最初で最後のバックパック旅行
いきなりだけどさ、バックパッカーって知ってる?
リュックサック一つであまり金も持たないで、海外の知らない土地を旅するヤツなんだけど。
俺も話しには聞いていたんだけど、通常は留学最後の記念にとか、冒険旅行みたいな感覚でってことなんだろうけど、そういうのを耳にしては「いつか俺もやってみたいな」とは思ってたんだ。
今年入社してきた若い子の一人がバックパッカーの経験ある子でね、俺もやってみたいって話をしたら、いろいろ教えてくれたんだ。
30歳超えたオヤジでもできるかなぁ?って正直不安はあったんだけど、その子いわく「年齢や経験、人種なんていうものは、バックパッカーしてたらすぐに意味がないことがわかるよ」って言われたんだ。
行きたい、やってみたい、っていう気持ちに後押しされる形で、俺は仕事が一段落する十月に有給を使って、一週間だけのバックパッカーに挑戦することにしたんだ。
行き先は、多少英語はできるということで、英語圏を選んだ。
治安が悪くなく、だけど日本人が少なく、あまり知られていないところ。
それで俺が選んだ場所は、アメリカ南部。
南部といっても海沿いの南部ではなくて、もうちょっと北になるのかな。
アーカンソー州辺りの北部をまわる計画をしたんだ。
そもそもアーカンソーなんて日本でもあんまり耳にしない名前だし、どこにあるかなんてわかる人もいないだろ?そういうところを狙ってたんだ。
その州でも、南に位置する場所は黒人が多くて治安もよくないから、北部を中心にバックパッカー旅行を決行することにしたんだ。
金曜日の夜に、必要だと思われる金と下着やら洗面用具、パスポートと小さな英語辞書をリュックに入れて、土曜日の朝にアメリカ行きの飛行機に乗った。
日本から大きな飛行機でアトランタ、アトランタから小さな飛行機に乗り換えてアーカンソーの州都リトルロックまでやってきた。
国際線の大きな飛行機の中では数人の日本人がいたが、アトランタからアーカンソーの小さな飛行機になると俺の予想通り、日本人は一人もいなくなった。
リトルロックの空港は日本のそれとは比べ物にならないくらい小さい。外にでて見ると、建物はまばらにしかなく、とにかく空が大きいことに驚いた。
もし俺がここに来ることを選ばなかったら、本当は空がこれほど大きいということに死ぬまで気がつかなかったかもしれない。
風は肌寒く感じられたが、太陽の力が精力的な南部だけあって、一日中半袖で過ごせる陽気だった。
とりあえず、大きな国道を歩くために必要と思われるいくつかのスナックと数本の飲み物を買い、歩きながらアメリカの雰囲気を楽しんだんだ。
まあ、どこの国でもそうなんだろうけど、異国の人がリュックをしょって歩いていても、そうそう簡単に声をかけてくる人なんかいやしない。それに、俺にバックパックの旅を教えてくれた会社の若い子から、注意することもしっかりとレクチャーを受けていたから、不安ということもさほど感じることなく、歩くだけの一日も楽しく受けてめていたんだ。
国道を北に向かって歩いていると、一台の車が俺の手前で止まった。
「もうすぐ夜になるよ、まだ歩くのなら途中まででも乗せてってあげるよ」
ダークカラーの短い髪の毛をした男性が僕に声をかけてきた。
車中を見ると、奥さんと思われる女性と幼稚園児くらいの女の子が乗っていた。
(ラッキー!家族連れなら安心だ)
俺はありがたく車の後ろの席に乗せてもらった。
「あなた、どこの国の人?」奥さんらしき女性が尋ねた。
「日本人です。タクヤといいます」
「まあ、日本から?随分遠くから来たのね。誰か知り合いでもいるの?」
「知り合いはいません。一人でバックパック旅行ですよ」
「じゃあ泊まる場所も決まってないんでしょ?家に泊まっていく?」
さすがにいきなり泊まるのは悪いような気がしたんだ。
だけど、横に座っている小さな女の子が、俺の顔を覗き込んでにこっとしたのを見て、「もし迷惑でなければ……いいですか?」と答えた。
横に座ってる女の子は、右手を差し出し握手を求めた。
「私、キャシーよ」
彼女のオレンジ色の長い髪、大きなグリーンの目が輝いていた。
前に座っていた女性も続いて自己紹介をしてきた。
「運転しているのは夫のボビー、私ミランダよ。私たち以前に留学生を迎えたことがあるから、何も心配しなくていいわよ。ゆっくりくつろいでいって」
