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ヒモノ女子は優雅に腐る  作者: せりもも
第4章 一乗寺家の舞踏会

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第21話 ラストダンス




 不意に、直緒の上を覆っていた影がなくなった。

 「失礼、久條くじょう先生、あなたの順番は終わりました。私が、ダンスを申し込む番です」


 黒のタキシード姿の男が立っていた。

 同じく黒の蝶ネクタイ、腰につややかなカマベルトを巻いている。

 短い髪は、オールバックに流されていた。直緒と同じベネチアングラスをつけている。


 「久條……先生?」

直緒ははっとした。

 久條泰成(たいせい)


 見たことがある筈だ。

 有名な純文学作家だ。


 まだ20代なのに、文学賞を総なめにし、今、最も売れている小説家である。

 彼の作品は、出版されるそばから映画やゲームにタイアップされている。

 まさに、斜陽産業である出版業界の、救世主のような存在だ。


 今の状況も忘れ、思わず直緒は叫んだ。

「ぼ、ぼく、あなたのファンなんです!」

「なら、おとなしくキスさせろ」

「だめです!」

タキシードの男が短く言った。


 久條は、タキシードの男に向きなおった。

 にやりと笑った。


「やるか?」

「望むところです」


 ……なんか間違ってる。

 ……なんか、いろいろ、間違ってる。


 直緒は、激しく混乱していた。

 直緒の27年の歴史の中で、戦うのは、常に自分自身であったはずだ。


 自分の為に。

 自分の信じるものの為に。

 守るべき何かの為に。


 それなのに、彼の足は、緑のドレスに阻まれ、自由に動かすことができない。

 そして、見知らぬ男が2人、戦おうとしている……。

 直緒をかけて……。


 自己認識崩壊。


 その時、からからと激しい笑い声がした。

 アクアブルーのカクテルドレスを着た女性が、よろよろと近づいてきた。

 両手で大事そうに、何かを抱えている。

 酒瓶だ。

 女性は、ひどく酔っているらしい。

 一際大声で笑いながら、女性は、瓶の口を、久條に向けた。


 大量の泡が、勢いよく飛び出した。



**



 あ、あれ……?

 あのタキシードの男……。


 古海さん?


 その少し前、ユウナを、ダンスホールに連れてきたもなみは、目を疑った。ユウナは、さきほど、金切り声をあげて久條を罵っていた女性だ。


 おもしろいように、酒を煽って、いい具合に酔っぱらっていたから、ダンスホールに連れてきた。

 本谷に向けられた久條の注意を、ユウナにそらしてもらおうと思ったのだ。



 その久條は、男と向き合っていた。髪型が違い、顔は仮面で覆っているが、古海とよく似た男だ。そういえば、さっきからずっと、古海の姿が見えなかった。

 間違いない、これは、古海だ。


 ……ああ、バレちゃったな。

 もなみは思った。当然だ。古海に、本谷であることがわからないはずがない。それ以前に、この美女(?)がお嬢様であるなどと、老獪な彼が、騙されるわけがない。


 ……あれ?

 それにしても、彼はなぜ、仮面をつけているのだろう?


 今、このダンスホールで仮面をつけているのは、そして、典子にダンスを申し込むことができるのは、一乗寺社長が、娘の求婚者と認めた男性だけだ。


 ……ということは、古海さんは、典子お嬢さんと、交際する許可を与えられている?

