Chapter 1「ネムリス Part 3」
あけましたね
おめでとうございます
一番下に位置したアームは短く、その先にある円盤は、まるで出迎えてくれているかのように止まっていた。二人が円盤の上に足を乗せると、すっとななめに、塔から離れながら上がって止まった。しかし優しいのはそこまでだった。十フィート(三メートル)ばかり上がった位置でもう、次の道筋がわからなくなった。アームはその上を安心して渡れるほどの幅を持たず、なにしろ動いている。しかし、十分な足場を持つ直径二十フィート(六メートル)程の円盤との距離はまだまだ遠く、助走もろくに取れないため、ジャンプして届くとは思えない。ジルは一番近くにある、まだ動きの遅いアームに飛び乗って、慎重にその上を歩いた。ネムリスも後に続いた。両腕を上げてバランスを取りながら緩い角度で斜めに伸びたアームをのぼっていく。大きな三つのボルトで繋がれた関節部があって、そこを跨いだ。上にあったアームと円盤がこちらに動いてきて、すんでのところで身をかがめて避けた。
「危なかったぁ!」とジルは唾を飛ばしながら言った。「つぎにあいつがまた回って来た時に、一緒に飛び乗ろう。タイミングわかるか?」
ネムリスは頷いた。
ジルが話した通り、アームは塔の胴体を一周する溝を動いて、右回りにまたやって来るようだ。しかし、二人の足場となっているアームが、速度は遅いが反対に左に回り、また塔自身もじわじわと回転しているので、アーム自体の動きよりもずっと早い速度で、しかも、アームが角度を変えたのだろうか、少し斜めに傾いた円盤が高速回転しながら迫ってきた。ジルは両足を抱え込むようにしてジャンプして、ネムリスは軽々と飛び越え、くるりと前にとんぼ返りして、ふたりは円盤の上に着地した。が、回転している傾いた円盤上ではバランスが取れず、二人は弾かれたように外側へ飛ばされた。
ネムリスの髪の毛が逆立った。興奮したように、顔が熱くなる。瞳を大きく見開いて、ひとつ瞬きすると、角膜は黄緑色に光って、瞳孔が縦長のスリット状に変わった。ラッパのように広がった手の袖口が、さらに大きく広がって、手を包み込んだ。同様に両足の裾も、靴ごと足を包み込む。すると袖と裾に覆われた手足はもとの三倍ほどの大きさに膨れた。手首や足首、顔や胴体や腕、脚は小さく、細いまま。ネムリスはその両手足を広げて空をひとつ掻くと、体の向きを変えて、ジルのいる方に頭を向けた。次に両手だけで平泳ぎをするようにもうひとつ掻くと、弾丸のようにまっすぐ飛んで、落下していたジルの首根っこを、ベースボールグローブのような手で捕まえた。
「わあっ!なんだ!」とジルは叫んだ。
ジルを掴んだネムリスは、一緒に一番下のアームまで落ちて行ったが、アームの上に両足を着けるやいなや、跳ね返るように高く飛びあがった。一気にさっき着地に失敗した三番目の(円盤を避けて)アームに乗った。動きが速く、傾いているが、ネムリスの大きな両足は吸いついたようにアームを掴んでいる。ジルの体は首を吊っているかのように、ネムリスのまっすぐあげた右手にぶら下がったまま。
瞳孔の形を丸く、それから縦と横に細く変えて、さらに回転させて次に飛ぶ位置までの距離を目算し、また飛び上がった。四番目の円盤はゆっくり回っていたので、弾かれずに着地できた。ネムリスはジルの首から手を離したが、すぐにしっかりと左手を握った。
ジルはいくつか咳をした後、ネムリスの顔を見た。
「お前、なんだよそれ、かっこいいじゃないか。ずるいぞ自分だけ、どうやるんだよ」とジルは怒って、うらやんで、喜んだ。しかし、ゆっくりでも足場は回転しているし、アームもずっと動いているので、だんだんと目が回ってきた。
「どんどん行くよ」ネムリスは楽しくなってきた様子だ。今度はジルの上腕部を掴んで、大きく振り回し、高くほうり投げた。うわあっ、とジルは叫んでばかり。投げたジルを追って、ネムリスは円盤を蹴った。すぐに追いついて今度は両手でジルを抱きかかえ、五番目のアーム、続けて六番目の円盤の上に飛び乗る。
「おい、俺はお姫様じゃないぞ、自分でやるからはなせよ」
ネムリスはジルを立たせた。
