3、加速 -A few days later-
真司が意気込でいたにも関わらず、それから変死体はぱたりと現れなくなってしまった。すっかり出鼻をくじかれた真司はぴんと張っていた緊張の糸が切れてしまったようで、また元のように緊張感のないだらけた生活を送っていた。報告中もやる気のなさそうな真司にとうとうモモは怒りを抑えられずに、資料が並べてあったローテーブルを拳で叩いた。
「聞いてんのか! お前のために調べてんだぞ!」
「聞いてる。そんなにでかい声出すなよ」
「だらけ過ぎだろうがよ。いくら事件が起こらなくなったからって、そんなんじゃ何か起こった時動けねぇだろ」
何をしたという訳ではないのに、真司はだらりとソファの背に頭を預けて天井を見上げた。
「最もな意見だ。最も過ぎて苛々する」
「なんでそんなに苛ついてんだよ。お前らしくもない」
「ハッ! 言い古された言葉だな。俺らしいってなんだよ。何も知らない癖に!」
「お前が何も言わないんだろうが! 俺たちだってお前が考えてることは分からないんだ」
弾かれたように立ち上がった真司の胸ぐらを掴んでモモは叫んだ。しばらくの間睨み合いが続いたが、先に逸らしたのは真司の方だった。掴まれている手を乱暴に振りほどいて外へ出る。リーダーの自暴自棄な行動に舌打ちをしながらもモモは真司を追った。
「待てよ! 真司! 一人で出歩くなって言ったのお前だろ!」
「俺はD2も他のクスリもやってない。襲う側からしたら、論外だろうよ」
「そうじゃねぇよ。お前がそうやってふらふらしてっと他のチームが食いに来るんだよ! チーム潰されてもいいのかよ!?」
「……それでもいいって言ったら?」
「馬鹿野郎!」
モモは思わず真司の肩に手をかけ、振り向かせて拳を突き出した。真司も油断していたのか、その拳は彼の頬にしっかり食い込み、足がふらつく。呆然と頬に手を当てる真司を見て、モモは首を振った。
「お前、……今すっげぇ格好悪ぃよ」
その言葉に真司はすっと目線を落とした後、だらりと腕を下げ、空を仰ぐ。
暗雲立ちこめるとはこの事か。今にも雨の雫を零しそうな空模様だった。
「こっち来いよ。落ち着かなきゃダメだ」
モモは有無を言わさずに真司の腕を掴み、近くにあった喫茶店へ引きずって行った。
入り口に掛けられていたオブジェが、こもった空気を払拭するように涼しげな音を奏でる。
「マスター、ブレンド二つ」
「おぉ、いらっしゃい。って、またブレンド一杯で何時間も粘る気じゃないだろうな?」
「今日はそんなにいねぇよ! あんまり言うとおっさんって呼ぶぞ!」
「マスターって呼べ! 急かすな、待っとれ」
慣れたようなモモの対応に、真司は少し驚いた。元々沸点が低く、チーム内でも弄られてばかりだったモモが、こうやって独自のコミュニティを形成し、仕事をしている。当たり前だが、見たことのない姿へ違和感を抱いた。
モモは店の奥の窓際に腰を下ろして、真司に向かいに座るように促す。
「それで何苛ついてんだよ。……いや、焦ってるのか?」
普段よりも静かな口調で話すモモのおかげで、真司はやっと深呼吸することが出来た。これがモモの普段の仕事のスタイルだ。誰に話を聞くにせよ。警戒を解かないと話は聞けないし、話してくれない。
「……分からん」
「あいつの所為か? あの斎って奴」
「そうかもな……。あの男を追うと言ったきり、連絡がないんだ」
「気にすんなよ。もう帰ってるかもしれないぜ? あいつが本来住んでいたところに」
「それならいいけどな」
会話が一段落したところにちょうど良くマスターがブレンドを運んできた。タイミングを計っていたのか、それとも偶然なのかは分からなかったが、マスターのこだわりが見えたような気がした。
「ほいよ。ブレンド二つ。……そいじゃ、ごゆっくり」
店内には小さな音でレコードかかけられており、ゆったりとした時間を過ごすには最適なのだろう。まだ、昼間な所為か客は少ないが、気兼ね無い雰囲気が漂っていた。
