猪突猛進ならぬ児突猛進?
ドドドドドドドドドドド!
時は西暦2781年。
土埃を上げながらクイマジュ街道を何かが疾走している。
クイマジュ街道はサッガ神皇国とクオーカフ大公国領を繋ぐ交易の動脈と言える街道であり、大きな森に挟まれて延々と続いていた。
だが二つの領土はここ数年滅多に人の往来が無くクイマジュ街道は寂れ、荒れ果てていた。
それにも関わらずクオーカフ大公国に向かうとは一体何者であろうか。
ドドドドドドドドドドド!
一直線に街道を駆け抜けているその様子から野獣や人を害するデーモンズでも無いだろう。
しかし街道は全くと言っても整備されていないにも関わらず走るスピードはかなり速い。
旅のお供として多くの人が乗る馬は言うに及ばず、素早い騎乗戦闘を目的にした二足歩行の肉食中型野獣であるニポノラプトルよりも速い。
よくよく見てみると土埃の先頭はかなり小柄な体躯をしている。
いや、小柄どころか凄く小さい。
その小さな影の数キロメートル先に街道を横切るように3体の異形、すなわちデーモンズと総称される者達が現れた。
3体とも大人を遥かに超える上背であり、筋骨隆々なその肌はドス黒い緑色。
頭は髪の毛がざんばらに生え、顔はゴツゴツと節くれ立ち、赤い歯茎に生え揃った歯はギザギザで非常に嫌悪感を催すものである。
両手両足や急所には何かの金属で造られたプロテクターを装着しており、武器は棍棒、両手剣、大槍など三者三様。
その異形達の分類名称はゴブリンアデプトと言った。
ゴブリンアデプト1体に対してはハイアードランクが5~6のベテランが5~6人組のパーティーを組んで挑まなければ安全を確保できない程度には手強い相手ではあった。
ドドドドドドドドドドド!
「グギギギ!」
左右をキョロキョロと見渡していた一体のゴブリンアデプトが、イーマリ神皇国の方面から立ち上る土埃に気が付き指を刺す。
「ゲグゲグ!」「ギギギー!」
その方向を見た残りの二体が声を上げ、醜い笑みを浮かべる。
ゴブリンアデプトはご馳走が自分から近づいて来る事を大いに喜んだ。
ドドドドドドドドドドド!
「グギギギ!?」
ゴブリンアデプトまで残り数百メートルというところまで近付いて来たのに土埃は全く止まる様子が無い。
何かがおかしい。
人間や野獣などの極上の食事は目の前に自分達が現れただけでガタガタと震えて身動き一つ出来なくなるはずだ。
事実今まではずっとそうだった。
ところがどんどん土埃は迫ってくる。
「グ、グギーーーー!」「ギグーーー!?」「ギァーーー!!」
そして遂に・・・
ボゴォォォォン!
メキッ!
ボキッ!
ゴキッ!
グシャッ!
ドチャッ!
凄まじい激突音、骨や肉が潰れ千切れるクロテクスな音、そしてそれらの物体が落下する音がした。
だがその音は休むことなく疾走する小さな影が出す音によってすぐに掻き消される。
ドドドドドドドドドドド!
ゴブリンアデプトをも易々とはじき飛ばしたにも関わらず走るスピードを全く落とさないその姿は・・・
赤ん坊であった。
見た目の姿形が、であるのだが。
しかし全身真っ黒で雄牛ほどの巨体から察するに通常言われるような赤ん坊ではないのは明らかだ。
更に赤ん坊らしい等身に備わった大きな頭でゴブリンアデプト達を弾き飛ばしても勢いを止めることなく走り続けている。
「ま”ー!」
そしてハイハイで疾走しながら気合の入った咆哮を上げる黒くて巨大な赤ん坊の背中に何者かが乗っていた。
赤ん坊である。
正真正銘普通サイズの赤ん坊で、必死に巨大赤ん坊の髪を掴んでいる。
「だぁっ!あぅっ!おぃぅー!」 『どわぁっ!あぶっ!落ちるー!』
その赤ん坊は黒くて巨大な赤ん坊とそっくりでだった。
正確に言うと逆である。
規格外サイズの黒い赤ん坊が背中に乗る赤ん坊にそっくりだったのだ。
ドドドドドドドドドドド!
