2、始動 -The Second Day-
第二章突入です。
翌朝、真司は目覚ましが鳴る二分前に目を覚ました。
「今日も上々」
寝起きの良さでその日の運勢を見ている真司は、鼻歌を歌いながら毛布を剥いだ。真司が動いた気配でヌイも目を覚まし、真司の足下にじゃれつくようにまとわりつく。
「お前は何食うんだ? 残りもんじゃヤバいんだろう?」
毛並みを撫でると意外と手触りは良く、いいものを食べさせてもらっているのだろうと感じた。
いつものようにお湯を湧かして、真司は食事の準備を始める。幼い頃から家事を手伝い、自分で食べるものは自分で作ってきた真司だから、料理自体は苦ではない。例え人が一人増えていたとしても作る量がかわるだけで手間はさほど変わりない。
「おかずは何にしようか」
冷蔵庫を探りながら、真司は一人言を呟く。しかし、これだけ真司が物音を立てても、斎は起きる気配どころか、寝返りさえも打たない。
「……お前のご主人はすごい、な」
少し呆然としながら、真司がヌイに尋ねると、ヌイは彼の袖口を引っぱって斎の方に連れて行こうとした。
「何だ?」
真司が斎の傍に腰を下ろすと、ヌイもその隣にちょこんと座る。そして、ヌイは斎の顔をぺろぺろと舌で舐め、伺いを立てるように真司に顔を向けた。
「あぁ、名前呼べって言ってたな」
先日の斎との会話を思い出し、真司は斎の頬を軽く叩きながら声をかけた。何回も呼んだが、斎はぐずる様子もなく、また、寝返りや真司から離れようともしなかった。
「なんだ? 普通、呼べば、嫌がったりするもんだろ。……聞こえないのか?」
そう思って耳元で手を叩いてみたり、少し大きな声で呼んだりしたが、やはり反応は薄かった。寝息でさえも細く、身じろぎ一つしない斎の姿を見て真司は、もしかしたらこのまま目が覚めない事も有り得るんじゃないか、という恐ろしい考えが真司の脳裏をよぎった。
「そんなのマジで勘弁してくれよ。これからって言ったじゃねぇかよ。意味分かんねぇよ、名前呼べって、起きねぇじゃねぇか!」
いつの間にかほのかに香る甘い匂いに眉をしかめながら、真司は必死に斎の肩を掴んでがくがくと揺さぶった。
「起きろ! 斎!」
「…………っ!!」
びくり、と大きく肩を震わせて斎が顔を上げた。開く事の出来ない瞳に睨みつけられたような気がして、真司は斎を掴んでいた手を離してしまい、斎は畳に布団を敷いただけの床に頭をぶつける事になった。
「い、ったい……」
寝転んだまま、頭を抱える仕草は完全に覚醒したように見え、真司は悪く思いながらも安堵のため息を吐いた。途端に気になるのは部屋中を埋める甘ったるい匂い。それはどうやら斎から匂っているようであったが、寝る前と今と斎に変わりはない。しかし、起こし方はともかく、寝起きにしてははっきりとしている斎に真司は違和感を抱いた。
「あんた、どんだけ寝てんだよ。ていうか寝起きにしちゃあはっきりしてるよな? それにこの甘い匂いなんだよ。……胸焼けしそうだ」
「甘い? ……あぁ、今日は、ね。ちょっと、僕もキツかった」
「あぁ? 要領得ねぇな。ちゃんと説明しろ」
飴のような甘い匂いに真司が鼻を摘むのを見て斎は顔を緩めたが、結局詳しく話そうとはしない。ごめんね、と手を合わされても納得はいかなかったが、これ以上は何も話しそうにない。
「今はそれよりやることがあるでしょう」
斎にそう言われて、ふと我に返る。振り返れば目に入るのはキッチン。そこには火にかけていた鍋があった。
「空焚き、しちゃってんな。今日はみそ汁無しだな」
「……真司、それ分かっててやってる?」
「まぁな、飯食ったら行くぞ」
とにかく話はそれで切り上げて、水分が蒸発してからからになった鍋を避難させると、真司は手早く二人分の食事を用意した。
「自分で作ってるんだ? 朝食とか食べなさそうな感じなのに」
「朝食わねぇと昼間動く気にならないからな。まぁ、昼間は滅多にないが、襲われた時に力出ないようじゃ危なくてしょうがない」
「あ、なるほどね。腹が減っては……って奴か」
朝食を食べた二人は簡単に身支度をして、街に出た。元々青竜胆町は、一時期流行った振興都市の先駆けとして、工場や雑居ビルの建設が多く行われていた。しかし、経済破綻による撤退で、町には開発途中のビルや、テナントが去った幽霊ビルが立ち並ぶ閑散とした町に変わってしまった。そのため、治安もすぐに悪化し、カラーギャングや裏の道を極める者たちが多く滞在する事となったのだ。そこで発足されたのが、斎の目的地である治安課だ。ここは青竜胆町で起こるチーム間の抗争などの事件を取り締まるために本庁から出向という形で、この街の警察の役目も担っていた。
建物自体は街のほぼ中心にあり、何処の現場にでも出来るだけ早く辿り着くように設置されている。
