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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

山の主様

作者: よる。

あぁ、疲れた。ここ最近のお天道様のはりきり様ったらないね。

老いぼれにはちと酷ってもんよ。

…ん?なんだい、この老婆に水を分けてくれるって?

いやあ、あんたは心の優しい娘だねぇ。そうさね、せっかくだし、ありがたくいただくとするよ。

この歳になると、少し歩くだけでも喉が渇いてかなわん。

へぇ、家を持たず旅をしてんのかい。…ここ?ここは道も整わぬ、忘れられた土地さ。

村も無けりゃ、休めそうな小屋も無ぇ。しかし夜になりゃ山から獣も下りてくる。

少し脚を休めたら、早いとこ向こうの川渡ってきちんとした村に泊まりな。

…と、そうだ、水を分けてくれた礼に、ひとつ昔話をしてあげよう。

私の一番好きな昔話さ。

さぁ、婆の語るこの昔話を、よく聴いておくんだよ。




これはとある山のふもとにあった小さな村の話さ。

山には猪や木の実があって、川には魚もいる。

春は華が咲き誇り、夏は緑が木陰を作る。

秋には稲穂が頭を垂れて、冬は雪を横目に皆で暖を採り、やがて来る春を待つ。

そんな、恵まれた土地で起こった話だよ。

ある日のこと、村長の娘の桜子お嬢様と、その世話人の春が、山に木の実とりに行ったんだ。

物珍しさもあってか、どんどんと禁止されている山の奥へ進むお嬢様を世話人の春が咎めようとしたその時。

二人の目の前に若い狼が現れてね、あろうことかお嬢様、悲鳴とともに護身用の小刀を狼めがけて投げちまった。

…ああ、そうさ。お嬢様の判断も間違いとは言い切れねぇ。

それに運のいいことに、その小刀は狼の前足にそりゃあ深く刺さってね、僅かばかりではあるけれど、二人が逃げられる時間を作ったんだから。

しかし、お嬢様はまだ幼かった。蝶よ花よと育てられていたからね、どんな時も自分が一番だったんだ。

あろうことか、世話人の春を狼の餌にして、とっとと自分だけ村に戻っちまったんだ。

そもそも春の止める声も聞かず山の奥へ進んだお嬢様が悪かったから、村へ戻っても、狼にあったことを言い触らしたり、助けを呼ぶこともしなかった。

え?それじゃあ春は狼に食われたのかって?

いいや、それがこの話の面白いところでさ。

なんと春、取り残されたその場所で、狼の手当てをしたんだ!

ああ、お前たちも吃驚するだろう?

でも、本当さ、春は狼の傷を丁寧に手当てしてやったんだ。

…春はなぜ逃げなかったんだ、って?

そうさね、きっと春は傷の痛みを誰よりも知っていたからじゃあないかね。


春は小さいころに両親を亡くして村長の家に引き取られ、村長の娘、桜子お嬢様の世話をしてきたんだ。

あの、わがままなお嬢様の親だもの、村長も奥さまも、そりゃあたいそう桜子お嬢様をかわいがったよ。

それと引き換えに、春にはつらく当たった。都合の悪いことは全て春のせい。

桜子お嬢様も、うまくいかないことがあるとすぐ春に当たり散らして、よく春をぶってたんだ。

村の長やその娘がそうなんだもの、他の村の者が春をぶってもなぁんも咎められなかった。

だからかね、春の身体にはあちこちにぶたれた跡があった。切り傷も、擦り傷も。

特に切り傷はね、ちゃんと手当てしないとひどく傷むんだよ。見栄えだってよくない。

薬もろくに与えてもらえなかったせいで、傷痕が醜く残ってたねぇ。


だからきっと、春はお嬢様に傷つけられた狼を自分と重ねてしまったんだろうね。

持ち歩いていた大事な薬草を使って、狼の手当てをしてやったんだ。

狼もそんな春に心を動かされたのか、おとなしく手当されてやって、春を食わないでいてくれたんだ。

ああ、よかったね。

きっと、優しい狼だったんだろうね。


けれど、少し困ったことになっちまったんだ。

この時の狼がね、実は山の主様でさ、手当てをしてくれた春に心を奪われちまったのさ。

それからというもの、狼は山を下り村の見えるところまで来ては、一日中、春を眺めるようになった。

心奪われた娘のことを、知りたかったんだろうね。…こんなところは儂ら人と変わらないね。

でも、同時に村での春の扱われ方を知ってしまったんだ。

出された菓子が気に入らないと桜子お嬢様に菓子を投げつけられ、桜子お嬢様に良縁が来ないのはみすぼらしいお前がいるせいだとぶたれ、それでも生きていくために我慢をする、春の姿を。

主様はきっと哀しかったと思うよ。

狼姿の自分に手当てをしてくれた心優しい娘が、同じ人間からひどい扱いを受けているんだから。


…だから主様は、春を救うためにあんなことをしちまったんだねぇ。


山の主ってぇのは、その山で生まれ育った獣がなるもんらしいんだけどね、山の主になると、満月の晩だけ人の形を取れるんだそうな。

ある晩村長の家に、年若い、それはもう見女麗しい青年が訪ねてきてこう言ったんだ。

自分は山の主様の使いで来た。

近いうちにここら一帯で天災が起こるが、お前の家の娘を主様に差し出せば、村は助けてやろう。

次の満月に山の中腹にある祠で待っている、ってね。

桜子お嬢様は異形のモノへの贄になどなりたくはないと、絶望のあまりひどく泣き喚いたし、奥様は気を失ってしまうし、村人は予告された天災に怯えるしで、そりゃもう村中大変な騒ぎになった。