 もなみは、ぎょっとした。

 ……まさか。

 ……ありえないでしょ。ふつう。ってゆーか、あの人……。



 古海には、得体のしれないところがあった。

 出自にしても、謎である。

 なんでも、一乗寺社長が海外を視察していた時、その才能を見込まれ、スカウトされたという噂だ。


 一乗寺建設でばりばり働いていたところ、典子お嬢様が別邸へ移るに際し、家令に任命されたとも。

 有能さが災いしたのだと、漏れ伝わっている。


 多くの社員に惜しまれつつ、古海は現場を離れた。

 だが、彼を惜しむ社員の声は多く、今でも、お嬢様のお世話の傍ら、会社経営に参画しているらしい……。


 って。

 ということは。

 最初から社長は……。



「あ。あいつ~。女は嫌いだとか言って~。女に手を出そうとしてる~」

ユウナが、けたけたと笑った。

「やっぱり女が好きなんじゃん」

「そうそう。大抵の男は、女が好き」

もなみは言った。


 気を取り直して、シャンパンの瓶を振る。

 いや、あの男性が古海だと決まったわけではない。

 ただ、雰囲気が似てるだけなのかもしれない。

 目元を覆うベネチアングラスのせいで、顔はよくわからないのだ。

 ただ、もし古海だとしたら……。


 対するイケメン氏は、鍛えられた大柄な体つきをしている。

 古海が得意とするのは、剣道と居合術。

 エモノがなければ、恐らく、あのイケメンには勝てないだろう。

 もちろん、古海に似たタキシード姿の男は、丸腰だ。

 それなのに、自分よりよっぽど大きいイケメンと、あんなふうに、睨みあっちゃって。



 ユウナが、手を打って笑い出した。

「タイセイは、お酒も好きだよ~」

「そうだよね」

さらに一層激しく振ってから、もなみは、瓶をユウナに押し付けた。

「じゃ、これ、あげてきたら? 彼、喜ぶよ、きっと」

「ああ? ピンクのお酒?」

「そうそう、ピンクのお酒」

「そっか。あんた、気前いいねっ」

「それほどでも」

「よし。ふんじゃ、行って来る」

酒瓶を持ってふらふら歩きだしたユウナを、もなみは背後から見送った。


 ユウナは、よろめきつつも、最短距離で久條に近づいていく。

 作家を確実に射程範囲に捕えると、笑いながらシャンパンの瓶を傾けた……。



**



 シャンパンの泡塗れになった久條を、パーティースタッフ達が、寄ってたかって、連れ去った。

 騒ぎを起こした女性は、高笑いしながら、楽しそうに後についていった。


 直緒と、仮面をつけたタキシード姿の男性だけが後に残された。

 男が、自分を見下ろしているのを感じる。

 椅子に座り、俯いたまま、直緒は、顔を上げることができない。


 さっき、この人の口から、久條先生の名を聞いた時は、ショックだった。

 あんなに繊細で、美しい小説を書く人が、まさか野獣系だったなんて。


 ホールはざわついていた。

 一瞬、聞き間違えたのかと思った。

 でも、確かにその顔は見覚えがあった。

 雑誌のグラビアで。

 インターネットの著書紹介で。

 大好きな作家だった。

 思わず、ファンだと名乗ってしまった。

 だが……。


 ……あんな風に、壁に押し付けられて。

 ……キ、キスをせまるなんて……

 ……俺は男だ。男なのに。


 頬が赤らんでいくのがわかる。

 腫れたようになった顔を、上げることもできない。

 ギャラリーの視線を、痛いほど感じる。

 ホールだけではない。

 ホールを見下ろす回廊からも、降るように視線が落ちてきて、直緒に突き刺さる。


 恥ずかしかった。

 いっそのこと、スライムになりたい

 スライムになって、フロアの上をどろどろと流れ、消え去ってしまいたかった。


 ふと、ざわめきがやんだ。

 間隙を突いたように、柔らかな音楽が流れ込んできた。


 ……この曲は、知っている。

 ……切ないほどに優しい、心に沁みるようなこの曲は……。


 直緒の目の前に、タキシードに包まれた腕が差し出された。

 驚いて見上げると、ベネチアングラスをつけた顔が、微笑んでいた。


 「……」

 男は無言で直緒の手を取り、立たせた。

 改めて、胸に手を当て、腰を折る。

 そのお辞儀に、見覚えがあった。


 ……助けてくれた?

 ……どこか見えないところで見守っていて、助けにきてくれた?


 ベネチアングラス越しに、男の目が、直緒の瞳を捕えた。

 硬質の光が、ふっと和らいだ。

 男の口元に微笑が広がる。

 催眠術をかけられたようだった。

 直緒は、男の手に自分の手を添えた。



**



 ……まるで、鹿鳴館のよう。

 ダンスホールにいた中山夫人は、ため息をついた。


 もちろん彼女は、直接、鹿鳴館を知っているわけではない。鹿鳴館は、明治時代の政府肝入りの社交場だ。中山夫人はそこまで、年を取っていない。まだたったの、八十二歳だ。


 にもかかわらず。


 春の花を思わせる可憐なお嬢さんと。

 (ベネチアングラスは邪魔だったけど)すらりとした玲瓏たる美青年。

 音楽に合わせ、滑るように踊る二人は、天上の存在のように、美しかった。


 ダンスの前の寸劇も楽しかった。

 全てをプロデュースした一乗寺社長。

 ただものではない。


 ……映画のワンシーンのよう。

 ……私の若い頃には、なかったことだわ。

 ……ほんと、うらやましい。


 若き日に中山夫人が踊ったのはフォークダンスくらいのものだった。

 同じダンスなのに、雲泥の差だ。

 中山夫人がもう10歳ほど若かったら、優雅に踊る若い2人に、嫉妬したかもしれない。


 けれど。

 今は、美しいものは、素直に美しいと感嘆できる。

 心の宝箱に収めた冥途への土産話が増えた気分である。

 死んだら夫に話してやろうと思った。


 因みに、彼女の夫は、健在だ。だが、賑やかな場へ出ていくのをおっくうがるようになっていた。そして、妻のおしゃべりを、全く聞かない。夫に話を聞かせることができるとしたら、それは、冥途へ行ってからのことだろう。

 ……それまで、しっかり覚えていなければ。まずは、よく、見て。


 さらに細かく観察する為に、中山夫人は、身を乗り出した。その時。


 ぽた。

 上から何かが降ってきた。


 ……?

