『視線』
最近、堂林くんの様子がちょっと変だ。
授業中いつもぼんやりとした顔をうかべている。
休み時間に他の男子と話していてもなんだか心ここに在らずといった感じ。
なんでだろうとわたしは思ってた。
でもある日、わたしは気づいた。
——堂林くんの視線の先にはいつも森川さんがいることに。
◯——◯
「——好きな人いるってさ、森川さん」
昼休みのこと。
わたしの席に里枝がやってきて言った。
「え、なに?」
と、反射的に応えてから、わたしは失態に気づく。案の定、里枝は不満げな顔を浮かべて責めるようにわたしのことを見てきた。
「……アンタねえ、なによその反応はー。アンタが知りたいっていうから訊いてきてあげたのにさぁ」
わざとらしく口を尖らせてつぶやく里枝。
まったく里枝の言う通りだった。堂林くんの視線の先に気がついて以来、わたしは森川さんに好きな人がいるかどうかずっと気になっていた。
でも自分で訊く勇気がなかったわたしは今朝、里枝に代わりに訊いてきて欲しいと頼んでいたのだ。
「あはは、ごめんゴメン。ちょっと考え事しててさ」
「ふーん。ま、いいけどねー別に」
軽く手で拝んで謝るわたしを適当にあしらい、里枝は手近な椅子を引き寄せるとお弁当を広げ始めた。わたしもカバンからお弁当を取り出していく。
「それよかさ」
と、プチトマトを手で摘んで食べた里枝がわたしに向かって言った。
「なんで急に森川さん? 関わりあったっけ?」
「んー別に? ただ気になっただけだよ。ほら森川さんっていつも静かだし、好きな人いるのかなぁって。ホント、それだけ」
「あは、アンタそれひどいよぉ」
「あはは、そうかも」
自覚のあったわたしは調子を合わせるように笑った。
それからわたしたちはたわいのない話をしながらお弁当を食べていった。
最後に残った卵焼きをお箸で摘んで、ふと思い出したように呟いてみた。
「でもそっかァ。森川さん、好きな人いるんだ……」
「なぁに意外そうにしてんのよ。そりゃいるでしょ、好きな人のひとりやふたり! あたしたちは中二、中二なのよ!」
拳を振り上げ面白おかしく反応し、されど声高らかに力説する里枝。
耳年増というのだろうか。彼女はこの手の話題になるといつもお母さんのように饒舌になるのだ。
「ま、森川さんの場合、まだ気になる人って感じだったけどね」
「ふーん気になる人、か……」
わたしは無意識に森川さんへと視線を移す。おとなしい性格の彼女は、休み時間はたいてい自分の席で本を読んでいた。真面目で、地味で、スカートだっていつも長いまま。
どうして堂林くんが目で追っているのかわからない。わたしの方が、絶対にかわいいはずだった。
「……だれなのかなァ、森川さんの気になる人って……」
それは返事を期待した言葉じゃなくて、ただぼんやりと出た言葉だった。
でも、わたしの心境とは裏腹に、里枝は当たり前のように答えてくれた。
「——堂林だってさ」
「…………えっ」
ようやく絞り出したわたしの声に応えるように、教室内には昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いていた。
◯——◯
「吉崎ィ、ちりとりこっちに持ってきてくれー」
「あ、うん」
放課後、わたしは里枝の代理として体育館裏の掃除に駆り出されていた。学校生活において、情報はタダじゃない。そういう取引だったのだ。
だけど里枝は知らない。本当はわたしが代わって欲しかったから、今日という日に取引を持ち掛けたということを。
掃除は堂林くんも一緒だった。もちろん狙っていた。わたしは自分の強かさが何よりも好きだった。
でも。それも昼休みまでのこと。
今朝はうきうきとわき立っていた心が、今では月のように沈んでいる。
二人きりで、せっかくの機会だって言うのに、わたしは情けない時間を過ごしていた。
「けっこう集まったなぁ。これ集め終わったら一回捨てにいってくるよ」
「うん、お願いねー」
堂林くんの言葉に適当な返事をしながら、わたしは集められた砂まじりのほこりがちりとりに吸い込まれていく様子をじっと見つめていた。
