伝説の桜の木の下で告白すると、成就するらしい。だけど麻井さん、これは梅の木ですよ
クラスメイトの麻井茉里は、おっちょこちょいだ。
去年のバレンタインの日にクラスの男子たちに手作りチョコレートを配っていたわけだけど、貰ったチョコレートを食べてびっくり。なんと砂糖と塩を間違えていたのだ。
砂糖と塩を間違えるなんてラブコメではよくある話だけど、まさか現実で間違える人がいるなんてな。驚きながらも折角貰ったものなので、ありがたく完食したのを覚えている。
一番ヤバかったのは、あれだな。「更衣室」を「行為室」と間違えて、エッチな部屋だと勘違いしたことだな。
教室で大声で「えっ!? 私避妊具持ってないよ!」と言った時は、「こいつ大丈夫か?」とマジで心配した。
そんな風におっちょこちょい故に勘違いや単純なミスの多い麻井さんだけど、周囲の人間はその欠点を魅力として捉えている節があって。
まぁ、麻井さんは可愛いからな。謂わゆる「ドジっ子」として、男子からかなりの人気があるのだ。
俺・石田真吾も麻井さんに少なからず好意を抱いている人間の一人であって。
同じ委員会に所属しているので、他の生徒と比べれば多少麻井さんと関わる機会も多いだろう。
活動の度に、なにかと彼女のフォローに努めている。
そんなことを繰り返している内に、なんだか彼女を放っておけなくなったっていうか。庇護欲が刺激され、それが好意へと変わっていったのだ。
……まぁだからと言って、今すぐ麻井さんと付き合いたいのかというと、そういうわけでもない。
今は取り敢えず、現状維持で十分満足出来た。
この日は委員会の活動がなかったので、俺は放課後になるなりさっさと下校することにした。
上履きと靴を履き替えるべく、下駄箱を開けると……靴の上に見慣れない便箋が置いてあった。
下駄箱の中の便箋と聞いて、思い浮かぶものがあるとしたら……果し状?
……いやいや。県内屈指の進学校たるこの高校に、果し状を書くような生徒はいない。
そうなると考えられるのは、もう一つの可能性。――ラブレターだ。
「俺なんかに好意を寄せてくれるなんて……一体誰なんだろう?」
便箋の裏を見ると、そこには差出人の名前が書かれていた。差出人は……麻井さんだった。
……えっ? 麻井さんみたいな可愛い女の子が、俺のことを好き? そんな夢みたいな話が、本当にあるのだろうか?
半ば信じられなかった俺は、早速便箋を開けて、手紙の本文を読む。
『放課後、校舎裏の桜の木の下で待ってます』
……どうやらこれはラブレターと見て、間違いないようだ。
その理由は、「桜の木」というワードにある。
この学校には伝説の桜の木と呼ばれる木が存在しており、その木の下で告白した恋は必ず成就すると言われているのだ。
だからわざわざ桜の木の下に呼び出したということは、ほとんど告白同然と言って過言じゃないもので。
しかし一つだけ、どうしても麻井さんに言いたいことがあった。それは――
麻井さん、校舎裏にあるのは桜の木ではなく、梅の木ですよ。
◇
俺はラブレターの指示に従い、校舎裏の桜の木……ではなく、梅の木の下にやって来ていた。
満開に咲き誇る梅の花は、うん、確かに綺麗だ。だけど一世一代の告白の機会で、桜と梅を間違えるか、普通?
