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***


 真司が部屋に戻ってしばらくすると、控えめなノックの音が響いた。いつも律儀にノックをするのは一人しかいない。扉を開けると黒いパーカーのフードを被ったチヒロが立っていた。

「急がせてすまない。急に確認が必要になったんだ」

「だから、いいって。それより、なんか暖かいもの淹れて」

 小さく震えて部屋の中に入ったチヒロは、慣れたように押し入れから毛布を取り出して体に巻き付けた。その様子を後目に真司はお湯を沸かしにキッチンへ移動した。

「そうだ。ネコも呼んでおいたから」

「あ、……あぁ、ありがとな」

「今忘れてたーって思ったでしょう?」

 すっかり、忘れていた。ネコに潜入捜査を頼んでいたのだ、とチヒロに言われて初めて思い出した。

「きっと出来るだけ急かされると思ったから、手っ取り早い方法は取ったけどね。こんなに早く聞かれるとは思わなかった。本当にさっきもらったばっかりなんだから感謝してよね」

 情報を得る為なら、自分の身体さえ犠牲にすることを知っている真司は何とも言えない顔で頷くしかなかった。

「さっきはごめんな。……電話」

「あぁ、あれ? シンジのおかげで向こうも気を良くしたんだし、結果オーライってとこじゃない?」

 沸騰し始めた水面を見ながら、真司は先程の電話での会話を思い出した。きっと三十秒にも満たない会話だったがその間に洩らされた吐息は正直下半身にくる。チヒロにはそれで生活しているだけの技量も度胸もあるのだ。それで反応しない方が、男として申し訳ない。

「……何考えてるの?」

 背後から耳元で囁かれて真司は肩を震わせる。そのまま硬直しているとチヒロはそっと腰に手を回し、余計に密着してみせた。密着した場所から熱が広がり、そうでなくてもこの頃は色々なことにご無沙汰だというのにここまで煽られれば逆らえるはずも無く、真司は腰に回されたチヒロの手首を掴んで振り返った。

 彼女はその行動でさえ予測していたかのように驚く気配もみせずに、真司の目をじっと見つめていた。近付く瞳に唇、その他。まきつけた毛布もそのままに真司は誘われるように顔を近づけてチヒロにキスを、しようとした所でまるでタイミングを計ったかのように玄関が開く音がした。

 何となく離れるタイミングを失って密着したままでいれば、キッチンの入り口にひょっこりと青年が顔を出した。

 派手な蛍光緑のキャップと、ピンク色の薄手のパーカーをはおり、中には黒のTシャツを着て、そこにも蛍光色で何やら英文が書かれていた。一見ちぐはぐなように見えて、その実、調和されている。キャップからはみ出る緩くパーマがかかった髪をいじりながら、ネコはのんびりとした口調で口を開いた。

「急に呼びださないでよぉ。ちーちゃんが呼んだから来たんだからねぇ。……って、あれれ? ちーちゃん、浮気?」

「んー。ご褒美、かな」

「そぉ。で、何を話せばいいのー?」

 しっかりと抱き合った二人には然程な反応も見せずに、居間に移動したネコは置いたままだったクッションを抱いて寝転がった。

 沸騰していたお湯で紅茶とコーヒーを入れて、折りたたみ式のローテーブルに三人分のカップと資料を並べ、真司は息を吐いた。

「チヒロ、今までの成果はどんな感じだ?」

「症状の推移でいいんだよね。その前にD2について確認して。D2は白色の錠剤で経口摂取。効能は痛覚の軽減、気分の高揚・鎮静と欲望の増加。副作用はほとんどなくて、驚異的な速度でこの街に広がっている。……ここまではいい?」

「あぁ、分かった。でも、気分の高揚と鎮静って矛盾してねぇか?」

「ものによっては両方味わえるクスリもあるから矛盾はしてないよ。それで、耐性があるらしくって、服用しているうちに効能が出始めるのが遅くなる。それが、流行っている要因でもあるんだけどね。だんだん大量に買わないといけなくなる」

「まるで悪徳商法だな」

「この街での商売なんてどれも似たようなもんでしょ。それで、その頃かららしいんだけど、寝覚めが悪くなるんだって」

「それこそよくある事じゃないのか?」

「ううん、ほぼ毎日らしいよ。毎日起きても、すっきりしない。いい夢を見たはずなのに、何故か胃がむかむかする。それが強く顕著になっていく。もう寝るのも勘弁って思う人も一杯いるよ。でも、疲れてるし、寝るとまた気持ちの悪い寝覚めが待っている。寝ても疲れが取れないからだんだん苛々して来るらしいんだ。そうすると、起きている間にいざこざが起きる。その気持ち悪さを解消する為にまたD2を服用する。そんな感じで中毒者の出来上がりってね」

 たくさんの症例を聞いたのか、もううんざり、と小さく零してチヒロは肩をすくめて見せた。

「それで、その内、夢の内容も変化があるみたい。段々と何かに追われる夢を見るんだって、逃げても逃げても追いつかれて、終いにはその何かに襲われる。痛覚も何もないんだけど、自分が食べられていくのを夢に見て気分のいい人はいないよね。症状自体はこれだけなんだけど、殺された5人はもっとこれが酷くなっていて、些細なことでキレてたみたいだよ」

