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ヒモノ女子は優雅に腐る  作者: せりもも
第6章 わたしのしもべ

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第38話 913は、くさった ひもの さん


 衣服は、近くの量販店で調達した。前回の失敗をふまえ、ユニセックスのカットソーとパンツにしてもらった。ただし、カットソーは、タートルネックだ。

 トヨシマ区は、巨大な繁華街を擁していた。その中に、コスプレ専門の写真スタジオが何軒かあった。メイクは、その中の一軒から、スタッフを連れてきた。


 鏡の中には、パーティーの時の、あの女性が映っていた。


「直緒さん」

 後ろから古海が覗きこんだ。

 鏡の中の直緒の目を捕える。

「直緒さん」

「わかってます、古海さん」

直緒は頷いた。

「僕に、任せてください」

古海の瞳が揺らいだ。

「いいえ、わかっていません。あなたは、ちっともわかっていない」


 「時間です」

 制服警官が入ってきた。

 はっとしたように、立ち止まった。

 眩しそうに直緒を見る。


「用意はできてます」

直緒は言った。



**



 「ええと。これは。ええと」

もちろん、声に出すわけにはいかない。

 男の声だからだ。

 しかし、直緒の心の中で、当惑のつぶやきが止まらない。

「ええと。ええと、ええーーー、とぉーーー!」


 それほどショッキングな光景が、目の前に繰り広げられていた。

 床に仰向けに横たわった男。

 この男はいい。

 よくはないけど、まあ、いい。

 問題は、その上の……。

 上半身裸、ズボンもはかず、パンツ一丁なのに、なぜかビジネスソックス着用の……。


 背中の筋肉が、盛り上がって見える。

 裸男は、着衣の男にのしかかっていた。

 両手を頭の横に、まさに床に縫い付けるように押さえつけている。

 鍛えられたずっしり重そうな体が、それより小さいとはいえ、やはり男の体を組み敷いている。


 閃光が走った。

 続けざまに2度3度、違った向きから。

 間の抜けたシャッター音が、それに続く。

 クールビズスタイルの痩せた男が、カメラを構えていた。



「典子さん……」

 尊敬する上司は、そこにいた。

 腕を組み、満足そうに頷いていた。

「典子さん!」

直緒は、声なき叫びをあげた。


 典子が目を上げた。

「直緒さん!」

本当に嬉しそうに笑った。


 ぱんぱん、と、典子が両手を鳴らした。

「もういいわよ。写真はたくさん、撮れたから」


 上に乗っかっていた筋肉の塊が立ち上がった。

 憮然として、ズボンに足を通し始める。

 カメラの男が、黙って、Yシャツを拾って渡してやる。


「あ、撮った写真、さっき言ったアドレスに送っといてね」

典子は、カメラの男にそう言った。

 下になっていた男を助け起こす。

「ご協力を感謝するわ。これで絵師の先生もきっと素敵な萌え絵を描いて下さるでしょう。あ。待ち人、来たわよ。ほら、この人でしょ、あなたが探してたの」

