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外で手持ち無沙汰に待っていた真司は、ヌイを伴って治安課から出て来た斎の姿を見つけて、駆け寄った。
「斎、お疲れ。どうだった?」
「うん、良い人だったよ。でも、そんなに欲しい情報はもらえなかったかな。人として色んな人のこと知ってそうだけど」
「警察が俺らのこと、詳しかったら俺は今ここにいねぇよ」
「それもそうだね」
「これからどこに行くんだ?」
「……それぞれのチームのリーダーに会いに行きたいな。組織のトップだし、今回のこと、何か知ってるかも」
「何処から、回りたい?」
「やっぱり、赤狼かな。真司がいるし、リーダーにも話が行きやすそうだしね」
そうだよな、と呟いたが、真司は気が重かった。折角、チームリーダーとしての身分を隠して接していたのに、こうも簡単にばらさなくてはいけないのか。
自分がリーダーだ、と言おうと真司が口を開いた時だった。ジーンズのポケットに入れていた携帯が震えた。それは長い間止まらず、通話であることを真司に知らせた。
「すまん、電話だ」
ディスプレイを見れば、幹部の一人からだ。何か、あったのだろうか。嫌な予感を抱きながら、真司は通話ボタンを押した。
『バカシンジ! 早く出ろよ!』
途端に聞こえる怒声に、真司は咄嗟に携帯を耳から離した。
「モモ、てめぇ、声でけぇんだよ。……何があった」
『またあの死体だ。今度は黒の奴らしいぜ。ジュンさんもいる』
「何処だ?」
『アサギビル。そっちは今何処にいるんだよ』
「あぁ、ちょっと治安課に、な」
『はぁ? なんでそんなとこにいんだよ』
「なんでもない、すぐに行く」
真司はそう言い切ると、モモの返答を待たずに電話を切った。
「斎、また例の死体が出たって」
「近い?」
「あぁ、十分ぐらいだな。今度の被害者は黒の奴らしい。あっちのリーダーも行ってるみたいだから、話、聞けるかもしれないな」
「真司、連れてって」
目の見えない斎のために、彼の手を取って真司は足早にアサギビルへ向かった。
現場には野次馬の人だかりが出来ていたが、真司はそれを避けるようにビルの裏口へ回った。扉付近で大きな怒鳴り声が聞こえ、その声に聞き覚えがあった真司は溜め息を吐きながらその方向に足を向けた。気付かれないようにそっと行ったというのに、ビルの入り口に立つ青年に見つかって怒鳴られた。
「シンジ! 遅ぇよ!」
青年の気分も高揚しているのか、いつもより大きな声に、真司は眉をしかめて舌打ちをした。
「モモ、うっせぇ」
「なっ、お前が遅いのがいけないんだろ!」
きゃんきゃんと仔犬が相手を威嚇するように真司に噛みつくが、彼は仔犬と称されるほど小さくはない。しっかりと筋肉がつき、立派な体つきをしている所為で、モモというあだ名から受ける印象ともほど遠い容姿をしていた。
「シンジ、お前の所からも出たんだってな」
「……ジュン」
ビルの奥から声と共に現れた人物に、真司は溜め息混じりに声をかけた。すらりとしたモデル体型に、黒のハイネックと黒のスキニージーンズを合わせ、全身を黒でコーディネイトした青年。これが黒騎士のリーダーだった。
「そっちの奴は誰だ? 何故お前と一緒にいる?」
ジュンが斎を目敏く見つけ、真司に尋ねた。その視線には苛立ちと不信感が込められている。彼は自分たちのフィールドに、何も知らない他人が入り込むのが我慢ならないのだ。
「俺がこの町を案内してる斎だ。独自でこの事件追ってんだと。もちろん、警察とは関係ない。……斎、黒騎士のリーダー、だ」
「はじめまして。ジュンさん、でしたよね? 唐木田さんに教えてもらいました。俺は斎といいます。中を見させていただいてもいいですか?」
「現場に入る事は構わないが、一つ聞く。お前にとって、この事件はなんだ?」
ジュンは斎の目の前まで距離を詰めて尋ねる。その距離は充分に拳の射程圏内だ。ジュンの機嫌を損ねれば即刻彼の拳の餌食になる。
「この事件の解決を、依頼として受けました。俺にとっては、責任を持って終わらせなければならない仕事です」
視線は合うことがなかったが、その全身から発せられる気配に本気を感じたのか、ジュンも殺気を消して拳を解いた。
「分かったよ。案内してやる。シンジ、お前も来るか?」
「お前がいいんならな」
「やる気になったって聞いたぜ。お前はさ、抑え過ぎなんだよ。もっと出せよ。こう、高まる気ってヤツをさ」
