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ヒモノ女子は優雅に腐る  作者: せりもも
第7章 世界へ

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第52話 腐女子に国境なし


 2日目には、仕事も大分慣れてきた。


 BL本ということもあってか、客は、女性が多い。

 朝一番で、細身の体にスーツをさらりと着こなした、呆れるほど美しい女性が来た。


 欧米系の彼女は、30分ほど、村岡と話していた。

 版権が売れたのかと目で問うと、村岡は肩を竦めた。

 後から聞いた話では、かなり安値だったので、交渉は決裂したという。


 彼女は、去り際に、スマホを取り出した。

 ジェイに何か頼んでいる。

 直緒と並んで写真を撮りたかったようだ。

 もちろん、直緒は快く応じた。

 並んで立つと、直緒とほぼ同じくらいの背丈だった。


 “Say cheese!”

おどけた調子でジェイが言って、シャッターを切った。


 撮れた写真を見せてもらうと、女性は、向日葵のような笑みを浮かべていた。

 有能なビジネスウーマンが、少女に帰ってしまっている。とても可愛らしいと、直緒は感じた。




 その女性が立ち去ってすぐ、頭から黒い布を被った女性が、恐々と覗いた。

 異様な姿だが、そこだけ見えている目は、驚くほど澄んでいて、邪気がない。

 直緒が微笑みかけると、慌てたように逃げて行った。


「イスラムでは、同性愛は禁じられているからね。その上、未婚の女性が、男性に声を掛けるのも、御法度なんだ」

後ろから見ていた村岡が、顔を顰めた。

「名誉の殺人と言ってね。家族に殺されてしまうこともあるんだよ、今でも」

「え? 何もしてないのに、殺されてしまうんですか? しかも家族にって!」

「そうだ。淫乱な女だと糾弾されて、家族の名誉を汚したとされるんだ。だから、家族は、彼女を殺して、一族の名誉の回復を図るんだ」

「そんな馬鹿なこと……」

直緒が言いかけた時だった。


 白いだぼっとした衣装の上に、グレーのスーツの上着を羽織った男が、足音荒く、モーリスのブースに入り込んできた。

 頭にはターバンを巻いている。

 腰のベルトに無造作に押し込んであるのは、

 ……まさか、剣じゃないよな。


 男は、鋭い目を、直緒に向けた。

 頭の先からつま先まで、じろじろと眺め渡す。


「***」

村岡が英語で何か言った。

 何か用かと、問いかけたようだ。

「***」

男が答える。


 しばらく、やりとりがあった。

 その間ずっと、男は直緒から目を離さなかった。


「さっきの女性のお兄さんだ」

村岡が言った。

「君は男かと聞いている。さっきの彼女……この男の妹だそうだ……と、何を話したか、問うている」


「僕のこと……女だと答えて構いません。そんなことで、彼女の命が助かるのなら。てか、彼女、何も話してないでしょ!」

ひそひそ声で、直緒は答えた。

 声を聞かれたら、男だとわかってしまう。


「***」

村岡が何か言った。

「男だ、と言った。騙して、後でバレた方がまずい」


「***」

村岡がさらに何か言った。

「***」

ジェイが、口を出す。

 村岡の援護をしているようだ。

 英語がろくにできない自分が、直緒はうらめしかった。


 「****」

男が一言返した。

 ジェイの顔色が変わった。

 馬鹿にしたようにな一瞥を直緒にくれ、男は、立ち去って行った。



「……村岡さん?」

「すまない。君のこと……」

額の汗を拭った。

「あの女の子は、君を軽蔑したんだと言った。ただし、毅然として君を見ただけ。一言も口はきいていない、と」


 直緒は全てを悟った。

 前に、大河内に聞かされたことがある。

 イスラム圏では、男同士の恋愛は、罰せられるそうだ。

 それも、受け身の方が罪が重い。

 なぜなら、強い男が賞賛され、弱い男は蔑視されているから。


 直緒は言った。

「……いいですよ。そんなことで、彼女が死なずに済むのなら。家族に殺されずに済むのだったら」


 「ナオ、オトコ、ダヨ」

しみじみとジェイが言った。

「オトコ、ダカラ、アノコ、キケンダッタ」


「申し訳ない」

もう一度、村岡が言った。


「そうです。僕は、男です。だから……村岡さん、ジェイも、ありがとう」

直緒は言った。


 どんな外見であろうと、どれだけ誤解されようと……それは、どうしようもなく、真実なのだ。



**



 翌日のお昼近くに、大柄な若い女性がやってきた。

 大胆な花柄のワンピースを着ている。


「クラーラ!」

歌うように叫んで、ジェイが飛び出してきた。

 二人は手を取り合い、激しく抱き合った。


「……欧米人というのは肉食人種だな、と感じる瞬間だよ」

直緒の耳に、村岡が囁いた。

「でも、微笑ましくもあるよね」


 その時、クララは、直緒に気がついたようだった。

 激しい口調で、ジェイに何かを問いただす。

 ジェイが笑いながら答えると、少しだけ、表情を緩めた。


 ちょうど、混んできた時間帯だった。

 クララは大丈夫と言い、隅の椅子に腰を下ろした。


 茶菓子の補充にジェイのそばへ行った時、クララの鋭い視線を感じた。

