Chapter 1「ネムリス Part 2」
コツン、と音を立てて、小舟の上に角のない小石が飛び込んできた。飛んできた方向に目をやると、少年と同じ年頃の男の子が、舟と並走していた。少し先まで走っては小石を拾い、またこちらに向けて投げつけてくる。
「やめなよ」と少年は呼びかけた。
浅黒い肌をした、白い半袖シャツと青い半ズボンを着た男の子は、ハハッ、と区切った笑い声をあげて、何度も石を投げ続けた。石は度々舟まで届いた。スクワロゥには当たらず、ネコは体を左右に振って鮮やかに避けたが、子熊をかばった少年の肩にひとつ当たった。痛いものではなかったが、悲しい気持ちになった少年は、子熊を床に寝かせて、川に飛び込もうとした。ネコがにゃあ、とひとつ鳴いてから、首をふって前方を見るよう促した。いつの間にか、船着き場が見えていた。舟が徐々に岸に近づいた。船着き場がある事に気づいた男の子は、「ヤバい」と、唾を飛ばしながら大声で言って、笑いながら森の中に逃げて行った。
「この子を頼むよ」スクワロゥにそう言って、少年はまだ十フィート(三メートル)ほど距離があった間を飛び越えて、桟橋に着地した。スクワロゥが「待て、どこへ行く?」と叫んだが、返事をしないまま森の中へ後を追った。男の子は迷いなく道から逸れて、木々の間を駆け、木をのぼり、枝葉の渦へと飛び込んで行った。少年はそのうしろ姿を見失うことなくついていく。男の子は道筋がわかっているように枝を掴み、蹴って、上へ上へとのぼって行った。後を追う少年も同様にのぼっていく、上に行くほどに枝は入り組んで、先が見えない程に長く、曲がりくねっていった。慣れてきた少年は時に枝の上を飛び渡り、すべり、転がったりした。どこまで行ってもすぐに追いついて、時に追い抜いていく少年に、男の子は「なんだこいつ」と言って、焦った。右肩まで届いた手を腕で振りはらい、男の子は大きく開いた木の穴に飛び込んだ。少年が穴を除きこむと、男の子の姿がなかったが、首を回して上を向くと、うす暗い木の中を、手足を突っ張らせてのぼっていく姿が見えた。汚れたスニーカーの底からはがれた土が、少年の額に落ちた。少年は首を振ってはらうと,穴に入って、同様にのぼりはじめた。滑り落ちた時と同じで、木の内側は起伏がほとんどなかった。気を抜くと、すぐに滑り落ちてしまうだろう。のぼっている間に、少年は男の子を捕まえるより、どこかへ連れて行ってもらっている気持ちに移り変わっていた。もっとのぼるスピードを上げる事はできるが、男の子との距離を一定に保った。当然先に男の子がのぼりきって、少年が下を向いている間に姿を消した。頭上に丸い形の出口が見えていた。
外に出ると、そこは木造の屋内だった。上と四方を隙間だらけの丸太と板が囲んでいる。中央に四~五人が集って食事できそうなほどの太い丸太を切ったテーブルがあって、背もたれのない、簡素なスチール製の丸イスに囲まれている。テーブルの真ん中には、大きな穴が開いていた。男の子と少年はそこから出たのだ。穴からはかすかに光が漏れ出ていて、うすい黄と青に交互に色を変えている。川の光が木の空洞を通って、ここまで届いているのだ。
男の子の姿はないが、開かれたままの木の扉があって、そこから強い光が差し込んでいた。外へ出ると、見えるものの半分が鮮やかな青い空になった。もう半分は、これも鮮やかな黄緑色の農園がほとんどを占めていて、まばらに三角屋根の白い家が数件建っている。一方向では、わずかに五~六軒しか視界に入らない程、家と家との間は離れている。一番近くに見えた家の玄関ドアが開けっ放しになっていて、近づいて行くと、さっきの男の子が両手に何かを抱えて、走り出てくる様子が見えた。男の子は少年に気づいたが、背を向けてそのまま農園の間にある道を走っていく。少年が追いかけると、すぐに追いついて、男の子と並んだ。