七番目のアームと円盤は、上下に動いているだけで、ただのエレベーターと同じだ。二人はずいぶんと高く上がった。しかし上がったところで、待ち構えていたように、わずかに高低差をつけた八、九番目の円盤が挟むように襲いかかった。ジルはジャンプして身体を水平にした。丁度うまく、ふたつの円盤の間に体を入れて、その後八番目の円盤の上に突っ伏した。ネムリスは二つの円盤を飛び越えて、両足で九番目の円盤に着地した。両方とも円盤自体の回転はなく、ひとまず安心した。ネムリスの乗った円盤は斜めに上がって行って、ジルと遠くはなれた。しかし二人を乗せた円盤を繋ぐそれぞれのアームは、共に塔を周回するタイプだ。また二人の乗る円盤は交差するだろう。
中腹近くまで来ただろうか。一周する間に、ネムリスは上を見た。アームと円盤の動きはもっと複雑になっているようだ。アームの節くれは激しくガシャガシャと音をたてて縦横無尽に折れ曲がり、たまに回転している円盤が別のアームや円盤に接触し、火花を散らせている。その度にうなり声をあげているかのように軋んだ音が鳴り、胴体の隙間のいたるところから蒸気を吐き出している。塔は自らを傷つけているようで、不条理で、無秩序だ。周囲が暗くなってきている。青色から紫、朱色に滑らかに変化している空が見えた。
ジルが言うタイムアップが近づいている。ネムリスもジルも、合図をかわす事もないまま、次の交差にタイミングを決めていた。
ジルが乗る円盤は、ネムリスが乗ったものよりも上下の動きが少なく、一周する速度は遅い。迫りくる円盤に向かって飛ぶのはむずかしいし危険だ、失敗すれば円盤に体を真っ二つにされるかもしれない。交差した後、はなれる間際の円盤に飛びつく方がタイミングを計りやすい。それに、きっとネムリスが手をのばしてくれているだろう。ジルは身構えた。斜め上から近づいてくる九番目の円盤。上に立つネムリスの姿は近づくにつれて、やがて見えなくなった。円盤の後方に移動したのだ。ジルは、顔は後方に向けたまま身体を逆向きにして、走る構えを取った。失敗したら、落ちる自分をまたネムリスが助けてくれるかもしれないが、タイムロスとなるし、なにより面目がたたない。ここまで連れて来たのは自分なのに。プレーヤーは自分のはずだ。他にもいるとしても、なぜあいつばかり、あんなマネができるんだ?
ジルは前を向いて駆け出した。影が覆って、頭上を円盤が超えていく気配を感じた。すると目前に、膝をついて両手を伸ばしているネムリスの姿が見えて、あっという間に小さくなっていった。(しまった! 遅かったか、この助走じゃあ届かない)それでも今更足を止められない。ジルは円盤の端で踏み切って、思いきり飛んだ。ネムリスもさらに身を乗り出した。互いに精いっぱいに伸ばした片方の手の指先がぎりぎりで触れると、ネムリスのもとの三倍大きな手を包んでいた、白い袖口が一旦解かれて、元の大きさの手が少し見えた。それからまた絡まるように、今度はジルの手首まで伸びて、浸食し、同化した。ネムリスがジルを力いっぱい引っぱると、勢い余った二人の体が、繋がった手を中心点にして、円盤上で一緒に踊っているかのように回った。アームも、アームの軸となっている塔も、ジルの目玉も、すべてがぐるぐると回っている。
「行けそうだ」と、回りながらネムリスが言った。
「なんだってー?」目を回しながらジルが言った。
「このまま行けるよ」ジルと繋がったまま、ネムリスはアームに飛び乗ると、ジルが引っ張られて落ちそうになった。ネムリスはまた繋がった腕を勢いよく振りまわす。ジルの身体が宙に浮いて、ネムリスはアームを蹴った。今度はジルの身体が宙に浮いたまま軸点になって、ネムリスの体が回った。交代で互いを軸にして回転しながら、ブーメランのように塔の外壁に向かって舞い上がって行った。十番目のアームの太い上腕部が、跳ね飛ばす意思をもったかのように襲いかかった。ブーメランは回転を止めて、向きを変えた。横殴りに迫ったアームの表面に、衝撃を吸収するように膝を折り曲げて、二人は着地した。アームの上に乗ったのではない。アームの横に乗ったのだ。二人の顔はさっきまでの上を向いている。二人の背はさっきまでの下を向いている。でも落ちない。アームは回転を続けているが、この速度では、重力に抵抗できるほどの遠心力はない。しかし、二人は両膝を伸ばして、悠々と立ちあがった。ネムリスの左手とジルの右手は繋がったまま。
「これもお前がやっているのか?」ジルが隣に立つネムリスの横顔と、それから繋がった手を見て言った。「どうやるんだ、俺にも教えろよ」これを放したら、俺だけ落ちるんだろうな、とジルは思っている。
