ。素晴らしいものを世界に広げる為なんだ。

 直緒は、ジェイに胸に顔を近づけた。

 空調の風で、毛がそよそよたなびいている。


「……鼻に入りそうで、……くしゃみが」

続けて二回、くしゃみをした。


「もおっ! 色気のない人ね! で、匂いはどうなの? 汗のしずくとやらは?」

「匂いは体臭ですから、ノーコメント。こっちは結構、寒いんですよ? 汗なんて、かいてるわけないです」


「……無味無臭の体は、気持ちよく乾き、ただ体温のみが感じられた」

と、芹香先生。


 「まだよ、直緒さん。乳首は?」

「はっ? ちくびぃ?」

「そう、乳首」

「……ふたつ、あります」

「数じゃないの! 色はっ! 形はっ!」

「ふ、ふつうです……」

「舌触り……」

「クララさんに聞いて下さい!」


自分の名前を聞いて、クララの体が、ぴくんとした。


「毛に隠れてて、よく見えませんしっ!」


「……一乗寺さん、攻めの乳首は、それほど重要ではありません」

「あっ、そうか。わかりました、芹香先生」


典子は言った。

「さ、直緒さん。ジェイの胸に顔を埋めて」

「む、むり……」

「無理じゃないでしょ。もう、直緒さんじゃ、だめだわ。ジェイ、むぎゅっ、よ! 直緒さんを、むぎゅっ!」


 はっとしたように、ジェイが直緒を見た。

 ……なぜ、英語は通じなくて日本語なら通じるんだ?

 それは気迫の問題に思われた。


 とにかく、ジェイは、両腕を広げた。

 ゆっくりと、機械仕掛けの人形のように、ぎこちなく、直緒に近づいてくる。


「ちょ、ジェイ……」

 直緒はあとじさった。

 2~3歩後退して、ベッドに躓いた。

「落ち着いて。俺、そこまで社畜になるつもりは……」


「ナオ……」


 逃げ切れない。

 ジェイは、直緒の体を抱え込んだ。


「感想は! 直緒さん、感想はっ!」

遠くから典子の声が聞こえる。


 声を出そうにも、顔はぴったり、ジェイの胸に押し当てられている。

 鼻が潰れ、息が苦しい。

 口を開けると、毛の波に溺れそうだ。


「!」

直緒の目が大きく見開かれた。


 下腹の、臍の辺りに押し付けられているこれは……?

 懐中電灯であるわけがない。



 「*****!」


 動物の咆哮のような雄叫びがした。

 感想を求める典子の声が、ぷつんと途絶えた。

 がちゃんと、何かが壊れるよう音がそれに続いた。


 誰かが、力いっぱい、直緒とジェイを引き離した。

 クララだ。

 続いて彼女は、ジェイの胸をどんと叩いた。


 窒息しそうな抱擁から解放された直緒は、自分のスマホが粉々に粉砕されたことを知った。




 取っ組み合いを始めたジェイとクララを置いて、直緒は部屋を出た。

 自分がそこにいてはいけないと、直感したからだ。


 2時間ほど、ホテルの喫茶室で時間をつぶし……フリーで使えるパソコンがあった……、戻ってみると、二人の姿はなかった。

 仲直りはできたようだ。


 しかし、その晩は、ベッドで寝る気がせず、ソファで夜を明かした。


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