「だぅあぅあぅぁぁぁぁぁぁー!」 『どうしてこうなったぁぁぁぁー!』
凄まじいスピードのハイハイで疾走する特大サイズの赤ん坊の脊の上で、誰かが聞いたとしても理解できない赤ちゃん言葉を普通サイズの赤ん坊がドップラー効果を発生させる叫ぶ。
その赤ん坊の名前、彼の名前はケンジ・タカーミヤ。
なぜ彼が街道を疾走する黒色巨大赤ん坊の上で叫ばなければならなくなったのだろうか・・・
枯葉や枝を踏みしめる音を極力抑えながらケンジは心の中で毒づいていた。
『馬鹿司祭共のせいで面倒な任務になっちゃったな・・・』
愚痴りながらケンジは深い緑に覆われた木々の中で気配を殺し周囲を探る。
自身を中心に展開されているであろう索敵範囲を脳内で意識しつつこの状況に到った過程を思い出した。
だが事の始まりを思い返すと益々腹が立ってくる。
イーマリ教の馬鹿司祭達が西に隣接するサキヌァガ領域への侵攻を宣言したのだ。
幾らなんでも無謀過ぎる。
ヌァガサ領域はデーモンズの完全な支配地域でイーマリ神皇国の全兵士を動員してもデーモンズの殲滅は難しいだろう。
だがイーマリ教団はサキヌァガ域のデーモンズの存在をダシにサッガ公爵領の領民の不安を煽り、増長したイーマリ教の司祭達にとって侵攻は決定事項であり覆る事は無かった。
そして侵攻軍の編成に当たり、索敵能力に優れたケンジは斥候部隊に組み込まれた。
そろそろ軍を抜けてイーマリ神皇国から逃げ出そうとしていたケンジにとっては痛恨きわまる事態であったのだが、まだ予備役であった身としては拒否権は無かったのだ。
孤児だったケンジが通えたのは学費が無料の軍学校だけなのだが、無条件で学費無料というわけでは無かった。
その条件とは卒業後20年間は軍に在籍する事、もしくは数年以内に莫大な額の学費を納付する事であった。
ケンジは入学前から後者を選び、在学中に単独行動で大きなアドバンテージになる索敵や隠密に必要なスキルをしっかりと取得していった。
そして軍学校を卒業してからすぐに雇われてあらゆる依頼を遂行するハイアードに専念し、せっせと依頼をこなしあと少しで学費を納付し終えるというところまで漕ぎ着けておきながらこの仕打ちである
『あ~もう!やってらんねー!
ってヤケになって気を抜いたらあっさり見つかって食われちゃうしなぁ・・・』
この樹海に潜入してからはや一週間。
これまでに遭遇し、やり過ごしたデーモンズを挙げるときりが無い。
特に危険な奴らだけでも列挙すると竜種のダイニーマウロボロス、スラッシュテイルワイバーン、巨人種のウッディースタンパー、妖精種のマジョーラスプライト等々。
どれもこれも正面に立つのは御免こうむるという位に高ランクのデーモンズばかりだった。
『正直今まで見つからなかったのは奇跡だよな~』
現に距離を取り同様の任務に付いているはずの斥侯部隊員達の数人が定期的に集まることになっている集合ポイントに姿を見せなくなってきた。
『間違いなく食われたんだろうな・・・』
ハイアードランク5のケンジは中堅のハイアードではあるのだが、ここサキヌァガ領域にいるデーモンズ達とまともにやり合ったら間違いなく殺されて食われる、もしくは食われながら殺されると言うところだろうか。
『この辺はデーモンズの本隊の居るルートとはかなり離れてるみたいだな・・・
隊列組んでる奴らも見かけなかったし。
そうなると軍の師団はもう本隊にぶつかってる頃だろうね・・・』
もう索敵を終えて師団に合流しようか、それとももう少し先の辺りまで警戒しておこうかなと考えを巡らしていたときだった。
スパァァァァァァァァァン!
