架純ちゃん
「あの……」
架純さんが可愛い声で、言った。
「こ、コータさんとお呼びしても……いいですきゃ?」
語尾を噛んだ。
「じゃあ、僕は……」
架純さん、と言おうとして、
「架純ちゃんって、呼びますね」
一歩戦略を進めた。
「ふふ……」
天使が笑う。
「こういうのって……、いいですね」
アハッと照れながら、俺は心の中で完全同意した。彼女のそれが演技だとしても、俺のは完全本心だった。
「南野耕太です。改めて、よろしく」
いそいそと自己紹介をする。彼女は既に全部知っているはずではあるが……。
「31歳です。自動車整備士をやっています。趣味は特にありません。強いて言うなら仕事が趣味です」
「ふふっ。真面目な方なんですね?」
「クソ真面目で面白くないってよく言われます。やっぱり……ちょっとぐらいワルなほうが、男は魅力的ですよねぇ?」
「そんなことないですよ」
天使の微笑みが俺を捉えた。
「素敵だと思います」
しばらくくすぐったい空気が六畳を満たした。
「あっ!」と架純さんがいきなり声をあげた。
「えっ?」と素っ頓狂な声を俺は出してしまう。
「あたしも自己紹介しないとですよね!」
ケラケラと何かに大受けしたように笑うと、彼女は自分のことを語りはじめた。
「初めまして。クラ……ほんわり架純と言います」
一瞬『クラ』って言ったけど、本名言いかけた?!
「27歳です。職業は……」
考えてる、考えてる……。何にしようかなって考えてる。
「……保母さん! 保母さんをやっています」
いいの思いついたね。男ウケよさそうだよね、その職業。でも自分でそれ言うなら『保育士』って言うよね、普通?
「趣味は読書。でも『好きな本は?』とかは聞かないでくださいね」
なんでだ? マニアックなのか、それとも嘘なのか?
「特技は動物と話せます。イルカとしか無理ですけど」
それ『イルカと話せます』でよくね? ってか、イルカとお話する機会がそんなにあるの?
「よろしくお願いします」
彼女はぺこりと頭を下げたけど、なんだか寂しかった。嘘で固められてるのが丸わかりだったから。
だんだん心を開いてくれるのだろうか……。それとも4日目になったら態度豹変?
怖い……。
でも今ドキドキしてるのは、怖いからじゃない。
失敗したくないゲームを始めたみたいに、俺は今、期待と不安を同じぐらい胸に抱え、ドキドキしているのだ。
「あの……」
誘ってみた。
「よかったら……近くの公園へ散歩に行きませんか?」
「喜んで」
彼女の笑顔が輝いた。
日曜日の公園は家族連れで賑わっていた。
チラホラとカップルの姿も見られる。
「大きな公園ですね」
ニコニコと楽しそうな笑顔の架純ちゃんが、俺のすぐ隣を歩いてる。
「わぁっ、噴水もある。綺麗!」
俺は得意満面になっていた。
彼女はけっして凄い美人ではないが、俺の目には凄く可愛い。
少女の面影を残しているというか、並んで歩いているだけでなんだか中学生ぐらいに戻ったような気分になれる。
他のカップルとすれ違う時が特に気分よかった。
俺はぼっちじゃないぞ、リア充なんだぞ、おまえらと同じだ。
そんなふうに考えると、なんだか世界が俺のもののように思えてきた。
「コータさん」
「なんだい、架純ちゃん?」
「愛してる」
そう言いながら、なんと彼女が腕を組んできた。
俺の腕にしがみつくようにくっついてきて、暑いコート越しにだが、柔らかい膨らみがふたつ……マシュマロみたいだ。
自分が今どんな顔をしているのかわからない。
たぶんアホみたいにだらしない笑顔なのだろう。
よし、もっと幸せになってやれ。
「ウフフ……、架純ちゃん」
俺は自分の頭を傾け、彼女の頭にくっつけた。
柔らかい髪が、俺の鼻をくすぐる。
いい匂いがする……。
「あっ、ダメですよ、それは」
彼女の声で我に返らされた。
「規約をよく読んでくださいね。あたしからコータさんのことは愛しますけど、コータさんからあたしを愛するのはなしです」
まじか!?
そんなルールだったか?!