説得
久司が二階へと上がって行くと、敦の部屋の前で光晴がぽつんと立っていた。
また面倒だなと顔をしかめながらそちらへと歩いて行くと、光晴は気付いてこちらを見た。
「久司。」
久司は、言った。
「なんだ?今夜吊る相手に何を話そうって言うんだよ。オレは、敦さんを説得して自投票をしないようにするつもりだ。もう、聖子ちゃんも疲れてる。終わらせたいんだよ。」
光晴は、苦悩の表情で顔をしかめると、いきなり項垂れた。
久司が、光晴が泣き出したのかと驚いて黙ると、光晴は下を向いたまま、言った。
「…オレは、間違ってるのかもしれないと思って。」光晴は、絞り出すように言った。「だから、確信を持ちたくて敦さんともう一度話したいんだ。だけど、全く部屋にも入れてくれなくて。」
あの人は頑固そうだから。
久司は思いながら、ため息をついた。
「一回こうと思ったらこう、って感じの人だからな。オレが話してみる。でも、これ以上怒らせないでくれよ。あの人、怒ったらマジで怖いと思うし。」
光晴は、頷いた。
「分かった。」
久司は、思い詰めたような顔をしている光晴を背に、落ち着かない気持ちで扉に向き合い、少しだけ開いた。
「…敦さん?ちょっとだけでいいですから、話を聞いてくれませんか。」
中から、敦の声が聴こえた。
「久司か。入るといい。」
久司は、後ろの光晴に、小さく言った。
「ちょっと待ってて。先に話をつけて来るから。」
光晴は頷いて、そこに棒立ちになる。
久司は、扉を大きく開いて中へと足を踏み入れてから、そこに光晴を残したまま扉を閉じた。
「敦さん。あの、光晴が話したいって。」
完全防音なのは知っているが、つい小声になる。
敦は、面倒そうに手を振った。
「あいつは私を吊りたいのだろう?もういいと言うのに。別に、私はどっちでもいいのだ。もう疲れたのだ。」
分かっている。
敦が、さっさと退場したいことぐらいは。
久司は、もっと敦に寄って行って、小声で続けた。
「違うんです、確かに奥さんに会いたいでしょうけど、面会だってすぐにはできないでしょう?ここで吊られてすぐに顔を見られるわけじゃない。ゲームをしてるんですから、そもそも終わるまでは誰もここから出られないでしょうし。それより、ゲームを終わらせるのが先です。今夜、喜美彦を吊ればゲームは終わるんですよ。敦さんが今夜吊られてしまったら、まだ明日もゲームは続きます。それでは困るんです。別に光晴を説得しなくても、聖子ちゃんは絶対に敦さんには入れないって言ってます。それに、聖子ちゃんは元々体力がない方だから、疲れやすくてそろそろ診察を受けたいみたいなんです。あの子も、終わらせたいと思ってるんですよ。敦さんが医者なら、患者の事も考えてくれませんか。」
敦は、それをむっつりと聞いて何かを考えていたが、フッと息をつくと、言った。
「…私が患者の事を考えていないと思うか。そもそも、私と正高は患者ではない。君達の容態を監視するために、わざわざ紛れ込んでいた医者と看護師なのだ。」
久司は、一瞬何を言われたのか分からなかった。
だが、ハッと我に返った…つまり、敦さんは、癌患者ではない?
「え、敦さんは患者じゃないんですか?!」
敦は、ため息をついて頷いた。
「そう。私は君達世話するためにここへ来た医師の一人だ。正高は看護師なのだ。」
久司は、必死に八日前の説明を思い出して眉根を寄せた。
「…確か、薬の在庫は11人分で。ここには18人だから、数が足りないって。そうか…正高と敦さんを抜いても、まだ16人だし足りないか。」
一瞬無駄なゲームをさせられているのかと思った。
久司は、それを思い出して少しホッとしていた。
しかし、敦があちら側の人だったとは思わなかった。
「…君達には黙っていてすまなかったと思っている。だが、こうしてゲームができるほど、皆回復していて安堵しているのだ。まだ開発途中の薬だし、治験は進んでいないので完成しているわけではない。だが、ここへ集められた患者たちは、それぞれの病院でのデータ解析の結果、もしかしたら今の状態でも効く可能性があるのではと分かった者達ばかりだ。年齢もある。歳があまりに上だと、体力が足りずに命を落とす。なので、皆若いのだよ。」
そういう事だったのか。
とはいえ、16人集めたのに、治験するならきちんと薬を揃えておいてくれたら良かったのに。
それとも、まさか集めたみんながみんな薬が効くとは思わなかったのだろうか。
久司は思ったが、しかし今はゲームの話だ。
久司は、言った。
「…それはもういいです。終わってからのことでしょう。それより、今夜ですよ。自分投票は、しないでおいてくれますか?」
敦は、顔をしかめた。
「感情的にもう光晴と一緒にゲームという気持ちではないのだがね。まあ、話ぐらいは聞いてもいい。君の提案は、それから考えよう。」