「良い所だろう。ここに連れて来ると、大抵誰でも口を開くんだ。コーヒーも旨いしな、この店にはなんとなく連帯感みたいなもんがあるんだよ。一人じゃないって思える。それが心地いいんだ」
「……ちゃんと、仕事してたんだな」
「当たり前だ。馬鹿」
コーヒーに口を付け、じっくり味わう。普段仕事をしている時はこんな風に味わえることも少ないので、モモは新しい魅力に気付いたような気がして嬉しかった。
そして、モモは目の前でコーヒーに舌鼓を打ち、やっと表情が和らいだ真司を見て、この所ずっと考えていた事を口に出した。
「お前はここにいるべきじゃない、ってふと思うときがあるんだよな」
「……どういう意味だ」
「いや、お前が力不足だとかいうつもりは全くねぇんだけど。……なんというか。あいつと一緒にいた時の方が楽しそうに見えるんだよ。俺の独断だから、他から見ればどうかは分からないけどな」
「斎か?」
「そう。活き活きしてたっていうか。……やっぱり楽しそうだったよ」
「俺はこの町を出るつもりはないぞ」
「俺も構わねぇよ。ずっとここにいろよ」
「昼行灯でもか?」
真司が先日言い合いになった際の悪口を引用してみせ、モモは思わず吹き出した。
「そうだ! ははっ、自分で言ったのにな、それ。あーぁ、いいよ。もう、ずっといればいいさ。仕事なんかいくらでもやってやる」
「それは頼もしいこって」
真司も笑い、二人してしばらくぶりの雑談に笑いが止まらなかった。
それからまた、取り留めのない会話をしながら、店の雰囲気に身を任せた。やがてコーヒーも飲み終わり、一息吐いた頃、モモがカップを置いて立ち上がった。
「聞き込みにでも行くか」
「あぁ、……行ってらっしゃい」
「馬鹿、お前も行くんだよ」
「俺も? つか、馬鹿って言うな」
二の腕を捕まれて無理矢理立たされて引きずられる。真司が情報収集に向かない質だ、と知っているはずのモモがこういった行動に出るのは珍しく、真司は困惑しっぱなしだった。
「モモ?」
「なんかしてた方が気ぃ紛れるだろ」
相変わらず分かりづらいが、それがモモの優しさだと分かって、真司は表情を緩めた。
「じゃあ、ごちそうさんっ!」
「おぉ、気をつけてな!」
マスターの激励を背中に受け、二人は街へ繰り出した。
「聞いてないだろうから、もういっかい言うけどな。ディーラーは執事みたいな奴の他にはいない。D2を取り扱ってるクラブは全部そいつから買い取ってるそうだ。……といっても、それぞれ服装に気取られてて顔は録に覚えていないみたいだがな」
「じゃあ、結局、一人かどうかは分からないんだな?」
「まぁ、そうだ。奴らもそれが目的だろうな。ディーラーの顔を覚えさせない為に」
「そいつらは何処からモノを調達してんだか」
「さぁな、案外、自家栽培かもしれないぜ?」
嫌な世の中だ、と呟いた真司の腕を引いてモモは歩き出したが、その動きに逆らうように真司は足を止めた。
「なんだよ。また、嫌だっていうんじゃねぇだろうな!?」
「違う。……なんか、違和感が。こっちか?」
真司は掴まれていた腕を振り払うと、別方向へ走り出した。どうやら、本気で走っているようで見る見るうちに姿が小さくなっていく。
「なんだってんだよ!! 勝手に行くな!」
モモは止まるはずもない真司に向けて叫んで後を追った。
中途半端な開発の所為で入り組んだ道を真司は躊躇い無く進む。土地勘のあるモモはどうにかついて行けるが、彼が何処に向かっているのかは皆目見当がつかなかった。
右に左に、真司は迷うことなく街の奥へ奥へと進んでいく。
うっすらと浮かんだ汗を拭ってモモは立ち止まった。ずっと真司を追っていた所為で周りを見ていなかったが、いつの間にか街灯がないと地面が見えないくらいに暗い。
(……まだ、そんな時間じゃないだろ。でも、空だって、やけに暗い)
喫茶店を出たのが午後の二時。今の季節、陽が沈むのが午後六時。時間の経過を考えてもこの暗さは異常だった。
(何が起こってんだ!)
