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婚約破棄されましたので、皆様のお役に立てればと思います!  作者: 伏見


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1/1

突然の婚約破棄

「すまない、アマリリス。婚約を破棄させてほしい」

新居に入って、まだ一時間ほどしか経っていない。

荷ほどきすら終わっていない居間で、婚約者は静かにそう告げた。

あまりにも唐突な言葉に、アマリリスは瞬きをひとつする。

――婚約破棄。

それは、乙女ゲームの中で王子が卒業式に悪役令嬢へ突きつける、あの決まり文句ではなかったか。

華やかな学園。大勢の観衆。そして隣には、守るべき「真実の愛」の相手。

だがここは、飾り気のない新居の居間だ。

観衆もいなければ、彼の隣に寄り添う令嬢の姿もない。

(……状況が、ちぐはぐすぎるわ)

現実感の薄い思考を無理やり押し戻し、アマリリスは口を開いた。

「理由を、教えていただけますか?」

努めて平静に問うと、アロイスは視線を伏せた。

見慣れたアーモンド色の瞳が、わずかに揺れている。

やがて彼は、絞り出すように言った。

「俺は……真実の愛を見つけたんだ」

その言葉に、喉の奥から何かが込み上げる。

笑ってしまいそうだった。

あまりにも陳腐で。あまりにも都合のいい理由で。

今この瞬間に、自分の人生が覆されようとしているのに。

――それでも。

アマリリスは、笑わなかった。

唇をきつく結び、その衝動を押し殺す。

(……よく耐えたわね、私)

誰に聞かせるでもなく、心の中でそう呟いた。

 

魔法が存在し、魔物が闊歩し、騎士と魔導師が国を支える世界。

それを「ファンタジーだ」と客観的に認識できるリビオラは、転生者である。

前世は日本の、ごくありふれた家庭に生まれた。

高校から大学へと進み、とあるデザイン会社へ就職。映像編集部門を希望していたものの、配属二年目にはクレーム対応部署へ異動となった。

連日の苦情、謝罪、理不尽な叱責。

神経をすり減らしながら働き続けた日々。

最後の記憶は、日付を越えた深夜の残業中だった。

胸を締め潰されるような、激しい痛み。

おそらく――心筋梗塞か、それに類するものだったのだろう。

そして次に目を覚ましたとき、彼女はこの世界で幼い子供として存在していた。

こちらでの名は、アマリリス・レ・カリア。

花の名を持つわりに、その容姿は華やかとは言い難い。

よく言えば落ち着いている。悪く言えば、地味。

前世で読んだ物語のように、高位貴族の令嬢として生まれたわけではない。

彼女は、職人の娘だった。

もっとも、その職はこの世界特有のもの――魔具創師(ルーンフォージャー)である。

魔力を用い、生活を便利にし、時に戦いを支える道具を生み出す技術者。

父はその分野で高い評価を受け、その功績により一代限りの名誉貴族印を授かっていた。

幼い頃から工房に出入りしていたアマリリスもまた、自然と魔術に親しみ、やがて父と同じ道を志すようになる。

父には、長年付き合いのある商人の親友がいた。

そしてアマリリスが十九歳で正式に魔具創師(ルーンフォージャー)となった年、婚約が決まる。

相手はその親友の次男――アロイス・ダーモンド。

彼もまた魔具創師(ルーンフォージャー)であり、リビオラの父のもとで技術を学んだ兄弟子でもあった。

オルランド商会の次男でありながら、魔導装具の開発と販売を任される責任者という立場にある。

容姿も整い、教育も十分に受けている。

少なくとも庶民出身の名誉貴族にとっては、申し分のない婚約相手だった。

アマリリスが十九歳、アロイスが二十三歳になった年に婚姻する予定だった。

しかしその直前、アロイスの父が急逝する。

喪が明け、ようやく結婚の準備が再開された矢先――今度はリビオラの父がこの世を去った。

偶然にしては、あまりにも続いた不幸。

もっともアマリリスには、思い当たる節がないでもない。

――二人とも、あれほど止めたのに酒を控えなかったのだから。

深酒の習慣を改めなかった父親たちの姿を思い出し、アマリリスは胸の内で小さくため息をついた。


婚約してから三年が経つ。

仕事や各種手続きもようやく落ち着き、今日から新居での生活が始まるはずだった。

明日には婚姻届を提出し、正式に夫婦となる――その矢先の、婚約破棄である。

居間のテーブルを挟み、アマリリスとアロイスは向かい合って座っていた。

しかし、どちらも口を開こうとはしない。

やがてアマリリスは、うつむいたまま小さく一度だけ息を吐いた。

現実感がなかった。

婚約破棄なのだから、泣くなり怒るなりしてもおかしくないはずだ。

だが胸にあるのは、感情よりも先に、底の見えない疲労感だった。

――それでも、このまま黙っているわけにはいかない。

これからのことを確認しなければ。

「お相手は?」

静かに問うと、アロイスはわずかに間を置いて答えた。

「……マリアーノ。マリアーノ・シリルシェットだ」

隠す様子もなく、その名を口にする。

アマリリスは記憶を辿った。

オルランド商会に数ヶ月前から勤めている受付係。

淡い金色の髪と柔らかな瞳を持つ、整った容姿の青年だ。物腰も穏やかで、来客の評判も良い。

長身で地味な自分とは対照的な、洗練された存在。

――ああいう人が、好みだったのね。

今さら知る事実に、胸の奥がわずかに軋む。

「俺は彼と結婚するつもりだ」

「そう……」

頼んでもいないのに告げられた未来に、こめかみの奥が鈍く痛んだ。

「婚約破棄の手続きをしなくてはならないわね」

事務的に言うと、アロイスは戸惑ったように眉を寄せた。

「それは……俺と君の間だけで済む話だろう?」

――済むはずがないでしょう。

喉まで出かかった言葉を、アマリリスは飲み込む。

婚約後、二人は商業ギルドで共同登録を行い、共に仕事をしてきた。

新居の建設費も折半している。契約関係の整理は避けて通れない。

「婚約証明の届けを、あなたのお父様と私の父で商業ギルドに提出したでしょう。あの書類には、婚約破棄時の取り決めも記されているわ。共同登録の契約も解消しなければならないし……あなたが結婚するなら、なおさら円満に処理しておかないと」

