桃花ちゃん
俺の勤め先は小さな自動車整備工場だ。修理と中古車の販売もやっている。
おやっさんは修復歴のある車はちゃんと誤魔化すことなくそれを理由に安く販売する人で、その真面目さを俺は尊敬している。
住宅街の道を歩いて出勤する。
いつもより朝の景色が爽やかに見えた。
スズメのちょんちょんという鳴き声も、なんだかいつもより愛らしく聞こえてしまう。
恋をしたからだな。
河原自動車店の表玄関が見えてきた。
店先を19歳の女の子が清掃している。
おやっさんの一人娘の桃花ちゃんだ。
まだ遠くにいるうちに桃花ちゃんは俺に気づいて、手を小さく振りながら、にっこり笑ってくれた。
この子は大学でモテてるだろうなといつも思う。
気は強くて顔つきも勇ましいけど、華がある。ベリーショートにいつもズボン姿で下手すれば男の子みたいなのに、どう見ても女の子にしか見えないのは魔法みたいだ。
ただ、俺は桃花ちゃんのことは女だとは思っていない。
おやっさんに顔がよく似ているのだ。
おやっさんを可愛い女の子にしたらこうなるという感じなのだ。
何より俺がここへ勤め出して7年目。彼女が12歳の時から知っているのだ。どうしても妹ぐらいにしか思えない。
「耕兄、おはよ!」
俺が近づくと、桃花ちゃんは陽気に挨拶をしてきた。
「オッス。今日は学校は?」
「昼からだよ。それまでお店手伝う」
「真面目ないい子だな。いいお嫁さんになれるぞ」
俺がそう言うと、桃花ちゃんは頬を赤らめ、凄く嬉しそうな顔をした。
可愛いく育ったもんだけど、おやっさんにそっくりじゃなければなぁ……。それに12も年下だし。やっぱり恋愛の対象じゃない。
「おう、耕太」
おやっさんが店の中から現れた。一瞬、桃花ちゃんがオッサンにモーフィングしたように見えた。
「今日は車検の仕事が一件だ。修理の客がもし来たら俺がやっとくから、おまえは朝から車検場に行ってくれ」
おやっさんは無口で一見怖く見えるが、真面目で心優しい人だ。
いつも『お疲れさん』以外の挨拶は一切しないが、俺のほうからは礼儀を欠かさない。
「おはようございます。わかりました。じゃあ、すぐ車検場へ持って行きます」
「あ! あたしも行きたい」
桃花ちゃんが箒を持つ手を止めて、振り返った。
「お昼までには終わるんでしょ? 他にすることないし」
「いや、一人で大丈夫だよ」
俺は断った。
「部屋でゲームでもしとけ」
「いいじゃん。長い時間じっと待たないといけないんでしょ? あたしが一緒にいれば退屈しないじゃん」
「いいって。テレビでも見ておくよ」
「あ、そうそう。耕兄に聞いてほしい話があるの。だめ?」
困っておやっさんのほうを見ると、なんだかニヤニヤしていた。邪魔者を追い払うような手つきをすると、ぶっきらぼうに言う。
「行って来い。トーカは仕事の邪魔しかせんから、おらんほうがええ」
桃花ちゃんを助手席に乗せて、お客様から預かったマツダCX-9を運転した。
「広いね、この車」
桃花ちゃんが子供のようにはしゃいでいる。
「わぁ、いつの間にかあそこにあんなお店、出来たんだ?」
「車検場なんて退屈なだけだぞ?」
俺は本当に彼女のことを気遣って、言った。
「自分の部屋にいたほうがナンボか退屈じゃないだろうに。……っていうか、やることないのか?」
「なんでそんなに邪魔そうにすんの? あたしのことが嫌いなの?」
「そういう意味じゃないよ。こんなオッサンと一緒にいたって楽しくないだろう?」
「楽しいもん」
桃花ちゃんはすねたように、窓の外を向いてしまった。
「耕兄といると……あたし、楽しいもん」
「なんだよ。同い年にイケメンいないのか?」
「いるよ!」
なぜか俺の言葉に飛びついてきた。
「あのね、福士蒼汰によく似たイケメン、同じゼミにいるんだ。耕兄とは違ってお洒落で、カッコよくて、趣味も多くて……」
「おいおい」
なぜかいきなり始まった辛辣な言葉攻撃を、笑いながら遮った。
「俺をディスるなよ、ハハハ。じゃ、そいつと遊べばいいだろ。桃花ちゃんなら相手にされてないなんてことはないんだろ?」
俺の言葉が気に入らなかったように、桃花ちゃんは唇を噛みしめて、また向こうを向いてしまった。
おやっさんが内心ふつふつと怒っている時の顔にそっくりだった。