「着いたぜ。後はあんた一人で行ってくれ。俺は外で待ってる。俺じゃ、ツラが割れてるからな、行きにくいんだ」
本当は行きにくくなど無いのだが、リーダーだとバラされても困る。折角隠しているのに、ここでばらされたら苦労が全て水の泡になってしまう。真司はなんとかごまかして、斎を一人で行かせた。
***
真司と別れた斎が中に入ってすぐに向かったのは受付で、そこには若い警官が暇を持て余したようにナンプレを解いていた。斎は自らが所属する事務所の所長から、警察側に連絡がいっている事を祈りながら事務所の名前を名乗り、担当者を呼んでもらうように頼んだ。
受け付けの警官は斎の出で立ちに不信感を抱いていたが、斎の持っていた名刺により彼が思っていたよりも事は順調に進んで、数分後には彼は担当の刑事との面会が叶った。
「どんな野郎が来るかと思えば、ただのガキじゃねぇか」
「ご期待に添えなくてすみません。体力戦には弱いかもしれませんが調査は得意なので、よろしくお願いします」
唐木田と名乗ったその刑事はゴツい体つきに丸刈りでゴマ髭、刑事ドラマに出てきそうな典型的な頑固刑事だったが、斎にとっては見えていないからなんの恐怖対象にもならない。見る者によっては生意気とも、度胸があるとも見られる斎の態度は、唐木田には好意的に受け取られたようで、彼は大きな声で笑って斎の髪を手でぐしゃぐしゃとかき混ぜた。
「で? 何が聞きたいんだ?」
「この辺りのチームと抗争について、お願いします。後、D2って知ってますか?」
D2と口にした瞬間、唐木田の顔が強張った。斎はそれを見る事は敵わなかったが、彼がまとう空気ががらりと変わったのは感じる事が出来た。
「なんでお前がそれを知っている?」
「……こちらに伺う前に聞きました。結構流行っているみたいですね」
「痛いとこ突いてくんな」
唐木田は、ちょっと待ってろ、と言うと部屋を出ていった。彼が帰るまでの間、斎は肩掛けのディバックの中からボイスレコーダーを取り出す。それからしばらくして戻ってきた唐木田は一冊のファイルを持っていた。
「おぅ、待たせたな」
「いいえ。申し訳ないんですけど僕は目が見えないので、説明してもらっていいですか?」
「あぁ、聞いてるよ。難儀なもんだな」
「慣れました」
「……そうか」
それで一度会話が途切れ、気まずい空気を払拭させるように唐木田は茶を飲み、喉を潤わせた。
「まずこの界隈のチームについてだな。聞いたこともあるかもしれんが、チームとしてのでかさは赤狼を筆頭に、黒騎士、白兎。その下はピンキリだ。赤狼は基本的に我関せずだが、黒騎士がその分血の気が多い連中ばかりでな。白兎は裏で色々動いているようだからあんまり表には出てこないが、この三つのチームは俺たちも詳しい事は分からずじまいだ。……何か、でかい抗争でもやってくれりゃあ、一斉にしょっぴけるんだがな。でかいの同士で停戦協定組んでんだか、小さいチームばかりが潰し合いだの喧嘩だのをやってる」
そこで溜め息を吐いて、唐木田は天井を見上げた。
「今回のヤマは火種だ。どう転ぶかはまだ分からんが、なにかが動くだろうよ」
「事件の事、知っているんですか? それだったら、どうして動かないんです? 唐木田さんは、何がしたいんですか?」
警察が一切動いていない今の状況にてっきり唐木田も知らないのだろうと斎は思っていたが、警察側も能天気に事に当たっている訳ではない、と言外に言われた気分だった。
「……良くも悪くも上下社会だからな。上が動くなって言ったら動けねぇんだよ。それより各チームのリーダーの名前を教えてやるよ。赤狼はシンジ、黒騎士はジュン、白兎はイナバだ。まぁ、あんたの容姿なら、ちょっかいかけられることもないだろうが、会いに行くんなら気をつけて行けよ」
「はい、ありがとうございます。後、D2のことなんですけど」
「あぁ、そうだったな。D2はこの頃流行りだしたドラッグでな。ウチの方でも調べてはいるんだが、流通元の判定は難しい状態だな。検挙はそれなりにしているんだが、追いつかないのが現状だ」
だらり、と背もたれに体重を掛けて、唐木田は溜め息をついた。
「なんで、こんなに流行っていると思いますか?」
「錠剤だから、飲みやすいのがきっと一番の理由だろう。後は流行りってことだ。実際は流行っていないものでも、流行っているって話が出ればきっと食いつくだろうからな」
「なるほど。では、もしかしたら、誰かが「流行っている」と情報を流した事も考えられるってことですか」
「そうだな。そういう線も有り得ない事ではないと思っている」
流行りが先、という意見はなかなか面白そうだと斎は思ったが、もうこれ以上の情報は望めそうにない。後は本人たちに聞くしかないか、と考え、斎は礼を言って席を立った。