車の中は、子どもがいる家庭の温かさに満ち溢れていた。
俺は最初からいい家族に出会えたことを、ラッキーだと思っていたんだ。
彼は州都近くまで買い物しにきていたアーカンソー州北部に住む家族だった。
ミランダの話しだと、アーカンソーは州都から離れた小さな町となると、日本でいうところの村程度らしい。
必要最低限の買い物は町で住むらしいのだが、何か特別なものとなるとどうしても大きな街までの買い物になってしまう。それがたまたま今日で、俺との出会いになった訳だ。
大きな国道を北に向かって走っていくと、ミランダの言ったことがよく理解できた。州都から離れれは離れるほど、建物はほとんどなくなり、山の合間に道路があるといった風景ばかりが続いた。
一時間半ほど走って、ようやく彼らの家に着いた。
木々に囲まれた一軒家で、近くにある家はみんな遠くに見える。
アメリカだ!俺は心の中で叫んだ。
日本だと窓を開ければ隣の家があって、街にはいつも明かりが見えるっていうのが普通。だけどここでは、「日本での普通」が当てはまるものはほとんどなかった。
キャシーが俺の手を引っ張って家の中に誘った。
ミランダが大きな買い物バックを持ち上げながら、「キャシーがあなたを案内するから、彼女についていくといいわ!」と言った。
ボビーもう一つの買い物バックを抱えたまま、「僕はこれを運んでから地下室の冷凍庫を掃除してくるよ」と歩いていった。
家の中に入るといい洋風のいい匂いがした。
キャシーは俺が寝泊りできる部屋に案内した。
「ここがあなたが使う部屋、これがベットよ。少ししたら私と遊んでくれる?」
「もちろん。ありがとうキャシー」
キャシーは「どういたしまして!」と嬉しそうに言うと、勢い良くドアを閉めてバタバタ駆け足をした足音を響かせながら遠ざかった。
俺はベッドに飛び乗って、大の字になってくつろいだ。
なるほど、バックパッカーになるとこういう人情味ある出会いもあるんだなと関心していた。
ベットの横にある窓を見ると、外がいつの間にか暗くなっているの気がついた。
こんなに静かなところに暮らしてるのかぁ……。
日本での喧騒に聞きなれているせいか、人の出す音が聞こえないというのが妙に寂しく思えた。
部屋のドアを誰かがノックした。
キャシーがドアの外から、「一緒に遊んで!」と声を張り上げていた。
やれやれ、一晩宿を借りるから仕方ないか……。
リビングを抜けてキャシーの後をついていくと、ミランダが俺に声をかけた。
「夕飯おいしいの作るから、それまでは悪いけどキャシーと遊んでてくれる?」
「ノープロブレム!」と俺は笑って答えた。
キャシーの部屋は女の子の甘い匂いがしていた。
それにしても子ども部屋も、日本のそれとは大きく違うなぁ。
壁には子どもの部屋らしい絵が書かれていて、大きめなドールハウスが場所をとっていた。どうやらそれで俺におままごとをさせたいらしい。
「タクヤはこの女の人形ね。私は子どもの人形とパパとママを動かすから!」
仕方ない、こうなったら彼女が気に入るように適当に人形を動かすか……。
「さぁ、夕飯よ。みんな席に座って」
俺が女の人形を席に座らせようとしていると、いきなりダメだしをくらった。
「違う!それはテーブルの上に寝かせるの!」
あれれ?アメリカだから人形の遊ばせ方も違うのかよ。
「神様にお祈りして、いただきまーす」
俺は不思議に思ってキャシーに聞いたんだ。
「なんでこの人だけテーブルに寝かせるの?」
キッとした顔でキャシー睨んだ。
まったく、女ってやつは日本人にしてもアメリカ人にしても難しいや。
するとリビングルームからミランダの声が響いた。
「サパーターイム、みんなテーブルについて!」
キャシーは「イエス、マーム」といっておままごとの人形達に声をかけた。
「おいしかったね!さあみんなベットタイムよ。おやすみ」
そういうと、パパとママ、女の子の人形を人形用の小さなベットに寝かせた。
俺はテーブルに乗せられた女の人形が不思議でたまらなかった。
「この人形はどうするの?」とキャシーに聞いた。
「それは冷蔵庫の中に入れるのよ」と俺に微笑んだ。
キャシーはリビングルームに走っていった。
俺もその後をゆっくりと歩いきながら考える。
キャシーは一体どういう遊びをしていたんだろう?
