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前回の続きです。
***
「ルイ、待たせたな」
「待ってません」
「だろうな。……まぁいい。それで?」
今は部屋にルイと真司の二人だけだ。ソファに座る真司の前に立たされて、ルイは居心地悪そうに身じろぎした。今までルイは幹部として真司と何度も対峙して来たが、これほどまでにどうしていいか分からないことなど無かった。口の中がカラカラに乾き、舌が上手く回らない。朝の浮かれた気持ちなんか一瞬で吹き飛んでしまった。
彼はこんなに恐ろしい存在だっただろうか。
「昨日はどこにいた」
口元は辛うじて笑っているものの、目を見ればそうではないことくらいルイには分かっていた。
「あそこにいたんだろう? 俺は警察じゃない。事件を解決しようなんて思っちゃいないんだ。どうしてああなったのか話が聞きたいだけだ」
「あそこは、……俺たちの遊び場、で。昨日もみんなで酒持ち込んで、騒いでいただけだったんです。でも、騒いでたら、いきなりあいつが、……」
「あいつってサトシか?」
「はい、……突然、叫んだんです。来るなって、何回も。意味が分からなくてみんな呆然としてたら、急にあいつの腕が裂けたんです。後はもう何がなんだか。あっと言う間に血が、すごくて、俺らまで血塗れで」
ルイは言葉を切った。血が下がっているのが分かる。握りしめた指先の感覚さえ無かった。
「……すまない。つらいこと、思い出させたな。前日までに何か変わった事はなかったのか?」
「はい、……」
深く追求してこない真司を有り難く思いながら、ルイはそっと息を吐き出した。これ以上聞かれると、言いたくない事が出てきてしまう。例え自分が手を出していなくとも、あの白い錠剤のこととあの男のことは真司には知られたくなかった。
「分かった。あ、後一つ。サトシはいつもそのビル以外にどこにいた?」
「どうしてそんな事、聞くんですか」
「俺が知りたいだけなんだ。なんで、あいつはあんな死に方をしなきゃいけなかったんだろうなって」
「やめてください。それで、シンジさんまで死んだら、俺は…………」
真司の胸元を掴み、心配、という感情を込めて見上げる。真司は元々身内には甘い。こうしておけばしばらく真司は自分に目を向けないだろう。そう踏んでの行動だった。
案の定、真司は厳しい表情を和らげ、そっとルイの手を外させた。
「いくら俺が周りに執着してないとしてもな。被害者が出てしまった以上見ない振りは出来ない。抗争ならまだしも、理不尽に殺されたんだ。何があいつを殺したのか。知っておきたいんだ」
優しい優しいリーダーの為にルイは口を開いた。どうか、いらん所にまで手を回しませんように。
「サトシは、西区のオアシスってクラブによく行ってました。友達があそこによくいるとかで」
ルイのしおらしい様子の外形だけを受け止めて、真司は彼の頭を撫でて微笑んだ。
「ありがとな。お前もあんまり外出んなよ。危ない事に極力手は出すな」
じゃあな、と手を振って真司は事務所を後にした。
まずいことになった。もう一度、自分に疑いをかけられる前に、錠剤のことを隠さなくてはならない。ルイは表面上では極めて落ち着いて携帯を取り出した。
***
オアシスは、青竜胆町の中では比較的キャパの大きいクラブだった。昼間の今では普段の賑わいは見られないが、防音の効いた室内とカウンター、少人数用のソファにテーブルが揃っているそこは仕事のない青年たちがたむろするには打ってつけの場所だ。
小さな音でかけられているクラブミュージックの中で会話をする青年の中に知った顔を見つけ、真司は声をかけた。
「急にすまんな。ちょっと、サトシのことで聞きたい事があるんだが、いいか?」
「えっと、……シンジさんも昨日のこと聞きに来たんすか?」
「なんだ。お前らもいたのか?」
「いえ、……そういうわけじゃないんすけど、チヒロさんから、チームの仲間は知ってた方が良いからって連絡がきたんです。それからシンジさんより前に変な野郎が来て、サトシとか、チームについて何か知ってるかって聞きにきたんですよ」
「……そいつはどんな恰好をしていた?」
「えっと、グラサンかけて、帽子かぶって、……犬、連れてました。茶色いでかい犬」
「ほぉ」
話を聞けば随分小綺麗な恰好をしている。定職に就いている人間さえ少ないような町で、目立つような恰好をしていれば、すぐさまカツアゲの対象にされてしまう。そんな所に来て何をしているのか。目的は何にせよ一度、話を聞かなくてはなるまい。
「……シンジさん?」
彼らの声にはたと我に返って、真司は話を戻した。
「すまん。サトシだけど、何か変わった事は無かったか? 急に羽振りが良くなったとか。普段行かないような所に出入りしていたとか。何でも良いんだ。何か、知らないか?」
「特にありませんよ。俺たちずっと一緒にいたし、俺たちが知らない事なんて」
「そうか。……じゃあ、普段は何してるんだ?」
「は?」
変わった所が特にないのだとすれば、何かあるのは日常の方だ。