そう言って、直緒をさし示した。


 その瞬間、奇妙な声を、男があげた。

 泣き声とも。

 喚き声とも。

 苦痛の叫びとも。

 なんともいえぬ、雄叫びだった。


 男は、入り口で立ちすくんでいた直緒に、猛然とタックルしてきた。

 反撃する暇など、なかった。

 信じられない馬鹿力だった。

 腰の辺りをがっしりと掴まれ、直緒は、男にひきずられていった。



**



 「がぁああーっ、何言ってるんですかぁーーーっ! もっとよくわかるように、ですねえぇぇーー……」


 喚く轟鬼警部の手から、受話器が取り上げられた。

 黒服の青年……人質の関係者……が、受話器をひったくったのだ。

 電話の向こうの人質……唯一の女の子だ……と、青年は話し始めた。


「お嬢様、古海でございます。ご無事でいらっしゃいますね?」

「無事よ」

 スピーカーから、女の子の声が流れてきた。

 たった一人の女性の人質の声だ。


 ……無事だった。

 書店人質籠城事件対策本部代わりのバンに、安堵のどよめきが湧く。


「無事に決まってるでしょ。わたしに何かあったら、このクニは、滅びるから。わたしには、八百万の神の守護が……」

「それは悪魔でございますね、神ではなく」

青年は言った。

「それより直緒さんは? 立て籠もり犯の要望通り、単身、そちらへ向かった筈ですが」

「さらわれちゃったの」

「え?」

「さらわれちゃったのよ」


 典子は、ひとしきり状況を説明した。

 自分の機転で、男性人質の縄を解いたこと、


 ……ここでまた、バンの中に、どよめきが流れた……。


 人質男性の一人が、犯人を組み敷くところまでは成功した、

 ……また、どよめき……、

ものの、ほんのわずかな隙をつかれたこと。

 ……ざわめき。悲憤慷慨。


 籠城犯は、新たに現場へ向かった本谷直緒を、連れ去ったこと。

 未だに爆弾は仕掛けられたままでいること。

 そして、その起爆スイッチは、犯人の手の中にあること。

 ……。



「悪くなってるじゃないですか!」

古海は叫んだ。

「状況は、悪くなるばかりだ!」


 「まあまあ、古海君」

轟鬼警部は、古海の肩を叩いた。

「少なくとも、最初の人質たちにすぐに危険が迫る心配はありません。すぐに脱出してもらいましょう。機動班を突入させます」


「馬鹿な!」

古海は叫んだ。

「起爆スイッチは、犯人の手にあるんですよ? 高性能だと聞きました。直緒さんは犯人と一緒です。脱出できません! 直緒さんはどうなるんです?」

「いや、まあ、とりあえず、女性の人質だけでも救出しなければ」

 轟鬼警部は言葉を濁した。


 ついさっき、上から指令があったばかりなのだ。

 一乗寺典子の安全の確保を第一に考えよ、と。


 「だめです」

古海は、きっと、轟鬼警部を睨んだ。

「なんだかよくわかりませんが、直緒さんがさらわれた元凶は、お嬢様であることに間違いありません。他の人質の方々と一緒に、お嬢様にも、もう少し、建物の中に留まってもらいます」

