1、騒動 -The First Day-
携帯で見た時に4〜6ページほどになるように、
切っていきます。
町中の廃ビルの一室。びょうびょうと吹き込む隙間風でさえ、臭いを完全に吹き飛ばす事は不可能だったのか、饐えた臭いと強烈な鉄の臭いが真司の嗅覚を容赦なく攻撃した。
「なんだ、これ」
「俺にも、分かりません」
眼前に広がる狂宴の痕跡に、真司は息を呑んだ。
朝一番に焦った様子で報告に来たチーム幹部のルイに連れてこられた先で、真司を待っていたのは理解不能の殺人現場。
真司は恐る恐る部屋の中に入って辺りを見回す。血は天井にまで吹き飛び、もう既に死体には蠅が群がっていた。元々綺麗に掃除されていた訳ではない為に乱雑としているのは仕方がないが、真司は死体には触れないように注意深く観察をして状況証拠を集めた。被害者は真司がリーダーを務めるチームのメンバーだ。彼の周りに溢れる血溜まりはもうすでに湿り気を無くし乾いていたが真司の行く先の床には、飛び散った血液を擦ったような跡と、血溜まりに残された足跡があった。
「足跡……?」
それはここに人がいた紛れもない証拠だ。
「……これを人がやったとは思えないが」
人がいたことは否定出来ない。
「シンジさん! こんなの早く片付けましょう」
警察が出張ってこない内に死体を片付けるのは当然の事ではある、しかし、これが人の噂に上らないとも限らない。それが治安課の耳に入れば、調査に出張ってくるのは目に見えている。そうなる前に手を打っておく必要はある。
「片付ける前に、凌悟さんには言っておいた方がいいか」
「なに言ってるんですか。連絡すれば、治安課にも話が回ります。こっちが不利なんですよ!?」
「でもなぁ、これを人間がやれると思うか? それともお前、何か知っているのか?」
尋ねた声は真剣だった。ルイの返答次第では真司としてもこの先の行動は変わってくる。
「いいえ、……何も知りません」
俯いて視線を逸らす。それで何も知らないというルイの言葉を信じられるほど真司は鈍感ではなかった。
それよりも気になるのは、被害者である彼が一人でいた訳ではないという事。この犯行が人間業ではないとして、彼の他にいた人間はどうなったのか。血溜まりの上に足跡があったため、死体本人の足跡とは考えられない。暗い内に彼が死んですぐホームレスでも立ち寄ったのか、はたまた犯人のものなのか、今の時点で判別は付かないが放って置いて良い事項ではない。
「何も知らないならいいな? 電話はする」
「真司さん!」
敢えてルイのいい訳には何も触れずに話を進める。電話を咎める彼を後目に、真司は知り合いの刑事へ電話をかけた。
呼び出しのコールの間、真司は無残なチームメンバーの死に顔を見ていた。何故自分に何一つ告げずにこうなったのか。何故何もしてやれなかったのか。そんなことが真司の頭の中を巡る。
『もしもし、……真司か?』
「……あ、お疲れさまです。凌悟さん」
考え事のせいで真司は一瞬遅れた返事を返す。
電話口に出たのは低く、凄みのある声。一般市民にとっては信頼感よりも恐怖を覚える声だ。凌悟は真司の昔からの知り合いで、この町では一時期、知らない人は誰もいないほどの人物だったのだ。今はこうして堅気の仕事をしているが、弟分だった真司には未だに世話を焼いてくれる。
『こんな朝早くにどうした?』
「ちょっと、来てもらいたい所があって。俺たちだけじゃどうしようもないんですよ」
オブラートに包んで状況を話す真司の心情を察したのか、凌悟はひっそりと溜め息を吐いた。
『抗争なら、治安課に行けよ。うちだって暇じゃあないんだ』
「そうなら良かった、ってやつですよ。抗争じゃ有り得ない。あんまり大事にはしたくないんで、一人で来てもらってもいいですか?」
「抗争じゃないんだな?」
「来てもらえば分かります」
尚も言い募る真司に根負けする形で、凌悟は了承した。
『場所は?』
「青竜胆町、クチナシビル」
『分かった。すぐ行くから、動くんじゃねぇぞ』
「お願いします」
真司の返答が、向こうに届くか届かないか、という所で電話が切れ、通話終了を知らせる電子音が虚しく響いた。
「ルイ、お前は帰れよ」
「当たり前です。……何考えてるんですか。第一発見者って疑われるもんでしょう」
「推理小説の読み過ぎだ。こんなの人間に出来るはずねぇだろ。それに、俺は昨日ここにいなかった。下手な事は喋らないさ。それより」
そこで真司は一端言葉を切り、ルイの身体を壁際に押し付けた。