ケンジは何の前触れも無く強い衝撃波に貫かれた。
『くっ!
攻撃!?
でも何も感知してないぞ!』
追撃を警戒したケンジは咄嗟に身を伏せて辺りを伺った。
だが索敵能力に優れたケンジなら相当格上のデーモンズでも感知できるはずなのに攻撃を放たれた方向には何の存在も感じられない。
続いて衝撃波を受けてから数秒後、ケンジに届けられたのは巨大な爆音だった。
ドゴォォォォォォォォォン!
先ほどの衝撃波と爆発音のタイムラグから爆音を発した地点がここから相当離れていると判断したケンジは身を隠すのを止めて近くの大木を一気に駆け上った。
緑の樹上に顔を出して周囲をぐるりと観察すると師団が進軍していると思われる地点から立ち上る巨大なキノコ雲が眼に入る。
『な、何だよあれ・・・
魔法か!?
師団の本隊が居る方向だよな。
こちらの報告も受けずに戦端を開いたってのか!?
でもあんな高威力の魔法を使う奴なんて軍にも心当たり無いし・・・。
嫌な予感がする・・・
こりゃ戻って調べた方が良いかもね・・・』
スルスルと滑るように木を下りたケンジは周囲への警戒を怠らないままキノコ雲に向かって木々の合間をぬって走り出した。
あと数キロで爆心地に着くのだが、近づくにつれて周囲の状況は想定を遥かに超える惨状となっていた。
うっそうと生い茂っているはずの木々が進行方向である爆心地から反対に向かって重なるように倒れているのだ。
おそらくは衝撃波によるものだろう。
更に研ぎ澄まされたケンジの嗅覚は様々な物を焼いたような嫌な臭いも嗅ぎ取っていた。
『こりゃ大変な事になってそうだな・・・』
そしてケンジは無残な姿になった密林を抜けて、師団が陣を張っている平原に到達したのだが・・・
眼に入ってきた物はあたり一面の焼け野原だった。
そこで広範囲を見渡そうと、眼に入った高台の岩に飛び上がりさらに驚くことになる。
師団の兵士達が焼けた草原に大勢転がっていた。
転がっている兵士達の数は100や200どころではない。
ざっと見渡せるだけでも数千の兵士の亡骸が転がっていたのだ。
「っ!」
思わず出そうになったうめき声を必死にこらえたケンジは索敵に集中し直した。
伊達に24歳ながらハイアードランクご5まで上げている猛者ではない
視覚認識や振動感知、魔力感知などのスキルを総合した上位索敵スキルの存在感知を習得しているケンジであるなら、まだわずかに息がある兵も見つけ出せるはずである。
だがしかし、幾ら索敵に集中しようともケンジを中心にした半径数百メートルに生物の存在を感知できなかった。
『ぱっと見は無傷だけど。
衝撃波で脳か内臓かをやられたか。
デーモンズでもこんな攻撃が出来る奴がいるなんて聞いた事無いよな・・・』
そして爆発地点であろう場所に眼を向けると直径が100メートルはあろうかというクレーターを見つけた。
『あそこが爆心地か。
一体どんな魔法か技を使えばあんな事ができるんだよ・・・』
高台から降りたケンジは衝撃波のおかげである程度均された平原に所々と点在する岩に身を隠しながらクレーターの縁まで忍び寄る。
だが縁に近づく直前にクレーターの内側からチリチリと焼け付くような気配を感知した。
そしてその反応は魔力・生命力ともケンジがこれまで出会ってきたデーモンズとは比べ物にならないほど強大なものだった。
『!
