第24話 腐っているけどピュアな人
「で、久條先生、書いてくれるって?」
薄いピンクのブラウスに身を包み、フリル過多のスカートを揺らしながら、典子が近づいてきた。
「……」
直緒は無言で典子を見た。
典子が戸惑ったように、小首を傾げる。
「えと。直緒さん、機嫌が悪いの?」
「あたりまえです!」
思わず強い調子で言った。
「いいわけないでしょ。ってか、BLの実録モノってなんですか? 僕、聞いてませんから。モーリスで書く代わりに差し出すって、僕は、人身御供ですかっ!」
直緒が食ってかかると、典子は目を輝かせた。
「どうだった? 久條先生の野獣ぶり。堪能した?」
「た、堪能?」
いきなり押し倒され、上にのしかかって来られ。
ソファの上だったけど、ごわごわした生地にこすれ、肘がひりひりした。
……俺は断じて、か弱い女性相手にこんな狼藉は、
……絶対絶対、死ぬまでやらない!
直緒は、固い決意を固めた。
いい位置にあるので、蹴り上げるのは簡単だった。
しかし、これからモーリスで書いて頂く大事な作家先生に、そのような致命傷を負わせていいものか。
今まで自分が愛読してきた小説の、作者に。
迷っている間に、唇が降ってきた。
両手でそれをブロックし、直緒は下から頭突きをかませた……。
……。
……どうしよう。
……次に行ったとき、何と言ったらいいか。
……。
直緒の懊悩に、典子は気づきもしない。
直緒も典子に、相談する気はなかった。
初めて担当する作家。
ずっと愛読してきた作家。
……それに先生だって、本気じゃなかったはず。
この期に及んでまだ、直緒は、そう信じていた。
典子が、胸の前で両手を組んだ。うっとりとつぶやく。
「先生ったら、傍らに受けがいたら、襲い掛からずにはいられないのね。でも、受けのいやがることは絶対にしないの! そこ、ポイントよ。だって、攻め様は、受け君を愛しているからっ! 愛よ、愛! 愛があるんだわっ!」
「また、腐った妄想を!」
カバンから資料を取り出しながら、直緒は言った。
夢見がちな瞳で、典子は続ける。
「たとえカラダが先でも、そこに心があれば」
「違います! 僕と先生の間には、何もありませんでしたからっ!」
「あら、そう? つまらないの。大丈夫、スケジュールのことなら心配しないでいいのよ?」
「僕は受けではありませんし、実の所、先生が攻めかどうかは、知りたくもありません」
深呼吸した。
「それなのに僕を生け贄に差し出すなんて。そうまでして、久條先生に書いていただく理由が、典子さんには、あるんですか?」
「それはっ! わたしはかねがね、純文学作家としての久條先生のご著書に、深く感銘していたのっ! だからっ!」
「嘘ですね」
冷たく突き放すように直緒は言った。
「先生のご本なんて、一冊も読んだことはないくせに」
実際、直緒は、BL以外の本を読んでいる典子を見たことがない。
つまり、それだけ、仕事が忙しいと言うことだと、理解している。
が、
「ご自分の会社で書いて頂くおつもりなら、先生のご著書を読んでおくべきです。デビュー作と話題作、それから、直近の本を数冊。せめてそれくらいは」
正論を吐いた。
典子は、ぷうーっと膨れる。
「直緒さん、ひどい! わたしだって読もうと努力しているのに! でも、作品の中に女の人が出てくると、急に眠くなってしまって……」
女性が登場した途端、興味が殺がれるのだという。
直緒は呆れた。
「世界の人口は、男と女で、ほぼ二分されるんですよ?」
「でも、文学の世界は、男性×男性で、十分じゃなくて?」
「……僕はそうは思いませんけど!」
直緒が言うと、典子は、机の上の本を指さした。
「ほらね、久條先生の御本。今も読もうと努力してたのよ! でもね、ふああああ~」
こらえきれず、大あくびした。
