第17話 肉食系メイド登場
「ほおら、お嬢様。まあ、なんておきれいなんでしょう」
一乗寺家別宅のメイド、篠原もなみは、お世辞を言った。
きれいなのはドレス、アクセ、靴。
エステに美顔、その上で、有名皮膚科医推奨の高級ファンデを塗っている。
髪の毛のセットは、予約半年待ちというカリスマ美容師によるものだ。ちなみに、VIP待遇で、毎回、予約要らずで指名している。
これで、きれいにならない方が、どうかしている。
ここまでしてもらえるこのお嬢様は、なんと幸せな境遇なのだろう。
お母さんは亡くなっていて、今のお母さんは、義母だと聞いている。お父さんや腹違いの弟さんとは別居状態。
その事実を割り引いても、うらやましいと、同じ年頃のもなみは思う。
「……」
なのに、この令嬢は、仏頂面である。
頬杖をついて、窓の外を眺めている。
ここは、一乗寺家本宅。
もうあと一時間もすれば、海外からの賓客を交えてのパーティーが始まる。
それまでに、一乗寺家令嬢、典子のお支度が、なんとか済んで、もなみとしても、ほっとしている。
……この1ヶ月間、お嬢様をエステへ連れて行こうとして、途中で何度、逃げられたことか。
……美容室に送り届けたはずのお嬢様を、何度、オタク系の本屋に探しに行ったことか。
……そして、風呂! 汚部屋となりはてたあの部屋から……どうやれば、あそこまで散らかすことができるというのか! ……汚部屋から引きずり出し、お湯に漬け込むまでの、なんと困難で危険なミッションだったことか! ……毎回、もなみの両手は、ひっかき傷だらけになった。猫を入浴させる方が、まだ、たやすいくらいである……
だが、全ては、過去の笑い話である。
無事、この日を迎えることができて、本当に良かった。
世話の焼ける令嬢を、ここまで仕立てることができて、もなみは、自分を褒めてあげたい気分である。
遠慮がちにノックがした。
もなみが返事をすると、お嬢様の部下の、本谷が入ってきた。
イケメンで、優しい。
以前、本谷は、両手にいっぱい洗濯物を抱えていたもなみの為に、ドアを開けてくれたことがあった。
もなみの職場には、女しかいない。
それは、過保護の一乗寺社長が、娘に男を近づけたくないからだ。
あのお嬢様は、男だったら2人以上いないと、気にも留めないというのに。
2人以上いたとしても……、
遠くから眺めて、にたにたしているだけだ。
まったくもって、別邸に男を置かないと言うのは、無益無駄以外のなにものでもない。
唯一の例外は、家令の古海だが、彼は、ああいう人だから……。
こういう環境が、もなみには苦痛だった。
基本、もなみは、男が好きである。
一般男子が。
つまり、女が好きな男である。
ドアを開けたもなみに、軽くほほ笑みかけて、本谷は室内に入ってきた。
何気ない心づかいがいいんだよな、と、もなみは思う。
……イケメンの微笑は、なぜ、こんなにも、ささくれた心を潤すのであろう。
「典子さん……」
本谷は言いかけて、立ち止まった。
その目は、もなみを通り越し、着飾った典子を見つめている。
「典子さん!」
言いかけて、ひどくびっくりしたように目を丸くしている。
「あの。すごく……きれいだ」
「孫にも衣装と申しますか、馬の耳に念仏、猫に小判……」
もなみは言った。
「孫ではなく、馬子。『馬の耳に念仏』と『猫に小判』は同じ意味ですが、『馬子にも衣装』とは、意味が違います」
素早く校正されてしまった。
……これがなければ、本谷さん、すごくイイ人なんだけど。
「はい、これ。御指定の本」
もなみの心中など知るよしもない。本谷は典子に、「薄い本」を手渡している。
「こんな時にまで、著者発掘とは。本当に仕事熱心ですね」
「ありがとう、直緒さん」
典子は弱々しく言って、「薄い本」を受け取った。
「今はこれだけが、わたしの精神安定剤……」
「仕事が精神安定剤だなんて。編集者にはありがちですが、困ったことですね。職業病でしょうか」
……違うから。本谷さん、それ、違うから。単なるお嬢様の趣味だから。
力いっぱい、もなみは思った。
いつも思うことだが、この2人の会話は、全くかみ合っていない。
本を渡して、本谷は立ち上がった。
「じゃ、僕はこれで」
「だめ」
「え?」
「帰っちゃダメ。ここにいて」
……おっ、お嬢様、直球。
もなみはちょっと感心した。
深窓の令嬢としては、ずいぶんと思い切ったことを言う、と思った。
「だって、僕は、一乗寺建設とは、なんのゆかりもありませんし」
本谷の方が、もじもじしている。
それから、顔を上げて、にっこりと笑った。
大輪の花が咲いたようだと、もなみは思った。
本谷は言った。
「ダンスが心配なんですね? 大丈夫ですよ。あんなに練習をしたのですもの。きっとうまくいきます」
……あんなに練習したってぇぇぇ?
……神田先生の講習を、本谷さんに丸投げしてたのにぃぃぃ?
……あんなイケメン講師だったのに。
……なんともったいない真似を!
「大丈夫。あなたなら、大丈夫」
噛んで含むように、言い聞かせている。
……本谷さん、優しい。
それなのに典子は、さらに、本谷の人の良さにつけ込んだ。
「直緒さんにも、パーティーに出て欲しいの」
「ええ?」
本谷は目を丸くした。
「そんな。困ります。僕、そういうの、慣れてないし」
「わたしはもっと、慣れてないしぃ。だから、直緒さんが一緒でなくちゃ、いや」
……、おっ、お嬢様が、媚びている!?