「5人……、お前も今までの被害者が全員D2の常用者だったってことは知っていたのか?」

「まぁ、どれも殺された後の情報だけどね。『殺された五人』について調べればすぐに出てくることだよ」

「そうか。……それにしても、聞いてみれば怪しい所だらけなのに、よく手を出すよな」

 生活が壊れていくのは目に見えて明らかなのだ。真司であれば、そんなものには絶対に手を出さないし、出させない。

「シンジはそれでいいけど、みんな気持ちいいことは好きだから、ね?」

 艶やかに笑うチヒロは娼婦のようで。先程のやり取りを思い出した真司は訳もなく手を握り締めた。

「ネコは? どうだったんだ?」

 話を切り替え、寝転がったネコの足を叩くと嫌々と駄々をこねて、身体を起こさないまま間延びした声で報告を始めた。

「さっちゃんのいたクラブに行ってみたんだけどね、なんか、執事みたいな人がD2を入荷しに来てー、それをみんなで売ってるんだよ。バイトも人気高いんだってぇ、安く手に入るんだってー」

「バイトをしていれば、安く手に入る訳だな。なるほど、そいつらの転売もあり得る訳か。……売りに来たのは一人だけか?」

「どうかなぁ。今日は来てなかったし、あ、でも、毎週木曜日には売りに来るってぇ」

「顔は? 覚えているか?」

「うぅん、着てる服の方見ちゃうからぁ、そんなの覚えてないって」

「そうか」

 斎の意見には賛成しなかったが、モモに頼んだ手前自分で調べられる所は調べておかなくてはならない。もしこれで、ディーラーが一人しかいなかった場合、確実にその男が怪しいことになるが、確証が得られるまでは認めたくない。

「ふーん、シンジはやけにその売人につっかかるね」

 まぁ、いいけどね、と呟いたチヒロは素知らぬ顔でカップに口を付けたが、真司の反応は脳裏にしっかり焼き付けていた。真司の反応や、チームにとって有益である情報から集めるのは当然だ。そのためには耳を澄ませ、周りの状況を逐一確認していかなくてはならない。チヒロがこの街に住むにつれて獲得した習慣の一部だと言って過言ではなかった。

「そういえば、シンジ、お客さんはどうしたの?」

「……お客?」

 客など迎えた事があっただろうか、と真司が真剣に悩んでいるのを見ながら、チヒロは被せるように真相に踏み込んだ。

「目の見えない綺麗なお客さん、だよ」

 チヒロは斎と会っていないはずだ、とか、話した事もないのになんで知っているのか、という疑問は情報屋の彼女にとってはいっそ愚問の類だ。どんな些細なことでも記憶しておくのが常である彼女らに、隠し事など通用しないことを真司は知っていたが、軽く仲違いをしているこの状況であまり彼の話はしたくなかった。

「……あぁ。あいつは、出て行った。今は話したくない」

「うぅん? なんか反応が。僕が予想してたのと違う」

 てっきり慌てるか、首を突っ込むなと怒られると思っていたチヒロは余りの普通な反応に若干がっかりしていた。

「でも、『あいつ』だって。随分入れ込んでるんだね。もう食べちゃった?」

「あぁ? 俺がそういうの嫌いだって知ってんだろ」

「知ってるけど、でも、結構心許してるみたいだから、ちょっと気になってさ」

「とにかく、あの野郎は必ず捕まえる」

「結局、女房に逃げられた旦那の台詞みたい」

 ふん、と嘲笑うチヒロに苦笑いで応戦しながら、真司は重心を後ろに逸らし寝転んだ。そしてそのまま目を閉じる。

「状況を整理する」

 わざわざ宣言したのは、間違いがあればチヒロに訂正を入れさせる為だ。

「起きた事件は五回。そのうち、俺が関わったのは後半の二回。ウチのサトシと黒のナオトの件だ。被害者は全員この街の人間で、被害者同士にはなんの繋がりもない。敢えていうなら、全員がD2を常用していたということ。ここで怪しいのは、D2本体か、それを扱うディーラーだ。……モモにはディーラーの情報を追ってもらってる。さっきネコが言った『執事みたいなディーラー』は俺も見たからな。他にもいないか調べてくれるように頼んである」

「なんだ、モモも動いているんだ」

「ボクは何をすればいいのぉ?」

「ネコは引き続きクラブに行って、違うディーラーがいるのかどうか調べてくれ。チヒロは、……元がどこか分かるか? ディーラーたちが何処で仕入れているのかが知りたいんだ」

「……分かった。調べておく。じゃあ僕は帰るよ。ネコはどうする?」

「ボクも帰るー」

 ネコはじゃれつくようにチヒロの腕に自分の腕を絡ませて、まるで仲の良い姉弟のように真司の部屋を出ていった。

 元々調査に向いてない真司は、これ以上情報収集には関わらないつもりだ。改めて一人になれば、斎に投げられたことを思い出す。受け身は取ったから身体の傷は無いが、意外と精神の方にダメージが来ていた。

 彼がリーダーの赤狼は喧嘩に負けたこともなく、真司自身も負けたことはなかった。しかし、斎には負けた。自分よりも小柄な男に軽々と投げられてしまったのは地味にショックだった。

「もう隙なんか見せねぇ」

 静かに瞳に闘志を燃やして、真司は拳を握り締めた。


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