思わず直緒はつぶやいた。
「それでよく、先生のご本を出そうと思いつきましたね」
「あっちから書くっていってきたのよ。モーリスで書いてやるから、本谷を寄越せって」
「よ、寄越っ……」
「でも、いい話じゃない? 純文学の人気作家が、モーリスで書いてくれるのよ! これは、話題になるわ! BLを、書店の、日の当たる文学の棚に並べるというわたしの野望が、一歩前進するのよ!」
「その為に、部下を生贄として差し出すんですかっ!」
「……いやなの?」
急にしょんぼりとして、典子が尋ねた。
「いやなら、無理にとは言わないわ。こういうことは、相性が大事だから」
そう言って、うふふ、と笑った。
なんてかわいらしく笑うのだろうと、直緒は思った。
だから、倒置法を用いて典子がつけ足した言葉を聞き逃した。
「カラダの」
先の問いに、直緒は答えた。
「いやではありません。久條泰成は、僕の憧れの作家です」
どんなに性格に問題があっても、彼の作品の価値が変わるわけではない。
それに臼杵の言うとおり、直緒は、文藝の仕事がしたかったのだ。
BLを文学に。
それは、典子の野望であり、彼の望みでもある。
「それでこそ、私が雇った人だわ!」
典子が手を打った。
「BL発展の為に、直緒さん、頑張って!」
「……」
顔だけで、自分を採用したわけじゃないんだ。
そう、直感した。
胸が熱くなった。
「どうしたの、直緒さん? 板チョコ一枚、丸呑みしたみたいなヘンガオしてるわよ」
「ヘンで、悪うございましたね。僕はてっきり、編集長が、僕の……僕の、容姿だけ見て、採用したと思ってたものですから」
「養子? 直緒さん、養子だったの?! もう決まった人がいたのねっ!」
「容姿ですっ!」
日本では同性婚は認められていない。
だから法的な権利を担保する為に、カップルで養子縁組をする。
ということを、直緒はつい最近知った。モーリスのBL小説を校正していて。
究極の愛を囁く(もちろん男同士で)場面で、唐突に出てきた「養子」という言葉に違和感を覚え、調べたのだ。
「決まった人なんかいません! 典子さん、臼杵さんに言ったんでしょ? びけ……顔で選んで紹介しろって」
さすがに自分のことを「美形」というのは、ためらいがあった。
男だし。
「わたしが直緒さんを雇ったのはね」
おっとりと典子は続けた。
「言葉に対する誠実さがあったから。わたしが、男のあなたを『美人さん』と言ったら、微妙な顔をして直したでしょ。面接官の言葉を校正するなんて、これは、頼りがいがあると思ったのです!」
直緒は面食らった。
「それはどうも」
「直緒さん、知ってます? Hシーンでは、誤りが見つけにくいのです」
「え?」
「もうね。手が3本あるとしか思えない抱擁とか、首が180度回ったんじゃないのというようなキスとか。あとベッドでも……」
「の、典子さん、もういいですっ! もういいですからっ!」
「校正者が、内容に夢中になって、仕事を忘れてどうする、です。モーリスの本にそのクオリティーは許せません! 最高の作品には、最高の入れ物を。だから直緒さん、あなたに期待してます!」
「……はい」
「そして、赤ペンを武器に、出版業界と戦うのです! 直緒さん! あなたはわたしの戦友です!」
……そういえば、面接の時、そんなことを言ってっけ。
……どこまでもブレない人だ。
そんなところも、直緒には好ましかった。
「でもね。正直言うとね」
典子は、また、ふふふ、と笑った。
「身近に美形がいて、それはそれは幸せです。いろいろ想像できて、毎日楽しくて」
「妄想でしょ。想像じゃなくて」
直緒はつぶやいた。
腐ってるけど。
これほどピュアな人を、直緒は知らない。
だから。
……自分は、この人についていく。
……限度はあるが。