もなみは目を丸くした。
でも、どちらかというと、女同士の連れション的発想だ。休み時間に、トイレへ一緒に行くという、アレだ。
本谷は男だけれども。
典子ごときにねだられ、かわいそうに、本谷は、焦りまくっている。
……きっと、女性経験がないんだわ。こんなにイケメンなのに。
「そ、そ、そんな……。えと、マナーとか、会話、そう、知らない人ばっかりで何をしゃべったらいいか……」
「直緒さんは、わたしと一緒にいるからいいのっ」
「だって、服も……ほら、僕、今日は私服ですよ?」
本谷は、カットソーの上に、フードつきのパーカーを重ねていた。下はジーンズ。細身の彼に、よく似合っていたが、普段のスーツ姿と違って、幼くさえ見える。
「大丈夫よ。衣装なら用意してあるわ」
「ええーーーっ!」
もなみは思わず、大声を上げてしまった。
「お嬢様。アレはいけません。あれは、観賞用で、実用ではありません」
「いいえ、あれは実用よ。きちんとサイズを測って、作らせたんだから」
「だって、実用したら、古海さんにバレます! バレないわけがない!」
「モナちゃん。あなたの主人は、誰?」
「典子お嬢様です」
「そうよね。古海でなく」
「もちろんです」
「なら、持って来て」
「私が後で、古海さんに叱られます」
……あの人、怖いから。
もなみは思った。
古海には、どんな媚も、女性らしいお愛想も、通用しない。
だから、苦手だ。
「大丈夫。モナちゃんが叱られたら、わたしがかばってあげるから。……古海なんか、怖くないんだから」
……お嬢様、御自分だって、古海さんには頭が上がらないくせに。
常々、典子の古海への態度は、ひどく恩知らずだと、もなみは感じていた。
ヒモノであられるお嬢様が、曲がりなりにも、女子の格好をしていられるのは、古海さんのお陰なのに。
ジャージ以外の服を着させる。
きちんと食器を使って、食事を摂らせる。
風呂、洗顔等を済ませるまで、口うるさく説教しながら、つきまとう。
……。
腐女子がうつるという理由で、別宅のメイドは、お嬢様の部屋へ入れさせてもらえない。
唯一の例外が、もなみだ。
もなみは、中学の頃、家出をして、知り合いの家を渡り歩いていた。
セックスの経験(もちろん、異性との)は早く、こなした人数も多い。
ある日、その夜はどうしてもねぐらを確保できず、路上でうんち座りしていたら、黒服の男が歩いてきた。
かなりタイプだったので、声をかけてみたところ、ものすごい目でニラまれた。
……チビりそうになるほど、コワかった。
それが、古海だった。
もちろん、古海とは、今に至るまで、なにもない。
あるわけない。
ただ、もなみの奔放な経験が見込まれたらしく、中学卒業を待って、一乗寺家のメイド見習いに採用された。
どうやら、腐る恐れなし、と判断されたようだ。
古海には、びしばししごかれた。紅茶の淹れ方から、テーブルセッティング、掃除にアイロンかけ、着付けに生け花、ありとあらゆる面で、ダメを出された。
しかし、苦手な男ではあるが、もなみは、古海に感謝している。
実家や学校、市役所とまで粘り強く交渉し、働きながらも、高専まで行かせてくれたのだから。
金は、一乗寺家が出したのだが。
古海の名が出た辺りで、本谷が、あきらかにそわそわし始めた。
本谷さんはこの頃おかしい、と、もなみは思う。
出社の時間をずらしたり、昼休みもオフィスから出て来なかったり、なんだか、古海を避けているような気がする。
……ま、仕事が仕事だからね。キャラ崩壊しても、無理はないわね。
そんな風に、もなみは理解している。
……それにしても、古海さん、お嬢様にも本谷さんにも、煙たがられるとは。
「古海さんは?」
微かに震える声で、本谷が尋ねた。
「知らない。大方、お父様のご機嫌をとってるんでしょ」
相変わらず冷淡に、典子が答える。
本宅に着いてから、もなみは、古海の姿を見ていない。
もっとも、着いてすぐ、典子の着替えに取り掛かったので、古海の出番はなかったわけだが。
「僕、もう帰らなきゃ」
本谷が立ち上がった。
よほど、古海に会いたくないらしい。
「だめよ……」
典子が言いかけた時、また、ドアがノックされた。
もなみが答える暇もなく、ドアがさっと開けられた。
「おねえちゃま!」
声変わりの途中の声で、少年が叫んだ。
「創!」
「創さま!」
もなみも叫んだ。
「お母様がよく、こちらに寄越しましたね」
「うん。父さまが呼んでるよ!」
ハスキーボイスで、少年が言った。
「はやく来るようにってさ!」
そして、一陣の風のように、立ち去って行った。
「……断わるヒマもなかった」
ぼそっと典子がつぶやく。
「断るなんて、そんな、親不孝な」
もなみが言う。
「だめですよ、お嬢様」
「家出娘のモナちゃんに言われたくないわ」
「ま。今はちゃんと、休暇ごとに帰ってます」
「あ、そ」
「ご家族様をお待たせするわけにはいきません。とにかく、行きましょ」
せかすように、典子を立たせる。
「直緒さんはここにいて!」
一緒に部屋を出ようとする直緒に、人差し指を突きつけるようにして、典子が言った。
「わたしが戻ってくるまで。いい? 勝手に帰ったりしたら、だめよ」
本谷が目を丸くした。
「だいじょうぶ。古海さんは、来ませんよ」
彼の脇を通り過ぎながら、もなみはささやいた。
案の定、本谷は、ほっとしたようにため息をついた。
「薄い本」とは、ここでは同人誌のことです