「えぇと、普段は、こことか、別のクラブに行ってダベったり、ゲーセン行ったり。たまにバイトして、夜はまたここで飲んだり、別の所行ったりですよ」
「クチナシビルに行った事はあるか?」
「あぁ、あそこは倒壊の恐れがあるとかで全然人が来ないんで、絶好のたまり場になってますね」
「……じゃあ、これは? 見た事あるか?」
そう言って真司が取り出したのは、ピルケース。
それを見た途端、そこにいた青年たちの顔色が変わった。明らかに目線を逸らし、誰も真司の方を見ようとはしない。その表情の変化を真司は見逃さなかった。
「いや、…………それは、見たことないです」
「どれなら見た事あるんだ?」
「そうじゃなくて」
「さて、……お前らは何を知っている?」
真司の顔は辛うじて笑っているものの、目を見ればそれが本当の笑顔ではない事はすぐに分かる。夜を支配するチームのリーダーに、相応しい恐怖をまとった彼に逆らう事など出来るはずもなかった。
それでも、青年たちはなかなか口を割らない。痺れを切らした真司は譲歩に出ようと口を開く。
「クスリやってたらひどい目に遭うっていうの、信じてるのか?」
「えっ……!?」
真司は所謂ドラッグと呼ばれるものが嫌いだ。彼もチームに属するものだから、人に迷惑をかけるのは多少仕方ない事だと思っている。しかし、ドラッグは健康にも悪いし、なにより自分の人生を棒に振る行為だ。
そんな愚かな行為を真司は自分もしたくなかったし、周りにもさせたくなかった。その心情がチームの決まりにも反映され、「クスリをやったらリーダーからの制裁がある」といつしか噂されるようになったのだ。
「や、だって、実際にボコられたの見た事あるし。ルイさんにも何回も言われて……」
「ルイが?」
「いや、……何でもないです」
ルイが何を言ったのかも気になる所ではあったが、今はそれどころではない。気持ちを切り替えて真司は口を開いた。
「素直にしゃべれば考えてやるよ。俺は隠されてるのが一番嫌いなんだ」
ニヤリと意地悪く笑顔を作れば、青年はぶるりと身を震わせた。
「……D2って知ってますか」
「D2? 知らんな」
「これは、ほら、錠剤で飲みやすいって評判で。この辺りで流行ってるんです」
「へぇ、なるほど?」
青年は自分が墓穴を掘った事に気付いただろうか。
真司は改めて、ピルケースから錠剤を取り出してまじまじと観察した。見た目も大きさも市販されている薬と大差なく、飲み込むのも容易いだろう。これでどれくらいの人の人生が狂ってしまったのかと思うと、真司の胸は痛んだ。
「えぇと、もういいっすか?」
おそるおそる口を開く青年に、真司は再びにやりと口角をあげた。
「出せ」
命令は至極簡単に。しかし、言われた方の青年たちは一斉に目をそらし、誰も動こうとはしなかった。
「持ってんだろう? 早く出せよ」
青年の目線は真司とは合わない。合わせる事ができないイコール隠し事があると言っているようなものだ。
「出せっつってんだろ。つまんねぇ嘘つくなよ」
語気を押さえた声に青年たちは噂と恐怖を思い出したのか、我先にと、ポケットの中からピルケースを出し、テーブルの上に置いた。
「これで全部?」
「全部です!」
びくびくと震える青年たちは、これから襲いくるであろう暴力への恐怖で身動きが取れなかった。
「今度やったら……わかってるよな?」
青年たちが赤ベコのように首を上下に振る様は見ていて滑稽だったが、溜飲が下がる程度ではない。
ピルケースをポケットに入れ、真司は席を立った。彼自身、こんなことで彼らがやめるとは思わなかったが、忠告はした。これで止めなければ制裁もいとわない心持ちだった。
「チヒロに渡しといた方がいいだろうな」
情報収集が得意な幹部の顔を思い浮かべながら真司は呟いた。行動は早い方が良い。それに、ルイがそんな彼らと交流を持っていた事も真司は気がかりだった。もしかしたら、無意識の内に巻込まれている可能性があるのだ。
「……アキタも、だな」
ジーンズのポケットから携帯を取り出して早速チヒロへ電話をかけた。落ち合う場所は事務所だ。すぐに向かう、という返答を確認してから真司は電話を切った。
***
部屋の静寂を切り裂くように携帯の着信が鳴る。ルイは渋々、手に取るとディスプレイには、昨日の現場にいた一人の名前が乗っていた。
嫌な予感がしたが、いつまでも鳴り続ける携帯もうるさい。通話ボタンを押し、耳に当てると焦って呂律の回らない声で、真司に話してしまったことと、ピルケースを取り上げられたことを告げられた。
「……黙っててっていったよね。あぁ、もういいよ。期待した俺が馬鹿だった」
言い訳は聞かずに通話を切って、ルイは溜め息を吐いた。
意味もない事をしてしまった。折角片付けたのに、結局は真司に見つかってしまった。使ってはいないけれど、きっと疑われた。一番疑われたくない人に、疑われてしまう。
真司はそんな人じゃないと思ってはいても、不安は急速な勢いでルイの心を支配した。
持ち帰っていたバクの連絡先が書かれたメモを開く。11桁の数字で電話をかければ、バクへとつながる。
『私は君を裏切らない』
バクの声が聞こえた気がして、ルイは携帯に数字を打ち込んだ。
まだ続きます