「分からないって言ったの、嘘だろ。こんだけ酷い現状なのに、何で全然驚かないんだ? 驚きすぎて何にも反応できないっていうのとは違う。まるでもう、一回見たから早く片付けたいって感じだ。それとも、何か、隠したいものがあるのか?」
言い訳をすれば良かったのだ。しかし、彼の口からは都合のいい言い訳など出てこない。沈黙は即ち金。真司の問いかけを肯定したも同じだった。
「……っ」
「犯人だなんて思ってねぇんだから隠す必要なんて無いだろ?」
ルイはその言葉に顔を俯ける事しか出来ず、適当な言い訳さえ思い浮かばない。
「話は事務所で詳しく聞く。俺が行くまで帰るなよ」
渋々頷くと、ルイは真司と顔を合わせる事無く、部屋を出て行った。
「馬鹿が、……」
小さく呟いた一言は誰に向けたものだったか。関与を黙り、部外者であろうとしたルイになのか、こんな事件が起こっているとも知らずに過ごしていた自分自身にか。リーダーという冠を付けられ、その地位に甘えていた時期が終わろうとしている。
「今までのツケが回ってきたのか……?」
そこまで考えた所でクラクションがなり、真司は意識を現実に戻した。凌悟が到着したのだ。
階段を降りてビルを出れば、事情を察してくれていたのか、地味な乗用車が横付けされていた。
車内から出てきたのは紺色のスーツを着崩した20代半ばの男だ。黒い髪を短く刈り込み、目は切れ長で眼光も強い。左目の上に大きな切り傷があり、それを隠そうともしない彼の態度が一層印象を悪くしていた。
「相変わらず、そこらの奴に引けを取らないすっね」
「言ってくれんじゃねぇか。お前こそ、相変わらず派手な頭だな。よく目立つだろう?」
「好きでこの色にしてる訳じゃないですよ」
真司は綺麗な赤色で生えてくる自毛をいじりながらぼやく。元から赤茶けた色だったのだが、光に当てると見事な赤色に見えるのだ。その髪色から、彼がリーダーを務めるチームの名前は「赤狼」と呼ばれ、リーダーのあの赤い髪は倒した奴らの血を浴びた所為だと専らの噂だった。もちろん前述の通り、嘘の噂だったが、いまだに信じる者は後を絶たなかった。
「ごまかしてくるの大変だったんだからな。今度なんかで返せよ」
「お久しぶりです。元気そうでなにより」
安易な口約束はせずに真司がそう返すと、凌悟は逃げたな、と嫌味を言ったもののそれ以上は何も言わなかった。
彼を伴い、二階の現場へ案内すると、あまりの凄惨さに凌悟は呆然と口を開けた。
「……なんだ、これ」
それから恐る恐る部屋に足を踏み入れ、慎重に辺りを見回す。真司も後から部屋に入り、もう一度周りを見るが、やはり酷い。
「俺には分かりません。俺も報告を受けて来たらこうなってた。でも、何人かいたみたいなんですよね。足跡と、吐いた跡がある」
血溜まりで見つけた足跡と、吐瀉物が乾いた跡を示し、真司は凌悟に報告した。
「そうだな。……だとしたら、これは人間がやったことになるか?」
「可能だと思いますか?」
「……いや、無理だろうな」
腕や太腿、頬、腹。傷跡が残る部分には言葉通り噛み千切られたような跡。ナイフなど、人工的な物質では作れないと思われる傷ばかりが目立つ。
「他にいた人間はどうした?」
「さぁ、分かりません。こいつの仲間だったのか、ただの浮浪者なのか、……死体は一つしかないし」
「誰がいたかは知らないのか?」
「……教えたいのは山々なんですけどね。知りませんよ。こっちが聞きたいくらいだ」
器用に片頬だけを上げて真司は笑う。凌悟はその顔に残念ながら嘘を見つける事が出来なかった。元々嘘などないのだから、凌悟が必死に探した所で真実は闇の中、だ。
「そういえば、お前ガイシャの顔は知ってるのか?」
「俺のチームのサトシです。入った日とかは分からないですけど、古参じゃないのは明らかですね」
「相変わらず、チームの事でも興味ないんだな」
「……こうなれば、そうもいかないですけどね」
チームの事でも最小限にしか興味を示さない真司は、そう思っている自分の事を認めていたし、幹部も認めてくれている。しかし、こうして被害が出てしまえば見ない振りは出来ない。チームのメンバーが安心して暮らせるようにするのが、チームとしての、またリーダーとしての義務だと思っていた。
「じゃあ、戸籍も充分か分からないな。それで? 俺に何をしてほしいんだ?」
「治安課に圧力かけてくれませんか? 抗争だと思われて邪魔をされるのは困るんです」
「お前、軽々しく言うなよ。管轄外だ」
「これが突発的なものだったらいいんですけど、もし、隠している他の事件があれば一大事なんです。こっちで片付けますから、このことは黙っててもらいたいんです」