やっぱ居やがったか!』
思わずゴクリと喉を鳴らしたケンジは縁まで到達てから身を伏せながら注意深く頭を出して内側を覗き込んだ。
クレーターの底は地表から10メートルほど下にあり、その中心にある黒こげの大岩にもたれるように圧倒的な威圧感を放つ存在が居た。
そのデーモンズのを中心に周囲にはおびただしい数の炭化し、灰すら残らないような元兵士らしき物体が多数見られ、その兵士達が身に着けていたであろう鎧や武器は溶けて金属の塊になっていた。
そして視認した事でデーモンズの情報が更に鮮明になっていく。
『!!!
な、なんだよコイツ!
ヤバイなんてもんじゃない!
今まで遭った事無いぞ・・・
ハイアードの対抗分類でも最高クラスか?
い、いや・・・それどころの相手じゃない・・・』
五感をはじめ魔力や生命力を感知する感覚にありえないくらいの強烈な圧迫感を感じたケンジは息をするのも忘れてデーモンズの反応に意識を傾けた。
集中しているとデーモンズの気配の中に不安定な要素を感じ取った。
『・・・ん?
なんか反応におかしなブレがあるな・・・
も、もしかして!』
ある可能性に思い至ったケンジは地形や兵士の死体を影にしながら慎重にクレーターの斜面を下っていった。
正直生きた心地がしないのだが、デーモンズにぎりぎり気付かれないであろう30メートルほどまで接近して様子を伺う。
デーモンズはブツブツと呪いの言葉を吐いていた。
「フ、ふフフ・・・捕魂対象ゴときに遅レをトるトハな・・・
自身もヤキがマワったもノダ・・・
コこまデの傷ヲ負わセるトは・・・
ダが・・・いズれ傷モ癒えル・・・」
ぱっと見ただけではそこらの成人男子と代わらない背丈だが青黒い肌。
汚れていなければ途轍もなく美しいであろう金髪。
その金髪の間から伸びる曲がりくねった二本の角。
しかし右目は潰れて開かないらしく、血走った左目で虚空をにらみ呪詛を吐いている。
なによりどこかに吹き飛ばされたのか下半身が無いのに生きている。
『デストロイ級デーモンズ・・・!
おとぎ話でしか聞いたこと無かったけどホントに居たのか。
完全な人型の存在・・・
でもこの状況・・・千載一遇のチャンスだよな・・・』
そこでケンジはこれまで以上に存在感を消して息を整え、ショルダーバッグからエナジーアームズのタングカーバイトダガーを2本取り出した。
エナジーアームズとはデーモンズが自身の生命力を結晶化させて生み出したエナジー生成物質を含んだ武具であり、エナジー生成物質とはデーモンズを倒した時に極めて稀に体内から見つかる結晶状の物質である。
そしてエナジー生成物質は強力なエナジーアームズの製作に使用されるのだ。
ケンジが取り出したダガーには何重もの貫通強化の術式が込められており、攻撃系のスキルでは投擲スキルを重点的に鍛えてある持つケンジにとって格上のデーモンズを一撃で仕留められる可能性のある心強い武器だった。
だが幾ら強力な虎の子のタングカーバイトダガーでもデストロイ級を一撃で殺せるとは思っていない。
そこで狙うポイントの決まっている。
「すー、はー・・・」
貫通力強化スキルの発動を意識して呼吸を整えたケンジはデーモンズを覗き見て、その残された左目が相変わらず視線を宙に向けているのを確認して上半身を必要最低限だけ岩から露出させ、最小の動作でダガーを放った。
ダガーが目に命中する寸前、デーモンズはケンジを、そしてダガーの存在に気付き何かを叫ぼうとしたのか口を開きかけた。
ドシュッ!
