4、終宴 -The Last Day-
そして木曜日、午後六時半。
もう一度事務所に集まった面々はバーへと向かった。チヒロとモモは入り口の目立たない所にそのまま留まり、ネコとアキタはホールを突っ切って、裏口へ回った。真司はまだまだ盛り上がりには欠けるホールの壁に寄りかかり、周りを見回す。
「久しぶりに来たな」
「そうなの?」
「あぁ、俺はバイトの方が忙しくてあんまり遊びに出てないんだ」
斎もまた、真司に習うように壁に寄りかかっていた。ヌイは彼らの間に行儀良く『おすわり』の姿勢を取っている。
人はだんだんと人数を増やし、爆音で流れ始めるクラブミュージックに沸き立ち、好きなように踊り始めた。そこに年齢は関係なく、人生経験の少ないカモを狙って汚い大人たちが少年たちを食い物にしていた。自分が被害に遭わないようにするには、自衛しか手段が無いのが現状であり、それが出来ていない彼らが今回の被害者になっていたのだ。
「シンジさん!」
爆音の中から辛うじて聞こえた声に真司が顔を向けると、ルイが手を振って真司に向かって来ていた。
「お前も来たのか?」
ルイの作戦の参加を聞いていなかった真司にとっては寝耳に水の出来事だ。
「昨日、チヒロさんに頼んで、俺も協力することになりました」
「チヒロめ、こういう時に限って何も言わねぇんだからな」
「シンジさんがいつも何も言わないからでしょう?」
真司に対してであってもこうやって冗談を言える所を買われて幹部になっているルイではあったが、未成年ということもあり、喧嘩などの際は極力前線には出ていなかった。しかし、今回チヒロが許したとなれば、真司が強く言えるはずもなく、こちらが心配しているのにいい気なもんだ、と愚痴りたくもなったが、そこは詳しく説明しなかった自分が悪いと、真司は自分を納得させた。
「危ないと思ったら、すぐに逃げろよ」
「分かってます。喧嘩は得意じゃないですからね。巻込まれないように気をつけます。そういえば、俺は、はじめましてでしたっけ? 斎さん?」
「え? ……俺?」
「チヒロさんに聞きました。俺はルイって言います。今日はよろしくお願いしますね」
にこりと笑って、じゃあ、また。と手を振り、人混みに紛れていくルイの後ろ姿を見送りながら、真司は溜め息を吐いた。
「本当に、巻込まれてなきゃいいんだが」
「獏と会ってたって言うのが気になるね……」
二人の杞憂を他所にホールは増々熱を上げ、DJは次々とノリのいいミュージックを流す。人の熱気は最高潮に達し、誰も周りなど見ていない。人は簡単に人の中に隠れられる。
そんな中、ヌイが何かを感じ取ったのかひくりとその鼻を蠢かせ、異変を斎に知らせた。
「真司、来たみたいだ。俺はこのまま獏を追うからよろしくね」
「分かってる。お前も、気をつけろよ」
「じゃあ、行ってきます」
「あぁ、行ってらっしゃい」
斎が動き始めた事を入り口と裏口にいる幹部たちに伝えた後、真司は人混みをかき分けてルイを探した。普段目立つような格好をしない彼はこの人混みの中では探しにくく、躍り狂う人々の間を縫うのも根気が必要だった。
「ルイ、……何処にいる!」
獏も斎も動き始めた今、早急にルイを見つけ出さないといけない。獏と会っていたルイが何かを企んでいないとも限らないからだ。
人混みをかき分けていくと、ふと、視線の先のルイと目が合ったような気がした。彼は大人びた笑みを浮かべると、人の波を抜け、どこかへ行ってしまった。真司は慌てて後を追おうとしたが、焦れば焦るほど周りの人は真司を排除しようとし、中々前に進めない。
(なんだ、あれ)
あんなどこか達観したような笑顔は見たことない。いつもとは違うルイの様子に真司は戸惑っていた。先程会ったときは普通だったのに。それとも、あのときも自分を偽っていたのか。何の為か。理由があるとすれば真司を惑わせる為だ。
「ルイ…………っ!」
叫んだ声でさえ爆音の中では掠れ、彼に届くことはなかった。ようやく人混みを抜け出た時にはルイは既に意識を失い、どうしてだか斎に支えられていた。
「斎! お前、獏は!?」
「今、ヌイに追わせてる」
「端に寄せよう。抱えられるか?」
「うん、大丈夫」
人混みの真ん中で倒れるままには出来なくて、ルイと斎をカウンターの傍に運んだ。
