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ヒモノ女子は優雅に腐る  作者: せりもも
第5章 歴女もオジサマもひっさらってBLへ

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第31話 人の告白を忘れるな




 大河内先生は、BLを書くことを承諾して下さったが、直緒は、すっきりしなかった。


 何より、あの説得の仕方では。

 典子の説得は、半ば、恐喝ではないか。


 私立探偵を雇って、息子の性癖を調べ、それをネタに脅すなんて。

 しかも、直緒自身、エサとなって、息子義元の目の前に吊るされたのだ。


 その上、その上だ。

 自分は、エサとして機能してしまった……。


 ショックだった。

 だが、それ以上に、先生は、BLの素晴らしさを納得して、承諾して下さったのではない。


 そこが、直緒には、引っかかっていた。


 

 幸い、モーリス出版の仕事は、比較的落ち着いていた。

 進行表を見ながら、典子がつぶやく。


「直緒さんはしばらく、大河内先生のフォローに専念ね。くりいむメロン先生の原稿がまだ上がっていないから、余裕、あるでしょ」

「メロン先生の担当、僕に任せて下さるんですよね!」


 くりいむメロン先生は、初めて直緒が惚れた作家さんだ。

 最初の原稿依頼には、直緒が行った。

 その時には断られてしまったのだが、結局、先生は、依頼を受けて下さった。


「もちろんよ。でもまあ、先生もお忙しい折だから……」

典子の言い方は、妙に歯切れが悪い。


「僕に手伝えることがあったら、なんでもします!」

 先生の作品に救われた直緒だ。

 次の作品を、本当に心待ちにしているのだ。


 しかし典子は言った。

「あら、だめよ。だって、メロン先生は新婚さんでしょ?」

「あ……」

「気長に待ちましょ」


 そういうわけで、直緒は、大河内先生の元へ、足繁く通い続けた。



 家政婦さんは、いつも歓迎してくれた。

 行くたび、露骨に体……指先や肩の辺り、髪など……に触れてくるのには、閉口したけど。


 大河内自身は、さすがに、玄関先で突き返すということはなくなった。

 渋い顔をして、直緒は見る。


 ……疑われてるな。

 直緒としても、そう思わざるを得ない。


 しかし、自分から、僕は男に走ったりしてません、とは、言いにくいものがある。

 女性が好きです、って言うのもまずい気がする。



 「……君は、義元のこと、どう思うか」

ひとしきり、原稿の進み具合を確認した後、大河内が尋ねた。

 さり気ない風を装ってはいたが、声が、微かにかすれていた。


 「おうちに帰ればいいのに、って思います」

シノプシスのノンブルをそろえながら、直緒は答えた。

 本心だった。


「なぜ?」

「だって、こんなに愛してもらってるのですから」

「愛して?」

「あ。変な意味に取らないで下さいよ。お父さんの先生が、息子の義元君を、です」

「変な意味になど、取るものか。君も、あんな編集長の下で働いていると大変だな。……私が、息子を愛している、と? そんな風に見えるのかね?」


「ものすごく腐っているけど、これ以上ないくらいピュアな人ですよ、うちの編集長は。……だって、先生は、義元君の為に、この企画を受けて下さったのでしょ? 彼のプライバシーを穿鑿されない為に」

「あのお嬢さんは、危険だ。君も、親からもらった体は、大事にしろよ。……私は、君が思うほど、いい親ではなかった。父親が剣豪小説を書いてるせいで、ひ弱なあいつは、よくいじめられていたらしい」


「典子さんは、仕事熱心なだけです。本当は、素敵な女性なんです。腐ったヒモノだけど。……義元君は、ひ弱なんかじゃ、ありません。優しいだけですよ」

「君は、しっかりしているな。一本、スジが通っている。時代小説を愛するおじいさんに育てられたせいだろうか。……そんなあいつに、私は、いじめられたら、やり返してこいって、言ってしまった。やり返してくるまで、家には入れない、と」



