そして四日目
「好きだ、架純ちゃん!」
そう叫びながら、夜中に俺は目を覚ました。時計を見ると4時だ。
暗い木目の天井に、天使の残像が残っている。
再び眠ろうとして、なかなか寝つけない。
彼女の柔らかな唇の感触が、自分の唇の上に残っていた。
俺は自分の人差し指と中指を揃えてそこに当てる。
目を閉じた彼女の顔が思い浮かぶ。
「好きだ……架純ちゃん」
しかし部屋には俺一人だった。
なんとかもう一度眠りにつき、再び目覚めると、外は明るかった。時計を見ると10時過ぎだ。
落ち着かなかった。
遂に四日目がやってきたのだ。
『アイオク!』の出品者は、返金可能期間の3日間だけは優しいが、4日目に変貌すると聞いている。
今日、この玄関を開けて、顔を現すのは、いつも通りの優しくて可愛い架純ちゃんだろうか? それとも──
落ち着かず、部屋の中をウロウロしてしまった。架純ちゃんが来るまであと2時間近くある。
カーテンを開けて窓の外を見ると、アパートの前を横切る小さな道路の上に、見知った女の子がいた。
俺と目が合った桃花ちゃんは「あっ」と口を開けて、逃げ出すような動作をしたが、すぐにくるりとこっちを向くと、二階への階段を駆け上がって来た。
凄い速さで呼び鈴が三回鳴った。
「どうしたの、桃花ちゃん」
ドアを開けると飛び込むように入って来た。
何かを探すように俺の部屋中を見回す。狭いのに。一目で何もないってわかるのに。
そして俺のほうを振り向くと、聞いてきた。
「カノジョさんがいるかと思って……」
「いるかと思うんなら普通、邪魔しないだろ……。なんで入って来るの」
「今日、来るの?」
「そうだよ。もうあと2時間もせずに来る。邪魔だから帰ってくれないかな……」
桃花ちゃんは意味ありげにニヤリと笑うと、へんなことを言い出した。
「本当にその人、耕兄のカノジョさんかなぁ?」
「ど……、どういう意味だ?」
「友達に相談してみたの。そうしたら、違う可能性もあるから確認してみたほうがいいって」
「なんで桃花ちゃんがそんなこと友達に相談すんの!? あまつさえ、なんでわざわざ確認しに来んの!?」
「あっ! 面白そうなゲーム持ってるね? ちょっとやらして?」
「勝手にゲーム機起動すんなよ! おっ……、おい!」
俺が出してあげたお茶とお菓子をつまみながら、桃花は座布団に根を張るように座り込み、あんまり楽しくはなさそうにゲームを始めた。
もうあと1時間足らずで架純ちゃんが来てしまう。
俺は桃花を早く帰さねばという気持ちと、桃花がここにいてくれたほうがいいかも? という策略との間で揺れていた。
桃花は小学生の時から知っている俺にとっては異性として見られない存在だが、客観的に見れば間違いなく可愛い。
髪型も服装も男の子みたいなのに、どこからどう見ても可愛い女の子にしか見えない色気のようなものがある。
こんな可愛い19歳の女の子と俺が兄妹みたいな関係にあると知ったら、架純ちゃんはどう思うだろうか?
芸能人の知り合いでもいれば株が上がるかもしれないように、彼女の俺を見る目が変わるかもしれない。
それに……もしかしたら……嫉妬してくれたりして?
地味可愛くて笑顔の優しい『俺の架純ちゃん』を、桃花に見せたいという気持ちもあった。
何より一人では怖かったこともある。架純ちゃんが変貌していたとしても、彼女が一緒にいてくれたら軽い変貌で済むのではないだろうか?
「なんでカノジョさん、朝から来ないの?」
ゲームをしながら、唐突に桃花がそんなことを聞いてきた。
「朝から来るように言ったんだけど、どうしても用事があるって」
いきなり桃花がコントローラーを置き、ニヤニヤ笑いながら小馬鹿にするように俺を見てくる。
「耕兄より用事のほうが大事なんだ? あたしだったら、どんな用事があっても、早く恋人に会いたいって思うけどな?」
「しょっ……、しょーがねーだろ! どうしても外せない用事なんて、誰にでも……」
呼び鈴が鳴った。
俺たちの言葉がピタッと止まる。
「ほら、来たろ?」
自分でも意味のわからないことを言いながら、玄関へ歩き、ドキドキしながら、「いらっしゃい」と言いながら、俺は扉を開けた。
別人かと思った。
だらしない女が現れた。ヨレヨレの灰色のジャンパーを着て、ミディアムボブの髪が乱れて鳥の巣みたいになった架純ちゃんが、死んだ魚のような目をして、そこに立っていた。口元にはなぜかごはん粒がくっついている。
「こんにちは愛してます」
物凄く感情のない棒読みでそう言った。




