第14話 おいしく頂きました
「いやです! 絶対いや!」
典子が叫んだ。
ある朝、直緒が出勤すると、典子と古海が言い争っていた。
落ち着き払って古海が言う。
「どうして? きれいなドレスを着るんですよ? 普通のお嬢さんなら、大喜びする筈です」
「わたしはいやなの!」
「だから、なぜ?」
「なぜって……」
「おいしいものもたくさんありますよ?」
「食べ物で釣ろうたって、そうはいかないわ」
「どうしたんです?」
直緒は割って入った。
典子の横に立って古海を睨みつける。
何があろうと、自分は典子の味方だ。
尊敬する上司だから。
古海がため息をついた。
「来月、パーティーが開催されるんです。その創業は明治にまで遡る一乗寺建設ですが、昨今は海外への進出目覚ましく、そうした海外からのお客様の接待も兼ね、大規模なパーティーが催されるのです」
「へえ。そりゃまた、豪勢な話ですね」
この不景気の時代に、という言葉を、直緒は危うく呑みこんだ。
「ええ」
古海は渋い顔をした。
「腐っていても、典子さまは、一乗寺家ご令嬢。是非とも出席するようにと、お父上である社長からのきついお達しです」
「わたしはいやよ」
すかさず典子が割って入った。
「人前に出るのなんて、大嫌い。一人で部屋にお籠りして、読書をするの」
「読書……」
直緒と古海は、顔を見合わせた。
古海が咳払いをした。
典子を完璧に無視して、続ける。
「ですから。トップクラスのデザイナーにドレスを作らせねばなりません。先方からそろそろ採寸を、と言ってきているのを、何度も延期し、日延べし、……ったく」
「ドレス? いいじゃないですか」
直緒はつぶやいた。
みなみとの短い交際の経験から、彼は知っていた。
女の子は、きれいな服が……服だけじゃない、アクセサリーやバックや靴や……、大好きだ。
だが、典子は、ぷうーっと膨れた。
「い・や・よ」
「だから、なぜ」
古海が畳み掛けるように尋ねた。
典子は、ぼそっと答えた。
「……めんどくさいから」
「はあ? めんどくさい~~?」と古海。
「そうよ。めんどうくさいの。着たり脱いだり、ファスナーやホックや、そうゆうの。あと、リボンも。死ぬほど嫌いなの!」
だから、ジャージ。
なんとなく典子の思考がわかったような気が、直緒はした。
「許しません」
古海の人差し指は、すでに、呼び鈴の上に乗せられていた。
「お針子の女性が、来ております。さっそく寸法を測ってもらわねば」
「いや……」
「週が明けたら、エステと美容院ですからね。逃げようたって、そうはいきませんよ」
「いやっ! 美容院、いやっ! エステなんか行ったら、死んじゃう!」
「死にはしません」
溜息をつくように、古海は言った。
「お嬢様、少しは年相応にきれいにして、人前へ出ないと。どこにいいご縁が転がってるか、わからないでしょ?」
「古海さん!」
たまりかねて、直緒は割って入った。
「典子さんは、働く女性です。自分の足で立ってるんです。そんな、実家の縁で、その、……」
結婚相手を探させるのはよくない、と言いたかった。
だが、経験の少ない直緒には、そこまで強く言うことはできなかった。
しどろもどろに彼は続けた。
「えと、典子さんには、自分の目で見て、確かな人を、ですね、」
「いいですか、直緒さん」
なぜかじっと直緒を見据え、古海は言った。
「一乗寺建設は、日本で指折りの財閥企業です。一流の方々と交流があるのです。お相手も、まさか、天下の一乗寺財閥の令嬢が腐っているとは思わないでしょう」
「……」
「腐敗を悟られないうちに、一気に交際へとなだれ込むのが得策。花の命は短いのです。腐っていたら、なおさらです」
「花はくさいから嫌い」
典子が言う。
また、無視された。
「それには、人並みの外見を整えるのが、まず最初の第一歩なのです」
「……」
一流の方々。
そういう御曹司と結婚すれば、典子は幸せになれるのだろうか。
でもなんだか、胸がざわざわする。
すごく無残な気がする。
典子が、かわいそう。
そう思えて仕方がない。
「大丈夫です。変なムシがつかないよう、私がお側に侍りますから」
にっこり笑って古海が言った。
それから、厳しい顔で断言した。
「お嬢様には、是非、幸せなご婚儀を。それが私に与えられた使命ですから」
「……?」
直緒は疑問に思った。
典子のような女性が普通に結婚するのは難しいのでは、と、直緒は思う。
なんというか、幸せの基準が、普通一般と違うような気がする。
たとえば、きれいなドレスを着たくない、とか。
その典子に、幸せな結婚をさせる。
「家令というのは、過酷な職業なのですね……」
しみじみと直緒は言った。
古海がはっと我に返ったような顔になった。
「いえ、それは、まあ」
振り返って、きょろきょろする。
「あれ。……お嬢様?」
いつの間にか、典子は、部屋の隅に引っ込んでいた。
踏み台の一番上に腰かけ、足をぶらぶらさせている。
膝の上に、書店カバーのかけられた新書版の本を広げ、熱心に読みふけっていた。
古海が首を振った。
「おとなしいと思ったら。また、腐った本を。お嬢様、あなたの話をしているのですよ? さ。早く採寸に」