「コツがわかった。回して、引き寄せればいいんだよ」前(つまり上)を向いたまま、ネムリスが言った。
「そんなのでわかるかっ!」
「こうだよ」瞳孔を細く、丸く、次々に形を変えた。
さっきまでは上、今は正面の光景は、次に傾斜のついた眼下になるべく、ゆっくり角度を変化させて行った。ネムリスに促されて、ジルは一緒に体の向きを変えて、それから塔の外壁へと飛び降りた。外壁までの距離は十五フィート(四メートル半)程だ。飛び降りるくらいなら、ジルにとっても能力範囲内だった。しかしその後傾斜した外壁を、靴のかかとで削るようにして、塔のてっぺんに向かって滑走している状況については、それを大きく超えていた。もちろんこれが現実とは思っていない。が、こいつはあまりにもでたらめすぎないか? ネムリスは俺と同じプレーヤーではないのか? 反則だろ? ……同じ年くらいのやつに手を引いてもらっている状況に、うらやんで、少しこわがっている自分が、急に腹立たしくなった。
「手をはなせよ、男同士で気持ち悪い」ジルが力いっぱい繋がった腕を振ると、ぷつん、とあっけなくちぎれたようにはなれて、ネムリスの手は、繋いでいなかった方の手も一緒に、元の通り小さくなった。途端、それまで滑るようだった足裏の感触が、ごつごつと硬くなって、ジルは躓きそうになった。滑るのをやめて、足をあげて走るようにしたのだが、塔から足をはなす度にバランスが崩れて、落ちていきそうになる。どんどん上体が前に倒れていって大股になると、滑っていた時よりもずっと速度が上がった。ネムリスを追い抜いて、ひとつアームが通る溝を飛び越えた後、着地に失敗してジルは前に転がった。そして丁度よく回ってきたアームの根元に、背中からぶつかってしまった。「うわあっ」強い衝撃を受けた。アームは動いているので、振り払われたようにジルの体は落ちた。ネムリスはアームの溝をひょいと飛び越えた時をきっかけに、後ろにそらせていた姿勢を前のめりに変えて、スキージャンプの滑走のような体勢を取っていた。段々と速度があがると共に、足元の塔の外壁が、さっきよりも荒く削られて、崩れたブロック片が上へ落ちて行った。
ジルの体は一度地面(塔の外壁)に落ちて転がった後、またも一つ先のアームに弾かれた。うめき声をあげたので、意識を失ってはいない。しかし体は斜面からはなれてしまって、てっぺんに向けて落ちていく。
ネムリスは踏み切って、外側に向けて高く飛んだ。それからぐんぐんとジルの体に近づいて行って、手を伸ばしたが、あと少しで届くというところで、手を引っ込めた。しばらく飛んだまま考え込むと、ジルの体がまたはなれて行った。ネムリスは大きく、倍ほどに目を見開いて、まん丸の瞳孔を広げた。栗色の髪が、炎が立ったように長く巻き上がった。どれくらいかというと、その後十フィート(三メートル)以上はなれていたジルの胴体に何重にも巻きつけて、振り回すくらいの長さだ。
ジルはまだ意識を保っていた。「なんでもありか!」と喚いた。
再び傾斜した外壁に下り立った二人に対して、開き直ったかのように、アームと円盤はでたらめに動いて襲いかかった。なりふり構わずと言ってもいいだろう、もはやむき出しになった丸型の電動のこぎりのような勢いで回転する円盤は、躱されると、勢い余って自らの身であるブロック壁を切り崩した。火花が散って、その度に溝やくずれたブロックの隙間から、蒸気が音を立ててふき出した。ネムリスの髪で繋がったまま、二人は走り続けた。今度は滑っていない。ブロック壁を踏みしめ、いや踏み崩しながら走った。ジルが避けきれない時は、ネムリスの髪が時に振り回し、時にほうり投げ、腰だけじゃなく、首や足首にも巻きつけて、自在に彼を動かして、躱し続けた。ジルはもうどうにでもしてくれ、という気分になっていった。
至る所からふき出す蒸気に加え、散らばった細かいブロック片や、火花で焦げた時の煙で、あたりが覆い隠されていった。どこからアームや円盤が襲ってくるかわからない状況の中、白煙の隙間にジルが見つけた。「あそこに飛び込め!」ただひとつあった、黒い木の扉で塞がれた窓に、ネムリスは足から、扉を蹴り壊す勢いで飛び込んだ。扉はなんなく内側に開いて、ネムリスと髪で繋がれたままのジルを招き入れた。
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