 「そんなことが」

直緒は言った。

「でも、多分、彼はもう、気にしていませんよ」


「なぜ、そう思う?」

「彼、とてもおしゃれだったし。僕へ声をかけるのも、凄くスマートだった。まるで知らない人間なのに。彼は多分、自分を受け容れたんですよ」

「自分を? 受け入れた?」

「だから、親を受け容れるのも、もう、すぐです。そう、思いませんか?」

「私が、こんな小説なんか書いてなかったら、あるいは、義元の人生も違ったものに……今もこの家で、一緒に暮らしていたかもしれない」


「そんなこと……」

 うな垂れる作家を前に、直緒は、何と言っていいか、わからなかった。



**



 二度と来ることはないと思っていた店の、重いドアを、直緒は開ける。

 止まり木に近づくと、バーテンダーが、笑顔を向けた。

 すぐに、仏頂面になる。


「大丈夫。今日は一人だから」

直緒が言うと、安心したようにシェーカーを振り始めた。



 義元は、前と同じスツールに座っていた。

 直緒は、その隣の席に滑り込む。

 ジントニックを注文した。


 「口説いてるの?」

義元が言った。


「なぜそう思う?」

「前と同じ。もじもじ、もじもじ。あなたね。気をつけた方がいい。その態度、口説いているようにしか、見えないから」

「口説いているんだ」

「……え? まさかフられたの? あの女のコの話では、すごく素敵な恋人がいるってことだけど」

「典子さんの言うことは、真に受けない方がいい」

「じゃ、とうとう、下になる決心がついたとか?」

「違う! そういう話じゃない!」


 直緒は思わず、大声を出してしまった。

 バーテンダーに睨まれた。


「……じゃ、上? 僕、あなた相手に、下は、ちょっと……」


「違うったら」

直緒は言った。

「大河内先生が……君のお父さんが、今、困ってらっしゃる」


「あんなやつなんか……」

「うちの会社で、BL作品を頼んでね、」

「……ケッサク!」

「時代小説BLだ。うちとしても、新たな可能性への挑戦になる」

「マジか?」

「新しい読者を開拓するんだ。BLを文学に。それが、僕らの目標なんだ」

「……」


「先生、書けないで困ってる。知らないことが多すぎて」

「そりゃ、そうだろうよ……」

「でも、君には、知らない世界じゃないよね」

「……」

「君のよく知っている世界だ」



 そこから先のことは、直緒は知らない。

 ただ、何日か経って、再び大河内宅を訪れると、息子の義元がいた。

 応接間いっぱいに、父親と二人で、本やら紙やらを広げていた。

 直緒が声をかけると、そろって、こちらを向いた。

 よく似た顔が二つ、笑みを浮かべていた。



**



 「あら、いらっしゃい」

もう脱稿も近いという頃。

 直緒が大河内邸を訪れると、転がるようにして、家政婦さんが出てきた。

「あのねあのね。すごいイケメンが来てるの!」


 ひどく興奮している。

 家政婦は、かなり高齢だ。

 血圧が、直緒は、心配になった。


「イケメン? 義元君の友達ですか?」

「ちがうちがう。あの人、モッチーの知り合いでしょ?」


 不本意だが、モッチーとは、直緒のことである。

 「本谷」という姓が、どうすれば、モッチーになるのか謎だったが、とにかく、この家政婦の頭の中では、そうらしかった。


 年寄りのことだから、多少のことは、大目に見てやってくれと、大河内先生に言われている。



 「君が担当で、よかったよ」

しみじみと、大河内は言ったものだ。

「おかげで、彼女も、幸せな老後を送っている」


 軽く、直緒は失望した。

 どうせなら、編集者としての力量を褒めて欲しかった。


 大河内は続けた。

「なにせ、妻が死んでから、ずっと、私を支え続けてくれた女性だからな。幸せでいてもらいたいんだ」

「そりゃ、なによりです。でもなんで、僕が担当だと、先生の家政婦さんが、幸せになれるんです?」

「彼女は、美男子が好きだからな。君は、ほら、他に類を見ない、二枚目じゃないか」


 あるいは、義元が男に走ったのは、この家政婦に育てられたからかもしれないと、直緒は密かに思ったものだ。



 家政婦の鼻息は荒い。

 「あんなイケメンの知り合いがいるのに、モッチーったら、水臭い。もっと早く、連れてくればよかったのに」

「いったい誰が来てると言うんです?」

「印刷とかの話をしてたわよ。モッチーの仕事仲間でしょ?」


 さては、時代小説の版元に嗅ぎつかれたか?