「いいわ」
典子は本から目を上げた。
妙に熱っぽい目で直緒を見た。
「でも、ひとつ条件があるの」
「条件?」
「直緒さんも採寸するの」
「は?」
「え?」
古海と直緒は、同時に叫んだ。
古海の顔がみるみる青ざめた。
「だめです。いけません! たった一人の大事な社員でしょう!?」
「だからよ」
涼しい顔で典子は言った。
「直緒さんが一緒でなきゃ、いや」
きっと、一人では心細いんだ、と直緒は思った。
典子がかなり人見知りをすることに、直緒は気がついていた。
仕事関係はさほどでもないが、それは、典子が自分の仕事に情熱を持っているからだ。
しかし、ひとたび仕事を離れると、典子はかなり、奥手となる。
カリスマ美容師も、トップクラスのデザイナーも、典子にとっては知らない人だ。
髪に触られたり、メジャーを体に当てられたり、そういうことは、すごくプライベートなことだ。
時間もかかる。長い時間、よく知らないデザイナーや美容師と一緒にいなければならない。
だから、きっと、典子は……。
……怯えているんだ。
そういう女の子っているよな、と直緒は微笑ましく思った。
直緒にも一緒に採寸してほしいのは……心細いから、よく知ってる人に、側にいて欲しいということだ。
きっとそう。
直緒は答えた。
「いいですよ。おつきあいします」
「……!」
絶望的な目で、古海が直緒を見た。
**
ドレスは、デザイナーがかかりきりで、1ヶ月で仕上がるという。
それまでの間、典子には、さらなる試練が待ち受けていた。
その日。
朝から典子は、不機嫌だった。
いつものピンクのゆるふわ服ではなく、ジャージで会社に来ていたくらいだ。
赤い縁の眼鏡をかけ、髪は、雀の巣状態だ。
ぶつぶつと不機嫌に唸りながら、パソコンをぱちぱち叩いていた。
直緒がそっと覗きこむと、大手電子書籍サイトの「一乗寺典子さんの欲しいものリスト」を見ていた。
言うまでもなく、男の子同士が抱き合っている絵柄の書籍が、所狭しと並んでいた。
あいかわらず仕事熱心だな、と、直緒は感心した。
「冬日向よう先生のご本が、電子書籍にならない。冬日向よう先生のご本が……」
典子がぶつぶつとつぶやいている。
「……もう、2年も待っているのに」
そこへ、古海がひょいと顔を出した。
「お嬢様、ダンスの練習のお時間です」
「ダンス?」
直緒はびっくりしてつぶやいた。
古海が大きく頷いた。
「そう。パーティでは、一乗寺家の令嬢は、来賓の皆様に、完璧なステップをご披露しなければなりません」
「仕事中なんだけど」
ぶっきらぼうに典子が答える。
「講師は、世界的に有名な先生なんですよ? ここしか時間がとれなかったことは、だいぶ前に申し上げた筈です」
「そんな有名な先生が講師なんて、すごいですね」
思わず直緒は口を出した。
「プライベートレッスンですよね」
「すごくなんかないわよ。古海の知り合いだもの」
つまらなそうに爪を見ながら、典子が言った。
古海が肩を窄めた。
「昔、私が海外にいた頃……当時、ちょっとしたつきあいのあった男です。しかし、彼も今や、世界的なダンサー。その彼を、個人的な講師として呼べるのは、やはり、一乗寺家の財力あってのことです」
はっとしたように時計を見た。
「ささ、参りますよ、お嬢様」
「いやよ。仕事あるもん」
「別に急ぎじゃないでしょう?」
「急ぎよ!」
古海はちらと直緒を見た。
直緒は頷いた。
「編集長。ご都合が悪ければ、あなたの仕事は、僕が引き受けますよ」
「直緒さんは黙ってて!」
「ダンスの練習は、お父様からのご命令です」
きっぱりと古海が言った。
「日頃、なにくれとなく援助を賜る、親馬鹿のお父様を思えば、数時間飛び跳ねることくらい、たやすいはず」
「うーーー」
典子がうなった。
「うーーー」
その後に、不自然な沈黙が続く。
「古海さん」
たまりかねて直緒が口を出した。
「典子さん、いやがってます」
「ですが、」
毅然として古海が言う。
「財閥の家に生まれた女性には、その生まれにふさわしい義務があるのです。典子お嬢様は、皆さんの前で、踊らねばなりません。それが、お嬢様の使命です」
小さな声で付け足した。
「きっと、お父様にはたやすいことでしょうね。出版社にちょっとした圧力を加えることくらい。あるいは資金援助をするとか? 冬日向よう先生のご本を電子書籍にするように、って」
「なんですって!?」
「いえ、私はなにも」
「うううーーー」
ストレスでいっぱいの唸り声が、典子の口から漏れた。
「冬日向よう先生の電子書籍~。1巻と2巻は持っているのよ。でも、3巻は、紙の本しかないの~」
「紙の本があるなら、充分じゃないですか」
思わず直緒はつぶやいてしまった。
ぎろっと典子に睨まれた。
「一緒に来るのよ、直緒さん」
「え?」
「一緒に踊るの!」
「はあ?」
「冬日向先生のご本が電子書籍になれば、喜ぶのはわたしだけじゃないはず。世界中の腐女子の為に、直緒さんも踊るの!」
「めちゃくちゃじゃないですか、その理屈……」
「いいのっ!」
「……」
救いを求めるように、直緒は古海を見た。
「……いろいろ手遅れです。御愁傷様」
古海がつぶやいた。