そんな風に思いながらしばらくの間一人で梅の花を見ていると、やがて麻井さんがやって来た。
「遅くなってごめんね! 掃除が思った以上に長引いちゃって!」
俺を待たせてはいけないと思い、小走りで来たのだろう。校舎裏に到着した麻井さんは、息を整えるべく幾度か深呼吸をした。
他人を気遣うその心意気は、とても好感が持てる。俺との約束があっても掃除を最後まで終わらせてくる真面目さも、高評価だ。
だけど……俺の記憶が正しければ、確か麻井さんは今週掃除当番じゃなかったような。
多分だけど、彼女は自分が掃除当番だと勘違いしたんだな。相変わらずのおっちょこちょいである。
「別に、そんなに待ってないよ。……それで、俺はどうして校舎裏に呼ばれたんだ?」
麻井さんに恥をかかせたくないので、敢えて梅の木であることは黙っておいた。
「ちょっと待ってね。まだ「好き」って言う心の準備が出来ていないから」
対して麻井さんは、言わなくても良い単語を口にしている。……無意識で「好き」って言っちゃってるよ。
図らずも麻井さんの気持ちがわかった。今ここで俺の方から告白すれば、成功率は100パーセントだろう。
だけどそれって、なんかずるくないか? 麻井さんは勇気を振り絞って告白しようとしてくれているのに、俺は安全圏に入ったから告白なんて……人間として卑怯だと思う。
第一ここで告白を横取りしたら、麻井さんに失礼だ。
俺は既に答えを導き出しながらも、彼女から告白されるのを待つことにした。
「実はね、私って凄くおっちょこちょいなの」
「あぁ、知ってる」
梅の木を見上げながら、俺は頷いた。
「そのせいで沢山ミスをしちゃったり、みんなに迷惑かけちゃったり、そしてその度に自己嫌悪に苛まれるわけで。そんな私を石田くんは、毎回助けてくれるよね? 見捨てることなく何度も何度も、私のフォローをしてくれる。そんな人を……好きにならない方がどうかしてるよ」
「助けていたのは、委員会の仕事だからだ」。たとえそれが真実だとしても、そんな無粋なことを言うつもりはない。
それに……下心がこれっぽっちもなかったとは、言い切れない。
「好きです。これからも私のすぐそばで、私を助けて下さい」
真っ直ぐ向けられた麻井さんの瞳を、俺は見つめ返す。
ここが桜の木の下か梅の木の下かなんて、関係ない。大切なのは、俺と麻井さんの気持ちだ。
「……俺で良ければ、よろしくお願いします」
俺が微笑むと、それまで強張っていた麻井さんの顔がパァーッと明るくなる。
そして胸に手を当てると、安堵したように大きく息を吐いた。
「良かったあああぁぁぁぁ。私ってこんな性格だから、「付き合うのは、ちょっと」って断られると思っていたんだよね」
「……好きでもない女の子に、何度も手を貸すかよ」
「そっ、そうだったんだ……」
俺に「好き」と言われたからか、麻井さんの頬が一気に赤く染まる。
「じゃあこれからも、私を助けてくれる?」
「……当たり前だろ」
恋人同士になるんだ。これからもっと近くで、おっちょこちょいな麻井さんのことを助けることとしよう。
◇
俺と麻井さんが付き合っているという情報は、翌日の昼には全校に知れ渡った。
告白の現場を誰かに目撃されていたわけじゃない。俺や麻井さんが、意図的に宣言したわけじゃない。
例のごとく、麻井さんがうっかり誤爆してしまったのだ。
事件が起きたのは、2時間目の休み時間。麻井さんは、俺に向けてメッセージを送った。
『石田くん。週末、デートしない?』
メッセージは、確かに俺に届いた。俺との個人チャットではなく、このクラスのグループチャット伝いで。
「ヤッバ」という声を漏らした後、麻井さんは急いで送信取り消しをする。
しかし時既に遅し。いくつかの既読が付いている。
既読を付けた生徒から「えーっ!」という声が漏れると、俺たちの交際は一瞬にして広まった。
麻井さんは人気者なので正直交際していることを隠したかったわけだけど、皆に知られてしまったのならしょうがない。切り替えていこう。
おっちょこちょいの麻井さんのことだ。遅かれ早かれ口を滑らすのはわかっていた。
寧ろ気兼ねなくイチャイチャ出来るのだと、プラス思考になるべきだろう。
付き合い始めた当初は男子からの嫉妬や女子からの揶揄いを多分に受けたものの、半年も経てばそれも落ち着いてきて。俺と麻井さんは全校生徒公認の仲良しカップルとして有名になった。
目立つのは好きじゃないけれど、それが麻井さんと付き合う代償だというのなら、安いものだ。
ただこれだけ有名になってしまうと、デートをするのも一苦労だ。
知り合いに見つかれば間違いなく話しかけられ、折角のデートに水を差されるので、俺たちは毎回変装するか知り合いに会わないくらい遠くに出掛けていた。
付き合って半年記念のこの日も、そのスタンスは変わらず。俺と麻井さんは少し足を伸ばして、隣県のショッピングモールに来ていた。
自宅や高校から離れていることや、人が大勢いることもあり、この日は知り合いに会うことがなかった。
記念日なので、今夜は遅くまで彼女と一緒にいようかな? そう思っていたわけだけど……現実はそう都合良くいかなかった。
突然、俺のスマホに着信が入る。
電話をかけていたのは母親だ。メッセージではなく電話なんて、急用なのだろうか?