「ガアァァァァァァァ!」
絶叫と共にケンジの居たクレーターのへりが空間ごとぐにゃりと歪み、一瞬遅れて爆散し吹き飛んだ。
ドゴォォォォォォン!
その爆発だけではない。
デーモンズは四方八方辺りをかまわずに爆発させ更なるクレーターを次々と生み出した。
だがケンジは生きている。
ダガーの命中を確信したケンジは躊躇うことなく自身を強化する全てのスキルを発動しこの場所から前に飛び込んだ。
爆発を見返る事無く約5メートルを一足飛びにジグザグに動きながら下りつつデストロイ級人型デーモンに迫る。
あと一足で詰め寄れるという所で視界を閉ざされているはずのデーモンズがケンジに向かって真っ直ぐに頭を向けた。
頭を向けられる寸前に右手にスィッチさせておいたダガーを躊躇無く投げ放つ。
鈍く光る銀色の筋を一直線に描きながらダガーはデーモンズの胸の中心に吸い込まれた。
ケンジはそこでも止まらずに近くにあった無傷の長剣、おそらくは強力なエナジーアームズを走りながら拾い上げる。
その瞬間、空気の歪みがケンジの全身を包み込もうとしたのだが、ケンジがとっさに剣を前に突き出すと切っ先が歪みを綺麗に切り飛ばした。
そして一気に間合いを詰めたケンジは人型デーモンズの潰れた右目に全力で剣を突き立てた。
ズドッ!
「グッ・・・マさカ自身がとドメをサさレるトハな・・・」
剣を刺し込まれたデーモンズは身動きを止める。
「や、やった・・・!」
まともに向かい合ったら一瞬で消し炭にされるような相手を倒したと思ったケンジは油断してしたのだろうか。
すぐに止めを刺さなかった事を後から激しく後悔することになる。
「ヨいダろウ・・・
自身ノちカラを持っテイくがイイ・・・」
デーモンズの言葉が終わると同時にケンジの視線が突然下がり始め、全身から力も抜けていった。
『このままじゃヤバイ!』
とっさに残った力を込めて剣を捻ろうとするが、力が全く入らない。
デーモンズはビクンと身を振るわせ、それっきり動かなくなった。
しかしケンジの体の変調は止まらない。
『これ、マジで・・・ヤバイ・・・』
ここでケンジの視界は真っ暗になりそのまま意識を失った。
「・・・ん」
ケンジはムクリと頭を持ち上げ周囲を見渡すも、この場所がどこなのか見覚えが無い。
『やたらと良く寝たような気がするけど・・・なにしてたんだっけ?』
目の前の黒い岩に目を向けると、そこに突き刺さっていた剣が目に入った。
その途端に今まで何をしていたのかを思い出した。
『あのデーモンズどうなったんだ!?』
ケンジはあせってきょろきょろと首を回した所で大きな違和感に気が付いた。
地面がやたらと近いのだ。
『あ、あれ?』
地面を見ようとして自身の両手が目に入る。
見覚えの無い丸っこくて小さな手。
その両手をにぎにぎと閉じ開きを繰り返してみる。
全く自分の思い通りに動く手。
「・・・あぅぁおぁぁぁぁぁぁ~!」 『・・・なんじゃこりゃぁぁぁぁぁぁ~!』
ひとしきり叫び終えたところで体を確認する。
丸っこい。
ひたすらに丸っこい。
鍛え上げた腹筋は見る影も無くなだらかで柔らかそうでモチモチの肌。
加えてケンジの男のシンボルといえる物もひたすらにマイクロ化している。
「・・・」
ケンジはあえて見なかった事にして、体を起こして足の確認を試みた。
野獣スワンプガゼルの皮製アンダージャケットからするりと全身を抜け出させて両足を見たところ動かすには問題は無さそうではある。
だが短い。
ひたすらに短かい。
『はぁ・・・とりあえず立ってみるか』
結論。
立てませんでした。
立とうとしてもすぐにコケてしまうのだ。
『立てないと言うよりバランスが悪いのか・・・
このままじゃ動けないし。
あ!