何重にも意味が含まれている笑みを真司に見せ、ジュンは二人に背を向けた。ついてこいと言っているのだろう。
ビルの一室は真司が遭遇した惨状と変わらず、血と吐瀉物が散乱する酷い空間だった。部屋の壁を中心に血痕が吹き飛んでいるが、肝心の遺体は部屋の何処を見ても存在しなかった。
「ジュン、死体はどうした?」
「そんなもん、運んだに決まってるだろう? いつまでもこんな所に置いておけないさ」
「警察には……?」
「シンジ、……俺があいつら嫌いなの、知ってたよな?」
「あぁ、知ってる」
ジュンは真司の目を真っ直ぐ見たまま低く轟く声を響かせた。これが本来の反応なのだと真司は再確認をする。本来チームと警察は相反するものだ。真司のそれは、警察というよりかは凌悟との繋がりだが、周りからしてみれば何も変わらない。これは根本の違いなんだ、と真司は言い聞かせてジュンから目を逸らした。
「何か変わった事はあったか?」
「いや、うちと変わらないさ。昨日ここには死んだ奴の他に誰か、いたんだろう?」
「まぁな。……それについてはホームで話す。ついてこいよ」
ホーム、と呼ばれた場所がチームの本拠地だと知っている真司は大人しくジュンの後をついていく。途中で斎に声をかける事も忘れずに、斎と二人連れ立った。
彼に連れていかれたのは、町外れの倉庫。彼は大きなシャッターの隣にある通用口を開け、中に入った。倉庫の中にはメンバーが何人かいて、中央には、人型に膨らむブルーシートがある。メンバーはジュンの姿を認めると口々に挨拶と会釈をし、ジュンもそれに応えた。
「まずは死体を見た方がいいか? シンジ、お前の見解を聞きたい」
そう言うとジュンはブルーシートに手をかけ、勢い良く引き剥がした。
現れたのは無残な死体。真司は“彼”の傍に膝を着き、手を合わせた。
昨日のサトシの様子を全て覚えている訳ではなかったが、それとの共通点を探そうと注意深く観察を行った。
「やっぱり、脇腹、食い千切られてんな。それと太もも、二の腕、頬、……」
食われた部分を辿りながら、真司の頭の中に考え得る中で一番タチの悪い仮定が過った。慌てて頭を振って、考えを遠ざけようとしてみたものの、一回思いついてしまえば簡単に否定する事は難しい。何より、筋が通ってしまうのだ。
「……いや、まさか、それは無いだろう」
「言ってみろよ。シンジ」
彼の後ろで真司の観察を見ていたジュンが言う。その声音に有無を言える隙はなく、いくら真司であっても被害を受けた者同士として避けられない交渉だった。
「憶測だと思って聞いてくれ。……これ、人体の中で比較的骨の少ない部分を食われている。反対に言えば骨のない食べやすい部分しか食われていない。遺体を食った奴は、狙ってここを食ったんだと考える事が出来る」
「つまり、食う為に殺したって言いたいのか……っ!」
「それだと意味が通るんだ」
誰がやったかなんて、分かるはずはなかった。
誰か、否、何かが、人間を食べるためにこの惨劇を起こしたのだ。そう考えれば辻褄があう。
「ジュン、昨日、こいつと一緒にいた奴はここにいるか?」
「それが、何か関係あるのか? 聞いた所で犯人が出てくるとでも言うのかよ! 人間がこんなの出来るかよ。出来ないって言うなら、そんなの聞いても意味ねぇだろ!」
メンバーの死体を前にしてはジュンも穏やかではいられないのか、声を荒げる姿にその場にいた黒騎士のメンバーは身を竦めた。
「イラつくなよ。昨日一緒にいた人間に犯行は不可能かもしれない。でも、そん時の状況ぐらいは聞けるはずだ!」
ジュンの殺意のこもった視線にも真司は怯むことなく言葉を放つ。こちらだって一刻も早く解決したいんだ、という気持ちを込めて真司が言えば、ジュンは我に返ったように息を吐いた。
「すまん、お前んとこも出たんだったな。……おい、昨日ナオトとつるんであそこにいたのは誰だ?」
気を取り直してメンバーを振り返り尋ねる。先程の激昂が功を奏したのか、集団の中から三人の男が前に出た。
「三人だけか?」
「いえ、もう後二人いたんすけど、今日はまだ来てません」
「なんだ、びびったのか? 俺の部下だってのに情けねぇな。まぁ、いいや。お前ら、シンジの質問に正直に答えろよ? 後で俺が直々に聞く事のないように、な」
直々、の部分を強調してジュンが言うと、三人は顔を青くして震え上がった。何かトラウマになることがあったのだろう。下手につつくとやぶ蛇になりかねないと、真司は敢えて詳しく聞かなかった。