 直緒はひやりとした。

 BL出版社(モーリス)が原稿を依頼していることが知れたら、要らぬ横槍を入れてくるかもしれない。


 「ヨシ君も来てるの。みんなで、座敷にいるわ」




 お茶を淹れ直すという家政婦と別れ、直緒は、一人、応接室に向かった。

 さわやかな季節のことで、障子は開け放されていた。


 庭の緑が濃く映る和室にいたのは、大河内と、義元と、そして……。

 そして……。


 直緒は、心臓が止まる気がした。

 黒いスーツに、短い黒髪、銀縁の眼鏡が薄く光を反射している。

 端然と正座して、座卓に広げられた資料を見ていた。


 直緒の呼吸が浅くなり、頬が紅潮した。


 大河内が、ちらりとこちらを見た。

 「わしはやっぱり、本谷君に内緒で、これ以上進行させることはできない」

そう黒服の青年に告げた。

「もし、どうしてもというのなら、私は降りる」


古海の目が、まっすぐに直緒を射すくめた。



 それから先のことは、大河内が説明してくれた。


 一乗寺建設創業110周年。

 その記念品として、典子の父、一乗寺社長は、自分の好きな作家に、本を一冊、書いてもらうことにした。

 白羽の矢が立ったのは、時代小説家の、大河内要だ。


 しかし、なにをトチ狂ったか、この親馬鹿社長は、その本の編集を、娘の典子に一任したのだ。

 もちろん、典子は、大河内に、BL小説を依頼した。しぶる大河内に、多少、手荒な手段を用いて、BLを書くことを承諾させた。


 その間、古海が全く異議を申し立てなかったのは、おかしいと言えば、おかしかったのだ。


 典子は、もっと疑ってかかるべきだった。


 古海は、陰で暗躍していた。

 すぐに大河内にコンタクトを取り、普通の剣豪小説を依頼した。

 紙の本になり、一乗寺建設の創業記念として配られるのは、当然、剣豪小説の方だ。


 BL本ではなく。



 「そんなの、典子さんにバレないわけ、ないじゃないですか!」

思わず、直緒は叫んだ。


 「バレてもいいんです。本さえできてしまえば、お嬢様が、後から、泣こうが喚こうが」

冷酷極まりない顔で、古海が答えた。

「由緒ある一乗寺グループの創業記念に、まさか、BL本を配布するわけには、いかんでしょうが」


「ですが!」


「一乗寺社長だって、BLが何かわかれば、きっと、お止めになったはずです」

「でも、……だからって。全て内緒で……」

「敵を騙すには、まず味方から。とは申せ、本谷さんには、本当に、申し訳ないことを致しました」

「……ひどい。古海さん、ひどいです……」


 今も、大河内の原稿を楽しみに、会社で待っている典子のことを、直緒は思った。


 時代小説BL。

 新しいジャンルへの挑戦だと、目を輝かせていた典子。

 時代小説ファンを根こそぎもってくるのだと、闘志を燃やしていた……。



 「本谷君。君を騙していたのは、私も同じだ」

大河内が言った。

「古海君は書かなくていいと言ったが……。私からのお詫びだ。一乗寺家の原稿とは別に、お嬢さんへ渡すのは、ちゃんと書いた。ご注文通りのやつだ」

「先生、それって……」


 「親父は、BLを書いたんだよ」

それまで黙っていた義元が口を挟んだ。

 とても誇らしげだ。


 大河内が頷いた。

「これを、モーリスから出して欲しい。もちろん、大河内要の名で。そして……」

ちょっとためらった。

「協力者に、息子の名を添えて欲しいんだ」

「親父……」

「うむ。お前もペンネームを考えるか?」

「そうだね。今河義元じゃ、かえって、嘘っぽいもんね……」


 直緒は、胸がいっぱいになった。


「君は、フリーの編集者に外注すると言っていたけど」

大河内が、古海に言った。

「私は、本谷君に、原稿のチェックをお願いしたい。お嬢さんの分はもちろん、一乗寺家に渡す方も。両方とも最後まで」


 古海が、ぱっと顔を輝かせた。

 だが、一瞬だけだった。

 直緒がはっとしたときは、もう表情を消していた。


 無表情のまま、彼は頷いた。


 大河内が直緒に向き直った。

 「どうだ、本谷君。やってくれるか? それとも私は、君の信用を失ってしまったのだろうか」


「光栄です」

本音が、言葉になって零れた。

 直緒の声は震えていた。



**



 印刷所へ行くと言って、古海は、早々に退席していった。

 大河内も書斎にこもり、義元だけが残った。


 「でも彼は、野獣系じゃないよね」

二人きりになるのを待っていたように、義元がささやいた。

 納得いかない、という表情だ。

「あの人は、襲いかかるタイプじゃない」


「当り前じゃないか」

びっくりして直緒は言った。

「古海さんは、そんなことはしないよ。てか、野獣系って、なんだよ」


「典子さんが、親父に言ってたそうだよ。本谷さんには、野獣系で頭の切れる恋人がいるって」

「だ、誰だ、それは?」

「とぼけなくてもいいじゃん。でも、僕、言ったよね。恋人が少しでも隙を見せたら、奪いに行くって」

「……覚えてない」

「言った。言ったから!」


 そういえば、もうひとつ、懸案事項があった……。

 直緒は思い出した。

 だが、久條の所へ出向くのは、まだ先の話だ。

 だいたい、企画自体が、まだ、まとまっていない。

 実録物でないのだけは、確かだが。


 大河内先生の、表と裏、二冊の本。

 それから、くりいむメロン先生。

 久條は、その後だ。


 とりあえず、先送り。

 その間は、忘れる。

 それが、編集者としての、直緒の処世術だった。



 「人の告白、忘れてんじゃねえよ」

傍らで、義元がすごんだ。

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