赤ん坊と言えばハイハイだよな。
はぁ・・・これ何てプレイだよ。
よいしょ・・・おぉ!?」
とりあえず動けない事にはどうにもならないので、溜息をつきながらも試しにハイハイでそこらを這い回ってみたのだが、予想を裏切る身の軽さにケンジは驚いた。
大人の早足程度でハイハイで動けた事から、予想外に性能が良さそうな赤ん坊の体であった事が判明した。
『まぁ・・・とりあえず動き回れる事は・・・
あー!?
無い・・・オーブが無い!!』
オーブとはこの世界に生きているあらゆる人間が額に埋め込むエナジーオーブの事である。
このオーブには幾つか機能があり、最も重要な機能は倒したデーモンズのライフエナジーを人体に取り込む事だ。
ライフエナジーを取り込んだ人間は肉体的・魔力的に強化される。
凶悪なデーモンズがはびこるこの世界では必要不可欠な機能なのだ。
大抵は子供が7~8歳になったくらいに埋め込まれる事になり、エナジー吸収の機能の他に、この世界に生きる者の身分証明としても使用されている。
オーブはエナジー生成物質から生み出される物であり、頭蓋骨に埋め込まれるように移植されるので額から剥がすのも難しく、オーブ自体も極めて頑丈でちょっとやそっと衝撃を受けた程度ではヒビも入らない。
万が一欠損した時は一ヶ月以内にハイアードギルドに申請すれば有償で移植してもらえるが、個人の証明などにも常日頃から利用されるのでオーブ無しという生活は考えられない。
オーブとはそれほどの物なのだ。
慌てたケンジは周囲の地面に目をやってしばらく探すとオーブを見つけるが、しかしそれは綺麗な断面を見せて割れていた。
『う、嘘だろ・・・?』
ケンジは呆然として割れたオーブを見つめていたが、突如として様々な文字が書かれた宙に浮く光の窓が視界に現れ埋め尽くしていった。
『な、何だよこれ!』
咄嗟に目を瞑ったが、それでも光の窓が消えることは無く次々と開いていく。
結局目を開いたケンジは首を回してみるが、どうやっても自分の動きに合わせて追随してくるので諦めて文字を眺めることにした。
そして次々と現れる壁には一瞬だけ読み取れる文字が幾つかあり、読めはしたのだがいずれも意味不明な事ばかり書かれている。
~~~~存在強化~~~~
~~~緊急保護措置~~~
~~~~強制介入~~~~
~~~~強制接続~~~~
~~~~情報防衛~~~~
~~~上位権限行使~~~
・
・
・
・
ケンジには何の事やらサッパリ分からない。
目を見開きあっけにとられていると窓は消え始め、数秒すると一枚の窓を残すのみとなった。
残されたのは『ステータスウィンドウ』と銘打たれた窓だった。
〔固定名称〕 ケンジ・タカーミヤ
〔エナジー強化レベル〕 1
〔上位特性〕 エナジー・ドリンカー
〔特性〕 デプス・スカウト
・
・
・
・
『・・・は?』
そもそも視界に浮かぶウィンドウすら見た事が無いのに、レベルやら特性やらを言われても全く理解できなかったのだ。
『う~ん、エナジー強化レベルって・・・もしかして強さが数字で分かるって事なのか!』
ケンジが驚くのも無理は無い。
ハイアードギルドによりオーブシステムが開発されて以降、オーブを装着した者はデーモンズを仕留めることにより強くなれる。
だがその指標となるはっきりとした物は無く、あくまで本人の体感的な物による。
しかしデーモンズのエナジーをせっせと取り込んできた者と、そうでない者とを比べた場合には明らかな差が表れるのだ。
例えば数年間ほど平均的なペースでデーモンズを倒してきた者と倒さなかった者とで腕力を比べると、同じような体格でも3倍は違ってくる。
