第19話 お疲れ様のぶり大根
その後。結局、視察団は帰らないことになった。
というのも、私が公爵様を説得して、期日いっぱいまでいてもらうことにしたのだ。
公爵様はかなり渋っていた。
しかし、いきなり予定を変更させるのも迷惑をかけてしまうことだし、最終的にこの方がいいだろうと説得することが出来た。
そして、最終日まで王女様と殿下は視察を続けた。
もう王女様は公爵様に執着を見せることはなく、殿下と共に真面目に視察に取り組んでいた。
私の説得の甲斐もあり、王女様からの正式な謝罪を受けて、公爵様も王女様と普通に話すようになっていた。
すべてが丸く収まってよかったと思う。
しかし、一つだけ大きく変化したことがあって……。
「お姉様〜‼︎」
廊下を歩いていると、後ろから甲高い声が聞こえてきた。
振り返ると、私に声をかけてきた人物が腰に抱きついてきた。
その人物は、抱きついたままの状態で、私を見上げる。
「お姉様、今日の料理はなにかしら? わたくし、すごく楽しみだわ」
そう言って目をキラキラさせるのは、他でもない王女様である。
どうしてこうなったのか……それは、事件直後まで遡る。私は、王女様から直接謝罪を受けたんだけど……。
『ひどいことをして、本当にごめんなさい……!』
そう言って謝る王女様の目には涙が溜まっていた。彼女の表情や言葉から、反省しているということがよく伝わってきた。
私は彼女に優しく微笑みかけた。
『大丈夫ですよ。まったく怒ってませんから』
『でも、わたくし、あなたにひどいことを沢山したわ。どうやって償えばいいのか分からないくらい……』
彼女の言葉に「うーん」と考え込む。謝罪しただけでは彼女の気持ちが収まらないなら……。
『それなら、また私の料理を食べてもらえますか?』
『え?』
『王女様が美味しそうに食べて下さると、私も嬉しいんです。私の料理をまた食べていただければ、それでチャラってことにしませんか?』
『……』
私の言葉に王女様が目を見開く。そして、感極まったように私の手を取り、言ったのだ。
『お姉様……!』
『お、お姉様⁈』
急に「お姉様」と呼ばれて困惑していると、彼女は目を輝かせて早口で捲し立てた。
『こんなに優しい人、今まで出会ったことないわ……! なんて懐が広くて、心優しい人なの。私もあなたのようになりたいから……ぜひ、私を妹にして欲しいわ!』
『い、妹に⁈』
『ええ。それとも、そんな風に呼ぶのは図々しい? だめ、かしら……?』
ウルウルとした瞳で見つめられ、言葉に詰まる。
“一国の王女様に「姉」と呼ばれるの⁈“とか、“それって何かの不敬にならないかな⁈”とか、色々な思考が駆け巡る。しかし、王女様は期待の眼差しで私を見つめていて……。
『全然大丈夫ですよ……!』
気づけば、そう答えていた。私の返答に王女様はにっこりと笑う。
『嬉しいわ、お姉様!』
こうして、王女様はすっかり私に懐いてしまったのである。
ちなみに、もう公爵様のことは気にならないのかと聞くと、「わたくしに興味ない男に興味はないわ!」とのことだった。
……少しだけ強がっているようだったけれど、彼女の中で心の整理がついているのなら、よかったと思う。
「今日はぶり大根です。魚と大根がご飯によく合うんですよ」
「そうなのね。楽しみだわ。……でも、もう今日で王宮に帰らなきゃいけないから、お姉様の料理を食べれなくなって、寂しいわ」
彼女の言う通り、今日で視察団は公爵領の視察を終えて王宮へと帰ることになっている。
「きっとまた会えますよ」
「本当かしら……?」
「はい。ぜひ、また公爵領に来て下さい」
そう言うと、王女様はモジモジし始めた。そして、「あの、その……」としばらく言い淀んでから、彼女は顔を真っ赤にして、告げた。
「親愛の印に、わたくしのことはアリシアと呼んでくれるかしら⁈」
彼女の提案にびっくりする。でも、確かに「王女様」という呼び方は堅苦しいかもしれない。それなら……。
「アリシア様、また会いましょう」