少年の姿を横目で確認すると、足を止めないまま、男の子は「ほらっ」と言って、赤いボールをひとつと、続けて玉ねぎをひとつ、少年の胸元にポイッ、と投げ渡した。男の子は他にもボールを二つと、玉ねぎをひとつ持っていた。つまり二人合わせて色違いのボール三つ(子供の手には少し大きい、二枚の皮革に包まれた硬いボール。赤、黒、黄)と、赤茶色の皮をつけた玉ねぎ二つだ(こちらもボールと同じくらい大きくて硬い)
「どこへ行くの?」
「お前、名前は?」
「名無し(Nameless)」と答える少年。
「ネムリス? そうか、俺はジルだ。よろしくな」
「どこへ行くの?」もう一度たずねた。
「案内してやるからこのままついて来い。お前ならついて来られる」
ジルとネムリスの走る速度はどんどん上がっていく。歩幅がどんどん広くなっていく。一歩で、ゆうに十フィート(三メートル)は跨いだ。
「ボールと玉ねぎを落とすなよ」と、ジルが叫びながら大きく飛んだ。ネムリスはボールと玉ねぎをそれぞれしっかり掴んだまま、ジルよりも大きく飛んだ。
五分くらいだろうか。土の道を走り、跳んで、目的地に着いた。ジルはぜーぜーと息を荒くして、整うまでにしばらく時間がかかった。ジルはまん丸の顔で額が広く少し前に出ていて、目、鼻、口が下半分に密集している。つぶらな青い瞳がかわいらしいが、どこか意地悪そうだ。ざんばらの金髪が稲穂のように光り輝いている。
「ここが目的地だ」ジルはそう言って、眼前の建物を見上げた。後ろにひっくりかえりそうになるほど背を逸らせないと、てっぺんが見えない程の高い塔があった。石のブロックを積み上げて作られていて、くすんだ色が相当に古いものに見える。円柱型で、人が手を繋いで囲むには、大人が三十人は必要なくらい太い。高さはどうだろう、五十人くらい肩車すればてっぺんまで届くだろうか。
ジルが指さして言った。「あの窓がある高さまで、ボールを届かせればクリアだ。でも、玉ねぎはまだ使うなよ。届かないで潰れちゃったら、使い物にならなくなるからな。それは最後に使うんだ。まずはボールを使え」
塔の真ん中くらいの位置に、上部がR型の窓があった。焼け焦げたような黒い木の扉で、閉じられている。他に中へ入れる所はなさそうだ。
ジルとネムリスは玉ねぎを地面において、交代でボールを投げるがまるで届かない。何度も何度も投げて、何度も何度も跳ね返って落ちたボールを拾っては、繰り返した。少しずつ当たる位置は高くなっていったが、まだまだ不十分だ。
「高くジャンプして投げたらどうかな」とネムリスが言った。
「それだと踏んばれないから、高く投げられない」
ネムリスはやってみたが、確かにそうだった。軽く飛んでも、ジルの背丈を超えるくらいまではジャンプできるが、当たる位置はさっきより低くなった。
「そうだ!」と閃いたように言って、ジルは後ろに下がった。「ちょっと後ろから投げた方がいいんだった。思い出したぞ」
ジルの投げたボールはさっきよりも、ずっと高い位置に当たった。
ネムリスも同様に下がって投げると、あとほんの少しのところまで届いた。
「いいぞ!」とジル。
落ちたボールを取りに行く面倒は増したが、二人は手応えを感じて嬉しくなった。下がってからジルが六度目に投げた黒いボールが、窓より高い位置に当たって、はじけて消えた。バシュー、と蒸気を吐き出したような大きい音が鳴って、塔が少し揺れた。
「やった!」とジルが大声を上げた。
