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ヒモノ女子は優雅に腐る  作者: せりもも
第7章 世界へ

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第50話 初めての紙の本


 空が高く澄み、木々の梢が落葉に備えだす。

 焼けるような暑さの中に、一迅の冷たい風が吹き渡る。

 古海のいない、秋が来た。



 直緒は、読んでいたプリントアウトから目を上げた。

 時刻は、深夜0時を回っている。

 夢中になっていて、気がつかなかった。


 くりいむメロン先生から届いた、原稿データ。

 打ち出す時間さえ、もどかしかった。

 プリンターをちらちらのぞいて、サラリーマンものだということはわかった。


 ……こんな読み方はよくない。

 長く待っていた原稿だ。慌てて目を逸らす。


 ようやくのことで打ちあがった。

 プリンターの熱で温かいA4用紙の束を手に取る。


 一度読みだしたら、止まらなかった。

 最後まで、一気に読み通した。

 静かに直緒は紙の束を撫でた。

 宝物だ、と思った。



**



 「刷り上がった順でいくわね。一冊目は、大河内要先生。『文治の風/忍ぶ恋』」

歌うように言って、典子は、本を取り上げた。


 上半身裸の、見事な体の武士が、縛り上げられた武士の上に乗っている。

 上に乗った武士の、躍動感が素晴らしい。一見、さっと描かれたように見えるが、実は、その筋肉のひとつひとつが、精確に描写されている。


 結局、猫と犬のじゃれあった表紙絵は、『文治の風/武士の覚悟』に使われたきりだ。この本は、一乗寺建設創立110周年記念に配布された。

 そして、時代もののBL、『文治の風/忍ぶ恋』の方は、著者により、出版する権利が典子に譲渡された。


 典子は『文治の風』が、

 ・剣豪小説『/武士の覚悟』

 ・時代ものBL『/忍ぶ恋』

の2種類あることを知らない、

 ことになっている。


 そして、一乗寺家の創立記念に配布されたのは、自分が作家に依頼したBL作品の方だと思っている。

 はずだ。


 もちろん、大財閥の創立記念にBL本を配布するなど、あり得ないことだ。典子の邪悪な企みを阻止したのは古海だった。

 彼は、著者を抱き込んで、剣豪版『/武士の覚悟』を書かせ、BL版『/忍ぶ恋』とすり替えた。


 つまり、BL版の方は、モーリス出版を版元とする電子書籍しか存在しない。創立記念品として配布はおろか、紙版にさえ、なってはいなかった。

 そして、典子はそのことを知りながら、あえて、古海を咎めようとしなかった。未だに騙されたふりをしている。


 新しく印刷所を手に入れた彼女は、BL版を、本文ごと新しい印刷所に入れ直した(と、典子は言っている)。


 その際、カバーも、変えた。

 犬猫の愛らしい表紙から、エロ路線へ。

 それがこの、素晴らしい肉体美を誇る武士二人の、絡み合いバージョンだ。

 絵師は同じ、吉田ヒロム先生である。初めは渋っていたのだが、典子が写真資料を送って、表紙絵の変更を依頼した。




 「次は、奈良崎沙羅先生のご本」

 じれじれ・あまあまの恋愛譚。電子書籍でも、安定の売れ筋だ。

 表紙のイラストも素晴らしい。


 奈良橋先生は、押しも押されぬ、BL界の人気作家である。

 それが、モーリスのような弱小出版社で、しかも、最初は電子書籍という条件で書いて下さるのは、奇跡に近い。


 典子と先生は、例の立てこもり事件で知り合った。

 普段は友達のいないことを自認している典子だが、人脈作りには、意外な才能を有しているらしい。


 この事件では、典子は、エンタメ業界では一、二を争う出版社、門壇社の社員とも知己を得た。


 営業の佐々江は、モーリスの電書目録を、自分が訪問した全国の書店に置いてきてくれる。編集の木島も、門壇社で企画が通らなかったBL作家やイラストレーターを、モーリスに紹介してくれる。


 この二人が、どうしてこうまで、モーリス出版社の為に働くのかは、業界の七不思議となりつつある。




 「三冊目は……直緒さん、ありがとう。本当に、よくやってくれたわ」

典子は本を掲げた。


 写真を使った表紙だ。

上半身を脱いだ男のたくましい背中、その肩に顎を乗せ、こちらへ顔を向けているのは……、


 白い華奢な腕が、自分を抱きしめる男の背に回されている。

 うっとりとした陶酔のただ中にある、身も心も委ねきったその表情。

 伏せた瞼のまつ毛は長く、情熱の名残りが、凪いだように、半分開けた口元に漂っている。


 それは、直緒自身だった。


 「やっぱり一流のカメラマンは違いますね」

彼は言った。


 電子書籍も、人目を惹くには、まずは、表紙だ。

 純文学作家久條泰成の初めてのBLということもあって、この本は、まだ電子版しか販売されていないにもかかわらず、抜群の売れ行きを見せていた。


「ううん、表紙もだけど、中身も素晴らしいわ。本当よ。本当にそう思うの」

「久條先生のお力です」

「それを書かせたあなたに、わたしは、お礼を言ってるの」

「編集長……」

「ありがとう、直緒さん」




 「そして、最後が……くりいむメロン先生のこの……白地に桜色の題字が、とてもきれい」


「勝手なことを言わせてもらえば、僕はこの本、出版したくないです」

「何を言うの、直緒さん」

「人に見せずに手元に置いて、大事にしておきたい、そんな本です」

「ああ、そういうの、あるわね。思い入れが深すぎると、そうなるの。でも……」

「もちろん、そんなことはしません。一人でも多くの人に手に取ってもらってこその、本ですから」

「そうね。この本は、読んだ人に、勇気と幸せを与えるわ。たくさんの人に、読んでもらわなくちゃね」




 「それじゃ、直緒さん、頼んだわね」

「はい。モーリス出版の、初めての紙の本。この4冊、しっかりと、世界に、売り抜けてきます!」








時代小説家・大河内要先生は5章、絵師の吉田ヒロム先生は2章、

BL作家・奈良橋沙羅先生と門壇社社員の二人は、6章、

純文学作家・久條泰成先生は、4章19話~21話、5章23話、6章46話、

同人誌出身作家・くりいむメロン先生は3章、6章45話、

に、それぞれ登場しています。

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