「はい! ジゼルお姉様」
私たちは手を繋いで、微笑み合う。
最初は敵視されていたけれど……、今では彼女を友人と呼べる存在になったかもしれない。
そう思うと、嬉しい気持ちで胸がいっぱいになった。
そして、食事を終えた視察団が帰る時間となった。
馬車に乗り込む直前、殿下が公爵様に手を差し出した。
「それじゃあ、アベラルド。世話になったな」
「はい。こちらこそありがとうございました」
二人は堅く握手をし合った。アリシア様の一件があった時はどうなることかと思ったけれど、こっちも和解が出来て、本当によかった。
公爵様と向き合っていた殿下は、ふとこちらに目を向けた。
「ジゼルも。君のおかげで楽しい時間を過ごせた。……特に、妹の言動を許して、友人関係を築いてくれたことは、感謝してもしきれない」
「いえ。そんな……」
「妹とまた会ってくれるとありがたい。あれは友人と呼べる相手が少ないからな。……それに、私自身も君に興味が湧いた」
殿下は、私を見つめて目を細めた。
「また会えると嬉しい」
そう言って、馬車に乗り込んで行った。
アリシア様も最後に私をぎゅっと抱きしめてから、殿下に続いて馬車に乗り込む。
こうして、長かった視察は終わりを迎えた。
⭐︎⭐︎⭐︎
「それでは、お疲れ様でした。乾杯!」
「乾杯」
私と公爵様はコツンとグラスをぶつけた。そして、ビールをぐびぐび飲む。
「ん〜、一仕事終えた後の生ビール。やっぱり最高ですねぇ」
「そうだな。特に、今回はジゼルも慣れないことをして、疲れただろう?」
「はい。でも、勉強になりましたし、最終的には楽しむことができました」
そう言って笑うと、公爵様は「流石だな」と言って微笑んだ。
「そうだ。おつまみもあるので、食べましょう」
「ああ、殿下たちに提供していたものか」
「はい。ぶり大根です」
今日作ったのは、ぶり大根だ。
最初はこんな家庭的な料理で大丈夫かなとも思ったけれど、アリシア様も殿下も、その方が珍しくて面白いと言ってくれた。
なので、私は遠慮なく前世の家庭料理を振る舞っていた。
さっそく、ぶり大根を食べ始める。
大根とぶりには、汁がひたひたにしみ込んでいる。
ぐつぐつに煮込んだ大根は柔らかくて、噛んだ瞬間、じゅわっと口の中で汁が溢れた。
大根と同じくじっくり煮込んだ、ぶりの身も柔らかくて、口の中に入れた瞬間、ほろほろと溶けていくような感触がする。
「味付けには何を使ってるんだ?」
「酒、醤油、みりん、砂糖ですね〜」
「砂糖も使ってるのか。だから、少し甘みがあるんだな」
「はい。この甘みが味付けを濃厚にさせてるんですよね」
おかげで、噛むたびに魚の旨みと味付けの汁の味を感じることができて、飽きがこないのだ。
そして……、私はグラスにビールを注いだ。
「お、今回はビールなんだな」
「はい。ぶり大根の深い旨みに、ビールの苦味がマッチするんですよ」
そう言いつつ、すぐに私はグラスを手に持った。ぶり大根で満たされた口の中にグビグビとビールを注ぐ。
「はぁあああ、最高オブ最高ですね」
「本当だな。ビールとの相性もいいし、この料理はかなり好きかもしれない」
公爵様の言葉で、「そういえば」と思い出した。
「殿下もこの料理好きって言ってたんですよねぇ」
そう言うと、公爵様はピタリと動きを止めた。そして、難しい顔をしながら、言いづらそうに口を開いた。
「殿下は……ジゼルのことをすごく気に入っていたな」
「そうですか? アリシア様の方が私と仲良くなっていただけたんですけど」
「いや、王女様とは違う意味で……」
公爵様は「何もないといいが」と呟いた。
私は公爵様の言葉の意味するところが分からず、首を傾げた。
しかし、公爵様もそれ以上説明することはなかったし、私も追求はしなかった。
そうして、その日の晩酌は終わったんだけど……。
それから数日後。私達の元に一つの手紙が届けられた。
それは、王家からの「王宮へ来て欲しい」という要請の手紙だった。