久司は頷いて、絶対に怒らせるなよと思いながら、扉へと歩いて行った。
扉を開くと、光晴がそこに立って悲壮な顔で待っていた。
久司は、光晴に黙って頷き掛けて、光晴はそれに応えて頷き、そうして中へと入って来た。
敦は、窓際の椅子へと腰かけて肘掛けに肘を置き、目の前で指で三角の形を作ってじっとこちらを睨むように見ていた。
光晴が極度に緊張しているのは分かったが、久司もまるで蛇に睨まれたカエルのような気持ちになった。
光晴は、それでもめげずに、黙ってこちらを睨むように見ている、敦に言った。
「…話がしたいんだ。」光晴は、敦の目を見つめて言う。「納得したいと思っている。その…喜美彦吊りでも、いいかと思っていて。」
敦は、それを聞いても表情を弛めることはなく、言った。
「…君は私を吊りたいと言っておいて、私が自分に投票すると言ったら引き止めるのか。そんな君を納得させる意味など、私にはない。私はこれまで、喜美彦や冴子さんに比べてしっかりと意見を落として来たつもりだ。それを思い出すがいい。その上で決めたらどうなのだ。そもそも、君が説得すべきは私ではない。聖子さんだろう。久司は私と共に狼だと疑われている私の仲間だ。私達に今さら思考を助けてくれなど、虫が良過ぎると思わないのか。私自身は、悩んだが久司を裏切る事になるので、自分投票は思い留まる事にした。」
自分投票は思い留まってくれるの?!
久司は、内心小躍りしたい気持ちになった。
光晴は、突き放すような敦の言葉に、敦の目を見つめ返していられずに、視線を落とした。
「…分かっている。オレは、優柔不断なんだ。IT社長でやり手だったとか言ってるが、発案しただけでいろいろ決めて動かしてくれたのは一緒に始めた友人だった。オレは技術は持ってたが、決めるのが苦手でどんどん進む状況について行けなくて、名ばかり社長で経営は友人に任せきりで。結局そんな風なのを見かねた仲間に気遣われて会長職に追いやられ、今は友人が会社を革新的に回して行ってくれている。それを見て自分の発案だったのにと意気消沈し、ある日気が弛んで倒れて気が付いたら末期ガンだった。もう自分に失望して何もやる気も失せて…こんな自分が、嫌で仕方がなかったのに、結局こうして及び腰なんだ。迷ってばかりだ。オレは、役職になんかつくべきじゃなかった。君が猫又だったら良かったのに。」
敦は、黙って聞いていたが、言った。
「…迷うことなど、私でもある。迷わない人など居るのか?それは人というのか。」光晴は、顔を上げる。敦は続けた。「君は、思うに考え過ぎてしまうのだ。こうなった時にこうなるという、道筋を多く考え過ぎるのだろう。それこそ、レアケースなどは私の頭の中でもあるが、それはそれが起こる確率を計算して優先順位を決めて奥へと押しやって行く。もちろん、状況に応じて確率も変化するので浮上して来る物もあるが、一度決めた事を覆すのは反って間違える元になると私は思う。まあ、それでも迷うのは分かる。そういう時は、初日からの皆の行動を、一々振り返って行くと良い。その中に、ヒントはあると思うぞ。君目線では私が狼である可能性もあるのだから、しっかり考えて投票するといい。その上で、やはり私を吊ろうと思ったなら、聖子さんを説得するのだ。それが筋だ。私も、ゲームを投げて悪かった。久司にも失礼な事になる。私は、喜美彦に投票する。こういうゲームなのだから、時間が掛かると苛立っても仕方がないな。反省している。」
光晴は、じっと敦を見ていたが、頷いた。
「オレの方が、悪かったんだ。」と、何かを吹っ切れたような顔になった。「オレ、やっぱり徳光の考えでなく始めから思ってた事を貫くよ。久司は白いし、敦さんは真だと思う。もう責任云々いい。みんな自分で考えて投票して来たんだもんな。これで間違っても、オレ自身は後悔はない。他の人達は違うかもだが。」
敦は、息をついた。
「別に…他の人達の事など背負わずでもいいと思うぞ?私も、最初から自分のことしか考えてはいない。自分が残りたいからこそ、皆の盤面整理を手伝ったりしていたのだしな。君の選択には文句はつけないし、私は自分が正しいと思うことをする。君もそうすればいい。私だと思うのなら、私でいいではないか。ただ、その考えを強制して押し付けるのは間違いだ。説得するのだ、無駄だと思っても。そして君が話し合うべきなのは、私ではなく聖子さんだ。お互いに確定白同士、腹を割って話し合うといい。それでこそ、このゲームを戦う意味というものだろう。」
光晴は頷いて、ここへ入って来た時には考えられなかったほど、前向きな表情になって出て行った。
久司はそれを見送って、敦が落ち着いて来たように見えて、ホッとしていたのだった。




