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バクは今までにない高揚感を感じながら、路地裏に足を踏み入れた。その目線の先には呆然としたルイがいる。バクはにやにやとしたまま、ルイを見つめていた。
「あなたが、サトシ、を?」
「あれ、聞いてたの」
恐る恐る口を開くルイに、バクはおどけてみせた。こうやって純粋な子供をからかうのは夢を食べる事の次に楽しい事だ。
「あなたがここに、俺を連れてきたんじゃないですか!」
ルイがバクに詰め寄れば、彼は仕方ないなぁ、と肩をすくめてみせる。
「私が夢を食べることは話したよね。人の夢というものは無限じゃあない。普通に生活してる分にはその限りじゃないけどね。ドラッグによるフラッシュバックに幻覚。人の精神はそのうちに崩壊を迎える。そうなれば、もう夢を見る事はない。私にとってそれはもう食べ滓に過ぎないし、そのままにしておけば、そのうちに発狂して死ぬだろうよ。その前に私は私の使い魔たちに、それを与えてやる事にしてるんだ」
「それじゃあ、サトシはあんたのために死んだって言うのか!!」
胸ぐらを掴み、ルイが怒りをあらわにしても、バクにはなんの効果もない。
飄々とした表情でただルイを見つめるだけだ。
「だから言っただろう? 君たちのやり方に合わないから追われていると。それに、ドラッグに手を出すやつにマトモな奴などいるのかい?」
「サトシは、あいつは良い奴だった」
「それでも、自分の体を壊す行為だと分かっていて手を出すのは、愚かな行為じゃないかな?」
どんどん表情が暗く陰っていくルイを見るのは本当に面白かった。バクはこうしてトラウマを植え付ける。人の心に傷をつけて、それが夢に作用するように傷を何度も深くえぐった。
「でも、殺す事はないだろう……」
ほとんど喘ぐような声で、ルイはサトシの事を悲しんでいるようだった。
そんな悲しそうな顔をしても、やめてあげないよ?
「君だって傍観していたじゃないか。あそこにいた人たちがD2をやっていたのは知っていただろう? 何故、止めなかったんだい? 結局君はサトシを見殺しにしたようなもんだよね?」
「やめろ!」
「仲間思いのルイ君は、本当は周りのことなんて考えていないんだよ。自分に被害が来なければいいんでしょう?」
「違う! 俺が言った所で誰もやめようとしなかった!」
「言ったの?」
「……言って、ない」
「ほら。君はやっぱり、あの子たちを見殺しにしたんだね。私と変わらないじゃないか」
「俺は、あれが、あんな事になるなんて思ってなかったんだ」
声が震えている。もうすぐ、この子の涙腺は崩壊するのだろうか? バクは興味津々にルイの顔を覗き込んだ。
「……君の弱さがとても愛おしい。やはり、人間はこうでなくては」
「嫌いだ。あんたなんか……」
とうとう、ルイの頬に涙が一筋流れた。その澄んだ水に魅せられて、バクは息を飲んだ。
「君の夢を食べたい。さぞかし、美味なんだろうね。でも、君に変わって欲しくない。自分本位で、口ばっかり達者で、弱くて。そんな君が好きだ。……俗っぽい言い方をすれば、『食べちゃいたいくらい好き』だよ」
「俺は嫌いだ」
「さっきそこにいた彼が、君のいうリーダーだったよね?」
ルイは黙ったままであったが、その沈黙はすなわち肯定であろう。
「私は彼が気になっているよ。すぐに戦力になりそうだしね。こちらに引き込めれば、随分楽になる。……君と違って」
「……………っ!」
ルイは慌てて顔を上げる。バクはそれを狙っていたのか、にこにこと笑みを深くするばかりだ。
「彼は仕事をしないんだろう? なら、いなくてもいいよね? 私がもらっていっても問題はないね」
「いや、だ! やめてください! 取らないで!」
「それが、君の本音かな?」
「あ……」
「彼、名前はなんて言うの?」
「……シンジ、さん」
「そう。シンジと一緒にいた、彼。この間会ったよね? あの子もこの事件を追ってる。でも、負傷したね。シンジが大事そうにつれていった。今、君はどんな気分なのかな?」
ルイは唇を噛み締める。あまり強く噛むと血が出るな、とバクは考えていたが、それをあえてルイに言おうとはしない。居場所が赤狼にしかないと言った子だ。今回のシンジの行為は彼にとって裏切りの行為そのものだろう。
「悔しいですよ。赤狼よりも、そいつの方が大切みたいだ」
「下手をすると、彼がシンジのことを連れて行ってしまうかもしれないよ?」
一つの仮定だ。だが、それを口にした瞬間、ルイの瞳が濁った色身を増した。その目を見た瞬間、バクは背筋を震わせた。人が闇に落ちる瞬間というものは、どうして、こんなに綺麗なのか。
「………それは、許さない」
「それじゃあ、一緒にあの子をやっつけてしまおうか」
「あの人がいなくなれば、……シンジさんはここに残る?」
言葉にするまでの確証は得られない。そんなものはシンジの考え次第だ。でも、今は目の前にいる子供に夢を与えるため、バクは首を縦に振る。
「俺は何をしたらいいですか?」
「おいで。作戦をたてよう」
にこりと、綺麗に笑みを作って、バクはルイの手を引いた。思い詰めたルイの表情がとても愛おしい。人間の負の感情は、それはそれで、とても美味なのだ。
空はすでに夜色をまとい、路地裏の所為か、月も街灯もルイを照らす事はない。バクの瞳だけがただじっと、ルイの表情が変わる様を見ていた。