ずっと考えていた。
昼休みからずっと、森川さんの気持ちやわたしの気持ち、堂林くんの視線の持つ意味がわたしの頭をぐるぐると回っている。
だけど、いくらあれこれ考えてみても、結局はひとつの答えしかでてこない。
沈むような想いに耐えかねて、ふと視線を上げると、堂林くんの姿が目に入った。
ちりとりを支えるためにしゃがみ込んでいたわたしの目線からは、ほうきを掃く彼の透き通るような瞳がよく見える。綺麗で、まっすぐな瞳だった。
「……堂林くんってさァ」
それは何気なしに出た言葉だった。言うつもりのなかった言葉が、わたしの意思に反して、勝手に口を飛び出していた。
「——好きなの? 森川さんのこと」
「は、はぁ!?」
わたしの言葉に堂林くんは面白いようにうろたえた。
「な、なに言ってんだよいきなり!」
そのあからさまな反応で、すべてを察したわたしは、精いっぱいの意志を振り絞って、悪戯っぽく笑ってみせた。
「へへ、だって堂林くん、最近いっつも森川さんのこと見てるじゃん。授業中も休み時間もいっつもさァ」
「た、たまたまだろ? べつに森川のことなんて見てねえよ」
あくまでもシラを切る彼に、けれどわたしは追及の手を休めない。よせばいいのに、傷つくだけなのに、わたしの口は、泣き叫ぶ心の要求に従ってはくれない。
「えーそうかなぁ。たまたまにしては多いと思うけどなぁ」
「だから! たまたま偶然だって! 吉崎の勘違いだろ!」
「あはは、ムキになって、怪しいなぁ〜」
続けるわたしに、敵わないと思ったのか、堂林くんはくるりとわたしから目を背けると、わざとらしくちりとりの中身を見せながら言ってくる。
「ほ、ほらっ! くだらないこと言ってないで早く終わらすぞ! 俺、一回これ捨ててくるから」
「あー逃げるんだァ」
「うるせぇ。喋ってばっかいないで吉崎も掃除しとけよ」
捨てゼリフを吐いて走り去っていく堂林くんを見つめながら、わたしはふっと大きな息を吐いた。にじみそうになる視界が、夏の暑さによって流れた汗に救われていた。
「——さっ、掃除そうじっと! 急ぐぞ吉崎! 他の奴らもう終わってるみたいだぜ!」
戻ってきた堂林くんは、わたしに視線を向けることなくほうきを手に取ると、わざとらしく地面を掃く音を響かせていた。
そんな堂林くんの姿がわたしはおかしくて、思わず笑ってしまう。
「……なんだよ」
「ううん、別に。なんでもないよ?」
「……なら、さっさと終わらせようぜ」
「ふふ、そうだね」
ほっと安堵した様子を見せる堂林くんに、だけどわたしは言った。
「——でさ、やっぱり好きなの? 森川さんのこと」
にこにこと無邪気に見えるように笑みを浮かべるわたしはまるでピエロだ。本当ならもう聞きたくなんてないのに、わたしの性格がそれを許さない。
「……はぁ、もう勘弁してくれよ、吉崎ぃ」
「えー、だって気になるんだもん」
わたしが偽りの無邪気さを示し続けていると、堂林くんはやがて諦めたようにため息をひとつ吐いた。
それから頭を掻きむしり、わたしからの視線を避けるようにして言った。
「……ああ、好きだよ。これでいいか?」
そっぽを向いた彼の横顔は、ほんのりと赤みがかっていて、誰の目に見ても恋をする少年の横顔だった。
「そっか」
と、わたしは呟いた。
「そっかぁ……」
もう一度呟いた言葉は、夏の太陽に溶けるように消えていく。生ぬるい湿った風がわたしの心をあざ笑うかのように吹き抜けていった。
「……言うなよな、だれにも」
ぽつりと堂林くんが呟いた。恥ずかしそうに、けれど視線は強くわたしの目を射抜いて。
「……さァ、どうしよっかなぁ〜」
そう言いながらわたしは空を見た。入道雲が高らかに漂っている夏の空は、まるで悩みなんかないみたいに晴れやかだった。
「頼むよ」
胸が締め付けられるみたいに痛い。涙が出そうだった。でも、ここで泣いてしまったら、わたしはもう立ち直れない気がして、
「あはは、それは堂林くん次第かなー」
だから、それからもわたしは堂林くんをからかいながら掃除を続けたのだった。
◯——◯