「あんた、そんなこと……」

「下手に警察が入ったら、犯人を刺激することになりますよ!?」


 それは、轟鬼警部も心配していたことだ。

 機動隊が近づいたところで爆破でもされたら、警察にも被害が出る。

 いくら上からの命令だと言っても。

 仲間の命を、無碍にはできない。



 「爆弾……」

受話器を持ったまま、古海がつぶやく。

「犯人は爆弾を、書棚に仕掛けた。その場所さえわかれば。ああっ!」

両手で頭を掻き毟った。

「よもや直緒さんを連れて、爆弾のあるところへ!?」


「古海君、落ち着いて」

轟鬼警部が制する。

「南波は、起爆スイッチを持っているんだ。わざわざ爆弾の側へ行く意味はない」


 「心中するつもりなのかもっ!」


 電話の向こうから、不吉な声が聞こえた。

 通話はまだ、続いている。


「お嬢様っ! 言っていいことと悪いことがっ!」

「高性能爆弾なんですって。爆発させれば、建物のどこにいても、木っ端みじんなんだから」

「お嬢様、あなたもなんですよっ!」

「わたしは大丈夫。なにがあっても、わたしだけは大丈夫」

「どこからくるんですか、その、根拠のない自信はっ!」


受話器を両手でつかんで怒鳴りつけている古海の手から、警部は受話器を取り上げた。

「とにかく、落ち着いて。一乗寺さん、他の人質の方は?」

「元気よ。代わる?」


 人質の、木島という男性がでた。

 木島も、同僚の佐々江も無事だという。


「あっ! 池谷部長のロープを解くの忘れてた! 猿ぐつわをはめられたままだったんで、存在感がなくて……」

 3人はこれから、手分けして、爆弾を探しに行くという。


「いや、だめです、民間人の方に、そのような危険を冒させるわけにはいきません」

 ハンドフリーのマイクに向かって、轟鬼警部が叫ぶ。

 木島の声が返ってきた。

「女性が一人、連れ去られています。犯人を刺激させないために、まだ機動隊の突入はないのでしょう? だったら……」



 「警部さん」

古海が顔を上げた。

 憔悴しきった顔に、目だけが、異様な光を放っている。

「門壇社の新人賞に落とされた作品が、ヒントだって、言ってたんですよね? 犯人の男が」

「ああ、さっき解放された書店員の女の子たちが、そう教えてくれた。でも、100万語もある長大な作品だから……」

「ジャンルは?」

「え?」


「……門壇社の新人賞は、エンタメです」

電話の向こうで、木島が言った。

「エンターテインメント……」

「私達は、エンタメの棚が怪しいと考えています」

木島が言った。


 古海が首を傾げる。

「しかし、エンターテインメントといったら、書店で、最もお客の多い所ですよね。そんなところに、人目を忍んで爆弾を仕掛けるのは、難しいと思いますが」

「棚数も多いです。こちらは、池谷と佐々江と僕で3人。3人で探せば……」

「うちのお嬢様を抜かしてね。お嬢様と……、だめだ、考えなくては!」

「あの女性は……? 後から人質に召喚された、あの……」

「大事な人です。たとえようもなく。だから……、冷静に考えなければ」


「私達は、とにかく、エンタメ売り場へ移動します」

「木島さん。私は、分類番号を考えたのです。図書の十進分類法を」

「ああ、書籍を内容によって分類するアレですね。図書館で使ってる。ええと、エンタメは文学ですから、9、ですね。日本の小説は、913です」


 古海がうなった。


「913……、(くさった)(ヒモノ)(さん)。でも、(ひい)(ふう)(みい)(ひい)に、『ヒモノ』をあてはめるのは、無理があるか……」


 電話の向こうから、くしゃみが聞こえた。

「何だか悪口言われてるような気がするけど」

典子が言うのに、木島が何か、答えている。


「くそっ、わからない」

 古海は歯ぎしりした。


 「それにしても、南波は、なんだってまた、本谷さんを連れ去ったんだろう?」

傍らで、轟鬼警部がつぶやいた。

 古海が、きっと目を上げた。

「警部さん。直緒さんは、今、女性の格好をしているんですよ? それも、南波が憧れていた……」


がたんと立ち上がった。


「大変だ!」

「お、落ち着いて、古海君。君のカノジョの典子さんなら無事だ。今も、電話で話したばかりじゃないか」

「のりこ? お嬢様のことですか? 腐ったヒモノの? あなたね、何言ってるんですか!」


 轟鬼警部に詰め寄った。

 古海の方が、頭一つ分、背が高い。

 轟鬼警部の喉元を掴み、ぐいと引き上げた。


「爆弾立て籠もり犯なんかに、渡すもんですか。友達以上、恋人未満の……、やっとちょっとだけ、こっちを見てくれたのに」


 ぱっと手を放した。

 警部はよろめいた。


 「絶対、誰にも渡さない!」

 そう言うと、体当たりするようにバンのドアを開けた。

 警邏中の巡査が止める暇もなく、走り出し、黄色いテープを飛び越えた。


「撃つなっ、あれは南波の仲間じゃない。SATの隊長に連絡しろ! 撃つな、撃つなと言えっ!」

立ち上がり、警部は絶叫した。



 書店の入口は閉まっていた。

 黒服の青年の姿は、ビルの裏手へと消えた。







直緒がアテウマと言われた件は、2章「攻め×攻め+当て馬」を、ご参照下さい。

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