真司は素早く電話をかけて失敗した旨を伝え、獏を探すように指示をした。ヌイが追いかけているから大丈夫だとは思うが、安心出来たものではない。捕まえて、実物を見るまでは予断を許せない状態だ。
「邪魔された!」
「ルイに、か?」
「そう。……でも、獏に何かされたんだ。間違いないよ」
斎はルイの手首や首筋、額に手を当てながら、診察を繰り返す。その顔は焦燥が滲み出ており、油断が出来ないことを語っていた。
「これは、……ヤバいかもしれない」
斎がそう呟いた途端、元々薄暗かったクラブ内の照明の明かりが突然落ちた。
「何が起きた!?」
「分からない。けど、この状態でこの状況はマズイね」
突然暗くなった室内ですし詰め状態だった人々は逃げ惑い、其処此処で衝突を繰り返していた。その中には異常なまでの怒りを示す者もいて、ホール内は正に乱闘状態に近い。
真司が尻ポケットに入れていた携帯が振動を始める。ディスプレイにはアキタの名前が上がっていた。
「何があった!」
『こっちが聞きたい! 中では何が起こってる! あいつの犬が飛び出してきて、で、吹き飛ばされたんだ!』
「ディーラーはいたのか?」
『分からん。目立った奴はいなかったからな』
「じゃあ、ヌイは何に吹き飛ばされたんだよ」
『さぁ、知るかよ。一瞬の出来事だったんだ』
アキタの説明は全く要領を得なかったが、とにかく何かが起こっていることだけは確かだ。
「……分かった。お前は中に来い。暴動が起きているんだ。俺はルイを運び出さないといけない」
『負傷したのか!?』
「いや、負傷はしていない。だけど、意識がないんだ。何が起こったのかは分からないが、ここじゃ落ち着いて診察が出来ない。これから先はお前に決定権をゆだねる。この場を収めろ!」
『分かった。……絶対に助けろよ!』
そんな声が聞こえる頃には、真司は電話を切り、斎の代わりにルイを背負った。
「ヌイも失敗したみたいだ。まず裏口に回ろう。ルイは家に運んだらいいのか?」
「うん。お願い」
目が見えない斎の手首を掴んで、真司は裏口から外に出た。途中でアキタたちとすれ違ったが言葉はなく、目配せだけで互いの無事を祈り、各々の戦場へと足を向けた。
裏口にはヌイがぐったりと地面に伏している。所々に電飾の破片が付いているのをみると、ヌイが激突した所為で、電気がショートしたのではないかと考えられる。
「ヌイ!」
さすがに主人の声は聞こえるのか、ヌイは緩慢に頭を上げたが、反応は鈍い。よろよろと立ち上がり、斎の頬に鼻先を寄せる様は忠実な騎士のようだ。
「もう少しだけ、頑張って」
斎はそっとヌイの首筋を撫で、立ち上がった。
今は何よりも先にルイの安全確保。
「そして、獏の捕獲」
「あ?」
「ううん、今はルイ君が危ないって話」
斎は真司の腕を叩き、先を促した。
***
真司の部屋にルイを運ぶと、斎は彼を寝かせるように真司に言い、自分はその傍へ腰を下ろした。
「真司、ちょっと良い?」
「なんだ」
斎は真司を呼ぶと、彼の目の前に携帯電話を差し出した。
「今から、信じられない話をするけど、本当だから、お願い、信じてね」
「信じるもなにも、話してくれなきゃ分かんねぇよ」
真剣な顔をして言えば、声にも滲み出ていたのか、斎は顔を綻ばせた。
「今ルイ君は夢の中に捕らわれているんだ。だから、俺はこれからルイ君の夢に潜って彼を助けなくちゃならない」
「夢に、潜る?」
「イメージとしては水に潜るのと一緒だよ。本来ならこれは必ず二人一組でやらなきゃならないんだけど、今は俺一人でやる。だから、君には見張りをしてて欲しいんだ」
斎は手探りで真司の手を掴み、掌に携帯を乗せた。
「一時間たって俺が目を覚まさなかったら、メモリの1番に入っている番号に電話をして助けを呼んで欲しい」
「俺は黙ってみてろってか!」
思わず握り締めた掌の中で携帯がみしりと悲鳴を上げた。アキタに啖呵を切った手前、何もしないなど考えられない。
「そう。……でも、君が見ていてくれなければ、俺も帰ってこれない。……手、握ってて。そうしたら、帰ってこれるから」
掌を真司に向けて、斎はそう言った。真司が舌打ちを一つ。苛々は充分承知の上だった。
「俺がいなかったら、ルイは助からないんだな」
「うん、そういうことだね」
「……分かった! 早く帰ってこい!」