翌日の体育の時間はバスケットボールをすることになった。本当は持久走の予定だったけど、あいにくの雨でグラウンドが使えなくなってしまったのだ。
もちろんわたしを含め、ほとんどの子はその変更を喜んだ。疲れるだけの持久走よりも、球技をやる方がずっといいに決まってる。
だからきっと、憂鬱だったのは運動が苦手な子だけ——。
森川さんもそのうちの一人だった。
「ご、ごめんなさい……!」
「ううん、全然大丈夫だよ。焦らないでいいからね」
わたしが投げたパスを逸らしてしまった森川さんは、申し訳なさそうに謝りながらボールを拾いに行く。わたしは気にしなくていいよと手を振り返した。
「ほ、ホントにごめんね吉崎さん」
それからも何度かパスを逸らして謝ってくる森川さんに、わたしは内心でため息を吐きながら笑顔で手を振り続けた。
試合までの準備運動の時間、わたしは森川さんと一緒にペアを組むことにした。
いつもは里枝や他の仲のいい子と組むんだけど、今日はわたしから森川さんに声をかけてペアを組んでもらったのだ。
戸惑うような視線を送ってきた森川さんを、半ば押し切るようにしてペアを組んだわたしは、けっして上手いとは言えない彼女との気まずい時間を過ごした。
そんなことをしたのは、もちろんそうするべき理由があったからで。
「あ、そうだ森川さん」
そろそろ練習も終わりという頃、わたしはさも今思い出したように言った。
「な、なに?」
「んっとね、来週の土曜日にさ、期末の打ち上げってことでクラスの何人かで遊園地行くつもりなんだけど……よかったら森川さんも行かない?」
「え? わ、私……?」
普段から誘われることに慣れていないのだろう。森川さんは調子を合わせるように曖昧に微笑んだ。それはとてもズルい表情だとわたしは思った。
臆病で、いつもおどおどしてる。
どうしてこんな子を……。
そんな内心なんておくびにも出さずにわたしは笑顔を意識して話を続ける。
「うん、どうかな? いまのところ決まってるのは、わたしと里枝と、片岡くんに丸井くん、それから……」
少しの間を置いてわたしは告げた。
「……堂林くん、なんだけど……」
「え……」
堂林くんの名前を聞いたときに彼女が僅かに見せた変化をわたしはたぶん、これから先、ずっと覚えているんじゃないかと思う。
一瞬だけ、ほんの少し目を見開かせて彼女はわたしを見た。ほんとうに一瞬だけで、すぐにまた視線は下を向いたけれど、左手で髪を押さえつける様子を見せる彼女が彼の名前を意識しているのは明らかだった。
——ああ、ほんとうに森川さんも堂林くんのことが好きなんだ。
黒い感情が湧き出そうになる心をわたしは必死で押さえつける。
そんなわたしの様子に気づきもせずに悩んでいる様子の森川さん。バスケットボールが床を跳ねる音がまるで彼女の鼓動のようにわたしの耳に届いていた。
やがて彼女はたどたどしく、けれど確かな意志を持った声で呟いた。
「えっと、う、うん……私も、行きたい、かな?」
くるくると、何かをごまかすように髪をいじりながら。
「オッケー。じゃあ詳細が決まったらまた連絡するね」
そう言って、わたしは逃げるようにこの場を離れようとした。だけど森川さんはわたしを呼び止めてくる。
「あ、待って、吉崎さん!」
「ん、なに?」
振り返ったわたしの目には、苛立たしいくらいにまごまごとした森川さんの姿が映った。
「……どうしたの?」
「あの、そ、その……」
思いのほか低い声になってしまったわたしの言葉に、森川さんは気圧されたように視線を下げたけれど、すぐにぎこちなく微笑んできて、
「さ、誘ってくれて、ありがとう……!」
「……ん、楽しみにしてるね」
そんなひと言を告げる合間にも、彼女はしきりに髪を触っていた。
いやらしい仕草だとわたしは思った。
◯——◯
テスト明けの土曜日はとても良い晴天に恵まれた。昨日まで降り続いた雨が嘘みたいだった。
そのせいか、遊園地はとても混雑していた。どのアトラクションも人がたくさん並んでいたから、列に並んでいる間とかで、わたしたちが話す時間は多かった。