 振り返って、直緒は微笑んだ。

 クララは唇を引いて、にこりとしてみせた。

 でも、なんとなく、目が笑ってない気がする。

 なんとも落ち着かない気持ちだった。


 それから、昼休みにクララとジェイがそろって食事に行くまで、直緒は、ずっとクララの視線に晒されていた。



 「オランダの女性って、猫が好きなんですね。あるいは、コスプレが」

二人の姿が人混みに見えなくなると、直緒は言った。


 「なぜ?」

ノートパソコンから目を上げて、村岡が尋ねる。


「だって、ずっと僕の方を見てたし。ジェイじゃなく」

「それは、彼女が嫉妬深いからなんじゃないか?」

「嫉妬? 誰に?」

「君に」

「僕? なぜ?」

「……いや、わからないならいい」


村岡はパソコンに目を落した。


「英語の版権は、アメリカのセルダムハウスがいいか、それとも、イギリスのホワイトベアー・グループがいいか」

ぶつぶつつぶやいている。

「英米で分けるより、どちらかひとつにした方が……」


その時、何かが、直緒の顔に当たった。

「あっ」

「どうした?」


 痛くはない。

 ただ、驚いた。

 小さな紙つぶてが、デスクに転がった。


「……」

反射的に、ブースの入口を見た。

 小柄な東洋人女性が、隣の中花国なかはなこくブースに駆け込むのが見えた。

「……こんなところまで」

直緒は息を呑んだ。


 日本と中花国の仲が悪いのは、知識として知っている。

 しかしまさか自分が、その標的になるとは。

 国際的な、出版ビジネスの場で。


「いや、本谷君、怒らないでやってくれ」

静かな声で、村岡が言った。

「怒ってなんかいません。ただ、幼稚だな、と思っただけで」

「それも思わないでくれ。そもそも、モーリス(BL)のブースが、中花国ブースの隣だったことが、まずかったんだ」

「え?」

「同性愛の小説を書いたからといって、ブログやウエブサイトがが閉鎖されたり、小説の書き手が逮捕される国だよ? かの国の、同性愛への弾圧は、大変なものなんだ」


 その話なら、直緒も聞いたことがある。

 しかし、なにも、日本ブースにいやがらせをしなくてもいいではないか。

 外国のブックフェアに来てまで。


 村岡は続けた。

「18世紀に書かれた、『桃楼夢とうろうむ』、あるだろう? 当時、若者が耽溺して、社会が堕落したと批判された小説だ。麻薬・麻雀と、あの小説がなかったら、中花国は忽ち、アメリカを追い越すだろうと言われたんだ。今の、同性愛の弾圧も、同じ論理を感じるね」


「へえ、そうなんですか。『桃楼夢』、僕、まだ、読んでないんです。年を取ってからゆっくり読もうと思って」

「それは楽しみだね。現政権が同性愛を弾圧するのは、夫婦と子どもという、社会主義的家族観に基づく差別だという見方もある。一人っ子政策と根は同じだ」


「誰とどう暮らそうが、国に、あーだこーだ、言われたくないですね」


村岡が、少し、言葉に詰まった。

「……君は、誰か、一緒に暮らしたい人がいるのか? つまり、その、子どもがいらないとか?」

「個人的なことですから」


 少しの間があった。

 村岡は言った。


「とにかく、逮捕されちゃかなわないからね。彼女が君にそれを投げつけたのは、多分、自分は同性愛的小説(BL)を支持していないという、仲間内へのアピールなんじゃないか? 昨日、あの女の子、君のこと、うっとり見てたから。それを、仲間の誰かに見られたんじゃないかな」

「少しも気がつきませんでした」

「かわいいお嬢さんだったよ。典子お嬢様に似た雰囲気の。もっとずっとしっかりしてたけど」


「僕に紙つぶてを当てることで、彼女は、国へ帰ってからの誹りを免れることができたわけですね。同胞からの」

ゆっくりと直緒は言った。

「それなら、とても嬉しい」


「……君は、優しいな」

「そんなこと。だって、紙つぶてでしょ。石とか卵とかじゃなく」

長机に転がった紙つぶてを、直緒は拾い上げた。

「なんだか、愛を感じますよ。BLへの、ね」

「そういう見方もできるのか」

「そもそも、その女の子に、他人から付け入られる隙を作らせてしまったのは、この僕なんですから。女性に辛い思いをさせるのは、本意じゃありません」


「君、女性にもてるだろ」

「それが、さっぱり」

村岡は、直緒の全身を、上から下まで眺め渡した。

「うん。それもなんとなくわかる」

「どっちですか」

「ま、もてなかろうね」

あっさり言われて、直緒は、言葉に詰まった。


 「典子お嬢様が来られなくて、正解だったな」

しみじみと村岡が言う。

「あの方のことだ。なにがなんでも、中花国のごたごたに首を突っ込もうとなさるだろう。BLが絡んでるとなると、なおさらだ」

溜息をついた。

「ほんと、ここにお嬢様がいらっしゃらなくて、よかった」


 それは、直緒も同意見だった。

 典子の性格を思うと、どのようなトラブルを招くか、考えただけでもぞっとする。


 「……!」

紙つぶてを広げて、直緒は、あれ、と思った。

 そこには、エンピツで、英数字の列が書かれていた。


「メモ用紙の再利用だな」

のぞきこんで、村岡は言った。

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