「馬鹿が、事件を解決するのが俺たちの仕事だ。俺たちから仕事を奪う気か?」
「そんな訳じゃないんですけど、内輪のことは身内だけで解決したいんです」
「それなら、どうして俺を呼んだ?」
「管轄外だからです。治安課を呼べば、人間の仕業じゃないとしても、管轄内の事件には手を出してくる。そうすると俺たちが動き辛くなって面倒なんですよ。……すみません。お礼はちゃんとしますから、よろしくお願いします」
明らかに睨んでいる凌悟の視線を真っ向から受け、真司も譲らない姿勢を崩さなかった。しばらくの睨み合いの末、先に視線を逸らしたのは凌悟だった。
「馬鹿野郎が。……本当にヤバくなったら早めに俺に言えよ。何かあった後じゃ遅いんだ」
「すみません。お礼は今度、必ず……」
「当たり前だ。今度なんか奢れよ」
そう言って凌悟はビルを出て行った。
車のエンジン音が遠くなっていくのを聞きながら、真司は幹部のアキタに連絡を取った。
「今動けそうな奴で、サトシと知り合いじゃない奴を何人かとブルーシートと軍手を足付きでクチナシビルまで」
『随分急だな。何かあったのか?』
「チヒロにでも聞けよ。知ってるかもしれないぞ。とにかくお前も来いよ。……スプラッタは覚悟しておけ」
そうして電話を切る。アキタが来るまでには一通りの準備をしておかなければならない。普段から愛用している作業用のつなぎのポケットから軍手を取り出した。
改めて死体の青年に向かって手を合わせると、足を掴んで入り口付近まで引きずった。いくら何でも成人男性の身体を持ち上げることは出来ない。ましてやぐしゃぐしゃに崩れてしまっているのだ。引きずっている途中、青年のポケットからピルケースがこぼれ落ちた。一度足を下ろして、真司はピルケースを拾い上げた。ケースを振ると、カチャカチャと音が立ち、中身が残っている事を真司に知らせる。軍手を外して中身を取り出すと、白い錠剤が何個か手のひらに転がった。
「何だ? ……これ」
匂いを嗅いでみても無臭で、じっくり見てみても見た目は市販品と同じだった。後違うのだとすれば味、だろうが、きっとこれはやめた方がいい。真司はつなぎのポケットに仕舞い直した。引き続き、引きずり続けると、階下からガヤガヤと話し声が聞こえてきた。
「シンジ! どこだ?」
「二階だ!」
階下からのアキタの声に真司は大きな声を出して、二階に上がってくるように指示をした。入り口を出て階段の前に陣取り、アキタを待つ。アキタは上背がある所為でどうしても威圧感がある。大柄な体型に短く切った焦茶色の髪で良く日に焼けているものだから、クマ、と称される事が多い。アキタが連れて来た人員も似たり寄ったりでみな一様に体格が良かった。血でべったりと汚れた真司の軍手に眉をしかめて、彼は階段を上りきる。入り口に無造作に倒れている遺体を前にアキタは小さく息を呑んだ。
「……まじか」
開口一番、アキタが言った言葉がこれだ。入り口まで引っ張ってきた遺体はすでにぼろぼろと形を崩し、今にも崩れ落ちてしまいそうだ。噎せ返るような血の臭いに四苦八苦しながら、ブルーシートでサトシの身体を包み、部屋から運び出した。
アキタと一緒に来たメンバーはみな目を逸らしたり、口を押さえたりしていたが誰一人リタイアするような者はいなかった。さすが、アキタが連れてきただけはある、と真司が一人納得する間に人型のシートは車の中に押し込まれた。
「ひとまず、これを埋葬してやってくれ。俺は色んな奴らに話を聞かなきゃならん」
「もう知ってるかもしれないが、一応モモとチヒロにはお前が連絡しろよな」
「分かった。……嫌なことやらせるな。すまない」
「気にすんな」
裏口からワゴンを出し、一同を解散にさせた後、真司はチームの情報を司るモモとチヒロの二人に連絡を取り、今回の件を出来る限り隠蔽するように言った。
ビルの表にはすでに人だかりが出来始めている。どこから漏れたのかは分からないが、風の噂やたまたま通りかかった人々が集まり、あっと言う間に野次馬の集団を作ってしまったのだろう。血の匂いは消えそうにない。
ここまで来ると情報自体を隠蔽することは不可能になってしまったが、混乱させるくらいならやってのける。真司はそう仲間に期待をして、ビルから背を向けた。
「……ん?」
野次馬の中に異質な雰囲気を感じて、真司はそっと振り向いて神経を研ぎすませた。姿は見えなかった。ただ、ソレがいるその場だけが、別の場所とは異なる雰囲気になっていただけだ。
「嫌な感じだ」
雰囲気にだけ舌打ちをして真司は事務所へ急いだ。