 上品な白髪に当てた手を下ろしてみると、……。



**



 「さ、お嬢様。行きますよっ!」

回廊の手すりを乗り出すようにしてダンスを見物していた典子の肩を、もなみはたたいた。

 「いや。もっど見る……」

典子が振り返った。


 「うへえ。お嬢様、鼻血、ひどくなってますよ……」

「ぞお?」

「ドレスにまで垂れてしまって。これ、落ちるかな?」

「いいの。そんなことより、モナぢゃんも見でごらんなざいよ。なんで素敵ずでぎ……」

典子はまた、手すりから身を乗り出す。


 つられてもなみも、ダンスホールを見下ろした。


 ……確かにこれは……。


 おとぎの国のダンスパーティーだと、もなみは思った。

 幼い子供だった頃、保育園の先生が読み聞かせてくれた……。

 都合のよい男がいたころ、一緒に行ったテーマパークのお城。

 そこにいるはずの姫と王子様。


 違うのは……。

 ここ、一乗寺家で踊っているのは、2人とも男だということだ。


「お嬢様、しっかりしてください。あれ、本谷さんですよっ! お相手は、たぶん、あなたの大嫌いな、萌えの敵、あの古……」

もなみが言いかけたその時……。



 「ぎゃーーーっ! 血っ! 血よっ!」 

 下から、すさまじい悲鳴が上がった。

「上から血が降って来たわ!」

「あっ! 化け物!」

数人が、こちらを指さしている。

「あそこに、血だらけの化け物がいるぞっ!」



 「うわっ! まずっ!」

もなみは、慌てて典子の手を引いた。

 できたら、横抱えにしてでも連れ去りたかった。


 「いやらっ! 見るっ! もっど見るっだら!」

 典子がじたばた暴れる。

「もはやそういう状況ではありません!」

「萌えがっ! わだぢの、萌えがっ!」

「そんなこと、言ってる場合じゃないでしょうが!」



 ダンスホールは、混乱のるつぼと化していた。

 ホール上の回廊の客たちも、恐怖に満ちた目で血だらけの典子を見つめている。

 そしてその隣の、血相を変えたメイドをも。


 典子ともなみが走り出すと、あたかもモーセを通す紅海の如く、人波はぱっくり二つに割れ、道ができた。

 まさに選ばれた民となって(って! 選ばれたくなかったよ、と、もなみは思った)、二人はそこを駆け抜けていく。



 「待っで、待っで!」

回廊を抜けたところで、典子が立ち止まろうとした。

 「はあ? 待てるわけ、ないじゃないですか。お嬢様が一乗寺家令嬢だとバレたら、会社の信用にかかわります。株価が暴落し、大勢の社員が路頭に迷います!」

「だっで……これじゃ。走れな……」


 典子が急停止する。

 しばらくぜいぜいと肩で息していたかと思うと、急に身を捩り出した。


 「お嬢様っ!」

もなみはぎょっとして典子に駆け寄った。


 その時、典子の足元に、ぽたりと何かが落ちた。


「ペチコート……」

「だいぢょぶ。モナぢゃん、ごれではじれるから」

そう言うと、しぼんだピンクのスカートをまくり上げた。

「……ガラスの靴を落していったお姫様の話なら知ってますが……」

 呆れたことに、スカートの下からのぞけた二本の足には、スニーカーが履かれていた。


 「ざあ、行ぎまじょう」

典子は、たかたかと走りだした。

 「……ペチコートを落して走り去って行く令嬢の話は、初めてです……」

残されたもなみはつぶやいた。


 そしてペチコートを拾い上げ、典子の後を追った。



**



 オーケストラの演奏が、媚薬のように体の隅々にまで、流れ込んでくる。

 たくましい腕に導かれるように、ただひとつのミスもなく、ステップを踏む。

 息を切らせることはない。


 パートナーのリードは完璧だった。

 まるで夢の中のように、ただひたすら、フロアを滑って行く。

 直緒は、自分の全てを委ねる心地よさに酔っていた。


 こんなことは初めてだった。

 赤の他人に、自分を任せるなんて。


 引き寄せられてターンをした時、直緒の目が、相手の左の耳たぶに止まった。そして、そこから目を離すことができなくなった。



 曲調が変わった。

 広げた両手に、ぐっと抱きしめられる。

 見上げると、薄い唇が、柔らかく微笑んだ。

 ベネチアングラスの向こうの切れ長のまなざしが、優しく見守っている。


 ホールの喧騒も、回廊の騒ぎも、踊る2人の耳には、なにひとつ、届かなかった。



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