俺は麻井さんに断ってから、電話に出る。
「どうした、母さん? …………え? あぁ、わかった。すぐに戻る」
通話を終えると、麻井さんが心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。
「お母さん、何だって?」
「悪い。今すぐ家に帰ることになった。……婆ちゃんが亡くなったって」
予期せぬ訃報に、俺の目の前は真っ白になった。
◇
幸せなことに、俺は今まで身近な人の死というものを経験したことがなかった。
父方の祖父母は物心つく前に亡くなっていたし、母方の祖父は今も健在だ。
だから誰か大切な人の死ぬというのは、本当に初めてのことで。
もう二度、祖母に会えない。その事実が、俺の心に大きな穴を開けた。
俺は婆ちゃんっ子だった。だからこそ、喪失感は計り知れない。
俺は婆ちゃんの葬式が終わって数日が経過しても、立ち直れずにいた。
体調不良ということで学校を休んでいると、ある日麻井さんが我が家を訪ねてきた。
「その……今は誰とも会いたくないんだと思ったんだけど。やっぱり、心配になっちゃって」
気遣ってくれた恋人を、追い返すことなんて出来ない。俺は「ありがとう」と微笑んでから、麻井さんを招き入れた。
「……大丈夫?」
「大丈夫……ではないかな。だけど、乗り越えなきゃいけないと思っている」
「お婆さんのこと、それだけ大好きだったんだね」
……そうだな。
でも麻井さんが訪ねてきてくれて、一つわかったことがある。
婆ちゃんが亡くなったことは、確かに悲しい。辛い。でもそれと共に、この先訪れるであろう更なる別れを俺は恐れているのだ。
祖父との別れ、両親との別れ、友人との別れ、そして……恋人との別れ。
麻井さんと一緒いるのは凄く楽しい。だからこそ、彼女のいない生活を想像したくなかった。
「麻井さん……君は俺の前からいなくなったりしないよな?」
俺の弱音を、麻井さんは「情けない」と罵らなかった。その代わりに、俺を優しく抱き締める。
まるで憔悴しきった俺の心を包み込むように。
「おっちょこちょいな私が石田くんから離れたら、生きていけるわけないじゃん。だからどこにもいかないよ」
俺はお言葉に甘えて、麻井さんの胸を借りることにした。
「……ずっと一緒にいたい」
「それって……もしかしてプロポーズ?」
プロポーズのつもりなんてなかった。
今日くらいは、ずっと一緒にいたいって言ったつもりだったのだけど……まぁ、良いだろう。
彼女の早とちりは、あながち勘違いではないのだから。
でも、実際に結婚するのはもう少し先の話だからな。その時にまた改めて、プロポーズするとしよう。
プロポーズする場所は決まっている。伝説の桜の木の下……ではなく、梅の木の下で。