「ああ……そうだったな」

「午後、商業ギルドで確認しましょう。二時からでいいかしら」

「ああ」

それで話は終わったはずなのに、アロイスは立ち上がらなかった。

額の右を指で掻く。言いづらいことがあるときの、彼の癖だ。

「他に何か?」

問いかけると、彼は一瞬ためらってから口を開いた。

「その……マリアーノが、この家に住みたいと言っている」

この新居は、主にアロイスの希望で決めたものだ。

アマリリスが関わったのは、二人で使う予定だった作業場の設計くらいだった。

思い入れは、少ないはずだった。

それでも――婚約を破棄されたその日に、次の相手がここで暮らしたいと聞かされるのは、胸に重く沈むものがある。

「……清算後に、共同名義をあなたのものへ変更しましょう。私の荷物は、早めに引き取るわ」

「すまない」

短い謝罪だけを残し、アロイスは立ち上がった。

それ以上の言葉はなく、振り返ることもなく――彼はそのまま、部屋を出て行った。

アマリリス・レ・カリアは、椅子に座ったまま、しばらくうつむいていた。

前世も、今世も――気づけば、こうして背を丸めていることが多い。

前世では結婚どころか、恋愛すら経験しなかった。

今世でも十九になるまで縁はなく、ようやく訪れた春だと思った矢先に、これである。

父は生前、「何かあったらアロイスに守ってもらえ」と言っていた。

まさか、そのアロイス自身が去っていくことになるとは、夢にも思わなかっただろう。

明日、役所へ婚姻届を提出する予定だった。

書類の上では、まだ夫婦ではない。

だが婚約期間は三年。周囲の誰もが、この縁を当然の未来として受け止めていた。

同情か、それとも好奇心か――噂が広がるのは避けられない。

それを思うだけで、胸の奥が重く沈んだ。

それに、これまで素材の仕入れは、すべてアロイスの実家であるダーモント商会を通していた。

縁が切れれば、取引を断られる可能性もある。

続けられたとしても、以前のようにはいかないだろう。

考えれば考えるほど、頭の奥がずきずきと痛んだ。

――ふと。

婚約が決まったあの日のことを思い出す。

挨拶を終えたあと、彼は少し驚いたように言ったのだ。

婚約が決まって間もない頃のことだった。

工房で試作を終えたあと、アマリリスはいつものように嬉しくなって説明を始めた。

改良した術式の効率がどれほど上がったのか、どこに工夫を凝らしたのか――話しているうちに、つい熱が入っていた。

そのとき、アロイスが困ったように笑って言った。


『……君は、ずいぶん饒舌なんだな』

責める口調ではなかった。

だが、その言葉のあとに続いた沈黙が、妙に長く感じられた。

彼は静かで落ち着いた女性を好むのだと、そのとき初めて知った。

それ以来、自分から意見を強く主張することは控えて、嬉しいときでも、声を抑えた。

興味を引いたことがあっても、すぐには口に出さず、一度飲み込むようになった。

――そうしているうちに。

自分が、本当はどんな声で話していたのかさえ、少しずつわからなくなっていった。

目立つと言われた艶やかな亜麻色の髪も、暗い赤へ染めた。

いつも後ろでまとめ、目立たぬように。

派手な装いを好まない彼に合わせ、眼鏡は銀縁から黒縁へ。

もともと地味だった服装は、さらに色を失い、紺や濃灰ばかりになった。


この三年。

彼が望む「良い妻」になろうと努めてきた。

仕事でも、私生活でも、彼の負担にならぬよう気を配ってきたつもりだった。

――けれど。

アロイスにとって、アマリリスという存在は、それほど重いものではなかったのだろう。

そして、もう一つの記憶が浮かび上がる。

前世。

クレーム対応で客に頭を下げ、

対応が遅いと上司に叱責されて頭を下げ、

忙しさに追われて友人と疎遠になり、うつむいたまま日々を過ごした。

最期の瞬間ですら――机に突っ伏し、視界にあったのは、無機質な木目だけだった。

「……やめよう」

小さく呟き、アマリリスは顔を上げた。

窓から、春の日差しが差し込んでいる。

前世では、人に合わせ続けて、自分を壊した。

今世でもまた、誰かの理想に合わせようとして――この結末だ。

二度目の人生だというのに。

自分は、何をしていたのだろう。

――もう、うつむくのはやめる。

嫌なことは、嫌だと言おう。

好きなことは、好きだと言おう。

幸い、自分には仕事がある。

一人でも生きていけるだけの技術がある。

無理に、誰かの隣に立つ必要はない。

働いて、稼いで。

行きたい場所へ行き、食べたいものを食べ、飲みたいものを飲む。

自分の人生を、自分のために生きよう。

アマリリスは勢いよく立ち上がった。

窓の外に広がる春の空は――

目が痛くなるほど、澄みきった青だった。

読んでいただきましてありがとうございます。

お気に召しましたらブックマーク、評価いただければ幸いです。

改善点、応援コメント、誤字脱字ありましたらどんどん教えていただきたいです。

拙い内容ありますが、何卒よろしくお願いします。

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