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短編3000文字シリーズ2作目です
あいつの前に立つと悔しいくらいに胸が高鳴ってしまう。付き合い始めて半年。あいつの笑顔には慣れないなぁ。
「で、また呼び出したわけだ」
子供の頃からの親友は大好きなメロンソーダを御馳走すればこうしてあたしの話を聞いてくれる。でもその都度心配されて、しまいには怒られてしまう。
「あんたにあいつは無理だって前から言ってるじゃない。傷つく前に別れた方がいいと思うよ。あいつの噂、知らないわけじゃないんでしょ?」
「うん・・・」
時計を見る。喫茶店のアンティークの時計は15時を指していた。
半年前、付き合って欲しいと言ったのはあたしの方。あいつはあたしの決死の告白も軽く「いいよ」と流すくらい、憎たらしいほどに女慣れしてる。この大学に入った頃からあいつの噂は笑ってしまうほど多かった。
『高校の頃に6またしてた』とか
『一か月単位で女を取りかえる』とか
『二十歳前に千人切りを達成した』とか・・・
あいつの容姿を見ると、全部がホントっぽくて逆に信じられなかった。実際に付き合いだして、ほとんどが眉つばだった事も確認した。でも一つだけ、あいつの噂の中で一番嘘くさくて、一番ホントっぽい噂が、未だに棘のように刺さったままだった。
『あいつは昔の彼女が忘れられなくて、本気で女と付き合えない』
「で?どうなの。こうやって頻繁にあたしを呼び出すくらいだからなんとなく想像できるけど、うまくいってないの?」
氷だけになってしまったメロンソーダを名残惜しそうにストローで吸って、親友は心配そうな目を向けた。
「ううん。うまくいってると思う。あいつ意外と優しいし、あたしのわがままにも付き合ってくれるし、でも・・・」
「信じられない?」
親友の言葉が突き刺さる。あたしはあいつの事を信じてあげられないんだ。
この半年、あいつの事が好きすぎて、どうにか嫌われないように必死だった。ずっとあいつの前にいなきゃいけない気がして追い越されないようにせっかちに進んできた。そうしないとあいつの心が他の女に向いてしまいそうで怖かったから。だって付き合って半年も経つのにあたしはまだあいつに抱かれてない。今までに何度か夜を一緒に過ごしたのに、いつもあいつの寝顔を見ながら想像を膨らませるだけで終わってしまった。
もしかしたらあたしのことなんて好きじゃないのかも。
そう思って何度も別れようと決意した。でもその都度あいつの前に立つと、あたしの口は開かなくなってしまう。あいつの笑顔があたしから決意を奪ってしまう。
『どうして抱いてくれないの?ホントにあたしの事好きなの?』
訊きたいけど、訊けない。
「・・・はっきり言ってあいつとあんたは釣り合わない。言っちゃ悪いけどあたしにはなんであいつがあんたと付き合ってるのか解んないよ」
「うん・・・」
長年の親友は付き合いが長い分、言うことも厳しい。でも正直に厳しい事を言ってくれるのは嬉しかった。
「やっぱり、ダメかなぁ・・・」
時計が気になる。15時30分。あいつとの待ち合わせまで後30分。
「今日もあいつとデート?さっきから時計ばっかり見てる」
あたしはまた決意してる。今日のデートであいつの気持ちを確かめられなかったら、別れようとしてる。でもそう思えば思うほど気持ちはそわそわして落ち着かない。情けないくらいにあいつが好きだから。別れるって思うだけであたしは涙が出そうになってしまう。
「今のあんたは見てられないよ。そんなに辛い恋ならやめときなって。なんならあたしが男紹介してあげるから」
「うん。ありがとう」
親友の笑顔がほんの少しだけあたしの心を軽くしてくれる。うん。今ならきっと言える。