立ち止まった所為で、真司を見失ってしまったが、それどころではない。
「斎っ!」
モモがいる場所から比較的近い所で真司の声が上がった。声音はぴんと張りつめていて何かが起こった事だけは確実だ。
叫んだ内容がかの部外者の名前だったのは気に入らなかったが、リーダーの近くで異変が起こっているのでは、行かないという選択肢は無いに等しく、モモは声のした方に足を向けた。
そして、しばらく行った先の角を曲がると地面に膝をつけた真司が見え、モモは名前を呼ぼうと口を開く。
「シン、ジ……っ!?」
『そこ』に一歩足を踏み入れた瞬間、モモの肩や頭に感じたことのない重みがかかった。思わず膝をつき、両手を地面について体重を支えたが、それでも苦しいことには変わりはない。
「モモ……? 来たのか?」
「お前、が、急に、走り出した、んだろうがっ! てか、お前、平気、っなのかよ?」
『そうだよ、そこの彼が正常なんだよ。君、本当にただの人間かい?』
声は不思議な響きを持ち、微妙に周波数の違う二人分の声が合わさっているように聞こえた。
モモは重力に耐えながら声のした方向に目を向ける。そこは所謂上空で、何もないはずのそこに燕尾服を纏った男が優雅に腰掛けていた。遠くて顔はよく見えないが、ディーラーの男で間違い無さそうだ。やはり、黒幕はディーラーだったのだ。
「人間に決まってる。お前こそ人間じゃないだろう! サトシを殺したのもお前の仕業か!」
『サトシ? ……あぁ、四人目か。殺したのが私かといわれると微妙かな?』
「はっきりしろよ。全ての黒幕はお前なんだろ!?」
上を向いていた首が限界を迎え、視線を真司に戻せば彼の足元には力なく横たわる斎の姿があった。口内を切ったのか、口端からは血が伝っている。彼の飼い犬も満身創痍の出で立ちではあったが、主人だけでも守ろうと言うのか。震える四肢で男と斎の間に立ち、唸り声を上げて今にも飛びかからんばかりに身体を低く構えていた。
『君たちは部外者だろう。ここまで深く首を突っ込んだらいけないよ』
「部外者じゃねぇ!」
あくまで優雅な態度を崩そうとはしない男にしびれを切らしたのか、真司はそう叫ぶと遥か上空に浮かぶ男に向かって地を蹴った。普段であれば到底届かない距離だが、真司の跳躍は男の頭上を越える。そして中空で足場を捉え、体重を乗せた拳を放った。
拳が男に当たる寸前に彼の身体は蜃気楼のように揺らめき、真司の拳は水に触れたかのように男の身体を通り抜けた。驚いたように拳を引く真司の反応を満足そうに見て男は笑った。
『どうもそちら側にいるには勿体無い人材みたいだね。どうだい? 私と一緒に来ないかい?』
「誰が行くか! 俺の街にちょっかい出しやがって!」
『……ふふ、『俺の街』ねぇ。火種を作ったのは私だけど、それを炎に変えたのはこの町の住人たちだよ』
その通りだった。D2を売ったのはこの男かもしれないが、それを使ったのも、広めたのもこの町の人間たちだ。住人たちが彼と彼の持つクスリを求め、町は荒れていったのだ。
「そんなの関係ねぇよ。全ての元凶はお前なんだろ!」
言うやいなや真司は間髪を入れずに、その場で男に向けて蹴りを放った。今度も男に当たることはなかったが、真司の適応力に驚いたのか、遠目から見ても分かるほどに目を見開いた。
『本当に君は……。ますます君が欲しくなったよ。でも、今はその時じゃない』
蹴りの衝撃で揺らめいた男の影が揺らぎをやめ、男が両手を広げたのに合わせて、男の背から黒いもやが吹き出して辺りを包み込んだ。
「ぅわっ!」
焦ったような真司の声も聞こえたが、モモにはその姿を視認する事は出来ず、ただ目を閉じてじっとしていることしか出来なかった。
『きっとすぐにまた会える。その時まで死なないでおくれよ』
男のそんな言葉が、小さく遠くなるにつれて、モモが感じていた圧力も小さくなった。
やっと一息吐いて身体を起こせば、空は未だ夕日が地を照らしている最中だ。空中に腰掛けている男もいなければ、体が急に重くなったりもしない。夢を見ていたんだと言い切るには肩にかかった重さも、支えた腕の痛さもしっかりと残っていて、現実であったと認めざるを得なかった。
「……なんだったんだ」
呆然と呟くモモに返る言葉はなく、斎を抱き起こした真司が必死に、彼に声を掛けていた。
「……真、司?」
声だけを頼りに斎は手探りで真司の服を掴んだ。
「斎っ! 大丈夫か!? 気が付いて良かった……!」
心の底から安堵した、という声を出す真司を後目に、溜め息を吐きながらモモは膝に手をついて立ち上がった。押さえつけられていた所為で縮こまった関節を伸ばしながら、真司の傍に歩み寄る。
斎の顔からは血の気が引き、元々白かった顔色からより一層線の細さを強調していた。
「……とりあえず、斎はうちに運ぶ。モモ、お前は聞き込みを頼む」
再びぐったりと頭を下ろした斎を背負って、真司は歩き出す。斎の飼い犬もまたよろよろと真司の後をついていった。
モモは返事をしながらも、今まで何か違った空間であった路地を調べるのに熱心だった。
真司の呼び方標記について。漢字とカタカナを併用してしまい、少々読みにくいかもしれませんが、仕様です。チームメンバーが真司を呼ぶ場合、「シンジ」は通り名であるため、本名である漢字では呼ばれない、と解釈をお願い致します。