そう言い捨てると真司は斎の手を掴んだ。
斎はそれに頷くと、横たわるルイの手を取った。指を絡めて、祈るようにルイと手を組む。
「じゃあ、お願い」
目を閉じ、息を整えて。深く深く、ルイの夢の中へ寄り添うように斎は墜ちていった。
***
夢の中に潜ったという斎の身体に変化はなく、寝息のようなひそやかな吐息が漏れるのみだ。
渡されたアドレス帳メモリの1番。11桁の番号は相手がどんな人間なのかを語ろうとはしなかった。
手持ち無沙汰のまま刻一刻と過ぎる時間の中、真司に時を教えるのはふとした瞬間に震える斎の指と、辺りに広がる砂埃の匂いだけだ。
「何が起こってるんだ……? なぁ」
勿論、返ってくる返事はなく、真司の声は広くもない部屋に霧散して消えた。
こんなのは、自分が役立たずだと思ってしまう。
本当は違うんだ。
そんなことが漠然と頭に浮かぶ。
こんなことじゃ、駄目なんだ。
宛もなく、そんなことを呟く。
やっと…………。
一時間前にセットしたタイマーが真司の思考を遮った。
斎は未だ目覚める気配も見せず、ルイも起きようとしなかった。自分には何もしようがないのを認めるのは恐怖さえ伴ったが、頼みの綱は渡された携帯しかない。
メモリを呼び出し、通話ボタンを押すとワンコール鳴りきらない内に回線が繋がった。
『ようやく電話をする決心ができたのかぃ? 佐賀真司くん』
「誰だ」
『先日電話で話しただろう? 所長の賀茂井清人、だよ』
「斎が、……起きないんだ」
『だろうね。部屋のドア、開けてくれないかな』
その言葉に弾かれたように玄関を開け放つと、開かれたドアには当たらない所に着流しを着た男が立っていた。
「生身では初めまして。斎くんに会わせてもらえるかな」
にこにこと笑顔を崩さない清人に真司が睨みを効かせても、清人の表情は変わらない。なんでここにいるのかとか、何でこの場所が分かったのかとか、言いたい事はたくさんあったが、清人の雰囲気が質問を真司に許してはいなかった。
「ぐずぐずしてる暇はないんだ。斎くんが死ねば、君の大事な人だって死ぬことになるよ」
「死ぬ、って夢の中の話、だろ」
夢の中からルイを助けるのにどうして生き死にの話になるのか、真司には理解できなかった。その顔を見て清人も理解をしたのか、溜め息を一つして口を開いた。
「君は普段、自分がどうやって想い、考え、生きているのか、分かっているのかい? 精神の死は即ち、人間らしさを殺す事になる」
「そういう、ことか……」
事態の深刻さに、真司は息を呑んだ。そんな真司を見ていた清人だったが、ふと思い立ったかのように真司の額に手を置いた。抵抗をしなかった訳ではないが、真司は清人の強引さには勝てない。真司はじっと身動きも出来ずに清人の顔を見ていたが、清人は、今度は感嘆のため息を一つ洩らし、彼の額から手を離した。
「君は変な子だねぇ」
「なんだと」
「君、本当に普通の子だよね?」
念を押すような言葉に真司は眉間に力を入れるが、清人は怯まない。
「不思議な子。君なら斎くんを助けに行けるかもしれないよ」
「本当か!」
これで役に立てるかもしれないと、斎の心は浮き足立った。汚名返上につながる大事な一番だ。ここは大事に行きたい。
「どうすればいいんだ?」
「おや、すっかり態度が変わったね」
「役に、立てるんだろう!? 俺は何をすればいい?」
「そんな必死になって……、いや、今言うことじゃないね。じゃあ、そこに座って斎くんの手を握ってくれるかな?」
真司は言い付け通りに斎の傍に膝を付き、彼の手を握った。
「ええと、全部きちんと閉まってるよね。……オッケィ。息、吐いて。リラックスしててね」
清人は真司の背中に手を当て、息を整えた。数回の深呼吸の内、最後の一回は大きく息を吸う。
「我が言霊は世界の核である。
閉鎖空間確保。規定空間座標確認。
物理原理の指揮は仲介の下にあり、万物の構成は召喚に依存する。
召喚の宣言が無い限り、空間はその有様を保持し、変化をしてはならない。
呼応の見る精神世界を仲介の無意識域に再構築、完了し次第規定空間上にこれを実装する。
空間反転法執行!」
一瞬、何が起きたのか真司には理解できなかった。ただ身体の内側からひっくり返されるような感覚だけが抜けずに思いきり叫んだ。