「もしダメだったら、また付き合ってよね。飲み明かそう」
「あんたが何考えてるのか解んないけど、そん時はまた呼びな。一晩でも二晩でも付き合ってやるよ」
待ち合わせ場所に10分前に着く。あたしの悪い癖だ。いつも予定より早めに来て、あいつを待ってしまう。こんな女はきっと重いに違いない。
「あ~今日も負けたか。いつも早いね」
到着して間もなく、まだ来るはずない時間に背中から声がして思いがけず心臓が震えた。
「今日こそは俺の方が早いと思ったのに」
振り返るといつもと変わらない人懐っこい笑顔があたしの目線より若干高い位置にある。パーカーにジーンズ、そしていつも同じスニーカー。せっかくのデートなのにちっともオシャレをするつもりがないのか、こいつは。一時間以上かけて服を選んできたあたしがバカみたいじゃないか。
「行こっか?」
そう言って自然にあたしの手を取って歩き出す。こいつの真意はいつもこの笑顔の奥にあって、背の低いあたしには見えない。まずい、さっきまでしていた決意がまた揺らいでしまう。だってやっぱりこいつの笑顔、可愛いんだもん。
あたしの決意をよそに、公園をブラブラしたり、買う気もないのにお店を覗いたり、いつもと変わらないノープランデート。もしかしたら最後になるかもしれないのにこれでいいのかな。まぁ決意したのはあたしだけで、こいつには何も言ってないんだから仕方ないか。なんて考えてると時間はあっと今に過ぎて――
「これからどうする?」
すっかり日も暮れて、公園の時計が夜の18時40分を指した頃、何も知らないこいつは何気なく訊ねる。その笑顔を見せないで、今から言うから。
正面に立って、顔を見ないように俯きながら、意を決して口を開く。「ねぇ・・・」
あたしの目線にはボロボロのスニーカー。その足元が少し怯えたように止まった気がするのはあたしの気のせいだろうか?
「・・・あたしのことどう思ってる?」
言えた。言ってしまった。ヤダ、返事を聞くのが恐い。だってボロボロのスニーカーが微動だにしないもの。ほんの一瞬の間が永遠のように長く感じた。秋の木枯らしが街路樹を揺らしてざわざわと音を立てる。まるであたしの不安を煽るかのように。
「どうしたの?急に」
あたしの気持ちを知ってか知らずか、この期に及んで質問を質問で返された。
あたしは、あなたの気持ちが知りたいのに。早くしないとあたしの気持ちが終わってしまう。そしたらきっとまたこいつの笑顔にやられてうやむやになってしまう。
それだけは絶対ダメだ。今日ははっきりさせるって決めたんだから。
押し戻されそうな気持ちをさらに一歩踏み出して奮い立たせる。ボロボロのスニーカーを踏みつけるくらいに体を寄せてじっと顔を見上げた。
ホント言うと、何も言わなくたっていい。このままあたしの背中をギュッと痛いくらいに抱きしめてくれればそれでいい。ただあなたを感じたい。あなたの温もりを感じたいの。
際限なく高鳴ったあたしの鼓動と同じリズムでもう一つの心音が聴こえる。
なに?もしかしてこいつも緊張してるの?
じっと見つめるあたしを少し悲しそうな目で見つめ返して、ゆっくり口を開く。
「まいったなぁ・・・」息が顔に当たって、ほんの少しフリスクの香りがした。
「そんな顔されちゃ、決心が揺らいじゃうよ」
ふっと目の前が暗くなったと思ったら、唇に微かな違和感を感じた。ガサガサで、ちょっと冷たいけど、確かな感触。
「ホントはもっと大事にするつもりだったのに、我慢できなくなっちゃったよ。キミがあんまり可愛いから」
息が顔に触れるほどの距離で見ると、こいつの笑顔はずるいくらいに可愛すぎる。
「バカ。抱きしめてくれるだけでよかったのに」
「ごめんね」
最後まで刺さってた棘がやっとぬけた。
aikoさんの曲を聴いてたら
いつも以上に甘っちょろい短編になりました。
usk