続けてネムリスが投げた赤色のボールが、さらに上に当たってはじけた。同様に激しい音が鳴って、塔が揺れた。その後もしばらく小刻みに揺れて、まるで震えているように見えた。
「あと一回だ。日が暮れるまでに倒せ!」とジルが叫んで投げたが、今度は届かなかった。いつの間にか太陽が塔の後ろに下がって来た。ひとつしか残っていない黄色のボールをかわるがわる投げるが、なかなか届かなくなった。
「肩が痛くなってきた」と言って、ジルが地面に座り込んだ。
次はジルの番だったが、ネムリスは代わりにボールを取りに行った。太陽の位置はぐんぐん低くなって、塔と自分たちに迫ってきているように大きくなっていた。まぶしくて、塔は翳ってさらに黒ずんだように見えた。
ネムリスはさっきよりもずっと後ろに下がって、助走を始めた。歩幅を狭くして小刻みに地面を蹴った。そして大きく振りかぶって、右肩を大きく回してボールを投げた。ネムリスは勢い余って前方に低く宙返りしたが、無事に足から着地した。ボールは高く舞いあがり、窓の高さをはるかに超えて(下から見えない程)当たった音がした。塔はまた激しく揺れた。
「すげえ!」とジルが叫んだ。「ようし、準備しろ。ひとつずつ玉ねぎを持って」
二人は前に駆け出して、最初に投げていた位置に置いてあった玉ねぎを拾って、それからまた一旦後ろに下がった。
塔は揺れながら、ブロックの隙間からいくつも白い煙をふき出した。ピーッ、ピーッ、と湯を沸かしたような音がして、癇癪をおこしているように見えて可笑しい。
しばらくの間ふき出し続けた煙で、辺りが霧に包まれたようになって、薄暗くなった。すると、機械音と大きな歯車が動いているかのような音が鳴って、うっすら見える塔の影がはげしく動き始めた。外壁のブロックのあちこちが崩れて、内から何かがせり出した。何本もの、鉄骨で組み立てられたようなアームが生えよるように伸びて、その先端に花が開くようにして銀色の円盤が表れた。根元からてっぺんまで、二十を超える、長さも太さも不揃いの錆びたような色のアームと、光ディスクのような円盤が動き始めた。アームはそれぞれひとつふたつの節くれがあって、そこを軸にして振り回すように動いている。円盤自体も回っているものがある。地面に対して水平なものが多いが、たまに斜めになっているものがある。よく見ると、塔自体もゆっくりと回っている。赤黒い二十本もの腕を生やした(その代わり足がない)寸胴の巨人が、すべての手で皿を回しているような様子だ。
「てっぺんまでのぼるんだ」
「どうやって?」
「あの鉄骨と、円盤の上をうまく渡っていく」
「ついて行けばいいの?」
「いや、道順は覚えていない。確か何度かのぼったはずなんだけど」
「上に何があるの?」
「黒い…んーと、頭がある。三つ目があって、横に、俺たちの耳の位置に、牙の生えた口がある。かみついてくるのを避けながら、その三つ目に玉ねぎをぶつけると、ステージクリアだ。玉ねぎは一度使うとつぶれちゃうからな。絶対外すなよ」
「玉ねぎは二つしかないよ」
「いつも家には二つしかない。それが条件なんだよ。最後は賭けだが、三つの内、どれかひとつが当たりなんだ、だから勝つ確率は六十六パーセントもある。大丈夫だよ、俺は前に一人で行った事があるけど、運悪く最後に外したんだ。次は当たるさ」
「うん、わかった」
ジルは上着の裾をしっかりと半ズボンの内側に入れて、ベルトをきつく締めると、水色の襟を引っぱって玉ねぎを上着の中に入れた。お腹がぽっこりと膨らんだ。ネムリスはだぶついた襟に玉ねぎを入れた。顎下から襟首に回すと、襟は少し後ろに垂れ下がって、フードのようになった。
「急げよ。日が暮れたらタイムアップだ」