テーブルには南部らしい食べ物が並んでいた。
コーンブレッド、フライドチキン、コールスロー、ポークビーンズ。
どれも旨かった。
ボビーがミランダに話しかけた。
「もう少しで地下室の冷凍庫が空になるよ。もうそろそろ大きな肉が必要かもな」
夫婦の他愛無い会話のはずなんだろうけど、俺はさっきのキャシーのおままごと人形がどうしてもひっかかっていて、「大きな肉」と言う言葉にギクッとした。
「そう……」と、ミランダは聞き流しているかのような返事をした。
「それとこのピアス、冷凍庫の側に落ちてたよ」と言ってボビーがミランダの前に青く光るピアスを置いた。
ミランダは無言でそれをポケットにしまった。
なんとなく俺は邪魔者なのかな?とさえ感じる雰囲気があった。
夫婦の会話に口を挟む必要もないし、キャシーのおままごと人形の意味を考えていたのもあって、ただひたすら食べ物を口に運ぶことに集中した。
疲れたからという理由で部屋に戻ると、バックパックの中に入れてあった文庫本を読み始めた。本を読んでれば余計なことも考えずにすむだろうって考えたからだ。
文庫本の中の紙のしおりがハラリとベットの下に落ちた。
俺はベットの下を手探りでしおりを探していると、一枚の写真を見つけた。
写真は、この家族と俺と同じようにバックパックを背負って旅をしているかのような白人の女性が写っていた。
俺の目が、写真の中のバックパックの女性の耳に釘付けになった。
そこには、青く光るピアスがある。
あわてて本を置き、頭の中を整理しはじめる。
キャシーのおままごと遊びでテーブルに乗せられた女の人形、地下室の冷蔵庫の近くにあったピアス、この写真の中の女性がしているピアス、キャシーが言った「冷蔵庫にいれるのよ」という言葉。
ボビーの「そろそろ大きな肉が必要かもな」という言葉。
想像しすぎなのか?
それぞれが関連しているような気がして、俺はどうしても寝付けなかった。
翌日の早朝、家の中に何も物音がしないうちに「ありがとう」という手紙を残して、家の前の道路まで走った。
運よく道路には車が走っていて、俺が親指を立てると少し先に車が一台止まった。
止まった車に近づいた時に、遠くから怒鳴り声が聞こえた。
パジャマ姿のミランダだ。
彼女は右手に拳を作り、振り上げて怒鳴っていた。
俺はやっぱりあの家族が怖かったんだと思う。
だから無意識に急いで止まった車に乗り込んだ。
車の中で安心したのか、ごくごく浅い眠りについた。
心底、バックパック旅行なんてこりごりだと思った。
残りの数日、俺は空港の近くのモーテルに泊まり、日本行きの飛行機に飛び乗った。
俺にとっての最初で最後のバックパック旅行の終わり。
アメリカの風景、匂い、雰囲気が俺の中で思い出に変わる。
同時に、ミランダの叫び声が何度も俺の回想の中で響く。
「それはうちの肉なんだからーっ!」




