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前回の続きです
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事務所を出た後、潜入捜査が得意なネコと呼ばれている幹部へ電話をかけた。彼にD2の流通経路についてオアシスを中心に調べるように頼んだ真司は、ぶらぶらと自宅へと夜の町を歩いていた。
「……静かになったもんだな」
事件は表立った動きは見られず、水面下で全てが進んでいく。今日でさえ、静かな闇の中で事件が起こっているのだろうか。
「嫌な空気だ」
ぴりぴりと空気が張りつめていた。
ふと同じように張りつめていた真司の神経が、何かを感じ取った。思わず立ち止まり、辺りを見回すが気配はない。しかし、襲いかかってくるかもしれない。チヒロが残していったD2を持ったままだ。先程の彼らが取り返しに来たとしても不思議ではない。
深呼吸をしながら真司が周りの気配を探ると、闇の向こうから足音が聞こえてきた。
音からしてスニーカーの類だろうが、その他にもう一つ音があった。こちらは地面を引っ掻くような随分軽い足音だったが、油断は出来ない。真司はさり気なく街灯の下に移動し、明るい所での勝負に出ようと気持ちを整えた。
人を待っているような面持ちで足音が近付いてくるのを待つ。
そんな真司の前に姿を現したのは、犬を連れた青年だった。もう暗くなってしまったのに、サングラスをかけて帽子を目深に被っている。昼間クラブで聞いた話の人物の特徴には当てはまっている。真司は本人だろうと踏んで、話しかけてみる事にした。真司が知り得ない情報を持っているかもしれない。
「おい、あんた」
声をかけたと同時にびくりと震えた肩に違和感を抱きながら真司は青年に近付いた。
「……何ですか?」
「お前、昨日の事件について情報集めてんだろう。何か良い情報はあったか?」
「何か、知っているんですか!?」
何回も掠りながら手探りで真司の袖を掴み、必死な声音で尋ねてくる青年に真司は少し興味を持った。……目が見えないのだろうか。
「そうだな。あんたが持ってる情報をくれたら、こっちも教えてやらんでもないさ」
真司は素知らぬ顔をして、青年の帽子を取った。夜の間には分からないが、色素の薄い茶色の髪が風に舞う。そして、サングラスに手をかける。
「……何してるんですか? やめてください!」
抵抗する青年の声を無視して、真司はサングラスを取る。黒いレンズの下から現れたのは、瞼の上を一直線に走る、醜い傷跡だった。
「……お前、これ。なんだよ」
「貴方には関係ないです。返してください!」
青年の手を避けながら傷跡に触れると、そこはケロイドのように引きつって完全に瞳を隠してしまっていた。
「今日の被害者は赤狼ってチームの奴だ。今そこのリーダーが犯人探し、というか原因探しをしている」
顔はどうせ知らないのだ。真司が自分のことを言ったとしても、青年には通じない。それを知った上で、真司は回りくどい言い方をした。自分でも何故そんなめんどくさい事をしたのかは分からなかったが、なんとなく面白そうだと思ったのだ。
「被害者が赤狼っていうチームに所属していたことは聞きました。でも、そのリーダーさん、周りのことには関心が無いって聞きましたけど」
「身内に被害者が出た以上、……上も無関心ではいられないだろう?」
下っ端たちにも真司が周囲に興味がないことは伝わっていた。しかし、それは真司にとって些末な問題でしかない。
「あんた、この辺り慣れてないだろ」
「え、……はい」
「俺が案内してやるよ。あんた弱そうだからな。そんなんじゃカツアゲにあっておしまいだ。どうせ俺も情報を集めてんだ。ついでにあんたと一緒にいてやる」
そう言って、真司は青年にサングラスを渡した。これで了承されれば、青年が集めている情報も真司に入ってくる事になり、二度手間をしなくてすむ。返答によっては願ってもいない幸運だ。
「どうだ?」
「……じゃあ、お願いします」
さっきまではあんなに警戒していたと言うのに、ぺこりと青年は真司に頭を下げた。変わり身が早いその行動に、自分で誘ったものの真司は驚いていた。手っ取り早く情報を得るための行動なのか、素直すぎるだけなのか、今の時点では真司の判断はつかなかった。
「安倍斎です。よろしくお願いします」
「あぁ、佐賀真司だ。よろしく」
差し出された手をとって、真司は言った。そういえば、幹部以外の人間と対等な立場でこうやって会話をするのも懐かしいなと、彼は感慨に耽っていた。
「じゃあ、明日集まるか」
「今日の内じゃだめですか?」
「……ダメってことはないが、夜も危ないからな」
余り人を出歩かせたくないし、出歩きたくない。半分自分のために言うと、斎は納得のいっていない顔で、考えこんだ。
「なら、貴方のうちに行ったらだめですか?」
「はぁ?」
「外にいなければいいんですよね。もし、良ければの話ですけど」
何を考えているんだ、と言わないわけにはいかなかった。たとえ、目が見えていないのだとしても、喋り方や、動作で真司の性質は見抜けそうなものだ。
それを承知の上で言っているのだとしたら、よほどの大物か、よほどの馬鹿か。
大人しく彼の返答を待つ斎が、急に訳の分からない人間になった気がして真司は恐怖を抱いた。しかし、ここで引いたら男が廃る。そんなちっぽけなプライドで、真司は斎の提案をのんだ。
「分かった。あんまり広い所じゃないから期待すんなよ」
例え万が一、彼が連れている犬が犯人だとして襲いかかられたとしても、主人が命令しているのであれば、彼を抑えてしまえば大丈夫だろう。負けるような事など万に一つもない、と真司は考えていた。
次で第一章は終了です