拗れきった婚約を破棄したいので、聖女になることにした。
4000字未満の百合短編です。さらっとめ。
「ローレス公爵令嬢カルミア! 貴様との婚約は破棄だ!」
貴族学園のさる夜会の場に、朗々と声が響き渡る。
参加している令息令嬢は、恒例行事ゆえ見向きもしない。
3か月ぶり、通算33回目の婚約破棄。
クエス王太子の宣告に、カルミアはにっこりとほほ笑んだ。
「で。今回はどうやって私との婚約を破棄なさるんです? 殿下」
カルミアとクエスは、複雑な政治事情によって婚約を結んでいるのだ。
どれだけ嫌がっても、子どもの都合で破談になどできない。
だがクエスは婚約当時からカルミアを嫌っているらしく、ことあるごとに婚約破棄を試みてきた。
最初は憧れの王子の妻になれると喜び、懸命に妃教育を受けていたカルミアも、ここまで嫌がられてはとうに愛情は果てている。
妃教育、学園、最近では公務にも触れるようになり、負担が大きいカルミア。王都住まいで、大好きな父母のもとにもなかなか帰れない。
むしろ一刻も早く婚約破棄してほしいところではあったが、毎度毎度クエスの試みは控えめに言って浅はかで、大人が頷いた試しはなかった。
そして今回は。
「ふふん。聞いて驚け。貴様の進学先は、高等部ではない――――聖女学院だ。
この俺が、お前を推挙してやった」
「…………は?」
「察しの悪い間抜けめ。聖女に選ばれれば、結婚することはできない。
それくらい、頭の巡りの悪いお前でも知っているだろう?」
煽るように告げられたクエスの発言内容は、正しくはない。聖女は魔物から人の生存圏を守るため、無数にいる。
結婚できないのは聖教会の認める上位の一部、頂点たる黄道十二聖女のみだ。
貴族学園隣に建てられている聖女学院は、確かにその頂きを目指す聖女たちの学び舎ではあった。
とはいえ狭き門であり、入学したからといって十二しかない座に至れるものではない。
だがカルミアはこの指摘を……飲み込んだ。
己の望みを、叶えるために。
夜会を辞し、カルミアは学園を出る。
使用人を連れて正門に向かいながら、この先の段取りを考えていた。
(――――これは、自由を得るための好機。
聖女学院に入るには、王族や聖教会の推挙が要る。
誰がクエス王子をたぶらかして頷かせたかはわかりませんが、十二聖女になれれば婚約の破談は、成る。
良くしてくださる国王陛下、王妃殿下には申し訳ないところですが。
手回しを急がないと)
開いた門扉を潜ろうとしたカルミアは。
「ローレス公爵閣下のご息女とお見受けします」
正門の影から、呼び止められた。
暗闇から薄暗い街灯の中に現れたのは、辛うじて貴族の娘と察せられる少女であった。
見覚えもなく、みすぼらしい。
「お話を聞いていただきたいのです。
クエス殿下に聖女学院の話をしたのは……私です」
王子を唆し、学院行きを勧めさせられる、カルミアの知らない令嬢。
それが真実かどうかも、またその意図も判断がつかない。
カルミアは明かりの中の少女の顔をじっと見る。
そしてその表情を、推し量った。
(私をだまそうとする者は、話を聞いてほしくておもねる。媚びる。
単に私に意見がある者は、感情が表に出る)
そこには、笑顔も穏やかさも剣呑さも敵意もない。
強く輝くような黒い瞳が、カルミアをじっと見ている。
彼女はただ、真剣であった。
(これは、救いを求める者の顔。
下は乞食から、上は破滅しかかった貴族まで。
これまで、何度も見てきた顔)
つまり。
カルミアを聖女学院に入れることが、この少女にとって乾坤一擲の手であるということ。
カルミアはそう理解し。
(ならば見極めねばならないのは)
まず、歩み寄った。
「あ、あの?」
戸惑う少女を一瞥し、カルミアは手を伸ばす。
髪についていた木の葉を二枚、つまんで彼女に見せた。
「ぁ」
そのまま手櫛で少女の髪を整える。
少し軋むものの、滑らかな黒髪。肩に当たる髪先が、少し跳ねている。
襟を真っ直ぐに整え、それから両の肩をひと撫で。
「淑女たるもの、ここぞいうときは己の最も美しい姿をさらしなさい」
「カルミア、様」
「さぁ、その目をもっと良く見せて?」
カルミアは少女の顎に指を当て、少しだけ引き上げた。
大きめの黒い瞳が、潤み。
(あなたは私にすがるの?