だが、である。
エナジーを取り込んでいくら強くなったと言っても己の強さを客観的に判断する基準が無いのだ。
それが分かる、という事はかなり重要な事であろう。
ちなみにハイアードランクはハイアードギルドが出す依頼を受けて遂行する事で1から順に上がっていき、あくまでもハイアードギルド側が判断し算出される数値の事なのだ。
単純にハイアード個人単体の能力を表すものではない。
『上位特性ってのも謎だ・・・
特性の欄に今までと同じ職のデプス・スカウトが書かれてるから上位特性って上位職と考えて良いのかな・・・
エナジー・ドリンカーなんて初耳だし・・・
とりえあず希少職のデプス・スカウトが消えて無くならなかったのは不幸中の幸いか・・・』
他にも事細かに数値や文字が書き込まれており、ケンジは眺めているだけで疲れてきたのでとりあえず気にしない事にした。
するとウィンドウはスっと暗くなり消えていったのだが、そのすぐ後に視界にはウィンドウとは別に今まで見た事が無いものが色々と浮かび上がってきた。
視界の左下には周囲の地形らしき物が映る球状の地図、右下には正方形の空欄が横にずらっと並んだ表、右上には横に伸びた赤青緑のバーが縦に並んでおり、左上には十字を描くように正方形の空欄が五個連なっていた。
『ま、また変なのが見えてるし!
あーもう!
っと、それよりも早くここから移動した方が良いよな・・・』
とりあえず戦闘は終わったとは言っても、ここは危険な高ランクのデーモンズが跋扈するサキヌァガ領域なのだ。
年若く、と言っても赤ん坊にされる前の24歳のケンジは、歳に似合わず経験豊富なスカウトである。
いつデーモンズに襲われるか分かったものではないという状況を思い出し今後の行動をどうするかという点に意識を集中した。
『とりあえず服・・・はどうする事もできないか。
上に居るホトケ様から適等なマントを拝借するのが良いかな。
最悪・・・裸か・・・最悪だー!』
クレーター内はほとんどの物は消し炭になっているので着られる物が何も無い。
ふと目の前の黒い岩に目を向けると自分が愛用していたタングカーバイトダガーと人型デーモンズに止めを刺した剣が目に入った。
『あ~、勿体無いなぁ。
でも置いていくしか無いか・・・』
心の中で呟きながらハイハイで歩み寄り落ちているダガーに触れ、持っていきたいなぁと心の中で思った瞬間、触れていたダガーが淡い緑色の粒子となってケンジの体の中に溶け込んで行った。
そして視界に正方形が縦横に並んだ表のようなウィンドウが現れて、一番左上の開いた欄にダガーの小さな絵が表示されていた。
『・・・はい?』
ケンジは呆然としながらダガーの絵、すなわちアイコンを見つめていると先ほど粒子が体に流れ込んだ現象を巻き戻すようにしてダガーが空中に現れた。
ぽかんと口を開けながら浮いているダガーを見つめたままにしていると、またもダガーは光の粒子になりケンジの体に戻っていた。
『これって・・・何でも体に入れて持っていけるって事か!
ひゃっほう!』
ケンジが大喜びするのも当然だろう。
重くかさ張る武具はもちろんの事、依頼を受けて輸送する品や食料そのほか諸々の野営の必需品を運ぶのにも苦労しなくなるのだ。
ハイアードをやっていく上で苦労する最大の要因が無くなったも同然である。
『ぐ、ぐふふ・・・赤ん坊に戻ったけど、これはこれで良い思いができそうだ・・・』
赤ん坊に似合わない邪(?)な笑みを浮かべたケンジはもう一本のタングカーバイトダガーとデストロイ級デーモンズに止めを刺した長剣も同様に体内に格納した。