「……じゃあ、何であんな所にいたんだ?」
「それは、……昨日はヤクが売られる日で、みんなで買った後、そこで試しをやったんです。換気が良くないと変な具合に混じるし、ここや、まして自分の部屋でなんか出来ません。だから、人気のない廃屋でやるんすよ」
「D2か?」
唐突に挟まれたジュンの疑問に男たちはびくついて、そうですと答えた。
「最初はみんなでノッテて、D2は両方あるんでアッパー系になった奴はトんでるし、ダウナー系になった奴は寝てたりしてました。でも、急にナオトが飛び起きて、こっちくるな、って叫ぶんすよ。俺たちなんのことか分からなくて、見てたら突然、振り回してたあいつの腕が千切れて、叫び声がすごくて、人間ってこんな声を出せるんだって、変な事まで考えて。近寄れなかったっす。あんな状態みたら……」
男はそこで一端話をやめると、口を押さえた。惨状を思い出した所で、吐き気が戻ってきたのだろう。ジュンは冷ややかな目で彼を見ていたが、彼が話を再開するのを大人しく待っていた。
「……あのビルは電気とか通っていないんで、明かりはもっぱらロウソクだったんですけど、それも何かに、自分たちの足かもしれないですけど、ともかく何かに倒されて、真っ暗になったら後は音だけでした。骨が砕ける音とか、何かが引きちぎられる音とか、匂いもすごくて、……思わず、何人かは吐いてました。全然動けなくて、動けるようになったのは、音が止んだころだったんです」
「で、動けるようになってから、ナオトの死体を確認したのか?」
「シンジ、奴らにそんな根性ねぇよ。確認してたなら俺の所に連絡がきたはずだ。なぁ、そうだろ?」
目を細めてうっそりと笑むジュンに、男たちは息を呑む。黒騎士の中ではチームやメンバーに関わる何かが起こった時には必ずジュンに連絡を入れることがルールだと聞いている。しかし、今回はジュンに連絡がいかなかった。完全なルール違反だ。
「あぁー、そう。なるほど、ね。で、お前は誰に聞いたの?」
「お前のとこの情報屋だよ。能力低い方な。随分急いでたからな、何かあったんだと思って捕まえさせてもらった」
「モモか……」
捕まって身動きが取れない時の電話だったからこそ、あれだけ苛ついていたのか。八つ当たりのような言動を取った自分をほんの少しだけ反省した。
「さて、お前ら、どうしてもらいたい?」
にこにこと、至極嬉しそうな笑顔の下に酷く残虐な色を覗かせる彼を、シンジは本当に敵に回したくない、と感じた。
「シンジ、すまんがもう今日は帰ってくれるか?」
「言われなくても。とばっちり食う気にはならんさ」
ずっと会話に参加しなかった斎の手を引いて、真司は倉庫を後にした。この後、彼らがどんな仕置きを受けるのかは想像したくもなかった。
「あいつは鬼畜だからな。気をつけるに越したことはない」
「……よく、知ってるんだね」
「あぁ、まぁ、な」
「どうしよう。もう、聞いてもいいのかな?」
斎の葛藤を真司は無言で促した。今までのジュンと真司の会話で、彼らの立場が同等であると、どうして疑わないだろうか。隠したいのであれば、徹底的に隠せば良かったのだ。だが、真司はそれをしなかった。斎から他のチームに話を聞きたいと言われたときに、バラす覚悟をした所為だろうか。
「さっき唐木田さんに聞いたんだけどね。赤狼のリーダーの名前って、シンジなんだって。……それは、真司のこと?」
「……そうだ。バレバレ、だったな」
「うん。割とね。ほんとはそんなに隠す気なかったでしょ? 話し方とか聞いてれば分かったよ。どうして隠したの?」
「最初は何となくだったけど、斎が俺に関する噂を聞いた後だったからな。噂で加工された俺を見て欲しくなかった」
「部外者だから?」
「そう、だな。皆なんやかんやで噂に左右されるからな。チームの利益も不利益も関係ない。まっさらな立場の人間だからこそ、本当の俺を見てもらいたかったのかもしれない」
白状してしまえば随分あっさりと真司の口は動いた。曝け出してしまうのは簡単だ。
「……周りのことに無頓着なんじゃない。興味がある範囲が狭いだけなのかもしれないね。自分と、周りの人、それだけの範囲」
「そうだ。大事なものは少なくていいんだよ。ただ、我が身に降る火の粉は振り払わなきゃな」
至極当たり前の考えだろう。自分たちの生活の場が危うくなれば避けるか、打破しなければならない。赤狼は自分の暮らしだけ守れればいいのだ。それ以外のことや、それ以上のことに対しては関わりを持たない。それが信条だった。