そうして迎えた満月の夜、細かい花模様のあしらわれた豪奢な衣を身にまとい、頭に虫除けの羽衣を被った娘が、主様の待つ祠へ急いだ。

娘を送り出した村人たちはさあこれで一安心、って宴なんかを催したりしてねぇ。

馬鹿だよね、人を一人見殺しにしておいて宴だなんて。


…だから、あんなことになっちまったんだ。


一方、主様は狼のお姿のまま、祠で桜子お嬢様が来るのを今か今かと待ってた。

山の主たる自分に刃を向け、さらに心優しい春をいじめていた張本人だからね、来たら腕の一つでも食いちぎってやろう、そう思ってたんだろう。

…食いちぎるなんて、本当は悪い狼だったんじゃないかって?

馬鹿を言うんじゃないよ、もともと狼なんて、人を食らうのが当たり前なんだ。

あんたたちが木の実を食べたりするのと同じ事。

主様も、そんな当たり前に従ったまでさ。ただ春が例外だっただけで。


娘は暗い山を怯えながら、それでも一歩一歩祠への道を進み、やっと約束の場所が見えてきた。

主様も、草木の間から娘の姿を見てた。

細かい刺繍に彩られた衣をまとった娘の姿が。

きっと悔しかったんだろうね。

主様の想い人はいつだってボロしか着せてもらっていないのに、桜子お嬢様はこんな時まで豪華なものを着ている、って。


それに本来、布で顔を隠すのは身分の高いお方がなさるものであって、村人ごときが主様の前でしていいものじゃあなかった。

けれど、そんなこと娘は教えてもらっていなかったんだろう、あろうことか顔を隠したまま主様の前に出ちまった。

可哀そうにねぇ、無礼に怒った主様、ひらりと地面を蹴ると、そのまま娘の首に噛みついたんだ。

その拍子に顔を隠していた羽衣がひらりと舞って、ようやく娘の顔が月に照らされた。


―――――――春の顔だったんだよ。

主様もたいそう驚いたろうね。桜子お嬢様が来るもんだと思い込んでただろうし。


もちろん村人も桜子お嬢様が行くもんだと思ったよ。でも、当のわがままお嬢様は頑として首を縦に振らない。それどころか、どこかから似た娘を買い取って、差し出せばいいなんて言い出すんだ。

それじゃあ主様の言う「長の家の娘」でなくなるから意味がねぇ、って猛反対されて、何も決まらぬまま、残り3日となったある日、またしてもお嬢様が言ったんだ。

家の娘でよいなら春がいるではないか!ってね。

確かに親兄弟もおらず、長の家に引き取られた春は、「長の家の娘」だ。

それを聞いた途端、長も奥様も大喜びしたんだ。

春ならいい、これで大事な桜子を差し出さなくて済む、ってね。

村人も長の家の娘に違いはないから、ってんで喜んで認めた。

ん?ああ、皆ひどいね。けれど、親のいない子なんて、どの村でもそう扱いに変わりはないものさ。

それに春はこの話を受け入れたんだ。

私が主様にお会いすることで、村を救えるならと。


そうして何も知らぬ主様は、大好きな、大好きな、何より救いたかった春を自分で噛み殺しちまった。

満月の力を借りて人の形になった主様は、春を抱いて溢れる血を止めようとしたよ。

春、春、って何度も何度も春の名を呼んで。

だけどもう遅かった。春は微かに微笑むと、そのまま眠るように目を閉じて、そのまま動かなくなったんだ。

主様は自分が許せなかったんじゃないかね。

春に会ったら、あの日言えなかった手当のお礼を言いたかった。

春と話をしてみたかった。村にいるときは見せなかった、春の笑った顔を見たかった。

でも、ぜーんぶ、自分がダメにしちまった。

主様自身が、春を殺しちまったんだ。


主様の悲しみは計り知れないよ。

主様は春を抱いたまま、自分への怒りを、村人への怒りを、そして春への謝罪を込めて雄叫びを上げ続けた。

やがてその大きな悲しみの音は木々を倒し、山を震わせ、土を震わせ、土砂崩れが起き、大きな土の波がふもとの村を飲み込んだ。


そうさ。主様の言うとおりになったんだ。

「長の家の娘を差し出さなければ、天災が起きる」ってね。

家とはすなわち、血の縁なのさ。最初から桜子お嬢様を差し出すしか術は無かったのさ。

こうして、一つの村がこの世から消えたんだ。

主様と春の亡骸がこの後どうなったか、それは誰一人として知る者はいないよ。

なんせ村人もほとんどが亡くなってしまったからね。

罪のない赤子も、動物たちも、植わっていた植物たちも、皆。

それからというもの、その土地には二度と人が住み着くことはなかった。

一度天災の起きた土地ってぇのは、不吉だなんだといわれるからね。



ん?やけに詳しいがお前は誰だって?

かつてこの近くに住んでいたわがまま娘だよ。

…ここにあるのは山だけじゃあないかって、まあ、どう受け取るかはあんた達に任せるよ。

さあて、思った以上に長話をしちまった。そろそろ山の祠に参りにいかねば。

ではね、旅のご夫婦。

今から歩けば、日暮前には川向こうの村へ着けるよ。


ああ、そうだ、言い忘れてた。

そっちの綺麗な顔した旦那さん。


…今度は私と間違えて、大切な奥方を傷つけることのないようにね。


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