だけど、いつも森川さんはひとり言葉少なげに後ろの方にいた。社交的とは言えない彼女にとって、普段はあまり関わることないわたしたちとの時間をどう過ごすべきか、わからなかったのだろう。
わたしが誘った手前、本当なら橋渡し役になるべきだったんだろうけど、やっぱりできなかった。
それどころか、わたしは森川さんと堂林くんが会話できないように巧みに立ちまわった。だから、森川さんは終始借りてきた猫みたいに居心地の悪そうにわたしたちの後をついてきた。
そんなわたしのことを里枝が何か言いたげに見ているような気がした。でも気のせいだと思いたいから、わたしはできるだけ里枝とも視線を合わさずに過ごしていった。
嫌なやつだ、わたし。ホント、嫌なやつだ……。
でも仕方ないよ。
わたしだってずっと堂林くんのことが好きだったんだから。
夕方になって、わたしたちは家に帰ることにした。だけど最後に何かひとつアトラクションに乗ろうということになったから、それぞれが何に乗りたいかを言っていくことになった。
「わたしは観覧車に乗りたいなァ」
「あ、それいいんじゃねえか」
率先して言ったわたしに堂林くんが賛同してくれる。
「今まで精神的に疲れるモンばっかだったからなぁ。最後くらいはゆっくりしたやつに乗りたいよ」
「うんうん、だよねだよねー」
しかし片岡くんが渋るような声を出す。
「いや、俺はもう一回ジェットコースターに乗りたいぜ。丸井もそう思うよな?」
「まあ確かに、正直乗り足りない気もするよなー」
そんな男子ふたりに、わたしはにっこりと笑顔を浮かべて言った。
「じゃあさ、別行動にしよっか。観覧車に乗りたい人とジェットコースターに乗りたい人に分かれてさ。もう最後だし、その方がみんな楽しめるしね」
「そうだな。そうするか」と堂林くんが言った。「やっぱ両方乗ろうって時間でもねえしな」
「でしょ? じゃあ片岡くんたちはジェットコースター、観覧車にはわたしと堂林くんのふたりで——」
「——待った」
意見がまとまりかけていた時、だれかが叫んだ。里枝だった。
「……どうしたの?」
「いやさぁ」
と、里枝はポリポリと頬を掻くそぶりを見せながら、困ったような顔をして言った。
「まだどっちにするか言ってない人、いるよね?」
「あっ、そうだよ! 森川がまだ決めてないぜ?」
いち早く気づいた堂林くんの言葉に、みんなの視線が森川さんへと向けられる。注目を集めたことに驚いたのか、森川さんの肩がビクッと跳ねた。
そんな彼女に向かって、わたしは訊ねる。
「……森川さんは、どうする? ジェットコースター? それとも……」
「わ、私は……」
だけど彼女の答えは聞かなくてもわかっていた。わかっていたから、わたしは……。
そして彼女は言った。みんなに見られている状況のせいか、それとも何か別の理由のためか、淡く頬を染めながら。
「わ、私も! 私も、乗りたい! 観覧車っ……!」
しりつぼみに消えていった声は、けれどみんなの耳に届いたようだった。
「おっけー。じゃあ森川さんも観覧車組ね」
そう言ってわたしのことを見る里枝に、わたしは言った。
「……里枝は? 里枝もどっちにするか言ってないよね?」
「んにゃ、アタシはパス。ちょっと疲れたし。あっちのベンチで休んでるよ」
「ひとりで大丈夫か?」と、堂林くんが気遣わしげに声をかける。「なんなら俺もそっちに付き合うぜ?」
「いらないし、堂林はもっと気にすることあるでしょ? 女子ふたりのエスコートっていう大役がさ」
「お、おう、そうだな。わかった。吉崎たちのことは任せろ」
そうしてわたしたちは観覧車の列に三人で並ぶことになった。
必然的にわたしたちは三人で話すようになる。
でも。
ふたりの表情、ふたりの視線の先にはお互いの存在しか映っていないみたいで。
ふいに、わたしは恥ずかしさに胸が痛んだ。
もしも堂林くんが王子様で、森川さんがお姫様だとしたら、わたしの配役はさしずめ、シンデレラの邪魔をする意地悪な姉たち。
だれが見たって、きっとそう言うに違いなかった。
「……」
泣きたくなるような現実に、わたしは耐えられなかった。
次がわたしたちの順番というところで、わたしはふたりに向かって言った。