それとも――――)
カルミアの前で再び、先のような覚悟の光を、宿した。
カルミアは頷き、一歩引いてから口を開く。
「大変結構。いかにも、私はカルミア・マウンテンよ。
自ら立とうとする淑女よ。あなたは?」
「っ。ジャスミン男爵の娘、プラムと申します。あるいは」
思うよりずっと優雅に、プラムと名乗った令嬢は礼をとった。
「〝乙女ゲームのヒロイン〟と、お見知りおきを」
◇ ◇ ◇
「ローレス公爵令嬢カルミア・マウンテン! 貴様との婚約は破棄だ! はっはっは!」
一年後。6か月ぶり、36回目の婚約破棄を突きつけてきたクエス第一王子。
それは貴族学園中庭、聖女学院と繋がった交流の場での一幕であった。
渦中にあるのはカルミア、クエスと、彼を取り巻く幾人かだけ。
王子の背後には、かつて〝ゲームのヒロイン〟と名乗った彼女の姿もあった。
「父上がついにお認めになったぞ、止むを得んとな!」
指さして笑いながら続けるクエスに、カルミアの眉根が寄った。
(それは知っている。
ですがなぜ、彼女がそこに……まさか)
果たしてカルミアの懸念は。
すぐに現実のものとなった。
「ふふふ。これでやっと求婚できる! 俺と結婚してくれ、プラム!」
周囲の貴族の令息令嬢たちはざわめき、王子の取り巻き数人は何やら盛り上がり、カルミアはげんなりした。
求婚されたプラム、〝乙女ゲームのヒロイン〟は。
かつてカルミアが王子に対して浮かべたような、綺麗な笑顔を見せた。
――――それはカルミアの知る限り、最も美しいプラムの姿だった。
「結婚なんて、できません」
「…………え?」
呆然とするクエス王子。プラムは中空に手を差し伸べた。
「だってほら」
彼女の指し示す天の先を、カルミアも見上げる。
仄かに黄金に輝く半透明の魚が二匹、空を泳いで降りてきていた。
(来たわね。聖別を告げる、御使いが。なんて良いタイミング)
その魚の口がぱくぱくと動き、荘厳な声が流れる。
『プラム・イエロー』
「はい」
『魚座より、アルレシャの星の名を与える』
「ありがとう存じます」
プラムが頭を下げる。王子とその取り巻きも、口をパクパクとさせていた。
『並びにカルミア・マウンテン。レーヴァティの星の名を与える。
ともに二人、魚座聖として歩むが良い』
「謹んで、拝命いたします」
カルミアもまた礼をとる。
顔を上げると、降りてきた魚の一匹が……カルミアの左手にとりついて、消えた。
もう一匹はプラムの右手へ。
そして二人の手の間に、赤く太い紐が結ばれ――――手首に結わえられた部分を残し、見えなくなった。
プラムは王子たちの間をすり抜け、カルミアに歩み寄り、その左隣に並んで立つ。
クエスたちの方を振り返り、またほほ笑んだ。
「黄道十二聖女が十二、魚座聖と相成りましたので。在任中は結婚できません。
せっかくのお申し出ですが、お断りいたします」
〝星の御使い〟によって正式に十二聖女に選ばれた二人は、学院を出て馬車に乗り込んだ。
王城へ向けて、馬車が進みだす。
音が漏れぬ環境になり、落ち着いたところで。
「「ぷっ」」
どちらともなく噴きだし、笑い出した。
「こんな笑える顛末になるとは、思わなかったわね」
「はい。いきなり囲まれたときはどうしようかと……でもよかった。
これでクエス殿下から離れられますね、カルミア様」
「ええ、あなたもね。言い寄られて大変だったでしょう」
「はい、もうほんとに!」
カルミアは朗らかに言うプラムを見ながら、一年前に話された内容を思い出す。
プラムが覚えている前世。その知識にある〝乙女ゲーム〟。
この世界と非常に酷似した物語が、そこには描かれているとのことだった。
本来ある物語は「主人公が、王子たち攻略対象と交流しながら魚座の聖女を目指す話」らしい。
だが主人公はどうしても聖女に至れず、挫折。しかし王子の愛を得て、幸せになる、と。
なお聖女になれなかった原因は、「魚座は二人一組」であり、主人公に並ぶ者がいなかったからである。
それを踏まえてプラムは、カルミアに「一緒に聖女になってほしい」と願い出た。
カルミアにその願いを受ける理由は、ない。
彼女がプラムと共に歩むことにした、そのわけは。
「それにしてもあなた。本当に殿下のこと嫌いなのね」
「はい、大っ嫌いです!
がんばってるカルミア様を放っておいて、主人公に乗り換える王子。
ゲームの頃から嫌いでした。現実で見たらもう、ひどいのなんの……」
気が合ったのである。二人は王子嫌いで意気投合した。
なんでもプラムは前世で婚約者に浮気され、失意の中で自死を選んだらしく。
クエスのような男は、どうしても許せないのだそうだ。
それゆえ、十二聖女になって彼と結婚しなくて済む道を実現するため、カルミアを聖女学院に入れる一手を打ったらしい。
(プラムのおかげで、ようやく私の望みは叶う。
自由になり、領のお母さまにも会いに行ける。
…………そういえば、聞いていなかったけど)
カルミアはふと、気になった。
聖女の試練は生易しいものではなかった。特に、聖女になろうとする強い動機を求められる場面が多かった。
カルミアは家族のため、自由のために何度でも立ち上がることができた。
では、プラムは。
「プラム。あなたは何のために、聖女になろうとしたの?
本当に、ただ殿下が嫌だったから?
それとも――――」
カルミアが尋ねると。
相棒となった聖女は、ゆっくりと目を細めた。
その黒い瞳に映るものを、押し隠すかのように。
「あなたをお助けしたくて、私は遠い星の彼方からやってきたのです」
「え?」
さらりと言ったプラムは、何かをごまかすように笑みを浮かべた。
「知っていましたか? カルミア様」
プラムは右手首の赤い紐を、掲げて見せる。
それは絶対に切れることがないという、魚座聖の聖具。
「私たち、もうずっと離れられないんですよ?」
「結婚できない」の本当の意味を、カルミアは少しずつ教えられることになる。