「……あっ、ごめん。なんか親から電話みたい。出ないといけないから、わたし抜けるね」
「え、じゃ、じゃあ私たちも一緒に……」
「あーいいよいいよ。せっかくここまで並んだんだしさ。ふたりで乗って写真でも撮ってきてよ」
「で、でも……」
「いいってば。ほらほら、行った行った。綺麗な写真撮ってきてね!」
「あっ……」
森川さんの肩を強引に押し込むと、わたしは列を抜けてふたりに笑顔で手を振った。
そんなわたしを見て、堂林くんが口をパクパクさせてくる。
サンキューな、だってさ。……あーあ、堂林くん、絶対わたしが気を利かせたって思ってるよね。
違うよ。わたしはそんな立派な人間じゃない。ただ耐えられなくなっただけ。逃げただけなんだよ。
いまだって、わたしの胸は、油断すると張り裂けそうになる。その場にしゃがみ込んで、泣き叫びたい。
わたしには覚悟がなかったから。ただそれだけの理由なんだ。
ゴンドラの中に消えていくふたりを見送ってからその場を後にしたわたしは、近くにあったベンチに腰を下ろす。
それからぼんやりとふたりが乗った観覧車を見るともなしに眺めていた。
今ごろあの中では、真っ赤になった顔のふたりが、夕焼けに染まった景色を望みながらたどたどしい会話をしているんだろうか。
知らず、涙が流れた。ひと筋の光が頬を流れていく。
でも、これで良かったんだ。……これで、良かったんだ。
そう自分に言い聞かせていたとき、だれかが隣に座ってきた。
里枝だった。たぶん、どこかでこっそりと様子を窺っていたのだろう。
「アンタはよくやったよ」
「……なにが?」
頬を拭って、わたしはそっけなく応えた。
八つ当たりだった。
でも、里枝はそんなわたしの態度にも動じることなく、ただじっと黄昏の空を見続けながら言ってくる。
「だれにでもできることじゃないことをアンタはやったんだ」
やっぱり里枝は気づいていたのだろう。わたしが堂林くんが好きだってことに。
気づかないはず、ないよね。あれだけ森川さんのことを無視するように振る舞って、堂林くんが話しかけようとするのを邪魔していたんだから。
「……みじめなだけだよ」
本当に。何も残らない。残ったのは、ただ苦い罪悪感だけ。
だけど里枝は優しく微笑むと、
「ねえ、アンタ知ってる? 恋の痛みを知ると、女は美しくなれるんだぜ?」
「……なにそれ」
「ありゃホントに知らない? おかしいなぁ、姉貴に貸してもらった漫画にはそう書いてあったのに」
「……あは、だからなによ、それ」
イタズラっぽく笑う里枝は、きっと誰よりも大人だった。本当は大人っていう存在が何なのかまだわかっていなかったけれど、それでも里枝はわたしよりもずっと大人だと思った。
「…………嫌だよ」
と、わたしはぽつりと呟いていた。
「諦めたくない……ずっと、好きだったんだから……」
こぼれ落ちる涙が止められない。勝手に嗚咽が漏れていく。泣きたくなんてないのに、溢れ出る涙を、わたしはどうしても止められなかった。
そんなわたしの肩に、そっと里枝の手が触れる。
「——頑張ったね、千紗」
優しく身体を抱きしめられ、優しく耳元で囁かれた言葉に、わたしはもう我慢することをやめた。
人目なんて気にしていられるほど、簡単な想いじゃなかった。
彼以外のだれに嫌われてもいいと思った。
彼にさえ振り向いて貰えるなら、わたしは鬼にだってなれた……気がしたんだ。
でも、結局、わたしには覚悟がなかったから。最後の最後で、耐えられなかった。
嗚咽が止まらない。
後悔の念が激しい痛みとなって押し寄せてくる。
だけど、わたしは幸運だ。
わたしにはまだ、わたしのことを理解してくれる友達が、感情を吐き出させてくれる、何よりも得難い友達がいる。
「大丈夫。たとえ千紗の取った行動を責めるような奴がいたらさ、アタシが憐れんであげるから。だから大丈夫。頑張ったよ、千紗は」
「……うん、……うん……」
「ま、胸くらいはいつでも貸してあげるからさ。堂林たちが帰ってくるまえには顔、洗ってこいよなァ」
「……う、うぅ」
山陰に消えていく夕陽が、わたしたちを優しく包むように、赤く煌めいていた。
(了)